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昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
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カラーテレビ値下げとネオナチ
イギリスの首相官邸が大騒ぎのようです。
「電話が鳴りどおし 英首相官邸」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「英首相官邸のウィルソン首相専用電話が十八日以来鳴りっぱなしで、秘書官はヘトヘト、政務はメチャメチャになっている。事の起こりは国会のおエ...
「電話が鳴りどおし 英首相官邸」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「英首相官邸のウィルソン首相専用電話が十八日以来鳴りっぱなしで、秘書官はヘトヘト、政務はメチャメチャになっている。事の起こりは国会のおエラ方の電話が盗聴されていたのが最近発覚したが、ウィルソン首相が知らぬ存ぜぬと突っぱね、それを皮肉る漫画が新聞に出たことから。画面には限られたものしか知らぬ専用電話の番号がすっぱ抜かれており、それをたよりに読者がからかってかけてくるわけだ。官邸では番号を変えずばなるまいとネをあげているが、黒い霧の"トウキョウ・ダウニング街一○番地"は大丈夫かな。」
専用電話といっても、本当に極秘のものではなくてマスコミ関係者だったら周知の番号だったのしょうけれども。まあ、番号を変えることですな。
新聞斜め読み
「通産省 物価引下げに本腰 まずカラー・テレビ "年内値下げ"へ指導 合成洗剤業界にも要請 電力料金も検討 バナナも安くしたい 通産省答弁」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊1面)
「 通産省は、三木通産相の指示に基づき、消費物資の価格引下げを検討してきたが、二十一日、合成洗剤とカラー・テレビの値下げを指導することを決めた。同省ではこれを第一弾として、引き続き値下げの余地のある品目に対し、同じような指導を行なうといっており、これまで産業保護の色彩の強かった同省の政策転換として注目される。
通産省がカラー・テレビなどの値下げ指導の方針を打ち出したのは、プロパンガス、家庭電器両業界に対する相つぐ公取委の手入れにより、大企業の価格維持政策や通産省の"消費者不在"行政に批判の声が高まってきたためとみられる。とくに十一日の閣議で、佐藤首相が公取委の立場を支持、三木通産相に対して物価対策に協力するよう要請したことが決定的だったようである。
同省が、こんど取り上げたのは合成洗剤とカラー・テレビの二品目だが、いずれもコストが大幅に引き下げられてきているにもかかわらず、価格が高水準に維持されているとみられるものである。(中略)
19型を約十七万円
通産省は二十一日、家庭電器メーカーを個別に呼んでカラー・テレビの価格引下げを指導するとの方針を明らかにしたが、これによって十九型(一九インチ)で十七万円前後のカラー・テレビが年内にも出現する可能性がでてきた。
これまで業界では「カラー・テレビの部品は五〇パーセント以上が白黒テレビと共通で、合理化されつくしているので、これ以上の量産効果は期待できない。カラー・ブラウン管は製品の歩止まりが悪いのでいまのところ安く入手できない、という事情がある。それにカラー・テレビの組み立てには白黒テレビの三倍近くの手間を要する」として、公式的には値下げできないとの態度をとってきた。
業界では、表面上この態度を変えていないが「要請を受ければ一応考えなければならないだろう」というメーカーもある。この結果早ければ年内にも値下げが実現するもようだ。十九インチで十五万円というのが一応の目標だが、各社とも段階的に実施する意向なので、とりあえず実質値下げ分二万円、キャビネットや回路の簡素化で一万円、合計で三万円程度安い十六、七万円のカラー・テレビが出現する公算が強い。」
家電業界の目玉のカラーテレビですが、なかなか期待通りには普及しません。やっぱり高価格がネックになっているようで、珍しく行政が値下げに乗り出してきました。国民の人気を気にした総理の力でしょうか?
「九万八千円のカラー・テレビ 東武百貨店 突然売り出す 30台、あっというまに」
(毎日新聞昭和41年11月22日夕刊11面)
「東京池袋の西武百貨店で旧型一六インチカラー・テレビ(正価十六万九干円前後)を一台九万九千八百円で売り出す話が伝えられ、話題になっていたが、二十二日、同じ池袋の東武百賀店で一足先に同型のカラー・テレビが一台九万八千八百円で売り出され、アッという間に三十台が売り切れた。
二十一日には三木通産相の指示で通産省が消費物資の価格値下げを指導することになり「その第一弾としてカラーテレビ一九型(一九インチ)を十九万円台から十七万円前後に値下げを指導するというが、一方では十六インチの旧型とはいえ売り値十万円以下という"既成事実"ができて、業界は複雑な様相を呈してきそうだ。
この九万八千八百円のカラー・テレビは、東武百貨店が二十日から始めた「歳暮大廉売」で売り出したもので、西武と同じ旧型一六インチカラー・テレビ。店頭には飾らず、チラシ広告による予約受け付けをしたが、売り出し当日の午前中に用意した三十台が売れてしまった。同百貨店の話では、以前から売り出し計画を立てていたが、別に業界から横ヤリもはいらなかったという。
しかし、このテレビ"一流メーカー品"というだけで、メーカーの名前については発表できないが好評なので、各メーカー別に交渉して、これからも需要にこたえると強気でいる。
一方、カラー・テレビの安売りを"無期延期"した西武百貨店の森専務は「うちでも当初九万八千八百円という値段を考えた。しかし東武百賀店が仕入れたルートなどを研究して考えるがうちがすぐに同じように売り出すかどうかは決めていない」と複雑な表情だ。」
通産省の方針を知ってか知らずか、東武百貨店でカラーテレビの大安売り。それにしても、同様のセールを予定していた西武百貨店が中止したのは、なにか曰くがあったんでしょうか?
「西独州の"ネオ・ナチ"進出 欧米諸国、強い衝撃 ソ連も"警戒が必要"と報道」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「【ロンドン支局二十一日】西独バイエルン州議会選挙でネオ・ナチといわれる(国家民主党)(NDP)が十五議席を獲得して第三党に進出したことについて、二十一日のロンドン各紙はいずれも大見出しで詳細に報道し、バイエルン州がかつてヒットラー台頭の地方であった点を注目している。
タイムズ紙はこの勝利が、ボンの欲求不満の政治家たちのいっそうの関心をひくことになろうと述べ、ガーディアン紙はNDPは不平分子の党であり、こんどの選挙は西独誕生以来最も重要な州選挙であったとしている。これに対しデーリー・テレグラフ紙はボン特派員の記事中で、ボンでは同党の成功はナチの復活というより、むしろ政局混乱に対する抗議とみなされていると述べている。
一方、ソ連タス通信は選挙結果を警戒すべき兆候であるとし、NDPの進出はボンの政策への反発だと報じている。また、かつての枢軸イタリアでも反響は大きく、ローマのメッサジェロ紙は「ナチの地獄の思い出はまだ生々しい」と述べている。
また、パリでも同日フィガロ紙がボン特派員の記事を載せ、一地方選挙がドイツと欧州にとってこれほど重要だったことはなく、現在ボンで進行中のキージンガー氏の連立工作に決定的ともいえる影響を与えるだろうと述べた。
【ニューヨーク二十一日UPI】西独バイエルン州議会選挙の国家民主党(NDP)の進出は、米国でも大反響を呼び、ニューヨークでは二十一日ニューヨーク・タイムス紙など朝刊紙がともに全段抜きの大見出しのもとにボン特派員の長文の記事を掲載した。」
「ベルリン市議選にも立候補 ネオ・ナチ通告」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊3面)
「【ベルリン二十一日AFP】西独バイエルン州議会選挙で躍進した極右の国家民主党(NPD)は二十一日、来年三月十二日に行なわれる西ベルリン市議会選挙にも立候補者を立てる旨の文書を関係者に配布した。」
欧州各国で衝撃をもって伝えられたニュースですが、日経が解説記事を書いているので紹介。
「さまよう"ナチの亡霊" 党員の大半が30歳台 神経とがらすまわりの国」
(日本経済新聞昭和41年11月22日夕刊2面)
「ナチスが壊滅してから二十年以上たった西独で再び"ナチスの亡霊"がさまよい出している。ネオナチスと呼ばれるNPD(ドイツ国家民主党)がへッセン、バイエルン両州の州議会選挙で大量進出し、かつてのナチス台頭時代のような不安感を周辺の欧州諸国に与えている。
発祥地バ州で急進出
ヘッセン州の選挙でNPDが総投票数の七・九%を得て八議席を獲得した時、欧州の各紙はいっせいに騒ぎ立てた。タイムズ紙は「ヘッセンからのショック」という題の社説を掲げて「現在の西独の環境は、ヒトラーを政権につかせた時とはかなり違うが、NPDについて真剣に考えなければならない」と述べたし、ル・モンド紙も「混乱に乗じてのボロもうけ」という題でNPDの進出を憂慮している。
欧州各国がNPDに対し特に神経をとがらせているのは、その進出の速さである。NPDは一九六四年に群小極右政党が集まって結成された。そして早くも咋年九月の総選挙には総投票数の二%にあたる六十六万票を獲得している。西独の選挙法では得票率が五%を越えない政党は議席を得られないことになっているので、NPDは連邦議会の議席は獲得できなかったが、ことし三月のシュレスウィヒ・ホルシュタイン州の市町村選挙では一○%も得票して急進出した。その後、ハンブルク市、ノルトライン・ウエストファーレン州の選挙では議席を得られなかったものの、ヘッセン、バイエルン両州では大成功をおさめたわけである。特にバイエルン州はナチス発祥の地でもあり、NPDは七・四%の得票率で十五議席を奪い、FDP(自由民主党)をたたき落として一躍、第三党の地位にのし上がった。
現政治への不満反映
こうしたNPD急進出の背景には政治の現状に対する両独国民の強い不満がうかがわれる。両独国民は西独が欧州第一の経済力をたくわえながら国際政治には全く無力であり、いまだに近隣諸国に対してナチスの犯した罪を心理的な負担としていることに不満を持っている。それに戦後二十年以上もたつのにドイツ再統一問題はなにも進展していない。
ずっと政権を担当してきたCDU(キリスト教民主同盟)はこの問題になんらなすすべを知らなかったし、SPD(社会民主党)やFDPにしても解決策を持ち合わせていない。この点、NPDがオーデル・ナイセ以東の旧ドイツ領の返還要求、いまだに続けられている戦犯裁判の打ち切り、対米従属関係からの脱却を政策綱領にあげていることは、不満を持つ西独国民にかなりアピールしたものとみられる。
カギ十字はないが
ところで、NPDはナチスのような政策をとろうとしているのだろうか。フリードリッヒ・ティーレン党首はナチスとの関係を否定し、れれわれは民主的であると述ベている。そしてユダヤ人を差別しないだけでなく、ユダヤ人の党員もいると主張している。しかし実際にはナチスとの開係はかなり密接なようだ。たとえば十八人の党幹部のうち十二人は旧ナチであり、しかもそのうちの七人はヒトラーが政権をとる以前からの党員だった。またNPDの旗は真紅の地にまんなかを丸く白抜きにしたもので、これにカギ十字を入れれば完全にナチスの旗となる。
そのためNPDの内部ではナチス的な行き方に反対する動きも出ており、最近、ビンダー副党首らは党内の極右派の支配増大に公然と不満を述べて除名されてしまった。ビンター氏は「私は狂信的な思想によって国を悲劇におとしいれる責任をとりたくない」と述べ、バイエルン州の選挙ではNPDに投票するなとさえ呼びかけた。しかしこうした分裂が起こったにせよ、NPDの党員や支持層に第二次世界大戦の時にまだ未成年だったものが多いという事実はいくぶん不安を感じさせるものがある。党員の三分の二は三十五歳以下といわれ、またヘッセン州の選挙に立候補した候補者も大部分三十代だった。
いざとなれば禁止も
だがNPDが今後党勢を増大すると考えるのは早計である。いかに西独国民が政治の現状に不満を持っていたからとて、大多数のものはナチスの復活を望んでいないし、またナチス被害を受けた近隣諸国も黙っているはずがない。西独政府はいざとなればナチスと関係のある政党を禁止する政党法をNPDに発動することができるのだ。
西独ではいまだに政府の要職につくものはナチスとの関係を執ように追及されている。最近CDUの首相候補に選ばれたキージンガー氏がナチスとの関係を洗われているのもその一例である。キージンガー氏の場合、一九三三年にナチスに入党し、西独外務省で海外向け放送を担当していたといわれるが、同氏は入党の翌年にナチスに対する興昧を失ったこと、また反ユダヤ的放送内容は消したことでゲシュタポに密告された事実をあげて陳弁につとめている。
シュレーダー外相もかつてナチだったが、ユダヤ系の夫人と結婚するため離党した経歴の持ち主だ。この世代の人々は青年時代にナチスとなんらかの関係を持たざるを得なかった人々だが、現在、ナチ思想とは直接的な関係はない。しかしNPDの進出といい、キージンガー氏の前歴といい西独のニュースにはこのところナチスに関係したものが多いだけに、他の欧州諸国をいらだたせているのであろう。」
現政権への不満の表明として票をのばしたとみて欧州の新聞の論調も、注意して見守ることが必要だがまだ危険な段階ではないというものがほとんど。ここらへんは、第一次大戦後ドイツに対する懲罰が激しすぎために、逆にナチの台頭を招いてしまった、という経験が生きているのでしょうか。
「試走中にブロック・サイン 八百長競輪、四選手ら検挙」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊15面)
「【横浜】八百長競輸を捜査中の横浜保土ケ谷署は、二十一日までに競輪選手の山口県都濃郡、N(三三)宇部市、I(三九)下関市、Y(三二)大分県別府市、T(四六)の四人と、神奈川県大和市、土建業、K(四一)ら三人を競輪法違反(贈収賄)の疑いで検挙した。
調べによると、Iは昨年九月末、Kらに「八百長競輪をしてくれ」と頼まれて十万円をもらい、同年十月三日から三日間、埼玉県所沢市の西武園競輪場で行なわれた"第二回川越市営競輪"で、本命選手を妨害した。N、Y、Tらも三十九年暮れから昨年十一月までの間に、現金五-十万円を受け取り、大阪府の岸和田競輪、神奈川県川崎競輪などで、八百長競輪をしていた。
このほか四選手は後楽園、名古屋競輪でも、八百長をしていた疑いがある。しかし八百長がうまくいかず、Kらのあげた利益は百万円程度だった。
Iら四選手は日本自転車振興会所属A級選手。競技開始前の試走のさいブロックサインで、Kらにマークする選手を知らせるなどしていた。」
警察が捜査が開始したきっかけはやはり内部告発かな。百万円の利益とは、なかなかのものですが、かけた手間やリスクの割には合わなかったということなんでしょうね。競輪の予想で、『ブロックサインの解読』が流行するかも。
今日の殺伐
「猛犬、四人をかむ 藤沢」
(朝日新聞昭和41年11月22日朝刊15面)
「【藤沢】二十一日タ、神奈川県ノ藤沢市内の住宅街で犬が小、中学生四人を次々とかみ、手足などに一週間から三週間のけがをさせて、逃げた。
同日午後四時ごろ、同市立明治中学校グラウンド裏手の同市Mさん方庭で次女、同市立明治小一年Mちゃん(七つ)と近くの同所Mさんの長女同小一年Iちゃん(七つ)が遊んでいたところ、突然体長八十センチ前後の黒い犬が飛込んできて次々にかみついた。
Mちゃんは右腰や左肩など二カ所をかまれて二週間のけが。Iちゃんはひざの付け根をうしろから幅十センチほどかみ切られ、右モモも無数のかみ傷で三十針も縫う三週間のけがをした。
同時刻ごろ、同中学校裏の畑跡の広場で遊んでいた同所Mさんの長男、Tちゃん(六つ)も同じ犬に襲われ、右腕や左ひざを前後からかまれたほか、同中学校内の渡り廊下で同市Sさんの長女、同中三年Sさん(一五)も右モモや腰をかまれ、それぞれ一週間のけがをした。
同夜、藤沢保健所へ同市Aさん(三一)から「飼っているドーベルマンがクサリを切って逃げた」と届けがあり、同保健所はこの犬がかみついたとみて捜している。」
逃げたのはともかく、有無を言わせず子供たちに噛みつくとは、普段どんな飼い方をしてたんでしょうか。いくらドーベルマンとはいえ、かなりストレスが溜まっていたんですかね。
「選手来ず、お客さん騒ぐ 板橋でのプロレス興業」
(毎日新聞昭和41年11月22日朝刊15面)
「二十一日夜、東京板橋区板橋四の六の一六、元都電板橋駅前広場板谷駐車場で行なわれる予定のプロレス興業(主催・オリエントプロ興業、埼玉県)で、試合開始の午後六時半をすぎても選手が現われず、七時半すぎ主催者が「連絡の手違いで試合は中止になった」とリングから説明した。しかし約千三百人の観客の大半がリングに上がってロープをひきちぎったり、イスをこわして騒いだ。
板橋署と警視庁第四機動隊から二百人が出動して警戒に当たったが、十時すぎ残っていた約五百人に払い戻しをはじめたためおさまった。
同夜のプロレスは東京プロレスリング興業(豊登会長、新宿区)がオリエントプロに興業権を売ったもので、豊登、猪木や外人選手が出場するはずだった。東京プロレス側は「試合前に受け取る約束のファイトマネーを払わないので選手を引き揚げた」といっており、同署は両者から事情を聞いている。
なおオリエントプロは二十三、四の両日、同駐車場で払い戻しを行なう。」
もう11月も末ですが、駐車場での興業とは野外特設リングだったんですかね。この寒空の夜に延々待たされて『中止』と知らされたら、そりゃ暴れますわな。
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1966-11-22T02:04:31+09:00
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模造千円札と子殺し
そそっかしい人もいるものです。
「あっ時限爆弾、それ逃げろ 宣伝用コーヒーを買って感違い」
(毎日新聞昭和41年11月21日夕刊1面)
「二十一日午前七時すぎ、東京墨田区、会社員、西村武さん(四九)方から向島署に「インスタントコーヒーを買ったが、時限爆...
「あっ時限爆弾、それ逃げろ 宣伝用コーヒーを買って感違い」
(毎日新聞昭和41年11月21日夕刊1面)
「二十一日午前七時すぎ、東京墨田区、会社員、西村武さん(四九)方から向島署に「インスタントコーヒーを買ったが、時限爆弾らしい」と一一〇番で連絡があった。
署員六人がパトカーでかけつけ調ベたところ、西村さん方で朝食にコーヒーをいれようとインスタントコーヒーのフタを開けたとたん、フタの裏にモーターのようなものがついていて、いきなり回りだしたという。」
で、よくよく見てみたら、売り物のコーヒービンではなく宣伝用のビンで、フタのポップ広告をを右に左に揺らすモーターだったというワケ。それを売ってしまう店もウッカリ屋さんですが、それを買って驚く西村氏も相当なうっかりさんですね。
新聞斜め読み
「模造千円札の個展案内状 画家に懲役求刑」
(毎日新聞昭和41年11月21日夕刊1面)
「個展の案内状などに使うため、千円札の模造品を作ったとして通貨、証券模造取締法違反で起訴された画家、赤瀬川克彦(二九)=東京杉並区=ら三被告の求刑公判は、二十一日、東京地裁刑事十三部(堀義次裁判長)で開かれ、北村検事は「どこで使用されるかわからないほど実物に似ている。芸術家の表現の自由にも限界がある」と赤瀬川被告に懲役六月、二人の印刷業者にそれぞれ懲役四月を求刑した。
この事件は、ニセ千円札"チー三七号"事件が世間を騒がせた当時、警視庁捜査三課に摘発されたもので、芸術活動として行なわれた通貨の模造が罪に問われたのは珍しく、芸術か犯罪かをめぐって論争がくりひろげられていた。
起訴状によると、赤瀬川被告らは三十八年一月中旬、千円札の表側を写真製版にとり、クリーム色の紙に緑色のインクで印刷、裏には個展の案内状を印刷した模造品約三百枚を作ったほか、同年三月から五月までの間にも約二千七百枚を作った。」
確か、この千円札は表だけで裏は印刷していなかったと聞きましたが、それでもダメなんでしょうか?また、『芸術か犯罪か』といっても、"芸術かつ犯罪"というものがあり得る以上、論争することにあまり意味があるとも思えませんが。
今日の殺伐
「本格調べ 首なし事件」
(朝日新聞昭和41年11月21日朝刊15面)
「【大阪】大阪の首なし事件の容疑者、徳島県生れ、トラック運転手高橋文明(三七)の本格的な取調べは、二十日朝から大阪府警水上署捜査本部で始った。
高橋は、九日朝の犯行から北海道までの経過を、ほぼ全面的に自供した。捜査本部は二十一日、動機、計画性などについて調べる。
北海道警本部に保留していたミユキさんの首は二十日夜、空輸され、大阪に着いた。」
昨日の報道では、日航に断られた首の空輸ですが、結局空輸されたようです。13日の事故で客足の遠のいた全日空に頼んだんでしょうか?
「長男殺しを自供 睡眠薬で 沼田の元保険外交員」
(朝日新聞昭和41年11月21日朝刊15面)
「【沼田】群馬県沼田署は、沼田市元保険外交員和泉憲児(三七)を保険金欲しさから長男の康一ちゃん(五つ)を睡眠薬を使って殺したとみて、別件の業務上横領の疑いで十七日に逮捕し調ベていたが、二十日午後三時すぎ「康一が別居している妻を慕ってなじまないため、睡眠薬を数回にわたって飲ませて殺した」と犯行を自供した。同署は和泉の逮捕状を殺人の容疑に切替え、和泉の家から睡眠薬の空ビン四個を押収し、保険金詐取をねらった擬装殺人の疑いでさらに追及している。
康一ちゃんは十月二十一日に死んだが、別居中の妻の知人から死因に不審な点がある、との訴えがあり、同署で内偵したところ(1)生活がかなり苦しいのに、七月に康一ちゃんに百万円の災害生命保険をかけた(2)バイクの荷台から落ちて頭を打ったといつて同市内の三軒の医師をまわり、苦心して死亡診断書を書いてもらったこと(3)保育所から見舞にいっても康一ちゃんに会わせなかったこと、などがわかり、二十二日の葬式を中止させ、同日群馬大で死体解剖して究明に当った。その結果十一月十四日に康一ちゃんの胃のなかから致死量の睡眠薬が検出されたので十七日、別件で逮捕した。
自供によると、和泉は八月三十日妻Mさん(三三)が家出したあと、康一ちゃんら二人の子どもを育てていたが、康一ちゃんが母を慕って「なぜ、おかあさんを追出したの」となじるので殺そうと決意し、十月十日ごろから二十一日までの間に睡眠薬を数回にわたって飲ませた。
和泉は康一ちゃんを殺して無理心中をしようとしたといっているが、同署は康一ちゃんが死ぬ数日前に保険金の受取人を妻Mさんから次女Kちゃん(一○)に名義換えしたこと、康一ちゃんの死因を保険金が倍額もらえる交通事故死にしようとしたことなどから、擬装殺人による保険金詐取の疑いを強めている。
和泉はMさんと別れるまでは、夫婦で生命保険の外交員をしていたが、酒ぐせが悪いため家庭に波風が絶えなかった。
小児マヒで寝たきりだった長女恵美子ちゃん(一二)もMさんが以前家出した二日目の七月十二日死亡している。康一ちゃんの保険金は恵美子ちゃんの死後かけた。」
我が子を手に掛けたという、なんとも後味の悪い事件。『子宝』という言葉も今は昔なんでしょうか。
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1966-11-21T00:40:15+09:00
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首なし死体事件続報と欧州ゴミ事情
昨日に引き続き、大阪の首なし死体事件がトップニュース。
新聞斜め読み
「私刑・暴力は厳罰 中共、紅衛兵に重要通告」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊1面)
「【北京十九日高田特派員】中共は十九日、紅衛兵の私刑(リンチ)暴力行為を徹底的に取り...
