At the Moment2020-11-12T20:17:21+09:00昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製JUGEMカラーテレビ値下げとネオナチhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=5429291966-11-22T02:04:31+09:002007-11-18T17:08:28Z1966-11-21T17:04:31Zイギリスの首相官邸が大騒ぎのようです。
「電話が鳴りどおし 英首相官邸」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「英首相官邸のウィルソン首相専用電話が十八日以来鳴りっぱなしで、秘書官はヘトヘト、政務はメチャメチャになっている。事の起こりは国会のおエ...irrp-moment
「電話が鳴りどおし 英首相官邸」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「英首相官邸のウィルソン首相専用電話が十八日以来鳴りっぱなしで、秘書官はヘトヘト、政務はメチャメチャになっている。事の起こりは国会のおエラ方の電話が盗聴されていたのが最近発覚したが、ウィルソン首相が知らぬ存ぜぬと突っぱね、それを皮肉る漫画が新聞に出たことから。画面には限られたものしか知らぬ専用電話の番号がすっぱ抜かれており、それをたよりに読者がからかってかけてくるわけだ。官邸では番号を変えずばなるまいとネをあげているが、黒い霧の"トウキョウ・ダウニング街一○番地"は大丈夫かな。」
専用電話といっても、本当に極秘のものではなくてマスコミ関係者だったら周知の番号だったのしょうけれども。まあ、番号を変えることですな。
新聞斜め読み
「通産省 物価引下げに本腰 まずカラー・テレビ "年内値下げ"へ指導 合成洗剤業界にも要請 電力料金も検討 バナナも安くしたい 通産省答弁」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊1面)
「 通産省は、三木通産相の指示に基づき、消費物資の価格引下げを検討してきたが、二十一日、合成洗剤とカラー・テレビの値下げを指導することを決めた。同省ではこれを第一弾として、引き続き値下げの余地のある品目に対し、同じような指導を行なうといっており、これまで産業保護の色彩の強かった同省の政策転換として注目される。
通産省がカラー・テレビなどの値下げ指導の方針を打ち出したのは、プロパンガス、家庭電器両業界に対する相つぐ公取委の手入れにより、大企業の価格維持政策や通産省の"消費者不在"行政に批判の声が高まってきたためとみられる。とくに十一日の閣議で、佐藤首相が公取委の立場を支持、三木通産相に対して物価対策に協力するよう要請したことが決定的だったようである。
同省が、こんど取り上げたのは合成洗剤とカラー・テレビの二品目だが、いずれもコストが大幅に引き下げられてきているにもかかわらず、価格が高水準に維持されているとみられるものである。(中略)
19型を約十七万円
通産省は二十一日、家庭電器メーカーを個別に呼んでカラー・テレビの価格引下げを指導するとの方針を明らかにしたが、これによって十九型(一九インチ)で十七万円前後のカラー・テレビが年内にも出現する可能性がでてきた。
これまで業界では「カラー・テレビの部品は五〇パーセント以上が白黒テレビと共通で、合理化されつくしているので、これ以上の量産効果は期待できない。カラー・ブラウン管は製品の歩止まりが悪いのでいまのところ安く入手できない、という事情がある。それにカラー・テレビの組み立てには白黒テレビの三倍近くの手間を要する」として、公式的には値下げできないとの態度をとってきた。
業界では、表面上この態度を変えていないが「要請を受ければ一応考えなければならないだろう」というメーカーもある。この結果早ければ年内にも値下げが実現するもようだ。十九インチで十五万円というのが一応の目標だが、各社とも段階的に実施する意向なので、とりあえず実質値下げ分二万円、キャビネットや回路の簡素化で一万円、合計で三万円程度安い十六、七万円のカラー・テレビが出現する公算が強い。」
家電業界の目玉のカラーテレビですが、なかなか期待通りには普及しません。やっぱり高価格がネックになっているようで、珍しく行政が値下げに乗り出してきました。国民の人気を気にした総理の力でしょうか?
「九万八千円のカラー・テレビ 東武百貨店 突然売り出す 30台、あっというまに」
(毎日新聞昭和41年11月22日夕刊11面)
「東京池袋の西武百貨店で旧型一六インチカラー・テレビ(正価十六万九干円前後)を一台九万九千八百円で売り出す話が伝えられ、話題になっていたが、二十二日、同じ池袋の東武百賀店で一足先に同型のカラー・テレビが一台九万八千八百円で売り出され、アッという間に三十台が売り切れた。
二十一日には三木通産相の指示で通産省が消費物資の価格値下げを指導することになり「その第一弾としてカラーテレビ一九型(一九インチ)を十九万円台から十七万円前後に値下げを指導するというが、一方では十六インチの旧型とはいえ売り値十万円以下という"既成事実"ができて、業界は複雑な様相を呈してきそうだ。
この九万八千八百円のカラー・テレビは、東武百貨店が二十日から始めた「歳暮大廉売」で売り出したもので、西武と同じ旧型一六インチカラー・テレビ。店頭には飾らず、チラシ広告による予約受け付けをしたが、売り出し当日の午前中に用意した三十台が売れてしまった。同百貨店の話では、以前から売り出し計画を立てていたが、別に業界から横ヤリもはいらなかったという。
しかし、このテレビ"一流メーカー品"というだけで、メーカーの名前については発表できないが好評なので、各メーカー別に交渉して、これからも需要にこたえると強気でいる。
一方、カラー・テレビの安売りを"無期延期"した西武百貨店の森専務は「うちでも当初九万八千八百円という値段を考えた。しかし東武百賀店が仕入れたルートなどを研究して考えるがうちがすぐに同じように売り出すかどうかは決めていない」と複雑な表情だ。」
通産省の方針を知ってか知らずか、東武百貨店でカラーテレビの大安売り。それにしても、同様のセールを予定していた西武百貨店が中止したのは、なにか曰くがあったんでしょうか?
「西独州の"ネオ・ナチ"進出 欧米諸国、強い衝撃 ソ連も"警戒が必要"と報道」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「【ロンドン支局二十一日】西独バイエルン州議会選挙でネオ・ナチといわれる(国家民主党)(NDP)が十五議席を獲得して第三党に進出したことについて、二十一日のロンドン各紙はいずれも大見出しで詳細に報道し、バイエルン州がかつてヒットラー台頭の地方であった点を注目している。
タイムズ紙はこの勝利が、ボンの欲求不満の政治家たちのいっそうの関心をひくことになろうと述べ、ガーディアン紙はNDPは不平分子の党であり、こんどの選挙は西独誕生以来最も重要な州選挙であったとしている。これに対しデーリー・テレグラフ紙はボン特派員の記事中で、ボンでは同党の成功はナチの復活というより、むしろ政局混乱に対する抗議とみなされていると述べている。
一方、ソ連タス通信は選挙結果を警戒すべき兆候であるとし、NDPの進出はボンの政策への反発だと報じている。また、かつての枢軸イタリアでも反響は大きく、ローマのメッサジェロ紙は「ナチの地獄の思い出はまだ生々しい」と述べている。
また、パリでも同日フィガロ紙がボン特派員の記事を載せ、一地方選挙がドイツと欧州にとってこれほど重要だったことはなく、現在ボンで進行中のキージンガー氏の連立工作に決定的ともいえる影響を与えるだろうと述べた。
【ニューヨーク二十一日UPI】西独バイエルン州議会選挙の国家民主党(NDP)の進出は、米国でも大反響を呼び、ニューヨークでは二十一日ニューヨーク・タイムス紙など朝刊紙がともに全段抜きの大見出しのもとにボン特派員の長文の記事を掲載した。」
「ベルリン市議選にも立候補 ネオ・ナチ通告」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「【ベルリン二十一日AFP】西独バイエルン州議会選挙で躍進した極右の国家民主党(NPD)は二十一日、来年三月十二日に行なわれる西ベルリン市議会選挙にも立候補者を立てる旨の文書を関係者に配布した。」
欧州各国で衝撃をもって伝えられたニュースですが、日経が解説記事を書いているので紹介。
「さまよう"ナチの亡霊" 党員の大半が30歳台 神経とがらすまわりの国」
(日本経済新聞昭和41年11月22日夕刊2面)
「ナチスが壊滅してから二十年以上たった西独で再び"ナチスの亡霊"がさまよい出している。ネオナチスと呼ばれるNPD(ドイツ国家民主党)がへッセン、バイエルン両州の州議会選挙で大量進出し、かつてのナチス台頭時代のような不安感を周辺の欧州諸国に与えている。
発祥地バ州で急進出
ヘッセン州の選挙でNPDが総投票数の七・九%を得て八議席を獲得した時、欧州の各紙はいっせいに騒ぎ立てた。タイムズ紙は「ヘッセンからのショック」という題の社説を掲げて「現在の西独の環境は、ヒトラーを政権につかせた時とはかなり違うが、NPDについて真剣に考えなければならない」と述べたし、ル・モンド紙も「混乱に乗じてのボロもうけ」という題でNPDの進出を憂慮している。
欧州各国がNPDに対し特に神経をとがらせているのは、その進出の速さである。NPDは一九六四年に群小極右政党が集まって結成された。そして早くも咋年九月の総選挙には総投票数の二%にあたる六十六万票を獲得している。西独の選挙法では得票率が五%を越えない政党は議席を得られないことになっているので、NPDは連邦議会の議席は獲得できなかったが、ことし三月のシュレスウィヒ・ホルシュタイン州の市町村選挙では一○%も得票して急進出した。その後、ハンブルク市、ノルトライン・ウエストファーレン州の選挙では議席を得られなかったものの、ヘッセン、バイエルン両州では大成功をおさめたわけである。特にバイエルン州はナチス発祥の地でもあり、NPDは七・四%の得票率で十五議席を奪い、FDP(自由民主党)をたたき落として一躍、第三党の地位にのし上がった。
現政治への不満反映
こうしたNPD急進出の背景には政治の現状に対する両独国民の強い不満がうかがわれる。両独国民は西独が欧州第一の経済力をたくわえながら国際政治には全く無力であり、いまだに近隣諸国に対してナチスの犯した罪を心理的な負担としていることに不満を持っている。それに戦後二十年以上もたつのにドイツ再統一問題はなにも進展していない。
ずっと政権を担当してきたCDU(キリスト教民主同盟)はこの問題になんらなすすべを知らなかったし、SPD(社会民主党)やFDPにしても解決策を持ち合わせていない。この点、NPDがオーデル・ナイセ以東の旧ドイツ領の返還要求、いまだに続けられている戦犯裁判の打ち切り、対米従属関係からの脱却を政策綱領にあげていることは、不満を持つ西独国民にかなりアピールしたものとみられる。
カギ十字はないが
ところで、NPDはナチスのような政策をとろうとしているのだろうか。フリードリッヒ・ティーレン党首はナチスとの関係を否定し、れれわれは民主的であると述ベている。そしてユダヤ人を差別しないだけでなく、ユダヤ人の党員もいると主張している。しかし実際にはナチスとの開係はかなり密接なようだ。たとえば十八人の党幹部のうち十二人は旧ナチであり、しかもそのうちの七人はヒトラーが政権をとる以前からの党員だった。またNPDの旗は真紅の地にまんなかを丸く白抜きにしたもので、これにカギ十字を入れれば完全にナチスの旗となる。
そのためNPDの内部ではナチス的な行き方に反対する動きも出ており、最近、ビンダー副党首らは党内の極右派の支配増大に公然と不満を述べて除名されてしまった。ビンター氏は「私は狂信的な思想によって国を悲劇におとしいれる責任をとりたくない」と述べ、バイエルン州の選挙ではNPDに投票するなとさえ呼びかけた。しかしこうした分裂が起こったにせよ、NPDの党員や支持層に第二次世界大戦の時にまだ未成年だったものが多いという事実はいくぶん不安を感じさせるものがある。党員の三分の二は三十五歳以下といわれ、またヘッセン州の選挙に立候補した候補者も大部分三十代だった。
いざとなれば禁止も
だがNPDが今後党勢を増大すると考えるのは早計である。いかに西独国民が政治の現状に不満を持っていたからとて、大多数のものはナチスの復活を望んでいないし、またナチス被害を受けた近隣諸国も黙っているはずがない。西独政府はいざとなればナチスと関係のある政党を禁止する政党法をNPDに発動することができるのだ。
西独ではいまだに政府の要職につくものはナチスとの関係を執ように追及されている。最近CDUの首相候補に選ばれたキージンガー氏がナチスとの関係を洗われているのもその一例である。キージンガー氏の場合、一九三三年にナチスに入党し、西独外務省で海外向け放送を担当していたといわれるが、同氏は入党の翌年にナチスに対する興昧を失ったこと、また反ユダヤ的放送内容は消したことでゲシュタポに密告された事実をあげて陳弁につとめている。
シュレーダー外相もかつてナチだったが、ユダヤ系の夫人と結婚するため離党した経歴の持ち主だ。この世代の人々は青年時代にナチスとなんらかの関係を持たざるを得なかった人々だが、現在、ナチ思想とは直接的な関係はない。しかしNPDの進出といい、キージンガー氏の前歴といい西独のニュースにはこのところナチスに関係したものが多いだけに、他の欧州諸国をいらだたせているのであろう。」
現政権への不満の表明として票をのばしたとみて欧州の新聞の論調も、注意して見守ることが必要だがまだ危険な段階ではないというものがほとんど。ここらへんは、第一次大戦後ドイツに対する懲罰が激しすぎために、逆にナチの台頭を招いてしまった、という経験が生きているのでしょうか。
「試走中にブロック・サイン 八百長競輪、四選手ら検挙」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊15面)
「【横浜】八百長競輸を捜査中の横浜保土ケ谷署は、二十一日までに競輪選手の山口県都濃郡、N(三三)宇部市、I(三九)下関市、Y(三二)大分県別府市、T(四六)の四人と、神奈川県大和市、土建業、K(四一)ら三人を競輪法違反(贈収賄)の疑いで検挙した。
調べによると、Iは昨年九月末、Kらに「八百長競輪をしてくれ」と頼まれて十万円をもらい、同年十月三日から三日間、埼玉県所沢市の西武園競輪場で行なわれた"第二回川越市営競輪"で、本命選手を妨害した。N、Y、Tらも三十九年暮れから昨年十一月までの間に、現金五-十万円を受け取り、大阪府の岸和田競輪、神奈川県川崎競輪などで、八百長競輪をしていた。
このほか四選手は後楽園、名古屋競輪でも、八百長をしていた疑いがある。しかし八百長がうまくいかず、Kらのあげた利益は百万円程度だった。
Iら四選手は日本自転車振興会所属A級選手。競技開始前の試走のさいブロックサインで、Kらにマークする選手を知らせるなどしていた。」
警察が捜査が開始したきっかけはやはり内部告発かな。百万円の利益とは、なかなかのものですが、かけた手間やリスクの割には合わなかったということなんでしょうね。競輪の予想で、『ブロックサインの解読』が流行するかも。
今日の殺伐
「猛犬、四人をかむ 藤沢」
(朝日新聞昭和41年11月22日朝刊15面)
「【藤沢】二十一日タ、神奈川県ノ藤沢市内の住宅街で犬が小、中学生四人を次々とかみ、手足などに一週間から三週間のけがをさせて、逃げた。
同日午後四時ごろ、同市立明治中学校グラウンド裏手の同市Mさん方庭で次女、同市立明治小一年Mちゃん(七つ)と近くの同所Mさんの長女同小一年Iちゃん(七つ)が遊んでいたところ、突然体長八十センチ前後の黒い犬が飛込んできて次々にかみついた。
Mちゃんは右腰や左肩など二カ所をかまれて二週間のけが。Iちゃんはひざの付け根をうしろから幅十センチほどかみ切られ、右モモも無数のかみ傷で三十針も縫う三週間のけがをした。
同時刻ごろ、同中学校裏の畑跡の広場で遊んでいた同所Mさんの長男、Tちゃん(六つ)も同じ犬に襲われ、右腕や左ひざを前後からかまれたほか、同中学校内の渡り廊下で同市Sさんの長女、同中三年Sさん(一五)も右モモや腰をかまれ、それぞれ一週間のけがをした。
同夜、藤沢保健所へ同市Aさん(三一)から「飼っているドーベルマンがクサリを切って逃げた」と届けがあり、同保健所はこの犬がかみついたとみて捜している。」
逃げたのはともかく、有無を言わせず子供たちに噛みつくとは、普段どんな飼い方をしてたんでしょうか。いくらドーベルマンとはいえ、かなりストレスが溜まっていたんですかね。
「選手来ず、お客さん騒ぐ 板橋でのプロレス興業」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊15面)
「二十一日夜、東京板橋区板橋四の六の一六、元都電板橋駅前広場板谷駐車場で行なわれる予定のプロレス興業(主催・オリエントプロ興業、埼玉県)で、試合開始の午後六時半をすぎても選手が現われず、七時半すぎ主催者が「連絡の手違いで試合は中止になった」とリングから説明した。しかし約千三百人の観客の大半がリングに上がってロープをひきちぎったり、イスをこわして騒いだ。
板橋署と警視庁第四機動隊から二百人が出動して警戒に当たったが、十時すぎ残っていた約五百人に払い戻しをはじめたためおさまった。
同夜のプロレスは東京プロレスリング興業(豊登会長、新宿区)がオリエントプロに興業権を売ったもので、豊登、猪木や外人選手が出場するはずだった。東京プロレス側は「試合前に受け取る約束のファイトマネーを払わないので選手を引き揚げた」といっており、同署は両者から事情を聞いている。
なおオリエントプロは二十三、四の両日、同駐車場で払い戻しを行なう。」
もう11月も末ですが、駐車場での興業とは野外特設リングだったんですかね。この寒空の夜に延々待たされて『中止』と知らされたら、そりゃ暴れますわな。
]]>模造千円札と子殺しhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=5075001966-11-21T00:40:15+09:002007-10-01T15:43:46Z1966-11-20T15:40:15Z そそっかしい人もいるものです。
「あっ時限爆弾、それ逃げろ 宣伝用コーヒーを買って感違い」
(毎日新聞昭和41年11月21日夕刊1面)
「二十一日午前七時すぎ、東京墨田区、会社員、西村武さん(四九)方から向島署に「インスタントコーヒーを買ったが、時限爆...irrp-moment
「あっ時限爆弾、それ逃げろ 宣伝用コーヒーを買って感違い」
(毎日新聞昭和41年11月21日夕刊1面)
「二十一日午前七時すぎ、東京墨田区、会社員、西村武さん(四九)方から向島署に「インスタントコーヒーを買ったが、時限爆弾らしい」と一一〇番で連絡があった。
署員六人がパトカーでかけつけ調ベたところ、西村さん方で朝食にコーヒーをいれようとインスタントコーヒーのフタを開けたとたん、フタの裏にモーターのようなものがついていて、いきなり回りだしたという。」
で、よくよく見てみたら、売り物のコーヒービンではなく宣伝用のビンで、フタのポップ広告をを右に左に揺らすモーターだったというワケ。それを売ってしまう店もウッカリ屋さんですが、それを買って驚く西村氏も相当なうっかりさんですね。
新聞斜め読み
「模造千円札の個展案内状 画家に懲役求刑」
(毎日新聞昭和41年11月21日夕刊1面)
「個展の案内状などに使うため、千円札の模造品を作ったとして通貨、証券模造取締法違反で起訴された画家、赤瀬川克彦(二九)=東京杉並区=ら三被告の求刑公判は、二十一日、東京地裁刑事十三部(堀義次裁判長)で開かれ、北村検事は「どこで使用されるかわからないほど実物に似ている。芸術家の表現の自由にも限界がある」と赤瀬川被告に懲役六月、二人の印刷業者にそれぞれ懲役四月を求刑した。
この事件は、ニセ千円札"チー三七号"事件が世間を騒がせた当時、警視庁捜査三課に摘発されたもので、芸術活動として行なわれた通貨の模造が罪に問われたのは珍しく、芸術か犯罪かをめぐって論争がくりひろげられていた。
起訴状によると、赤瀬川被告らは三十八年一月中旬、千円札の表側を写真製版にとり、クリーム色の紙に緑色のインクで印刷、裏には個展の案内状を印刷した模造品約三百枚を作ったほか、同年三月から五月までの間にも約二千七百枚を作った。」
確か、この千円札は表だけで裏は印刷していなかったと聞きましたが、それでもダメなんでしょうか?また、『芸術か犯罪か』といっても、"芸術かつ犯罪"というものがあり得る以上、論争することにあまり意味があるとも思えませんが。
今日の殺伐
「本格調べ 首なし事件」
(朝日新聞昭和41年11月21日朝刊15面)
「【大阪】大阪の首なし事件の容疑者、徳島県生れ、トラック運転手高橋文明(三七)の本格的な取調べは、二十日朝から大阪府警水上署捜査本部で始った。
高橋は、九日朝の犯行から北海道までの経過を、ほぼ全面的に自供した。捜査本部は二十一日、動機、計画性などについて調べる。
北海道警本部に保留していたミユキさんの首は二十日夜、空輸され、大阪に着いた。」
昨日の報道では、日航に断られた首の空輸ですが、結局空輸されたようです。13日の事故で客足の遠のいた全日空に頼んだんでしょうか?
