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At the Moment

昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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モンゴルと内モンゴルの合併提案
 新しい電池に注目が集まっているようです。

「脚光浴びる燃料電池 蓄電池に比べて軽く小型 やがては電気自動車も」
(朝日新聞昭和41年10月3日朝刊11面)


「重くて、寿命の限られている在来の電池にかわって、燃料電池が最近脚光をあび出した。アメリカのジェミニ衛星船に積込まれて話題となったのだが、この燃料電池、単に宇宙に限らず将来うまく開発できれば、公害のない電気自動車の電源となる可能性も大きい。」

まさに宇宙時代の新エネルギー。公害のない自動車が早く実現することを期待したいですね。



新聞斜め読み



「九人、北朝鮮へ送還 平新艇事件」
(毎日新聞昭和41年10月3日夕刊1面)


「【横浜】"平新艇事件"で不起訴になり、北朝鮮に強制送還させられる非亡命派の副船長金基逢(三八)ら九人は、三日午前十一時横浜出向のソ連定期客船"バイカル号"でソ連ナホトカ経由、北朝鮮に送還された。
 九人は同日午前六時十五分海上保安庁の巡視船"だいおう"で下関から海路横浜港外に到着、直ちに横浜海上保安部の巡視船"はたぐも"に移されたうえ同七時二十分横浜港大桟橋D岸壁に接岸中のバイカル号に乗船した。
 同岸壁前の送迎ターミナルには早朝から東京、横浜などの朝鮮総連系の朝鮮人約千二百人がかけつけ、また海上にはチャーターのランチに二百人が乗り、タラップを上がる九人を海陸から一斉に"マンセー、マンセー"(万歳、万歳)と叫びながら見送った。」


「平新艇の9人 関係者はホッと 船から船へバトン・タッチ」
(読売新聞昭和41年10月3日夕刊11面)


「【横浜】横浜港の大桟橋は、三日、早朝というのに約千人の見送り人がつめかけた。「平新艇」の九人は手を振ってこたえ、意気揚々たるもの。記者会見の席でも" 帰国後は祖国の建設につくす"と語りバイカル号で日本の海を去っていった。あとに残った海上保安部の関係者は、さすがにホッとした表情で船影を見送っていた。
 桟橋には、朝もやをついて早朝から朝鮮総連の人たちが、北朝鮮の国旗や帰国歓送ののぼりを手に手に集まっていたが、到着した九人にたいし「南へ行った四人のおどしに負けずよくがんばった」などと一斉に歓声をあげた。」


千人の『マンセー』だけでも、かなりの音量だとおもいますが、朝日夕刊の記事によると、見送り陣はブラスバンドも用意していたとか。さぞ賑やかだったでしょうね。ここ連日、総連さんや民団さんのシュプレヒコール合戦の矢面にたっていた海上保安庁の担当者には、ホントにお疲れ様と言ってあげたい気分です。



「内モンゴルと合併し 新たな統一国家を 中共、モンゴルに提案か」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊3面)


「【ロンドン一日UPI】ロンドンに一日達した外交報告によると、中共はモンゴルに対し、ソ連圏から離脱して中共支配下の内モンゴルと合併し、モンゴル民族だけの新たな独立国家を樹立してはどうかと働きかけたが、モンゴルはこれを拒否した。
 モンゴルは反中共路線をとっており、中ソ論争で最近ソ連側についたが、この中共提案を拒否したのは、統一モンゴルといっても中国人は数のうえでははるかに優勢であり、中共の影響力からのがれられないため、独立はみせかけだと判断したためかもしれない。しかし今回の動きは、北京がソ連の勢力範囲およびソ連自体に対してしだいに圧力をかけつつあることをはっきりと示している。」


中共様が外交攻勢に出てきました。現在ソ連陣営のモンゴルに秋波を送っています。モンゴルは拒否したようですが、まあチベットの現況を見れば、断るのも当然でしょうな。



「劉少奇主席を黙殺 国慶節報じた人民日報」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊3面)


「【北京二日高田特派員】一日の第十七回国慶節を報じた二日付の人民日報は同日午後四時ごろ発表されたが、毛沢東主席の健在を強調する半面、依然として劉少奇国家主席および朱徳常務委員長らを黙殺するような編集を続けている。」


天安門のひな壇に現れた劉少奇ですが、相変わらず党内での立場は不安定なようで、こんな報道が流れています。いきなり完全失脚では国内で動揺があるので、少しずつ閑職に押し込んでいく腹づもりなんでしょうか?



「中ソ、国境で衝突? 英紙」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊3面)


「【ロンドン二日共同】二日付の英独立系週刊誌オブザーバーによれば、ソ連、中共の軍隊はことしの夏いらい両国国境の最南にあたらう新疆ウイグル自治区、アフガニスタン国境近くで衝突を続けており、その規模もこぜりあいの範囲を越えたようだといわれる。」


ついに、中ソ武力衝突か?まだ詳報がないので未確認ですが、両国の雰囲気を見ていると本当にいつ衝突が起こっておかしくないといった感じですね。



「"原爆は防御できる" 中国の核実験記録映画 実験動物の様子映し強調」
(朝日新聞昭和41年10月3日夕刊1面)


