1966.10.14 Friday
ノラ犬スキ焼きと暴力反対
姙娠が報じられたインドネシアのデビ夫人ですが、こんなインタービュー記事がでていました。
「おめでた近いデビ夫人と会見 スカルノ大統領は男の双生児を希望」
(毎日新聞昭和41年10月14日夕刊6面)
「【ジャカルタ藤原特派員】インドネシアのジャカルタは、いま雨期である。町の南郊スナヤン競技場にほど近いスカルノ大統領第三夫人、デビ夫人=日本名・根本七保子さん=の広壮な邸宅は、雨にぬれて静まりかえっていた。スバンドリオ裁判、KAMI(大学生行動戦線)のデモと、いまなおきびしい情勢下に、デビ夫人の"おめでた"が伝えられている。記者は九日午後、夫人宅の門をたたいた。夫人はとても元気で、気持よく記者たちを迎え、おめでたの事実を認めるとともに、近況をあれこれ話してくれた。(中略)
夫人は、濃紺の地に、花模様の”変わりバティック(ジャワサラサ)々の妊婦服を着ていた。しばらく身体の調子が悪くて、引っ込んでいたためか、色が白く、一段と美しくみえ、血色もよく健康そうだった。(中略)
大統領はおめでたを非常によろこび、男の双生児の出産を希整している。最近は夫人に会うたびに「母親は子供に一生をささげる覚悟をもて」と"母親訓"をひとくさりきかせる。生まれてくる子の名前も決まったようなもの。男児ならばファジャル・マルタ(暁の嵐)は確実。女児ならばカルカット・サリ(星の精)になりそうだという。大統領があげたいくつかの候補から、二人が相綴して選んだらしい。大統領は、男の子には、第一夫人の長男グントウル君(雷鳴)をはじめ、各夫人に生まれた男の子四人に、いずれも天候、気象にゆかりのある名前をつけている。」
ともかく元気そうでなにより。日本での出産を希望しているデビ夫人ですが、マスコミの取材攻勢を不安に思っているとのこと。
新聞斜め読み
「中国が重大な障害に ベトナム戦 ソ連首相が非難」
(読売新聞昭和41年10月14日朝刊1面)
「【モスクワ支局十三日発】ソ連訪問中のポーランド党、政府代表団とともに国内を旅行中のコスイギン・ソ連首相は十三日、スベルトロフスク集会で演説「中国の分裂路線はベトナム人民と社会主義の利益に大きな損害を与え、米帝国主義と、社会主義ならびに平和と進歩の敵に大きな奉仕をしている」と、文化革命下の中国路線を激しく非難し「分製路線と破壊行動をやめようとしない者には断固たる反撃が必要だ」と述べた。
ソ連の最高首脳が中国の文化革命後、公開の席上で中国を名ざしで非難攻撃したことはこれが初めてである。しかもこれがゴムルカ・ポーランド統一労働党第一書記を迎えた席上で行なわれたことは、これまで中国にやや控えめな態度をとってきたポーランドが、はっきり中国非難の態度をとり始めたことや、この一か月のブレジネフ党書記長の三国歴訪などによる首脳会談でソ連が自信を強め、公然たる中国孤立化の路線に踏み切ったことを示すのではないかともみられる。」
ソ連が、だんだん外堀を埋めてきた感じです。はたして中共の出方は如何。
「日共、西沢中央委員を除名 親中共派の有力幹部」
(毎日新聞昭和41年10月14日朝刊1面)
「日本共産党は、十三日午後二時から第七回中央委員会総会を開き、さきに二ヵ月間の党員権停止処分にした同党中央委員、西沢隆二氏(詩人ぬやま・ひろし)の除名を決定した。この決定は八月から始まった日共内部の中共派粛正の動きの中では、最有力の幹部党員の処分である。
七中総は十七日開催の予定だったが、中共派の宮本指導部に対する反発が強くなったため、先制攻撃をかける意味から西沢氏の除名を急いだものとみられる。
西沢氏は故徳田球一書記長の娘婿で、徳田書記長時代に主流派として活躍、宮本指導部になってからも引き続き中央委員の要職にあった。宮本指導部が中共路線から離脱後、中共派幹部のほとんどが宮本書記長に"忠誠"を誓った中でほか数人の有力幹部とともに親中共路線をとっていた。」
日本でも、上の記事に呼応するように、日共が動き出しました。記事によると、夫人とお子さんは最近までずっと中国に滞在されていたそうです。義父の徳田球一さんも亡命中の1953年に北京で客死してますから、娘さんも中国とは縁があるのでしょうね。
「パリ・デザインナーの既製服進出 大ゆれの男性服飾界 量産、注文服に挑戦」
(読売新聞昭和41年10月14日朝刊8面)
