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昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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墜落事故続報と米国異常犯罪について



 今年は日本で幼稚園ができて90周年だそうです。

「幼稚園生まれて90年 皇太子ご夫妻迎え式典」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)


「ことしは、わが国最初の幼稚園が東京女子師範学校内に開設されてからちょうど九十年目。これを記念して幼稚園教育九十年記念式典が十五日午前十一時から東京・虎の門の国立教育会館に、皇太子ご夫妻をお迎えして行われた。
 有田文相の挨拶、佐藤首相、山口、重宗衆参両院議長の祝辞があり、幼稚園教育に三十年以上も尽くした全国幼稚園の園長、教員、用務員や関係団体役員など四百六十二人の幼稚園教育功労者の表彰が行われた。」

東京女子師範学校は現在のお茶の水女子大の前身。明治九年十一月十六日に開園式が行われたとのこと。明日が開園記念日なんですな。



新聞斜め読み




「事故繰り返した全日空 "羽田"からまだ九ヵ月 「わからん」頭抱える幹部 誇り高き民間会社 競争意識がわざわい? きびしい再建の道 重み増す業界大合同論」
(毎日新聞昭和41年11月15朝刊4面)


「カウント8でヨタヨタと立ち上がったところへ、また強烈なアッパー・カットをくわされてダウン---十三日夜松山沖で起きた全日空大阪発松山行きYS−11型の墜落事故は、全日空にとってこんなたとえもまだ生ぬるいほどの深刻なショックだった。二月四日、同社のボーイング727型機が羽田沖に姿を消したときは「立ち直りに何年かかるか」が話題になった。だが、九ヵ月余のうちに二度の惨事。こんどは、再起のあり方そのものが議論の中心として取り上げられようとしている。「どこかタルンでやせんか」という批判はきびしく、藤枝運輸相も「今回は会社の運営面にまでタッチして発言せざるをえまい」と異例の決意を述べた。在野の心意気と反骨の気風を誇る全日空は、果たして、どこをどの方向に飛ぼうとするのだろうか。(中略)

 独立独歩

 全日空---戦後の航空の空白期、じっと腕をなでさすってきた"ヒコーキ好き"が、寄り集まってつくった会社。日航が外人パイロットに頼って飛んでいた昭和二十八年に、早くも"日本人の手で"と一番機を飛ばした日本ヘリコプターと極東航空がその前身だった。いらい、ビタ一文も国の援助を受けず、誇り高き"民間会社"を表カンバンにして伸びてきた国内線航空会社の一方の雄だ。
 職員は若く、官僚の介入をきらい、日航に対する"追いつき追い越せ"のファイトを猛然と燃やして成長してきた。社内のムードは"親方日の丸"に対する反骨であり、在野のブライドである。
 理論や合理性より、多分にムード的な"暖かさ"が支配している会社。日航を東大にたとえるならまさしくワセダのおもむきがあるといえる。
 ボーイングの事故がきっかけで、運輸省を中心に、航空業界再編成の動きが高まったとき、岡崎社長が「事故と再編成は関係ない。わが社の経営基盤は堅いのだ」といい切ったのは、こうした全日空気質を端的に現わしたものだった。
 しかし前の事故のとき、実はこの気質そのものが批判されたのだった。当時、羽田の飛行機ラッシュの中で、かなり強引に割り込み着陸をする全日空パイロットが目だっていたことは事実だし、日航の機械のような安全第一主義にくらべると、運航に若くせっかちな"奔放さ"がみえることもたしかだった。
 そして、その後にとられた数々の安全対策も、"いままでに間違いがあった"と"心の底から"認めた上でのことではなく「外部からの批判があるから……」という考え方がみられたことは否定できない。
 つまりは"安全第一"がトコトンまで徹底したものではなかった、というきびしい見方も出てくるわけだ。
 事故の上に新幹線、不況の三重の影響で、営業面での競争は決して楽観できなかったし、若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。
 第一の事故のショックからわずか九ヵ月で全日空を立ち直らせたのはこのファイトと自信だった。それが、こんどの事故で、どこかへ飛んで行ってしまった。---あとに何が残っているのか---。いまになって「どこが悪いのかわからん」といい「やっぱり安全運航の長い歴史と伝統が必要だ。一夜づけじゃダメだ」という悲痛な反省が聞こえてくるのである。