「【北京=野上特派員二日発】中国では建国十七周年の国慶節を機会に、三回にわたる中国の核実験成功の記録映画を、北京、天津、上海などの大都市で公開することになった。記者は二日夜、国際クラブ(紅衛兵のために一度閉鎖されたが、最近再会された)の招待で、その試写会を見ることができた。(中略)
 三回目の実験では、いろいろな実験動物が使われ、一部は飛行機に乗せられた。爆発直後のキノコ雲が映ったあと、れんが造りの建物が煙をあげてくずれ落ちるところが映しだされたが、そのあとからは実験に供された動物や植物の様子が映し出された。
 まず、実験のあとでもニワトリはタマゴを生んだという説明で、白色レグホンが入れられたカゴのなかに、タマゴが二つ生み落とされている光景、つづいて地下ごうのなかのオリで、サルが元気に動きまわっている写真、最後にはトウモロコシの種が回収され、これをまいたところ、正常に成育した様子が映し出されて「本当に防備さえすれば、原子爆弾は完全に防御できる」という説明がはいった。
 この映画は「米帝国主義、フルシチョフ修正主義者は、原子爆弾は人類はじめ、いっさいのものを滅亡させるという作り話をふりまいているが、これは完全に偽りであることが証明された」という説明で終わった。」


なるほど、米ソのMAD(相互確実破壊)体制を崩すには、『原爆では死なない』という信念を持つことが必要というわけですか。それって、かなり『風説の流布』じゃ...。



「日比共同声明を発表 比大統領きょう離日 ベトナム和平に努力」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊1面)


「フィリピンのマルコス大統領は国賓として九月二十八日に来日して以来、二十九日に佐藤首相と会談、ベトナム和平の早期実現などについて話し合ったのをはじめ、岸元首相ら政財界の要人とも懇談、日比両国の親善、友好関係の増進に大きな役割を果たしたが、三日午前十時半羽田空港のフィリピン航空特別機で離日する。」


来日していたマルコス大統領が帰国しました。近々ベトナム問題に関して米国主催のマニラ会議が開かれる予定ですが、一躍国際政治の表舞台に躍り出てきた印象があります。



「船堀橋(荒川)ポッキリ ハシケが橋脚に衝突し」
(読売新聞昭和41年10月3日朝刊15面)


「二日午前十一時半ごろ、東京都江戸川区小松川一の一さき、荒川の船堀橋中央部で、中央区新川二の七、千代田区曳船会社の「第二熊丸」にひかれて下流に向け航行中の横浜市中区本町三四、中央運輸会社のハシケ「第二十中央丸」が、木造の橋脚に衝突、このショックで長さ五百六十メートル、幅四ー六メートルの橋の一部が、長さ十四にわたってずり落ち、通行ができなくなった。
 小松川署の調べによると、ひき船の「第二熊丸」が橋の手前で減速したが、おりから台風二十八号の前ぶれの風と干潮時の流れの速さから「第二十中央丸」のかじ操作ができなくなり、衝突したらしい。」


この橋は大正十一年開通の古い橋で、基礎だけコンクリートで残りは木製というもの。昭和三十九年は火事で中央部が100メートルも焼け落ちて古材で修理し、またその後橋脚が腐ったため補修したとか。さすがにそこまで傷んでいるなら、いっそ新しい橋をかけたほうがいいんじゃないかと。都建設局の話では、年末まで通行止めだそうです。



「若い男三、四人浮かぶ 長うた師匠殺し」
(読売新聞昭和41年10月3日朝刊15面)


「東京・大塚のアパートで長うた師匠室井誠一さん(三二)が殺された事件の大塚署捜査本部は、室井さんの交友関係を中心に操作を進めていたが、二日までに比較的若い男三、四人がしばしばアパートを訪問していたことがわかった。(中略)
 この男たちは、室井さんが、新宿方面のゲイバーで知りあったらしいことがわかり、この方面を中心に聞き込み捜査をしている。」


男女の痴情のもつれの線かと思ったら、事項の構図がまた変わってきました。ゲイボーイがからんでいるそうな。



今日の殺伐



「東京こわい 24時間に殺人4件も 捜査本部ついに20 凶悪化しほとんど衝動的」
(読売新聞昭和41年10月3日朝刊15面)


「このところ、殺人事件が続発している。二日早朝、東京・四谷の旅館でアベックの女が殺され、七時間後には、葛飾のドブで税理士の老人が首にナイフをつき刺されていた。一日には、大塚のアパートで長うた師匠、荒川では父親が十六歳のむすこに刺し殺された。わずか二十四時間でなんと四件の殺人事件が発生している。このうち犯人が逮捕されたのは父親殺しだけ。都内の殺人事件は六月はじめから急にふえ出し、未遂や傷害致死まで含めると、三日に一件の割り合いだ。警視庁捜査一課は七班ある殺人班だけでは足りず、強盗捜査班(四班)まで投入してやっと犯人を追っている始末で"足"も乱れがち。こんなに多発した理由や背景は、いちがいにはいえないが、なんとなく"こわくて不安な東京"になってきた---。(中略)
 都立大岩井弘融教授(犯罪社会学)に聞いてみると、つぎのように分析する。
「(中略)解決策としては、とくに少年たちが、人生に希望が持てるようにする。血の通った経済成長が、常識的だが根本ではないだろうか。」


岩井先生によれば、若い人の間で希望が持てないようになっていることが殺人の遠因だそうです。世知辛い世の中ですね。きっと、40年も経てば、若い人たちも今よりずっと希望が持てるようになるでしょう。
| - | 21:50 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今日は、「東京こわい 24時間に殺人4件も 捜査本部ついに20 凶悪化しほとんど衝動的」に関連して一言。

最近「希望格差社会」なんていう言葉が流行っていますが、40年前から若者には希望がなかったみたいですよ。

「希望格差社会」の根底には、「高度経済成長時代はみんな希望が持てたけど、弱肉強食な現代では一部の人しか希望が持てない」という、うっすらと世間で共有されている前提があるように思われますが、本当に高度経済成長期には希望があふれていたんでしょうか。

若者なんてそれぞれの時代で、それぞれ適当に絶望しているものなんじゃないかと思うのですが。
| 産業ロック製作所長 | 2006/10/21 9:53 PM |










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