「男子服の流行といえば、ここ数年、二十歳前後の若い人の服装中心で、サラリーマンのビジネス・スーツといわれる紳士既製服は、強烈な個性や、極端な流行の追随はしないのが常識だった。それがこの秋冬の既製服は、積極的にトップ・ファッションを打ち出して販売合戦をくりひろげている。これは、かつてない現象で、服飾界では"メンズ・ファッションの革命期"といいきっているほど。すべての製品が量産販売に移ってきているこのごろ、この男性服の動きは、注文服に押えられていた男性服飾界に大さなクサビを打ち込んだものとして注目されている。そこで、"革命"とすらいわれる男性おしゃれ時代の背景を追ってみた。
紳士既製服の新しい流れのトップは、なんといってもピエール・カルダン、テッド・ラビトスといったフランスの一流デザイナーの作品を既製服に取り入れたことである。しかも、デザインも若い層だけでなく、広く中年層までそろえてある。値段も従来の既製服とほぼ同じとあっては、おしゃれ時代に突入した男性にとって、たしかに見のがせない現象といえよう。」
いよいよ、仕事場の服装にもおしゃれが要求される時代になってきたようですな。まだまだ注文服のシェアが大きい紳士服業界も様変わりの時期でしょうか。
今日の殺伐
「暴力学生まかり通る 学徒援護会の東京学生会館 やっと追放へ決起 ノラ犬スキ焼きに怒る」
(毎日新聞昭和41年10月14日朝刊15面)
「「犬も歩けば棒にあたる」---いろはがるたを地でいくような大学生たちの"暴力反対闘争"が財団法人・学徒援護会経営の東京学生会館(東京新宿区上落合一のニ七六、馬場勇道館長)で持ちあがっている。犬を殺してスキ焼きパーティーを開いたり、同僚学生に殴るけるの乱暴をしたり、国の金で建てた鉄筋五階建のデラックスな会館内で暴力学生がまかり通っていた---一年余り、チンとして小さくなっていた一般学生五百人も、ノラ大の痛ましい死をきっかけについに"暴力追放"に立ち上がった。
「ノラ犬のスキ焼き」事件は七日午前十時ごろのこと。西武電鉄下落合駅構内で拓大四年生K(二四)=会館内三二〇号室=が、同大一年生の後輩を引きつれて茶色のノラ犬(体長六〇センチ)をつかまえ、縄をかけてつれていった。会館内の掃除婦が「かわいそうだからはなして」と何度も助命を懇願してみたがKらはきき入れず、自室わきのベランダで殺してしまった。午後三時ころ、Kらは館内の学生食堂のコック長(ニニ)=学校福祉協会から派遣=の手を借りて犬を料理、その夜、スキ焼きにして拓大の学生(同会館内には二十八人居住)や他大学の学生数人にふるまった。Kの就職内定の祝いのための"壮挙"だったという。
同会館は昨年六月開館、都内四十三大学の五百二十五人が住んでいる。地方出身で経済的に恵まれない大学生のために、国が金額を補助し、学徒援護会に委託している施設だ。
ところが、この一年余り、会館は犬を食べた"豪傑"Kたち拓大グループの暴力に完全におさえられた格好だった。三階の中央部の一角にKらの部屋が並んでいるが、ときどき酒もりして奇声をはり上げ、ドタバタと騒ぎ回り、深夜に及ぶ。ほかの大学の学生が定期試験で目下猛勉強中でもおかまいなし。暴力、傷害も絶えない。ことしの二月十日ごろ、慶応大学の四年生A君(二四)=現在卒業=ら約十人は、拓大生の三人から暴行を受けた。酔って廊下をバタバタと乱暴に走り回っているので、東大の学生が注意したのが原因。(中略)たまりかねた被害学生"一一○番"でパトカーを呼んだが、会館側は館内で処理するからと追い返してしまった。(中略)
しかし「スキ焼き」事件以来、一般学生の間に暴力を排除しようという動きがおこった。「犬のために立ち上がったみたいでおかしいが、とにかく暴力を一掃しよう」---十三日夜九時から館内食堂で有志学生四、五十人が集まって「ノラ犬スキ焼きと暴力反対」の決起大会を開き、結束して「会館を明るくする運動」を起こすことになった。
【騒いだことは反省】
Kの話 犬の肉を食うなんてバカげたこととは思うが、拓大の寮生の伝統的な行事なのでついやってしまった。会館には寮生の規則があるが、拓大生だけでさらに激しい独特の寮訓をつくっている。酔って騒いだこともあるが、暴力で会館を支配したことなんて絶対にない。酒を飲んで騒いだことは申しわけない、と反省している。」
『ノラ犬スキ焼きと暴力反対』ってプラカードを持って学生たちがデモしている姿を想像して笑ってしまいました。しかし、犬スキが、拓大の伝統的行事とはねぇ...。とにかく、自室のベランダで犬を殺すのはヤメロ。血生臭くてかなわん。