 高価な償い

 全日空は、こんどの事故でどのくらいの償いをしなければならないか。ボーイング事故の例をみると、直接の費用だけでも遺体操索、遺族のホテル代、車代などで約三億円、一人五百万円の遺族補償が約六億五千万円。もちろん営業成績はガタ落ちになった。
 ことし四月から九月までの旅客数は百十一万人で昨年同期より二十一万人もの減、旅客営業収入は六億円以上のダウン。とくに事故を起こした札幌-東京線は日航に客をとられっ放し、利用率わずか三五・四パーセント(座席数百に対し乗客三十五・四人)というみじめさである。当然ことし五月から無配に転落している。
 それが、夏の終わりごろからぐんぐん盛り返し、観光客、新婚旅行客などの獲得で十月十三日には創立以来最高の一万二千五百七十六人の乗客を記録、来年は復配もできようという気配だった。
 そこへ、YS-11が落ちた。こんどはどうか。大体、事故のショックの性格が前回とはまったく違う。同じところを二度切れば血はなかなか止まるまい。不信の度合いがおそろしく深くなると思われるのである。遺体捜索、遺族補償などの費用は、さほど前回と変わらぬにしても、今後の営業成績のちょう落はどこまでゆくか、そしていつまで続くか、見当もつかないと全日空自身が認めている。(中略)

 全日空は、松尾日航社長らのとなえる"航空企業大合同論"や、運輸省の"路線再配分"の介入(全日空から一部の路線を日本国内航空にやれという勧奨)をほとんど全面的にけとばして。自主独立"の城を保つことができた。
 こんどの場合も再び業界のあり方が問題になることは必至である。航空審議会は将来国内、国際各一社にすることが望ましいと答申しているからである。東亜、長崎両航空が金日空に合併を希望していながら、まだ宙ブラリンのかたちになっている事実がその突破口として使われるだろう。
 こんどは"大合同論"の日航が、日本国内航空を引き連れてローカル線への発言権も持って、全日空の前に立ちはだかるかっこうだし、業界、当局、一般利用者の全日空を見る目も前回よりは、はるかにきびしい。今後の推移によっては、国が同社に「安全運航を守る」というニシキの御旗をふりかざして何らかの権利の留保を持ち出してくることも十分考えられる。
 全日空はサービスと経営努力の低下を理由に再び反論するだろうが、こんどはその声も弱い。当分黒字の見込みが立たない以上「赤宇の会社で安全運航ができるか」と詰め寄られれば、それまでだがらである。」


昨日の墜落事故の続報。戦後の全日空の歩みを睨みながら事故の会社に与える影響を予測した記事を紹介。事故調査が進んでいない段階で、『若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。』とは、ちょっと憶測が入り過ぎな観がありますが、この事故の影響によって航空産業の大変動があり得るという指摘は気になります。



「ブルガリア 世界党大会を提唱 中共追放に音頭 ソ連派70か国代表前に ジフコフ首相演説」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)


「【モスクワ大月特派員十四日発】タス通信によると、十四日ソフィアで開かれたブルガリア共産党大会の冒頭、基調演説に立ったジブコフ・ブルガリア共産党第一書記兼首相は、中国指導部の分裂行動を強く批判するとともに「共産党、労働者党の国際会議開催の条件が熟したと考える」と言明した。中国の文化大革命を契機に急速に激化したソ連路線を支持する各国共産党の中国批判が高まるなかで、スーダン、エクアドルなど共産圏以外の共産党から世界党会議の開催を主張する発言が強まっているが、共産圏内部からこのように明確な形で同会議開催が提唱されたのははじめてであり、注目されている。
 ブルガリア党大会には約千五百人の代議員と国外から七十か国の代表が参加しており、中国の文化大革命いらいソ連派の参集した最大の会議となった。それだけに、ソ連の温度でモスクワ派諸国が共産圏内でももっとも進歩的といわれるブルガリアを舞台に、世界党会議方式を公然と提唱し、各方面の打診をねらったのではないかとみる向きが多い。
 もともとこんどのブルガリア党大会は、ソ連派諸国の中国対策のこんごを占う機会とみられていたが、果たしてソ連側からブレジネフ党書記長自身が来賓として乗り込み、その重要性はいっそう高まった形になった。
 ソ連が中国対策で、世界党会議方式による中国弾がいをひそかに工作していることは、広く指摘されており、今月はじめにもスースロフ書記がフィンランドを訪問したさい、両国共産党の間で、同会議の開催こそが「効果的な形式」であることを確認し合ったばかりである。しかし、この方式に対して、北朝鮮、北ベトナム、日共からルーマニアにいたるまで、かなり根強い反対論ないし慎重論があることは周知の通りであり、さる十月の共産圏九か国首脳会議でも対中国対策については明確な路線を打ち出せなかったのが実情。
 そういう事情に直面してソ連もこれを無理押しする気配はみえない。しかし、さる六日の革命記念日前夜祭における演説でペリシェ・ソ連共産党中央委政治局員が「集団的解決の方法と形式を利用しつつ、より効果的な道を発見することは疑いない」と述べたように、ソ連が中国対策で何らかの「集団的解決」を模索していることは明らかである。」