「長男殺しを自供 睡眠薬で 沼田の元保険外交員」
(朝日新聞昭和41年11月21日朝刊15面)
「【沼田】群馬県沼田署は、沼田市元保険外交員和泉憲児(三七)を保険金欲しさから長男の康一ちゃん(五つ)を睡眠薬を使って殺したとみて、別件の業務上横領の疑いで十七日に逮捕し調ベていたが、二十日午後三時すぎ「康一が別居している妻を慕ってなじまないため、睡眠薬を数回にわたって飲ませて殺した」と犯行を自供した。同署は和泉の逮捕状を殺人の容疑に切替え、和泉の家から睡眠薬の空ビン四個を押収し、保険金詐取をねらった擬装殺人の疑いでさらに追及している。
康一ちゃんは十月二十一日に死んだが、別居中の妻の知人から死因に不審な点がある、との訴えがあり、同署で内偵したところ(1)生活がかなり苦しいのに、七月に康一ちゃんに百万円の災害生命保険をかけた(2)バイクの荷台から落ちて頭を打ったといつて同市内の三軒の医師をまわり、苦心して死亡診断書を書いてもらったこと(3)保育所から見舞にいっても康一ちゃんに会わせなかったこと、などがわかり、二十二日の葬式を中止させ、同日群馬大で死体解剖して究明に当った。その結果十一月十四日に康一ちゃんの胃のなかから致死量の睡眠薬が検出されたので十七日、別件で逮捕した。
自供によると、和泉は八月三十日妻Mさん(三三)が家出したあと、康一ちゃんら二人の子どもを育てていたが、康一ちゃんが母を慕って「なぜ、おかあさんを追出したの」となじるので殺そうと決意し、十月十日ごろから二十一日までの間に睡眠薬を数回にわたって飲ませた。
和泉は康一ちゃんを殺して無理心中をしようとしたといっているが、同署は康一ちゃんが死ぬ数日前に保険金の受取人を妻Mさんから次女Kちゃん(一○)に名義換えしたこと、康一ちゃんの死因を保険金が倍額もらえる交通事故死にしようとしたことなどから、擬装殺人による保険金詐取の疑いを強めている。
和泉はMさんと別れるまでは、夫婦で生命保険の外交員をしていたが、酒ぐせが悪いため家庭に波風が絶えなかった。
小児マヒで寝たきりだった長女恵美子ちゃん(一二)もMさんが以前家出した二日目の七月十二日死亡している。康一ちゃんの保険金は恵美子ちゃんの死後かけた。」
我が子を手に掛けたという、なんとも後味の悪い事件。『子宝』という言葉も今は昔なんでしょうか。]]>首なし死体事件続報と欧州ゴミ事情http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=4962751966-11-20T11:28:27+09:002007-09-17T02:30:13Z1966-11-20T02:28:27Z 昨日に引き続き、大阪の首なし死体事件がトップニュース。
新聞斜め読み
「私刑・暴力は厳罰 中共、紅衛兵に重要通告」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊1面)
「【北京十九日高田特派員】中共は十九日、紅衛兵の私刑(リンチ)暴力行為を徹底的に取り...irrp-moment昨日に引き続き、大阪の首なし死体事件がトップニュース。
新聞斜め読み
「私刑・暴力は厳罰 中共、紅衛兵に重要通告」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊1面)
「【北京十九日高田特派員】中共は十九日、紅衛兵の私刑(リンチ)暴力行為を徹底的に取り締まる方針を打ち出した。同日、中国共産党北京市委員会が市内各所に張り出した「重要通告」(十八日付)は(1)いかなる工場、鉱山、学校、機関(官公庁、団体)においても私設の留置場ないしは私設法廷を設けて、暴力、拷問を加えることは許されない(2)このようなリンチは党紀違反であり、背後関係者もきびしく追及される(3)今後はこれに類する施設あるいはリンチ行為があれば、厳重に処罰する−−と述べている。
なぜこうした「重要通告」が公布されたかについては明記されていないが、北京市民の間では直感的にさきに先農壇スポーツセンターで発生した張以随事件に関連したものと受けとられている。
中共北京市委員会の広報班長・張以随が北京師範学院の紅衛兵に監禁されて「工作組」問題の追及を受け、十一月四日サッカースタジアムの付近で変死休となって発見された事件は李富春(国家計画委員会主任)謝富治(公安部長)両副首相と呉徳北京市長代理(党委員会第二書記)らの指揮のもとで本格的な再捜査が進められている。
これと並行して自殺を主張する北京師範紅衛兵と、他殺の疑いを強める張以随の遺族側との壁新聞の応酬も活発だが、いずれにせよ紅衛兵が「工作組追及」を錦の御旗にして四日間も一室に監禁していた事実は、紅衛兵運動の行き過ぎとして、市民の間に深刻な波紋を広げつつある。
またこの事件と時を同じくして、十月二十七日夜から二十八日未明にかけ、北京の中央戯劇学院紅衛兵が同じく工作組問題で軍事科学院に押しかけ、王樹声国防次官と応酬のうえ、警備に当たった解放軍兵士と乱闘を演じ、双方におよそ八十人の負傷者を出したうえ、この乱闘事件をめぐって紅衛兵同士の暴力ザタも続いている。
いわば張以随事件は「氷山の一角」にすぎないとみられ「紅衛兵の暴力」が批判のマトになるに及んで、中共当局もついに今回の断を下すに至ったとみられている。
同時にこうした行き過ぎが紅衛兵運動の前途に暗影を投げかけた点も見のがせないとされている。」
「工作組」問題は、失脚が伝えられる劉少奇追い落とし活動の一環のように見えますが、まだまだ血生臭い文革の混乱は続く模様です。中共当局が抑えようとしても、肝心の毛主席がまだまだヤル気まんまんのようですし。
「外国のゴミ・東京のゴミ (下) 橋本都清掃局長の視察報告 どこでも混合収集 でもデスポーザーが使われ汚水のしみ出る心配はない」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「ゴミの処理はなるべく人目につかないように、しかも衛生的に処理することにある。こんど見て回った各都市はどこも東京と同様、台所ゴミとそれ以外のゴミを一緒にバケツに入れたものを集める混合収集方式だった。ただ収集時間は東京と違って、ほとんどが朝の六時ごろから始まる。
集め方で変わっているのは、ローマである。ローマの新アパートにはダスト・シュートがない。市の収集員が麻袋を持って共同住宅の各階を回り、ドアの前に置かれたバケツから麻袋にゴミを移し、いっぱいになると、大黒様のように麻袋をかついで収集車まで運ぶ。麻袋を車の後部に引っかけると、袋は自動的に持ちあがって車の上に投入され、カラの袋が返ってくるという仕組み。このため、東京では車一台に二人の収集員がいればよいものが、ここでは車一台に七ー八人付いている。
欧州の家庭ゴミは東京のゴミとは違って、ジャガイモの皮や、しおれた草花のほかは紙くずやあきかんのたぐいだから、麻袋から汚水がしみ出る心配はない。ゴミがこんなに違うのは食生活の相違が大きな原因だが、デスポーザー(粉砕器)の使用が許されていることも影響している。パリではデスポーザーを買えない家庭は、主婦が包丁で野菜くずなどを切りきざんで下水に流しているのだという。
パリ市清掃局の幹部は「わがパリ市が一日に出すゴミをコンコルド広場に積み上げると、高さ百メートルのピラミッドができあがる」と"豪語"していたが、東京で一日に出すゴミをパリに運べぱ高さ百メートルのピラミッドが三つもできる。「東京のゴミの始末はなまやさしいものではない」とつくづく考えさせられた。
また、道路のゴミについてみると、ロンドンでは夜九時半から翌朝六時半までに道路の清掃が行なわれ、朝、市民が起きるころには道路はすっかりきれいになっている。パリでは作業貝が朝、ゴミ収集を終えたあと、手に手にほうきを持って受持区域に出かける。歩道と車道の境にセーヌ川の水を利用した水道が配管されており、この水と一緒に路上の落葉やゴミくずを下水口に掃き込んでしまうというやり方。ロンドンでもパリでも清掃後かなり時間のたった宵の口のころには、大通りはだいぶよごれる。パリでは通行人が往来で捨てた紙くずはお巡りさんが拾って、くず箱に入れてくれると市清掃局ではいっていた。
また欧州の諸都市では清掃担当の部局が市内の全道路の清掃を受け持っており、東京のように国道は建設省、都道は都清掃局、区道は区役所というような「責任の明確化」はなされてはいないようである。
欧州の諸都市では電気洗たく機、中古車、古い家具といった耐久消費財の廃品をゴミとして捨てる家庭がポツポツ出始めている。使い捨て時代のこうした新しいタイプのゴミが、私たちの行く手に待っている。」
『欧州の家庭ゴミは東京のゴミとは違って、ジャガイモの皮や、しおれた草花のほかは紙くずやあきかんのたぐいだから、麻袋から汚水がしみ出る心配はない』とは、ちょっと驚きですね。いくらデスポーザーを使っても、下水の浄化処理能力には限度があると思うのですが、大丈夫なのか疑問。特に下水処理せずに川や海に流してしまうのでしょうかね。しかし中古車をゴミとして捨てるなんて、さすが欧州は裕福デス。
今日の殺伐
「妻、愛人の板ばさみ 高橋 仏がわり、首持ち歩く」
(読売新聞昭和41年11月20日朝刊1面)
「【大阪】大阪市此花区伝法町、新伝法大橋架橋工事現場下の新淀川に浮かんだ高松市、ホステス実平みゆきさん(二五)の首なし死体事件の犯人、トラック運転手高橋文明(三七)は十九日午後一時すぎ立ち回り先の北海道岩見沢市で死体損壊、同遺棄で緊急逮捕されたが、身柄は同日午後九時、大阪国際空港着の日航機で護送され簡単な取り調べを受けたあと大阪府警・水上署の捜査本部に留置された。
高橋は捜査本部の取り調べに対し「三角関係の清算するために殺した。首を切ったのは北海道で埋めてやろうと思ったからだ」と自供しているが、二十日から犯行の方法、凶器などを中心に本格的に取り調べにはいる。
自供によると高橋は徳島県の本籍地に妻とこども三人を残して高松市に出かせぎに行ったが、昨年六月高松市内のバーに働いていたミユキさんと知り合い、高松市、Oアパート二階六畳二間を借りて同せいした。ところが最近、ミユキさんは高橋に妻子があることを知らされ「こどもができたら困るので籍を入れてくれ」と再三迫った。
妻子とミユキさんの間で板ばさみになった高橋は入籍を迫るミユキさんを殺害しようと決意したという。
高橋は大阪水上署で大庭大阪府警捜査一課長を通じて次の通り記者団の問いにこたえた。
−−首を持ち歩いてどうすうるつもりだったか。
「世間の目をのがれて北海道で一人働きミユキの墓をたててやるつもりだった。首は仏がわりだ」
−−死体になぜ服を着せたのか、バレるとは思わなかったのか。
「手がかりになるものは一応全部取り除いた。しかし裸で川に流すのは冷たくてかわいそうだから着せた・・・」
−−あとに残った自分の妻子はどうするつもりか。
「妻子は実家が農家だから自分がいなくても食べていけると思った。犯行後自殺をするか自首しようと思ったが、こどものことを思いどうしても生きのびたかった」」
「トラックで死体運ぶ 首なし事件の高橋 飛行機で身柄護送」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「【札幌・大阪】愛人の香川県高松市、キャバレー・ホステス、実平ミユキさん(二五)を殺し、首なし死体を大阪市此花区の新淀川に捨てた疑いの徳島県生まれ、トラック運転手、高橋文明(三七)は犯行を自供、十九日夜、千歳空港発の日航機で護送され、午後八時四十五分大阪国際空港についたあと、水上署に留置された。
自供によると、高橋は昨年五月二十日ごろ、徳島県下のバーに飲みに行き、ミユキさんと知り合い、同年九月から一緒に住んだ。今年九月、高松市のOアパートに部屋を借り、ミユキさんはキャバレー「レインボー・ガーデン」のホステスとなった。
ミユキさんは高橋が結婚して三人の子供があるのを知らず「早く入籍してほしい」と高橋にせがんだ。ミユキさんはときどき「死にたい、一緒に死のう」などといっていたため、九日午前七時半ごろ、自宅六畳間で目をさましたとき、床の中で「殺してやろうか」といった。するとミユキさんは「あなたなんかに殺せない」といったため、横に寝ていたミユキさんの首を両手で絞め殺した。
十二日まで死体はフトンにくるみ、一緒に寝起きしていたが、同日午前七時ごろ、紺色スーツを死体に看せ、室内で出刃包丁を使って首を切った。そのあとデパートから買ってきた幅一・四メートル、長さ二メートルのビニールに包み、ロープ二本でしばってその上から赤い毛布をかぶせ、勤め先の運送店の四トン積みトラックの運転台に乗せ、高松港からフェリーボートで大阪に向かった。大阪に着いてからは第二阪神国道を走り、此花区の伝法大橋から新淀川にビニール包みの死体だけを捨てた。首はかわいそうだったので捨てる気にならず、持ち帰った。
十六日、アパートの荷物を整理、首はビニールに包んで、スーツケースに入れ汽車で岩見沢に向かい、十八日午後十時半ごろ着いた。その足で以前一緒に働いていた同僚の兄にあたるTさん宅をたずねたが見つからず同夜は旅館に泊まり、翌十九日午前九時半再度たずねた。」
昨日の記事で『どうやって死体を大阪に運んだのか?』と疑問を書きましたが、やはりトラックを使ったようです。勤め先のトラックを使ってまず死体を大阪で捨て、一旦戻って部屋の整理をし、鉄道で北海道に向かったとのこと。首は供養のために持ち運んだと供述していますが、『手がかりになるものは一応全部取り除いた』とも言っているので遺体の身元を隠すために切断したとも考えられますね。
「無口・・・郷里には妻子 高橋という男」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「【高松・徳島】高橋文明は、友人の話では「酒もタバコも飲まず無口で、おとなしい性格だった」という。
高橋は徳島県名西郡、農業、Tさん(六四)の長男として京都で生まれた。立命館大学付属中学校を卒業後、昨年六月まで同町で生活していた。この間に結婚、三人の娘がいる。
ことし春「大阪で働く」といって妻子を父にあずけ家を出た。ところが大阪には行かずに高松市に住み三月二十二日から香川県のS運送店に勤務、長距離トラックの運転手になった。」
同事件についての続報です。昨年五月にミユキさんと知り合い、同年九月同棲開始、で今年の春に『大阪に行く』と言って家を出たということなので、出稼ぎを口実にしてミユキさんと駈落したというのが実状のようですね。
「首の空輸はダメ」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「ミユキさんの首は、高橋と一緒に空路運ぶ予定だったが、日航が空輸をこばんだため、首だけは北海道警本部でしばらく預かり、あとで列車便で運ぶことになった。」
首の機内持ち込みは不可だそうです。警察も正直に問いあわせないで黙ってこっそり持ち込んじゃえばよかったのに。]]>首なし死体事件、容疑者と首が見つかるhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=4799101966-11-19T20:08:52+09:002007-08-26T11:13:44Z1966-11-19T11:08:52Z 今月の14日に報道のあった、大阪の首なし死体事件ですが本日容疑者逮捕。各紙ともこのニュースを大きく扱っています。
新聞斜め読み
「ハンガリーに抗議 中共、学生追放で」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)
「【ANS十八日東京】北京十八日発新華...irrp-moment今月の14日に報道のあった、大阪の首なし死体事件ですが本日容疑者逮捕。各紙ともこのニュースを大きく扱っています。
新聞斜め読み
「ハンガリーに抗議 中共、学生追放で」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)
「【ANS十八日東京】北京十八日発新華社電によると、余湛中共外交部ソ連東欧局長は十七日、バラス・ヨセフ中共駐在ハンガリー大使に覚書を送り、ハンガリー政府が中共、ハンガリー両国の文化協力を破壊し、五人のハンガリー留学中国人学生の追放を決定したことに抗議した。それによると、ハンガリー政府は十一月二日、中共大使館にあてた覚書で、十一月六日限りでハンガリー留学の中国人学生を追放することを通告したもの。中共外交部は覚書の中で「これは両国の文化協力を一方的に破壊し、両国の関係を悪化させるものである」と抗議している。」
ソ連が中共からの留学生を追放したのを睨んで、東ヨーロッパ各国も同様の措置をとりつつあるようです。
「孫文・魯迅たたえる中共 文化革命通じ再評価 魯迅は紅衛兵の大先輩?」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)
「なにごとも毛沢東でなければおさまらない中共にあって、いま孫文と魯迅が異例な称賛を博している。十二日には北京で孫文生誕百年祭が盛大に行なわれたし、十月十九日の魯迅死去三十周年以降、北京や広州などで"文化革命の先駆者"魯迅をたたえる集会が開かれた。いずれも早くから知られた革命家ではあるが、最近の文化大革命を通じて、この二人に新しい評価が加えられつつあるともいえよう。
紅衛兵旋風の吹き荒れた九月はじめ、広州の孫中山(孫文)記念堂前の広場で、孫文の銅像をこわすかどうかで紅衛兵が二派に分かれて大乱闘を演じたと伝えられたことがあった。
北京から派遣された紅衛兵が、孫文は民主主義革命時代のブルジョア階級の革命家だから、この銅像をこわして毛沢東の銅像を建てるべきだと主張、これに対して広州の紅衛兵が、孫文はブルジョア階級の革命家ではあるが"国父"であり、こわすべきではないと対立したというのだ。
また南京では、学生が孫文の胸像を撤去、孫文未亡人の宋慶齢国家副主席を批判のヤリ玉にあげたが、これを知った周恩来首相は「同女史を悪くいうのは間違いで、胸像は元どおりにせよ」と指示した(タス電)ともいわれる。(中略)
一方の魯迅は、文化大革命初期での周揚党宣伝部副部長批判を通じて再認識された形だ。(中略)
「魯迅の革命的な筋金入りの精神を学べ」と題する十月十九日付人民日報社説は「魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ、励まされ、プロレタリァ階級の革命の真理を追求し、すベての搾取階級のイデオロギーと古い伝統的観念と徹底的に決裂し、ついには偉大な共産主義の戦士となった」としている。
年代的にみて、魯迅が"毛沢東思想に導かれ、励まされ"たとするのは奇妙な話だが、これは"毛沢東時代"の中共らしい解釈なのだろう。
むしろ、社説の「魯迅は旧世界の批判者であり、むほん家であった。彼の半封建、半植民地の旧社会に対する怒りは骨髄に達し、旧制度を維持しようとした旧思想、旧文化を限りなく憎んだ」とのくだりに重点をおいて考えるならば、魯迅は紅衛兵の大先輩といえるのかもしれない。
(外信部中野謙二記者)」
魯迅は1881年生まれで1936年没。一方、毛沢東は1893年生まれで、共産党の実権を握ったのが1935年頃と言われています。なんで、どう考えても『魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ』などということはありえません。まあ、全体主義国家にありがちな文言ですが。
「"アタマにきた"大安売り 団地進出はばまれ 神田の薬屋さん 過熱商戦と法の盲点」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)
「 十九日朝、団地進出を地元小売り店にはばまれた東京・神田のスーパー・マーケットが、半値以下という、いささかヤケ気味の薬の大安売りを決行した。「これも都の薬事行政が不明朗なため」といっているが、この過熱商戦のおかげで、お客さんは大喜び。万世橋署員がスリの警戒に出るほどのにぎわいだった。
この店は千代田区神田鍛治町二の三、スーパー・マーケット「ピンク・ベアー」。安売りで抗議することになったいきさつは、豊原社長の話によると、こうだ。
昨秋、日本住宅公団が、薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した際、同店もこれに応募、書類審査でパス。昨年十一月、公団敷き地内の店舗用土地を七百万円で買い、ことし二月から地上五階、地下一階のビルの建設に着工した。
ところが、これを知った竹ノ塚駅前通を中心とする地元の薬店の中から「スーパーが進出して、安売りされては困る」という声が高まった。地元から相談を受けた足立薬業協同組合では、再々会合を重ねた結果区内百五十二店が共同出資して、ピンク・ベアーの建設地に近い同町四七○に「城北薬品」を開店することをきめた。城北薬品では、畑であった土地をさっそく買収、四月末には、木造平屋建ての建て物を急造し、ピンク・ベアーがまだ建設中であった六月中旬に、早くも足立保健所の許可を得、営業を始めた。
一方、ピンク・ベアーでは、十月二十日にやっとビルが完成、いざ開店に踏み切ろうとしたところすでに城北薬品が、すぐ近くに開店している。「百二十メートル以内に既存の薬品店がある場合、新たに開店はできない」という都条例の規制を受ける結果となり、さる十四日、都薬事審議会から電話で「薬を売ることまかりならぬ」と通告されたという。
このため"頭にきた"スーパー側では「薬を安く売るという消費者サービスを、法の悪用によってはばむような横暴な行為は許せない。また、いきさつを知りながら、こんな態度をとった都の態度も納得できない」として、抗議のディスカウント販売デモを強行したという。なお、第二弾として二十四日にも安売りを行なう。
豊原社長の話「薬事審議会にも"黒い霧"がいっぱいです。こんどのような措置には、どうしても納得がいかない。断固として戦う。地元の店では、安売りだといって騒いでいるが、市価より安く売っても、ちゃんと三割五分から最低一割の利潤はあるのです」」
住宅公団が『薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した』というのが本当なら、スーパーの社長が怒るのも無理ないですな。公団側の地元商店に対する根回しが足りなかったのでしょうか。しかし、社長の思惑通りの大盛況で、少しは溜飲も下がったでしょうか。24日の第二弾の宣伝まで記事に書かれているし。
今日の殺伐
「姿消した運転手追う 大阪 女性の首なし死体」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊15面)
「【大阪】大阪市此花区伝法町北五の新淀川で、ナイロン袋に入れられた死後約二日の女の首なし死体が十三日朝発見された。大阪府警捜査一課水上署捜査本部は十八日、被害者が着ていた紺色スーツの販売ルートをたぐって、香川県高松市、キャバレーホステス、実平みゆきさん(二五)であることをつきとめた。
実平さんは九月から長距離トラックの運転手、徳島県生まれ、高橋文明(三七)と同アパートで生活していたが、実平さんは今月九日ごろ、高橋も十五日に姿を消した。本部は高橋を有力容疑者とみて行方を追及している。」
「カバンに妻の生首 十日間持ち歩く 首なし事件の「高橋」逮捕 北海道で 四国で殺し、胴体は大阪に スーツが手掛りに 逮捕の糸口」
(毎日新聞昭和41年11月19日夕刊11面)
「【札幌・大阪】去る十三日、大阪市此花区の新淀川で女の首なし死体が浮いた事件を捜査中の大阪府警本部は、被害者の着ていた紺色のスーツをただ一つの手がかりに、香川県高松市、キャバレーホステス、実平ミユキさん(二三)を被害者と断定、ミユキさんの内縁の夫、徳島県生まれ、トラック運転手、高橋文明(三七)を容疑者として捜査していたが、十九日正午すぎ、北海道岩見沢市の同僚の兄の家に立ち回ったところを岩見沢署員が逮捕、事件は死体発見から一週間ぶりに解決した。高橋はミユキさんを九日に高松で殺し、首なし死体を大阪まで持ちこんで捨て、首はつかまったときスーツケースのなかに入れたままだった。
大阪府警から手配を受けた岩見沢署員が十九日、岩見沢市の友人の実家にいた高橋の任意同行を求めたところ、高橋は観念したのか悪びれた様子もなく素直に応じ、同署調べ室で前田捜査係長が実平さん殺しを追及したところ簡単に「私がやりました」と自供した。
自供によると、十一月九日朝、高松市のアパート二階六畳間でかねてミユキさんが死にたいともらしていたため「殺してやろうか」と話を持ちかけたところ「あんたになんか殺せない」と答えたのでふとんの中で絞め殺した。
高橋は死体の処置に困り、十二日夜、同アパートで出刃包丁で首を切断、死体をもって大阪に行き、新淀川に胴体を捨てた。このあと首だけスーツケースに入れ、十六日大阪を出発、十八日午後十時半ごろ岩見沢に着き、友人の兄のTさん宅をたずねた。
また同署員がTさん宅にあった黒色のスーツケースの中を調べたところ、布切れに包んだミユキさんの首を発見した。
【大阪】四国で殺し、首なし死体は大阪に、自分は北海道に---"遠くに行けばわからないという"高橋の単純な"完全犯罪"の夢も一着のスーツからくずれた。
十三日新淀川にミユキさんの首なし死体が見つかった時には、捜査員のだれ一人としてこの死体が百五十キロも離れた高松から運ばれたとは思わなかった。
「死体を投げ捨てた場所は伝法大橋に近い橋の上。すけたビニールに包んであるため遠くから運んだものとは考えられない」というのが捜査本部の一致した見解だった。だが首を切って身元をかくしたつもりの高橋に大きな誤算があった。
有力な遺留品を捜査員は"名刺"という。こんどの事件にはミユキさんの着ていた紺色ツーピースという大きな"名刺"が残っていた。そのうえ、製造場所を現わすマークまでついていた。このマークから大阪市西区、松尾産業でつくったたった九着の内の一着とつきとめた。高松市の松屋ストアで寸法なおしをしたこともわかり五日目に被害者はミユキさんとわかり、高橋の名がすぐ割り出された。
高橋は「四国で売られたありふれた既製服で、胴体は大阪だから…」とたかをくくっていたかもしれないが、紺色スーツという大きな手がかりが"完全犯罪"をくつがえした。」
「首を持って逃げていた 大阪の女殺し 愛人、北海道で逮捕 犯罪史上まれな猟奇事件」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)
「【岩見沢】さる十三日大阪市内の新淀川で発見された女の首なし死体事件の重要参考人として大阪府警水上署特捜本部から手配されていた被害者の愛人で自動車運転手の高橋文明(三七)(徳島県出身)は十九日午後一時三十分、北海道岩見沢市内の立ち回り先でつかまった。高橋は犯行を自供し、身柄を同夕千歳空港発日航機で大阪へ押送するが、切り取った首をボストンバッグに入れて北海道まで持ち歩いており、この"首入りバッグ"も押収された。
十三日午後八時ごろ、大阪市此花区伝法町の第二阪神国道に通じる新淀川の伝法橋上流約四百メートルの同川中央部でビニール包みにされた女の首なし死体が発見された。大阪府警水上署の特捜本部が十四日になって被害者は高松市、ホステス実平ミユキさん(二五)と断定、愛人の高橋文明がその後、行方をくらましていたため、重要参考人として手配した。
さらに高橋が、さる十五日、高松市内の友人を訪れ「北海道に働きにいく」といっていたことを突きとめたので、道警本部に連絡した。このため岩見沢署は十九日正午すぎ、刑事を高橋の立ち回り先である岩見沢市、中央空知運送会社に派遣、高橋が高松市から紹介状を持ってたずねてきたとみられる同社員のTさんに事情を聞いたところ、高橋は十九日午前九時ごろ、同市のTさんのアパートをたずねて行き滞在していることが判明、ただちに同アパートから高橋を同署に連行、追求したところ、同日午後一時すぎ「ミユキを殺した。首を持っている」と自供、持っていたボストンバッグを調べた結果、なかから腐敗した首が出てきたので同署は殺人容疑で逮捕した。
バッグに入れて持ち歩く
自供によると高橋は九日早朝高松市のアパートで雑談中、かっとなってミユキさんをしめ殺した。その後死体を放置したままでいたが、十二日夜出刃包丁で首を切り取り、首なしの死体を大きな布に包み麻なわで二重にしばり、大阪に運び、同市内の新淀川にかかっている第二阪神国道の橋の上から投げすてた。
その後荷物をまとめさらにミユキさんの首を布にくるんでボストンバッグに入れ、それを持って十六日夜汽車に乗り、十八日午後十時ごろ岩見沢市に着いたという。
岩見沢市のアパートを岩見沢署の刑事が訪れ「君が高橋か」と聞くと「はいそうです」といって、すなおに任意同行に応じた。グレーの背広を着た高橋は頭を角刈りにして顔は青ざめ、捜査課長室で直ちに取り調べにはいったが、終始ふてくされた態度。それでも同署前田捜査係長の取り調べに対し、すでに覚悟していたのか、犯行の一切をすらすらと自供。取り調べの刑事も「犯罪史上まれにみる猟奇的な事件をおかした男には見えないほどだ」と驚いていた。
黒のビニール・ボストンバッグにはいっていた問題の首は、かなり腐敗しており、取り調べにあたった鑑識の係り員も思わず顔をそむけるような状態だった。」
14日の記事では、単に「淀川で首なし死体見つかる」という小さな記事でしたが、容疑者が生首を持って逃走していたということで、俄然大きな扱いとなったようです。まだ、第一報なので容疑者の供述の中身が詳しく述べられていませんが、続報では取りあげられることでしょう。毎日、読売の記事を見てもよく分からないのが死体を高松から大阪に運んだ方法。大阪から岩見沢へは汽車で行ったようですが、大阪まではどう行ったんでしょうか。トラックだとすると、大阪で乗り捨てなければならないし、まさか死体を抱えて汽車、あるいは船に乗ったんでしょうか?