「おめでた近いデビ夫人と会見 スカルノ大統領は男の双生児を希望」
(毎日新聞昭和41年10月14日夕刊6面)
「【ジャカルタ藤原特派員】インドネシアのジャカルタは、いま雨期である。町の南郊スナヤン競技場にほど近いスカルノ大統領第三夫人、デビ夫人=日本名・根本七保子さん=の広壮な邸宅は、雨にぬれて静まりかえっていた。スバンドリオ裁判、KAMI(大学生行動戦線)のデモと、いまなおきびしい情勢下に、デビ夫人の"おめでた"が伝えられている。記者は九日午後、夫人宅の門をたたいた。夫人はとても元気で、気持よく記者たちを迎え、おめでたの事実を認めるとともに、近況をあれこれ話してくれた。(中略)
夫人は、濃紺の地に、花模様の”変わりバティック(ジャワサラサ)々の妊婦服を着ていた。しばらく身体の調子が悪くて、引っ込んでいたためか、色が白く、一段と美しくみえ、血色もよく健康そうだった。(中略)
大統領はおめでたを非常によろこび、男の双生児の出産を希整している。最近は夫人に会うたびに「母親は子供に一生をささげる覚悟をもて」と"母親訓"をひとくさりきかせる。生まれてくる子の名前も決まったようなもの。男児ならばファジャル・マルタ(暁の嵐)は確実。女児ならばカルカット・サリ(星の精)になりそうだという。大統領があげたいくつかの候補から、二人が相綴して選んだらしい。大統領は、男の子には、第一夫人の長男グントウル君(雷鳴)をはじめ、各夫人に生まれた男の子四人に、いずれも天候、気象にゆかりのある名前をつけている。」
ともかく元気そうでなにより。日本での出産を希望しているデビ夫人ですが、マスコミの取材攻勢を不安に思っているとのこと。
新聞斜め読み
「中国が重大な障害に ベトナム戦 ソ連首相が非難」
(読売新聞昭和41年10月14日朝刊1面)
「【モスクワ支局十三日発】ソ連訪問中のポーランド党、政府代表団とともに国内を旅行中のコスイギン・ソ連首相は十三日、スベルトロフスク集会で演説「中国の分裂路線はベトナム人民と社会主義の利益に大きな損害を与え、米帝国主義と、社会主義ならびに平和と進歩の敵に大きな奉仕をしている」と、文化革命下の中国路線を激しく非難し「分製路線と破壊行動をやめようとしない者には断固たる反撃が必要だ」と述べた。
ソ連の最高首脳が中国の文化革命後、公開の席上で中国を名ざしで非難攻撃したことはこれが初めてである。しかもこれがゴムルカ・ポーランド統一労働党第一書記を迎えた席上で行なわれたことは、これまで中国にやや控えめな態度をとってきたポーランドが、はっきり中国非難の態度をとり始めたことや、この一か月のブレジネフ党書記長の三国歴訪などによる首脳会談でソ連が自信を強め、公然たる中国孤立化の路線に踏み切ったことを示すのではないかともみられる。」
ソ連が、だんだん外堀を埋めてきた感じです。はたして中共の出方は如何。
「日共、西沢中央委員を除名 親中共派の有力幹部」
(毎日新聞昭和41年10月14日朝刊1面)
「日本共産党は、十三日午後二時から第七回中央委員会総会を開き、さきに二ヵ月間の党員権停止処分にした同党中央委員、西沢隆二氏(詩人ぬやま・ひろし)の除名を決定した。この決定は八月から始まった日共内部の中共派粛正の動きの中では、最有力の幹部党員の処分である。
七中総は十七日開催の予定だったが、中共派の宮本指導部に対する反発が強くなったため、先制攻撃をかける意味から西沢氏の除名を急いだものとみられる。
西沢氏は故徳田球一書記長の娘婿で、徳田書記長時代に主流派として活躍、宮本指導部になってからも引き続き中央委員の要職にあった。宮本指導部が中共路線から離脱後、中共派幹部のほとんどが宮本書記長に"忠誠"を誓った中でほか数人の有力幹部とともに親中共路線をとっていた。」
日本でも、上の記事に呼応するように、日共が動き出しました。記事によると、夫人とお子さんは最近までずっと中国に滞在されていたそうです。義父の徳田球一さんも亡命中の1953年に北京で客死してますから、娘さんも中国とは縁があるのでしょうね。
「パリ・デザインナーの既製服進出 大ゆれの男性服飾界 量産、注文服に挑戦」
(読売新聞昭和41年10月14日朝刊8面)
