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昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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首なし死体事件、容疑者と首が見つかる
 今月の14日に報道のあった、大阪の首なし死体事件ですが本日容疑者逮捕。各紙ともこのニュースを大きく扱っています。



新聞斜め読み




「ハンガリーに抗議 中共、学生追放で」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)


「【ANS十八日東京】北京十八日発新華社電によると、余湛中共外交部ソ連東欧局長は十七日、バラス・ヨセフ中共駐在ハンガリー大使に覚書を送り、ハンガリー政府が中共、ハンガリー両国の文化協力を破壊し、五人のハンガリー留学中国人学生の追放を決定したことに抗議した。それによると、ハンガリー政府は十一月二日、中共大使館にあてた覚書で、十一月六日限りでハンガリー留学の中国人学生を追放することを通告したもの。中共外交部は覚書の中で「これは両国の文化協力を一方的に破壊し、両国の関係を悪化させるものである」と抗議している。」


ソ連が中共からの留学生を追放したのを睨んで、東ヨーロッパ各国も同様の措置をとりつつあるようです。



「孫文・魯迅たたえる中共 文化革命通じ再評価 魯迅は紅衛兵の大先輩?」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)


「なにごとも毛沢東でなければおさまらない中共にあって、いま孫文と魯迅が異例な称賛を博している。十二日には北京で孫文生誕百年祭が盛大に行なわれたし、十月十九日の魯迅死去三十周年以降、北京や広州などで"文化革命の先駆者"魯迅をたたえる集会が開かれた。いずれも早くから知られた革命家ではあるが、最近の文化大革命を通じて、この二人に新しい評価が加えられつつあるともいえよう。
 紅衛兵旋風の吹き荒れた九月はじめ、広州の孫中山(孫文)記念堂前の広場で、孫文の銅像をこわすかどうかで紅衛兵が二派に分かれて大乱闘を演じたと伝えられたことがあった。
 北京から派遣された紅衛兵が、孫文は民主主義革命時代のブルジョア階級の革命家だから、この銅像をこわして毛沢東の銅像を建てるべきだと主張、これに対して広州の紅衛兵が、孫文はブルジョア階級の革命家ではあるが"国父"であり、こわすべきではないと対立したというのだ。
 また南京では、学生が孫文の胸像を撤去、孫文未亡人の宋慶齢国家副主席を批判のヤリ玉にあげたが、これを知った周恩来首相は「同女史を悪くいうのは間違いで、胸像は元どおりにせよ」と指示した(タス電)ともいわれる。(中略)
 一方の魯迅は、文化大革命初期での周揚党宣伝部副部長批判を通じて再認識された形だ。(中略)
 「魯迅の革命的な筋金入りの精神を学べ」と題する十月十九日付人民日報社説は「魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ、励まされ、プロレタリァ階級の革命の真理を追求し、すベての搾取階級のイデオロギーと古い伝統的観念と徹底的に決裂し、ついには偉大な共産主義の戦士となった」としている。
 年代的にみて、魯迅が"毛沢東思想に導かれ、励まされ"たとするのは奇妙な話だが、これは"毛沢東時代"の中共らしい解釈なのだろう。
 むしろ、社説の「魯迅は旧世界の批判者であり、むほん家であった。彼の半封建、半植民地の旧社会に対する怒りは骨髄に達し、旧制度を維持しようとした旧思想、旧文化を限りなく憎んだ」とのくだりに重点をおいて考えるならば、魯迅は紅衛兵の大先輩といえるのかもしれない。
(外信部中野謙二記者)」


魯迅は1881年生まれで1936年没。一方、毛沢東は1893年生まれで、共産党の実権を握ったのが1935年頃と言われています。なんで、どう考えても『魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ』などということはありえません。まあ、全体主義国家にありがちな文言ですが。



「"アタマにきた"大安売り 団地進出はばまれ 神田の薬屋さん 過熱商戦と法の盲点」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)