]]>投げられたハンカチとタンクローリー爆発http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=4576191966-11-18T23:26:21+09:002007-07-29T14:31:29Z1966-11-18T14:26:21Z 今日は、白いハンカチがトレードマークの藤山愛一郎氏が、自民党の総裁公選に立候補宣言をしたニュースで、各紙持ちきりです。
新聞斜め読み
「総裁公選 藤山氏が立候補宣言 首相は辞任せよ 粛党 まず責任を明確に 清潔な公選を期待」
(毎日新聞昭和...irrp-moment
新聞斜め読み
「総裁公選 藤山氏が立候補宣言 首相は辞任せよ 粛党 まず責任を明確に 清潔な公選を期待」
(毎日新聞昭和41年11月18日朝刊1面)
「自民党の藤山愛一郎氏は十七日午後四時、東京・赤坂のホテル・ニュージャパンで記者会見し、十二月一日の自民党臨時党大会で行なわれる総裁選挙に立候補することを正式に宣言した。藤山氏はその宣言の冒頭「わが党は立党以来最大の危機に立っている」と述べ、いま強く叫ばれている粛党については「総裁自らが政治不信を招いた原因についてすなおに反省し、その責任をとることが先決である」と強調し、佐藤首相自らが国民に対してその責任を明らかにするため辞任すべきであると迫った。
ついで「自民党は新総裁のもとに挙党一致で新しい党づくりを進め、党の体質改善に全力をあげて取り組まねばならない」と述べ、立候補するに至った理由を「単なる政権欲からではなく、他に立候補者がいないとすれば党の信用は失墜すると痛感して、やむにやまれぬ心境で立候補した」と説明している。
さらに政局担当の抱負については「国民のための政治、国民のだれもが納得する政治」を前提として(1)派閥を無視した真に信望のある人材の登用(2)政界若返りのための思い切った若手の抜てき(3)選挙公営の徹底をはじめとする金のかからない選挙の実現と政冶資金規正法の改正−−−に取り組む方針を明らかにしている。」
「投げられたハンカチ 「世論はわたしに」 藤山さん 粛党へ胸張る」
(毎日新聞昭和41年11月18日朝刊15面)
「「佐藤さん(首相)におやめになったらといっているわけです」−−藤山さん(前経済企画庁長官、愛一郎氏)はズバリいってのけた。十七日午後四時、東京赤坂のホテル・ニュージャパンで自民党総裁選立候補を正式に宣言、佐藤首相と一騎打ちの名乗りを上げたのだ。詰めかけた記者団は約百三十人。その前で「必ず世論は私を支持してくださると思います」−ことばは柔らかいが、やる気十分の構え。紺背広の胸ポケットからのぞいたハンカチは、黒っぽい色ものだったが、ご当人は気にもしていないようすだった。
"黒い霧一掃"を唱える"話題の人"登場である。立候補の意思決定から、佐藤首相側近と感情的に対立、札幌の一日内閣は欠席、経済企画庁長官を辞任してカゼで寝込むなどの経過があって、ようやく公式の意思発表……「お待たせしました」である。
記者会見場にあてられたホテル・ニュージャパン二階「竹の間」は、政治家の個人的記者会見としては異例の混雑ぶり。綾部健太郎(元運輸相)江崎真澄(元防衛庁長官)南条徳男(元建設相)といった藤山派の閣僚級議員、それに参院議員・中上川アキ(藤原あき)さんらも、この日は完全なわき役で、ウロウロ。
主役の藤山さんは、カゼもすっかりよくなって、つやつやした血色。さり気ないそぶりで、終始ニコニコと、こんなときでも紳士のスタイルをくずさない。事務的な運びでサラサラと立候補宣言文を読み上げ「三度書き直し、同志諸君にさらに直してもらいました。私が考えた原文より、よほどよくなっています」とニッコリ。気持は「国民の意思のかよった正しい総裁選挙を要望する」と結んだ、この一文に尽くしたという。(中略)
「自民党総裁を選ぶことは首相を選ぶことだ。国民はよく理解している」というのが、外柔内剛といわれるこの人の信念のようで、何度もこの点を強調していた。にぎやかな総裁公選劇へのスタート風景だったが、三十二年、財界から政界入りした藤山さんの"白いハンカチ”は、いまも白いままか、それとも洗い直しのきくものか。どちらが勝つにせよ国民の目はそこに注がれている。」
いわゆる"黒い霧"疑惑などで、迷走中ともいえる自民党ですが、12月の総裁選に満を持して藤山愛一郎氏が立候補。事務所を構えるホテル・ニュージャパンで記者会見を開いたそうです。ちなみに、このホテルは藤山氏のグループ企業の持ち物だそうです。
岸内閣で民間から外務大臣に抜擢され政界入り。今回で4回目の総裁戦出馬ですが、果たして結果は?
「世界党大会開けず ブルガリア共産党大会 「反中国」結集に失敗」
(読売新聞昭和41年11月18日夕刊2面)
「【ソフィア十七日発=AFP】ブルガリア共産党大会に出席中の各国党代表は十七日、ソ連が推進している世界共産党大会の計画に一致して賛意を表することにふたたび失敗した。
北京の政策を公然と非難したのは、フィンランド、レバノン、ドイツ、キプロスのわずか四か国だけだった。また他の四か国は、ある党による分裂活動を遺憾だと述べたが、中国の名前をあげなかった。南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)代表のグエン・チ・ビン女史は、世界党大会計画にも、中国指導部にも言及しなかった。
世界党大会召集は、もともとソ連が示唆したもので、今週はじめジフコフ・ブルガリア共産党第一書記があらためて提唱したが、十七日にはポルトガル、レバノン、チリ、ベルギー、南アフリカ各国共産党が会議招集に全面支持を表明した。南アフリカのエンゾロ代表は、ベトナムとアフリカ新植民地主義の企てに限られるとしても、正当化されようと述べた。」
ソ連の根回しにもかかわらず、当面は中共非難のための世界共産党大会はお流れになったようです。ソ連としても、それほど無理して実行しようとはしていないようで、自国でなくブルガリア共産党に提案させたところにもそれが現れているのだと思います。ベトナムで米帝と争っている最中に陣営内の亀裂をあまり大きく見せたくないという心理も働いているのでしょう。
「開かずの勝鬨橋 落ちぶれた東京名物 車の交通がふえて 開いても月に10回 大型船も航行せず」
(朝日新聞昭和41年11月18日朝刊16面)
「隅田川にかかる勝鬨(かちどき)橋が最近、さっぱり開閉しない。上り下りする船がめっきり滅ったのと橋の上を走る車の量がふえたためだというが、かつては日に五度も開閉し、三千トン級の軍艦までも通したというのに、いまは多いときでも月に十回ていど。ことしはついに一度も開かない月があったという。
勝闘橋は旧東京市が七年の工期と、当時の金で四百二十万円を投入して昭和十五年に完成した。アメリカのシカゴ市にある同型の橋をマネしたものだが、当時は日華事変の最中で、市では国威発揚のため"東洋一の可動橋"と大いにPR。東京の新名物として小中学生をはじめ全国から見物客が絶えなかった。また当時は上流の永代橋との間の隅田川沿いに大手の倉庫会社がずらり軒を並ベ、船の交通も多かったため、一日に五回ずつ開閉して水上のラッシュをさばいていた。
ところが戦後、進駐軍の命令で開閉回数を一日三回に減らされ、さらに三十六年からは午前七時の一回だけ、それも船が通るときだけ開閉することに改められた。沿岸の倉庫会社や造船会社が次々と下流に引越し、勝鬨橋付近を上り下りする大型船が減ったことや、月島、晴海地区の発展で橋の上の車の交通量が急増、日中に開閉することがむずかしくなったのが原因という。
とくに昨年八月、約五百メートル上流に新佃大橋が完成し、同橋より上流への大型船の航行ができなくなつてからは、建前は一日一回でも、実際に開かれる回数はぐっと減った。
開閉が必要なときは、船の所有者から前日の午後三時までに管理事務所に連絡することになっているが、いま実際に開閉を頼んでくるのは、橋の上流に本社や事業所をもつ鉱業会社と土建会社の二社だけ。
それにつれて、東京名物としての役割も東京タワーやオリンピック競技場などにとって変られ、いまは訪れる人もほとんどいない。
開通以来、二十六年間も勝鬨橋の世話をつづけてきたという管理責任者の都建設局技師佐藤三郎さん(五七)も「こんなに車の交通量がふえては、開く橋なんてやっかいものでしょうね」と、花形だった昔をしのびながら、時代の移りかわりに感慨深そうだ。」
戦前の建造物なので「勝鬨橋」と聞くとやけに古い感じもしますが、まだできてから26年しかたっていないんですね。約五百メートル上流の新佃大橋のせいでそれ以上船があがれないというなら、もう開ける必要もないんでしょうけれど、年に一回ぐらい特別に上げるイベントをすれば人も集まると思いますがどうでしょうか。
「一割がノイローゼの恐れ 山手地区の中学生 杉並・松渓中の研究」
(朝日新聞昭和41年11月18日朝刊16面)
「"教育ママ"や"父親不在"の家庭の多い山手地区の中学生のうち、約一割はノイローゼになりやすい兆候がある---十七日、杉並区立松渓中で開かれた同区教育相談活動研究発表会で、同中の先生がショッキングな研究結果を発表した。(中略)
悩みの解決方法は、自分で考えぬくと答えたのが一年三六%、二年四三%、三年五六%で、全体の半数近くが親や先生に相談せす、一人でくよくよ考えていることがわかった。
さらに親子関係では、母親から高校受験のため勉強を強制されている生徒や父親が転動したが住宅などの事情で別居したり、帰宅時間の遅い父親とは、めったに口をきくことのないサラリーマン家庭の生徒は成績こそよいが、学校では親しい友達ができない、という傾向がはっきり出た。
こうした調査をもとに生徒一人一人を分析した結果、男子で一〇%、女子で七・三%の生徒たちは、ちょっとしたきっかけでノイローゼになる危険が多いという。」
記事では調査の詳細が分からないので、どれぐらい信憑性があるのかは判断できませんが、このような結果がでたそうです。『父と口をきかない生徒は親しい友だちができない』といった結果ならば、アンケートで調べられそうですが、『ちょっとしたきっかけでノイローゼになる危険』のパーセンテイジはどうやって計測したんでしょうか?
「タンクローリーが給油中 スタンド火の海に 目黒 民家五戸も巻きぞえ」
(毎日新聞昭和41年11月18日夕刊11面)
「十八日午後零時十八分ごろ、東京目黒区原町一四〇五、モービルガス石油スタンド、広進商事会社=H社長(二八)=で、横浜油脂運輸のタンクローリー=I運転手(二八)=がガソリンを給油中、突然ガソリンスタンドの給油口から火を吹いた。
火はたちまちひろがり、同タンクローリー車が全焼、タンクローリー車に積んできた約六千リットルも全部燃やして同番地の寿司店経営、Kさん(三六)方の木造平屋建住宅一むね約五十二平方メートルを全焼、ガソリンスタンド裏の公衆浴場"永生湯"とガソリンスタンド向かいのタバコ店、Aさん、隣のSさん、クリーニング業、Nさん方の計四軒のカベを焼いて、午後一時過ぎ鎮火した。(中略)同スタンド従業員らは無事。
タンクローリーから流れる約六千リットルのガソリンで付近の道路など約百平方メートルが火の海となり、スタンドに置いてあった五ガロン入りのドラムかん三個がつぎつきににぶい音を立てて破裂、炎は一時高さ十八メートルにも上がった。
ガソリンスタンドのまわりは商店や住宅が密集した地区で、東京消防庁は化学車など約三十台を出動させるとともに、付近の住民十世帯を避難させ、ホースでスタンドのまわりに水のカベをつくって延焼を防ぎ、泡沫消火剤五十かん(一かん二十リットル入り)をそそぐなどの消火活動をしたため大事に至らなかった。
目黒消防署などで調べているが、出火当時I運転手は給油のためホースを地下の貯蔵タンクに入れたままHさんにまかせて食事にいっていた。
タンクローリーが給油を始めてから数分後に出火しており、このころ、そばのガソリンスタンド事務所で石油ストーブを使っていたので給油中に発生したガスに引火したのではないかとみられ、従業員らから事情を聞いている。」
大事にいたらなくてなによりでしたが、住宅地の真っ直中でタンクローリーが爆発とは恐ろしい。事務所の石油ストーブの位置と給油口の距離がよく分かりませんが、ガソリンスタンドでは冬場の暖房の扱いには十分注意してほしいものです。]]>カラーVTR発売と恐怖のドライブhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=4455931966-11-17T18:21:47+09:002007-07-16T09:23:10Z1966-11-17T09:21:47Z 本日は海外で特に目立ったニュースがなかったので、国内ニュース3本をお伝えします。
新聞斜め読み
「家庭用カラーVTRを発売 ビクター、来年六月から」
(日本経済新聞昭和41年11月17日朝刊4面)
「日本ビクターは十六日、家庭用の小型カラーVTR(ビデ...irrp-moment
新聞斜め読み
「家庭用カラーVTRを発売 ビクター、来年六月から」
(日本経済新聞昭和41年11月17日朝刊4面)
「日本ビクターは十六日、家庭用の小型カラーVTR(ビデオテープレコーダー)を開発、来年六月から売り出すと発表した。家庭用小型カラーVTRはこれまでにソニー、松下電器産業、東京芝浦電気が発表しているが、価格、発売時期は未定で、商品化計画を打ち出したのは日本ビクターが最初。
ビクターの家庭用小型カラーVTR「KVC-800型」は、来年二月に発売する白黒VTR「KV-800型」にカラーアダプター「CD‐1型」を付け加えるだけのもので、本体が白黒、カラー兼用なので、本体にカラーアダプターだけ付けれは、簡単にカラー化することができる。
カラー放送の記録、再生に使うモニターは、カラーテレビを少し改造するだけでよく、世界で初めてカラー停止画像(一コマ再生)も可能となった。
「KV-800型」は二十三万円、「CD-1型」は十七万円。両方合わせた「KVC-800型」は四十万円。「CD-1型」は来年六月発売する。」
カラーテレビですら、価格がネックで普及が遅れている状態ですから、「四十万円」ではなかなか一般までは渡らないと思われますが、将来安価になればカラーVTRも一家に一台となるのでしょうか。一点気になったのは『カラー放送の記録、再生に使うモニターは、カラーテレビを少し改造するだけでよく』という記載。普通のカラーテレビはそのままでは接続できないということなのでしょうか?