昨日に引き続き、大阪の首なし死体事件がトップニュース。
新聞斜め読み
「私刑・暴力は厳罰 中共、紅衛兵に重要通告」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊1面)
「【北京十九日高田特派員】中共は十九日、紅衛兵の私刑(リンチ)暴力行為を徹底的に取り締まる方針を打ち出した。同日、中国共産党北京市委員会が市内各所に張り出した「重要通告」(十八日付)は(1)いかなる工場、鉱山、学校、機関(官公庁、団体)においても私設の留置場ないしは私設法廷を設けて、暴力、拷問を加えることは許されない(2)このようなリンチは党紀違反であり、背後関係者もきびしく追及される(3)今後はこれに類する施設あるいはリンチ行為があれば、厳重に処罰する−−と述べている。
なぜこうした「重要通告」が公布されたかについては明記されていないが、北京市民の間では直感的にさきに先農壇スポーツセンターで発生した張以随事件に関連したものと受けとられている。
中共北京市委員会の広報班長・張以随が北京師範学院の紅衛兵に監禁されて「工作組」問題の追及を受け、十一月四日サッカースタジアムの付近で変死休となって発見された事件は李富春(国家計画委員会主任)謝富治(公安部長)両副首相と呉徳北京市長代理(党委員会第二書記)らの指揮のもとで本格的な再捜査が進められている。
これと並行して自殺を主張する北京師範紅衛兵と、他殺の疑いを強める張以随の遺族側との壁新聞の応酬も活発だが、いずれにせよ紅衛兵が「工作組追及」を錦の御旗にして四日間も一室に監禁していた事実は、紅衛兵運動の行き過ぎとして、市民の間に深刻な波紋を広げつつある。
またこの事件と時を同じくして、十月二十七日夜から二十八日未明にかけ、北京の中央戯劇学院紅衛兵が同じく工作組問題で軍事科学院に押しかけ、王樹声国防次官と応酬のうえ、警備に当たった解放軍兵士と乱闘を演じ、双方におよそ八十人の負傷者を出したうえ、この乱闘事件をめぐって紅衛兵同士の暴力ザタも続いている。
いわば張以随事件は「氷山の一角」にすぎないとみられ「紅衛兵の暴力」が批判のマトになるに及んで、中共当局もついに今回の断を下すに至ったとみられている。
同時にこうした行き過ぎが紅衛兵運動の前途に暗影を投げかけた点も見のがせないとされている。」
「工作組」問題は、失脚が伝えられる劉少奇追い落とし活動の一環のように見えますが、まだまだ血生臭い文革の混乱は続く模様です。中共当局が抑えようとしても、肝心の毛主席がまだまだヤル気まんまんのようですし。
「外国のゴミ・東京のゴミ (下) 橋本都清掃局長の視察報告 どこでも混合収集 でもデスポーザーが使われ汚水のしみ出る心配はない」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「ゴミの処理はなるべく人目につかないように、しかも衛生的に処理することにある。こんど見て回った各都市はどこも東京と同様、台所ゴミとそれ以外のゴミを一緒にバケツに入れたものを集める混合収集方式だった。ただ収集時間は東京と違って、ほとんどが朝の六時ごろから始まる。
集め方で変わっているのは、ローマである。ローマの新アパートにはダスト・シュートがない。市の収集員が麻袋を持って共同住宅の各階を回り、ドアの前に置かれたバケツから麻袋にゴミを移し、いっぱいになると、大黒様のように麻袋をかついで収集車まで運ぶ。麻袋を車の後部に引っかけると、袋は自動的に持ちあがって車の上に投入され、カラの袋が返ってくるという仕組み。このため、東京では車一台に二人の収集員がいればよいものが、ここでは車一台に七ー八人付いている。
欧州の家庭ゴミは東京のゴミとは違って、ジャガイモの皮や、しおれた草花のほかは紙くずやあきかんのたぐいだから、麻袋から汚水がしみ出る心配はない。ゴミがこんなに違うのは食生活の相違が大きな原因だが、デスポーザー(粉砕器)の使用が許されていることも影響している。パリではデスポーザーを買えない家庭は、主婦が包丁で野菜くずなどを切りきざんで下水に流しているのだという。
パリ市清掃局の幹部は「わがパリ市が一日に出すゴミをコンコルド広場に積み上げると、高さ百メートルのピラミッドができあがる」と"豪語"していたが、東京で一日に出すゴミをパリに運べぱ高さ百メートルのピラミッドが三つもできる。「東京のゴミの始末はなまやさしいものではない」とつくづく考えさせられた。
また、道路のゴミについてみると、ロンドンでは夜九時半から翌朝六時半までに道路の清掃が行なわれ、朝、市民が起きるころには道路はすっかりきれいになっている。パリでは作業貝が朝、ゴミ収集を終えたあと、手に手にほうきを持って受持区域に出かける。歩道と車道の境にセーヌ川の水を利用した水道が配管されており、この水と一緒に路上の落葉やゴミくずを下水口に掃き込んでしまうというやり方。ロンドンでもパリでも清掃後かなり時間のたった宵の口のころには、大通りはだいぶよごれる。パリでは通行人が往来で捨てた紙くずはお巡りさんが拾って、くず箱に入れてくれると市清掃局ではいっていた。
また欧州の諸都市では清掃担当の部局が市内の全道路の清掃を受け持っており、東京のように国道は建設省、都道は都清掃局、区道は区役所というような「責任の明確化」はなされてはいないようである。
欧州の諸都市では電気洗たく機、中古車、古い家具といった耐久消費財の廃品をゴミとして捨てる家庭がポツポツ出始めている。使い捨て時代のこうした新しいタイプのゴミが、私たちの行く手に待っている。」
『欧州の家庭ゴミは東京のゴミとは違って、ジャガイモの皮や、しおれた草花のほかは紙くずやあきかんのたぐいだから、麻袋から汚水がしみ出る心配はない』とは、ちょっと驚きですね。いくらデスポーザーを使っても、下水の浄化処理能力には限度があると思うのですが、大丈夫なのか疑問。特に下水処理せずに川や海に流してしまうのでしょうかね。しかし中古車をゴミとして捨てるなんて、さすが欧州は裕福デス。
今日の殺伐
「妻、愛人の板ばさみ 高橋 仏がわり、首持ち歩く」
(読売新聞昭和41年11月20日朝刊1面)
「【大阪】大阪市此花区伝法町、新伝法大橋架橋工事現場下の新淀川に浮かんだ高松市、ホステス実平みゆきさん(二五)の首なし死体事件の犯人、トラック運転手高橋文明(三七)は十九日午後一時すぎ立ち回り先の北海道岩見沢市で死体損壊、同遺棄で緊急逮捕されたが、身柄は同日午後九時、大阪国際空港着の日航機で護送され簡単な取り調べを受けたあと大阪府警・水上署の捜査本部に留置された。
高橋は捜査本部の取り調べに対し「三角関係の清算するために殺した。首を切ったのは北海道で埋めてやろうと思ったからだ」と自供しているが、二十日から犯行の方法、凶器などを中心に本格的に取り調べにはいる。
自供によると高橋は徳島県の本籍地に妻とこども三人を残して高松市に出かせぎに行ったが、昨年六月高松市内のバーに働いていたミユキさんと知り合い、高松市、Oアパート二階六畳二間を借りて同せいした。ところが最近、ミユキさんは高橋に妻子があることを知らされ「こどもができたら困るので籍を入れてくれ」と再三迫った。
妻子とミユキさんの間で板ばさみになった高橋は入籍を迫るミユキさんを殺害しようと決意したという。
高橋は大阪水上署で大庭大阪府警捜査一課長を通じて次の通り記者団の問いにこたえた。
−−首を持ち歩いてどうすうるつもりだったか。
「世間の目をのがれて北海道で一人働きミユキの墓をたててやるつもりだった。首は仏がわりだ」
−−死体になぜ服を着せたのか、バレるとは思わなかったのか。
「手がかりになるものは一応全部取り除いた。しかし裸で川に流すのは冷たくてかわいそうだから着せた・・・」
−−あとに残った自分の妻子はどうするつもりか。
「妻子は実家が農家だから自分がいなくても食べていけると思った。犯行後自殺をするか自首しようと思ったが、こどものことを思いどうしても生きのびたかった」」
「トラックで死体運ぶ 首なし事件の高橋 飛行機で身柄護送」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「【札幌・大阪】愛人の香川県高松市、キャバレー・ホステス、実平ミユキさん(二五)を殺し、首なし死体を大阪市此花区の新淀川に捨てた疑いの徳島県生まれ、トラック運転手、高橋文明(三七)は犯行を自供、十九日夜、千歳空港発の日航機で護送され、午後八時四十五分大阪国際空港についたあと、水上署に留置された。
自供によると、高橋は昨年五月二十日ごろ、徳島県下のバーに飲みに行き、ミユキさんと知り合い、同年九月から一緒に住んだ。今年九月、高松市のOアパートに部屋を借り、ミユキさんはキャバレー「レインボー・ガーデン」のホステスとなった。
ミユキさんは高橋が結婚して三人の子供があるのを知らず「早く入籍してほしい」と高橋にせがんだ。ミユキさんはときどき「死にたい、一緒に死のう」などといっていたため、九日午前七時半ごろ、自宅六畳間で目をさましたとき、床の中で「殺してやろうか」といった。するとミユキさんは「あなたなんかに殺せない」といったため、横に寝ていたミユキさんの首を両手で絞め殺した。
十二日まで死体はフトンにくるみ、一緒に寝起きしていたが、同日午前七時ごろ、紺色スーツを死体に看せ、室内で出刃包丁を使って首を切った。そのあとデパートから買ってきた幅一・四メートル、長さ二メートルのビニールに包み、ロープ二本でしばってその上から赤い毛布をかぶせ、勤め先の運送店の四トン積みトラックの運転台に乗せ、高松港からフェリーボートで大阪に向かった。大阪に着いてからは第二阪神国道を走り、此花区の伝法大橋から新淀川にビニール包みの死体だけを捨てた。首はかわいそうだったので捨てる気にならず、持ち帰った。
十六日、アパートの荷物を整理、首はビニールに包んで、スーツケースに入れ汽車で岩見沢に向かい、十八日午後十時半ごろ着いた。その足で以前一緒に働いていた同僚の兄にあたるTさん宅をたずねたが見つからず同夜は旅館に泊まり、翌十九日午前九時半再度たずねた。」
昨日の記事で『どうやって死体を大阪に運んだのか?』と疑問を書きましたが、やはりトラックを使ったようです。勤め先のトラックを使ってまず死体を大阪で捨て、一旦戻って部屋の整理をし、鉄道で北海道に向かったとのこと。首は供養のために持ち運んだと供述していますが、『手がかりになるものは一応全部取り除いた』とも言っているので遺体の身元を隠すために切断したとも考えられますね。
「無口・・・郷里には妻子 高橋という男」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「【高松・徳島】高橋文明は、友人の話では「酒もタバコも飲まず無口で、おとなしい性格だった」という。
高橋は徳島県名西郡、農業、Tさん(六四)の長男として京都で生まれた。立命館大学付属中学校を卒業後、昨年六月まで同町で生活していた。この間に結婚、三人の娘がいる。
ことし春「大阪で働く」といって妻子を父にあずけ家を出た。ところが大阪には行かずに高松市に住み三月二十二日から香川県のS運送店に勤務、長距離トラックの運転手になった。」
同事件についての続報です。昨年五月にミユキさんと知り合い、同年九月同棲開始、で今年の春に『大阪に行く』と言って家を出たということなので、出稼ぎを口実にしてミユキさんと駈落したというのが実状のようですね。
「首の空輸はダメ」
(毎日新聞昭和41年11月20日朝刊15面)
「ミユキさんの首は、高橋と一緒に空路運ぶ予定だったが、日航が空輸をこばんだため、首だけは北海道警本部でしばらく預かり、あとで列車便で運ぶことになった。」
首の機内持ち込みは不可だそうです。警察も正直に問いあわせないで黙ってこっそり持ち込んじゃえばよかったのに。
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1966-11-20T11:28:27+09:00
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首なし死体事件、容疑者と首が見つかる
今月の14日に報道のあった、大阪の首なし死体事件ですが本日容疑者逮捕。各紙ともこのニュースを大きく扱っています。
新聞斜め読み
「ハンガリーに抗議 中共、学生追放で」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)
「【ANS十八日東京】北京十八日発新華...
今月の14日に報道のあった、大阪の首なし死体事件ですが本日容疑者逮捕。各紙ともこのニュースを大きく扱っています。
新聞斜め読み
「ハンガリーに抗議 中共、学生追放で」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)
「【ANS十八日東京】北京十八日発新華社電によると、余湛中共外交部ソ連東欧局長は十七日、バラス・ヨセフ中共駐在ハンガリー大使に覚書を送り、ハンガリー政府が中共、ハンガリー両国の文化協力を破壊し、五人のハンガリー留学中国人学生の追放を決定したことに抗議した。それによると、ハンガリー政府は十一月二日、中共大使館にあてた覚書で、十一月六日限りでハンガリー留学の中国人学生を追放することを通告したもの。中共外交部は覚書の中で「これは両国の文化協力を一方的に破壊し、両国の関係を悪化させるものである」と抗議している。」
ソ連が中共からの留学生を追放したのを睨んで、東ヨーロッパ各国も同様の措置をとりつつあるようです。
「孫文・魯迅たたえる中共 文化革命通じ再評価 魯迅は紅衛兵の大先輩?」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)
「なにごとも毛沢東でなければおさまらない中共にあって、いま孫文と魯迅が異例な称賛を博している。十二日には北京で孫文生誕百年祭が盛大に行なわれたし、十月十九日の魯迅死去三十周年以降、北京や広州などで"文化革命の先駆者"魯迅をたたえる集会が開かれた。いずれも早くから知られた革命家ではあるが、最近の文化大革命を通じて、この二人に新しい評価が加えられつつあるともいえよう。
紅衛兵旋風の吹き荒れた九月はじめ、広州の孫中山(孫文)記念堂前の広場で、孫文の銅像をこわすかどうかで紅衛兵が二派に分かれて大乱闘を演じたと伝えられたことがあった。
北京から派遣された紅衛兵が、孫文は民主主義革命時代のブルジョア階級の革命家だから、この銅像をこわして毛沢東の銅像を建てるべきだと主張、これに対して広州の紅衛兵が、孫文はブルジョア階級の革命家ではあるが"国父"であり、こわすべきではないと対立したというのだ。
また南京では、学生が孫文の胸像を撤去、孫文未亡人の宋慶齢国家副主席を批判のヤリ玉にあげたが、これを知った周恩来首相は「同女史を悪くいうのは間違いで、胸像は元どおりにせよ」と指示した(タス電)ともいわれる。(中略)
一方の魯迅は、文化大革命初期での周揚党宣伝部副部長批判を通じて再認識された形だ。(中略)
「魯迅の革命的な筋金入りの精神を学べ」と題する十月十九日付人民日報社説は「魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ、励まされ、プロレタリァ階級の革命の真理を追求し、すベての搾取階級のイデオロギーと古い伝統的観念と徹底的に決裂し、ついには偉大な共産主義の戦士となった」としている。
年代的にみて、魯迅が"毛沢東思想に導かれ、励まされ"たとするのは奇妙な話だが、これは"毛沢東時代"の中共らしい解釈なのだろう。
むしろ、社説の「魯迅は旧世界の批判者であり、むほん家であった。彼の半封建、半植民地の旧社会に対する怒りは骨髄に達し、旧制度を維持しようとした旧思想、旧文化を限りなく憎んだ」とのくだりに重点をおいて考えるならば、魯迅は紅衛兵の大先輩といえるのかもしれない。
(外信部中野謙二記者)」
魯迅は1881年生まれで1936年没。一方、毛沢東は1893年生まれで、共産党の実権を握ったのが1935年頃と言われています。なんで、どう考えても『魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ』などということはありえません。まあ、全体主義国家にありがちな文言ですが。
「"アタマにきた"大安売り 団地進出はばまれ 神田の薬屋さん 過熱商戦と法の盲点」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)
「 十九日朝、団地進出を地元小売り店にはばまれた東京・神田のスーパー・マーケットが、半値以下という、いささかヤケ気味の薬の大安売りを決行した。「これも都の薬事行政が不明朗なため」といっているが、この過熱商戦のおかげで、お客さんは大喜び。万世橋署員がスリの警戒に出るほどのにぎわいだった。
この店は千代田区神田鍛治町二の三、スーパー・マーケット「ピンク・ベアー」。安売りで抗議することになったいきさつは、豊原社長の話によると、こうだ。
昨秋、日本住宅公団が、薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した際、同店もこれに応募、書類審査でパス。昨年十一月、公団敷き地内の店舗用土地を七百万円で買い、ことし二月から地上五階、地下一階のビルの建設に着工した。
ところが、これを知った竹ノ塚駅前通を中心とする地元の薬店の中から「スーパーが進出して、安売りされては困る」という声が高まった。地元から相談を受けた足立薬業協同組合では、再々会合を重ねた結果区内百五十二店が共同出資して、ピンク・ベアーの建設地に近い同町四七○に「城北薬品」を開店することをきめた。城北薬品では、畑であった土地をさっそく買収、四月末には、木造平屋建ての建て物を急造し、ピンク・ベアーがまだ建設中であった六月中旬に、早くも足立保健所の許可を得、営業を始めた。
一方、ピンク・ベアーでは、十月二十日にやっとビルが完成、いざ開店に踏み切ろうとしたところすでに城北薬品が、すぐ近くに開店している。「百二十メートル以内に既存の薬品店がある場合、新たに開店はできない」という都条例の規制を受ける結果となり、さる十四日、都薬事審議会から電話で「薬を売ることまかりならぬ」と通告されたという。
このため"頭にきた"スーパー側では「薬を安く売るという消費者サービスを、法の悪用によってはばむような横暴な行為は許せない。また、いきさつを知りながら、こんな態度をとった都の態度も納得できない」として、抗議のディスカウント販売デモを強行したという。なお、第二弾として二十四日にも安売りを行なう。
豊原社長の話「薬事審議会にも"黒い霧"がいっぱいです。こんどのような措置には、どうしても納得がいかない。断固として戦う。地元の店では、安売りだといって騒いでいるが、市価より安く売っても、ちゃんと三割五分から最低一割の利潤はあるのです」」
住宅公団が『薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した』というのが本当なら、スーパーの社長が怒るのも無理ないですな。公団側の地元商店に対する根回しが足りなかったのでしょうか。しかし、社長の思惑通りの大盛況で、少しは溜飲も下がったでしょうか。24日の第二弾の宣伝まで記事に書かれているし。
今日の殺伐
「姿消した運転手追う 大阪 女性の首なし死体」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊15面)
「【大阪】大阪市此花区伝法町北五の新淀川で、ナイロン袋に入れられた死後約二日の女の首なし死体が十三日朝発見された。大阪府警捜査一課水上署捜査本部は十八日、被害者が着ていた紺色スーツの販売ルートをたぐって、香川県高松市、キャバレーホステス、実平みゆきさん(二五)であることをつきとめた。
実平さんは九月から長距離トラックの運転手、徳島県生まれ、高橋文明(三七)と同アパートで生活していたが、実平さんは今月九日ごろ、高橋も十五日に姿を消した。本部は高橋を有力容疑者とみて行方を追及している。」
「カバンに妻の生首 十日間持ち歩く 首なし事件の「高橋」逮捕 北海道で 四国で殺し、胴体は大阪に スーツが手掛りに 逮捕の糸口」
(毎日新聞昭和41年11月19日夕刊11面)
「【札幌・大阪】去る十三日、大阪市此花区の新淀川で女の首なし死体が浮いた事件を捜査中の大阪府警本部は、被害者の着ていた紺色のスーツをただ一つの手がかりに、香川県高松市、キャバレーホステス、実平ミユキさん(二三)を被害者と断定、ミユキさんの内縁の夫、徳島県生まれ、トラック運転手、高橋文明(三七)を容疑者として捜査していたが、十九日正午すぎ、北海道岩見沢市の同僚の兄の家に立ち回ったところを岩見沢署員が逮捕、事件は死体発見から一週間ぶりに解決した。高橋はミユキさんを九日に高松で殺し、首なし死体を大阪まで持ちこんで捨て、首はつかまったときスーツケースのなかに入れたままだった。
大阪府警から手配を受けた岩見沢署員が十九日、岩見沢市の友人の実家にいた高橋の任意同行を求めたところ、高橋は観念したのか悪びれた様子もなく素直に応じ、同署調べ室で前田捜査係長が実平さん殺しを追及したところ簡単に「私がやりました」と自供した。
自供によると、十一月九日朝、高松市のアパート二階六畳間でかねてミユキさんが死にたいともらしていたため「殺してやろうか」と話を持ちかけたところ「あんたになんか殺せない」と答えたのでふとんの中で絞め殺した。
高橋は死体の処置に困り、十二日夜、同アパートで出刃包丁で首を切断、死体をもって大阪に行き、新淀川に胴体を捨てた。このあと首だけスーツケースに入れ、十六日大阪を出発、十八日午後十時半ごろ岩見沢に着き、友人の兄のTさん宅をたずねた。
また同署員がTさん宅にあった黒色のスーツケースの中を調べたところ、布切れに包んだミユキさんの首を発見した。
【大阪】四国で殺し、首なし死体は大阪に、自分は北海道に---"遠くに行けばわからないという"高橋の単純な"完全犯罪"の夢も一着のスーツからくずれた。
十三日新淀川にミユキさんの首なし死体が見つかった時には、捜査員のだれ一人としてこの死体が百五十キロも離れた高松から運ばれたとは思わなかった。
「死体を投げ捨てた場所は伝法大橋に近い橋の上。すけたビニールに包んであるため遠くから運んだものとは考えられない」というのが捜査本部の一致した見解だった。だが首を切って身元をかくしたつもりの高橋に大きな誤算があった。
有力な遺留品を捜査員は"名刺"という。こんどの事件にはミユキさんの着ていた紺色ツーピースという大きな"名刺"が残っていた。そのうえ、製造場所を現わすマークまでついていた。このマークから大阪市西区、松尾産業でつくったたった九着の内の一着とつきとめた。高松市の松屋ストアで寸法なおしをしたこともわかり五日目に被害者はミユキさんとわかり、高橋の名がすぐ割り出された。
高橋は「四国で売られたありふれた既製服で、胴体は大阪だから…」とたかをくくっていたかもしれないが、紺色スーツという大きな手がかりが"完全犯罪"をくつがえした。」
「首を持って逃げていた 大阪の女殺し 愛人、北海道で逮捕 犯罪史上まれな猟奇事件」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)
「【岩見沢】さる十三日大阪市内の新淀川で発見された女の首なし死体事件の重要参考人として大阪府警水上署特捜本部から手配されていた被害者の愛人で自動車運転手の高橋文明(三七)(徳島県出身)は十九日午後一時三十分、北海道岩見沢市内の立ち回り先でつかまった。高橋は犯行を自供し、身柄を同夕千歳空港発日航機で大阪へ押送するが、切り取った首をボストンバッグに入れて北海道まで持ち歩いており、この"首入りバッグ"も押収された。
十三日午後八時ごろ、大阪市此花区伝法町の第二阪神国道に通じる新淀川の伝法橋上流約四百メートルの同川中央部でビニール包みにされた女の首なし死体が発見された。大阪府警水上署の特捜本部が十四日になって被害者は高松市、ホステス実平ミユキさん(二五)と断定、愛人の高橋文明がその後、行方をくらましていたため、重要参考人として手配した。
さらに高橋が、さる十五日、高松市内の友人を訪れ「北海道に働きにいく」といっていたことを突きとめたので、道警本部に連絡した。このため岩見沢署は十九日正午すぎ、刑事を高橋の立ち回り先である岩見沢市、中央空知運送会社に派遣、高橋が高松市から紹介状を持ってたずねてきたとみられる同社員のTさんに事情を聞いたところ、高橋は十九日午前九時ごろ、同市のTさんのアパートをたずねて行き滞在していることが判明、ただちに同アパートから高橋を同署に連行、追求したところ、同日午後一時すぎ「ミユキを殺した。首を持っている」と自供、持っていたボストンバッグを調べた結果、なかから腐敗した首が出てきたので同署は殺人容疑で逮捕した。
バッグに入れて持ち歩く
自供によると高橋は九日早朝高松市のアパートで雑談中、かっとなってミユキさんをしめ殺した。その後死体を放置したままでいたが、十二日夜出刃包丁で首を切り取り、首なしの死体を大きな布に包み麻なわで二重にしばり、大阪に運び、同市内の新淀川にかかっている第二阪神国道の橋の上から投げすてた。
その後荷物をまとめさらにミユキさんの首を布にくるんでボストンバッグに入れ、それを持って十六日夜汽車に乗り、十八日午後十時ごろ岩見沢市に着いたという。
岩見沢市のアパートを岩見沢署の刑事が訪れ「君が高橋か」と聞くと「はいそうです」といって、すなおに任意同行に応じた。グレーの背広を着た高橋は頭を角刈りにして顔は青ざめ、捜査課長室で直ちに取り調べにはいったが、終始ふてくされた態度。それでも同署前田捜査係長の取り調べに対し、すでに覚悟していたのか、犯行の一切をすらすらと自供。取り調べの刑事も「犯罪史上まれにみる猟奇的な事件をおかした男には見えないほどだ」と驚いていた。
黒のビニール・ボストンバッグにはいっていた問題の首は、かなり腐敗しており、取り調べにあたった鑑識の係り員も思わず顔をそむけるような状態だった。」
14日の記事では、単に「淀川で首なし死体見つかる」という小さな記事でしたが、容疑者が生首を持って逃走していたということで、俄然大きな扱いとなったようです。まだ、第一報なので容疑者の供述の中身が詳しく述べられていませんが、続報では取りあげられることでしょう。毎日、読売の記事を見てもよく分からないのが死体を高松から大阪に運んだ方法。大阪から岩見沢へは汽車で行ったようですが、大阪まではどう行ったんでしょうか。トラックだとすると、大阪で乗り捨てなければならないし、まさか死体を抱えて汽車、あるいは船に乗ったんでしょうか?
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投げられたハンカチとタンクローリー爆発
今日は、白いハンカチがトレードマークの藤山愛一郎氏が、自民党の総裁公選に立候補宣言をしたニュースで、各紙持ちきりです。
新聞斜め読み
「総裁公選 藤山氏が立候補宣言 首相は辞任せよ 粛党 まず責任を明確に 清潔な公選を期待」
(毎日新聞昭和...
新聞斜め読み
「総裁公選 藤山氏が立候補宣言 首相は辞任せよ 粛党 まず責任を明確に 清潔な公選を期待」
(毎日新聞昭和41年11月18日朝刊1面)
「自民党の藤山愛一郎氏は十七日午後四時、東京・赤坂のホテル・ニュージャパンで記者会見し、十二月一日の自民党臨時党大会で行なわれる総裁選挙に立候補することを正式に宣言した。藤山氏はその宣言の冒頭「わが党は立党以来最大の危機に立っている」と述べ、いま強く叫ばれている粛党については「総裁自らが政治不信を招いた原因についてすなおに反省し、その責任をとることが先決である」と強調し、佐藤首相自らが国民に対してその責任を明らかにするため辞任すべきであると迫った。
ついで「自民党は新総裁のもとに挙党一致で新しい党づくりを進め、党の体質改善に全力をあげて取り組まねばならない」と述べ、立候補するに至った理由を「単なる政権欲からではなく、他に立候補者がいないとすれば党の信用は失墜すると痛感して、やむにやまれぬ心境で立候補した」と説明している。
さらに政局担当の抱負については「国民のための政治、国民のだれもが納得する政治」を前提として(1)派閥を無視した真に信望のある人材の登用(2)政界若返りのための思い切った若手の抜てき(3)選挙公営の徹底をはじめとする金のかからない選挙の実現と政冶資金規正法の改正−−−に取り組む方針を明らかにしている。」
「投げられたハンカチ 「世論はわたしに」 藤山さん 粛党へ胸張る」
(毎日新聞昭和41年11月18日朝刊15面)
「「佐藤さん(首相)におやめになったらといっているわけです」−−藤山さん(前経済企画庁長官、愛一郎氏)はズバリいってのけた。十七日午後四時、東京赤坂のホテル・ニュージャパンで自民党総裁選立候補を正式に宣言、佐藤首相と一騎打ちの名乗りを上げたのだ。詰めかけた記者団は約百三十人。その前で「必ず世論は私を支持してくださると思います」−ことばは柔らかいが、やる気十分の構え。紺背広の胸ポケットからのぞいたハンカチは、黒っぽい色ものだったが、ご当人は気にもしていないようすだった。
"黒い霧一掃"を唱える"話題の人"登場である。立候補の意思決定から、佐藤首相側近と感情的に対立、札幌の一日内閣は欠席、経済企画庁長官を辞任してカゼで寝込むなどの経過があって、ようやく公式の意思発表……「お待たせしました」である。
記者会見場にあてられたホテル・ニュージャパン二階「竹の間」は、政治家の個人的記者会見としては異例の混雑ぶり。綾部健太郎(元運輸相)江崎真澄(元防衛庁長官)南条徳男(元建設相)といった藤山派の閣僚級議員、それに参院議員・中上川アキ(藤原あき)さんらも、この日は完全なわき役で、ウロウロ。
主役の藤山さんは、カゼもすっかりよくなって、つやつやした血色。さり気ないそぶりで、終始ニコニコと、こんなときでも紳士のスタイルをくずさない。事務的な運びでサラサラと立候補宣言文を読み上げ「三度書き直し、同志諸君にさらに直してもらいました。私が考えた原文より、よほどよくなっています」とニッコリ。気持は「国民の意思のかよった正しい総裁選挙を要望する」と結んだ、この一文に尽くしたという。(中略)
「自民党総裁を選ぶことは首相を選ぶことだ。国民はよく理解している」というのが、外柔内剛といわれるこの人の信念のようで、何度もこの点を強調していた。にぎやかな総裁公選劇へのスタート風景だったが、三十二年、財界から政界入りした藤山さんの"白いハンカチ”は、いまも白いままか、それとも洗い直しのきくものか。どちらが勝つにせよ国民の目はそこに注がれている。」
いわゆる"黒い霧"疑惑などで、迷走中ともいえる自民党ですが、12月の総裁選に満を持して藤山愛一郎氏が立候補。事務所を構えるホテル・ニュージャパンで記者会見を開いたそうです。ちなみに、このホテルは藤山氏のグループ企業の持ち物だそうです。
岸内閣で民間から外務大臣に抜擢され政界入り。今回で4回目の総裁戦出馬ですが、果たして結果は?