「 十九日朝、団地進出を地元小売り店にはばまれた東京・神田のスーパー・マーケットが、半値以下という、いささかヤケ気味の薬の大安売りを決行した。「これも都の薬事行政が不明朗なため」といっているが、この過熱商戦のおかげで、お客さんは大喜び。万世橋署員がスリの警戒に出るほどのにぎわいだった。
 この店は千代田区神田鍛治町二の三、スーパー・マーケット「ピンク・ベアー」。安売りで抗議することになったいきさつは、豊原社長の話によると、こうだ。
 昨秋、日本住宅公団が、薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した際、同店もこれに応募、書類審査でパス。昨年十一月、公団敷き地内の店舗用土地を七百万円で買い、ことし二月から地上五階、地下一階のビルの建設に着工した。
 ところが、これを知った竹ノ塚駅前通を中心とする地元の薬店の中から「スーパーが進出して、安売りされては困る」という声が高まった。地元から相談を受けた足立薬業協同組合では、再々会合を重ねた結果区内百五十二店が共同出資して、ピンク・ベアーの建設地に近い同町四七○に「城北薬品」を開店することをきめた。城北薬品では、畑であった土地をさっそく買収、四月末には、木造平屋建ての建て物を急造し、ピンク・ベアーがまだ建設中であった六月中旬に、早くも足立保健所の許可を得、営業を始めた。
 一方、ピンク・ベアーでは、十月二十日にやっとビルが完成、いざ開店に踏み切ろうとしたところすでに城北薬品が、すぐ近くに開店している。「百二十メートル以内に既存の薬品店がある場合、新たに開店はできない」という都条例の規制を受ける結果となり、さる十四日、都薬事審議会から電話で「薬を売ることまかりならぬ」と通告されたという。
 このため"頭にきた"スーパー側では「薬を安く売るという消費者サービスを、法の悪用によってはばむような横暴な行為は許せない。また、いきさつを知りながら、こんな態度をとった都の態度も納得できない」として、抗議のディスカウント販売デモを強行したという。なお、第二弾として二十四日にも安売りを行なう。
 豊原社長の話「薬事審議会にも"黒い霧"がいっぱいです。こんどのような措置には、どうしても納得がいかない。断固として戦う。地元の店では、安売りだといって騒いでいるが、市価より安く売っても、ちゃんと三割五分から最低一割の利潤はあるのです」」


住宅公団が『薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した』というのが本当なら、スーパーの社長が怒るのも無理ないですな。公団側の地元商店に対する根回しが足りなかったのでしょうか。しかし、社長の思惑通りの大盛況で、少しは溜飲も下がったでしょうか。24日の第二弾の宣伝まで記事に書かれているし。



今日の殺伐




「姿消した運転手追う 大阪 女性の首なし死体」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊15面)


「【大阪】大阪市此花区伝法町北五の新淀川で、ナイロン袋に入れられた死後約二日の女の首なし死体が十三日朝発見された。大阪府警捜査一課水上署捜査本部は十八日、被害者が着ていた紺色スーツの販売ルートをたぐって、香川県高松市、キャバレーホステス、実平みゆきさん(二五)であることをつきとめた。
 実平さんは九月から長距離トラックの運転手、徳島県生まれ、高橋文明(三七)と同アパートで生活していたが、実平さんは今月九日ごろ、高橋も十五日に姿を消した。本部は高橋を有力容疑者とみて行方を追及している。」


「カバンに妻の生首 十日間持ち歩く 首なし事件の「高橋」逮捕 北海道で 四国で殺し、胴体は大阪に スーツが手掛りに 逮捕の糸口」
(毎日新聞昭和41年11月19日夕刊11面)


「【札幌・大阪】去る十三日、大阪市此花区の新淀川で女の首なし死体が浮いた事件を捜査中の大阪府警本部は、被害者の着ていた紺色のスーツをただ一つの手がかりに、香川県高松市、キャバレーホステス、実平ミユキさん(二三)を被害者と断定、ミユキさんの内縁の夫、徳島県生まれ、トラック運転手、高橋文明(三七)を容疑者として捜査していたが、十九日正午すぎ、北海道岩見沢市の同僚の兄の家に立ち回ったところを岩見沢署員が逮捕、事件は死体発見から一週間ぶりに解決した。高橋はミユキさんを九日に高松で殺し、首なし死体を大阪まで持ちこんで捨て、首はつかまったときスーツケースのなかに入れたままだった。
 大阪府警から手配を受けた岩見沢署員が十九日、岩見沢市の友人の実家にいた高橋の任意同行を求めたところ、高橋は観念したのか悪びれた様子もなく素直に応じ、同署調べ室で前田捜査係長が実平さん殺しを追及したところ簡単に「私がやりました」と自供した。
 自供によると、十一月九日朝、高松市のアパート二階六畳間でかねてミユキさんが死にたいともらしていたため「殺してやろうか」と話を持ちかけたところ「あんたになんか殺せない」と答えたのでふとんの中で絞め殺した。
 高橋は死体の処置に困り、十二日夜、同アパートで出刃包丁で首を切断、死体をもって大阪に行き、新淀川に胴体を捨てた。このあと首だけスーツケースに入れ、十六日大阪を出発、十八日午後十時半ごろ岩見沢に着き、友人の兄のTさん宅をたずねた。
 また同署員がTさん宅にあった黒色のスーツケースの中を調べたところ、布切れに包んだミユキさんの首を発見した。
 【大阪】四国で殺し、首なし死体は大阪に、自分は北海道に---"遠くに行けばわからないという"高橋の単純な"完全犯罪"の夢も一着のスーツからくずれた。
 十三日新淀川にミユキさんの首なし死体が見つかった時には、捜査員のだれ一人としてこの死体が百五十キロも離れた高松から運ばれたとは思わなかった。
 「死体を投げ捨てた場所は伝法大橋に近い橋の上。すけたビニールに包んであるため遠くから運んだものとは考えられない」というのが捜査本部の一致した見解だった。だが首を切って身元をかくしたつもりの高橋に大きな誤算があった。
 有力な遺留品を捜査員は"名刺"という。こんどの事件にはミユキさんの着ていた紺色ツーピースという大きな"名刺"が残っていた。そのうえ、製造場所を現わすマークまでついていた。このマークから大阪市西区、松尾産業でつくったたった九着の内の一着とつきとめた。高松市の松屋ストアで寸法なおしをしたこともわかり五日目に被害者はミユキさんとわかり、高橋の名がすぐ割り出された。
 高橋は「四国で売られたありふれた既製服で、胴体は大阪だから…」とたかをくくっていたかもしれないが、紺色スーツという大きな手がかりが"完全犯罪"をくつがえした。」