今日の殺伐
「監禁ドライブ 郡山→宇都宮 「助けて」のメモ、三人逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月17日夕刊6面)
「【宇都宮】十七日午前六時ごろ、栃木県那須郡那須町夕狩の豊山ドライブインの机の上に「郡山から三人づれにおどされ、東京に連れていかれる。助けてくれ」と書かれた福島県須賀川市、Kさん(二一)の名刺があるのを従業員が見つけ黒磯署に届けた。栃木県警本部は県内各署に手配し、検問した結果、同七時二十五分ごろ、宇都宮市雀宮町でKさんと友人の福島県安達郡、自動車セールスマン、Sさん(二二)の乗った車を見つけて二人を救い出し、一緒にいた郡山市、鉄骨作業員、I(二一)同市、同、Y(二三)同市、雑貨商手伝い、少年(一九)の三人をおどし、不法監禁の疑いで捕えた。
調べによると、同日午前二時半ごろ、KさんとSさんが郡山市内の繁華街に車を止めて歩いていたところ、Iら三人にいんねんをつけられ、なぐる、けるの乱暴をされた。Kさんが「なぐられて腹が痛い」というと、病院に連れていかれ、監視されながら治療を受けた。KさんがSさんに「車をもってきてくれ」といったことから、Iがその車を運転、二人を監禁したまま国道四号線を南下した。
Sさんが車の中で名刺に助けを求める伝言を書き、豊山ドライブインで食事をとったとき、机の上に置いた。五時間の恐怖のドライブの間、Kさんらはおどされたり金を出せといわれた。Sさんは「持っていた現金二千円をクツ下の中に隠すなど、木当にこわかった」と語っていた。
なお三人は同署の調べに「金をたかる気だった」といっている。」
走り書きのメモを残した事から事件解決と、まるで19世紀の探偵小説のような展開。ドライブインの従業員さんお手柄でした。しかし、このメモを見て警察に連絡しなきゃ、と思わせるほどに店内でもKさんとSさんに対する態度が不審だったんでしょうな。
「放火少年が脅迫状」
(毎日新聞昭和41年11月17日夕刊6面)
「【春日部】埼玉県春日部署は、スーパーストアの社長宅に脅迫状を送っていた中学生を十六日夜補導した。同市の中学二年生、A(一四)で、少年は九、十一日の両日、中学に放火して補導されたばかりだった。
調べによると、少年は同市、マルヤストアー社長、Sさん(三一)方に三日夕、便せんに「ダイナマイトでお前の店をこわす。警察に知らせると子供を殺す。いやなら二百万円よこせ…」と脅迫状を投げ込み、さらに五日夕にも場所を指定した脅迫状を送っていた。」
上の監禁事件でも少年が一人関わっていましたが、こちらは中学生による脅迫事件。「ダイナマイトでお前の店をこわす」というのがマンガチックですが、もし手元に本当にダイナマイトがあったら実行に移しかねないのが子供の怖いところ。まさにキチガイに刃物。死者・負傷者が出ないまえに補導されてよかったですな(A少年にとっても)。]]>航空機事故二重遭難と猛々しい中高生どもhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=4122101966-11-16T00:56:11+09:002007-07-29T14:34:11Z1966-11-15T15:56:11Z まずはちょっと眉唾気味な海外配信ニュースから
「百五十才で結婚? イラン」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「イランで最近実施した国勢調査で、百五十才という老人が西イランにいることがわかった。このおじいさんには、百十才といわれる長女と百才の...irrp-moment
「百五十才で結婚? イラン」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「イランで最近実施した国勢調査で、百五十才という老人が西イランにいることがわかった。このおじいさんには、百十才といわれる長女と百才のむすこが健在で、孫の数にいたってはなんと二百人。いままで二度結婚しているが、まだまだ元気たっぷり。回教徒のおきてでは一度に四人の妻がもてるとあって、目下新妻を物色中だという。「私の財産が許す範囲の贈り物でウンというなら、新妻には若い子がほしい」といっているとか。---でも本当ですかね。(ロイター=共同)」
ニュース本文からして半信半疑なので信憑性のほどが知れようという感じですが、『世界は広い』ということで一応掲載しておきます。
新聞斜め読み
「捜索ヘリが空中衝突 二機墜落、四人が死亡 悲劇の松山沖ダブル事故 大阪府警と全日空機」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊1面)
「【松山】全日空機松山事故の遺体捜索活動が最高潮で行なわれた十五日午後、松山市北方の愛媛県北条市粟井沖で捜索に協力していた大阪府警のヘリコプター(JA7062)と全日空のヘリコプター(JA7012)が正面衝突、両機は飛び這うように墜落、乗務員各二人の計四人が死亡する悲惨なダブル事故が起こった。
同日午後四時四十分ごろ、北条市粟井の沖合約五十メートルで大阪府警ヘリコプター"あおぞら一号”(ベル47G2型、操縦士、中村健造警部(三七)、松山西署垣生駐在所勤務、村上一雄巡査(四一)同乗)と全日空のヘリコプター(ベル47D1型、笹本静男操縦士(二八)、鈴木紀弥整備士(二二))が大音饗とともに空中衝突した。全日空のヘリは磯河内沖三十メートルに"あおぞら一号"はその南約百メートルの海面に墜落した。
この事故を目撃した巡視艇"さざなみ"など付近海域で遺体捜索中の巡視艇五隻が急行した。全日空ヘリは機体を大破、浅瀬上に上部半分をのぞかせており、笹本操縦士らは仮死状態で救助されたが間もなく死亡した。”あおぞら一号"は燃料タンクを海面に浮かせていたが、繁官二人は即死しており四人の遺体は巡視船"くまの"などが六時前、収容した。(中略)
YS−11型機の事故原因究明のため松山に来ていた運輸省航空局の楢林審査官らが現場に急行したが「この日は朝から晴天だったし、時間的にみて一機は山を背に飛行、一機は西日を背に飛んでいたため両機とも互いに視界にはいっていたはずだ。しかし捜索に夢中だったため前方をよく見ていなかったことが正面衝突というめったにない事故の原因ではないか」とみている。
松山空港には十四日朝から捜索や報道陣の航空機が集結、同空港の保安事務所に届けているものだけでヘリコプター十五機、単発、双発機計十機、このほか岩国、広島から加わっている自衛隊、海上保安庁機を加えると早朝から三十機前後が捜索海域を中心に飛びかう空のラッシュぶり。
このため楢林審議官らは十四日朝パイロットの代表を招き飛行統制を話し合い、ヘリコプターは高度百メートル以下、航空機は百五十メートルから千メートル、飛行間隔は百メートル以上おくなどを決めたばかりだった。(中略)
警察機墜落はじめて
警察のヘリコプターは三十四年、警視庁が一号機を採用して以来、現在全国に八機ある。災害救助、交通整理などに活躍しているが、事故を起こし墜落したのははじめてである。」
同日の読売新聞朝刊15面の記事によると、府警機側の遺体にローターで切られた傷があったとのこと。衝突時、府警機よりわずかに下側に全日空機が位置していたようです。全日空機は空港への帰還途中だったとのことで、もしかしたら全日空機が捜索に気をとられ、急に位置を変えたのが原因なのかもしれません。大事故にひきづられる形の災いですが、原因が救難活動だっただけにとても残念な事故です。
「世界党大会は必要 ブルガリアで ブレジネフ書記長演説」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「【モスクワ 大月特派員 十五日発】ソフィアのブルガリア共産党大会に来賓として出席中のブレジネフ・ソ連共産党書記長は、大会二日目の十五日午前あいさつに立ち、現状における「国際主義」の重要性を強調するとともに、十四日のジフコフ・ブルガリア共産党第一書記の発言を支持して「最近一連の友党が新たな共産党・労働者党の国際会議を開く条件がますます熟しつつあるとの見解を表明しているのは理由のないことではない」と言明した。
同書記長は「現在では国際主義の原則こそが各党の路線の正しさを判定するための最も信頼すべき基準の一つだ」との大義名分論にたち、その点からベトナム支援の重要性を強調するとともに「せめてこの重要問題についてだけでも行動の統一を達成しようとする友党のあらゆる努力が、中国指導部によってきっぱり拒否されたことはきわめて遺憾である」と中国批判をくりかえした。
中国文化大革命開始いらいブレジネフ書記長以下のソ連首脳がこのような明確な形で世界党大会開催の必要にふれたのははじめてである。このブルガリア党大会で直ちに国際会議開催について合意がはかられる見通しは薄いが、この大会をきっかけにして中国弾がいとソ連路線による国際共産主義運動の整理、強化を主目的とする世界党大会構想がにわかに表面におどりでたことはたしかである。」
しかし、中共に対するソ連の動きは慎重ですね。やはりベトナムの紛争の扱いをどうするか、ということが両者の世界戦略上で大きなウェイトを占めているためでしょうか。北ベトナムは中共への制裁は反対しています。戦時下の北ベトナムにとっては、ソ連からも中共からも援助を受けたいでしょうから、当然ですね。世界の注目は現在北ベトナムに集まっていますから、ソ連としても彼らの意向を無視することもできません。で、ブルガリア共産党を使ったりして真綿を首をしめるように中共非難の輪を少しずつ広げているように思えます。
「中国留学生が見たソ連の"墮落ぶり"」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「十五日の新華社電は、モスクワから北京に帰ってきた中国人留学生の報告として、次のようなソ連の悪口をズラリと並べている。
クレムリンのおえら方どもは"小型アメリカ"として有名な、モスクワ郊外の別荘地帯に暮している。また黒海沿岸の避暑(寒)地に「淡水」「塩水」の二つのプールつき別邸を構えているものもいる。それにひきかえ、数多い一般の国民は"家なし"も同然の暮し。
修正主義のソ連指導者たちは、堕落した映画や小説、果てはヌード写真などを国民、とくに若者たちに与えている。昼日中、売春婦が町をぶらついている場面も見られる。暴力事件、殺人は日常茶飯事。まじめな労働者が上司たちの"甘い生活"を批判したところ、クビにされたうえ、精神病院に放りこまれた。」
一方、中共側はソ連とちがって直球勝負で相手非難を繰り返していますな。
「EEC加盟で警告 ソ連、オーストリアに」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「【ウィーン十五日=AFP】オーストリアを公式訪問中のポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長は、十五日オーストリア側首脳との三時間にわたる第一回会議で「オーストリアがEEC(欧州共同市場)に加盟すれば、これは同国の政治的中立政策を危うくするおそれがある」と警告した。」
ソ連も、相手が中共でなければ直球勝負。オーストリアを脅してます。
「米のジェミニ計画終わる 12号、無事に着水 次は三人乗りアポロ計画」
(毎日新聞昭和41年11月16日夕刊1面)
「【ワシントン十五日中尾特派員】ジェミニ12号は十五日、大西洋上の予定地点に無事着水、米国はこれによって二十ヵ月にわたった一連のジェミニ計画を終了、月世界一番乗りをめざすアポロ計画に乗り出すことになった。グリソム、ヤング両飛行士を乗せた最初のジェミニ人間衛星船が打ち上げられたのは昨年三月二十三日、このあと宇宙遊泳に成功した4号、ソ連から長期飛行の記録を奪った5号、アジェナ標的衛星とのランデブー(宇宙結合)に成功した9号---とジェミニ計画は着実な足どりで発展、こんどの12号でオルドリン飛行士が初めてやりとげた二時間九分の宇宙作業を置きみやげに幕を閉じた。
つぎのアポロ計画は、早ければ来年一月グリソム、ホワイト、シャフィーの三飛行士を乗せた有人飛行で本格的なスタートを切り、専門家筋の観測では、明年末また明後年中ごろまでには三飛行士が月へ着陸するアポロ9号の実験が行われる予定で、月旅行という人間の夢の実現が間近に迫ってきた。」
米国にとって厄介な問題になりつつあるベトナムはちょっと忘れて、景気いい話。いよいよ月旅行に向けた最終計画へ移行するようです。計画の旗振りをしていたケネディ大統領は暗殺されてしまいましたが、彼を継いだジョンソン大統領の在籍中に実現は果たして可能でしょうか。
「大麻買ったジョーンズ逮捕 黒人ドラマー」
(毎日新聞昭和41年11月16日夕刊7面)
「来日中のモダンジャズ演奏家アート・ブレーキーの外人ドラマーをめぐる大麻不正取引き事件を捜査中の厚生省関東信越地区麻薬取締官事務所は十五日夜、黒人ドラマー、エルビン・ジョーンズ(三九)を北海道帯広市郊外十勝川温泉笹井ホテルで、また、プロモーター「ニューJBC」代表取締役、斎藤延之助(三七)を、ともに大麻取締法違反の疑いで逮捕した。二人は大麻不法所持現行犯でさきに逮捕された一行の米国人ドラマー、トニー・ウィリアムス(二〇)の共犯関係を追及した結果、ドラム合戦の公演先だった静岡から名古屋へ向かう途中、特急「こだま」号の車内で、ジョーンズはウィリアムスから大麻約一グラム(五千円相当)を譲り受けて吸煙、斎藤はウィリアムスから同約二グラムを譲り受けたことがわかった。
アート・ブレーキーはドラマー三人を含む七人で、一日に来日、全国各地を公演していたが、これでドラマー二人が逮捕され、さらに共犯者がいるものと同事務所では追及している。ジョーンズは国際批評家投票で連続三年第一位に選ばれた一流プレーヤーである。」
エルヴィン・ジョーンズといえば、なんといってもコルトレーンのグループでの活動が印象的。My Favorite Thingsなんかは傑作でしたねー。しかし、ドラマー二人がいなくなったら、『ドラム合戦』というフレコミがこの興業では使えなくなってしまいました。アート・ブレーキー師匠で一人合戦をするんでしょうか。師匠なら可能な気もしますが。
「本泥棒"専攻"のニセ東大生」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊15面)
「東大生と称して盗んだ本を売りさばいていた男が十五日夜、東京・神田署につかまった。住所不定無職、F(二三)で、さる十日午後四時ごろ千代田区神田神保町明倫館書店から工学書三冊(七千百円相当)を万引したのをはじめさる九月はじめから神田周辺の書店で約五十冊の本を盗んだ疑い。
Fは盗んだ本を別の本屋にもって行き、東大の学生証を見せて売っていたが、あまりひんぱんなので同町大屋書房で不審をもち神田署に通報。十五日午後六時ごろ同店に現れたところを神田署員につかまった。
調ベに対して、Fは咋年秋まで千葉工大に在学していたが、発明にこって借金をつくりぶらぶらしているうち犯行を思いつき、これまでに盗んだ本で約三万円をかせいだといっている。学生証はさる九月にひろい、自分の写真をはりつけて使ったといっている。」
古本屋に本を売るとき、東大の学生証だったら少し割高になったりするんですかね?それにしても、こってた発明とはどんなものなんだろう。見てみたいですね。もしかしたら9月20日に紹介した中松氏の快挙に刺激されて発明をめざしたんでしょうか。それだったら、中松さんも罪な人ですな。
今日の殺伐
「修学旅行の50人乱闘 宮崎 東京と横浜の高校生」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊15面)
「【宮崎】十五日午後八時ごろ、宮崎市、児童公園で、修学旅行で宮崎にきていた横浜市金沢区、私立横浜商工高二年生と東京都大田区、私立東京実業高校二年生合わせて約五十人が棒きれなどでなぐり合い六人が重軽傷を負った。近くの人の急報で宮崎署員がかけつけ、乱闘は約十分間でやんだが、横浜商工のI君(一七)が頭を五針樋う大けがで、市内の病院に入院し、宮崎署は血のついた長さ一、二メートルの棒きれなど三十二本を押収した。
宮崎署の調べによると、両校は中学時代の同窓生が在校したり、同じ実業系の私立高校のためライバル意識も強かった。
けんかの原因は、同日朝七時半ごろ、鹿児島・桜島見物のフェリーボートで両校生がいっしょに乗合わせた。ところが狭い通路で両校の生徒二人が肩がふれ合ったことから、横浜商工の生徒A(一六)が東京実業の生徒の腹をなぐりつけた。その場はおさまったが、宮崎にきて、なぐったAが和解を申入れたことを誤解した東京実業の生徒が集団で棒きれなどをもって公園に集りけんかになった。」
典型的な修学旅行エピソードを紹介しました。記事によると、両校とも九州一周の途中だったそうです。最近の修学旅行は贅沢ですなー。宮崎署は両校の引率の先生5人と、生徒三十人を取調中とのことですが、旅行中によく三十二本も棒きれを調達できましたな。やはり蛇の道はヘビで、修学旅行生に武器を売る『死の商人』が旅館街には存在しているんでしょうか?