「世界党大会開けず ブルガリア共産党大会 「反中国」結集に失敗」
(読売新聞昭和41年11月18日夕刊2面)
「【ソフィア十七日発=AFP】ブルガリア共産党大会に出席中の各国党代表は十七日、ソ連が推進している世界共産党大会の計画に一致して賛意を表することにふたたび失敗した。
北京の政策を公然と非難したのは、フィンランド、レバノン、ドイツ、キプロスのわずか四か国だけだった。また他の四か国は、ある党による分裂活動を遺憾だと述べたが、中国の名前をあげなかった。南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)代表のグエン・チ・ビン女史は、世界党大会計画にも、中国指導部にも言及しなかった。
世界党大会召集は、もともとソ連が示唆したもので、今週はじめジフコフ・ブルガリア共産党第一書記があらためて提唱したが、十七日にはポルトガル、レバノン、チリ、ベルギー、南アフリカ各国共産党が会議招集に全面支持を表明した。南アフリカのエンゾロ代表は、ベトナムとアフリカ新植民地主義の企てに限られるとしても、正当化されようと述べた。」
ソ連の根回しにもかかわらず、当面は中共非難のための世界共産党大会はお流れになったようです。ソ連としても、それほど無理して実行しようとはしていないようで、自国でなくブルガリア共産党に提案させたところにもそれが現れているのだと思います。ベトナムで米帝と争っている最中に陣営内の亀裂をあまり大きく見せたくないという心理も働いているのでしょう。
「開かずの勝鬨橋 落ちぶれた東京名物 車の交通がふえて 開いても月に10回 大型船も航行せず」
(朝日新聞昭和41年11月18日朝刊16面)
「隅田川にかかる勝鬨(かちどき)橋が最近、さっぱり開閉しない。上り下りする船がめっきり滅ったのと橋の上を走る車の量がふえたためだというが、かつては日に五度も開閉し、三千トン級の軍艦までも通したというのに、いまは多いときでも月に十回ていど。ことしはついに一度も開かない月があったという。
勝闘橋は旧東京市が七年の工期と、当時の金で四百二十万円を投入して昭和十五年に完成した。アメリカのシカゴ市にある同型の橋をマネしたものだが、当時は日華事変の最中で、市では国威発揚のため"東洋一の可動橋"と大いにPR。東京の新名物として小中学生をはじめ全国から見物客が絶えなかった。また当時は上流の永代橋との間の隅田川沿いに大手の倉庫会社がずらり軒を並ベ、船の交通も多かったため、一日に五回ずつ開閉して水上のラッシュをさばいていた。
ところが戦後、進駐軍の命令で開閉回数を一日三回に減らされ、さらに三十六年からは午前七時の一回だけ、それも船が通るときだけ開閉することに改められた。沿岸の倉庫会社や造船会社が次々と下流に引越し、勝鬨橋付近を上り下りする大型船が減ったことや、月島、晴海地区の発展で橋の上の車の交通量が急増、日中に開閉することがむずかしくなったのが原因という。
とくに昨年八月、約五百メートル上流に新佃大橋が完成し、同橋より上流への大型船の航行ができなくなつてからは、建前は一日一回でも、実際に開かれる回数はぐっと減った。
開閉が必要なときは、船の所有者から前日の午後三時までに管理事務所に連絡することになっているが、いま実際に開閉を頼んでくるのは、橋の上流に本社や事業所をもつ鉱業会社と土建会社の二社だけ。
それにつれて、東京名物としての役割も東京タワーやオリンピック競技場などにとって変られ、いまは訪れる人もほとんどいない。
開通以来、二十六年間も勝鬨橋の世話をつづけてきたという管理責任者の都建設局技師佐藤三郎さん(五七)も「こんなに車の交通量がふえては、開く橋なんてやっかいものでしょうね」と、花形だった昔をしのびながら、時代の移りかわりに感慨深そうだ。」
戦前の建造物なので「勝鬨橋」と聞くとやけに古い感じもしますが、まだできてから26年しかたっていないんですね。約五百メートル上流の新佃大橋のせいでそれ以上船があがれないというなら、もう開ける必要もないんでしょうけれど、年に一回ぐらい特別に上げるイベントをすれば人も集まると思いますがどうでしょうか。
「一割がノイローゼの恐れ 山手地区の中学生 杉並・松渓中の研究」
(朝日新聞昭和41年11月18日朝刊16面)
「"教育ママ"や"父親不在"の家庭の多い山手地区の中学生のうち、約一割はノイローゼになりやすい兆候がある---十七日、杉並区立松渓中で開かれた同区教育相談活動研究発表会で、同中の先生がショッキングな研究結果を発表した。(中略)
悩みの解決方法は、自分で考えぬくと答えたのが一年三六%、二年四三%、三年五六%で、全体の半数近くが親や先生に相談せす、一人でくよくよ考えていることがわかった。
さらに親子関係では、母親から高校受験のため勉強を強制されている生徒や父親が転動したが住宅などの事情で別居したり、帰宅時間の遅い父親とは、めったに口をきくことのないサラリーマン家庭の生徒は成績こそよいが、学校では親しい友達ができない、という傾向がはっきり出た。
こうした調査をもとに生徒一人一人を分析した結果、男子で一〇%、女子で七・三%の生徒たちは、ちょっとしたきっかけでノイローゼになる危険が多いという。」
記事では調査の詳細が分からないので、どれぐらい信憑性があるのかは判断できませんが、このような結果がでたそうです。『父と口をきかない生徒は親しい友だちができない』といった結果ならば、アンケートで調べられそうですが、『ちょっとしたきっかけでノイローゼになる危険』のパーセンテイジはどうやって計測したんでしょうか?
「タンクローリーが給油中 スタンド火の海に 目黒 民家五戸も巻きぞえ」
(毎日新聞昭和41年11月18日夕刊11面)
「十八日午後零時十八分ごろ、東京目黒区原町一四〇五、モービルガス石油スタンド、広進商事会社=H社長(二八)=で、横浜油脂運輸のタンクローリー=I運転手(二八)=がガソリンを給油中、突然ガソリンスタンドの給油口から火を吹いた。
火はたちまちひろがり、同タンクローリー車が全焼、タンクローリー車に積んできた約六千リットルも全部燃やして同番地の寿司店経営、Kさん(三六)方の木造平屋建住宅一むね約五十二平方メートルを全焼、ガソリンスタンド裏の公衆浴場"永生湯"とガソリンスタンド向かいのタバコ店、Aさん、隣のSさん、クリーニング業、Nさん方の計四軒のカベを焼いて、午後一時過ぎ鎮火した。(中略)同スタンド従業員らは無事。
タンクローリーから流れる約六千リットルのガソリンで付近の道路など約百平方メートルが火の海となり、スタンドに置いてあった五ガロン入りのドラムかん三個がつぎつきににぶい音を立てて破裂、炎は一時高さ十八メートルにも上がった。
ガソリンスタンドのまわりは商店や住宅が密集した地区で、東京消防庁は化学車など約三十台を出動させるとともに、付近の住民十世帯を避難させ、ホースでスタンドのまわりに水のカベをつくって延焼を防ぎ、泡沫消火剤五十かん(一かん二十リットル入り)をそそぐなどの消火活動をしたため大事に至らなかった。
目黒消防署などで調べているが、出火当時I運転手は給油のためホースを地下の貯蔵タンクに入れたままHさんにまかせて食事にいっていた。
タンクローリーが給油を始めてから数分後に出火しており、このころ、そばのガソリンスタンド事務所で石油ストーブを使っていたので給油中に発生したガスに引火したのではないかとみられ、従業員らから事情を聞いている。」
大事にいたらなくてなによりでしたが、住宅地の真っ直中でタンクローリーが爆発とは恐ろしい。事務所の石油ストーブの位置と給油口の距離がよく分かりませんが、ガソリンスタンドでは冬場の暖房の扱いには十分注意してほしいものです。
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1966-11-18T23:26:21+09:00
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カラーVTR発売と恐怖のドライブ
本日は海外で特に目立ったニュースがなかったので、国内ニュース3本をお伝えします。
新聞斜め読み
「家庭用カラーVTRを発売 ビクター、来年六月から」
(日本経済新聞昭和41年11月17日朝刊4面)
「日本ビクターは十六日、家庭用の小型カラーVTR(ビデ...
新聞斜め読み
「家庭用カラーVTRを発売 ビクター、来年六月から」
(日本経済新聞昭和41年11月17日朝刊4面)
「日本ビクターは十六日、家庭用の小型カラーVTR(ビデオテープレコーダー)を開発、来年六月から売り出すと発表した。家庭用小型カラーVTRはこれまでにソニー、松下電器産業、東京芝浦電気が発表しているが、価格、発売時期は未定で、商品化計画を打ち出したのは日本ビクターが最初。
ビクターの家庭用小型カラーVTR「KVC-800型」は、来年二月に発売する白黒VTR「KV-800型」にカラーアダプター「CD‐1型」を付け加えるだけのもので、本体が白黒、カラー兼用なので、本体にカラーアダプターだけ付けれは、簡単にカラー化することができる。
カラー放送の記録、再生に使うモニターは、カラーテレビを少し改造するだけでよく、世界で初めてカラー停止画像(一コマ再生)も可能となった。
「KV-800型」は二十三万円、「CD-1型」は十七万円。両方合わせた「KVC-800型」は四十万円。「CD-1型」は来年六月発売する。」
カラーテレビですら、価格がネックで普及が遅れている状態ですから、「四十万円」ではなかなか一般までは渡らないと思われますが、将来安価になればカラーVTRも一家に一台となるのでしょうか。一点気になったのは『カラー放送の記録、再生に使うモニターは、カラーテレビを少し改造するだけでよく』という記載。普通のカラーテレビはそのままでは接続できないということなのでしょうか?
今日の殺伐
「監禁ドライブ 郡山→宇都宮 「助けて」のメモ、三人逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月17日夕刊6面)
「【宇都宮】十七日午前六時ごろ、栃木県那須郡那須町夕狩の豊山ドライブインの机の上に「郡山から三人づれにおどされ、東京に連れていかれる。助けてくれ」と書かれた福島県須賀川市、Kさん(二一)の名刺があるのを従業員が見つけ黒磯署に届けた。栃木県警本部は県内各署に手配し、検問した結果、同七時二十五分ごろ、宇都宮市雀宮町でKさんと友人の福島県安達郡、自動車セールスマン、Sさん(二二)の乗った車を見つけて二人を救い出し、一緒にいた郡山市、鉄骨作業員、I(二一)同市、同、Y(二三)同市、雑貨商手伝い、少年(一九)の三人をおどし、不法監禁の疑いで捕えた。
調べによると、同日午前二時半ごろ、KさんとSさんが郡山市内の繁華街に車を止めて歩いていたところ、Iら三人にいんねんをつけられ、なぐる、けるの乱暴をされた。Kさんが「なぐられて腹が痛い」というと、病院に連れていかれ、監視されながら治療を受けた。KさんがSさんに「車をもってきてくれ」といったことから、Iがその車を運転、二人を監禁したまま国道四号線を南下した。
Sさんが車の中で名刺に助けを求める伝言を書き、豊山ドライブインで食事をとったとき、机の上に置いた。五時間の恐怖のドライブの間、Kさんらはおどされたり金を出せといわれた。Sさんは「持っていた現金二千円をクツ下の中に隠すなど、木当にこわかった」と語っていた。
なお三人は同署の調べに「金をたかる気だった」といっている。」
走り書きのメモを残した事から事件解決と、まるで19世紀の探偵小説のような展開。ドライブインの従業員さんお手柄でした。しかし、このメモを見て警察に連絡しなきゃ、と思わせるほどに店内でもKさんとSさんに対する態度が不審だったんでしょうな。
「放火少年が脅迫状」
(毎日新聞昭和41年11月17日夕刊6面)
「【春日部】埼玉県春日部署は、スーパーストアの社長宅に脅迫状を送っていた中学生を十六日夜補導した。同市の中学二年生、A(一四)で、少年は九、十一日の両日、中学に放火して補導されたばかりだった。
調べによると、少年は同市、マルヤストアー社長、Sさん(三一)方に三日夕、便せんに「ダイナマイトでお前の店をこわす。警察に知らせると子供を殺す。いやなら二百万円よこせ…」と脅迫状を投げ込み、さらに五日夕にも場所を指定した脅迫状を送っていた。」
上の監禁事件でも少年が一人関わっていましたが、こちらは中学生による脅迫事件。「ダイナマイトでお前の店をこわす」というのがマンガチックですが、もし手元に本当にダイナマイトがあったら実行に移しかねないのが子供の怖いところ。まさにキチガイに刃物。死者・負傷者が出ないまえに補導されてよかったですな(A少年にとっても)。
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1966-11-17T18:21:47+09:00
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航空機事故二重遭難と猛々しい中高生ども
まずはちょっと眉唾気味な海外配信ニュースから
「百五十才で結婚? イラン」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「イランで最近実施した国勢調査で、百五十才という老人が西イランにいることがわかった。このおじいさんには、百十才といわれる長女と百才の...
「百五十才で結婚? イラン」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「イランで最近実施した国勢調査で、百五十才という老人が西イランにいることがわかった。このおじいさんには、百十才といわれる長女と百才のむすこが健在で、孫の数にいたってはなんと二百人。いままで二度結婚しているが、まだまだ元気たっぷり。回教徒のおきてでは一度に四人の妻がもてるとあって、目下新妻を物色中だという。「私の財産が許す範囲の贈り物でウンというなら、新妻には若い子がほしい」といっているとか。---でも本当ですかね。(ロイター=共同)」
ニュース本文からして半信半疑なので信憑性のほどが知れようという感じですが、『世界は広い』ということで一応掲載しておきます。
新聞斜め読み
「捜索ヘリが空中衝突 二機墜落、四人が死亡 悲劇の松山沖ダブル事故 大阪府警と全日空機」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊1面)
「【松山】全日空機松山事故の遺体捜索活動が最高潮で行なわれた十五日午後、松山市北方の愛媛県北条市粟井沖で捜索に協力していた大阪府警のヘリコプター(JA7062)と全日空のヘリコプター(JA7012)が正面衝突、両機は飛び這うように墜落、乗務員各二人の計四人が死亡する悲惨なダブル事故が起こった。
同日午後四時四十分ごろ、北条市粟井の沖合約五十メートルで大阪府警ヘリコプター"あおぞら一号”(ベル47G2型、操縦士、中村健造警部(三七)、松山西署垣生駐在所勤務、村上一雄巡査(四一)同乗)と全日空のヘリコプター(ベル47D1型、笹本静男操縦士(二八)、鈴木紀弥整備士(二二))が大音饗とともに空中衝突した。全日空のヘリは磯河内沖三十メートルに"あおぞら一号"はその南約百メートルの海面に墜落した。
この事故を目撃した巡視艇"さざなみ"など付近海域で遺体捜索中の巡視艇五隻が急行した。全日空ヘリは機体を大破、浅瀬上に上部半分をのぞかせており、笹本操縦士らは仮死状態で救助されたが間もなく死亡した。”あおぞら一号"は燃料タンクを海面に浮かせていたが、繁官二人は即死しており四人の遺体は巡視船"くまの"などが六時前、収容した。(中略)
YS−11型機の事故原因究明のため松山に来ていた運輸省航空局の楢林審査官らが現場に急行したが「この日は朝から晴天だったし、時間的にみて一機は山を背に飛行、一機は西日を背に飛んでいたため両機とも互いに視界にはいっていたはずだ。しかし捜索に夢中だったため前方をよく見ていなかったことが正面衝突というめったにない事故の原因ではないか」とみている。
松山空港には十四日朝から捜索や報道陣の航空機が集結、同空港の保安事務所に届けているものだけでヘリコプター十五機、単発、双発機計十機、このほか岩国、広島から加わっている自衛隊、海上保安庁機を加えると早朝から三十機前後が捜索海域を中心に飛びかう空のラッシュぶり。
このため楢林審議官らは十四日朝パイロットの代表を招き飛行統制を話し合い、ヘリコプターは高度百メートル以下、航空機は百五十メートルから千メートル、飛行間隔は百メートル以上おくなどを決めたばかりだった。(中略)
警察機墜落はじめて
警察のヘリコプターは三十四年、警視庁が一号機を採用して以来、現在全国に八機ある。災害救助、交通整理などに活躍しているが、事故を起こし墜落したのははじめてである。」
同日の読売新聞朝刊15面の記事によると、府警機側の遺体にローターで切られた傷があったとのこと。衝突時、府警機よりわずかに下側に全日空機が位置していたようです。全日空機は空港への帰還途中だったとのことで、もしかしたら全日空機が捜索に気をとられ、急に位置を変えたのが原因なのかもしれません。大事故にひきづられる形の災いですが、原因が救難活動だっただけにとても残念な事故です。
「世界党大会は必要 ブルガリアで ブレジネフ書記長演説」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「【モスクワ 大月特派員 十五日発】ソフィアのブルガリア共産党大会に来賓として出席中のブレジネフ・ソ連共産党書記長は、大会二日目の十五日午前あいさつに立ち、現状における「国際主義」の重要性を強調するとともに、十四日のジフコフ・ブルガリア共産党第一書記の発言を支持して「最近一連の友党が新たな共産党・労働者党の国際会議を開く条件がますます熟しつつあるとの見解を表明しているのは理由のないことではない」と言明した。
同書記長は「現在では国際主義の原則こそが各党の路線の正しさを判定するための最も信頼すべき基準の一つだ」との大義名分論にたち、その点からベトナム支援の重要性を強調するとともに「せめてこの重要問題についてだけでも行動の統一を達成しようとする友党のあらゆる努力が、中国指導部によってきっぱり拒否されたことはきわめて遺憾である」と中国批判をくりかえした。
中国文化大革命開始いらいブレジネフ書記長以下のソ連首脳がこのような明確な形で世界党大会開催の必要にふれたのははじめてである。このブルガリア党大会で直ちに国際会議開催について合意がはかられる見通しは薄いが、この大会をきっかけにして中国弾がいとソ連路線による国際共産主義運動の整理、強化を主目的とする世界党大会構想がにわかに表面におどりでたことはたしかである。」
しかし、中共に対するソ連の動きは慎重ですね。やはりベトナムの紛争の扱いをどうするか、ということが両者の世界戦略上で大きなウェイトを占めているためでしょうか。北ベトナムは中共への制裁は反対しています。戦時下の北ベトナムにとっては、ソ連からも中共からも援助を受けたいでしょうから、当然ですね。世界の注目は現在北ベトナムに集まっていますから、ソ連としても彼らの意向を無視することもできません。で、ブルガリア共産党を使ったりして真綿を首をしめるように中共非難の輪を少しずつ広げているように思えます。
「中国留学生が見たソ連の"墮落ぶり"」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「十五日の新華社電は、モスクワから北京に帰ってきた中国人留学生の報告として、次のようなソ連の悪口をズラリと並べている。
クレムリンのおえら方どもは"小型アメリカ"として有名な、モスクワ郊外の別荘地帯に暮している。また黒海沿岸の避暑(寒)地に「淡水」「塩水」の二つのプールつき別邸を構えているものもいる。それにひきかえ、数多い一般の国民は"家なし"も同然の暮し。
修正主義のソ連指導者たちは、堕落した映画や小説、果てはヌード写真などを国民、とくに若者たちに与えている。昼日中、売春婦が町をぶらついている場面も見られる。暴力事件、殺人は日常茶飯事。まじめな労働者が上司たちの"甘い生活"を批判したところ、クビにされたうえ、精神病院に放りこまれた。」
一方、中共側はソ連とちがって直球勝負で相手非難を繰り返していますな。
「EEC加盟で警告 ソ連、オーストリアに」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊3面)
「【ウィーン十五日=AFP】オーストリアを公式訪問中のポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長は、十五日オーストリア側首脳との三時間にわたる第一回会議で「オーストリアがEEC(欧州共同市場)に加盟すれば、これは同国の政治的中立政策を危うくするおそれがある」と警告した。」
ソ連も、相手が中共でなければ直球勝負。オーストリアを脅してます。
「米のジェミニ計画終わる 12号、無事に着水 次は三人乗りアポロ計画」
(毎日新聞昭和41年11月16日夕刊1面)
「【ワシントン十五日中尾特派員】ジェミニ12号は十五日、大西洋上の予定地点に無事着水、米国はこれによって二十ヵ月にわたった一連のジェミニ計画を終了、月世界一番乗りをめざすアポロ計画に乗り出すことになった。グリソム、ヤング両飛行士を乗せた最初のジェミニ人間衛星船が打ち上げられたのは昨年三月二十三日、このあと宇宙遊泳に成功した4号、ソ連から長期飛行の記録を奪った5号、アジェナ標的衛星とのランデブー(宇宙結合)に成功した9号---とジェミニ計画は着実な足どりで発展、こんどの12号でオルドリン飛行士が初めてやりとげた二時間九分の宇宙作業を置きみやげに幕を閉じた。
つぎのアポロ計画は、早ければ来年一月グリソム、ホワイト、シャフィーの三飛行士を乗せた有人飛行で本格的なスタートを切り、専門家筋の観測では、明年末また明後年中ごろまでには三飛行士が月へ着陸するアポロ9号の実験が行われる予定で、月旅行という人間の夢の実現が間近に迫ってきた。」
米国にとって厄介な問題になりつつあるベトナムはちょっと忘れて、景気いい話。いよいよ月旅行に向けた最終計画へ移行するようです。計画の旗振りをしていたケネディ大統領は暗殺されてしまいましたが、彼を継いだジョンソン大統領の在籍中に実現は果たして可能でしょうか。
「大麻買ったジョーンズ逮捕 黒人ドラマー」
(毎日新聞昭和41年11月16日夕刊7面)
「来日中のモダンジャズ演奏家アート・ブレーキーの外人ドラマーをめぐる大麻不正取引き事件を捜査中の厚生省関東信越地区麻薬取締官事務所は十五日夜、黒人ドラマー、エルビン・ジョーンズ(三九)を北海道帯広市郊外十勝川温泉笹井ホテルで、また、プロモーター「ニューJBC」代表取締役、斎藤延之助(三七)を、ともに大麻取締法違反の疑いで逮捕した。二人は大麻不法所持現行犯でさきに逮捕された一行の米国人ドラマー、トニー・ウィリアムス(二〇)の共犯関係を追及した結果、ドラム合戦の公演先だった静岡から名古屋へ向かう途中、特急「こだま」号の車内で、ジョーンズはウィリアムスから大麻約一グラム(五千円相当)を譲り受けて吸煙、斎藤はウィリアムスから同約二グラムを譲り受けたことがわかった。
アート・ブレーキーはドラマー三人を含む七人で、一日に来日、全国各地を公演していたが、これでドラマー二人が逮捕され、さらに共犯者がいるものと同事務所では追及している。ジョーンズは国際批評家投票で連続三年第一位に選ばれた一流プレーヤーである。」
エルヴィン・ジョーンズといえば、なんといってもコルトレーンのグループでの活動が印象的。My Favorite Thingsなんかは傑作でしたねー。しかし、ドラマー二人がいなくなったら、『ドラム合戦』というフレコミがこの興業では使えなくなってしまいました。アート・ブレーキー師匠で一人合戦をするんでしょうか。師匠なら可能な気もしますが。
「本泥棒"専攻"のニセ東大生」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊15面)
「東大生と称して盗んだ本を売りさばいていた男が十五日夜、東京・神田署につかまった。住所不定無職、F(二三)で、さる十日午後四時ごろ千代田区神田神保町明倫館書店から工学書三冊(七千百円相当)を万引したのをはじめさる九月はじめから神田周辺の書店で約五十冊の本を盗んだ疑い。
Fは盗んだ本を別の本屋にもって行き、東大の学生証を見せて売っていたが、あまりひんぱんなので同町大屋書房で不審をもち神田署に通報。十五日午後六時ごろ同店に現れたところを神田署員につかまった。
調ベに対して、Fは咋年秋まで千葉工大に在学していたが、発明にこって借金をつくりぶらぶらしているうち犯行を思いつき、これまでに盗んだ本で約三万円をかせいだといっている。学生証はさる九月にひろい、自分の写真をはりつけて使ったといっている。」
古本屋に本を売るとき、東大の学生証だったら少し割高になったりするんですかね?それにしても、こってた発明とはどんなものなんだろう。見てみたいですね。もしかしたら9月20日に紹介した中松氏の快挙に刺激されて発明をめざしたんでしょうか。それだったら、中松さんも罪な人ですな。
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「修学旅行の50人乱闘 宮崎 東京と横浜の高校生」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊15面)
「【宮崎】十五日午後八時ごろ、宮崎市、児童公園で、修学旅行で宮崎にきていた横浜市金沢区、私立横浜商工高二年生と東京都大田区、私立東京実業高校二年生合わせて約五十人が棒きれなどでなぐり合い六人が重軽傷を負った。近くの人の急報で宮崎署員がかけつけ、乱闘は約十分間でやんだが、横浜商工のI君(一七)が頭を五針樋う大けがで、市内の病院に入院し、宮崎署は血のついた長さ一、二メートルの棒きれなど三十二本を押収した。
宮崎署の調べによると、両校は中学時代の同窓生が在校したり、同じ実業系の私立高校のためライバル意識も強かった。
けんかの原因は、同日朝七時半ごろ、鹿児島・桜島見物のフェリーボートで両校生がいっしょに乗合わせた。ところが狭い通路で両校の生徒二人が肩がふれ合ったことから、横浜商工の生徒A(一六)が東京実業の生徒の腹をなぐりつけた。その場はおさまったが、宮崎にきて、なぐったAが和解を申入れたことを誤解した東京実業の生徒が集団で棒きれなどをもって公園に集りけんかになった。」
典型的な修学旅行エピソードを紹介しました。記事によると、両校とも九州一周の途中だったそうです。最近の修学旅行は贅沢ですなー。宮崎署は両校の引率の先生5人と、生徒三十人を取調中とのことですが、旅行中によく三十二本も棒きれを調達できましたな。やはり蛇の道はヘビで、修学旅行生に武器を売る『死の商人』が旅館街には存在しているんでしょうか?
