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At the Moment

昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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当たり屋捕わる 紅衛兵と尼僧
 昨日は雷がすごかったですね。千葉に落ちた雷のせいで、夕方のラッシュ時に総武線が止まっていましたが、秋葉原駅付近は千葉方面に帰えるサラリーマンであふれていたようです。秋葉原とお茶の水の間の中央線をまたぐ付近で、間の悪いことに電車が立ち往生したそうで、あの高架の高いところを乗客たちはお茶の水駅まで歩いていてお茶の水駅まで歩いたとか。高所恐怖症の人だと尻込みしてしまったんじゃないでしょうか。



新聞斜め読み



「階級的に資格制限 紅衛兵 共産青年団にかえ育成」
(毎日新聞昭和41年9月3日朝刊1面)


「二日、北京市人民委員会人事局の紅衛兵戦闘小組がはり出した「紅衛兵条例」と、共産主義青年団機関紙「中国青年報」の停刊とともに、少年先鋒隊(ピオニール)機関紙「中国少年報」も停刊されているばかりか、北京の紅衛兵の間では「共産主義青年団はフルシチョフ流の全人民的組織に堕落し、階級性を失った。このような修正主義的組織は徹底的に改革しなければならない」といっている事実が、その証拠である。
 「紅衛兵条例」は、紅衛兵を「工農兵、革命幹部、革命烈士の子女のうち、先進分子によって組織する」と明確に階級性を打ち出しているのが注目される。(中略)
 こんどの階級的な資格制限はこれまで青年団や少年先鋒隊を指導してきた党中央の指導層と「毛沢東---林彪路線」の指導方針の変化をはっきり示している。「青年団も少年先鋒隊も徹底的に改造して、階級性をはっきりさせ純潔なものにする」といっていることはその点でも重大な意味をもつものである。」

階級性というか、出生によって選別するというところがすごいですな。



「紅衛兵が”踏絵”を強制した 追放された尼僧が”恐怖の体験”語る」
(毎日新聞昭和41年9月3日朝刊3面)


「【香港二日UPI】「紅衛兵たちは十字架を床に置いて私たちに足で踏みつけるよう命じました。」---紅衛兵運動の吹き荒れる北京から”国際スパイ”の罪名を着せられて追放され、このほど北京から香港に到着した聖心学院の八人の尼僧のうち、修道女のトーマス・アベッケトさん(英)ルイジア・アントニアさん(イタリア)の二人は中共での”恐怖の体験”をこのように語り始めた。その話によれば---
 初めての日は約五十人の紅衛兵が”訪問”を口実に学院内になだれ込んできた。彼らは「もはや神も宗教も存在しない。お前たちは、ここでは用のない人間だ。出て行け」と尼僧たちをののしりながら、学院の建物やチャペルの中を荒しまわり”あらゆるもの”をひき倒した。やがて十字架をひっぱり出すと床に投げつけ、尼僧たちに無理やり土足で踏みつけるよう要求した。紅衛兵たちはその後も入れかわりやってきて、尼僧たちを「射殺してやる」とおどしたり、中国人尼僧をなぐりつけ、外国人尼僧をこづいたという。」

こんな修羅場になっても、「中国人尼僧をなぐりつけ、外国人尼僧をこづいた」と国籍によって応対に区別をつけていますね。やはり、党の上のほうから外国人の扱いについては注意するように命令がでているのでしょうか。


「先を急ぐ中共 (下) 本社論説委員長橘善守 国際的孤立化への道 排外主義に世界中が幻滅」
(毎日新聞昭和41年9月3日朝刊1面)


「中共に対して、世界が描いていたイメージは、初期の国内におけると同様、少なくともソ連よりは漸進的で、ものわかりのいい共産党、ということだった。(中略)しかし、世界が中共に対して抱いたバラ色の未来像は、やがて無惨に打ち砕かれてしまった。その最初の受難者は米国だった。米国が、中国共産党を穏健な「土地改革者の党」ないし「改良主義者の党」とみて、戦後の中国政策のうえでさんざん失敗を重ねたのは知られるとおりだ。今日、ベトナム戦争にみられるような、中共の国をあげての対米憎悪を、米国は、かつて一度でも想像したことがあるであろうか。
 あの親中共だったネールのインドが、みじめな裏切りを喫したのはいうまでもあるまい。まして、ソ連にいたっては、今日の中ソ対立を予想だもしなかったであろう。ソ連を師父と仰ぎ「すべてをソ連の先験に学べ」といい、中共の「向ソ一辺倒」で「一枚岩の団結」を誇った当時、ソ連の指導者ならずとも、いったい、だれが現在の中ソ関係の悪化を予見しえたであろうか。」