「"暴力教室"番長グループ 先生にナイフで反抗 足立 八つの中学に広がる」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊15面)
「東京・足立区内の各中学校で"番長グループ"による暴行傷害事件が続発していることが、西新井大師焼失事件を捜査していた西新井署の調べでわかった。喫煙、盗みをはじめ、同級生へのリンチ、ナイフによる教師へのおどしなど暴力団のような凶暴さ。足立区内十二中学のうち八校にこの番長グループ非行事件が広がっており、この事実を知らされた足立区教委はことの重大さに驚き、来週中にも緊急中学校長を開き対策を検討するが、西新井署では学校の非協力、親たちの無関心がこの原因ではないかと強い不満をもらしている。
西新井署の調べによると▽十月二十四日午後二時ごろ、A中学の英語の教師が便所でたばこをすっていた三年の生徒二人(いずれも十五歳)をみつけ注意した。二人は「表へ出ろ、ぶっとばしてやる」とナイフを出して反抗。教師は、二人を教室に連れていったが、あばれつづけて授業を妨害した。二人はその後、別の三年生二人と近所の果実店に深夜侵入、果実四千円相当を盗んで補導され、脅迫の事実がわかった。二人は、このほかにもさる九月、別の教師三人に「卒業までにやっつけてやる」とおどし、さらに別の教師には、欠席を注意されたとたん腹部をなぐって逃げたこともある。(中略)
▽先月二十九日にも十四歳の三年生が、登校途中ショウチュウ○・三六リットルを酒屋でかって寺の境内で飲み、教室で酔いがまわって、あばれ、西新井署に保護された。(中略)
西新井署山崎岩雄少年係長の話
「グループの少年に呼び出しをかけると、五、六人がぞろぞろ現われ"なんの用だよう"とふてくされるなど、すなおさがまったくない。何とか少年グループの解体に持っていきたいが、ある学校では放課後でも校内に警官ははいってはいかんというなど、非協力的態度に泣かされる。親たちも無関心で子供が家を何日もあけても警察に捜してくれといって来たことがない」」
一つ上の高校生の修学旅行の決闘より、タチが悪そうな事例ですね。『ある学校では放課後でも校内に警官ははいってはいかんというなど、非協力的態度に泣かされる』とありますが、これだけ暴れられては先生だけでは対処できないんだから、警官でもなんでも中に入れなきゃしょうがないでしょうに。
]]>墜落事故続報と米国異常犯罪についてhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3876911966-11-15T23:19:26+09:002007-05-26T14:21:17Z1966-11-15T14:19:26Z
今年は日本で幼稚園ができて90周年だそうです。
「幼稚園生まれて90年 皇太子ご夫妻迎え式典」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)
「ことしは、わが国最初の幼稚園が東京女子師範学校内に開設されてからちょうど九十年目。これを記念して幼稚園教育九...irrp-moment
今年は日本で幼稚園ができて90周年だそうです。
「幼稚園生まれて90年 皇太子ご夫妻迎え式典」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)
「ことしは、わが国最初の幼稚園が東京女子師範学校内に開設されてからちょうど九十年目。これを記念して幼稚園教育九十年記念式典が十五日午前十一時から東京・虎の門の国立教育会館に、皇太子ご夫妻をお迎えして行われた。
有田文相の挨拶、佐藤首相、山口、重宗衆参両院議長の祝辞があり、幼稚園教育に三十年以上も尽くした全国幼稚園の園長、教員、用務員や関係団体役員など四百六十二人の幼稚園教育功労者の表彰が行われた。」
東京女子師範学校は現在のお茶の水女子大の前身。明治九年十一月十六日に開園式が行われたとのこと。明日が開園記念日なんですな。
新聞斜め読み
「事故繰り返した全日空 "羽田"からまだ九ヵ月 「わからん」頭抱える幹部 誇り高き民間会社 競争意識がわざわい? きびしい再建の道 重み増す業界大合同論」
(毎日新聞昭和41年11月15朝刊4面)
「カウント8でヨタヨタと立ち上がったところへ、また強烈なアッパー・カットをくわされてダウン---十三日夜松山沖で起きた全日空大阪発松山行きYS−11型の墜落事故は、全日空にとってこんなたとえもまだ生ぬるいほどの深刻なショックだった。二月四日、同社のボーイング727型機が羽田沖に姿を消したときは「立ち直りに何年かかるか」が話題になった。だが、九ヵ月余のうちに二度の惨事。こんどは、再起のあり方そのものが議論の中心として取り上げられようとしている。「どこかタルンでやせんか」という批判はきびしく、藤枝運輸相も「今回は会社の運営面にまでタッチして発言せざるをえまい」と異例の決意を述べた。在野の心意気と反骨の気風を誇る全日空は、果たして、どこをどの方向に飛ぼうとするのだろうか。(中略)
独立独歩
全日空---戦後の航空の空白期、じっと腕をなでさすってきた"ヒコーキ好き"が、寄り集まってつくった会社。日航が外人パイロットに頼って飛んでいた昭和二十八年に、早くも"日本人の手で"と一番機を飛ばした日本ヘリコプターと極東航空がその前身だった。いらい、ビタ一文も国の援助を受けず、誇り高き"民間会社"を表カンバンにして伸びてきた国内線航空会社の一方の雄だ。
職員は若く、官僚の介入をきらい、日航に対する"追いつき追い越せ"のファイトを猛然と燃やして成長してきた。社内のムードは"親方日の丸"に対する反骨であり、在野のブライドである。
理論や合理性より、多分にムード的な"暖かさ"が支配している会社。日航を東大にたとえるならまさしくワセダのおもむきがあるといえる。
ボーイングの事故がきっかけで、運輸省を中心に、航空業界再編成の動きが高まったとき、岡崎社長が「事故と再編成は関係ない。わが社の経営基盤は堅いのだ」といい切ったのは、こうした全日空気質を端的に現わしたものだった。
しかし前の事故のとき、実はこの気質そのものが批判されたのだった。当時、羽田の飛行機ラッシュの中で、かなり強引に割り込み着陸をする全日空パイロットが目だっていたことは事実だし、日航の機械のような安全第一主義にくらべると、運航に若くせっかちな"奔放さ"がみえることもたしかだった。
そして、その後にとられた数々の安全対策も、"いままでに間違いがあった"と"心の底から"認めた上でのことではなく「外部からの批判があるから……」という考え方がみられたことは否定できない。
つまりは"安全第一"がトコトンまで徹底したものではなかった、というきびしい見方も出てくるわけだ。
事故の上に新幹線、不況の三重の影響で、営業面での競争は決して楽観できなかったし、若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。
第一の事故のショックからわずか九ヵ月で全日空を立ち直らせたのはこのファイトと自信だった。それが、こんどの事故で、どこかへ飛んで行ってしまった。---あとに何が残っているのか---。いまになって「どこが悪いのかわからん」といい「やっぱり安全運航の長い歴史と伝統が必要だ。一夜づけじゃダメだ」という悲痛な反省が聞こえてくるのである。
高価な償い
全日空は、こんどの事故でどのくらいの償いをしなければならないか。ボーイング事故の例をみると、直接の費用だけでも遺体操索、遺族のホテル代、車代などで約三億円、一人五百万円の遺族補償が約六億五千万円。もちろん営業成績はガタ落ちになった。
ことし四月から九月までの旅客数は百十一万人で昨年同期より二十一万人もの減、旅客営業収入は六億円以上のダウン。とくに事故を起こした札幌-東京線は日航に客をとられっ放し、利用率わずか三五・四パーセント(座席数百に対し乗客三十五・四人)というみじめさである。当然ことし五月から無配に転落している。
それが、夏の終わりごろからぐんぐん盛り返し、観光客、新婚旅行客などの獲得で十月十三日には創立以来最高の一万二千五百七十六人の乗客を記録、来年は復配もできようという気配だった。
そこへ、YS-11が落ちた。こんどはどうか。大体、事故のショックの性格が前回とはまったく違う。同じところを二度切れば血はなかなか止まるまい。不信の度合いがおそろしく深くなると思われるのである。遺体捜索、遺族補償などの費用は、さほど前回と変わらぬにしても、今後の営業成績のちょう落はどこまでゆくか、そしていつまで続くか、見当もつかないと全日空自身が認めている。(中略)
全日空は、松尾日航社長らのとなえる"航空企業大合同論"や、運輸省の"路線再配分"の介入(全日空から一部の路線を日本国内航空にやれという勧奨)をほとんど全面的にけとばして。自主独立"の城を保つことができた。
こんどの場合も再び業界のあり方が問題になることは必至である。航空審議会は将来国内、国際各一社にすることが望ましいと答申しているからである。東亜、長崎両航空が金日空に合併を希望していながら、まだ宙ブラリンのかたちになっている事実がその突破口として使われるだろう。
こんどは"大合同論"の日航が、日本国内航空を引き連れてローカル線への発言権も持って、全日空の前に立ちはだかるかっこうだし、業界、当局、一般利用者の全日空を見る目も前回よりは、はるかにきびしい。今後の推移によっては、国が同社に「安全運航を守る」というニシキの御旗をふりかざして何らかの権利の留保を持ち出してくることも十分考えられる。
全日空はサービスと経営努力の低下を理由に再び反論するだろうが、こんどはその声も弱い。当分黒字の見込みが立たない以上「赤宇の会社で安全運航ができるか」と詰め寄られれば、それまでだがらである。」
昨日の墜落事故の続報。戦後の全日空の歩みを睨みながら事故の会社に与える影響を予測した記事を紹介。事故調査が進んでいない段階で、『若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。』とは、ちょっと憶測が入り過ぎな観がありますが、この事故の影響によって航空産業の大変動があり得るという指摘は気になります。
「ブルガリア 世界党大会を提唱 中共追放に音頭 ソ連派70か国代表前に ジフコフ首相演説」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)
「【モスクワ大月特派員十四日発】タス通信によると、十四日ソフィアで開かれたブルガリア共産党大会の冒頭、基調演説に立ったジブコフ・ブルガリア共産党第一書記兼首相は、中国指導部の分裂行動を強く批判するとともに「共産党、労働者党の国際会議開催の条件が熟したと考える」と言明した。中国の文化大革命を契機に急速に激化したソ連路線を支持する各国共産党の中国批判が高まるなかで、スーダン、エクアドルなど共産圏以外の共産党から世界党会議の開催を主張する発言が強まっているが、共産圏内部からこのように明確な形で同会議開催が提唱されたのははじめてであり、注目されている。
ブルガリア党大会には約千五百人の代議員と国外から七十か国の代表が参加しており、中国の文化大革命いらいソ連派の参集した最大の会議となった。それだけに、ソ連の温度でモスクワ派諸国が共産圏内でももっとも進歩的といわれるブルガリアを舞台に、世界党会議方式を公然と提唱し、各方面の打診をねらったのではないかとみる向きが多い。
もともとこんどのブルガリア党大会は、ソ連派諸国の中国対策のこんごを占う機会とみられていたが、果たしてソ連側からブレジネフ党書記長自身が来賓として乗り込み、その重要性はいっそう高まった形になった。
ソ連が中国対策で、世界党会議方式による中国弾がいをひそかに工作していることは、広く指摘されており、今月はじめにもスースロフ書記がフィンランドを訪問したさい、両国共産党の間で、同会議の開催こそが「効果的な形式」であることを確認し合ったばかりである。しかし、この方式に対して、北朝鮮、北ベトナム、日共からルーマニアにいたるまで、かなり根強い反対論ないし慎重論があることは周知の通りであり、さる十月の共産圏九か国首脳会議でも対中国対策については明確な路線を打ち出せなかったのが実情。
そういう事情に直面してソ連もこれを無理押しする気配はみえない。しかし、さる六日の革命記念日前夜祭における演説でペリシェ・ソ連共産党中央委政治局員が「集団的解決の方法と形式を利用しつつ、より効果的な道を発見することは疑いない」と述べたように、ソ連が中国対策で何らかの「集団的解決」を模索していることは明らかである。」
共産圏のボスのソ連とはいえ、中共を槍玉にあげるのは、一筋縄ではいかないようで、周到に根回しを進めている段階のようです。しかし、ソ連の目指す『集団的解決』とはどのような解決なのでしょうか?経済的制裁なのか、軍事的な意味も含むものなのか。
「これがアメリカだ 31 異常な犯罪に悩む あり余る時間・金 "繁栄する社会"のひずみ」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)
「この種の凶悪犯罪は、アメリカ全土に一種の"無法時代"が現出したという印象さえあるくらいだ。(中略)アトランタで二十歳の青年が、父親をコン棒でなぐったうえ、ナイフで五十回も刺して殺しているし、シカゴの看護婦七人殺し(七月)テキサス大学構内でのライフル大量殺人(八月)アリゾナで起こった十八歳の高校生による五人射殺事件(十一月)などなどが起こっている。こうした血なまぐさい「異常犯罪」の増加は、いまアメリカで大きな社会的関心の的になっている。記者の会った多くの人々は、それを"精神病者"の行動として片づけようとした。しかし問題は、それほど簡単でなかろう。(中略)
ではこのような犯罪の激増、モラルの低下の原因は、一体どこに求められるのか。答えは、さまざまであった。大多数の意見としては、家庭でのしつけの不足、離婚その他による家庭の崩壊、急速な都市集中化と"繁栄する社会"の出現があげられた。しかも、これらの要因は、互いに関連し合っているという意見が多い。
ワシントンで会った中西部の農村出身の官吏S氏は、次のように表現した。
「私の青少年時代、農村では子供たちはかならず、何か家でやるべき仕事をもっていたものです。また家庭ではかならず誠実とか能力とか、個人の尊厳が人間として大事だと教えこまれた。ところが、いまでは、だれもかれも都会に働きに出かける。過去に教えこまれた価値観は、もう都市生活では生活の指針とはならない。この新しい環境に適応できないイライラから横道にはいる。それにいまは品物と時間と金が多すぎるのですよ。犯罪、とくに青少年犯罪激増の原因はこれです」
もちろん貧困と失業、教育の不足にもとづく、社会からの疎外感、絶望感をあげる人も多い。さらに宗教の影響力の低下、テレビ、映画の暴力シーンによる一種の「暴力不感症」を指摘する人もいた。(中略)
アメリカの犯罪の激増、モラルの低下に、ひとつの違った角度から光をあてたのが、ローゼンソール氏だった。彼は記者に「三十八人の目撃者」という著書をくれた。この本は六四年三月十四日、ニューヨークのクィーンズ地区で起こった有名な"ジュノペーズ"事件を中心に、現代アメリカの病根に鋭いメスをあてたもので、いまでも各学校その他で、広く読まれている。
事件そのものは、その日の午前三時、二十八歳になるキャサリン・ジュノペーズという女が、オースチン通りのアパートに帰ろうとした時、一人の暴漢に三回にわたってナイフでおそわれ、三十五分後に死んだというありふれたもの。この事件の異常さは、犯行の場所に近い中流家庭の住民たちが、彼女の悲鳴や助けを求める声をきいたのにもかかわらず、だれ一人警察に電話しなかった---という点にある。
"三十八人の目撃者"は、あとで"こわかったから"とか"事件にまきこまれたくなかったから"とか弁解した。同氏は、この「無関心」は、ニューヨーク、東京など、大都会に共通する現象だと説明する。この無関心の原因について、いろいろな見方、たとえば精神病理学者カール・メニンジャー教授の「無関心は潜在的攻撃性のあらわれだ」との見方---を紹介して「大都市における個性の喪失、人間の疎外現象だ」と説明する。そしてこの事件を反省材料として"まきこまれたくないというササヤキを人々は常に意識していなければならない"と結論する。しかし、これは一つの問題の提起であって、解答ではない。」
未成年者の凶悪犯罪に悩むアメリカからのレポート。豊かさと貧しさが共ににゆがみの原因と考えられているところが興味深いです。アメリカは世界の最先端といいますが、やがては日本もこのような犯罪に悩まされることになるのでしょうか。
今日の殺伐
「また"異常な少年" 14歳 両親と妹を射殺」
(朝日新聞昭和41年11月15日朝刊15面)
「【ウィンザー(米ノースカロライナ州)十四日発=AP】米国ノースカロライナ州の小さな町ウッドビルで、十四歳の少年が父親、母親、妹の三人を射殺したかどで十三日、逮捕された。
この少年はロジャー・バーナード・リーで、さる五月二十八日、父親のウィリーさん(五一)、母親の
エッシーさん(四一)、妹のキャロラインちゃん(四つ)をライフルで射殺、弟のマービンちゃん(一つ)にも傷を負わせた。
警察当局は当時、少年の証言をもとに、金銭のことで口論していた母親が父親を殺した無理心中事件としてかたづけられたが、十三日改めて取調べた結果、少年は三人の殺害を認めた。
取調べにあたった保安官の話によると、少年は近くの食料品店でツケで買った品目について母親と寝室で口論し、なぐられた。そのため少年なライフルを取出して母親めがけて数発乱射して即死させたあと、隣の台所にいた父親も射殺した。彼は妹や弟を撃った覚えはないと語っているという。」
早速、米国から少年犯罪が報道が届きました。そもそも、十四歳の少年の手の届くところになぜライフルを置いておくのか、という根本的なところも気になりますが、何故四つの妹まで殺してしまったのか。家族共々自分も自殺しようと考えていたのでしょうか。
「ホットドッグ屋が乱闘 住宅街で猟銃撃つ」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)
「【厚木】十五日未明、箱根バイパスで、ドライバー相手に移動ホットドッグ屋を開いている露天商十余人が、神奈川県厚木市の市営住宅街でナワばり争いから猟銃、木刀などを使って乱闘、三人がケガをした。神奈川県警厚木署で全員を任意同行、傷害と銃砲不法所持の疑いで調べている。
十五日午前一時三十分ごろ、神奈川県厚木市の市営住宅、ホットドッグや経営N宅へ、乗用車に二台に分乗したOら七人が猟銃一丁、木刀などを持って押しかけた。N側もこのなぐり込みを予想し、Nはじめ六人が猟銃一丁と木刀などを用意して待ちうけ、双方が入り乱れて乱闘、お互いに猟銃を一発ずつ撃ちあった。乱闘は約二十分つづき、付近の人の知らせて同署員がかけつけとりしずめたが、Oが木刀でなぐられ前頭部などに約二か月のケガをしたほかNのほうも二人が足などをケガした。
同署の調べだと、Nはホットドッグ車五台を持ち、一方Oも三台を持って夏は湘南海岸、冬は箱根バイパスを中心にドライバー相手のホットドッグ屋を開いているが双方いがみあっていた。」
日本の殺伐事件ですが、こちらは伝統的なテキ屋さんの出入りという感じで、アメリカの陰惨な異常犯罪の後だと、ちょっとホッとしますね(いいのか?)。
]]>YS-11の墜落と日米の殺人事件http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3670381966-11-14T13:38:07+09:002007-05-06T04:40:31Z1966-11-14T04:38:07Z 本日は、事件・事故と血生臭いニュースが多いのですが、冒頭は宇宙開発に関して。
「宇宙遊泳・二時間九分 長時間記録を更新 ジェミニ12号のオルドリン飛行士」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)
「【ケープケネディ十三日AP=共同】ジェミニ12号のオルドリ...irrp-moment
「宇宙遊泳・二時間九分 長時間記録を更新 ジェミニ12号のオルドリン飛行士」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)
「【ケープケネディ十三日AP=共同】ジェミニ12号のオルドリン飛行士は十三日、二時間を越す宇宙遊泳を終え、船室に戻った。オルドリン飛行士の船外活動は米東部標準時十三日午前十時三十四分(日本時間十四日午前零時三十四分)から二時間九分続けられた。これは予定より十数分長く、これまでの最長記録。予定の船外活動を完全に達成したのは最近の四回の試みではオルドリン飛行士が初めてである。
オルドリン飛行士の船外滞在が予定より長引いたのはこの日早く作動しなかった宇宙船誘導装置を見守るためだった。
オルドリン飛行士が船内に戻り、ハッチが手で締められると、管制センターは「おめでとう。すばらしかった。船外活動の新記録だ」と伝えた。オルドリン飛行士は遊泳中まったく疲れたようすをみせず、最後まで上きげんだった。
【注】これまでの宇宙遊泳記録は、六月三日に打ち上げられたジェミニ9号による二時間五分。」
二時間以上も宇宙空間にいて終始上機嫌。宇宙飛行士はタフだ。
新聞斜め読み
「全日空機、松山沖で墜落 50人全員が死亡 大阪発のYS-11 着陸誤り失速 新婚旅行の十余組も」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「【松山】十三日午後八時三十二分ごろ松山空港へ着陸しようとした大阪空港午後七時十三分発の全日空下り便YS−11"オリンピア"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=が着陸地点を誤り滑走路中央部付近に接地したため、再び高度を上げ左旋回しようとして失速、空港沖二・二キロの吉田浜海上に墜落、全員が死亡した。地元消防団、海上保安庁などが協力して海上を捜索、機体の破片の一部とタイヤを発見、遺体をつぎつぎに収容した。国産機YS−11の事故は三十七年八月三十日初飛行以来、はじめてである。
同機には新婚旅行の十余組も乗っていたが、空港には乗客の家族、知人ら約三百人がつめかけ、全日空の係員に安否を問いただすなど、深夜まで空港はごった返し「やはりだめか」の声が不安に震えていた。
YS−11"オリンピア"は十三日午後七時十三分大阪空港を離陸、松山へ向かった。大阪航空保安事務所の話では、午後八時三十二分松山空港上空に到着、森機長から松山コントロールタワーに「これから着陸する」と連絡があり、同機は着陸態勢にはいり、いったん着地した。しかし正規の場合、滑走路のはしから三百メートルの地点に接地するのに同機は、それより三百メートルも行きすぎたため滑走距離が不足し、同機長から「ミス・アプローチ、海へ向かう」と連絡があったのち、消息を断った。」
今年は、航空機事故が多発していますが、この事故は今年5回目。数多くの犠牲者を出し、しかも戦後初の国産旅客機YS-11の事故だったために与えた衝撃も大きかったようです。
「有視界飛行できたはず」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「【松山】松山地万気象台松山空港分室の話では、同日朝から愛媛県下には風雨波浪注意報が出ていたが、全日空機が着陸しようとした午後八時半ごろは雲高三千フィート、視界六マイル、北北東の風三メートルで夜間有視界飛行の限度(雲高千フィート以下、視界二マイル)にはなっておらず管制塔の指示に誤りはなかったものとみられている。」
「事故当時は小雨」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「気象庁にはいった連絡によると、事故発生前の午後八時現在の四国付近の気象状況は、南東の風二・五メートル、小雨だったという。」
「機長の判断ミス?」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「【松山】松山航空保安事務所相原所長の話では「管制官は着陸の許可を与えただけで、飛行機は着地し、再び高度をあげたあと管制塔との接触が途絶えた。管制官の指示に間違いはなく、機長の判断に誤りがあったのではないか」といっている。」
まだ、機体が発見されていないので事故原因は推測にすぎませんが、操縦ミスの疑いが持たれているようです。
「"身代わり"で飛んだ機長」
(朝日新聞昭和41年11月14日朝刊15面)
「【大阪】全日空伊丹営業所の話では事故を起した松山行の第六便ははじめフレンドシップ型を使用、西野巴悦機長が飛びたつ予定だったが、この日は西日本一帯の荒天から、欠航や遅れがおよそ二十便出たうえ、乗客が多かったため、同型が使えなくなり、松山便に回せるのはYS11型だけになった。
しかし、西野機長はYS型の経験がないため、森機長が鹿児島から帰ると、折返し同機に乗るよう指示され"身代り"事故だった。」
予定外のフライトだったようですが、これも事故の原因の一つなのでしょうか?