共産圏のボスのソ連とはいえ、中共を槍玉にあげるのは、一筋縄ではいかないようで、周到に根回しを進めている段階のようです。しかし、ソ連の目指す『集団的解決』とはどのような解決なのでしょうか?経済的制裁なのか、軍事的な意味も含むものなのか。



「これがアメリカだ 31 異常な犯罪に悩む あり余る時間・金 "繁栄する社会"のひずみ」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)


「この種の凶悪犯罪は、アメリカ全土に一種の"無法時代"が現出したという印象さえあるくらいだ。(中略)アトランタで二十歳の青年が、父親をコン棒でなぐったうえ、ナイフで五十回も刺して殺しているし、シカゴの看護婦七人殺し(七月)テキサス大学構内でのライフル大量殺人(八月)アリゾナで起こった十八歳の高校生による五人射殺事件(十一月)などなどが起こっている。こうした血なまぐさい「異常犯罪」の増加は、いまアメリカで大きな社会的関心の的になっている。記者の会った多くの人々は、それを"精神病者"の行動として片づけようとした。しかし問題は、それほど簡単でなかろう。(中略)
 ではこのような犯罪の激増、モラルの低下の原因は、一体どこに求められるのか。答えは、さまざまであった。大多数の意見としては、家庭でのしつけの不足、離婚その他による家庭の崩壊、急速な都市集中化と"繁栄する社会"の出現があげられた。しかも、これらの要因は、互いに関連し合っているという意見が多い。
 ワシントンで会った中西部の農村出身の官吏S氏は、次のように表現した。
「私の青少年時代、農村では子供たちはかならず、何か家でやるべき仕事をもっていたものです。また家庭ではかならず誠実とか能力とか、個人の尊厳が人間として大事だと教えこまれた。ところが、いまでは、だれもかれも都会に働きに出かける。過去に教えこまれた価値観は、もう都市生活では生活の指針とはならない。この新しい環境に適応できないイライラから横道にはいる。それにいまは品物と時間と金が多すぎるのですよ。犯罪、とくに青少年犯罪激増の原因はこれです」
 もちろん貧困と失業、教育の不足にもとづく、社会からの疎外感、絶望感をあげる人も多い。さらに宗教の影響力の低下、テレビ、映画の暴力シーンによる一種の「暴力不感症」を指摘する人もいた。(中略)

 アメリカの犯罪の激増、モラルの低下に、ひとつの違った角度から光をあてたのが、ローゼンソール氏だった。彼は記者に「三十八人の目撃者」という著書をくれた。この本は六四年三月十四日、ニューヨークのクィーンズ地区で起こった有名な"ジュノペーズ"事件を中心に、現代アメリカの病根に鋭いメスをあてたもので、いまでも各学校その他で、広く読まれている。
 事件そのものは、その日の午前三時、二十八歳になるキャサリン・ジュノペーズという女が、オースチン通りのアパートに帰ろうとした時、一人の暴漢に三回にわたってナイフでおそわれ、三十五分後に死んだというありふれたもの。この事件の異常さは、犯行の場所に近い中流家庭の住民たちが、彼女の悲鳴や助けを求める声をきいたのにもかかわらず、だれ一人警察に電話しなかった---という点にある。
 "三十八人の目撃者"は、あとで"こわかったから"とか"事件にまきこまれたくなかったから"とか弁解した。同氏は、この「無関心」は、ニューヨーク、東京など、大都会に共通する現象だと説明する。この無関心の原因について、いろいろな見方、たとえば精神病理学者カール・メニンジャー教授の「無関心は潜在的攻撃性のあらわれだ」との見方---を紹介して「大都市における個性の喪失、人間の疎外現象だ」と説明する。そしてこの事件を反省材料として"まきこまれたくないというササヤキを人々は常に意識していなければならない"と結論する。しかし、これは一つの問題の提起であって、解答ではない。」