「"暴力教室"番長グループ 先生にナイフで反抗 足立 八つの中学に広がる」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊15面)
「東京・足立区内の各中学校で"番長グループ"による暴行傷害事件が続発していることが、西新井大師焼失事件を捜査していた西新井署の調べでわかった。喫煙、盗みをはじめ、同級生へのリンチ、ナイフによる教師へのおどしなど暴力団のような凶暴さ。足立区内十二中学のうち八校にこの番長グループ非行事件が広がっており、この事実を知らされた足立区教委はことの重大さに驚き、来週中にも緊急中学校長を開き対策を検討するが、西新井署では学校の非協力、親たちの無関心がこの原因ではないかと強い不満をもらしている。
西新井署の調べによると▽十月二十四日午後二時ごろ、A中学の英語の教師が便所でたばこをすっていた三年の生徒二人(いずれも十五歳)をみつけ注意した。二人は「表へ出ろ、ぶっとばしてやる」とナイフを出して反抗。教師は、二人を教室に連れていったが、あばれつづけて授業を妨害した。二人はその後、別の三年生二人と近所の果実店に深夜侵入、果実四千円相当を盗んで補導され、脅迫の事実がわかった。二人は、このほかにもさる九月、別の教師三人に「卒業までにやっつけてやる」とおどし、さらに別の教師には、欠席を注意されたとたん腹部をなぐって逃げたこともある。(中略)
▽先月二十九日にも十四歳の三年生が、登校途中ショウチュウ○・三六リットルを酒屋でかって寺の境内で飲み、教室で酔いがまわって、あばれ、西新井署に保護された。(中略)
西新井署山崎岩雄少年係長の話
「グループの少年に呼び出しをかけると、五、六人がぞろぞろ現われ"なんの用だよう"とふてくされるなど、すなおさがまったくない。何とか少年グループの解体に持っていきたいが、ある学校では放課後でも校内に警官ははいってはいかんというなど、非協力的態度に泣かされる。親たちも無関心で子供が家を何日もあけても警察に捜してくれといって来たことがない」」
一つ上の高校生の修学旅行の決闘より、タチが悪そうな事例ですね。『ある学校では放課後でも校内に警官ははいってはいかんというなど、非協力的態度に泣かされる』とありますが、これだけ暴れられては先生だけでは対処できないんだから、警官でもなんでも中に入れなきゃしょうがないでしょうに。
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1966-11-16T00:56:11+09:00
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墜落事故続報と米国異常犯罪について
今年は日本で幼稚園ができて90周年だそうです。
「幼稚園生まれて90年 皇太子ご夫妻迎え式典」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)
「ことしは、わが国最初の幼稚園が東京女子師範学校内に開設されてからちょうど九十年目。これを記念して幼稚園教育九...
今年は日本で幼稚園ができて90周年だそうです。
「幼稚園生まれて90年 皇太子ご夫妻迎え式典」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)
「ことしは、わが国最初の幼稚園が東京女子師範学校内に開設されてからちょうど九十年目。これを記念して幼稚園教育九十年記念式典が十五日午前十一時から東京・虎の門の国立教育会館に、皇太子ご夫妻をお迎えして行われた。
有田文相の挨拶、佐藤首相、山口、重宗衆参両院議長の祝辞があり、幼稚園教育に三十年以上も尽くした全国幼稚園の園長、教員、用務員や関係団体役員など四百六十二人の幼稚園教育功労者の表彰が行われた。」
東京女子師範学校は現在のお茶の水女子大の前身。明治九年十一月十六日に開園式が行われたとのこと。明日が開園記念日なんですな。
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「事故繰り返した全日空 "羽田"からまだ九ヵ月 「わからん」頭抱える幹部 誇り高き民間会社 競争意識がわざわい? きびしい再建の道 重み増す業界大合同論」
(毎日新聞昭和41年11月15朝刊4面)
「カウント8でヨタヨタと立ち上がったところへ、また強烈なアッパー・カットをくわされてダウン---十三日夜松山沖で起きた全日空大阪発松山行きYS−11型の墜落事故は、全日空にとってこんなたとえもまだ生ぬるいほどの深刻なショックだった。二月四日、同社のボーイング727型機が羽田沖に姿を消したときは「立ち直りに何年かかるか」が話題になった。だが、九ヵ月余のうちに二度の惨事。こんどは、再起のあり方そのものが議論の中心として取り上げられようとしている。「どこかタルンでやせんか」という批判はきびしく、藤枝運輸相も「今回は会社の運営面にまでタッチして発言せざるをえまい」と異例の決意を述べた。在野の心意気と反骨の気風を誇る全日空は、果たして、どこをどの方向に飛ぼうとするのだろうか。(中略)
独立独歩
全日空---戦後の航空の空白期、じっと腕をなでさすってきた"ヒコーキ好き"が、寄り集まってつくった会社。日航が外人パイロットに頼って飛んでいた昭和二十八年に、早くも"日本人の手で"と一番機を飛ばした日本ヘリコプターと極東航空がその前身だった。いらい、ビタ一文も国の援助を受けず、誇り高き"民間会社"を表カンバンにして伸びてきた国内線航空会社の一方の雄だ。
職員は若く、官僚の介入をきらい、日航に対する"追いつき追い越せ"のファイトを猛然と燃やして成長してきた。社内のムードは"親方日の丸"に対する反骨であり、在野のブライドである。
理論や合理性より、多分にムード的な"暖かさ"が支配している会社。日航を東大にたとえるならまさしくワセダのおもむきがあるといえる。
ボーイングの事故がきっかけで、運輸省を中心に、航空業界再編成の動きが高まったとき、岡崎社長が「事故と再編成は関係ない。わが社の経営基盤は堅いのだ」といい切ったのは、こうした全日空気質を端的に現わしたものだった。
しかし前の事故のとき、実はこの気質そのものが批判されたのだった。当時、羽田の飛行機ラッシュの中で、かなり強引に割り込み着陸をする全日空パイロットが目だっていたことは事実だし、日航の機械のような安全第一主義にくらべると、運航に若くせっかちな"奔放さ"がみえることもたしかだった。
そして、その後にとられた数々の安全対策も、"いままでに間違いがあった"と"心の底から"認めた上でのことではなく「外部からの批判があるから……」という考え方がみられたことは否定できない。
つまりは"安全第一"がトコトンまで徹底したものではなかった、というきびしい見方も出てくるわけだ。
事故の上に新幹線、不況の三重の影響で、営業面での競争は決して楽観できなかったし、若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。
第一の事故のショックからわずか九ヵ月で全日空を立ち直らせたのはこのファイトと自信だった。それが、こんどの事故で、どこかへ飛んで行ってしまった。---あとに何が残っているのか---。いまになって「どこが悪いのかわからん」といい「やっぱり安全運航の長い歴史と伝統が必要だ。一夜づけじゃダメだ」という悲痛な反省が聞こえてくるのである。
高価な償い
全日空は、こんどの事故でどのくらいの償いをしなければならないか。ボーイング事故の例をみると、直接の費用だけでも遺体操索、遺族のホテル代、車代などで約三億円、一人五百万円の遺族補償が約六億五千万円。もちろん営業成績はガタ落ちになった。
ことし四月から九月までの旅客数は百十一万人で昨年同期より二十一万人もの減、旅客営業収入は六億円以上のダウン。とくに事故を起こした札幌-東京線は日航に客をとられっ放し、利用率わずか三五・四パーセント(座席数百に対し乗客三十五・四人)というみじめさである。当然ことし五月から無配に転落している。
それが、夏の終わりごろからぐんぐん盛り返し、観光客、新婚旅行客などの獲得で十月十三日には創立以来最高の一万二千五百七十六人の乗客を記録、来年は復配もできようという気配だった。
そこへ、YS-11が落ちた。こんどはどうか。大体、事故のショックの性格が前回とはまったく違う。同じところを二度切れば血はなかなか止まるまい。不信の度合いがおそろしく深くなると思われるのである。遺体捜索、遺族補償などの費用は、さほど前回と変わらぬにしても、今後の営業成績のちょう落はどこまでゆくか、そしていつまで続くか、見当もつかないと全日空自身が認めている。(中略)
全日空は、松尾日航社長らのとなえる"航空企業大合同論"や、運輸省の"路線再配分"の介入(全日空から一部の路線を日本国内航空にやれという勧奨)をほとんど全面的にけとばして。自主独立"の城を保つことができた。
こんどの場合も再び業界のあり方が問題になることは必至である。航空審議会は将来国内、国際各一社にすることが望ましいと答申しているからである。東亜、長崎両航空が金日空に合併を希望していながら、まだ宙ブラリンのかたちになっている事実がその突破口として使われるだろう。
こんどは"大合同論"の日航が、日本国内航空を引き連れてローカル線への発言権も持って、全日空の前に立ちはだかるかっこうだし、業界、当局、一般利用者の全日空を見る目も前回よりは、はるかにきびしい。今後の推移によっては、国が同社に「安全運航を守る」というニシキの御旗をふりかざして何らかの権利の留保を持ち出してくることも十分考えられる。
全日空はサービスと経営努力の低下を理由に再び反論するだろうが、こんどはその声も弱い。当分黒字の見込みが立たない以上「赤宇の会社で安全運航ができるか」と詰め寄られれば、それまでだがらである。」
昨日の墜落事故の続報。戦後の全日空の歩みを睨みながら事故の会社に与える影響を予測した記事を紹介。事故調査が進んでいない段階で、『若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。』とは、ちょっと憶測が入り過ぎな観がありますが、この事故の影響によって航空産業の大変動があり得るという指摘は気になります。
「ブルガリア 世界党大会を提唱 中共追放に音頭 ソ連派70か国代表前に ジフコフ首相演説」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)
「【モスクワ大月特派員十四日発】タス通信によると、十四日ソフィアで開かれたブルガリア共産党大会の冒頭、基調演説に立ったジブコフ・ブルガリア共産党第一書記兼首相は、中国指導部の分裂行動を強く批判するとともに「共産党、労働者党の国際会議開催の条件が熟したと考える」と言明した。中国の文化大革命を契機に急速に激化したソ連路線を支持する各国共産党の中国批判が高まるなかで、スーダン、エクアドルなど共産圏以外の共産党から世界党会議の開催を主張する発言が強まっているが、共産圏内部からこのように明確な形で同会議開催が提唱されたのははじめてであり、注目されている。
ブルガリア党大会には約千五百人の代議員と国外から七十か国の代表が参加しており、中国の文化大革命いらいソ連派の参集した最大の会議となった。それだけに、ソ連の温度でモスクワ派諸国が共産圏内でももっとも進歩的といわれるブルガリアを舞台に、世界党会議方式を公然と提唱し、各方面の打診をねらったのではないかとみる向きが多い。
もともとこんどのブルガリア党大会は、ソ連派諸国の中国対策のこんごを占う機会とみられていたが、果たしてソ連側からブレジネフ党書記長自身が来賓として乗り込み、その重要性はいっそう高まった形になった。
ソ連が中国対策で、世界党会議方式による中国弾がいをひそかに工作していることは、広く指摘されており、今月はじめにもスースロフ書記がフィンランドを訪問したさい、両国共産党の間で、同会議の開催こそが「効果的な形式」であることを確認し合ったばかりである。しかし、この方式に対して、北朝鮮、北ベトナム、日共からルーマニアにいたるまで、かなり根強い反対論ないし慎重論があることは周知の通りであり、さる十月の共産圏九か国首脳会議でも対中国対策については明確な路線を打ち出せなかったのが実情。
そういう事情に直面してソ連もこれを無理押しする気配はみえない。しかし、さる六日の革命記念日前夜祭における演説でペリシェ・ソ連共産党中央委政治局員が「集団的解決の方法と形式を利用しつつ、より効果的な道を発見することは疑いない」と述べたように、ソ連が中国対策で何らかの「集団的解決」を模索していることは明らかである。」
共産圏のボスのソ連とはいえ、中共を槍玉にあげるのは、一筋縄ではいかないようで、周到に根回しを進めている段階のようです。しかし、ソ連の目指す『集団的解決』とはどのような解決なのでしょうか?経済的制裁なのか、軍事的な意味も含むものなのか。
「これがアメリカだ 31 異常な犯罪に悩む あり余る時間・金 "繁栄する社会"のひずみ」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)
「この種の凶悪犯罪は、アメリカ全土に一種の"無法時代"が現出したという印象さえあるくらいだ。(中略)アトランタで二十歳の青年が、父親をコン棒でなぐったうえ、ナイフで五十回も刺して殺しているし、シカゴの看護婦七人殺し(七月)テキサス大学構内でのライフル大量殺人(八月)アリゾナで起こった十八歳の高校生による五人射殺事件(十一月)などなどが起こっている。こうした血なまぐさい「異常犯罪」の増加は、いまアメリカで大きな社会的関心の的になっている。記者の会った多くの人々は、それを"精神病者"の行動として片づけようとした。しかし問題は、それほど簡単でなかろう。(中略)
ではこのような犯罪の激増、モラルの低下の原因は、一体どこに求められるのか。答えは、さまざまであった。大多数の意見としては、家庭でのしつけの不足、離婚その他による家庭の崩壊、急速な都市集中化と"繁栄する社会"の出現があげられた。しかも、これらの要因は、互いに関連し合っているという意見が多い。
ワシントンで会った中西部の農村出身の官吏S氏は、次のように表現した。
「私の青少年時代、農村では子供たちはかならず、何か家でやるべき仕事をもっていたものです。また家庭ではかならず誠実とか能力とか、個人の尊厳が人間として大事だと教えこまれた。ところが、いまでは、だれもかれも都会に働きに出かける。過去に教えこまれた価値観は、もう都市生活では生活の指針とはならない。この新しい環境に適応できないイライラから横道にはいる。それにいまは品物と時間と金が多すぎるのですよ。犯罪、とくに青少年犯罪激増の原因はこれです」
もちろん貧困と失業、教育の不足にもとづく、社会からの疎外感、絶望感をあげる人も多い。さらに宗教の影響力の低下、テレビ、映画の暴力シーンによる一種の「暴力不感症」を指摘する人もいた。(中略)
アメリカの犯罪の激増、モラルの低下に、ひとつの違った角度から光をあてたのが、ローゼンソール氏だった。彼は記者に「三十八人の目撃者」という著書をくれた。この本は六四年三月十四日、ニューヨークのクィーンズ地区で起こった有名な"ジュノペーズ"事件を中心に、現代アメリカの病根に鋭いメスをあてたもので、いまでも各学校その他で、広く読まれている。
事件そのものは、その日の午前三時、二十八歳になるキャサリン・ジュノペーズという女が、オースチン通りのアパートに帰ろうとした時、一人の暴漢に三回にわたってナイフでおそわれ、三十五分後に死んだというありふれたもの。この事件の異常さは、犯行の場所に近い中流家庭の住民たちが、彼女の悲鳴や助けを求める声をきいたのにもかかわらず、だれ一人警察に電話しなかった---という点にある。
"三十八人の目撃者"は、あとで"こわかったから"とか"事件にまきこまれたくなかったから"とか弁解した。同氏は、この「無関心」は、ニューヨーク、東京など、大都会に共通する現象だと説明する。この無関心の原因について、いろいろな見方、たとえば精神病理学者カール・メニンジャー教授の「無関心は潜在的攻撃性のあらわれだ」との見方---を紹介して「大都市における個性の喪失、人間の疎外現象だ」と説明する。そしてこの事件を反省材料として"まきこまれたくないというササヤキを人々は常に意識していなければならない"と結論する。しかし、これは一つの問題の提起であって、解答ではない。」
未成年者の凶悪犯罪に悩むアメリカからのレポート。豊かさと貧しさが共ににゆがみの原因と考えられているところが興味深いです。アメリカは世界の最先端といいますが、やがては日本もこのような犯罪に悩まされることになるのでしょうか。
今日の殺伐
「また"異常な少年" 14歳 両親と妹を射殺」
(朝日新聞昭和41年11月15日朝刊15面)
「【ウィンザー(米ノースカロライナ州)十四日発=AP】米国ノースカロライナ州の小さな町ウッドビルで、十四歳の少年が父親、母親、妹の三人を射殺したかどで十三日、逮捕された。
この少年はロジャー・バーナード・リーで、さる五月二十八日、父親のウィリーさん(五一)、母親の
エッシーさん(四一)、妹のキャロラインちゃん(四つ)をライフルで射殺、弟のマービンちゃん(一つ)にも傷を負わせた。
警察当局は当時、少年の証言をもとに、金銭のことで口論していた母親が父親を殺した無理心中事件としてかたづけられたが、十三日改めて取調べた結果、少年は三人の殺害を認めた。
取調べにあたった保安官の話によると、少年は近くの食料品店でツケで買った品目について母親と寝室で口論し、なぐられた。そのため少年なライフルを取出して母親めがけて数発乱射して即死させたあと、隣の台所にいた父親も射殺した。彼は妹や弟を撃った覚えはないと語っているという。」
早速、米国から少年犯罪が報道が届きました。そもそも、十四歳の少年の手の届くところになぜライフルを置いておくのか、という根本的なところも気になりますが、何故四つの妹まで殺してしまったのか。家族共々自分も自殺しようと考えていたのでしょうか。
「ホットドッグ屋が乱闘 住宅街で猟銃撃つ」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)
「【厚木】十五日未明、箱根バイパスで、ドライバー相手に移動ホットドッグ屋を開いている露天商十余人が、神奈川県厚木市の市営住宅街でナワばり争いから猟銃、木刀などを使って乱闘、三人がケガをした。神奈川県警厚木署で全員を任意同行、傷害と銃砲不法所持の疑いで調べている。
十五日午前一時三十分ごろ、神奈川県厚木市の市営住宅、ホットドッグや経営N宅へ、乗用車に二台に分乗したOら七人が猟銃一丁、木刀などを持って押しかけた。N側もこのなぐり込みを予想し、Nはじめ六人が猟銃一丁と木刀などを用意して待ちうけ、双方が入り乱れて乱闘、お互いに猟銃を一発ずつ撃ちあった。乱闘は約二十分つづき、付近の人の知らせて同署員がかけつけとりしずめたが、Oが木刀でなぐられ前頭部などに約二か月のケガをしたほかNのほうも二人が足などをケガした。
同署の調べだと、Nはホットドッグ車五台を持ち、一方Oも三台を持って夏は湘南海岸、冬は箱根バイパスを中心にドライバー相手のホットドッグ屋を開いているが双方いがみあっていた。」
日本の殺伐事件ですが、こちらは伝統的なテキ屋さんの出入りという感じで、アメリカの陰惨な異常犯罪の後だと、ちょっとホッとしますね(いいのか?)。
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1966-11-15T23:19:26+09:00
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YS-11の墜落と日米の殺人事件
本日は、事件・事故と血生臭いニュースが多いのですが、冒頭は宇宙開発に関して。
「宇宙遊泳・二時間九分 長時間記録を更新 ジェミニ12号のオルドリン飛行士」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)
「【ケープケネディ十三日AP=共同】ジェミニ12号のオルドリ...
「宇宙遊泳・二時間九分 長時間記録を更新 ジェミニ12号のオルドリン飛行士」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)
「【ケープケネディ十三日AP=共同】ジェミニ12号のオルドリン飛行士は十三日、二時間を越す宇宙遊泳を終え、船室に戻った。オルドリン飛行士の船外活動は米東部標準時十三日午前十時三十四分(日本時間十四日午前零時三十四分)から二時間九分続けられた。これは予定より十数分長く、これまでの最長記録。予定の船外活動を完全に達成したのは最近の四回の試みではオルドリン飛行士が初めてである。
オルドリン飛行士の船外滞在が予定より長引いたのはこの日早く作動しなかった宇宙船誘導装置を見守るためだった。
オルドリン飛行士が船内に戻り、ハッチが手で締められると、管制センターは「おめでとう。すばらしかった。船外活動の新記録だ」と伝えた。オルドリン飛行士は遊泳中まったく疲れたようすをみせず、最後まで上きげんだった。
【注】これまでの宇宙遊泳記録は、六月三日に打ち上げられたジェミニ9号による二時間五分。」
二時間以上も宇宙空間にいて終始上機嫌。宇宙飛行士はタフだ。
新聞斜め読み
「全日空機、松山沖で墜落 50人全員が死亡 大阪発のYS-11 着陸誤り失速 新婚旅行の十余組も」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「【松山】十三日午後八時三十二分ごろ松山空港へ着陸しようとした大阪空港午後七時十三分発の全日空下り便YS−11"オリンピア"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=が着陸地点を誤り滑走路中央部付近に接地したため、再び高度を上げ左旋回しようとして失速、空港沖二・二キロの吉田浜海上に墜落、全員が死亡した。地元消防団、海上保安庁などが協力して海上を捜索、機体の破片の一部とタイヤを発見、遺体をつぎつぎに収容した。国産機YS−11の事故は三十七年八月三十日初飛行以来、はじめてである。
同機には新婚旅行の十余組も乗っていたが、空港には乗客の家族、知人ら約三百人がつめかけ、全日空の係員に安否を問いただすなど、深夜まで空港はごった返し「やはりだめか」の声が不安に震えていた。
YS−11"オリンピア"は十三日午後七時十三分大阪空港を離陸、松山へ向かった。大阪航空保安事務所の話では、午後八時三十二分松山空港上空に到着、森機長から松山コントロールタワーに「これから着陸する」と連絡があり、同機は着陸態勢にはいり、いったん着地した。しかし正規の場合、滑走路のはしから三百メートルの地点に接地するのに同機は、それより三百メートルも行きすぎたため滑走距離が不足し、同機長から「ミス・アプローチ、海へ向かう」と連絡があったのち、消息を断った。」
今年は、航空機事故が多発していますが、この事故は今年5回目。数多くの犠牲者を出し、しかも戦後初の国産旅客機YS-11の事故だったために与えた衝撃も大きかったようです。
「有視界飛行できたはず」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「【松山】松山地万気象台松山空港分室の話では、同日朝から愛媛県下には風雨波浪注意報が出ていたが、全日空機が着陸しようとした午後八時半ごろは雲高三千フィート、視界六マイル、北北東の風三メートルで夜間有視界飛行の限度(雲高千フィート以下、視界二マイル)にはなっておらず管制塔の指示に誤りはなかったものとみられている。」
「事故当時は小雨」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「気象庁にはいった連絡によると、事故発生前の午後八時現在の四国付近の気象状況は、南東の風二・五メートル、小雨だったという。」
「機長の判断ミス?」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)
「【松山】松山航空保安事務所相原所長の話では「管制官は着陸の許可を与えただけで、飛行機は着地し、再び高度をあげたあと管制塔との接触が途絶えた。管制官の指示に間違いはなく、機長の判断に誤りがあったのではないか」といっている。」
まだ、機体が発見されていないので事故原因は推測にすぎませんが、操縦ミスの疑いが持たれているようです。
「"身代わり"で飛んだ機長」
(朝日新聞昭和41年11月14日朝刊15面)
「【大阪】全日空伊丹営業所の話では事故を起した松山行の第六便ははじめフレンドシップ型を使用、西野巴悦機長が飛びたつ予定だったが、この日は西日本一帯の荒天から、欠航や遅れがおよそ二十便出たうえ、乗客が多かったため、同型が使えなくなり、松山便に回せるのはYS11型だけになった。
しかし、西野機長はYS型の経験がないため、森機長が鹿児島から帰ると、折返し同機に乗るよう指示され"身代り"事故だった。」
予定外のフライトだったようですが、これも事故の原因の一つなのでしょうか?