「荒天で捜索難航 全日空機松山事故 機体の一部発見か 遺体収容、やっと二一」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊1面)
「【松山】十三日夜、松山空港沖に墜落した金日空YS−11型機"オリンピア号"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=の遺体捜索は、同夜から松山海上保安部の巡視艇をはじめ多数の船が墜落現場の海面一帯を中心に、おりからの強い風と雨の中で徹夜で続けられた。十四日夜明けからは、さらにヘリコプターなどを動員、海、空からの大がかりな捜索を続け、遺体の収容に全力をあげているが、十四日午後二時までに遺体二十一体(男七、女十四=既報二十六体は誤り)を収容、うち十六人の氏名が確認された。また巡視船"あきよし"は測深器によって、釣鳥の南約五キロの水深三十二メートルの海底で機体の一部らしいものを発見した。午前十一時、松山空港着の全日空機で運輸省航空局の松本登技術部長、楢林寿一飛行審査官、山下専門官、岡田航空機検査官が着き、直ちに滑走路などの現場検査を始めた。(中略)
現場付近の海面は、夜明けとともに雨はあがり、曇り空ながら視界はよくなったが、西一三メートルという強風が吹きつけ、うねりも二メートルを越えるという大荒れが続き、遭難直後から捜索に協力していた地元の漁船約五十隻は十四日午前二時ごろ危険を感じて引き揚げた。また水深に二三−三○メートルという深さもあって、捜索は難航している。
遭難機の破片は十四日朝までに約○・三平方メートルのジュラルミンの破片、座席三個、車輪などが発見されているが、本体はまだ確認されていない。」
夕刊の情報によると、荒天と海流の流れの速さのため、遺体の収容は難航しているようです。松山空港は新婚旅行で人気の道後温泉をひかえているためか、乗客には若いカップルが多いとのこと。犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。
「『茶の間』先生とドクター 市川篤二」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)
「われわれが昭和の初期、大学病院での修業時代に、先生と呼んだのは教授をはじめとする指導者のことで、仲間同士が先生と呼び合うことはなかった。先生と呼ばれる職業として医師は代表的なもので、歴史も長いが、いまや看護婦や病人からばかりでなく、同僚からも二人称としても三人称としても、先生と呼ばれる傾向になってきたのは、ほかに都合のよい日本語がないからであろうか。アメリカの場合、ドクターの称号を持っている人をドクターと呼ぶことにだれも抵抗を感じないようだし、またドクターの称号を持つ人の多くが医師であるから、二人称でも三人称でもドクターを用いることは医師の場合まことに都合がよい。
戦後のわが国は何ごとによらずアメリカの影響を受け、あれほどドイツ流であった医学畑も例外ではない。アメリカで研究して来た医師、アメリカを見て来た医師の数も相当なものである。そこでアメリカ式の呼び方がわが国に伝わり、ドクターの代わりに先生と呼び合うようになったと考えれば、まんざらわからない現象ではないけれども自分の指導した医師を三人称ではとにかく、二人称で先生と呼ぶことにいささか抵抗を感ずるのは私ばかりではなさそうである。(後略)(国立東京第一病院長・東大名誉教授)」
ちょっと興味をひくエッセイがあったので紹介します。大学病院などで、医者同士がお互いを『先生』と呼んでいるようですが、これは戦後の風習だったんですね。筆者も書かれていますが、自分が教えた弟子まで『先生』と呼ぶのは違和感があるでしょうね。
今日の殺伐
「七人を寝せて撃ち込む 米国の五人射殺」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊14面)
「【ニューヨーク十三日波多野特派員】十八才の高校生が「有名になりたい」という単純な動機から、子供を含む女性五人をピストルで射殺し、ほか二人に重傷を負わせるという事件が十二日、米国南部アリゾナ州の田舎都市メーサで起こった。犯人はロバート・スミスという高校三年生の少年で、事件直後、警官に逮捕されたが、罪の意識を持たず、声をたてて笑いながら警察に連行されていったという。
警察の調べによると、スミスは十二日午前六時半に起き、自宅から二・五キロのところにある同市ローズ・マー美容学校を襲った。
校内にはいったスミスはまず大きな鏡めがけて二二口径のピストルを一発発射、そこにいた子供を含む女性七人を全部後ろの部屋に押しこめた。
このあとスミスは女性たちを床の上にうつぶせに頭を中心に向けて放射状に寝かせ、頭にピストルを二発ずつ撃ちこんだ。殺されたのは二十七才の母親とその三才になる女の子、三人のティーンエージャーの女性である。ほかに十八才の女性と六ヵ月の赤ん坊も撃たれ病院にかつぎこまれたが重体。
殺されたのは、ジョイス・セラーズさん(二七)とその娘のデブラちゃん(三つ)メアリー・オルソンさん(一八)グレーンダ・カータ!さん(一八)キャロル・ファーマーさん(一九)重傷はタマラちゃん(生後六ヵ月。セラーズさんの娘)とスージー・ハリスさん(一八)。」
「18歳のまじめ高校生 米国の大量殺人 三ヵ月前から計画」
(日本経済新聞昭和41年11月14日朝刊15面)
「【メーサ(米アリゾナ州)十二日AP】十二日米アリゾナ州メーサ市の美容学校で十八歳の少年が二人の幼児を含む七人の婦女子を床のうえにうつぶせに円型に寝かせ、次々と頭部にピストルを撃ち込み、三歳の女の子とその母親ら五人は死亡、残る二人は重傷を負った。犯人は現場でかけつけた警官に抵抗せず逮捕された。
犯人は、ロバート・E・スミスというまじめな高校生。調べによるとスミスはテキサス大学の乱射事件などに刺激され、三カ月前、射撃練習用にご両親からピストルリを買ってもらっていらい、大量殺人を計画していたという。犯行は床に無抵抗に横たわる女性にピストルを撃ち込むという残忍さで、いうことを聞かず走り回っていた三歳の女の子はナイフで刺し殺す非情ぶりだったという。」
「犯人は18歳の高校生 アリゾナの五人射殺 "シカゴ事件まねた"」
(読売新聞昭和41年11月14日朝刊14面)
「【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】十二日朝、当地の美容学校にはいり、婦女子七人を頭を中心に放射状に、うつぶせに寝かせてピストルで撃ち、五人を殺した犯人は、ロバート・ベンジャミン・スミスという十八歳の高校生だった。現場で逮捕されたスミスは警察に「シカゴやテキサス大学の大量殺人事件から思いついてやったのだ」と語った。
スミスは、三年半前ミズーリ州のヒューストンからメーサに引っ越してきたが、これまでメーサ高校で問題を起こしたこともなかった。しかし、三か月前、射撃練習をするからと両親から○・二二口径のピストルを買ってもらい、大量殺人を計画していたという。
【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】美容学校殺人事件の犯人スミス少年について、ことし同じ高校を卒業した近所のサンドラ・ハズラップさんは「彼はよい生徒で、学業成績も平均点のようだった。いつも通りすぎるとき、微笑するが、非常におとなしく"ハロー"とあいさつするくらいで、それ以上のことは口にしなかった」と語った。また他の生徒も「孤独癖の方で、他の友だちとかけっこしているのを見たことがない」といっている。」
昨日一報があった、米国の高校生による大量殺人の続報。三紙ともAP配信のニュースですが、内容が異なるので全て紹介しておきます。読売の記事で『よい生徒で、学業成績も平均点』『孤独癖』と犯人のプロフィールを紹介しているのが気になります。
「強盗、帰宅の主人殺す 逗子 妻や警官も切り逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊7面)
「【鎌倉】十四日午前二時ごろ、神奈川県逗子市沼間、バー"りすぼん”経営、桜木陽一さん(三一)が約百メートル離れたバーから帰宅、裏口からはいろうとしたところ、室内に侵入していた覆面の若い男に柳刃包丁で胸、背中など五ヵ所を刺され即死した。
男はさらに六畳間に寝ていた陽一さんの妻、富子さん(三六)に切りつけ、右腰に二週間のけがを負わせ、持って来た麻ナワで長男の博文ちゃん(一つ)を抱いた富子さんの両手、足をしばり「五万円出せ」とおどした。富子さんが手さげ金庫を差し出すと、中から三千余円を奪い「ママを殺さないで」とふるえる長女の千鶴子ちゃん(七つ)に「あとでママのなわをほどいてやれ」といい残して逃げた。
陽一さんの悲鳴で気づいた妹の睦美さん(ニニ)が勝手ロから逃げ出し、約五十メートル離れた国鉄横須賀線東逗子駅前の公衆電話から逗子署へ一一○番し、一宝一成(いっぽう・かずなり)警部補(三六)ら三警官が同家前で逃げる男と出会った。
男は柳刃包丁を振りかざして三警官に切りかかり、同署外勤係、三浦昂巡査(一九)の左足を突き刺し、六ヵ月の重傷を負わせた。また、そばにいた睦美さんの右腕にも三ヵ月の重傷を負わせて逃げたが、一宝警部補と中田保夫巡査(四二)が追跡、約七十メートル先で追いついた。格闘となったが、男は「もうやめた」と包丁を投げ出し同二時二十五分に逮捕された。
横浜市戸塚区、宮沢熊一(二九)で「前日に北海道から上京したペンフレンドの女性とつき合う金がほしかった。駅前の東逗子駅前郵便局にはいろうとしたが、桜木さん方の木戸があいていたので、郵便局のおもやと思って侵入した」と自供した。
ゴム手袋と麻ナワ、地下タビの"強盗スタイル"で、これまでも傷害、詐欺、放火など前科八犯の前歴がある。
現場は国電横須賀線東逗子駅前広場の一画で、住宅、商店が立ち並ぶ静かなところ。四つ角に東逗子駅前郵便局があり、桜木さん方はむねつづきになっている。
桜木富子さんの話 主人のうめき声で目をさますと勝手口に倒れた主人のそばに男が立っていた。主人が殺されたうえ、子供までおどされ、生きた心地はなかった。」
日本でも残忍な事件があったようですが、こちらは典型的な押し込み強盗。気丈な妹さんのおかげで、犯人がすぐに捕まったところが一抹の救いですね。
「大阪の川に首なし死体」
(朝日新聞昭和41年11月14日夕刊11面)
「【大阪】十三日朝、大阪・新淀川で、ビニールに包まれた首のない女の死体が見つかった。大阪府警捜査一課は殺人事件と断定、大阪水上署に捜査本部を置いた。
同日午前八時ごろ、大阪市此花区伝法町の新淀川にかかる第二阪神国道新伝法大橋架橋工事現場で、作業員が川の中央付近にビニールの包みが流れているのを、見つけた。包みから首を鋭利な刃物で切取られた若い女の死体が出て来た。
同捜査本部の調べでは死体は首のつけ根から約二センチ上のあたりから切取られ、体をエビのように折りまげられて包んであった。」
もう一つ猟奇的な事件。淀川に首無し死体が浮かんでいたとのこと。朝日新聞のこの記事では、架橋工事の作業員が発見したとなっていますが、同日の日経の記事では貸し船業の方が発見したと書かれていました。
不審な包みを見つけて開けてみたらバラバラ殺人の遺体だった、と警察に届け出る発見者が時折いらっしゃいますが、包みを開けたときは心臓が止まる思いでしょうね。
]]>米でまたも大量殺人事件--犯人は16歳http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3440411966-11-13T01:34:40+09:002007-04-10T16:49:41Z1966-11-12T16:34:40Z 観光名所で有名なナイアガラの滝ですが、一時その流れが止まるそうです。
「ナイヤガラの滝を健康診断 一部せき止め、浸食の岩盤調べる」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊3面)
「【ナイヤガラ(米ニューヨーク州)十一日UPI】"ナイヤガラをせき止める"という初の...irrp-moment
「ナイヤガラの滝を健康診断 一部せき止め、浸食の岩盤調べる」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊3面)
「【ナイヤガラ(米ニューヨーク州)十一日UPI】"ナイヤガラをせき止める"という初の大作業が、十一日夜から始まった。作業担当の米陸軍工兵隊の計画では滝の米国側の流量を四分の一に減らし、浸食された岩盤を調査する。
ナイヤガラの滝は、カナダ滝(幅約三百メートル、高さ約五十三銃メートル)と、アメリカ滝(幅約八百メートル、高さ約三十五メートル)に分かれるが、水勢で周囲の石炭石層の岩ハダは削られ、滝口も毎年一・二−一・五メートルも後退している。
作業は、まず滝口から上流約一・六キロの分流堤でアメリカ滝への流量を押える一方、ニューヨーク州当局やオンタリオ水力発電所の協力で水をポンプで吸い上げ、滝下のダムへ落とし込む。
この結果、十二日朝までにアメリカ滝の流量は冬季平均の毎秒約八千立方フィートから約二千立方フィートに減水、岩盤調査班は直ちに活動を開始した。作業は六時間で終わり、ナイヤガラの体資改善のための報告書は来年初めまでにまとめられる。なお、この費用はしめて五万ドル(約千八百万円)という。」
6時間の調査のために、ナイアガラをせき止めようと考えるところがさすがアメリカ。しかし、岩盤を調査したところで、水量を減らさずに滝の後退を防ぐ手段ってあるんですかね?
新聞斜め読み
「兵士20人が死亡 北京でニセ紅衛兵と衝突 ハンガリー通信が報道」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊3面)
「【ブダペスト十二日AFP】国営ハンガリー通信北京特派員が十二日伝えたところによると、北京駐とん躍兵士と紅衛兵が衝突し、二十人の兵士が死亡した。
北京の中国共産党中央委付近に張りだされた壁新聞は"ニセの紅衛兵"が中共軍部隊に挑発、二十人の兵士が死去したと述べ、ニセ紅衛兵を非難している。なおこれまで、新彊ウルムチ自治区でも、同様の事件が起こっている。」
中共公式には『ニセ紅衛兵』といっているようですが、『ニセ紅衛兵』というより『盛り上がりすぎて党の力では制御不能なまでに先鋭化してしまった紅衛兵』というほうが正しいのでは?
「国学院大で学生百人が乱闘 自治会の運営で対立」
(朝日新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「国学院大学講堂入口で、十二日午前十一時ごろ学生自治会、文化団体連合会の学生が学生総会を開く準備をしていたところ、これを止めさせようと体育団体連合会の学生が押しかけ、双方約百人が衝突、自治会側の細井幸夫委員長(二四)ら三人が頭などに二週間のケガをした。体連の学生は講堂内にすわりこんだので、自治会側は場所を百五番教室に変えたが、ここにも体連の学生が来て乱闘となり、自治会側の四人がそれぞれ一週間のケガをした。総会は流会となった。
大学側や学生双方の話によると、学生総会は自治会、文連、体連からそれぞれ代議員を出して運営することになっているが、これまでも前二者と体連との間で意見の食違いがあり、対立していた。六月末に行われた前期の総会では、体連が出席しないままに「体連の民主化」「体連幹部の交代」を決議するなど、学生の自治組織の中で体連は孤立していた。(中略)
渋谷署は七人のケガ人が出たこの事件について告訴がなければ捜査しないといっている。」
中共では、ニセ紅衛兵VS人民解放軍で20人が犠牲になっていましたが、ひるがえって我が国では体連VS自治会の争い。いや、日本はまだまだ平和でよろしい。
「みごと悪書追放 読まない、見せない、売らない 返本ふえて左前に 青少年育成審議会調査 すでに二誌は廃・休刊」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊16面)
「警視庁は都の青少年健全育成審議会と協力、四月から"読まない、見せない、売らない〃の悪書追放「三ない運動」を進めているが、この運動の高まりで、いままでセックス記事を売りものにしていた二つの雑誌が八月号から廃、休刊したほか、五つの雑誌も返本が多くて経営が苦しくなっていることが同審議会の調べでわかった。同庁は"読まない"人と"売らない"書店がふえた結果とみて、今後さらに運動を盛り上げる。
青少年健全育成審議会の調査は同審議会が最近、日本出版販売会社など大手取次店五社と協力、かつて青少年健全育成条例で不良出版物と指定した雑誌について、一月から六月までの仕入れ、返本状況を調べたもの。それによると「百万人のカメラ」=新風社、中央区=が八月号から廃刊「ユーモアグラフ」=パンフォトプレス、港区=が八月号から休刊した。
また「紳士専科」=辰見書房、千代田区=「女の手帳」=手帳社、中央区=「カメラアイ」=浪速書房、三鷹=「夫婦生活」=手帳社=「百万人のよる」=新風社=の五誌が、この運動が起きた四月以降の三ヵ月は月平均約五四・三パーセントの返本率で、運動前三ヵ月平均より一〇パーセント多くなっていた。
なかでも「カメラアイ」は四月以降六九・六パーセントの返本率で、その前より一六・四パーセント増。そのうえ、これら出版社は取次店から小売店への取次手数料、小売店から取次店への返本手数料のダブルパンチで経費がかさむため、経営が苦しくなっているという。
さらに不良出版物シャットアウトのムードは販売業界にも広がっている。鉄道弘済会が仕入れ審議会で事前審査をし、五月警視庁がわいせつ物として摘発したある週刊誌の翌々号の販売を取り扱わなかった。また街頭、駅のスタンドから不良出版物を締め出す東京都新聞即売委員会は七月、各出版社の編集責任者に「審議会から三回以上"編集上注意"を受けた出版物は、一時スタンドでの販売を中止する」と申し入れた。
このような業界の自主規制ムードをさらに高めるため、同審議会と警視庁は出版、書籍販売団体にいっそうの協力を求める一方、団休に所属しないで不良出版物を発行している"アウトサイダー"には、実態解明と協力要請の両面作戦で雑誌の健全化を進めるようにしていくという。」
『紳士専科』『夫婦生活』『百万人のよる』---味わいのあるタイトルじゃないですか。戦後すぐの、いわゆるカストリ雑誌の雰囲気のある標題。確かに『不良出版物』なんでしょうけれど、当局の締め付けの結果、取次手数料と返本手数料のダブルパンチで経営が苦しくなるなんてのも、ちょっと切ない話です。
今日の殺伐
「同じ電車で連続自殺」
(朝日新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「【鎌倉】十二日夜、国鉄横須賀線の久里浜発東京行の同じ電車で、二十分ほどの間に飛込みと飛降りの自殺がつづいた。
午後八時五十分ごろ鎌倉市扇ケ谷の同線警報機付踏切で、同所二九一駐留軍要員青柳一雄さん(五七)が、久里浜発東京行電車(十五両編成)にひかれ、即死した。
鎌倉署の調べでは、青柳さんは日ごろノイローゼ気味で飛込み自殺らしい。
同電車はこの事故で北鎌倉駅を八分遅れて発車したが、間もなく同九時十分ごろ、同駅と大船駅間の明月院踏切付近で、中年の男が同電車の窓から飛降り、すれ違った東京発久里浜行下り電車(十五両編成)にはねられ即死した。」
ちょっと怪談めいた話。二番目に自殺した男は、最初の自殺の際には車内にいたんでしょうか?緊急停車中に死に神が最初の自殺者から二番目の男に乗り移ったかのような感も...。それとも、二番目の男もはじめから自殺するつもりだったけれども、『チクショー先を越された』とばかりに後を追ったんでしょうか。飛び込み自殺があってから電車の窓から飛び降りるの間、二番目の男の胸に去来するものは何だったのでしょう。
「少女五人を並べ射殺 米国 少年が美容学校で」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「【メッサ(米アリゾナ州)十二日UPI、AFP】十二日、メッサ市の警察当局の発表によれば、同日十六才の少年が同市の美容学校の教室に侵入、五人の少女を射殺した。同少年は教室内にいた七人の女生徒に輪になって床に寝ろと命令し、一人ずつ頭部にピストルをうちこんだ。このため二人は即死、三人は病院にかつぎこまれて死亡、二人は重傷を負った。同少年はロバート・スミスと名乗っているが、犯行の動機は明らかでない。」
「またアメリカで惨劇 少女ら五人を射殺 美容学校で16歳の少年 アリゾナ州」
(読売新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】十六歳の少年が十二日当地の美容学校の床に七人の女性と少女たちを並べてから、そのうち母親を含む五人をピストルで射殺した。犯人の少年は当地に住むロバート・E・スミスと警察当局はいっており、現場で逮捕された。目撃者たちによると、警察の車で連行されながら犯人は声をあげて笑っていたという。
殺された五人のうちの母親は母親が二十七歳、娘は三歳半である。この母親のもうひとりの三カ月の娘は直ちに病院に運ばれたが重体、また美容学校の職員一人も重体である。
死んだ五人のうち二人は床の上で、他の三人は病院に運ばれてから死んだ。
目撃者が当局に語ったところによると、犯人は被害者たちを、頭を中心に円形にうつ向きに床にならばせ、その外周をまわりながら二二口径のピストルで一人一人頭に撃ち込んでいったという。学校の所有者トム・フリーストン氏は「ゾッとする光景だった」と語った。
【注】アメリカではことしになって、七月十四日シカゴで二十五歳の青年が看護婦八人を惨殺した事件、さらに八月一日にはテキサス大学構内で二十四歳の学生がライフルで四十六人を殺傷するという事件が続発しているが、今回の事件は、その凶悪さとともに、犯人が十六歳の少年であることで、さらに新たな問題となろう。」
毎日新聞は第一報のみ。読売新聞はもう少し詳しい内容となっています。日本も今年は殺人事件が殖えましたが、アメリカの異常犯罪の多さは不気味ですね。テキサスタワー事件だけでも驚愕に値する事件ですが、大量殺人事件が一年間にこれだけ起きるなんて、一体どうしてしまったんでしょうか。
]]>ジェミニ12号の成功と近鉄特急の失敗http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3273201966-11-12T22:46:23+09:002007-03-25T13:48:00Z1966-11-12T13:46:23Z 停電時の電気製品のスイッチにはご注意ください。
「留守中に停電解除、火事に 電気ガマ消し忘れ」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊10面)
「十二日午前九時五十分ごろ、東京葛飾区、東京ドラムカン会社寮の同社員、Kさん(六一)方六畳間から出火、同木造平...irrp-moment
「留守中に停電解除、火事に 電気ガマ消し忘れ」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊10面)
「十二日午前九時五十分ごろ、東京葛飾区、東京ドラムカン会社寮の同社員、Kさん(六一)方六畳間から出火、同木造平屋建一一○平方メートルを全焼、八世帯、二十六人が焼け出された。本田署の調べによると、Kさんはこの朝、電気ガマにスイッチを入れた直後に停電になったので、スイッチを切らずに出勤したため、停電が復旧したあと旧式の電気ガマが加熱したらしい。」
停電が以前に比べると少なくなったためか、いざ電気が止まるとどうしたらいいか困ってしまいますね。停電中に外出される時は、特に気をつけて。
新聞斜め読み
「三周目ドッキング ジェミニ12号 目測で達成 自動追尾装置が不調」
(日本経済新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「【ケープケネディ十一日AP】米国の二人乗り衛星船ジェミニ12号(飛行士ジェームズ・ラべル海軍大佐、エドウィン・アルドリン空軍少佐)は米東部標準時十一日午後三時四十七分(日本時間十二日午前五時四十七分)、ケープケネディ基地から打ち上げられ、軌道三周目の同日午険八時(日本時間十二日午前十時)西太平洋上空で先発のアジェナ衛星との第一回のドッキング(宇宙結合)に成功した。
この日はまずジェミニ12号のドッキングの標的となるアジェナ衛星が午後二時八分(日本時間十二日午前四時八分)に発射され、一時間四十分後に12号が基地を出発、順調に飛行を続けた。だが、12号がアジェナを追跡する体制にはいってからレーダーの自動追尾装置に障害が生じ、結局飛行士の目測をたよりにしてインド洋上空でランデブー(宇宙会合)、次いでドッキングを達成したもの。」
「ジェミニ計画仕上げ 次は"アポロ" 年末にも三人乗り」
(日本経済新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「米国のジェミニ12号は現地時間の十一日午後、予定より四十八時間遅れて四日間にわたる宇宙飛行へ出発、第一の目的であるドッキングに成功した。一九六五年三月、一人乗り衛星船マーキュリーのあとを受けて最初の二人乗り衛星船ジェミニ3号(1、2号は無人)が打ち上げられて以来ちょうど十回目。総計十三億ドルを投入したジェミニ計画はこれをもって終了、本年末か来年早々に第一回の有人打ち上げを行なう三人乗り宇宙船のアポロ計画にバトンタッチする。(中略)
今回の実験で特に重点が置かれているのはドッキングと遊泳である。11号の際は地上ステーションから指令を受けていたのに対して、12号は船内の電算機とレーダーをたよりに自力で早期ドッキングを遂行する点に特色がある。」
人を月に送り込むにあたって、最も難しいのは月から人間を回収することのようですが、宇宙空間での宇宙船のドッキングは、この回収作業で必要不可欠な技術。月への着陸船は、月上空で地球へ帰還する宇宙船とドッキングし、乗員はその宇宙船に乗り換えて地球に戻る仕掛けとか。今度のジェミニ12号での実験で、そのメドがたったんでしょうか。宇宙開発競争から目が離せません。
「国連日本代表も見学」
(日本経済新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「【ケープケネディ十一日UPI】ジェミニ12号の発射にさいして米国はゴールドバーグ国連大使名で国連宇宙平和利用委員会の二十八力国に招待状を送った。ソ連はこれに応じなかったが、ポーランド、ルーマニアの共産圏諸国をはじめ二十力国が打ち上げを見学、日本代表も参加した。」
そのジェミニ12号の発射について、国際的な宣伝になると米国は各国の国連代表を招いたようで、日本代表も見学したそうです。宇宙開発でもライバルのソ連の代表が、意地を張って見に来なかったのは、いかにもという感じですが、共産圏の国で見学したところもあったのが驚き。ルーマニアは元々ソ連と少し間をとる傾向があるのでさもありなんという感じですが、ポーランドも見学したのは何かあるんでしょうか?
