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昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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YS-11の墜落と日米の殺人事件
 本日は、事件・事故と血生臭いニュースが多いのですが、冒頭は宇宙開発に関して。

「宇宙遊泳・二時間九分 長時間記録を更新 ジェミニ12号のオルドリン飛行士」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)


「【ケープケネディ十三日AP=共同】ジェミニ12号のオルドリン飛行士は十三日、二時間を越す宇宙遊泳を終え、船室に戻った。オルドリン飛行士の船外活動は米東部標準時十三日午前十時三十四分(日本時間十四日午前零時三十四分)から二時間九分続けられた。これは予定より十数分長く、これまでの最長記録。予定の船外活動を完全に達成したのは最近の四回の試みではオルドリン飛行士が初めてである。
 オルドリン飛行士の船外滞在が予定より長引いたのはこの日早く作動しなかった宇宙船誘導装置を見守るためだった。
 オルドリン飛行士が船内に戻り、ハッチが手で締められると、管制センターは「おめでとう。すばらしかった。船外活動の新記録だ」と伝えた。オルドリン飛行士は遊泳中まったく疲れたようすをみせず、最後まで上きげんだった。
【注】これまでの宇宙遊泳記録は、六月三日に打ち上げられたジェミニ9号による二時間五分。」

二時間以上も宇宙空間にいて終始上機嫌。宇宙飛行士はタフだ。



新聞斜め読み




「全日空機、松山沖で墜落 50人全員が死亡 大阪発のYS-11 着陸誤り失速 新婚旅行の十余組も」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)


「【松山】十三日午後八時三十二分ごろ松山空港へ着陸しようとした大阪空港午後七時十三分発の全日空下り便YS−11"オリンピア"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=が着陸地点を誤り滑走路中央部付近に接地したため、再び高度を上げ左旋回しようとして失速、空港沖二・二キロの吉田浜海上に墜落、全員が死亡した。地元消防団、海上保安庁などが協力して海上を捜索、機体の破片の一部とタイヤを発見、遺体をつぎつぎに収容した。国産機YS−11の事故は三十七年八月三十日初飛行以来、はじめてである。
 同機には新婚旅行の十余組も乗っていたが、空港には乗客の家族、知人ら約三百人がつめかけ、全日空の係員に安否を問いただすなど、深夜まで空港はごった返し「やはりだめか」の声が不安に震えていた。
 YS−11"オリンピア"は十三日午後七時十三分大阪空港を離陸、松山へ向かった。大阪航空保安事務所の話では、午後八時三十二分松山空港上空に到着、森機長から松山コントロールタワーに「これから着陸する」と連絡があり、同機は着陸態勢にはいり、いったん着地した。しかし正規の場合、滑走路のはしから三百メートルの地点に接地するのに同機は、それより三百メートルも行きすぎたため滑走距離が不足し、同機長から「ミス・アプローチ、海へ向かう」と連絡があったのち、消息を断った。」


今年は、航空機事故が多発していますが、この事故は今年5回目。数多くの犠牲者を出し、しかも戦後初の国産旅客機YS-11の事故だったために与えた衝撃も大きかったようです。


「有視界飛行できたはず」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)


「【松山】松山地万気象台松山空港分室の話では、同日朝から愛媛県下には風雨波浪注意報が出ていたが、全日空機が着陸しようとした午後八時半ごろは雲高三千フィート、視界六マイル、北北東の風三メートルで夜間有視界飛行の限度(雲高千フィート以下、視界二マイル)にはなっておらず管制塔の指示に誤りはなかったものとみられている。」


「事故当時は小雨」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)

「気象庁にはいった連絡によると、事故発生前の午後八時現在の四国付近の気象状況は、南東の風二・五メートル、小雨だったという。」


「機長の判断ミス?」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)

「【松山】松山航空保安事務所相原所長の話では「管制官は着陸の許可を与えただけで、飛行機は着地し、再び高度をあげたあと管制塔との接触が途絶えた。管制官の指示に間違いはなく、機長の判断に誤りがあったのではないか」といっている。」