「荒天で捜索難航 全日空機松山事故 機体の一部発見か 遺体収容、やっと二一」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊1面)
「【松山】十三日夜、松山空港沖に墜落した金日空YS−11型機"オリンピア号"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=の遺体捜索は、同夜から松山海上保安部の巡視艇をはじめ多数の船が墜落現場の海面一帯を中心に、おりからの強い風と雨の中で徹夜で続けられた。十四日夜明けからは、さらにヘリコプターなどを動員、海、空からの大がかりな捜索を続け、遺体の収容に全力をあげているが、十四日午後二時までに遺体二十一体(男七、女十四=既報二十六体は誤り)を収容、うち十六人の氏名が確認された。また巡視船"あきよし"は測深器によって、釣鳥の南約五キロの水深三十二メートルの海底で機体の一部らしいものを発見した。午前十一時、松山空港着の全日空機で運輸省航空局の松本登技術部長、楢林寿一飛行審査官、山下専門官、岡田航空機検査官が着き、直ちに滑走路などの現場検査を始めた。(中略)
現場付近の海面は、夜明けとともに雨はあがり、曇り空ながら視界はよくなったが、西一三メートルという強風が吹きつけ、うねりも二メートルを越えるという大荒れが続き、遭難直後から捜索に協力していた地元の漁船約五十隻は十四日午前二時ごろ危険を感じて引き揚げた。また水深に二三−三○メートルという深さもあって、捜索は難航している。
遭難機の破片は十四日朝までに約○・三平方メートルのジュラルミンの破片、座席三個、車輪などが発見されているが、本体はまだ確認されていない。」
夕刊の情報によると、荒天と海流の流れの速さのため、遺体の収容は難航しているようです。松山空港は新婚旅行で人気の道後温泉をひかえているためか、乗客には若いカップルが多いとのこと。犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。
「『茶の間』先生とドクター 市川篤二」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)
「われわれが昭和の初期、大学病院での修業時代に、先生と呼んだのは教授をはじめとする指導者のことで、仲間同士が先生と呼び合うことはなかった。先生と呼ばれる職業として医師は代表的なもので、歴史も長いが、いまや看護婦や病人からばかりでなく、同僚からも二人称としても三人称としても、先生と呼ばれる傾向になってきたのは、ほかに都合のよい日本語がないからであろうか。アメリカの場合、ドクターの称号を持っている人をドクターと呼ぶことにだれも抵抗を感じないようだし、またドクターの称号を持つ人の多くが医師であるから、二人称でも三人称でもドクターを用いることは医師の場合まことに都合がよい。
戦後のわが国は何ごとによらずアメリカの影響を受け、あれほどドイツ流であった医学畑も例外ではない。アメリカで研究して来た医師、アメリカを見て来た医師の数も相当なものである。そこでアメリカ式の呼び方がわが国に伝わり、ドクターの代わりに先生と呼び合うようになったと考えれば、まんざらわからない現象ではないけれども自分の指導した医師を三人称ではとにかく、二人称で先生と呼ぶことにいささか抵抗を感ずるのは私ばかりではなさそうである。(後略)(国立東京第一病院長・東大名誉教授)」
ちょっと興味をひくエッセイがあったので紹介します。大学病院などで、医者同士がお互いを『先生』と呼んでいるようですが、これは戦後の風習だったんですね。筆者も書かれていますが、自分が教えた弟子まで『先生』と呼ぶのは違和感があるでしょうね。
今日の殺伐
「七人を寝せて撃ち込む 米国の五人射殺」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊14面)
「【ニューヨーク十三日波多野特派員】十八才の高校生が「有名になりたい」という単純な動機から、子供を含む女性五人をピストルで射殺し、ほか二人に重傷を負わせるという事件が十二日、米国南部アリゾナ州の田舎都市メーサで起こった。犯人はロバート・スミスという高校三年生の少年で、事件直後、警官に逮捕されたが、罪の意識を持たず、声をたてて笑いながら警察に連行されていったという。
警察の調べによると、スミスは十二日午前六時半に起き、自宅から二・五キロのところにある同市ローズ・マー美容学校を襲った。
校内にはいったスミスはまず大きな鏡めがけて二二口径のピストルを一発発射、そこにいた子供を含む女性七人を全部後ろの部屋に押しこめた。
このあとスミスは女性たちを床の上にうつぶせに頭を中心に向けて放射状に寝かせ、頭にピストルを二発ずつ撃ちこんだ。殺されたのは二十七才の母親とその三才になる女の子、三人のティーンエージャーの女性である。ほかに十八才の女性と六ヵ月の赤ん坊も撃たれ病院にかつぎこまれたが重体。
殺されたのは、ジョイス・セラーズさん(二七)とその娘のデブラちゃん(三つ)メアリー・オルソンさん(一八)グレーンダ・カータ!さん(一八)キャロル・ファーマーさん(一九)重傷はタマラちゃん(生後六ヵ月。セラーズさんの娘)とスージー・ハリスさん(一八)。」
「18歳のまじめ高校生 米国の大量殺人 三ヵ月前から計画」
(日本経済新聞昭和41年11月14日朝刊15面)
「【メーサ(米アリゾナ州)十二日AP】十二日米アリゾナ州メーサ市の美容学校で十八歳の少年が二人の幼児を含む七人の婦女子を床のうえにうつぶせに円型に寝かせ、次々と頭部にピストルを撃ち込み、三歳の女の子とその母親ら五人は死亡、残る二人は重傷を負った。犯人は現場でかけつけた警官に抵抗せず逮捕された。
犯人は、ロバート・E・スミスというまじめな高校生。調べによるとスミスはテキサス大学の乱射事件などに刺激され、三カ月前、射撃練習用にご両親からピストルリを買ってもらっていらい、大量殺人を計画していたという。犯行は床に無抵抗に横たわる女性にピストルを撃ち込むという残忍さで、いうことを聞かず走り回っていた三歳の女の子はナイフで刺し殺す非情ぶりだったという。」
「犯人は18歳の高校生 アリゾナの五人射殺 "シカゴ事件まねた"」
(読売新聞昭和41年11月14日朝刊14面)
「【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】十二日朝、当地の美容学校にはいり、婦女子七人を頭を中心に放射状に、うつぶせに寝かせてピストルで撃ち、五人を殺した犯人は、ロバート・ベンジャミン・スミスという十八歳の高校生だった。現場で逮捕されたスミスは警察に「シカゴやテキサス大学の大量殺人事件から思いついてやったのだ」と語った。
スミスは、三年半前ミズーリ州のヒューストンからメーサに引っ越してきたが、これまでメーサ高校で問題を起こしたこともなかった。しかし、三か月前、射撃練習をするからと両親から○・二二口径のピストルを買ってもらい、大量殺人を計画していたという。
【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】美容学校殺人事件の犯人スミス少年について、ことし同じ高校を卒業した近所のサンドラ・ハズラップさんは「彼はよい生徒で、学業成績も平均点のようだった。いつも通りすぎるとき、微笑するが、非常におとなしく"ハロー"とあいさつするくらいで、それ以上のことは口にしなかった」と語った。また他の生徒も「孤独癖の方で、他の友だちとかけっこしているのを見たことがない」といっている。」
昨日一報があった、米国の高校生による大量殺人の続報。三紙ともAP配信のニュースですが、内容が異なるので全て紹介しておきます。読売の記事で『よい生徒で、学業成績も平均点』『孤独癖』と犯人のプロフィールを紹介しているのが気になります。
「強盗、帰宅の主人殺す 逗子 妻や警官も切り逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊7面)
「【鎌倉】十四日午前二時ごろ、神奈川県逗子市沼間、バー"りすぼん”経営、桜木陽一さん(三一)が約百メートル離れたバーから帰宅、裏口からはいろうとしたところ、室内に侵入していた覆面の若い男に柳刃包丁で胸、背中など五ヵ所を刺され即死した。
男はさらに六畳間に寝ていた陽一さんの妻、富子さん(三六)に切りつけ、右腰に二週間のけがを負わせ、持って来た麻ナワで長男の博文ちゃん(一つ)を抱いた富子さんの両手、足をしばり「五万円出せ」とおどした。富子さんが手さげ金庫を差し出すと、中から三千余円を奪い「ママを殺さないで」とふるえる長女の千鶴子ちゃん(七つ)に「あとでママのなわをほどいてやれ」といい残して逃げた。
陽一さんの悲鳴で気づいた妹の睦美さん(ニニ)が勝手ロから逃げ出し、約五十メートル離れた国鉄横須賀線東逗子駅前の公衆電話から逗子署へ一一○番し、一宝一成(いっぽう・かずなり)警部補(三六)ら三警官が同家前で逃げる男と出会った。
男は柳刃包丁を振りかざして三警官に切りかかり、同署外勤係、三浦昂巡査(一九)の左足を突き刺し、六ヵ月の重傷を負わせた。また、そばにいた睦美さんの右腕にも三ヵ月の重傷を負わせて逃げたが、一宝警部補と中田保夫巡査(四二)が追跡、約七十メートル先で追いついた。格闘となったが、男は「もうやめた」と包丁を投げ出し同二時二十五分に逮捕された。
横浜市戸塚区、宮沢熊一(二九)で「前日に北海道から上京したペンフレンドの女性とつき合う金がほしかった。駅前の東逗子駅前郵便局にはいろうとしたが、桜木さん方の木戸があいていたので、郵便局のおもやと思って侵入した」と自供した。
ゴム手袋と麻ナワ、地下タビの"強盗スタイル"で、これまでも傷害、詐欺、放火など前科八犯の前歴がある。
現場は国電横須賀線東逗子駅前広場の一画で、住宅、商店が立ち並ぶ静かなところ。四つ角に東逗子駅前郵便局があり、桜木さん方はむねつづきになっている。
桜木富子さんの話 主人のうめき声で目をさますと勝手口に倒れた主人のそばに男が立っていた。主人が殺されたうえ、子供までおどされ、生きた心地はなかった。」
日本でも残忍な事件があったようですが、こちらは典型的な押し込み強盗。気丈な妹さんのおかげで、犯人がすぐに捕まったところが一抹の救いですね。
「大阪の川に首なし死体」
(朝日新聞昭和41年11月14日夕刊11面)
「【大阪】十三日朝、大阪・新淀川で、ビニールに包まれた首のない女の死体が見つかった。大阪府警捜査一課は殺人事件と断定、大阪水上署に捜査本部を置いた。
同日午前八時ごろ、大阪市此花区伝法町の新淀川にかかる第二阪神国道新伝法大橋架橋工事現場で、作業員が川の中央付近にビニールの包みが流れているのを、見つけた。包みから首を鋭利な刃物で切取られた若い女の死体が出て来た。
同捜査本部の調べでは死体は首のつけ根から約二センチ上のあたりから切取られ、体をエビのように折りまげられて包んであった。」
もう一つ猟奇的な事件。淀川に首無し死体が浮かんでいたとのこと。朝日新聞のこの記事では、架橋工事の作業員が発見したとなっていますが、同日の日経の記事では貸し船業の方が発見したと書かれていました。
不審な包みを見つけて開けてみたらバラバラ殺人の遺体だった、と警察に届け出る発見者が時折いらっしゃいますが、包みを開けたときは心臓が止まる思いでしょうね。
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米でまたも大量殺人事件--犯人は16歳
観光名所で有名なナイアガラの滝ですが、一時その流れが止まるそうです。
「ナイヤガラの滝を健康診断 一部せき止め、浸食の岩盤調べる」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊3面)
「【ナイヤガラ(米ニューヨーク州)十一日UPI】"ナイヤガラをせき止める"という初の...
「ナイヤガラの滝を健康診断 一部せき止め、浸食の岩盤調べる」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊3面)
「【ナイヤガラ(米ニューヨーク州)十一日UPI】"ナイヤガラをせき止める"という初の大作業が、十一日夜から始まった。作業担当の米陸軍工兵隊の計画では滝の米国側の流量を四分の一に減らし、浸食された岩盤を調査する。
ナイヤガラの滝は、カナダ滝(幅約三百メートル、高さ約五十三銃メートル)と、アメリカ滝(幅約八百メートル、高さ約三十五メートル)に分かれるが、水勢で周囲の石炭石層の岩ハダは削られ、滝口も毎年一・二−一・五メートルも後退している。
作業は、まず滝口から上流約一・六キロの分流堤でアメリカ滝への流量を押える一方、ニューヨーク州当局やオンタリオ水力発電所の協力で水をポンプで吸い上げ、滝下のダムへ落とし込む。
この結果、十二日朝までにアメリカ滝の流量は冬季平均の毎秒約八千立方フィートから約二千立方フィートに減水、岩盤調査班は直ちに活動を開始した。作業は六時間で終わり、ナイヤガラの体資改善のための報告書は来年初めまでにまとめられる。なお、この費用はしめて五万ドル(約千八百万円)という。」
6時間の調査のために、ナイアガラをせき止めようと考えるところがさすがアメリカ。しかし、岩盤を調査したところで、水量を減らさずに滝の後退を防ぐ手段ってあるんですかね?
新聞斜め読み
「兵士20人が死亡 北京でニセ紅衛兵と衝突 ハンガリー通信が報道」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊3面)
「【ブダペスト十二日AFP】国営ハンガリー通信北京特派員が十二日伝えたところによると、北京駐とん躍兵士と紅衛兵が衝突し、二十人の兵士が死亡した。
北京の中国共産党中央委付近に張りだされた壁新聞は"ニセの紅衛兵"が中共軍部隊に挑発、二十人の兵士が死去したと述べ、ニセ紅衛兵を非難している。なおこれまで、新彊ウルムチ自治区でも、同様の事件が起こっている。」
中共公式には『ニセ紅衛兵』といっているようですが、『ニセ紅衛兵』というより『盛り上がりすぎて党の力では制御不能なまでに先鋭化してしまった紅衛兵』というほうが正しいのでは?
「国学院大で学生百人が乱闘 自治会の運営で対立」
(朝日新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「国学院大学講堂入口で、十二日午前十一時ごろ学生自治会、文化団体連合会の学生が学生総会を開く準備をしていたところ、これを止めさせようと体育団体連合会の学生が押しかけ、双方約百人が衝突、自治会側の細井幸夫委員長(二四)ら三人が頭などに二週間のケガをした。体連の学生は講堂内にすわりこんだので、自治会側は場所を百五番教室に変えたが、ここにも体連の学生が来て乱闘となり、自治会側の四人がそれぞれ一週間のケガをした。総会は流会となった。
大学側や学生双方の話によると、学生総会は自治会、文連、体連からそれぞれ代議員を出して運営することになっているが、これまでも前二者と体連との間で意見の食違いがあり、対立していた。六月末に行われた前期の総会では、体連が出席しないままに「体連の民主化」「体連幹部の交代」を決議するなど、学生の自治組織の中で体連は孤立していた。(中略)
渋谷署は七人のケガ人が出たこの事件について告訴がなければ捜査しないといっている。」
中共では、ニセ紅衛兵VS人民解放軍で20人が犠牲になっていましたが、ひるがえって我が国では体連VS自治会の争い。いや、日本はまだまだ平和でよろしい。
「みごと悪書追放 読まない、見せない、売らない 返本ふえて左前に 青少年育成審議会調査 すでに二誌は廃・休刊」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊16面)
「警視庁は都の青少年健全育成審議会と協力、四月から"読まない、見せない、売らない〃の悪書追放「三ない運動」を進めているが、この運動の高まりで、いままでセックス記事を売りものにしていた二つの雑誌が八月号から廃、休刊したほか、五つの雑誌も返本が多くて経営が苦しくなっていることが同審議会の調べでわかった。同庁は"読まない"人と"売らない"書店がふえた結果とみて、今後さらに運動を盛り上げる。
青少年健全育成審議会の調査は同審議会が最近、日本出版販売会社など大手取次店五社と協力、かつて青少年健全育成条例で不良出版物と指定した雑誌について、一月から六月までの仕入れ、返本状況を調べたもの。それによると「百万人のカメラ」=新風社、中央区=が八月号から廃刊「ユーモアグラフ」=パンフォトプレス、港区=が八月号から休刊した。
また「紳士専科」=辰見書房、千代田区=「女の手帳」=手帳社、中央区=「カメラアイ」=浪速書房、三鷹=「夫婦生活」=手帳社=「百万人のよる」=新風社=の五誌が、この運動が起きた四月以降の三ヵ月は月平均約五四・三パーセントの返本率で、運動前三ヵ月平均より一〇パーセント多くなっていた。
なかでも「カメラアイ」は四月以降六九・六パーセントの返本率で、その前より一六・四パーセント増。そのうえ、これら出版社は取次店から小売店への取次手数料、小売店から取次店への返本手数料のダブルパンチで経費がかさむため、経営が苦しくなっているという。
さらに不良出版物シャットアウトのムードは販売業界にも広がっている。鉄道弘済会が仕入れ審議会で事前審査をし、五月警視庁がわいせつ物として摘発したある週刊誌の翌々号の販売を取り扱わなかった。また街頭、駅のスタンドから不良出版物を締め出す東京都新聞即売委員会は七月、各出版社の編集責任者に「審議会から三回以上"編集上注意"を受けた出版物は、一時スタンドでの販売を中止する」と申し入れた。
このような業界の自主規制ムードをさらに高めるため、同審議会と警視庁は出版、書籍販売団体にいっそうの協力を求める一方、団休に所属しないで不良出版物を発行している"アウトサイダー"には、実態解明と協力要請の両面作戦で雑誌の健全化を進めるようにしていくという。」
『紳士専科』『夫婦生活』『百万人のよる』---味わいのあるタイトルじゃないですか。戦後すぐの、いわゆるカストリ雑誌の雰囲気のある標題。確かに『不良出版物』なんでしょうけれど、当局の締め付けの結果、取次手数料と返本手数料のダブルパンチで経営が苦しくなるなんてのも、ちょっと切ない話です。
今日の殺伐
「同じ電車で連続自殺」
(朝日新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「【鎌倉】十二日夜、国鉄横須賀線の久里浜発東京行の同じ電車で、二十分ほどの間に飛込みと飛降りの自殺がつづいた。
午後八時五十分ごろ鎌倉市扇ケ谷の同線警報機付踏切で、同所二九一駐留軍要員青柳一雄さん(五七)が、久里浜発東京行電車(十五両編成)にひかれ、即死した。
鎌倉署の調べでは、青柳さんは日ごろノイローゼ気味で飛込み自殺らしい。
同電車はこの事故で北鎌倉駅を八分遅れて発車したが、間もなく同九時十分ごろ、同駅と大船駅間の明月院踏切付近で、中年の男が同電車の窓から飛降り、すれ違った東京発久里浜行下り電車(十五両編成)にはねられ即死した。」
ちょっと怪談めいた話。二番目に自殺した男は、最初の自殺の際には車内にいたんでしょうか?緊急停車中に死に神が最初の自殺者から二番目の男に乗り移ったかのような感も...。それとも、二番目の男もはじめから自殺するつもりだったけれども、『チクショー先を越された』とばかりに後を追ったんでしょうか。飛び込み自殺があってから電車の窓から飛び降りるの間、二番目の男の胸に去来するものは何だったのでしょう。
「少女五人を並べ射殺 米国 少年が美容学校で」
(毎日新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「【メッサ(米アリゾナ州)十二日UPI、AFP】十二日、メッサ市の警察当局の発表によれば、同日十六才の少年が同市の美容学校の教室に侵入、五人の少女を射殺した。同少年は教室内にいた七人の女生徒に輪になって床に寝ろと命令し、一人ずつ頭部にピストルをうちこんだ。このため二人は即死、三人は病院にかつぎこまれて死亡、二人は重傷を負った。同少年はロバート・スミスと名乗っているが、犯行の動機は明らかでない。」
「またアメリカで惨劇 少女ら五人を射殺 美容学校で16歳の少年 アリゾナ州」
(読売新聞昭和41年11月13日朝刊15面)
「【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】十六歳の少年が十二日当地の美容学校の床に七人の女性と少女たちを並べてから、そのうち母親を含む五人をピストルで射殺した。犯人の少年は当地に住むロバート・E・スミスと警察当局はいっており、現場で逮捕された。目撃者たちによると、警察の車で連行されながら犯人は声をあげて笑っていたという。
殺された五人のうちの母親は母親が二十七歳、娘は三歳半である。この母親のもうひとりの三カ月の娘は直ちに病院に運ばれたが重体、また美容学校の職員一人も重体である。
死んだ五人のうち二人は床の上で、他の三人は病院に運ばれてから死んだ。
目撃者が当局に語ったところによると、犯人は被害者たちを、頭を中心に円形にうつ向きに床にならばせ、その外周をまわりながら二二口径のピストルで一人一人頭に撃ち込んでいったという。学校の所有者トム・フリーストン氏は「ゾッとする光景だった」と語った。
【注】アメリカではことしになって、七月十四日シカゴで二十五歳の青年が看護婦八人を惨殺した事件、さらに八月一日にはテキサス大学構内で二十四歳の学生がライフルで四十六人を殺傷するという事件が続発しているが、今回の事件は、その凶悪さとともに、犯人が十六歳の少年であることで、さらに新たな問題となろう。」
毎日新聞は第一報のみ。読売新聞はもう少し詳しい内容となっています。日本も今年は殺人事件が殖えましたが、アメリカの異常犯罪の多さは不気味ですね。テキサスタワー事件だけでも驚愕に値する事件ですが、大量殺人事件が一年間にこれだけ起きるなんて、一体どうしてしまったんでしょうか。
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1966-11-13T01:34:40+09:00
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ジェミニ12号の成功と近鉄特急の失敗
停電時の電気製品のスイッチにはご注意ください。
「留守中に停電解除、火事に 電気ガマ消し忘れ」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊10面)
「十二日午前九時五十分ごろ、東京葛飾区、東京ドラムカン会社寮の同社員、Kさん(六一)方六畳間から出火、同木造平...
「留守中に停電解除、火事に 電気ガマ消し忘れ」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊10面)
「十二日午前九時五十分ごろ、東京葛飾区、東京ドラムカン会社寮の同社員、Kさん(六一)方六畳間から出火、同木造平屋建一一○平方メートルを全焼、八世帯、二十六人が焼け出された。本田署の調べによると、Kさんはこの朝、電気ガマにスイッチを入れた直後に停電になったので、スイッチを切らずに出勤したため、停電が復旧したあと旧式の電気ガマが加熱したらしい。」
停電が以前に比べると少なくなったためか、いざ電気が止まるとどうしたらいいか困ってしまいますね。停電中に外出される時は、特に気をつけて。
新聞斜め読み
「三周目ドッキング ジェミニ12号 目測で達成 自動追尾装置が不調」
(日本経済新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「【ケープケネディ十一日AP】米国の二人乗り衛星船ジェミニ12号(飛行士ジェームズ・ラべル海軍大佐、エドウィン・アルドリン空軍少佐)は米東部標準時十一日午後三時四十七分(日本時間十二日午前五時四十七分)、ケープケネディ基地から打ち上げられ、軌道三周目の同日午険八時(日本時間十二日午前十時)西太平洋上空で先発のアジェナ衛星との第一回のドッキング(宇宙結合)に成功した。
この日はまずジェミニ12号のドッキングの標的となるアジェナ衛星が午後二時八分(日本時間十二日午前四時八分)に発射され、一時間四十分後に12号が基地を出発、順調に飛行を続けた。だが、12号がアジェナを追跡する体制にはいってからレーダーの自動追尾装置に障害が生じ、結局飛行士の目測をたよりにしてインド洋上空でランデブー(宇宙会合)、次いでドッキングを達成したもの。」
「ジェミニ計画仕上げ 次は"アポロ" 年末にも三人乗り」
(日本経済新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「米国のジェミニ12号は現地時間の十一日午後、予定より四十八時間遅れて四日間にわたる宇宙飛行へ出発、第一の目的であるドッキングに成功した。一九六五年三月、一人乗り衛星船マーキュリーのあとを受けて最初の二人乗り衛星船ジェミニ3号(1、2号は無人)が打ち上げられて以来ちょうど十回目。総計十三億ドルを投入したジェミニ計画はこれをもって終了、本年末か来年早々に第一回の有人打ち上げを行なう三人乗り宇宙船のアポロ計画にバトンタッチする。(中略)
今回の実験で特に重点が置かれているのはドッキングと遊泳である。11号の際は地上ステーションから指令を受けていたのに対して、12号は船内の電算機とレーダーをたよりに自力で早期ドッキングを遂行する点に特色がある。」
人を月に送り込むにあたって、最も難しいのは月から人間を回収することのようですが、宇宙空間での宇宙船のドッキングは、この回収作業で必要不可欠な技術。月への着陸船は、月上空で地球へ帰還する宇宙船とドッキングし、乗員はその宇宙船に乗り換えて地球に戻る仕掛けとか。今度のジェミニ12号での実験で、そのメドがたったんでしょうか。宇宙開発競争から目が離せません。
「国連日本代表も見学」
(日本経済新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「【ケープケネディ十一日UPI】ジェミニ12号の発射にさいして米国はゴールドバーグ国連大使名で国連宇宙平和利用委員会の二十八力国に招待状を送った。ソ連はこれに応じなかったが、ポーランド、ルーマニアの共産圏諸国をはじめ二十力国が打ち上げを見学、日本代表も参加した。」
そのジェミニ12号の発射について、国際的な宣伝になると米国は各国の国連代表を招いたようで、日本代表も見学したそうです。宇宙開発でもライバルのソ連の代表が、意地を張って見に来なかったのは、いかにもという感じですが、共産圏の国で見学したところもあったのが驚き。ルーマニアは元々ソ連と少し間をとる傾向があるのでさもありなんという感じですが、ポーランドも見学したのは何かあるんでしょうか?
「近鉄特急、準急に追突 大阪府国分駅 死者一、負傷一七五 運転士の信号誤認か」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊1面)
「【大阪】十二日午前八時三十二分、大阪府柏原市国分、近鉄大阪線国分駅構内で、下り大阪上本町発宇治山田行き特急電車=六両編成、乗客約三百人=が同特急通過待ちのため一番線で待機中の上本町発名張(三重)行き準急電車=三両編成、乗客約二百人=に追突、特急の運転席が準急の最後部の車掌室に約一メートルもめり込みつぶれたうえ、特急の最前部一両と準急後部一両が脱線した。特急には週末の行楽客が乗っていたが、この事故で特急の森川運転士が即死したほか、負傷者百七十五人(重傷四十一人、軽傷百三十四人)を出した。ポイント(信号と連動)が特急が通過するように切り替えておらず、特急運転士の信号誤認が原因とみられる。
府警、柏原署などの調べでは同駅午前八時二十五分着予定の上本町発国分行き普通電車がこの朝は二分遅れて着き、いったんホームを出、切り替え線を通って反対側の上り四番線へはいり、上本町行き普通電車になるはずだった。しかし着時間が遅れたことから、ポイント切り替え作業が遅れ、同三十分に通過するはずの特急用二番線がまだふさがれ、一番線側へはいる状態のままだった。
同駅の信号手の話では、駅舎内にある軽電連動装置には特急通過のとき同駅ポイントから約百五十メートル大阪寄りの場内信号が赤、さらに同信号から約八百メートル大阪に寄った信号は黄色の表示になっていた。しかし同特急は構内にはいるまでほとんどスピードを落としておらず、赤信号付近でけたたましい警笛を鳴らしながら急プレーキをかけたという。
同駅の中田好雄駅長(五四)は「ポイントと信号は連動になっているので、後続電車が二番ホームを通過するようにポイントを切り替えなければ信号は"赤"になっているはず。ポイントは国分駅の信号係員が切り替えることになっており、私がたずねたところではまだ切り替えていなかった。特急の信号無視でないか」といっている。同線は午前十一時すぎ上下線とも平常運転に戻った。
現場は国道二十五号線のすぐ近くで、マヒしやすい同国道はこの事故で完全にストップ、東行きは一時約四キロにわたって車が立往生した。」
朝のラッシュ時の事故で、原因の一つとして過密ダイヤも考えられるとのこと。直接の原因は、特急の信号無視のようですが、直前の普通電車の入れ替えが遅れたことも間接的には要因になったものと思われます。おそらくATS装置があれば事故は防げたと思われるのですが...。
今日の殺伐
「面白半分に万引き 女子大生 五人のグループ」
(朝日新聞昭和41年11月12日朝刊15面)
「盗みのスリルを楽しむため、百貨店、洋品店などから衣類、アクセサリーを万引していた東京・千代田区内の私立女子大二年生のグループ五人が十一日午後、渋谷署に万引の現行犯で補導された。
都内と調布市に住む十九歳二人、二十歳三人のグループで、調ベによると、このうち二人が同日午後一時ごろ渋谷の東横百貨店アクセサリー売場で、ブローチ、ツメ切りセットなど四点二千二百円相当を万引、さらにここを出たあと、ほかの三人が同店近くの東亜百貨店四階売場でブラウス、セーター、洋ガサなど五点約六千円相当を盗んだ。
五人のそぶりがおかしいので、東亜百貨店の店員があとをつけて渋谷署の渋谷駅前派出所に連絡、署員が調べたところ、カバンやハンドバッグから盗んだ品物が出てきた。
五人は同級生で、この夏その一人が母親と新宿の百貨店に買物に行った際、店員がおしゃベりに夢中になって呼んでもなかなか来なかったことから「あんなにスキがあるなら、盗むのは簡単だ」とほ
かの四人を誘い込んだのがきっかけ。
五人は学校の帰りに渋谷をはじめ銀座、新宿などの百賀店、洋品店に連れ立って出かけ、九月三十日から補導されるまでに六回にわたって、衣類やアクセサリーなど十五点一万数千円相当を万引し、"獲物自慢"をしていたという。
五人の家庭はいずれも中流以上で、それぞれ「盗むのがおもしろくてやった」と自供しており、盗品は自宅にかくしていた。」
とんだ女子大生もあったもんですねぇ。『あんなにスキがあるなら、盗むのは簡単だ』ったって、実行しなくてもよさそうなもんですけど。その実行力を他のところに生かしてくれれば...。
「少女の黒髪ばっさり 朝の総武線、カミソリで」
(毎日新聞昭和41年11月12日夕刊10面)
「十二日午前八時二十分ごろ、国電秋葉原駅から総武線中野行き電車に乗った浦和市文蔵九〇、事務員、藤本よし子さん(一七)は、発車して間もなく、三つ編みにして背にたらした長さ一・三メートルの髪の先四〇センチがカミソリらしいもので切られているのに気づき、水道橋駅で下車、東京鉄道公安室に届け出た。藤木さんは飯田橋の会社に出勤する途中だった。
朝のラッシュ時で車内はかなりこんでいたが、身動きできないほどではなかった。
小学校五年のときからのばしはじめたという自慢の髪を切られた藤木さんは「ラッシュの車内で他の人にじゃまになってはいけないと、いっもは髪を手でかかえるようにして乗っていたのに、きょうはたらしたままにしていました。車内で切られたのに気付き、まわりを見回すと若い男がニヤニヤしていましたが、犯人かどうかわからないのでどうすることもできませんでした」といっていた。
同公安室管内では、今月にはいって国電内で二件のスカート切りがあったが、髪を切られたのははじめて。」
髪の毛40センチも切られれば、周辺は髪だらけになって乗客も気づきそうなもんですが、カミソリを持ってニヤニヤしている若い男が恐ろしくて手出しできなかったんでしょうか。満員電車でカミソリを振り回される恐怖は分からんでもないですがねぇ。
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1966-11-12T22:46:23+09:00
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年賀はがき狂奏曲
原潜の事故について報道がありました。
「米原子力潜艦ノーチラスが衝突」
(毎日新聞昭和41年11月11日夕刊2面)
「【ノーフォーク(米バージニア州)十日UPI】米海軍が十日明らかにしたところによると、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号は同日午前九時四十五分...