不勉強ながら、中共建国当時の雰囲気をよく覚えていないのですが、「共産党とはいえ、思ったより過激でない、ソフトなイメージ」で売っていたんですな。朝鮮戦争に参戦した頃の血なまぐさい印象が強かったので、少し意外でした。



「東南アに足場築く 実り多いドゴール訪問 パリの見方」
(日本経済新聞昭和41年9月3日夕刊1面)


「【パリ二日=片野特派員】ドゴール・フランス大統領は二日、カンボジア訪問の日程を終え次の目的地ニューカレドニアに向かったが、当地ではドゴール大統領がプノンペン滞在中にベトナム問題についてじゅうぶん所期の成果をあげたとみている。(中略)
 ドゴール大統領はこんどのカンボジア訪問によって同国とフランスの友好関係を強化し、ベトナム問題についての共同歩調をとることによって、ベトナム問題に関する独自の構想を展開する足場をインドシナの一角に築いた。カンボジアはインドシナで中立政策を維持している唯一の国であり米国の武力介入を激しく非難しながらも中共の影響力の強まることもきらっているという点でもドゴール大統領にとってはうってつけな”友邦”であろう。その友邦との間に(1)全インドシナの中立化(2)全外国軍隊のベトナムからの撤退---というドゴール構想の方向で一致したことはフランスとカンボジアがベトナム戦争の直接当時国ではないとはいえ、国際的な影響は無視できないだろう。」

さすがに老獪なオヤジだけあって、たくらみが小ヒットという感じ。フランスの存在感を示したという点では満足でしょうね。しかるに、一方米国の反応は。



「米国は憤りの表情」
(日本経済新聞昭和41年9月3日夕刊1面)


「【ワシントン二日=大原特派員】ドゴール・フランス大統領は二日、プノンペンでシアヌーク・カンボジア国家元首と共同声明を発表、その中で「外国の干渉が内線を本格的な戦争に転化させた」と述べて米国を批判したが、米政府筋はこれに対し同日、失望と憤りの表情を隠さなかった。」

怒ってますねぇ。まあ、もともと紛争の発端はフランスだったんですから、「お前がもっと上手くやっていたらこんなことにならなかったんだ」ってところでしょうか。とはいえ、このままずるずる戦闘を続けるのも米国にとってはツライ展開ではないかと。


「ス大統領、閣僚を非難 「社会主義守れ」と迫る」
(毎日新聞昭和41年9月3日朝刊3面)


「【ジャカルタ二日UPI】インドネシアの全国知事、軍政官会議は二日、ジャカルタのムルデカ宮殿で開かれたが、席上、スカルノ大統領は「私に反対する勢力には断固たる行動をとれ」と激しい調子で演説した。
 スカルノ大統領はこの日、会議の開会あいさつで冒頭から「もし”革命の偉大なる指導者”である私を中傷するものがあれば、引きずり出して泥のなかへ投げこんでしまえ」という激しい切り出しで、居並ぶ知事、軍政官に「お前たちは一体どうするのだ」と大声をあげ、またヒナ壇の閣僚のなかをさして「そこのサルタン(土侯)ならどうだ」とハムンク・ブオノ副首相(経済担当)や「イドハム・ハリドならどうする」とハリド副首相(社会福祉担当)を引合いに出しての激しさで「だれが”革命の偉大な指導者”になろうとも、真にわれわれが革命の達成を願うならば、その偉大な指導者を守ることは君たちや私の義務ではないか」と怒号した。
 この演説中、スカルノ大統領がスハルト内閣幹部会議長に「おまえは何をしているのか」と直接聞きただしたとき、同議長は明らかに一瞬たじろいだ。
 同大統領は演説で「社会主義は今日なお生きている。おまえたちは社会主義者たちを逮捕し、刑務所へ送ることはできるが、社会主義は消滅しないだろう」と社会主義を擁護し”他の資本主義機関”に反対するよう警告した。」

