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昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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ソ連も自民も途中退席
 元衆議院議長の招きで東京裁判のパール元判事が来日されたとのことです。

「東京裁判のパール氏来日」
(朝日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)


「極東軍事裁判の判事で、東条被告らの有罪判決に反対意見書を出したインドのラダ・ビノット・パール氏(八○)が一日夜九時すぎ日航機で羽田空港についた。(中略)
 歓迎の花束を受取ると合掌して「愛する日本へ来てうれしい。あの時の私の意見はいまでも正しいと確信している。」

現在80歳ということは、東京裁判の歳は60歳前後だったんですね。戦後は遠くなりにけりですな。



新聞斜め読み




「林彪演説に抗議して退場 ソ連・東欧代表」
(毎日新聞昭和41年10月2日朝刊1面)


「【北京一日ロイター=共同】中国の第十七回国慶節に列席していたソ連および東欧諸国の各代表は一日、パレードに先立って行われた林彪国防省の演説で、ベトナムに関する部分の演説内容に抗議して一世に退席した。
 ソ連代表らが抗議したのは、同国国防相が演説のなかで「米国を先頭とする帝国主義とソ連共産党を中心とする現代修正主義は共謀して、インチキな和平会談をたくらみ、米国の侵略に反対するベトナム人民による民族革命戦争の怒りの火をもみ消そうとしている」と述べた部分で、ルーマニア、北朝鮮、北ベトナムなど、中ソ論争で中立の立場の各国代表と、ユーゴ、キューバ、アルバニアの各代表は引き続き参加していた。」


一触即発な雰囲気ですね。しかし、「インチキな和平会談」とソ連を名指しで糾弾されたら、退席するしかないですわな。



「中共の国慶節 ソ連、冷ややかな祝電 毛ー林政権を無視 頭越しに人民友好訴える」
(毎日新聞昭和41年10月2日朝刊3面)


「【モスクワ一日平野特派員】中共の国慶節当日の一日、モスクワの表情は紅衛兵以後の中ソ関係の急激な冷却化をはっきり浮きぼりにした。ソ連指導部が同日、北京に送った恒例の祝電が毛ー林政権を全く無視し、その頭越しに中国共産党員と中国人民に直接、友好強化を訴えたことほどソ連国民感情を物語ったものはないだろう。(中略)
 ことしの祝電は一切の名前がけずられ、ソ連党中央委最高会議幹部会、閣僚会議から中共党中央委、国家主席、人民大会常務委、国務院に贈られたもので内容もソ連は今後も「中共党員と人民との友好を強化する路線を進める」と述べ、中共の労働者、農民、インテリ、一般大衆が「現代の困難を克服することを望む」としている。「現在の困難を克服」とは毛ー林路線の克服、つまり打倒をよびかけたものと解される。」


で、対抗してソ連の祝電。毛様は無視して、中国人民への訴え。しかし、中共内に住んでいて毛様に逆らう根性のある人間はそうはいないでしょうな。果たしてソ連の思惑通り、毛ー林ラインに弓を引くものは出てくるのか?



「参院決算委 異例の幕切れ スーッと廊下へ 自民理事 野党各派はカンカン」
(朝日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)


「「共和精糖グループ」に対する過剰融資問題を追求していた一日の参院決算委(鶴園哲夫委員長=社会)は、審議中、自民党の理事が次々と退場、最後の質問者、岩間正男委員(共産)の質問が終わったときには、自民党でただ一人残っていた仲原善一理事も姿を消したため、審議はストップしてしまった。委員会終了後、理事会を開いてこれから日程をきめようにも、自民党の理事が一人もいなくてはどうにもならない。異例のできごとに、鶴園委員長は審議を中断、事務当局を八方に走らせて、必死の"捜索"をしたが、仲原理事は行方不明、その間一時間近く、ついに今後の日程も決めぬまま委員会は散会した。」
「そのうちに野党委員の中から、自民党の調停役、仲原理事に"同情"する声も出はじめた。「ひとりだけで野党の攻撃をだまって聞いているのもつらいだろうなあ。疑惑だ、ニセ領収書だ、印鑑だ、と毎日毎日やられて、ジッとしてなければならないんだからなあ。」」


ここ1カ月ほど、自民党の疑惑、いわゆる"黒い霧"で国会も大揺れです。先日逮捕された田中彰治やら、この記事の共和精糖グループの疑惑やら、いろんな疑惑が渦巻いております。その中での決算委員会中途失踪事件でした。しかし、野党の議員に同情されるとは、よっぽどの総攻撃だったんでしょう。


今日の殺伐



「"悪友とつき合うな"と注意され 路上で父を刺殺」
(毎日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)

「一日午後七時半ごろ東京荒川区西日暮里六の三の三の路上で、同区町屋、製本業、Aさん(四六)は二男の無職、M(一六)に刃渡り八センチの折りたたみナイフで左胸を刺され、近くの病院に運ばれたが、出血多量で死んだ。Mは一緒にいた友人のK(一六)=同区西日暮里、元コック見習い=とすぐに自首しようと、近くの西日暮里一丁目交番へ向かう途中、一一○番でかけつけた荒川署に、Mは尊属殺人、Kは殺人予備で逮捕された。
 同署の調べによると、Mは父が母親と離婚、七回も妻をかえたり、酒を飲んでなぐったりするので、三月に家を飛び出しKの家に泊まっていたが、同夜、父が迎えにきてKをさして「おまえはこいつにひっぱられて家を飛び出したのだろう。友だちが悪い」とKを非難し、さらに「だいたいここは家がきたない」と、Kの母にも悪口をいったうえ、連れて帰ろうとした。
 口論しながら約十五メートル離れたところにきたとき、再び父に「あんな家に泊まるな。友だちも悪いが、おまえも悪い」としかられた。カッとなったMがナイフを出すと、父が「殺すなら殺せ」といったので刺した、といっている。」


殺された人を指弾するするのもいかがとは思いますが、父親の暴言もかなりのものですね。『だいたいここは家がきたない』はないのではないかと。それだけ、Mの暮らしていた環境が荒んでいたことの証しなんでしょうが。
| - | 21:43 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今日の注目は「中共の国慶節 ソ連、冷ややかな祝電 毛ー林政権を無視 頭越しに人民友好訴える」。

ソ連が毛―林政権を打倒するように中国人民に訴えていますが、5年後の1971年、当の林彪がクーデターを画策し毛沢東暗殺を試みるんですよね。

失敗してソ連に逃げる途中で、乗っていた飛行機が墜落して死んでしまうんですが。
| 産業ロック製作所長 | 2006/10/21 9:45 PM |










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