まだ、機体が発見されていないので事故原因は推測にすぎませんが、操縦ミスの疑いが持たれているようです。


「"身代わり"で飛んだ機長」
(朝日新聞昭和41年11月14日朝刊15面)

「【大阪】全日空伊丹営業所の話では事故を起した松山行の第六便ははじめフレンドシップ型を使用、西野巴悦機長が飛びたつ予定だったが、この日は西日本一帯の荒天から、欠航や遅れがおよそ二十便出たうえ、乗客が多かったため、同型が使えなくなり、松山便に回せるのはYS11型だけになった。
 しかし、西野機長はYS型の経験がないため、森機長が鹿児島から帰ると、折返し同機に乗るよう指示され"身代り"事故だった。」


予定外のフライトだったようですが、これも事故の原因の一つなのでしょうか?


「荒天で捜索難航 全日空機松山事故 機体の一部発見か 遺体収容、やっと二一」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊1面)


「【松山】十三日夜、松山空港沖に墜落した金日空YS−11型機"オリンピア号"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=の遺体捜索は、同夜から松山海上保安部の巡視艇をはじめ多数の船が墜落現場の海面一帯を中心に、おりからの強い風と雨の中で徹夜で続けられた。十四日夜明けからは、さらにヘリコプターなどを動員、海、空からの大がかりな捜索を続け、遺体の収容に全力をあげているが、十四日午後二時までに遺体二十一体(男七、女十四=既報二十六体は誤り)を収容、うち十六人の氏名が確認された。また巡視船"あきよし"は測深器によって、釣鳥の南約五キロの水深三十二メートルの海底で機体の一部らしいものを発見した。午前十一時、松山空港着の全日空機で運輸省航空局の松本登技術部長、楢林寿一飛行審査官、山下専門官、岡田航空機検査官が着き、直ちに滑走路などの現場検査を始めた。(中略)
 現場付近の海面は、夜明けとともに雨はあがり、曇り空ながら視界はよくなったが、西一三メートルという強風が吹きつけ、うねりも二メートルを越えるという大荒れが続き、遭難直後から捜索に協力していた地元の漁船約五十隻は十四日午前二時ごろ危険を感じて引き揚げた。また水深に二三−三○メートルという深さもあって、捜索は難航している。
 遭難機の破片は十四日朝までに約○・三平方メートルのジュラルミンの破片、座席三個、車輪などが発見されているが、本体はまだ確認されていない。」


夕刊の情報によると、荒天と海流の流れの速さのため、遺体の収容は難航しているようです。松山空港は新婚旅行で人気の道後温泉をひかえているためか、乗客には若いカップルが多いとのこと。犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。



「『茶の間』先生とドクター 市川篤二」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)


「われわれが昭和の初期、大学病院での修業時代に、先生と呼んだのは教授をはじめとする指導者のことで、仲間同士が先生と呼び合うことはなかった。先生と呼ばれる職業として医師は代表的なもので、歴史も長いが、いまや看護婦や病人からばかりでなく、同僚からも二人称としても三人称としても、先生と呼ばれる傾向になってきたのは、ほかに都合のよい日本語がないからであろうか。アメリカの場合、ドクターの称号を持っている人をドクターと呼ぶことにだれも抵抗を感じないようだし、またドクターの称号を持つ人の多くが医師であるから、二人称でも三人称でもドクターを用いることは医師の場合まことに都合がよい。
 戦後のわが国は何ごとによらずアメリカの影響を受け、あれほどドイツ流であった医学畑も例外ではない。アメリカで研究して来た医師、アメリカを見て来た医師の数も相当なものである。そこでアメリカ式の呼び方がわが国に伝わり、ドクターの代わりに先生と呼び合うようになったと考えれば、まんざらわからない現象ではないけれども自分の指導した医師を三人称ではとにかく、二人称で先生と呼ぶことにいささか抵抗を感ずるのは私ばかりではなさそうである。(後略)(国立東京第一病院長・東大名誉教授)」


ちょっと興味をひくエッセイがあったので紹介します。大学病院などで、医者同士がお互いを『先生』と呼んでいるようですが、これは戦後の風習だったんですね。筆者も書かれていますが、自分が教えた弟子まで『先生』と呼ぶのは違和感があるでしょうね。