「米原子力潜艦ノーチラスが衝突」
(毎日新聞昭和41年11月11日夕刊2面)
「【ノーフォーク(米バージニア州)十日UPI】米海軍が十日明らかにしたところによると、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号は同日午前九時四十五分(日本時間午後九時四十五分)ノース・カロライナ州モアヘッド市東方五百八十キロの大西洋で潜航、対潜水艦戦演習に参加中、空母エセックス号(二万七千トン)と衝突、乗組員一人が軽傷(腕に骨折の疑い)を負った。ノーチラス号は展望塔に大きな損害を受けたがエセックス号に損害はなかった模様。」
比較的軽微な事故だったようです。しかし、実用化されて十数年、いまだに秘密のベールに隠されている原子力潜水艦ですから、ほんとうはもっと深刻な事故が起こっているのかも。ソ連製なんてヤバい事故も陰で起こっているんじゃないでしょうか?
新聞斜め読み
「連日の紅衛兵接見 毛主席」
(毎日新聞昭和41年11月11日夕刊2面)
「【北京十一日高田特派員】毛沢東中国共産党主席は十一日、前日にひきつづき全国から北京に集まった紅衛兵を「接見」した。これは八月十八日以来、八回目の「接見」だが、こんどは十月十八日の五回目のやり方---紅衛兵を天安門広場から飛行場に向かう大通りの両側に並ばせて、毛主席以下の指導者がオーブン・カーで「閲兵」する---がとられた。
北京では十二日にも「接見」が行なわれるうわさもある。」
前回は紅衛兵をトラックに乗せてましたが、今度は逆に毛主席が車にのって移動。いろんなやり方を試していますねぇ。いっそのこと毛主席は車にのり、紅衛兵がトラックにのってお互いに対向車線をすれ違いさせれば閲兵もあっという間に終わって効率的でしょうに。
「年賀はがき 値上げ気にせず 徹夜組も出現 でも「寄付つき」は敬遠」
(日本経済新聞昭和41年11月11日夕刊7面)
「ことしもあと五十日あまりとなった十一日朝、全国各郵便局の窓口で郵政省のお年玉つき年賀はがきの売り出しがいっせいに始まった。発売枚数は全国で十三億枚。
東京駅前の東京中央郵便局正面玄関では前夜の午後十一時、大学生四人組が一番乗り。電車が動き出すとあたふた駆けつけるサラリーマンやオフィスガールがあとを断たず、売り出し開始の午前八時には千五百人ほどが三百メートルの長い列をつくった。季節はずれの暖かい日が続いているといっても夜明けの冷え込みはやはりきびしく路上に立ち続ける人たちはコートのエリを立ててブルブル。局員も昨年以上の出だしに「八時前の行列組は一人四千枚、以後半分」の枚数制限をあわててアナウンス。
しかし昨年四円と五円のはがきは五分五分の売れ行きだったがことしはさすがに七円のものが圧倒的に人気があった。
郵政省の調べでは、この日は午前十時現在全国主要郵便局三十五局で、七千三百万枚のうち、四五%にあたる三千三百三十万枚が売られた。売れ行きぐあいは昨年なみ。東京中央郵便局では七円はがきが六百十万枚(売りさばき率六七%)、八円はがき二百二十万枚(二七%)と寄付金つきの方は売れ行きが相当悪い。また大阪中央郵便局では、この傾向がさらに強く七円二百五十万枚(八九%)、八円五十万枚(一七%)となっている。」
今年の7月1日に五円から七円に値上げになったハガキですが、年賀ハガキは相変わらず人気がありますな。『一人四千枚』の販売制限とのことですが、制限枚数が多いような。個人使用でなく、会社から顧客に配布するのに使うのでしょうか?あるいは図柄を印刷して転売するのかもしれませんな。一円の寄付で特に大阪の八円ハガキの売上げが極端に落ちているのが面白い。県民性・府民性ってやつですか。
「43年にはやめたい 年賀はがき 郵政相語る」
(日本経済新聞昭和41年11月11日夕刊7面)
「新谷郵政相は十一日、閣議後の記者会見で「お年玉つき年賀はがきはこの際、できれは廃止する方向で再検討する必要がある」と語った。
ここ数年の年賀はがき売り出し状況をみると、前の日から泊まり込みで行列をつくるなど異常な状態が続いているだけでなく賞品が国民にどの程度喜ばれているか疑問があるなどの点から、新谷郵政相は「私としてはできれば四十三年からでも廃止したい気持ちだ」と語ったもの。」
あまりの年賀はがき人気に恐れをなしたのか、郵政相からこんな言葉が。"年のはじめの運だめし"でお年玉はがきに人気が出るのも分かりますが、あんまり混乱が続くようなら止めるのも手でしょうね。
今日の殺伐
「"ふとんむし"で死なせ 女子二人に罪きせる 和歌山 慰安旅行の農協捜査」
(読売新聞昭和41年11月11日朝刊1面)
「【湯浅=和歌山県】農協職員が慰安旅行先の温泉旅館で悪ふざけのすえ、女子職員をふとんむしにして死なせ若い女子職員だけに罪をかぶせていた事件があり、和歌山県湯浅署で十一日から再捜査する。
同県有田郡金屋町農協のT経済課長(五一)ら職員二十九人(うち女子十八人)は、さる四日、一泊二日の慰安旅行で岐阜県下呂温泉「K旅館」へ出かけた。宴会のあとの同日午後十一時ごろから女子職員たちの部屋で"ふとんむし遊び"が始まったが、同農協石垣支所金融係、M子さん(三六)が、強く押さえつけられて首の骨を折り、近くの温泉病院へ収容された。
翌五日、病院から連絡をうけた岐阜県萩原署は"ふとんむし遊び"に加わった者に出頭を求めたが、出頭したのはA子さん(二○)とB子さん(一八)の二人だけで「二人でやった」と供述。一方、M子さんは容体が悪化して十日午前七時ごろ死亡した。
事態を重視したK組合長が、T課長はじめA子さんらに事情をきいた結果、ふとんむしに加わったことを認めたのが二人だけだったため、T課長が「二人だけでやったことにしてほしい」と頼んだこと、当時は豆電球だけで暗く、顔ははっきりしなかったが男子職員もまじえた五、六人で、ふとんむしにしたM子さんを押えつけたこともわかった。このため萩原署から連絡をうけた湯浅署も、過失致死事件として改めて捜査することになり、十一日朝から関係者の取り調べを始める」
男性職員には家族も子供あるんだ、だから君たち女の子だけで罪を被ってくれないか---みたいな言葉で説得したんでしょうか。後味の悪いイヤな事件ですね。
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1966-11-11T10:44:27+09:00
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米中間選挙続報と"黒い霧"自殺
宇宙開発といえばロケットが頭に浮かびますが、気球を用いた宇宙観測実験が行われました。
「七・六トンの自動ステーション ソ連が気球で上げる」
(毎日新聞昭和41年11月10日夕刊2面)
「【RP九日東京】九日のモスクワ放送は、ソ連でこのほど重さ七千六百キロ...
「七・六トンの自動ステーション ソ連が気球で上げる」
(毎日新聞昭和41年11月10日夕刊2面)
「【RP九日東京】九日のモスクワ放送は、ソ連でこのほど重さ七千六百キロの高空用自動ステーションを装備した気球を約二十キロの高度に上げて調査を行なう実験に成功したとつぎのように報じた。
一、ソ連では興味深く複雑な実験がこのほど成功裏に完了した。九日前、重量七千六百キロの高空用自動ステーションを装備した気球が飛ばされた。天文学用の総合的機器を備えたこのステーションは、約二十キロの高度に上げられた。このような実験は世界で最初のものである。
一、ステーションには望遠鏡、太陽撮影用の機器が装備されていた。飛行の全期間を通じて望遠鏡の全装置、テレビ、テレメーター装置は正常に作動した。」
7トンを越える機器を2万メートルまで上げたんですから、大した気球ですね。武器への転用も何か考えているのでしょうか。
新聞斜め読み
「米中間選挙結果 ジョンソン路線に試練 民主党、優位は動かず」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊1面)
「【ワシントン九日関特派員】八日行なわれた米中間選挙は九日正午(曰本時間十日午前二時)現在、数議席を残して開票はほとんど終わった。野党共和党の進出にもかかわらず、与党民主党が注目の全員四百三十五議席改選の下院選で過半数を獲得したのを初め、上院でも非改選を加えて多数をとり、一九六八年大統領選まで今後二年間の米政界地図を一応民主党支配に決定する見通しとなった。しかし共和党の進出は予想以上で、下院で四十議席以上伸び、上院、知事選でも進出、六四年の大統領選挙のさい、ジョンソン大統領の"地すべり的勝利"によって受けた失地を回復することは確実となった。
とくに知事選での進出はめざましくニューヨーク、カリフォルニア、オハイオ、フロリダ、メリーランド、マサチューセッツ、ペンシルベニア、ミシガンなどの有力州で勝ちを演ずるなど民主党と接戦、知事総数において六八年大統領選への有力な足がかりをつくった。」
「共和党が予想外の進出 北爆の強化は必至 支持派後退 「偉大な社会」も難航」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊1面)
「【ワシントン九日青木北米総局長(国際電話)】ベトナム戦争のさなかで行なわれた米国中間選挙は、今後の米国の対外政策に影響するものとして注目されてきたが、国内的にも、好況のかげで、しのびよる戦費増大に伴うインフレや上昇する物価、公民権運動をめぐる黒白の人種対立など、米国民のなかにも深刻な問題があり、勢いこれが選挙の争点となったため前例になく国民的関心の高い選挙となった。与党民主党は上下両院で過半数を占めたが、野党共和党も、一八九九年以来の中間選挙の野党の"伸び"平均四十一議席を上回る議席を獲得したため、ジョンソン大統頒は今後内外政策の両面でかなりの制約を受けることになろう。(中略)
今回当選した共和党議員は、タカ派が多いといわれ、ジョンソン支持派の後退と合わせて、ジョンソン大統領は決断を迫られているベトナムの戦争政策、公共支出計画、新予算編成、課税政策などの立案でかなりの苦境に立つことになることも予想される。
このうち、ベトナム戦争は国民的問題ではあるが、両党候補とも全部これを選挙の争点として第一義的に取り上げたわけではなく、ジョンソン大統領のベトナム政策が全般的に支持されているともいわれているので、戦費増加の点では問題はない。ジョンソン大統領は戦争の国内的影響を少なくみせることに成功してきたが、平和解決の見通しがたたない今日、少なくとも北爆強化、南ベトナムでの対ゲリラ作戦が強化される公算が大きい。それは米将兵の損害増大を伴うことになるが、米国民のあせりは強まり、戦争が二年後にも終結していなけれはジョンソン大統領再選はむずかしいという観測もある。一方、戦費増大に伴うインフレ対策としては、増税よりは国内支出の抑制が要求されているから「偉大な社会」建設に関する立法は困難となる見通しである。
中間選挙を通じて明らかになったことは、民主党の党内事情が今後南部派、ジョンソン・ハンフリー派(穏和派)およびケネディ派の三派に分かれそうなことである。」
昨日に続いて米中間選挙の結果。勝ったとはいえ、予想以上に共和党に押され、ジョンソンさんが取りうる政策の幅はかなり制限される模様。今回当選した共和党の議員は強硬派が多いとのことで、ベトナム戦争も米側の攻撃がさらに強化される可能性が指摘されています。興味深いのは、民主党の中が南部派とジョンソン派とケネディ派に別れるという見方。公民権運動などをめぐっては南部派とリベラルなケネディ派では、天と地ほどに信念が異なりますからねぇ。
「中共の核戦力 仏の核戦略家 ボーフル将軍の診断 五年後に対米抑止力 ジェット推進兵器も完成」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊3面)
「【パリ九日三好特派員】フランスの著名な核戦略専門家アンドレ・ボーフル将軍は、八日夜のフランス・テレビでの対談で、最近の中共の核実験について、つぎのような注目すべき見解を明らかにした。(中略)
一、米中間の戦略関係についていえば、中共は今後二、三年から恐らく五年くらいの間に日本やインドに脅威を与える可能性を持つに至るだろう。とくに日本はその脅威をいっそう強く感ずるだろう。これはすでに米国の対中共攻撃を阻止する抑止力の構成を意味する。
一、第二段階では恐らく中共の弾道ミサイルによってではなく、一部の米国人の間で指摘されているように「ジェット・エンジンで推進される誘導兵器」の脅威の問題が出てこよう。中共がそれを潜水艦に装備すれば、サンフランシスコやロサンゼルスなどの米国の西岸がおびやかされる。「重ねていうが、この潜水艦から発射されるのはポラリス型の弾道弾ではなくて、ジェット推進の誘導兵器だろう」こうして中共は今後五年くらいの間に直接的にも対米抑止力を持つだろう。
一、一方、これに対して米国のアンチ・ミサイル体制の発展は西岸の防衛を可能とし、数の少ない中共の核装置の脅威を無力化するに至るだろう。
一、結局、今後三年あるいは五年間に予見される事態は、中共が直接米国をおびやかすようなイニシアチブを持つということでなく、米国のイニシアチブに対する中共の抑止力が構成されるということだ。」
インドとは何度か直接軍事対決がありましたが、米軍が駐留している日本のほうが、中共にとって脅威であるのは確かでしょう。東京を核で狙えるとなったら日本の同盟国の米国としては中共の直接攻撃は難しくなることは間違いない。この抑止力に中共が期待しているという見解は頷けますね。
「毛主席、七度目の接見 トラックに乗った紅衛兵」
(毎日新聞昭和41年11月10日夕刊2面)
「【北京十日高田特派員】毛沢東主席の「接見」は十日午前十時(日本時間同十一時)から"トラック行進"方式で行なわれた。毛主席はこれで八月十八日以来、七回(国慶節を含む)にわたり、全国各地から集った延べ八百万人以上の紅衛兵に「接見」したことになる。しかも、前回までは平均半月おきに行なわれてきたものが、一週間目(前回は三日)それも徒歩行進で三分の一以上がさばき切れなかった"教訓"にこりて、数千台のトラックをかき集め、紅衛兵を荷物台に満載して天安門広場を東から西へピストン輸送する新機軸があみ出された。」
『牛に引かれて善光寺まいり』と言いますが、『トラックに乗せられて毛沢東まいり』ですな。いかにスピード時代とはいえ、とんだスピード参拝です。
「CM"ブラック・リスト" 五百例とり上げる 民放連が"追放資料"に 「シェー」や「いかす」も」
(読売新聞昭和41年11月10日朝刊14面)
「日本民間放送連盟が「CM(コマーシャル)用語参考資料」というパンフレットをつくった。下品だ、低劣だと、ちょいちょい問題になるコマーシャルを具体的に検討したうえ「放送に不適当なもの」「訂正すべきもの」「注意を要するもの」と段階をつけて摘発している。同連盟は、すでに番組みについての放送基準をもうけているが、コマーシャル用語の検討ははじめて。
このパンフレットを民放各社、スポンサー、広告代理店などに配布して、こんごの"コマーシャル基本法"にしたいというが「シェー」「いかす」「さえてるよ」などの流行語も"要注意"にマークされており、かなり論議を呼びそう。それはともかくとして、日本語の混乱がよく問題にされるときだけに、あなたならどの程度まで許せるか、考えてみてください。
コマーシャルは、幸か不幸か、民放にとって欠くことのできないもの。そこで「効果的であると同時に、正しい日本語でなければならない」というのが、検討にあたった民放連放送用語専門部会(安斎義美部会長)の基本的な態度だった。昨年十一月から、全国の民放各社に照会して、ことしの二月までに「好ましくないとみなされた」約五百例を集め、A(放送不適当、事前ならば謝絶、事後なら中止すベし)B(要訂正)C(要注意、表現や演出を放送地域の実情に応じて考える)D(一応許せるが、こんごの注意を怠らない)という四般階に区分した。
まず、重罪と認定されたAには「バッキャロー」(放送の品位を保つ上で不適当)「おはがきはあす中にポストしてください」(ことばとして熟していない)などのほか「なんど事故をおこしても賠償金はそのつど百%完全にお支払いします。安んじておまかせください」と、事故を催促しているような、感心できないのまである。
Bに"入選"したなかには「青い目のシタをおどろかせた」「打ち寄せる紺ぺきの波」(紺ぺきの海と、白い波の合成語?)「どちらのご家庭でも、ことしのお中元はなににしようかと頭をお悩めのことと思います」のような、まったく"お悩め"になる珍品。「時間励行をお守りください」など"食事を食べる、乗馬に乗る"たぐいが並んでいるが「おめえへそねえじゃねえか」も品位がないとの理由で訂正を要求されている。これは、どういうふうに訂正すべきか例示されていないが「ラーメン食べろ○○食べろ」は、押しつけがましいから「ラーメン食べよう」にしたらよかろう、とある。さて、これでCMとしてのしまりが出るかどうか。
Cの段階になると、さすがに「取り扱いに要注意」ということで判断はむずかしい。たとえば「力ーチャンいっぱいやっか」。それに「おはよう、ドライバー諸君。聞いているかい、オイ」。女性アナの場合、注意を要するというタダシ書きだが、これなどは"インテリ"のあいだでも意見がわかれそうだ。
テレビが普及し、そのCM用語がたちまち流行する。だから、放送関係者が自主的に用語を吟味するのはけっこうなことである。しかし、ツノをためてウシを殺すということもある。「シェー」「いかす」「ショック」「さえてるよ」などもC項にあげられているが、こんなことばが重いか軽いかということやその使い方は、子どもの方がかえって知っているのではないか。"正しい"日本語が、かわいた日本語にならないように。」
取り上げている言葉で、流行元が分かっているのは下記の3つ。
『シェー』(『おそ松くん』の登場人物イヤミのギャグ)
『おめえへそねえじゃねえか』(『コルゲンコーワ』テレビCM)
『力ーチャンいっぱいやっか(清酒「神聖」CM)』
他の言葉で出典などお分かりの方は、ご連絡いただけると幸いです。
「牛乳一万三千本ザーッ 怒った農民が捨てる」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊15面)
「【大曲・大館】「現行の原乳価格は安過ぎる」---と北陸地方なみの一・八リットル当たり八十五円の乳価をメーカー側に要求、運動中の秋田県酪農連盟(組合員三千五百人)は九日、白はち巻姿の農民約三百人を大曲市畜産センターに集め決起大会を開き、乳価値上げ実現を決議、雪印乳業大曲工場に押しかけ、工場長に抗議文を手渡した。
農民は構内に三〇キロ入り輸送カン十本の原乳をまき散らし、さらに実行委員たちは大曲駅前、同市役所前、丸子橋たもとなどで一千本の牛乳を市民に無料サービス、最後に丸子橋から三〇キロ入り輸送カン七十五本分の原乳を丸子川にまき捨てた。工場構内と川に捨てられた原乳の量は全部で二、二九五リットルで、市販される牛乳ビンにすると約一万三千本となる。」
残念ながら、記事の写真を掲載できないのですが、十数名の農民が橋の上から一斉に牛乳を川に流している図は、モッタイないとはいえ壮観です。しかし、この示威行動は雪印側には事前に通達済みだったんでしょうか?
「"黒い霧"を怒り高校生自殺 「戦争と政治と受験と金のない国へ行きたい」」
(毎日新聞昭和41年11月10日朝刊15面)
「【名古屋】九日夜、名古屋市内で大阪府立大手前高校生が政界の"黒い霧"に絶望したという意味のメモを残して近鉄電車に飛込み自殺した。
同日午後八時十分ごろ、名古屋市中村区岩塚町近鉄八田駅構内上り線ホームにいた若い男が名古屋発上六行き特急電車に飛び込み即死した。中村署の調べでは大阪府布施市、会社員、大橋義治さん(五三)の二男、篤司君(一六)=大阪府立大手前高校二年=で「腐敗した世の中がいやになった。現在大臣のいろいろな問題がヤリダマにあがっているが、みんな他人の責任のようにいって自分は責任をのがれようとする。戦争と政治と受験と金のない国へ行きたい。高校生活は灰色だといわれるがぼくを取り巻くものは真っ暗だ」という意味の遺書らしいメモ帳があった。
大橋君は名古屋市内に母親の実家があり、たずねて行った帰りに自殺したのではないかとみられている。」
いわゆる受験ノイローゼというヤツなんでしょうか。若いミソラで黒い霧なんか気に病んでも仕方ないでしょうに。未来永劫、という条件でなければ戦争と受験のない国はあるでしょうが、政治と金のない国は絶無でしょうね。
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1966-11-10T02:01:21+09:00
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米国中間選挙結果速報
今年上旬に放映され大好評を博した「ウルトラQ」に続く、円谷プロの特撮番組が今日から放送開始されるそうです。
「ブースカ誕生」
(毎日新聞昭和41年11月9日朝刊9面)
「新番組・快獣ブースカ(日本テレビ後7・0)おなかが出っぱっていて、出っ歯で、足が短...
「ブースカ誕生」
(毎日新聞昭和41年11月9日朝刊9面)
「新番組・快獣ブースカ(日本テレビ後7・0)おなかが出っぱっていて、出っ歯で、足が短くてラーメンが大好きという珍妙な快獣ブースカを主人公にした特撮ギャクコメディー。制作は東宝テレビ部と円谷プロダクション。」
今回は喜劇調の番組のようですね。今回もお茶の間の人気をつかむことができるでしょうか?
新聞斜め読み
「米中間選挙、開票進む 全般に民主党優勢 上院の過半数制す ジョンソン支持派後退」
(毎日新聞昭和41年11月9日夕刊1面)
「【ワシントン八日関特派員】米中間選挙は九日午前(日本時間午後)投票を終わり、開票が順調に進んでいるが、民主党が上院選で非改選を加えて早くも過半数を獲得したのをはじめ、下院、知事選とも組織の力を発揮して全般にわたってリードしている。しかし上院選でイリノイ州ダグラス議員が共和党の新人パーシー氏に敗れるなど民主党内におけるジョンソン支持派の後退が目立つ半面、知事選でフロリダ、メリーランド、マサチューセッツ、ペンシルベニア、ミシガンなどで予想どおり共和党の進出がめだった。
マサチューセッツ州院選では初の黒人候補、共和党のブルーク氏が当選、また下院選でも三十数議席の失地回復が予想されるなど共和党の善戦が注目されている。
野党の進出は恒例のこととはいえ、今後ジョンソン政権の内外政策がこれまでよりむずかしくなったことはいなめない。
全米を通じ、表面的にも潜在的にも最も重要な争点とされてきたべトナムと人種問題が、この中間選挙の結果、果たしてどれほどはっきりしたジョンソン批判となるかは、まだ最終的には答が出ていない。しかし、この二つの問題がからみあって最も先鋭に争われてきたマサチューセッツ、イリノイ、オレゴン各州の上院選で、いずれも共和党のリべラル派兼べトナム"ハト派"が民主党のリベラル派兼ジョンソン大統領のべトナム政策支持派を破ったことは米国民の不満をある程度、表明したものと考えられる。」
人気の低迷が噂されるジョンソン大統領ですが、今回の中間選挙では民主党優勢の流れは変わらなかったようです。話題となっている数人の当選者の記事を以下にピックアップします。
「初の黒人上院議員誕生」
(毎日新聞昭和41年11月9日夕刊1面)
「【ワシントン八日関特派員】共和党のマサチューセッツ州選出上院議員候補エドワード・W・ブルーク氏(同州検事総長)は民主党のピーボディー候補(元知事)を破って初の黒人上院議員に選出された。両候補ともリベラル派だが、ブルーク候補が混血ながら黒人であるため、公民権問題などでの黒人の進出に対する白人の"バックラッシュ"(反発)で不利も予想されていた。
なおベトナム問題ではブルーク氏が「ハト派」であるのに対し、ピーボディー氏はジョンソン政策支持派である。」
「初の黒人上院議員 米中間選挙 ブルーク氏当選」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【ニューヨーク八日UPI】マサチューセッツ州の上院選で共和党のブルーク候補が当選した。
(注)ブルーク候補は黒人でマサチューセッツ州の検事総長を勤めていた人。上院議員に黒人が選ばれたのは米国史上初めてである。対立候補の民主党ピーボディ氏は元知事の経歴を持ち、ロバート・ケネディ現上院議員も応援に力を入れたが敗退した。ケネディ一家の地元であるマサチューセッツ州の上院選で共和党が勝ったことは注目される。」
米国史上初の黒人上院議員の誕生です。ケネディ家の地元で共和党の候補が勝つだけでも大変だと思うのですが、公民権運動以降の米国社会の変動を実感させる結果ですね。
「身代わりのウォーレス夫人当選 アラバマ州」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【モントゴメリ(米アラバマ州)八日UPI】米南部アラバマ州知事には、ジョージ・ウォーレス現同州知事(民主党)の"身代わり候補"として立候補した同知事の夫人、ラリーンさんが当選。
(注)ウォーレス知事は徹底的な黒人差別主義者として知られ、一九六二年に当選以来差別撤廃政策を推進しようとする連邦政府に激しい抵抗を示してきた。アラバマ州憲法は州知事再選を禁じているため夫人を身代わりに立てた。」
黒人上院議員誕生の一方、南部ではこんな結果も。今回当選したラリーンの旦那の現知事ジョージ・ウォーレスって、黒人学生がアラバマ大学へ入学するのを阻止するために校門の前に立ち番したことがあったんじゃなかったっけ。女性の州知事は1927年以来49年ぶりということですが、ディープサウスはまだまだディープなようですな。
「ロックフェラー知事も ニューヨーク州」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【ニューヨーク八日AP】ニューヨーク知事選で共和党のロックフェラー現知事が民主党のオコンナー候補を破り三選された。
(注)ニューヨーク州知事選はロックフェラー知事の三選成るか民主党のオコンナー・ニューヨーク市会議長がこれをはばむかという今中間選挙最大の焦点であった。オコンナー候補は民主党とたもとをわかって自由党から立候補したフランクリン・ルーズベルト二世に労働者票をとられ、終始苦戦。結局物量作戦に物をいわせたロックフェラー氏が当選したわけである。」
FDRの息子がなぜ民主党と袂を分かったのかはよく知らないのですが、それによって民主党が敗れたのも皮肉な話。まあ、フランクリン・ルーズベルト二世が出馬していなくてもロックフェラーに勝つのは難しかったかも。
「カリフォルニアはリーガン氏」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【ニューヨーク八日AP】米NBC放送は八日夜、電子計算機による開票分析の結果、カリフォルニア州知事選に共和党候補として出馬した元俳優のロナルド・リーガン氏が投票の五四%を獲得し現知事を破るだろうとの予報を発表した。」
ハリウッドから新知事誕生のニュース。かつて、名喜劇役者のウィル・ロジャースがビバリーヒルズの市長をやったことがありましたが、今回は州知事。残念ながらリーガンさんのお名前は映画俳優としては全く記憶がないのですが、政治家としては歴史に残る名前になるんでしょうか?