「近鉄特急、準急に追突 大阪府国分駅 死者一、負傷一七五 運転士の信号誤認か」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「【大阪】十二日午前八時三十二分、大阪府柏原市国分、近鉄大阪線国分駅構内で、下り大阪上本町発宇治山田行き特急電車=六両編成、乗客約三百人=が同特急通過待ちのため一番線で待機中の上本町発名張(三重)行き準急電車=三両編成、乗客約二百人=に追突、特急の運転席が準急の最後部の車掌室に約一メートルもめり込みつぶれたうえ、特急の最前部一両と準急後部一両が脱線した。特急には週末の行楽客が乗っていたが、この事故で特急の森川運転士が即死したほか、負傷者百七十五人(重傷四十一人、軽傷百三十四人)を出した。ポイント(信号と連動)が特急が通過するように切り替えておらず、特急運転士の信号誤認が原因とみられる。
府警、柏原署などの調べでは同駅午前八時二十五分着予定の上本町発国分行き普通電車がこの朝は二分遅れて着き、いったんホームを出、切り替え線を通って反対側の上り四番線へはいり、上本町行き普通電車になるはずだった。しかし着時間が遅れたことから、ポイント切り替え作業が遅れ、同三十分に通過するはずの特急用二番線がまだふさがれ、一番線側へはいる状態のままだった。
同駅の信号手の話では、駅舎内にある軽電連動装置には特急通過のとき同駅ポイントから約百五十メートル大阪寄りの場内信号が赤、さらに同信号から約八百メートル大阪に寄った信号は黄色の表示になっていた。しかし同特急は構内にはいるまでほとんどスピードを落としておらず、赤信号付近でけたたましい警笛を鳴らしながら急プレーキをかけたという。
同駅の中田好雄駅長(五四)は「ポイントと信号は連動になっているので、後続電車が二番ホームを通過するようにポイントを切り替えなければ信号は"赤"になっているはず。ポイントは国分駅の信号係員が切り替えることになっており、私がたずねたところではまだ切り替えていなかった。特急の信号無視でないか」といっている。同線は午前十一時すぎ上下線とも平常運転に戻った。
現場は国道二十五号線のすぐ近くで、マヒしやすい同国道はこの事故で完全にストップ、東行きは一時約四キロにわたって車が立往生した。」
朝のラッシュ時の事故で、原因の一つとして過密ダイヤも考えられるとのこと。直接の原因は、特急の信号無視のようですが、直前の普通電車の入れ替えが遅れたことも間接的には要因になったものと思われます。おそらくATS装置があれば事故は防げたと思われるのですが...。
今日の殺伐
「面白半分に万引き 女子大生 五人のグループ」
(朝日新聞昭和41年11月12日朝刊15面)
「盗みのスリルを楽しむため、百貨店、洋品店などから衣類、アクセサリーを万引していた東京・千代田区内の私立女子大二年生のグループ五人が十一日午後、渋谷署に万引の現行犯で補導された。
都内と調布市に住む十九歳二人、二十歳三人のグループで、調ベによると、このうち二人が同日午後一時ごろ渋谷の東横百貨店アクセサリー売場で、ブローチ、ツメ切りセットなど四点二千二百円相当を万引、さらにここを出たあと、ほかの三人が同店近くの東亜百貨店四階売場でブラウス、セーター、洋ガサなど五点約六千円相当を盗んだ。
五人のそぶりがおかしいので、東亜百貨店の店員があとをつけて渋谷署の渋谷駅前派出所に連絡、署員が調べたところ、カバンやハンドバッグから盗んだ品物が出てきた。
五人は同級生で、この夏その一人が母親と新宿の百貨店に買物に行った際、店員がおしゃベりに夢中になって呼んでもなかなか来なかったことから「あんなにスキがあるなら、盗むのは簡単だ」とほ
かの四人を誘い込んだのがきっかけ。
五人は学校の帰りに渋谷をはじめ銀座、新宿などの百賀店、洋品店に連れ立って出かけ、九月三十日から補導されるまでに六回にわたって、衣類やアクセサリーなど十五点一万数千円相当を万引し、"獲物自慢"をしていたという。
五人の家庭はいずれも中流以上で、それぞれ「盗むのがおもしろくてやった」と自供しており、盗品は自宅にかくしていた。」
とんだ女子大生もあったもんですねぇ。『あんなにスキがあるなら、盗むのは簡単だ』ったって、実行しなくてもよさそうなもんですけど。その実行力を他のところに生かしてくれれば...。
「少女の黒髪ばっさり 朝の総武線、カミソリで」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊10面)
「十二日午前八時二十分ごろ、国電秋葉原駅から総武線中野行き電車に乗った浦和市文蔵九〇、事務員、藤本よし子さん(一七)は、発車して間もなく、三つ編みにして背にたらした長さ一・三メートルの髪の先四〇センチがカミソリらしいもので切られているのに気づき、水道橋駅で下車、東京鉄道公安室に届け出た。藤木さんは飯田橋の会社に出勤する途中だった。
朝のラッシュ時で車内はかなりこんでいたが、身動きできないほどではなかった。
小学校五年のときからのばしはじめたという自慢の髪を切られた藤木さんは「ラッシュの車内で他の人にじゃまになってはいけないと、いっもは髪を手でかかえるようにして乗っていたのに、きょうはたらしたままにしていました。車内で切られたのに気付き、まわりを見回すと若い男がニヤニヤしていましたが、犯人かどうかわからないのでどうすることもできませんでした」といっていた。
同公安室管内では、今月にはいって国電内で二件のスカート切りがあったが、髪を切られたのははじめて。」
髪の毛40センチも切られれば、周辺は髪だらけになって乗客も気づきそうなもんですが、カミソリを持ってニヤニヤしている若い男が恐ろしくて手出しできなかったんでしょうか。満員電車でカミソリを振り回される恐怖は分からんでもないですがねぇ。
]]>年賀はがき狂奏曲http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3141641966-11-11T10:44:27+09:002007-03-17T01:45:57Z1966-11-11T01:44:27Z 原潜の事故について報道がありました。
「米原子力潜艦ノーチラスが衝突」
(毎日新聞昭和41年11月11日夕刊2面)
「【ノーフォーク(米バージニア州)十日UPI】米海軍が十日明らかにしたところによると、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号は同日午前九時四十五分...irrp-moment
「米原子力潜艦ノーチラスが衝突」
(毎日新聞昭和41年11月11日夕刊2面)
「【ノーフォーク(米バージニア州)十日UPI】米海軍が十日明らかにしたところによると、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号は同日午前九時四十五分(日本時間午後九時四十五分)ノース・カロライナ州モアヘッド市東方五百八十キロの大西洋で潜航、対潜水艦戦演習に参加中、空母エセックス号(二万七千トン)と衝突、乗組員一人が軽傷(腕に骨折の疑い)を負った。ノーチラス号は展望塔に大きな損害を受けたがエセックス号に損害はなかった模様。」
比較的軽微な事故だったようです。しかし、実用化されて十数年、いまだに秘密のベールに隠されている原子力潜水艦ですから、ほんとうはもっと深刻な事故が起こっているのかも。ソ連製なんてヤバい事故も陰で起こっているんじゃないでしょうか?
新聞斜め読み
「連日の紅衛兵接見 毛主席」
(毎日新聞昭和41年11月11日夕刊2面)
「【北京十一日高田特派員】毛沢東中国共産党主席は十一日、前日にひきつづき全国から北京に集まった紅衛兵を「接見」した。これは八月十八日以来、八回目の「接見」だが、こんどは十月十八日の五回目のやり方---紅衛兵を天安門広場から飛行場に向かう大通りの両側に並ばせて、毛主席以下の指導者がオーブン・カーで「閲兵」する---がとられた。
北京では十二日にも「接見」が行なわれるうわさもある。」
前回は紅衛兵をトラックに乗せてましたが、今度は逆に毛主席が車にのって移動。いろんなやり方を試していますねぇ。いっそのこと毛主席は車にのり、紅衛兵がトラックにのってお互いに対向車線をすれ違いさせれば閲兵もあっという間に終わって効率的でしょうに。
「年賀はがき 値上げ気にせず 徹夜組も出現 でも「寄付つき」は敬遠」
(日本経済新聞昭和41年11月11日夕刊7面)
「ことしもあと五十日あまりとなった十一日朝、全国各郵便局の窓口で郵政省のお年玉つき年賀はがきの売り出しがいっせいに始まった。発売枚数は全国で十三億枚。
東京駅前の東京中央郵便局正面玄関では前夜の午後十一時、大学生四人組が一番乗り。電車が動き出すとあたふた駆けつけるサラリーマンやオフィスガールがあとを断たず、売り出し開始の午前八時には千五百人ほどが三百メートルの長い列をつくった。季節はずれの暖かい日が続いているといっても夜明けの冷え込みはやはりきびしく路上に立ち続ける人たちはコートのエリを立ててブルブル。局員も昨年以上の出だしに「八時前の行列組は一人四千枚、以後半分」の枚数制限をあわててアナウンス。
しかし昨年四円と五円のはがきは五分五分の売れ行きだったがことしはさすがに七円のものが圧倒的に人気があった。
郵政省の調べでは、この日は午前十時現在全国主要郵便局三十五局で、七千三百万枚のうち、四五%にあたる三千三百三十万枚が売られた。売れ行きぐあいは昨年なみ。東京中央郵便局では七円はがきが六百十万枚(売りさばき率六七%)、八円はがき二百二十万枚(二七%)と寄付金つきの方は売れ行きが相当悪い。また大阪中央郵便局では、この傾向がさらに強く七円二百五十万枚(八九%)、八円五十万枚(一七%)となっている。」
今年の7月1日に五円から七円に値上げになったハガキですが、年賀ハガキは相変わらず人気がありますな。『一人四千枚』の販売制限とのことですが、制限枚数が多いような。個人使用でなく、会社から顧客に配布するのに使うのでしょうか?あるいは図柄を印刷して転売するのかもしれませんな。一円の寄付で特に大阪の八円ハガキの売上げが極端に落ちているのが面白い。県民性・府民性ってやつですか。
「43年にはやめたい 年賀はがき 郵政相語る」
(日本経済新聞昭和41年11月11日夕刊7面)
「新谷郵政相は十一日、閣議後の記者会見で「お年玉つき年賀はがきはこの際、できれは廃止する方向で再検討する必要がある」と語った。
ここ数年の年賀はがき売り出し状況をみると、前の日から泊まり込みで行列をつくるなど異常な状態が続いているだけでなく賞品が国民にどの程度喜ばれているか疑問があるなどの点から、新谷郵政相は「私としてはできれば四十三年からでも廃止したい気持ちだ」と語ったもの。」
あまりの年賀はがき人気に恐れをなしたのか、郵政相からこんな言葉が。"年のはじめの運だめし"でお年玉はがきに人気が出るのも分かりますが、あんまり混乱が続くようなら止めるのも手でしょうね。
今日の殺伐
「"ふとんむし"で死なせ 女子二人に罪きせる 和歌山 慰安旅行の農協捜査」
(読売新聞昭和41年11月11日朝刊1面)
「【湯浅=和歌山県】農協職員が慰安旅行先の温泉旅館で悪ふざけのすえ、女子職員をふとんむしにして死なせ若い女子職員だけに罪をかぶせていた事件があり、和歌山県湯浅署で十一日から再捜査する。
同県有田郡金屋町農協のT経済課長(五一)ら職員二十九人(うち女子十八人)は、さる四日、一泊二日の慰安旅行で岐阜県下呂温泉「K旅館」へ出かけた。宴会のあとの同日午後十一時ごろから女子職員たちの部屋で"ふとんむし遊び"が始まったが、同農協石垣支所金融係、M子さん(三六)が、強く押さえつけられて首の骨を折り、近くの温泉病院へ収容された。
翌五日、病院から連絡をうけた岐阜県萩原署は"ふとんむし遊び"に加わった者に出頭を求めたが、出頭したのはA子さん(二○)とB子さん(一八)の二人だけで「二人でやった」と供述。一方、M子さんは容体が悪化して十日午前七時ごろ死亡した。
事態を重視したK組合長が、T課長はじめA子さんらに事情をきいた結果、ふとんむしに加わったことを認めたのが二人だけだったため、T課長が「二人だけでやったことにしてほしい」と頼んだこと、当時は豆電球だけで暗く、顔ははっきりしなかったが男子職員もまじえた五、六人で、ふとんむしにしたM子さんを押えつけたこともわかった。このため萩原署から連絡をうけた湯浅署も、過失致死事件として改めて捜査することになり、十一日朝から関係者の取り調べを始める」
男性職員には家族も子供あるんだ、だから君たち女の子だけで罪を被ってくれないか---みたいな言葉で説得したんでしょうか。後味の悪いイヤな事件ですね。
]]>米中間選挙続報と"黒い霧"自殺http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3059741966-11-10T02:01:21+09:002007-03-06T17:06:09Z1966-11-09T17:01:21Z 宇宙開発といえばロケットが頭に浮かびますが、気球を用いた宇宙観測実験が行われました。
「七・六トンの自動ステーション ソ連が気球で上げる」
(毎日新聞昭和41年11月10日夕刊2面)
「【RP九日東京】九日のモスクワ放送は、ソ連でこのほど重さ七千六百キロ...irrp-moment
「七・六トンの自動ステーション ソ連が気球で上げる」
(毎日新聞昭和41年11月10日夕刊2面)
「【RP九日東京】九日のモスクワ放送は、ソ連でこのほど重さ七千六百キロの高空用自動ステーションを装備した気球を約二十キロの高度に上げて調査を行なう実験に成功したとつぎのように報じた。
一、ソ連では興味深く複雑な実験がこのほど成功裏に完了した。九日前、重量七千六百キロの高空用自動ステーションを装備した気球が飛ばされた。天文学用の総合的機器を備えたこのステーションは、約二十キロの高度に上げられた。このような実験は世界で最初のものである。
一、ステーションには望遠鏡、太陽撮影用の機器が装備されていた。飛行の全期間を通じて望遠鏡の全装置、テレビ、テレメーター装置は正常に作動した。」
7トンを越える機器を2万メートルまで上げたんですから、大した気球ですね。武器への転用も何か考えているのでしょうか。
新聞斜め読み
「米中間選挙結果 ジョンソン路線に試練 民主党、優位は動かず」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊1面)
「【ワシントン九日関特派員】八日行なわれた米中間選挙は九日正午(曰本時間十日午前二時)現在、数議席を残して開票はほとんど終わった。野党共和党の進出にもかかわらず、与党民主党が注目の全員四百三十五議席改選の下院選で過半数を獲得したのを初め、上院でも非改選を加えて多数をとり、一九六八年大統領選まで今後二年間の米政界地図を一応民主党支配に決定する見通しとなった。しかし共和党の進出は予想以上で、下院で四十議席以上伸び、上院、知事選でも進出、六四年の大統領選挙のさい、ジョンソン大統領の"地すべり的勝利"によって受けた失地を回復することは確実となった。
とくに知事選での進出はめざましくニューヨーク、カリフォルニア、オハイオ、フロリダ、メリーランド、マサチューセッツ、ペンシルベニア、ミシガンなどの有力州で勝ちを演ずるなど民主党と接戦、知事総数において六八年大統領選への有力な足がかりをつくった。」
「共和党が予想外の進出 北爆の強化は必至 支持派後退 「偉大な社会」も難航」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊1面)
「【ワシントン九日青木北米総局長(国際電話)】ベトナム戦争のさなかで行なわれた米国中間選挙は、今後の米国の対外政策に影響するものとして注目されてきたが、国内的にも、好況のかげで、しのびよる戦費増大に伴うインフレや上昇する物価、公民権運動をめぐる黒白の人種対立など、米国民のなかにも深刻な問題があり、勢いこれが選挙の争点となったため前例になく国民的関心の高い選挙となった。与党民主党は上下両院で過半数を占めたが、野党共和党も、一八九九年以来の中間選挙の野党の"伸び"平均四十一議席を上回る議席を獲得したため、ジョンソン大統頒は今後内外政策の両面でかなりの制約を受けることになろう。(中略)
今回当選した共和党議員は、タカ派が多いといわれ、ジョンソン支持派の後退と合わせて、ジョンソン大統領は決断を迫られているベトナムの戦争政策、公共支出計画、新予算編成、課税政策などの立案でかなりの苦境に立つことになることも予想される。
このうち、ベトナム戦争は国民的問題ではあるが、両党候補とも全部これを選挙の争点として第一義的に取り上げたわけではなく、ジョンソン大統領のベトナム政策が全般的に支持されているともいわれているので、戦費増加の点では問題はない。ジョンソン大統領は戦争の国内的影響を少なくみせることに成功してきたが、平和解決の見通しがたたない今日、少なくとも北爆強化、南ベトナムでの対ゲリラ作戦が強化される公算が大きい。それは米将兵の損害増大を伴うことになるが、米国民のあせりは強まり、戦争が二年後にも終結していなけれはジョンソン大統領再選はむずかしいという観測もある。一方、戦費増大に伴うインフレ対策としては、増税よりは国内支出の抑制が要求されているから「偉大な社会」建設に関する立法は困難となる見通しである。
中間選挙を通じて明らかになったことは、民主党の党内事情が今後南部派、ジョンソン・ハンフリー派(穏和派)およびケネディ派の三派に分かれそうなことである。」
昨日に続いて米中間選挙の結果。勝ったとはいえ、予想以上に共和党に押され、ジョンソンさんが取りうる政策の幅はかなり制限される模様。今回当選した共和党の議員は強硬派が多いとのことで、ベトナム戦争も米側の攻撃がさらに強化される可能性が指摘されています。興味深いのは、民主党の中が南部派とジョンソン派とケネディ派に別れるという見方。公民権運動などをめぐっては南部派とリベラルなケネディ派では、天と地ほどに信念が異なりますからねぇ。
「中共の核戦力 仏の核戦略家 ボーフル将軍の診断 五年後に対米抑止力 ジェット推進兵器も完成」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊3面)
「【パリ九日三好特派員】フランスの著名な核戦略専門家アンドレ・ボーフル将軍は、八日夜のフランス・テレビでの対談で、最近の中共の核実験について、つぎのような注目すべき見解を明らかにした。(中略)
一、米中間の戦略関係についていえば、中共は今後二、三年から恐らく五年くらいの間に日本やインドに脅威を与える可能性を持つに至るだろう。とくに日本はその脅威をいっそう強く感ずるだろう。これはすでに米国の対中共攻撃を阻止する抑止力の構成を意味する。
一、第二段階では恐らく中共の弾道ミサイルによってではなく、一部の米国人の間で指摘されているように「ジェット・エンジンで推進される誘導兵器」の脅威の問題が出てこよう。中共がそれを潜水艦に装備すれば、サンフランシスコやロサンゼルスなどの米国の西岸がおびやかされる。「重ねていうが、この潜水艦から発射されるのはポラリス型の弾道弾ではなくて、ジェット推進の誘導兵器だろう」こうして中共は今後五年くらいの間に直接的にも対米抑止力を持つだろう。
一、一方、これに対して米国のアンチ・ミサイル体制の発展は西岸の防衛を可能とし、数の少ない中共の核装置の脅威を無力化するに至るだろう。
一、結局、今後三年あるいは五年間に予見される事態は、中共が直接米国をおびやかすようなイニシアチブを持つということでなく、米国のイニシアチブに対する中共の抑止力が構成されるということだ。」
インドとは何度か直接軍事対決がありましたが、米軍が駐留している日本のほうが、中共にとって脅威であるのは確かでしょう。東京を核で狙えるとなったら日本の同盟国の米国としては中共の直接攻撃は難しくなることは間違いない。この抑止力に中共が期待しているという見解は頷けますね。
「毛主席、七度目の接見 トラックに乗った紅衛兵」
(毎日新聞昭和41年11月10日夕刊2面)
「【北京十日高田特派員】毛沢東主席の「接見」は十日午前十時(日本時間同十一時)から"トラック行進"方式で行なわれた。毛主席はこれで八月十八日以来、七回(国慶節を含む)にわたり、全国各地から集った延べ八百万人以上の紅衛兵に「接見」したことになる。しかも、前回までは平均半月おきに行なわれてきたものが、一週間目(前回は三日)それも徒歩行進で三分の一以上がさばき切れなかった"教訓"にこりて、数千台のトラックをかき集め、紅衛兵を荷物台に満載して天安門広場を東から西へピストン輸送する新機軸があみ出された。」
『牛に引かれて善光寺まいり』と言いますが、『トラックに乗せられて毛沢東まいり』ですな。いかにスピード時代とはいえ、とんだスピード参拝です。
「CM"ブラック・リスト" 五百例とり上げる 民放連が"追放資料"に 「シェー」や「いかす」も」
(読売新聞昭和41年11月10日朝刊14面)
「日本民間放送連盟が「CM(コマーシャル)用語参考資料」というパンフレットをつくった。下品だ、低劣だと、ちょいちょい問題になるコマーシャルを具体的に検討したうえ「放送に不適当なもの」「訂正すべきもの」「注意を要するもの」と段階をつけて摘発している。同連盟は、すでに番組みについての放送基準をもうけているが、コマーシャル用語の検討ははじめて。
このパンフレットを民放各社、スポンサー、広告代理店などに配布して、こんごの"コマーシャル基本法"にしたいというが「シェー」「いかす」「さえてるよ」などの流行語も"要注意"にマークされており、かなり論議を呼びそう。それはともかくとして、日本語の混乱がよく問題にされるときだけに、あなたならどの程度まで許せるか、考えてみてください。
コマーシャルは、幸か不幸か、民放にとって欠くことのできないもの。そこで「効果的であると同時に、正しい日本語でなければならない」というのが、検討にあたった民放連放送用語専門部会(安斎義美部会長)の基本的な態度だった。昨年十一月から、全国の民放各社に照会して、ことしの二月までに「好ましくないとみなされた」約五百例を集め、A(放送不適当、事前ならば謝絶、事後なら中止すベし)B(要訂正)C(要注意、表現や演出を放送地域の実情に応じて考える)D(一応許せるが、こんごの注意を怠らない)という四般階に区分した。
まず、重罪と認定されたAには「バッキャロー」(放送の品位を保つ上で不適当)「おはがきはあす中にポストしてください」(ことばとして熟していない)などのほか「なんど事故をおこしても賠償金はそのつど百%完全にお支払いします。安んじておまかせください」と、事故を催促しているような、感心できないのまである。
Bに"入選"したなかには「青い目のシタをおどろかせた」「打ち寄せる紺ぺきの波」(紺ぺきの海と、白い波の合成語?)「どちらのご家庭でも、ことしのお中元はなににしようかと頭をお悩めのことと思います」のような、まったく"お悩め"になる珍品。「時間励行をお守りください」など"食事を食べる、乗馬に乗る"たぐいが並んでいるが「おめえへそねえじゃねえか」も品位がないとの理由で訂正を要求されている。これは、どういうふうに訂正すべきか例示されていないが「ラーメン食べろ○○食べろ」は、押しつけがましいから「ラーメン食べよう」にしたらよかろう、とある。さて、これでCMとしてのしまりが出るかどうか。
Cの段階になると、さすがに「取り扱いに要注意」ということで判断はむずかしい。たとえば「力ーチャンいっぱいやっか」。それに「おはよう、ドライバー諸君。聞いているかい、オイ」。女性アナの場合、注意を要するというタダシ書きだが、これなどは"インテリ"のあいだでも意見がわかれそうだ。
テレビが普及し、そのCM用語がたちまち流行する。だから、放送関係者が自主的に用語を吟味するのはけっこうなことである。しかし、ツノをためてウシを殺すということもある。「シェー」「いかす」「ショック」「さえてるよ」などもC項にあげられているが、こんなことばが重いか軽いかということやその使い方は、子どもの方がかえって知っているのではないか。"正しい"日本語が、かわいた日本語にならないように。」
取り上げている言葉で、流行元が分かっているのは下記の3つ。
『シェー』(『おそ松くん』の登場人物イヤミのギャグ)
『おめえへそねえじゃねえか』(『コルゲンコーワ』テレビCM)
『力ーチャンいっぱいやっか(清酒「神聖」CM)』
他の言葉で出典などお分かりの方は、ご連絡いただけると幸いです。
「牛乳一万三千本ザーッ 怒った農民が捨てる」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊15面)
「【大曲・大館】「現行の原乳価格は安過ぎる」---と北陸地方なみの一・八リットル当たり八十五円の乳価をメーカー側に要求、運動中の秋田県酪農連盟(組合員三千五百人)は九日、白はち巻姿の農民約三百人を大曲市畜産センターに集め決起大会を開き、乳価値上げ実現を決議、雪印乳業大曲工場に押しかけ、工場長に抗議文を手渡した。
農民は構内に三〇キロ入り輸送カン十本の原乳をまき散らし、さらに実行委員たちは大曲駅前、同市役所前、丸子橋たもとなどで一千本の牛乳を市民に無料サービス、最後に丸子橋から三〇キロ入り輸送カン七十五本分の原乳を丸子川にまき捨てた。工場構内と川に捨てられた原乳の量は全部で二、二九五リットルで、市販される牛乳ビンにすると約一万三千本となる。」
残念ながら、記事の写真を掲載できないのですが、十数名の農民が橋の上から一斉に牛乳を川に流している図は、モッタイないとはいえ壮観です。しかし、この示威行動は雪印側には事前に通達済みだったんでしょうか?