昨年の政変以来のスカルノ大統領の地位ほど不思議なものはないですね。本来既に失脚しているはずなのに、まだ役職としては「大統領」。国内での人気がまだ衰えないために、クーデターで権力を握った側も無下にはできないというところなんでしょう。上の勇ましい演説も、現実には「籠の鳥」状態であることを考えると、一抹の寂しさを感じます。しかし、スハルトさんはそもそも社会主義者じゃなかったような...。



今日の殺伐




「”当たり屋一家”大阪で逮捕 知人が隠れ家を通報 全国またに47件も」
(毎日新聞昭和41年9月3日朝刊15面)


「子供を使って交通事故の示談金をおどしとる”当たり屋”高知県、前科一犯、検挙歴六回、中元岩夫(四四)と内縁の妻、自称出口初江(二七)の二人は、三日未明、大阪市西成区桜通二の七の隠れ家で、大阪府警西成署員に逮捕され、十才と二才の二人の子供は保護された。家の世話をした女性からの連絡が逮捕のきっかけ。警察庁が二日午後四時「準広域重要捜査指定事件」として全国に特別捜査態勢を指示したやさきだった。同署では自動車事故示談金詐欺、恐かつ容疑で取調べを開始した。本社調べによると中元一家による被害は全国で四十七件、被害金額は百数十万円にのぼっている。」

昨日の報道では、警察は東京・山谷を中心に捜査を開始とあったが、東京ではなく大阪・西成に潜伏してたんですな。夕刊では、各紙で会見記事が出てきています。


「当り屋夫婦 高知・南国署へ護送 ”戦傷で職がなく” 中元、車中で動機を語る」
(朝日新聞昭和41年9月3日夕刊11面)


「【大阪】大阪・西成署に逮捕された”当り屋”の高知県無職中元岩夫(四四)と連れの大阪市生れ出口初江(二七)は三日朝、まず出口を割出した高知県警・南国署に護送された。」

中元の語った動機は、下記の通り。

「こんな商売を覚えたのも警察のおかげだ。今年四月、初江が高知市内で魚屋のライトバンにはねられ、腰に一カ月半の重傷を負った。診断書を持って高知署の交通事故係とかけあったが、その警官は魚屋と顔見知りだったので、向うのいい分だけを聞き、歩行者の初江が悪かったと決めてかかり、一円の治療代もくれなかった。不公平な警察の態度に腹が立って仕方がなかった。自分の薬代のほか、妻の治療費もかさんだためたちまち生活に困った。その時「こちらは逆手をいって当り屋でもうけてやろう」と思いついた。」

日経は、この動機について別の証言を載せている。


「”犯行動機はウソ” 高知の加害者?語る」
(日本経済新聞昭和41年9月3日夕刊7面)


「高知署や加害者?(被害者)の同市朝倉曙町、鮮魚商矢野茂雄さん(41)の話によると、この事故も全くの当たり屋事件でしかなかった。矢野さんの運転する軽四輪が時速二十キロぐらいののろいスピードで徐行しているとき、出口初江が「車の後部に触れて腰を打った」とわめきだした。高知署で話をつけようとしたが、中元は医者にも見せずに治療代一万円を要求した。
 結局、同夜午前二時ごろ初江が矢野さんの家で示談金七千円を受け取り、示談書に指印を押している。翌日市内の平田病院でレントゲン検査を受けたがこれも異常なし。電話でレントゲン代を要求してきたが、矢野さんは断わった。「あのときの事故はもちろん計画的な犯行です。私は高知署の巡査に知り合いもない。とにかく中元は口のうまい男ですよ」と矢野さんはあきれている。」

一方、実は被害者だった加害者の救済のお話。


「「有罪」は裁判し直す 警視庁 当り屋の被害者に救済措置」
(朝日新聞昭和41年9月3日夕刊11面)


「” 当り屋”夫婦による犯行の被害は六十件(三日現在)に上っているが、このうち十二件は警察署が交通事故として取扱い、被害者は交通事故の加害者としてすでに処理されていることがわかったので、警察庁交通局は三日、関係県警へ事件処理手続きの進行を即時停止し、すでに判決をうけたものに対しては救済措置をとるため詳しい再調査を指示した。」

被害が多いだけに再調査も大変でしょうが、しっかりやってほしいもんです。


| - | 13:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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