「首を持って逃げていた 大阪の女殺し 愛人、北海道で逮捕 犯罪史上まれな猟奇事件」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)


「【岩見沢】さる十三日大阪市内の新淀川で発見された女の首なし死体事件の重要参考人として大阪府警水上署特捜本部から手配されていた被害者の愛人で自動車運転手の高橋文明(三七)(徳島県出身)は十九日午後一時三十分、北海道岩見沢市内の立ち回り先でつかまった。高橋は犯行を自供し、身柄を同夕千歳空港発日航機で大阪へ押送するが、切り取った首をボストンバッグに入れて北海道まで持ち歩いており、この"首入りバッグ"も押収された。
 十三日午後八時ごろ、大阪市此花区伝法町の第二阪神国道に通じる新淀川の伝法橋上流約四百メートルの同川中央部でビニール包みにされた女の首なし死体が発見された。大阪府警水上署の特捜本部が十四日になって被害者は高松市、ホステス実平ミユキさん(二五)と断定、愛人の高橋文明がその後、行方をくらましていたため、重要参考人として手配した。
 さらに高橋が、さる十五日、高松市内の友人を訪れ「北海道に働きにいく」といっていたことを突きとめたので、道警本部に連絡した。このため岩見沢署は十九日正午すぎ、刑事を高橋の立ち回り先である岩見沢市、中央空知運送会社に派遣、高橋が高松市から紹介状を持ってたずねてきたとみられる同社員のTさんに事情を聞いたところ、高橋は十九日午前九時ごろ、同市のTさんのアパートをたずねて行き滞在していることが判明、ただちに同アパートから高橋を同署に連行、追求したところ、同日午後一時すぎ「ミユキを殺した。首を持っている」と自供、持っていたボストンバッグを調べた結果、なかから腐敗した首が出てきたので同署は殺人容疑で逮捕した。

バッグに入れて持ち歩く

 自供によると高橋は九日早朝高松市のアパートで雑談中、かっとなってミユキさんをしめ殺した。その後死体を放置したままでいたが、十二日夜出刃包丁で首を切り取り、首なしの死体を大きな布に包み麻なわで二重にしばり、大阪に運び、同市内の新淀川にかかっている第二阪神国道の橋の上から投げすてた。
 その後荷物をまとめさらにミユキさんの首を布にくるんでボストンバッグに入れ、それを持って十六日夜汽車に乗り、十八日午後十時ごろ岩見沢市に着いたという。
 岩見沢市のアパートを岩見沢署の刑事が訪れ「君が高橋か」と聞くと「はいそうです」といって、すなおに任意同行に応じた。グレーの背広を着た高橋は頭を角刈りにして顔は青ざめ、捜査課長室で直ちに取り調べにはいったが、終始ふてくされた態度。それでも同署前田捜査係長の取り調べに対し、すでに覚悟していたのか、犯行の一切をすらすらと自供。取り調べの刑事も「犯罪史上まれにみる猟奇的な事件をおかした男には見えないほどだ」と驚いていた。
 黒のビニール・ボストンバッグにはいっていた問題の首は、かなり腐敗しており、取り調べにあたった鑑識の係り員も思わず顔をそむけるような状態だった。」


14日の記事では、単に「淀川で首なし死体見つかる」という小さな記事でしたが、容疑者が生首を持って逃走していたということで、俄然大きな扱いとなったようです。まだ、第一報なので容疑者の供述の中身が詳しく述べられていませんが、続報では取りあげられることでしょう。毎日、読売の記事を見てもよく分からないのが死体を高松から大阪に運んだ方法。大阪から岩見沢へは汽車で行ったようですが、大阪まではどう行ったんでしょうか。トラックだとすると、大阪で乗り捨てなければならないし、まさか死体を抱えて汽車、あるいは船に乗ったんでしょうか?
| - | 20:08 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
sears谿コ縺励※縺紜縺ァ√◆縺。
| sears photo | 2008/03/06 11:06 AM |










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