今日の殺伐




「七人を寝せて撃ち込む 米国の五人射殺」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊14面)


「【ニューヨーク十三日波多野特派員】十八才の高校生が「有名になりたい」という単純な動機から、子供を含む女性五人をピストルで射殺し、ほか二人に重傷を負わせるという事件が十二日、米国南部アリゾナ州の田舎都市メーサで起こった。犯人はロバート・スミスという高校三年生の少年で、事件直後、警官に逮捕されたが、罪の意識を持たず、声をたてて笑いながら警察に連行されていったという。
 警察の調べによると、スミスは十二日午前六時半に起き、自宅から二・五キロのところにある同市ローズ・マー美容学校を襲った。
 校内にはいったスミスはまず大きな鏡めがけて二二口径のピストルを一発発射、そこにいた子供を含む女性七人を全部後ろの部屋に押しこめた。
 このあとスミスは女性たちを床の上にうつぶせに頭を中心に向けて放射状に寝かせ、頭にピストルを二発ずつ撃ちこんだ。殺されたのは二十七才の母親とその三才になる女の子、三人のティーンエージャーの女性である。ほかに十八才の女性と六ヵ月の赤ん坊も撃たれ病院にかつぎこまれたが重体。
 殺されたのは、ジョイス・セラーズさん(二七)とその娘のデブラちゃん(三つ)メアリー・オルソンさん(一八)グレーンダ・カータ!さん(一八)キャロル・ファーマーさん(一九)重傷はタマラちゃん(生後六ヵ月。セラーズさんの娘)とスージー・ハリスさん(一八)。」


「18歳のまじめ高校生 米国の大量殺人 三ヵ月前から計画」
(日本経済新聞昭和41年11月14日朝刊15面)

「【メーサ(米アリゾナ州)十二日AP】十二日米アリゾナ州メーサ市の美容学校で十八歳の少年が二人の幼児を含む七人の婦女子を床のうえにうつぶせに円型に寝かせ、次々と頭部にピストルを撃ち込み、三歳の女の子とその母親ら五人は死亡、残る二人は重傷を負った。犯人は現場でかけつけた警官に抵抗せず逮捕された。
 犯人は、ロバート・E・スミスというまじめな高校生。調べによるとスミスはテキサス大学の乱射事件などに刺激され、三カ月前、射撃練習用にご両親からピストルリを買ってもらっていらい、大量殺人を計画していたという。犯行は床に無抵抗に横たわる女性にピストルを撃ち込むという残忍さで、いうことを聞かず走り回っていた三歳の女の子はナイフで刺し殺す非情ぶりだったという。」


「犯人は18歳の高校生 アリゾナの五人射殺 "シカゴ事件まねた"」
(読売新聞昭和41年11月14日朝刊14面)

「【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】十二日朝、当地の美容学校にはいり、婦女子七人を頭を中心に放射状に、うつぶせに寝かせてピストルで撃ち、五人を殺した犯人は、ロバート・ベンジャミン・スミスという十八歳の高校生だった。現場で逮捕されたスミスは警察に「シカゴやテキサス大学の大量殺人事件から思いついてやったのだ」と語った。
 スミスは、三年半前ミズーリ州のヒューストンからメーサに引っ越してきたが、これまでメーサ高校で問題を起こしたこともなかった。しかし、三か月前、射撃練習をするからと両親から○・二二口径のピストルを買ってもらい、大量殺人を計画していたという。
【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】美容学校殺人事件の犯人スミス少年について、ことし同じ高校を卒業した近所のサンドラ・ハズラップさんは「彼はよい生徒で、学業成績も平均点のようだった。いつも通りすぎるとき、微笑するが、非常におとなしく"ハロー"とあいさつするくらいで、それ以上のことは口にしなかった」と語った。また他の生徒も「孤独癖の方で、他の友だちとかけっこしているのを見たことがない」といっている。」


昨日一報があった、米国の高校生による大量殺人の続報。三紙ともAP配信のニュースですが、内容が異なるので全て紹介しておきます。読売の記事で『よい生徒で、学業成績も平均点』『孤独癖』と犯人のプロフィールを紹介しているのが気になります。