未成年者の凶悪犯罪に悩むアメリカからのレポート。豊かさと貧しさが共ににゆがみの原因と考えられているところが興味深いです。アメリカは世界の最先端といいますが、やがては日本もこのような犯罪に悩まされることになるのでしょうか。



今日の殺伐




「また"異常な少年" 14歳 両親と妹を射殺」
(朝日新聞昭和41年11月15日朝刊15面)


「【ウィンザー(米ノースカロライナ州)十四日発=AP】米国ノースカロライナ州の小さな町ウッドビルで、十四歳の少年が父親、母親、妹の三人を射殺したかどで十三日、逮捕された。
 この少年はロジャー・バーナード・リーで、さる五月二十八日、父親のウィリーさん(五一)、母親の
エッシーさん(四一)、妹のキャロラインちゃん(四つ)をライフルで射殺、弟のマービンちゃん(一つ)にも傷を負わせた。
 警察当局は当時、少年の証言をもとに、金銭のことで口論していた母親が父親を殺した無理心中事件としてかたづけられたが、十三日改めて取調べた結果、少年は三人の殺害を認めた。
 取調べにあたった保安官の話によると、少年は近くの食料品店でツケで買った品目について母親と寝室で口論し、なぐられた。そのため少年なライフルを取出して母親めがけて数発乱射して即死させたあと、隣の台所にいた父親も射殺した。彼は妹や弟を撃った覚えはないと語っているという。」


早速、米国から少年犯罪が報道が届きました。そもそも、十四歳の少年の手の届くところになぜライフルを置いておくのか、という根本的なところも気になりますが、何故四つの妹まで殺してしまったのか。家族共々自分も自殺しようと考えていたのでしょうか。



「ホットドッグ屋が乱闘 住宅街で猟銃撃つ」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)


「【厚木】十五日未明、箱根バイパスで、ドライバー相手に移動ホットドッグ屋を開いている露天商十余人が、神奈川県厚木市の市営住宅街でナワばり争いから猟銃、木刀などを使って乱闘、三人がケガをした。神奈川県警厚木署で全員を任意同行、傷害と銃砲不法所持の疑いで調べている。
 十五日午前一時三十分ごろ、神奈川県厚木市の市営住宅、ホットドッグや経営N宅へ、乗用車に二台に分乗したOら七人が猟銃一丁、木刀などを持って押しかけた。N側もこのなぐり込みを予想し、Nはじめ六人が猟銃一丁と木刀などを用意して待ちうけ、双方が入り乱れて乱闘、お互いに猟銃を一発ずつ撃ちあった。乱闘は約二十分つづき、付近の人の知らせて同署員がかけつけとりしずめたが、Oが木刀でなぐられ前頭部などに約二か月のケガをしたほかNのほうも二人が足などをケガした。
 同署の調べだと、Nはホットドッグ車五台を持ち、一方Oも三台を持って夏は湘南海岸、冬は箱根バイパスを中心にドライバー相手のホットドッグ屋を開いているが双方いがみあっていた。」


日本の殺伐事件ですが、こちらは伝統的なテキ屋さんの出入りという感じで、アメリカの陰惨な異常犯罪の後だと、ちょっとホッとしますね(いいのか?)。
| - | 23:19 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
今日の記事から一言。

読売の「これがアメリカだ 異常犯罪に悩む」というレポートに『三十八人の目撃者』という本があげられています。この本が扱っている事件はニューヨーク郊外の住宅地クィーンズ地区で起きているのですが、ここはパンクバンドのはしり、ラモーンズのオリジナルのメンバーが生まれ育った場所。ボーカルのジョーイ・ラモーンは1951年生まれなので、この事件が起きた時は12歳だったはず。

「中流階級の人々が住む退屈で無味乾燥なサバービア(郊外)」という紋切り型がありますが、『三十八人の目撃者』事件はいかにもサバービアで起こりそうな事件です。

そんな『郊外』の閉塞感のなかでパンクが生まれたのか、とちょっと感慨にふけってしまいました。
| 産業ロック製作所長 | 2007/05/27 12:16 AM |










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