「男子服の流行といえば、ここ数年、二十歳前後の若い人の服装中心で、サラリーマンのビジネス・スーツといわれる紳士既製服は、強烈な個性や、極端な流行の追随はしないのが常識だった。それがこの秋冬の既製服は、積極的にトップ・ファッションを打ち出して販売合戦をくりひろげている。これは、かつてない現象で、服飾界では"メンズ・ファッションの革命期"といいきっているほど。すべての製品が量産販売に移ってきているこのごろ、この男性服の動きは、注文服に押えられていた男性服飾界に大さなクサビを打ち込んだものとして注目されている。そこで、"革命"とすらいわれる男性おしゃれ時代の背景を追ってみた。
紳士既製服の新しい流れのトップは、なんといってもピエール・カルダン、テッド・ラビトスといったフランスの一流デザイナーの作品を既製服に取り入れたことである。しかも、デザインも若い層だけでなく、広く中年層までそろえてある。値段も従来の既製服とほぼ同じとあっては、おしゃれ時代に突入した男性にとって、たしかに見のがせない現象といえよう。」
いよいよ、仕事場の服装にもおしゃれが要求される時代になってきたようですな。まだまだ注文服のシェアが大きい紳士服業界も様変わりの時期でしょうか。
今日の殺伐
「暴力学生まかり通る 学徒援護会の東京学生会館 やっと追放へ決起 ノラ犬スキ焼きに怒る」
(毎日新聞昭和41年10月14日朝刊15面)
「「犬も歩けば棒にあたる」---いろはがるたを地でいくような大学生たちの"暴力反対闘争"が財団法人・学徒援護会経営の東京学生会館(東京新宿区上落合一のニ七六、馬場勇道館長)で持ちあがっている。犬を殺してスキ焼きパーティーを開いたり、同僚学生に殴るけるの乱暴をしたり、国の金で建てた鉄筋五階建のデラックスな会館内で暴力学生がまかり通っていた---一年余り、チンとして小さくなっていた一般学生五百人も、ノラ大の痛ましい死をきっかけについに"暴力追放"に立ち上がった。
「ノラ犬のスキ焼き」事件は七日午前十時ごろのこと。西武電鉄下落合駅構内で拓大四年生K(二四)=会館内三二〇号室=が、同大一年生の後輩を引きつれて茶色のノラ犬(体長六〇センチ)をつかまえ、縄をかけてつれていった。会館内の掃除婦が「かわいそうだからはなして」と何度も助命を懇願してみたがKらはきき入れず、自室わきのベランダで殺してしまった。午後三時ころ、Kらは館内の学生食堂のコック長(ニニ)=学校福祉協会から派遣=の手を借りて犬を料理、その夜、スキ焼きにして拓大の学生(同会館内には二十八人居住)や他大学の学生数人にふるまった。Kの就職内定の祝いのための"壮挙"だったという。
同会館は昨年六月開館、都内四十三大学の五百二十五人が住んでいる。地方出身で経済的に恵まれない大学生のために、国が金額を補助し、学徒援護会に委託している施設だ。
ところが、この一年余り、会館は犬を食べた"豪傑"Kたち拓大グループの暴力に完全におさえられた格好だった。三階の中央部の一角にKらの部屋が並んでいるが、ときどき酒もりして奇声をはり上げ、ドタバタと騒ぎ回り、深夜に及ぶ。ほかの大学の学生が定期試験で目下猛勉強中でもおかまいなし。暴力、傷害も絶えない。ことしの二月十日ごろ、慶応大学の四年生A君(二四)=現在卒業=ら約十人は、拓大生の三人から暴行を受けた。酔って廊下をバタバタと乱暴に走り回っているので、東大の学生が注意したのが原因。(中略)たまりかねた被害学生"一一○番"でパトカーを呼んだが、会館側は館内で処理するからと追い返してしまった。(中略)
しかし「スキ焼き」事件以来、一般学生の間に暴力を排除しようという動きがおこった。「犬のために立ち上がったみたいでおかしいが、とにかく暴力を一掃しよう」---十三日夜九時から館内食堂で有志学生四、五十人が集まって「ノラ犬スキ焼きと暴力反対」の決起大会を開き、結束して「会館を明るくする運動」を起こすことになった。
【騒いだことは反省】
Kの話 犬の肉を食うなんてバカげたこととは思うが、拓大の寮生の伝統的な行事なのでついやってしまった。会館には寮生の規則があるが、拓大生だけでさらに激しい独特の寮訓をつくっている。酔って騒いだこともあるが、暴力で会館を支配したことなんて絶対にない。酒を飲んで騒いだことは申しわけない、と反省している。」
『ノラ犬スキ焼きと暴力反対』ってプラカードを持って学生たちがデモしている姿を想像して笑ってしまいました。しかし、犬スキが、拓大の伝統的行事とはねぇ...。とにかく、自室のベランダで犬を殺すのはヤメロ。血生臭くてかなわん。