「ダグラス氏敗る」
(日本経済新聞昭和41年11月9日夕刊2面)
「【シカゴ八日UPI】イリノイ州上院選では共和党のパーシー候補が民主党のダグラス現議員を破って初当選した。
(注)ダグラス議員は民主党の最有力議員で当年七十四歳だが、経済学者で四十七歳のパーシー候補が経済問題をとり上げて終始リード、選挙戦中に同候補の令嬢が殺されたための同情票も加わって上院入りを獲得した。」
選挙結果よりも『選挙戦中に同候補の令嬢が殺されたため』というところが気になります。まさか政治的な意図のある殺人だったんでしょうか?
「運転免許は海外旅行で 道交法の"盲点"悪用 買ってきた大学生 みやげにもらった者も」
(読売新聞昭和41年11月9日朝刊14面)
「簡単なテストや金で買われたと思われる外国の自動車運転免許証や国際免許証が、日本人の旅行者、船員、商社員などの手で国内に持ち込まれ、ほとんどフリー・パスで国内免許証に書き換えられている。道交法の盲点につけこんだ巧妙な免詳取得法で、最近は「海外旅行で最高のおみやげ」とまでいわれている。このため警視庁交通部では、外国発行の免許証書き換えの際はきびしくチェックすることに決め、また、警察庁でも、今月末に開かれる全国県警の免許課長会議で、同じような措置をとるよう各県警に指示する。
日本が道路交通に関する国際条約に加盟したのは、さる三十九年九月。この条約によって、日本の公安委員会が発行する国際免許証は、条約加盟七十八か国で通用するようになり、逆にそれらの国の国際免許証も、日本国内での使用が認められ、免許証の国際的な交流は、これを機会に盛んになった。しかし同条約や道交法に、外国行政庁、またはその指定団休の発行した運転免許証や国際免許証については、適性試験だけで日本の国内免許証に書き換えるという規定があるため、悪知恵の働く旅行者などがつけ込むようになった。
警視庁運転免許本部の調べでは条約加盟七十八か国の中には、運転免許証や国際免許証の発行にかなりルーズなところがあるという。さる四日、同本部の小金井試験場に、スペイン領カナリア諸島のラスバロマスにあるナートモビルクラブ発行の国際免許証をもった日本漁船のコック長(五五)が書き換えにあらわれた。このコック長はパスポートを持っていなかったため、係り員が問いつめたところ「クラブで自動車を運転してひとまわりしたら、国際免許証をくれた」といい、係り員の説得であきらめて引きあげていった。
このほか同試験場で扱ったものでは、一週間程度の海外旅行者がレッキとした外国官庁発行の免許証を持ち帰ったり、スポーツ競技で東南アジアの某国にいった学生が、説明を求められて「実は金で買った」ともらしたこともあった。また同本部には「人に頼んで持ち帰ってもらったものもある」という投書も寄せられている。」
『交通戦争』が叫ばれる我が国で『クラブで自動車を運転してひとまわりしたら、国際免許証をくれた』なんて人が運転を始めたら大変ですわな。免許取得に必要な技能に関する国際的な規格がないのに、各国の免許をそのまま通用させるというのも乱暴な話ではないかと。
「白黒でも楽しめる内容を 志賀信夫」
(毎日新聞昭和41年11月9日朝刊9面)
「○…カラー番組というと、歌謡曲などの音楽番組や寄席もの、または中継番組などが主であり、テレビドラマは数少ない。そこに日本テレビの「嫌い!好き!!」が誕生した。七日の第一回「女群侵入」を見たかぎりでは、色彩設計とドラマの内容がマッチしてカラー番組らしい効果をあげていた。ブルーとバイオレットを基調にして美しい中間色のトーンを出していたが、この色調はソフィステケートなドラマとピッタリだった。
○…カラー受像機の普及台数は三十二万というから、シロクロの契約世帯数約千八百万には遠くおよばない。それゆえシロクロで見ても面白い内容を備えていなければならない。その点では昭和三十七年にヒットした「男嫌い」からあまり大きく成長していない。」
1960年にカラー放送が開始されましたが、まだ32万台しか普及していないんですな。『カラーならではの美しさを出しつつ白黒でも楽しめる番組』って求めるのは簡単だけれど、実際作るとなると大変でしょうな。
「"橋のない川"へ飛び込む 乗用車の四人死ぬ 伊香保有料道路」
(読売新聞昭和41年11月9日夕刊11面)
「【渋川】九日午前九時二十分ごろ、群馬県渋川市折原の伊香保有料道路で、東京都板橋区、野口信一郎さん(四五)運転の乗用車が約十一メートル下の平沢川に転落、乗用車は大破、乗っていた二組みの夫婦四人のうち、運転していた野口さんら三人が即死、同乗の一人が同市内の病院に収容されたが、間もなく死亡した。
現場は伊香保町から四キロ離れた渋川市寄りの伊香保有料道路御蔭橋下の平沢川がわら。同橋はさる六月の台風四号による平沢川の濁流で橋台が洗われたため基礎が弱くなり、九月下旬から県土木部がかけ替工事を行行っていた。このため、約三百メートルの間、上流側に木橋を仮設して車のう回道路としているが、渋川署の調べだと、野口さんらは伊香保方面から下ってくる途中、前を走るバスを追い越そうとしてう回路と通行禁止の標識がみえず、まっすぐ"橋のない川"へ飛び込んでしまったらしい。」
橋桁の崩れ落ちた橋に、それとは知らない自動車が向かっていき、突っ込む、というのは映画でよく見るシーンですが、それが実際に起こったという事故。見出しの『"橋のない川"』は住井すゑさんの小説を意識したモノなんでしょうか?
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1966-11-09T01:48:32+09:00
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インドの牛デモ
世界中で大人気のビートルズが活動を停止するかも。
「ビートルズ解散のうわさ」
(毎日新聞昭和41年11月8日夕刊11面)
「【ロンドン八日AFP】ビートルズが解散するかもしれない。八日、ビートルズのマネジャーのエプステイン氏か語ったところでは、ビートルズの...
「ビートルズ解散のうわさ」
(毎日新聞昭和41年11月8日夕刊11面)
「【ロンドン八日AFP】ビートルズが解散するかもしれない。八日、ビートルズのマネジャーのエプステイン氏か語ったところでは、ビートルズの解散については、まだ「決まったわけではない」が、同氏はビートルズの"将来"について四人のメンバーと早急に会談する予定だという。
「ビートルズ解散」のウワサが同日流れはじめると、多くのビートルズ・ファンがロンドンのエプステイン邸を取りまき「解散反対」のデモをおこなっている。」
8月にサンフランシスコでの公演以来、ライブでの演奏をしていないビートルズですが、何か問題が生じているのでしょうか。
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「ソ連革命式典 中ソ決裂を浮彫り 中共を強く非難 マ国防省 ベトナム支援拒否で」
(毎日新聞昭和41年11月8日朝刊3面)
「【モスクワ七日平野特派員】ことしのソ連革命四十九周年記念祝典を終始きわ立たせたのは、反中共ムードだった。モスクワの赤の広場で七日朝、開かれた祝賀パレードでマリノフスキー国防相が「ベトナム支援の共同行動を妨害する」中共指導者を名ざしで攻撃した。この恒例の軍パレードに対する国防相演説で中共批判が行なわれたのは初めてのことである。
七日プラウダが掲載した北ベトナム、北朝鮮をはじめとする社会主義諸国首脳の祝電の中にも、中共は抜けているし、六日の前夜祭ではペリシェ政治局員が「文化大革命は革命とも文化ともマルキシズムとも社会主義とも全く無縁のものだ」と演説すると、満場から拍手がわき起こり、中共臨時大使は席をけって退場した。中ソ両指導部のもはや元に戻らぬ完全決裂をハッキリ印象づけた革命記念日だったといえよう。
午前十時開始された軍パレードで目だったのは、ソ連軍の中核となった原子力潜水艦用のポラリス型ミサイルと固体燃料の可動式中距離弾道弾など戦略ミサイル兵器、それに戦略軍として再編成された戦車、大砲、対空ミサイル装備の降下部隊だった。その他三段式大陸間弾道弾、アンチミサイル・ミサイルが公開され、昨年五月の対独戦勝記念パレードで公開された軌道ロケットも登場した。
スポーツ団休のパレードに続き一般市民のデモに移ったが、べトナム支援、西独核武装反対のプラカードが目につく程度で、多くは新五ヵ年計画、社会主義建設をうたった平和な祝典風景だった。
【注】軌道ロケット=地球ロケットとも呼ばれ、強力なロケットで地球の軌道に打ち上げ地球の周囲を回りながら誘導により地上の目標に向かうものとみられる。六五年五月九日の対独戦勝二十周年記念パレードで初めて公開された。これは長さ約三十六メートルで、そのときタス通信は「ウォストーク、ウォスホード・シリーズの衛星船打上げ用ロケットと同系統の軌道ロケットで、その飛行射程は無限、弾頭の破壊力は想像を絶するほど強力」と述べている。」
『文化大革命は革命とも文化ともマルキシズムとも社会主義とも全く無縁のものだ』なんて言われたら、そりゃ中共代表は退場しますわな。というか、そういう席に中共臨時大使が一応は出席していたことが驚き。また、例年の革命記念日同様、新兵器の顔見せをやったみたいですが、軌道ロケット(地球ロケット)は相変わらず謎の兵器ですな。たしか、1962年ごろフルシチョフさんが、『ソ連には地球ロケットという秘密兵器がある』とブチ上げていたもののはず。『飛行射程は無限、弾頭の破壊力は想像を絶するほど強力』と言われても、ニワカには信じられないような...。
「議会乱入図り、警官隊と衝突 インド 聖牛保護叫ぶ大デモ」
(毎日新聞昭和41年11月8日朝刊3面)
「【ニューデリー七日UPI、AFP】ニューデリーのインド議会前で七日「聖牛の保護」と「牛のと殺禁止」を要求して開かれたヒンズー教徒十万余の大デモ集会で、興奮した群衆が僧を先頭に議会に乱入しようとし、警官隊の発砲で十人が死亡、多数の負傷者を出した。デモ隊はさらにオール・インディア放送局も襲撃し、インド政府は同日、四十八時間の夜間外出禁止令と集会・デモの無期限禁止令を出した。
この集会は右翼の民族主義政党「ジャンサン党」が主催したもので、一説には参加者二十万から百万人というインド史上最大規模のもの。市の中心部を行進したあと議会前で集会に移ったが、市の交通は完全にマヒした。」
牛の保護デモで百万人集まるとは。紅衛兵の動員もスゴイですが、インドもなかなかの動員力があるようで。インドも中共も、そもそも人口の多さでは世界一、二を争う国。やはり、動員の決め手は母集団の大きさですな。
「密航企てた中学生三人帰る」
(毎日新聞昭和41年11月8日夕刊11面)
「【横浜】十月十四日、リべリア貨客船で米国へ密航をくわだてた東京豊島区立池袋中学三年生三人(いずれも十五才)は八日午後二時半すぎ、横浜入港の大阪商船三井船舶の南米航路定期客船"さくら丸"(一二、六一○トン)でホノルルから送還されてきた。横浜海上保安部は"計画的な密航"とみて取調べが終わり次第、横浜地検に送検する方針。」
10月19日に紹介した記事の続報。どうやら無事日本に帰還した模様ですね。しかし、往復の旅費は請求されるんでしょうかね。もしかして、無料?
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1966-11-08T01:50:15+09:00
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我が国の人口革命とソ連の革命記念日
宇宙開発のニュースを一つ。ジェミニ計画の無事終了を受け、いよいよ月着陸を目指すアポロ計画が始動。
「米 ルナー2号打上げ」
(毎日新聞昭和41年11月7日夕刊1面)
「【ケープケネディ六日UPI】米国は米東部標準時六日午後六時二十一分(日本時間七日午前八時...
「米 ルナー2号打上げ」
(毎日新聞昭和41年11月7日夕刊1面)
「【ケープケネディ六日UPI】米国は米東部標準時六日午後六時二十一分(日本時間七日午前八時二十一分)ケープケネディ基地から月衛星ルナー・オービター2号をアトラス・アジェナ・ロケットで打ち上げた。
ルナー・オービター2号は四日後に月の軌道に乗るよう計画されている。これに成功すれば、備え付けられた二個のカメラが三百六十八枚の月面写真を撮影し、将来
の月探検(アポロ計画)の軟着陸地点の資料とする。」
今回のルナー2号は、アポロ計画の前哨戦。写真撮影等、データ収集がうまくいくとよいですね。
新聞斜め読み
「進む"人口革命" 急速に先進国型へ 少ない出産・延びる寿命 対策はまだ手さぐり」
(朝日新聞昭和41年11月7日朝刊2面)
「いまわが国では静かな"人口革命"が進んでいる。この現象をひとことでいうと人ロ膨張を続ける未開発諸国タイプから、一定の人口水準を保ちながら大してふえもせず減りもしない先進諸国タイプへの移行だがわが国の場合にはこの移行のテンポが速く、きわ立っているのが特徴。このため老人福祉対策や児童の保護政策など先進諸国で、すでに常識となっている各種対策が、はなはだ立遅れており、このままでは人口の先進性と政策の後進性がもたらす割れ目がますます広がりそうな情勢だ。
厚生省人口問題研究所の調べでは、わが国の人口増加率は戦後(二十二−二十四年)のベビー・ブームをへて、次第に低下し、三十年以降は年平均増加率一%前後で十年間にわたってほぼ横ばいの様相を示している。この数字から一人の女性が一生の間に産むこどもの数を推計すると平均二人たらず。戦前の四−五人、戦後二十五年ごろまでの三−四人からぐっとへっている。(中略)
平均寿命の延び率がさらにぐんと高まることも十分予想される。このような出生率の低下と寿命の延びはわが国の人口構成に大変動をもたらし、同研究所の推計では昭和九十年には六十五歳以上の老人が全人口の二〇%(四十年は六%)を占める。"静かな革命"といわれるわけだ。
人口構成の変動に加えて、世帯の細分化傾向はますます強まっている。総理府統計局がまとめた昨年十月一日現在の国勢調査結果でも、一世帯あたりの平均人員は四・〇五人、三十五年(四・五四人)をさらに下回っている。(中略)
このように、どんどん進行している人口革命に対して、政府の施策はまだ手さぐりの段階。人口問題研究所の館所長は、この現状について「これまで日本の人口は多過ぎるという固定観念があり、出生率の低下によって人口問題は解決したとみる錯覚さえある。現実は、それどころか、この変動にどう対処するか、重大な局面にさしかかっている」と警告している。」
昭和90年は西暦でいえば2015年。その頃には高齢人口が全体の20%に達しているだろうとのこと。政府は、昭和43年度から児童手当制度を創設する予定とのことですが、『さしあたり第三子からにするなど、徐々に前進させることにしたい』(鈴木厚相)と慎重な構え。人口問題研究所の所長の話ではないですが、ついこの間まで『日本は人口が多すぎる』と言われてきましたから、なかなか方針転換も急には難しい感じがします。
「徴兵数を減らす マ米国防長官声明 ベトナム派兵も緩和」
(毎日新聞昭和41年11月7日朝刊1面)
「【ワシントン六日中尾特派員】マクナマラ米国防長官は、五日テキサスの農場で休養中のジョンソン米大統領を訪れて懇談したあと、明年のべトナム戦争のための米軍兵力はことしほど急速には増強されないだろう、との声明を発表したが同長官はこの根拠として北ベトナムおよびベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が勝利の可能性を失ったことをあげている。
したがって(1)明年の米軍の徴兵数はことしより少なくなる(2)明年のベトナム派遣米軍はことしの二十万人増強に比べ、大幅に滅る(3)爆弾生産計画が縮小される可能性が大きい(4)飛行機の出撃回数も現在の月間二万五千機よりふえない---ことを明らかにした。
このマクナマラ言明にもかかわらず、ジョンソン大統領は前日の記者会見で、ウェストモーランド駐ベトナム米軍司令官が米軍兵力の増強を要請していることを明らかにしたばかりであり、またマクナマラ言明のいうように、兵力増強がかりにスローダウンしても、現在の南べトナムで米軍兵力はすでに大幅に増強されたあとで、この声明の結果、ベトナム戦争が戦線縮小に向かって動き出す可能性はきわめて少ないとみられる。」
確かに既に大幅に兵力は増強されていますが、ゲリラ相手の戦闘は正規軍相手の戦闘とは違って、数字で示される兵力の差が実戦であらわれにくいですから、これからどう転ぶかは予断を許さないでしょう。とはいえ、米国内でかなり厭戦気分が広がっているようで、その雰囲気を沈めるための発表だと思われます。
「防衛力を一層強化 ソ連国防相 革命記念日で布告」
(毎日新聞昭和41年11月7日夕刊1面)
「【RP七日東京】七日朝のモスクワ放送によると、マリノフスキー・ソ連国防相は十月社会主義革命四十九周年記念日に当たり、つぎのような布告を発表した。
一、ソ連の共産党と政府は、ソ連国民の根本的利益を表現してレーニン的外交政策をたゆまず追求している。
一、ソ連の平和愛好的方針は、米帝国主義者を先頭とする世界反動の側から強い抵抗を受けている。米国の侵略的な独占資本グループのために国際情勢は先鋭化し、新たな世界戦争の危険が強まっている。世界憲兵の役割を公然と引き受けた米帝国主義は、ベトナム人民に対して流血の戦争を進め、他国の内政に乱暴に介入している。
一、西独軍国主義者の政策は、平和の事業にとって大きな脅威となっている。彼らは核兵器を手に入れようと努めており、その報復主義的計画を実現しようと再び企てている。
一、ソ連の共産党と政府は祖国の防衛力のいっそうの強化、もっとも近代的な兵器と軍事機材による陸、海軍の装備のため必要なすべての措置をとっている。ソ連軍人は社会主義共同体諸国の軍隊との緊密な軍事的同盟の下で、侵略者を破滅させる用意がある。」
中国との路線対立の中で、米国とは宥和政策をとっているとされるソ連ですが、それでも革命記念日にはこれぐらいのジャブは見せるんですな。で、中共と米国は革命記念日にこんな言葉を寄せています。
「中共、指導者の名記さずに祝電」
(毎日新聞昭和41年11月7日夕刊1面)
「【RP七日東京】七日朝の北京放送によると、中国共産党中央委、全国人民代表大会常務委は六日付でソ連共産党中央委、最高会議幹部会、閣僚会議にあて祝電を送った。
「中国人民はソ連人民が十月革命の光栄ある伝統を受け継ぎ、発揚するよう熱烈に希望する。ソ連人民が偉大なレーニンの開いた革命の道に沿って引き続き前進するよう希望する。両国人民が共同して努力し、両国人民の間の友情を守るよう熱烈に希望する」
【注】この祝電には中共指導者の名前が記されず、またソ連指導者を無視して、組織から組織へ祝意を表する形式がとられたのは今回が初めてである。ソ連は今年の中共の国慶節(十月一日)に際し、指導者の名前を書かない祝電を送ったが、こんどの中共の祝電はそのしっぺ返しともいえる。」
やはり、こじれた中を反映して、中共はややこしい祝電を送ってきました。
「平和の努力約束 米大統領祝電」
(毎日新聞昭和41年11月7日夕刊1面)
「【モスクワ六日ロイター=共同】六日のタス通信によると、ジョンソン米大統領は同日、十月革命記念日にさいしポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長にあて祝電を送り、つぎのように述べた。
「私は米ソ両国民が真実の世界平和を望んでいることを知っている。この崇高な目標達成のために私はどんな努力も惜しまないことを約束する」」
一方、米国からは結構素直な祝電内容。「米帝」云々の非難声明は、時候の挨拶なみのいつものセリフなんで大して気にしないということなんですかね。
「米人ドラマーを逮捕 大麻三十グラムを押収」
(日本経済新聞昭和41年11月7日夕刊7面)
「厚生省関東信越地区麻薬取締官事務所は七日午前二時ごろ、東京都港区芝公園付近の路上で来日中の米人ドラマー、トニー・ウィリアムス(20)を大麻を吸っていた疑いで逮捕、もっていた大麻約三十グラム(時価約十五万円)を押収した。
同事務所はウィリアムスを目黒署に留置、入手経路などについてさらに追及している。
ウィリアムスは本名チリモン・A・ウィリアムス。一九四五年シカゴに生まれ、現在ニューヨークに住む黒人ドラマーで、最近モダンジャズのドラム奏者としてめきめき売り出し、十一月三日から東京、長崎など各地で公演したアート・ブレーキーら七人の「ドラム合戦」のため11日来日した。」
17歳にしてマイルス・デイビスのクインテットに加わった天才ですが、とんだ味噌がついてしまいしまたね。なにも、芝公園なんかで吸わなくてもよさそうなもんなのに。
今日の殺伐
「若い母、赤ちゃんを殺す 毎晩泣かれてノイローゼ」
(毎日新聞昭和41年11月7日夕刊11面)
「七日午前二時五十分ごろ、東京荒川区、佐藤照雄さん(三二)は、隣室に寝ていた妻のとみ子(二五)が血まみれではいってきてドシンと倒れる音で目をさますと、とみ子は「死にたい。子供が、子供が……」と叫んでいた。隣室をのぞくと、ベビーサークルに寝ていた長男の学ちゃん(生後二十八日)が腰ヒモで首を絞められて死んでいた。とみ子は学ちゃんを絞め殺したあと、台所にあった包丁で自分の胸二ヵ所と手首を刺して自殺をはかり、十日間の負傷。
とみ子は十月九日、台東区、下谷病院で学ちゃんを産んだが、学ちゃんは予定より一ヵ月早く生まれた未熟児で、体重が二〇六〇グラムしかなかったため、十一月三日まで同病院に入院していた。退院するときは体重も二、八七五グラムまでになり、普通の赤ちゃんと変わりはなかったが、母乳の出が悪く、学ちゃんがよく夜泣きするところから、育児ノイローゼにかかっていた。最近は「頭がガンガンして夜眠れない」と照雄さんにいっており、発作的に学ちゃんを絞め殺し、無理心中を図ったらしい。
とみ子は五年前にある歯科大学の衛生士科を卒業し、歯医者の助手をしていたが、四十年十月に、照雄さんと結婚し、学ちゃんは初産だった。東京では十月に育児ノイローゼの母親が自殺したり、赤ちゃんを絞め殺す事件が二件あった。東大病院の話では「最近、産後ノイローゼになる母親がふえており、若い女性には母親となる教育が不足しているのではなかろうか」と指摘している。」
上掲の『進む"人口革命"』でも、世帯の細分化傾向について触れていましたが、こういった核家族化の進展が、若い母親が担う子育ての負担を大きくしてきているのでしょうか。育児の悩みが大きな事件を引き起こす事例が最近目立ちます。それにしても、真夜中に目を覚ますと奥さんが血まみれで倒れていたとは、ご主人は心臓が止まりそうになったでしょうな。
「少女を呼びとめなぐる 自転車の男」
(毎日新聞昭和41年11月7日朝刊15面)
「六日午後七時ごろ、東京墨田区押上、熊田貞雄さん(四六)の長女、小六年、悦子ちゃん(一一)は、路上で、無灯火の自転車で来た三十五、六才の男に呼び止められ約百メートル離れた、会社員、丸山悟郎さん方前の暗がりに連れ込まれた。男は紙で包んだ長さ二、三十センチの棒で悦子ちゃんの頭をなぐりつけて二週間の傷を負わせて逃げた。」
新聞紙面では小さな扱いなんですけど、怖い事件ですね。幼児に対する暴力事件が最近増えているようで恐ろしい限りです。
「ウサギと早合点 草刈り老人を撃つ 大阪 そこつ者のハンター」
(朝日新聞昭和41年11月7日朝刊15面)
「【富田林=大阪府】六日午後二時半ごろ、大阪府南河内郡千早赤阪村川野辺の雑木林で、草刈りをしていた同郡、農業奥野哲次さん(七八)のうしろから突然散弾が撃ちこまれた。近くで猟をしていた枚方市、無職T(三〇)ら二人のハンターがかけつけ、血だらけになって救いを求める奥野さんを見てびっくり。近くにいた人たちの協力を求めて富田林署に連絡、パトカーで河内長野市の病院にはこんだ。奥野さんは左半身に約八十の散弾を撃ちこまれており、一カ月の重傷。
同署の調べでは、撃ったのはTで、この日山バトをとりに現場に来ていたが、三十メートルほど前の草むらがゆれたのでウサギと早合点、確認しないまま発砲したという。使っていた銑はブローニング五連銃(十二番口径)で、一発に三百の散弾がはいっており、百メートル先までとどくというもの。同署では、Tを業務上過失傷害の疑いで調ベている。」
撃たれたほうからすると『そこつ者のハンター』なんて気楽な見出しじゃ済まない事態ですな。山バトを狙いにいってウサギと間違えて七十のおじいちゃんを撃つとはウカツにも程があります。
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1966-11-07T01:30:14+09:00
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中ソ対立と所得格差
今日は日曜日で、あまりニュースもありません。あっさり風味でお届けします。
新聞斜め読み
「"反ソ・インター"か 中国・アルバニア中心に ロンドン情報」
(朝日新聞昭和41年11月6日朝刊1面)
「【ロンドン=妹尾特派員五日発】世界二十七カ国の共産党...