「"黒い霧"を怒り高校生自殺 「戦争と政治と受験と金のない国へ行きたい」」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊15面)
「【名古屋】九日夜、名古屋市内で大阪府立大手前高校生が政界の"黒い霧"に絶望したという意味のメモを残して近鉄電車に飛込み自殺した。
同日午後八時十分ごろ、名古屋市中村区岩塚町近鉄八田駅構内上り線ホームにいた若い男が名古屋発上六行き特急電車に飛び込み即死した。中村署の調べでは大阪府布施市、会社員、大橋義治さん(五三)の二男、篤司君(一六)=大阪府立大手前高校二年=で「腐敗した世の中がいやになった。現在大臣のいろいろな問題がヤリダマにあがっているが、みんな他人の責任のようにいって自分は責任をのがれようとする。戦争と政治と受験と金のない国へ行きたい。高校生活は灰色だといわれるがぼくを取り巻くものは真っ暗だ」という意味の遺書らしいメモ帳があった。
大橋君は名古屋市内に母親の実家があり、たずねて行った帰りに自殺したのではないかとみられている。」
いわゆる受験ノイローゼというヤツなんでしょうか。若いミソラで黒い霧なんか気に病んでも仕方ないでしょうに。未来永劫、という条件でなければ戦争と受験のない国はあるでしょうが、政治と金のない国は絶無でしょうね。]]>米国中間選挙結果速報http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=3030781966-11-09T01:48:32+09:002007-03-03T16:52:44Z1966-11-08T16:48:32Z 今年上旬に放映され大好評を博した「ウルトラQ」に続く、円谷プロの特撮番組が今日から放送開始されるそうです。
「ブースカ誕生」
(毎日新聞昭和41年11月9日朝刊9面)
「新番組・快獣ブースカ(日本テレビ後7・0)おなかが出っぱっていて、出っ歯で、足が短...irrp-moment
「ブースカ誕生」
(毎日新聞昭和41年11月9日朝刊9面)
「新番組・快獣ブースカ(日本テレビ後7・0)おなかが出っぱっていて、出っ歯で、足が短くてラーメンが大好きという珍妙な快獣ブースカを主人公にした特撮ギャクコメディー。制作は東宝テレビ部と円谷プロダクション。」
今回は喜劇調の番組のようですね。今回もお茶の間の人気をつかむことができるでしょうか?
新聞斜め読み
「米中間選挙、開票進む 全般に民主党優勢 上院の過半数制す ジョンソン支持派後退」
(毎日新聞昭和41年11月9日夕刊1面)
「【ワシントン八日関特派員】米中間選挙は九日午前(日本時間午後)投票を終わり、開票が順調に進んでいるが、民主党が上院選で非改選を加えて早くも過半数を獲得したのをはじめ、下院、知事選とも組織の力を発揮して全般にわたってリードしている。しかし上院選でイリノイ州ダグラス議員が共和党の新人パーシー氏に敗れるなど民主党内におけるジョンソン支持派の後退が目立つ半面、知事選でフロリダ、メリーランド、マサチューセッツ、ペンシルベニア、ミシガンなどで予想どおり共和党の進出がめだった。
マサチューセッツ州院選では初の黒人候補、共和党のブルーク氏が当選、また下院選でも三十数議席の失地回復が予想されるなど共和党の善戦が注目されている。
野党の進出は恒例のこととはいえ、今後ジョンソン政権の内外政策がこれまでよりむずかしくなったことはいなめない。
全米を通じ、表面的にも潜在的にも最も重要な争点とされてきたべトナムと人種問題が、この中間選挙の結果、果たしてどれほどはっきりしたジョンソン批判となるかは、まだ最終的には答が出ていない。しかし、この二つの問題がからみあって最も先鋭に争われてきたマサチューセッツ、イリノイ、オレゴン各州の上院選で、いずれも共和党のリべラル派兼べトナム"ハト派"が民主党のリベラル派兼ジョンソン大統領のべトナム政策支持派を破ったことは米国民の不満をある程度、表明したものと考えられる。」
人気の低迷が噂されるジョンソン大統領ですが、今回の中間選挙では民主党優勢の流れは変わらなかったようです。話題となっている数人の当選者の記事を以下にピックアップします。
「初の黒人上院議員誕生」
(毎日新聞昭和41年11月9日夕刊1面)
「【ワシントン八日関特派員】共和党のマサチューセッツ州選出上院議員候補エドワード・W・ブルーク氏(同州検事総長)は民主党のピーボディー候補(元知事)を破って初の黒人上院議員に選出された。両候補ともリベラル派だが、ブルーク候補が混血ながら黒人であるため、公民権問題などでの黒人の進出に対する白人の"バックラッシュ"(反発)で不利も予想されていた。
なおベトナム問題ではブルーク氏が「ハト派」であるのに対し、ピーボディー氏はジョンソン政策支持派である。」
「初の黒人上院議員 米中間選挙 ブルーク氏当選」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【ニューヨーク八日UPI】マサチューセッツ州の上院選で共和党のブルーク候補が当選した。
(注)ブルーク候補は黒人でマサチューセッツ州の検事総長を勤めていた人。上院議員に黒人が選ばれたのは米国史上初めてである。対立候補の民主党ピーボディ氏は元知事の経歴を持ち、ロバート・ケネディ現上院議員も応援に力を入れたが敗退した。ケネディ一家の地元であるマサチューセッツ州の上院選で共和党が勝ったことは注目される。」
米国史上初の黒人上院議員の誕生です。ケネディ家の地元で共和党の候補が勝つだけでも大変だと思うのですが、公民権運動以降の米国社会の変動を実感させる結果ですね。
「身代わりのウォーレス夫人当選 アラバマ州」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【モントゴメリ(米アラバマ州)八日UPI】米南部アラバマ州知事には、ジョージ・ウォーレス現同州知事(民主党)の"身代わり候補"として立候補した同知事の夫人、ラリーンさんが当選。
(注)ウォーレス知事は徹底的な黒人差別主義者として知られ、一九六二年に当選以来差別撤廃政策を推進しようとする連邦政府に激しい抵抗を示してきた。アラバマ州憲法は州知事再選を禁じているため夫人を身代わりに立てた。」
黒人上院議員誕生の一方、南部ではこんな結果も。今回当選したラリーンの旦那の現知事ジョージ・ウォーレスって、黒人学生がアラバマ大学へ入学するのを阻止するために校門の前に立ち番したことがあったんじゃなかったっけ。女性の州知事は1927年以来49年ぶりということですが、ディープサウスはまだまだディープなようですな。
「ロックフェラー知事も ニューヨーク州」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【ニューヨーク八日AP】ニューヨーク知事選で共和党のロックフェラー現知事が民主党のオコンナー候補を破り三選された。
(注)ニューヨーク州知事選はロックフェラー知事の三選成るか民主党のオコンナー・ニューヨーク市会議長がこれをはばむかという今中間選挙最大の焦点であった。オコンナー候補は民主党とたもとをわかって自由党から立候補したフランクリン・ルーズベルト二世に労働者票をとられ、終始苦戦。結局物量作戦に物をいわせたロックフェラー氏が当選したわけである。」
FDRの息子がなぜ民主党と袂を分かったのかはよく知らないのですが、それによって民主党が敗れたのも皮肉な話。まあ、フランクリン・ルーズベルト二世が出馬していなくてもロックフェラーに勝つのは難しかったかも。
「カリフォルニアはリーガン氏」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【ニューヨーク八日AP】米NBC放送は八日夜、電子計算機による開票分析の結果、カリフォルニア州知事選に共和党候補として出馬した元俳優のロナルド・リーガン氏が投票の五四%を獲得し現知事を破るだろうとの予報を発表した。」
ハリウッドから新知事誕生のニュース。かつて、名喜劇役者のウィル・ロジャースがビバリーヒルズの市長をやったことがありましたが、今回は州知事。残念ながらリーガンさんのお名前は映画俳優としては全く記憶がないのですが、政治家としては歴史に残る名前になるんでしょうか?
「ダグラス氏敗る」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【シカゴ八日UPI】イリノイ州上院選では共和党のパーシー候補が民主党のダグラス現議員を破って初当選した。
(注)ダグラス議員は民主党の最有力議員で当年七十四歳だが、経済学者で四十七歳のパーシー候補が経済問題をとり上げて終始リード、選挙戦中に同候補の令嬢が殺されたための同情票も加わって上院入りを獲得した。」
選挙結果よりも『選挙戦中に同候補の令嬢が殺されたため』というところが気になります。まさか政治的な意図のある殺人だったんでしょうか?
「運転免許は海外旅行で 道交法の"盲点"悪用 買ってきた大学生 みやげにもらった者も」
(読売新聞昭和41年11月9日朝刊14面)
「簡単なテストや金で買われたと思われる外国の自動車運転免許証や国際免許証が、日本人の旅行者、船員、商社員などの手で国内に持ち込まれ、ほとんどフリー・パスで国内免許証に書き換えられている。道交法の盲点につけこんだ巧妙な免詳取得法で、最近は「海外旅行で最高のおみやげ」とまでいわれている。このため警視庁交通部では、外国発行の免許証書き換えの際はきびしくチェックすることに決め、また、警察庁でも、今月末に開かれる全国県警の免許課長会議で、同じような措置をとるよう各県警に指示する。
日本が道路交通に関する国際条約に加盟したのは、さる三十九年九月。この条約によって、日本の公安委員会が発行する国際免許証は、条約加盟七十八か国で通用するようになり、逆にそれらの国の国際免許証も、日本国内での使用が認められ、免許証の国際的な交流は、これを機会に盛んになった。しかし同条約や道交法に、外国行政庁、またはその指定団休の発行した運転免許証や国際免許証については、適性試験だけで日本の国内免許証に書き換えるという規定があるため、悪知恵の働く旅行者などがつけ込むようになった。
警視庁運転免許本部の調べでは条約加盟七十八か国の中には、運転免許証や国際免許証の発行にかなりルーズなところがあるという。さる四日、同本部の小金井試験場に、スペイン領カナリア諸島のラスバロマスにあるナートモビルクラブ発行の国際免許証をもった日本漁船のコック長(五五)が書き換えにあらわれた。このコック長はパスポートを持っていなかったため、係り員が問いつめたところ「クラブで自動車を運転してひとまわりしたら、国際免許証をくれた」といい、係り員の説得であきらめて引きあげていった。
このほか同試験場で扱ったものでは、一週間程度の海外旅行者がレッキとした外国官庁発行の免許証を持ち帰ったり、スポーツ競技で東南アジアの某国にいった学生が、説明を求められて「実は金で買った」ともらしたこともあった。また同本部には「人に頼んで持ち帰ってもらったものもある」という投書も寄せられている。」
『交通戦争』が叫ばれる我が国で『クラブで自動車を運転してひとまわりしたら、国際免許証をくれた』なんて人が運転を始めたら大変ですわな。免許取得に必要な技能に関する国際的な規格がないのに、各国の免許をそのまま通用させるというのも乱暴な話ではないかと。
「白黒でも楽しめる内容を 志賀信夫」
(毎日新聞昭和41年11月9日朝刊9面)
「○…カラー番組というと、歌謡曲などの音楽番組や寄席もの、または中継番組などが主であり、テレビドラマは数少ない。そこに日本テレビの「嫌い!好き!!」が誕生した。七日の第一回「女群侵入」を見たかぎりでは、色彩設計とドラマの内容がマッチしてカラー番組らしい効果をあげていた。ブルーとバイオレットを基調にして美しい中間色のトーンを出していたが、この色調はソフィステケートなドラマとピッタリだった。
○…カラー受像機の普及台数は三十二万というから、シロクロの契約世帯数約千八百万には遠くおよばない。それゆえシロクロで見ても面白い内容を備えていなければならない。その点では昭和三十七年にヒットした「男嫌い」からあまり大きく成長していない。」
1960年にカラー放送が開始されましたが、まだ32万台しか普及していないんですな。『カラーならではの美しさを出しつつ白黒でも楽しめる番組』って求めるのは簡単だけれど、実際作るとなると大変でしょうな。
「"橋のない川"へ飛び込む 乗用車の四人死ぬ 伊香保有料道路」
(読売新聞昭和41年11月9日夕刊11面)
「【渋川】九日午前九時二十分ごろ、群馬県渋川市折原の伊香保有料道路で、東京都板橋区、野口信一郎さん(四五)運転の乗用車が約十一メートル下の平沢川に転落、乗用車は大破、乗っていた二組みの夫婦四人のうち、運転していた野口さんら三人が即死、同乗の一人が同市内の病院に収容されたが、間もなく死亡した。
現場は伊香保町から四キロ離れた渋川市寄りの伊香保有料道路御蔭橋下の平沢川がわら。同橋はさる六月の台風四号による平沢川の濁流で橋台が洗われたため基礎が弱くなり、九月下旬から県土木部がかけ替工事を行行っていた。このため、約三百メートルの間、上流側に木橋を仮設して車のう回道路としているが、渋川署の調べだと、野口さんらは伊香保方面から下ってくる途中、前を走るバスを追い越そうとしてう回路と通行禁止の標識がみえず、まっすぐ"橋のない川"へ飛び込んでしまったらしい。」
橋桁の崩れ落ちた橋に、それとは知らない自動車が向かっていき、突っ込む、というのは映画でよく見るシーンですが、それが実際に起こったという事故。見出しの『"橋のない川"』は住井すゑさんの小説を意識したモノなんでしょうか?
]]>インドの牛デモhttp://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=2910601966-11-08T01:50:15+09:002007-02-18T16:52:11Z1966-11-07T16:50:15Z 世界中で大人気のビートルズが活動を停止するかも。
「ビートルズ解散のうわさ」
(毎日新聞昭和41年11月8日夕刊11面)
「【ロンドン八日AFP】ビートルズが解散するかもしれない。八日、ビートルズのマネジャーのエプステイン氏か語ったところでは、ビートルズの...irrp-moment
「ビートルズ解散のうわさ」
(毎日新聞昭和41年11月8日夕刊11面)
「【ロンドン八日AFP】ビートルズが解散するかもしれない。八日、ビートルズのマネジャーのエプステイン氏か語ったところでは、ビートルズの解散については、まだ「決まったわけではない」が、同氏はビートルズの"将来"について四人のメンバーと早急に会談する予定だという。
「ビートルズ解散」のウワサが同日流れはじめると、多くのビートルズ・ファンがロンドンのエプステイン邸を取りまき「解散反対」のデモをおこなっている。」
8月にサンフランシスコでの公演以来、ライブでの演奏をしていないビートルズですが、何か問題が生じているのでしょうか。
新聞斜め読み
「ソ連革命式典 中ソ決裂を浮彫り 中共を強く非難 マ国防省 ベトナム支援拒否で」
(毎日新聞昭和41年11月8日朝刊3面)
「【モスクワ七日平野特派員】ことしのソ連革命四十九周年記念祝典を終始きわ立たせたのは、反中共ムードだった。モスクワの赤の広場で七日朝、開かれた祝賀パレードでマリノフスキー国防相が「ベトナム支援の共同行動を妨害する」中共指導者を名ざしで攻撃した。この恒例の軍パレードに対する国防相演説で中共批判が行なわれたのは初めてのことである。
七日プラウダが掲載した北ベトナム、北朝鮮をはじめとする社会主義諸国首脳の祝電の中にも、中共は抜けているし、六日の前夜祭ではペリシェ政治局員が「文化大革命は革命とも文化ともマルキシズムとも社会主義とも全く無縁のものだ」と演説すると、満場から拍手がわき起こり、中共臨時大使は席をけって退場した。中ソ両指導部のもはや元に戻らぬ完全決裂をハッキリ印象づけた革命記念日だったといえよう。
午前十時開始された軍パレードで目だったのは、ソ連軍の中核となった原子力潜水艦用のポラリス型ミサイルと固体燃料の可動式中距離弾道弾など戦略ミサイル兵器、それに戦略軍として再編成された戦車、大砲、対空ミサイル装備の降下部隊だった。その他三段式大陸間弾道弾、アンチミサイル・ミサイルが公開され、昨年五月の対独戦勝記念パレードで公開された軌道ロケットも登場した。
スポーツ団休のパレードに続き一般市民のデモに移ったが、べトナム支援、西独核武装反対のプラカードが目につく程度で、多くは新五ヵ年計画、社会主義建設をうたった平和な祝典風景だった。
【注】軌道ロケット=地球ロケットとも呼ばれ、強力なロケットで地球の軌道に打ち上げ地球の周囲を回りながら誘導により地上の目標に向かうものとみられる。六五年五月九日の対独戦勝二十周年記念パレードで初めて公開された。これは長さ約三十六メートルで、そのときタス通信は「ウォストーク、ウォスホード・シリーズの衛星船打上げ用ロケットと同系統の軌道ロケットで、その飛行射程は無限、弾頭の破壊力は想像を絶するほど強力」と述べている。」
『文化大革命は革命とも文化ともマルキシズムとも社会主義とも全く無縁のものだ』なんて言われたら、そりゃ中共代表は退場しますわな。というか、そういう席に中共臨時大使が一応は出席していたことが驚き。また、例年の革命記念日同様、新兵器の顔見せをやったみたいですが、軌道ロケット(地球ロケット)は相変わらず謎の兵器ですな。たしか、1962年ごろフルシチョフさんが、『ソ連には地球ロケットという秘密兵器がある』とブチ上げていたもののはず。『飛行射程は無限、弾頭の破壊力は想像を絶するほど強力』と言われても、ニワカには信じられないような...。
「議会乱入図り、警官隊と衝突 インド 聖牛保護叫ぶ大デモ」
(毎日新聞昭和41年11月8日朝刊3面)
「【ニューデリー七日UPI、AFP】ニューデリーのインド議会前で七日「聖牛の保護」と「牛のと殺禁止」を要求して開かれたヒンズー教徒十万余の大デモ集会で、興奮した群衆が僧を先頭に議会に乱入しようとし、警官隊の発砲で十人が死亡、多数の負傷者を出した。デモ隊はさらにオール・インディア放送局も襲撃し、インド政府は同日、四十八時間の夜間外出禁止令と集会・デモの無期限禁止令を出した。
この集会は右翼の民族主義政党「ジャンサン党」が主催したもので、一説には参加者二十万から百万人というインド史上最大規模のもの。市の中心部を行進したあと議会前で集会に移ったが、市の交通は完全にマヒした。」
牛の保護デモで百万人集まるとは。紅衛兵の動員もスゴイですが、インドもなかなかの動員力があるようで。インドも中共も、そもそも人口の多さでは世界一、二を争う国。やはり、動員の決め手は母集団の大きさですな。
「密航企てた中学生三人帰る」
(毎日新聞昭和41年11月8日夕刊11面)
「【横浜】十月十四日、リべリア貨客船で米国へ密航をくわだてた東京豊島区立池袋中学三年生三人(いずれも十五才)は八日午後二時半すぎ、横浜入港の大阪商船三井船舶の南米航路定期客船"さくら丸"(一二、六一○トン)でホノルルから送還されてきた。横浜海上保安部は"計画的な密航"とみて取調べが終わり次第、横浜地検に送検する方針。」
10月19日に紹介した記事の続報。どうやら無事日本に帰還した模様ですね。しかし、往復の旅費は請求されるんでしょうかね。もしかして、無料?
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