「強盗、帰宅の主人殺す 逗子 妻や警官も切り逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊7面)


「【鎌倉】十四日午前二時ごろ、神奈川県逗子市沼間、バー"りすぼん”経営、桜木陽一さん(三一)が約百メートル離れたバーから帰宅、裏口からはいろうとしたところ、室内に侵入していた覆面の若い男に柳刃包丁で胸、背中など五ヵ所を刺され即死した。
 男はさらに六畳間に寝ていた陽一さんの妻、富子さん(三六)に切りつけ、右腰に二週間のけがを負わせ、持って来た麻ナワで長男の博文ちゃん(一つ)を抱いた富子さんの両手、足をしばり「五万円出せ」とおどした。富子さんが手さげ金庫を差し出すと、中から三千余円を奪い「ママを殺さないで」とふるえる長女の千鶴子ちゃん(七つ)に「あとでママのなわをほどいてやれ」といい残して逃げた。
 陽一さんの悲鳴で気づいた妹の睦美さん(ニニ)が勝手ロから逃げ出し、約五十メートル離れた国鉄横須賀線東逗子駅前の公衆電話から逗子署へ一一○番し、一宝一成(いっぽう・かずなり)警部補(三六)ら三警官が同家前で逃げる男と出会った。
 男は柳刃包丁を振りかざして三警官に切りかかり、同署外勤係、三浦昂巡査(一九)の左足を突き刺し、六ヵ月の重傷を負わせた。また、そばにいた睦美さんの右腕にも三ヵ月の重傷を負わせて逃げたが、一宝警部補と中田保夫巡査(四二)が追跡、約七十メートル先で追いついた。格闘となったが、男は「もうやめた」と包丁を投げ出し同二時二十五分に逮捕された。
 横浜市戸塚区、宮沢熊一(二九)で「前日に北海道から上京したペンフレンドの女性とつき合う金がほしかった。駅前の東逗子駅前郵便局にはいろうとしたが、桜木さん方の木戸があいていたので、郵便局のおもやと思って侵入した」と自供した。
 ゴム手袋と麻ナワ、地下タビの"強盗スタイル"で、これまでも傷害、詐欺、放火など前科八犯の前歴がある。
 現場は国電横須賀線東逗子駅前広場の一画で、住宅、商店が立ち並ぶ静かなところ。四つ角に東逗子駅前郵便局があり、桜木さん方はむねつづきになっている。
 桜木富子さんの話 主人のうめき声で目をさますと勝手口に倒れた主人のそばに男が立っていた。主人が殺されたうえ、子供までおどされ、生きた心地はなかった。」


日本でも残忍な事件があったようですが、こちらは典型的な押し込み強盗。気丈な妹さんのおかげで、犯人がすぐに捕まったところが一抹の救いですね。



「大阪の川に首なし死体」
(朝日新聞昭和41年11月14日夕刊11面)


「【大阪】十三日朝、大阪・新淀川で、ビニールに包まれた首のない女の死体が見つかった。大阪府警捜査一課は殺人事件と断定、大阪水上署に捜査本部を置いた。
 同日午前八時ごろ、大阪市此花区伝法町の新淀川にかかる第二阪神国道新伝法大橋架橋工事現場で、作業員が川の中央付近にビニールの包みが流れているのを、見つけた。包みから首を鋭利な刃物で切取られた若い女の死体が出て来た。
 同捜査本部の調べでは死体は首のつけ根から約二センチ上のあたりから切取られ、体をエビのように折りまげられて包んであった。」


もう一つ猟奇的な事件。淀川に首無し死体が浮かんでいたとのこと。朝日新聞のこの記事では、架橋工事の作業員が発見したとなっていますが、同日の日経の記事では貸し船業の方が発見したと書かれていました。
 不審な包みを見つけて開けてみたらバラバラ殺人の遺体だった、と警察に届け出る発見者が時折いらっしゃいますが、包みを開けたときは心臓が止まる思いでしょうね。
| - | 13:38 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
逗子市の事件の当事者です。
見てびっくりしました。
| 櫻木 | 2016/09/06 3:21 PM |










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