新聞斜め読み
「"反ソ・インター"か 中国・アルバニア中心に ロンドン情報」
(朝日新聞昭和41年11月6日朝刊1面)
「【ロンドン=妹尾特派員五日発】世界二十七カ国の共産党またはその親北京系分派の代表を招いて、一日からアルバニアの首都チラナで開催中のアルバニア勤労者党第五回党大会を機として、中国とアルバニアを中心に、"反ソ・インター"または"純正マルクス・レーニン主義者グループ"ともいうべきものが結成された模様である。
ロンドンに集る諸情報を総合すると、それが今後どのような具体的な形をとって一般に公表されるかまだ不明だが、反修正主義路線の推進と、その戦線統一をねらったある種の"機構"が、今度のこの"モスクワの敵"の会合としては最大の集りを機会につくり出されたことはほぼ間違いない。
参加二十七力国のうち正式の党代表団を送り込んだのは中国、ルーマニア、北朝鮮、北ベトナムの四力国だけ。あとはイタリアなど各国共産党の親北京派代表だ。しかも正式代表団のうちルーマニア、北朝鮮が自主路線、北ベトナムは中ソ対立に中立の立場をとっている。従って、これらの諸国がどの程度積極的に賛意を表明しているか明らかでないが、今後の発展いかんでは黙殺し得ない波紋の源になるであろうことはいうまでもない。
ホッジャ・アルバニア勤労者党第一書記は、その九時間にわたった基調演説で「修正主義路線からの決定的な離脱と、より大胆にして、さらに戦闘的な行動」を強く呼びかけているが、"反ソ・インター"創設説はこれから出発している。さらに北京の積極的な同意ないしは支持を得ずしてホッジャ第一書記がこの種の呼びかけを行うなどとは考えられない、と五日のロンドン・タイムスもみている。
それに、今度の党大会は、中国が文化大革命の火ぶたを切って以来の、世界共産主義運動に対する北京の影響力を計量し得る最初の機会でもあった。アルバニアが今度の党大会を機会に、ともかくも二十七力国の代表を集めた事実は正当な評価を必要としている。
第一に、北京はまだ、これだけの支持---同調者をもっているという意味で、第二には、この事実の認識が"反ソ・インター"の大きな推進力となっているという点だ。」
明らかに反ソといえる国は中共とアルバニアの二つだけですし、まだまだ国際的にみて一潮流とは言えないでは?北ベトナムはソ連の援助をアテにしないわけにはいかないでしょうし。
「中共との国境警備に ソ連軍さらに増強 ロンドン情報」
(毎日新聞昭和41年11月6日朝刊3面)
「【ロンドン五日UPI】五日伝えられた外交情報によると、ソ連は中共との国境警備強化のため、さらに陸軍数個師団を極東地域に移動させた。ソ連は同地域にすでに十七個師団を配置しており、この増強によって総兵力は完全装備の二十五万人に達したものとみられる。今度のソ連軍の移動は明らかに中ソ国境における緊張激化のためである。
これより前、中共が国境沿いの数ヵ所、とくに中共が領土権を主張して問題になっている東北地区の黒竜江沿いに兵力を集結しているとの情報があった。」
対するにソ連は国境付近の守りを固めているようです。黒竜江付近は国境問題でかねてからモメてましたから、特にキナ臭いようですね。
「"新たな戦争を挑発" 北朝鮮が米・韓軍を非難」
(毎日新聞昭和41年11月6日朝刊3面)
「【新亜五日東京】五日の平壌放送によると、北朝鮮外務省は同日声明を発表し、最近米・韓軍が休戦ラインで新たな戦争挑発を続けていると非難したあと、もし北朝鮮に対して新たな戦争を仕掛けてくるならば、彼らは自滅するであろう、と警告して、つぎのように述べた。
一、米・韓軍は二日、北朝鮮側が非武装地帯南方八百メートル地点で米軍六人を殺害したとでっちあげた。
一、米・韓軍の軍事的挑発行為は無謀な段階に至り、十月二十日から三日までに三十三回にわたる各種武装攻撃を加えてきた。これらの行為は、彼らが北朝鮮に新たな侵略戦争を挑発していることをはっきり証明している。
一、ジョンソン大統領は前線を視察したのち、米・韓軍に対して、新しい戦争挑発を一層強化するよう指示して帰国した。同大統領のこのような行動は十六年前、韓国を訪問したダレス元国務長官の行動と同じである。米国はダレス長官が帰国してからすぐ朝鮮戦争を起こした。
一、北朝鮮政府は米・韓軍の挑発により発生している軍事休戦ライン上の重大な事態を注視するとともに、つぎのように警告する。
(1)米帝国主義者と韓国政府が、いつ北朝鮮のどこに侵入しようと、彼らにせん滅的打撃を加え、徹底的に掃討するあらゆる準備を整えている。もし米国が北朝鮮に新しい戦争を挑発するならばそれは彼ら自身の滅亡を招くだけである。
(2)米帝国主義者は北朝鮮に対して挑発行為を中止し、あらゆる殺人兵器とともに韓国から撤退すべきである。彼らがたび重なる警告にもかかわらず北朝鮮への敵対行為を継続するならば、それによってもたらされるすべての結果に全面的責任を負うことになろう。」
一方、朝鮮半島では北朝鮮が相変わらずの北朝鮮節を聞かせています。この期に及んでもまだ朝鮮戦争はアメリカが始めたと主張しているんですな。
「二割が「私は貧乏」 関東はまずまずの所得 厚生省生活調査」
(毎日新聞昭和41年11月6日朝刊14面)
「日本人の五分の一以上は、食べるのが精いっぱいで貧乏だと考えている---四十年国民生活実態調査の結果が五日、厚生省から発表された。国民各層の年間所得を分類して生活程度を調べ社会保障、福祉行政運営の資料とするため昨年五月に行なった調査で、貧乏意識は北海道、東北、九州地方ほど強く、関東、北陸、近畿地方は「まずまずの生活」との答えが多かった。
調査は全国から二万一千六百四十世帯を選び、八万七千二百九十五人の世帯員を対象に福祉事務所の調査員が面接してまとめた。
【世帯の平均所得】全国の一世帯平均所得は六十五万四千円、三十九年の平均所得と比べて一五・三パーセントふえている。
職業別では○・三ヘクタール(三反)以上の農家は六十万七千円、勤め人がいる兼業農家は七十六万四千円、自営業者七十八万五千円、サラリーマン七十一万四千円、日雇い労働者三十三万八千円で、全般に農家と非農家の所得格差は縮まってきている。年齢が高い世帯ほど所得が増加してくるのは当然だが、三十代から四十代では扶養家族が多くなるため、世帯員一人当たりの収入は逆に減ってくる。
【生活意誠】所得がふえても物価の急速な上昇で、国民は自分たちの生活をどう考えているかを調べたもので(1)やっと暮らしているが食べるのに精いっぱいで、他のものに手が出ない(2)食べる心配はないが、まとまったものに手がとどかない(3)暮らしに必要なものは買え、他と比べて恵まれている---の三段階に分けると(1)は二〇・九パーセントで平均所得三十五万四千円(2)は四六・九パーセント、五十七万九千円(3)は三二・二パーセント、九十五万八千円。
これを四人世帯を標準として地域別に比較すると(2)の普通と答えた世帯でも東京、神奈川、千葉、埼玉の南関東では平均七十三万二千円の収入があり、ついで京都、大阪、兵隙の六十八万二千円。これに対して北海道五十八万六千円、東北四十七万六千円、北九州四十七万一千円、南九州四十一万九千円、四国四十七万五千円で、それぞれ普通の生居をしていると考えている。つまり実際の所得は他と比べて高かったり、低かったりしているのに、その地域では普通の生活というわけで、生活水準の格差が大きいことを示している。また貧乏意識についても所得水準の低い地域ほど多い。」
年収六十五万四千円というのが平均的な一世帯での所得だそうで。文中の『貧乏意識』という言葉がスゴイですが、『まずまずの生活』と思っているグループの所得のの平均値が地域によって違いがあるところが興味深いです。生活している場所による所得格差はまだまだ大きいようですね。
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1966-11-06T00:12:41+09:00
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北京で暴力沙汰(紅衛兵に非ず)
未来的なお話を一つ。
「プラズマ・ロケット ヤンターリ1号打上げ ソ連」
(毎日新聞昭和41年11月5日朝刊3面)
「【RP四日東京】四日のモスクワ放送は、ソ連がこのほど新型のガス・プラズマ・イオン・エンジンを積載した自動研究室「ヤンターリ(こはく)1号」を...
「プラズマ・ロケット ヤンターリ1号打上げ ソ連」
(毎日新聞昭和41年11月5日朝刊3面)
「【RP四日東京】四日のモスクワ放送は、ソ連がこのほど新型のガス・プラズマ・イオン・エンジンを積載した自動研究室「ヤンターリ(こはく)1号」を打ち上げたとつぎのように発表した。
一、ソ連は大気の上層において新型エンジンの実験を行なった。自動研究室ヤンターリ1号で、これにはガス・プラズマ・イオン・エンジンが積載され、新型エンジンは大気の上層における操縦飛行に広い見通しを開くものである。
一、ヤンターリ1号から入手されたテレメーター情報は、この独特のエンジンの作動に関する貴重な資料をもたらした。
【注】プラズマ・エンジンまたは電気エンジンというのは電気をおびさせたガスを電磁力により噴射させ、推進力をつくりだすロケット・エンジンの一種。将来の長時間の惑星間飛行の動力として有望視されている。」
惑星間飛行とは夢が広がりますね。当面の目標は米ソともに有人機の月着陸でしょうけれど。
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「紅衛兵、早急に帰郷を 寒さ控え 宿泊施設に悩む 党中央通告」
(毎日新聞昭和41年11月5日朝刊3面)
「【北京四日高田特派員】中共党中央委と国務院は四日、連名で「北京に来ている地方の紅衛兵はすみやかに帰郷せよ」との緊急通告を北京市内に張り出した。
通告は三日付になっており、同日天安門広場で行なわれた毛沢東党主席の六回目の"接見"---四日付人民日報は国慶節を加算して六回目と報じている---に参加した紅衛兵は早急に帰郷せよ、さもないと北京にはまだ続々地方から紅衛兵がやって来ているうえに、気候は急速に寒くなるので宿泊設備をはじめ北京の受入れ体制は非常な苦境に陥ると訴えている。しかし、三日の「二百万大会」では日没までに天安門まで行進できなかった紅衛兵が百万人前後もいるといわれ「毛主席に会うまでは帰らない」紅衛兵をどのようにさばくかは北京の指導者たちの深刻な悩みとなっている」
毛主席に会えば、どんな難病もたちどころに治りかねない勢いですな。
「紅衛兵より民兵強化 中国共産党 工場・鉱山に指示」
(朝日新聞昭和41年11月5日夕刊6面)
「【北京四日発=共同】北京で四日明らかにされたところによると、中国共産党中央はすでに工場や鉱山などには紅衛兵を作らせず、民兵組織を強化する方針を決定した。これは紅衛兵によって生産活動が阻害されることを防ぎ、文化大革命を増産に役立てる方向に向って集約して行くとの党の態度を示すものである。
四日、日本人記者団が見学を許された北東第三綿紡工場には党中央の指示に基づき、十一月を"民兵整備月間"とするむね掲示されていた。この掲示は十六歳から三十歳までの男、同じく二十五歳までの女で身体強健なもののうち今回の文化大革命で本人や家族が批判を受けていないものは積極的に民兵に参加するようにと呼びかけている。
共産主義青年団は、今回の紅衛兵運動で中央幹部が集中的な攻撃を浴びて活動停止状熊にあるといわれてきたが、同工場内の青年団は早くから機能を回復し、毛思想学習の音頭をとっているといわれる。」
記事中には『中国共産党中央はすでに工場や鉱山などには紅衛兵を作らせず、民兵組織を強化する方針を決定した。』とありますが、その根拠は日本人記者団が取材を許された工場のカベに掲示があったというだけ。もちろん、党が取材をわざわざ許可したところからみて、それなりの説得力はあるのでしょうが、本当に紅衛兵が見捨てられたかどうかはまだ予断をゆるしませんね。
「北京で暴力沙汰 紅衛兵運動 日本の留学生分裂 日共支持派つぎつぎ帰国」
(毎日新聞昭和41年11月5日夕刊6面)
「北京に留学中の日本共産党員学生の間で、中共支持派が代々木(党本部)に"反旗"をひるがえし、自主独立路線を守る留学生仲間に暴力を加える事件が続発、身辺に危険を感じた党員留学生六人が三日夜、香港経由で羽田に引き揚げてきた。さらに五日には第二陣が帰国する予定という。
日共党本部と最近の帰国者の話を総合すると、北京に留学中の日共党員学生の間で分裂が表面化したのは、紅衛兵運動が広がった八月末ごろからで、九月十九日に"分派集会"が開かれた。このため「赤旗」の紺野純一特派員(三七)が規律違反として注意すると、聴濤学君ら留学生四人は、宿舎の北京飯店に押しかけ「修正主義者はだまれ」とののしってなぐり、一週間程度のけがをさせ、とめようとした同席の高野好久同特派員(その後帰国)にも六階のビルから突き落とすぞ、とおどした。
また十月三日、北京の人民大会堂で陳毅副総理、郭沫若氏、黒田寿男訪中団長らが出席して日中友好協会主催の同協会創立三周年記念パーティーが開かれたとき、中共支持派の党員留学生四人が帰りのバスの中で留学生八人に「お前らは中国に反対しているくせに、なぜきょうの会に出た」と難くせをつけ、つぎつぎにスクラムの中に入れ、乱暴したという。
日共は同月二十四日、世田谷区民会館で第十回党大会を開き、中共路線を清算したが、これがきっかけで、北京では一段と分裂のミゾが深まり、同二十七日夜にも北京体育学院宿舎内で、伊佐雅正君(二六)=元名古屋の某大学細胞=は「党大会に出された中央委報告は修正主義者の草案だ」と同学院留学生で代々木派の中村泰樹君(二五)をツルシ上げたうえ、空手四段の"ウデ"でなぐり、顔に負傷させた。そのさい「数年たったら必ず日本に帰り、宮本(書記長)岡(常任幹部会員)に仕返しにいくから伝えておけ」といきまいていたという。
三日夜、帰国したのは中村君ら被害者グループで、いずれも学校内の大字報(壁新聞)でヤリ玉にあげられ、不安な状態になったという。
北京には、日共中央委員会の代表として、現在砂間一良幹部会員候補が駐在しているが、中共支持派の留学生は解放軍兵士に護衛されている砂間氏の自宅に「さっさと帰れ」といった壁新聞を投げ込むなど紅衛兵ばりのハッスルぶり。党本部もみかねて、すでに留学生十五人(うち女性四人)を重大規律違反として処分している。
これに対し、最近、中国を訪問、除名者グループにも会って帰国した日中友好協会(反日共系)の某役員は「事件の取上げ方が大げさだ。除名者グループは生一本な連中が多く、日中友好青年交流を日共が妨害したのがきっかけで批判勢力となったようだ」といっている。
治安当局の話によると、中国に留学中の日共党員は約六十人。北京の体育学院、語言学院、北京大学などに籍を置き、日共党幹部の子弟が多い。一連の事件でも加害者側では聴濤学君(三三)=故・聴濤克巳中央委員の長男=被害者側には田代鉄世さん(田代文久中央委員の娘)など党内のエリートコースを歩む"二世"の顔ぶれがかなり出ている。
なお、三十九年七月日共がソ連と公然対立したさいはルムンバ大学に留学中の日共党員の間で動揺がおき、一部帰国したが、留学生同士の暴力事件はなかった。
日共党本部の話 こんど帰国した留学生は党の路線を守り、迫害の中で随分こわい思いをしたようだ。反党分子は思慮分別のたりない若い連中だ。しかし、これはあくまでも党内問題として処理しており、この事件に挑発されて日中間のミゾを深めたくはない。」
内部対立もさることながら、日共内のエリートに二世が多いというところに注目。東大卒じゃないと出世できないので、『日共内は学歴社会』と言われているのは知ってましたが、最近では血統も重要なんですね。
「雑記帳」
(毎日新聞昭和41年11月5日朝刊15面)
「◇四日の金曜日は羽田の"厄日"---。二月の全日空、三月のCPAL(カナダ太平洋航空)事故以来、八ヵ月ぶりにこの"ジンクスの日"がめぐってきたとあって、東京航空保安事務所の係員は朝からなんとなくソワソワ。
◇午後五時すぎ、管制塔から「緊急着陸機あり」とせき込んだ調子の声が響いた。シアトル発東京行きのノースウエスト七便のタイヤの一部がシアトル離陸のとき落ち、危険な状態のまま降りてくるという。"スワ"と消防車五台が滑走路わきに出動したが、同機は無事着陸してヤレヤレ。
◇「このくらいなら厄払い」とヒヤ汗をぬぐったが、ジェット時代のエンギかつぎとは---いつになったら安心して飛行機に乗れることか。」
2回も事故が重なれば、神経質になる気持ちも分かりますよ。いくらジェット時代とはいえ、不吉な予感は不吉な予感ですから。
今日の殺伐
「百万円落としたのが運のつき 横領の銀行員を逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月5日朝刊15面)
「【尾道】四日午後一時半ごろ、広島県三原発尾道駅行き尾道市営バスが尾道市吉和町新浜の車庫にはいり車内清掃中、新聞紙包みの一万円札百枚を発見、驚いて市交通部の落とし物係に届け出た。半時間後に四十才くらいの男が"百万円落とした"と交通部にはいってきたが、旅行カバンも持たず、大金を持って旅行しているようすもないので、尾道署で渡すことにし、同署に同行した。
同署の遺失物係が話を聞いたがやはり怪しいので刑事が同人の身元を調べた結果、この男は福岡銀行神田支店外務員、F(四四)で十月三十一日朝、住友銀行神田駅前支店から福岡銀行神田支店に支払う現金三百五十万円を受け取って逃走、警視庁から全国に指
名手配中と判明した。さらにFの身体検査をしたところ、服のポケットなどがら現金二百二十万円を発見、業務上横領で逮捕した。
Fは福岡銀行神田支店に三年前から勤務、まじめで信用されていたという。同支店は小規模で現金保管の設備がないため預かった金を毎夜近くの住友銀行神田駅前支店の普通頂金に預け入れ、翌朝引き出していたが、Fはその仕事を一人で引き受けていた。Fは十月三十一日午前十時すぎ、住友銀行神田駅前支店に金を受け取りに行ったまま行方不明になったが、福岡銀行では誘かいされたか、現金を落として自殺を図ったとしか考えず、同日午後五時すぎ、東京万世橋署に届けていた。しかし同署で捜査した結果、横領したものと断定、三日警視庁を通じ全国に指名手配していた。」
「落とした百万円が運のツキ 横領銀行員つかまる 逃走中広島で ノコノコ取りにきて」
(読売新聞昭和41年11月5日朝刊15面)
「【尾道】東京の銀行から三百五十万円を横領して逃げていた行員が、広島県下で落とした百万円を惜しんで届け出たばかりに、横領までバレて、四日逮捕された。
同日午後一時四十分ごろ、広島県三原市の国鉄糸崎駅前のバス停に、一万札で百万円はいった新聞紙包みが落ちているのを尾道市営バスの大浦正光運転手(四四)がみつけた。普通の遺失物なら市の交通部で処理するのだが、なにぶんにも大金なので同部花田喜宜庶務係長が大事をとって、尾道署に届けたところ、四時ごろ東京都千代田区、日本化工社員田中春夫と名乗る男が「わたしが落とした」と現れた。
同署で念のため身元を照会したが該当者がおらず、おまけに不審な点が多いので持ち物を検査すると、上着ポケットから現金二百三十万円が出てきた。さらに追求すると、先月三十一日午前十時三十分ごろ住友銀行神田駅前支店から福岡銀行神田支店の行金三百五十万円を引き出して逃走、警視庁から業務上横領で指名手配されていた福岡銀行神田支店外交係F(四三)とわかり同五時逮捕、五日東京に護送する。
自供によると三十一日夜、列車で広島へ逃げ、市内や宮島で遊んだあと四日福山へ行くつもりで糸崎駅まで列車、駅前から尾道市営バス、尾道からハイヤーに乗ったが、途中百万円を落としたことに気づいて引き返し届けたという。
Fは最初「百四十万円を持って出て四十万円を広島市内の得意先に払った残り」と説明したが、名刺や四十万円の領収書がなく、なぜ尾道から福山へハイヤーで行かなければならなかったのかなどに不審を持たれたもので、二十万円は遊興費に使ったといっている。
Fは三年前から福岡銀行神田支店に労務行員として雇われ、宿直室に妻とこども三人といっしょに住み込み、掃除などをやるかたわら、しばしば近くの住友銀行に百万単位の金をおろしに行っていた。勤務態度はまじめで、三十一日は午前十時ごろ自転車で住友銀行にでかけ、妻子を残したまま姿を消した。このため、福岡銀行や万世橋署も、はじめは金を落として責任を感じ、姿を消したのではないかとみていた。」
同じ事件を扱った記事を二つ。読売の記事では、バス停に百万円の包みが落ちていたことになっていますが、毎日では車庫で清掃中に車内で包みを見つけたことになっています。どちらが正しいんでしょうか?また、読売の記事で気になったのが『日本化工社員田中春夫と名乗る男が「わたしが落とした」と現れた。』の部分。名脇役の田中春男さんと同音で漢字一字違いじゃないですか。9月17日の記事で取り上げた田中前代議士にからむ詐欺事件では、進藤英太郎さんの名前を偽名に使っていましたが、それに続くバイプレーヤーの名前騙り。とっさに名前を偽ろうとすると、俳優、それも主役級でなく脇役の名前が口をついてしまうものなんでしょうか(進藤英太郎さんと田中春男さんが競演している作品となると、『近松物語』とか『めし』とか名作が浮かびますなー)。しかし、妻子を残しての突然の失踪とは、どんな心境の変化があったんでしょう。落語の『千両みかん』のオチでみかんのふさを持って逐電した番頭の心持ちになったのか。
「砂の目つぶしで釣銭奪う 喫茶店に"忍者強盗"」
(毎日新聞昭和41年11月5日朝刊15面)
「四日午後八時四十分ごろ、東京千代田区東神田、喫茶店「ブローバ」でコーヒー一杯を飲んだ若い男の客が入口近くのレジまできて、店員の山本真佐子さん(二○)に一万円札をみせ、ツリ銭を要求した。山本さんがツリ銭九千九百十円を勘定していると、男は不意に上着のポケットから砂をつかみだし、山本さんの顔に投げつけ、九千六百円をひったくって都電通りを浅草橋方面へ逃げた。
万世橋署で男を捜しているが、三十才前後、一六二センチぐらいで、赤いオープンシャツに黒背広上下を着ていた。同署では、男が四十分間も店内で様子をみ、砂を用意していたことから、計画的な新しい手口だとみている。」
忍者強盗とあるので、もっと大がかりな仕掛けがあるのかと思ったら、砂の目つぶしだけなんですな。それで『忍者』とは、いささか安易な見出し。ともかく、物騒なものが流行りだして危険ですから、これからレジ打ちの方はゴーグル必携です。
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1966-11-05T00:26:19+09:00
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金魚を食べないで
すっかり秋めいてきましたが、この時期まだ蚊に悩まされているところがあるそうです。
「冬のカ 悩む世田谷、三鷹 浄化そう(簡易水洗)が温床に」
(読売新聞昭和41年11月4日朝刊1面)
「そろそろコタツの恋しくなる季節だが、世田谷区や三鷹市で、いまだにカ...
「冬のカ 悩む世田谷、三鷹 浄化そう(簡易水洗)が温床に」
(読売新聞昭和41年11月4日朝刊1面)
「そろそろコタツの恋しくなる季節だが、世田谷区や三鷹市で、いまだにカに悩まされている地区がある。"犯人"は低温に強い「チカイエカ」。ひところ都心のビル街に大発生したやつだが、ここ数年簡易水洗便所の浄化そうを絶好の発生源として周辺地区でもブンブンとびはじめた。夏のカと同じように人を刺すうえ、これを恨絶しようとして浄化そうに薬をまけば、薬の影響で浄化機能が低下してしまい、退治のキメ手がない。都衛生局でもその対策には頭を痛めている。(中略)
このカは「チカイエカ」といって、夏にふつうに見られる「アカイエカ」の亜種で、アカイエカに似ているがやや大ぶり。戦争中はじめて東大構内で発見された。普通のカは気温が十六度以上になると活動するが、チカイエカは十度くらいでも吸血作用をする。」
世田谷区の赤堤や三鷹市の下連雀などでは、コタツにあたりながら蚊取り線香をたいたり、蚊帳をつっているそうな。季節感もなにもありませんです。
新聞斜め読み
「米ソ核独占に痛撃 「人民日報」中国核実験で論説 帝国主義に吉日はない」
(朝日新聞昭和41年11月4日朝刊3面)
「【ANS=東京】北京三日発新華社電によると、中国共産党機関紙「人民日報」は「ジョンソン、大きな不運に見舞われる」と題する次のような評論員の論文を掲載した。
一、中国のミサイル核兵器の発射実験の成功は、米ソ両核独占王に痛棒をくらわせ、かれらは打撃に気も転倒し、あっけにとられている。
一、ジョンソン大統領は、中国は「未開発世界」の「一部分」であり、中国は貧乏であり、核兵器を持つべきでなく、中国が核兵器を持つことは「かなしむべき」である、とのべた。世界人民は、中国というかつては帝国主義の眼中になかった貧しい、おくれた国家が、ひとたび徹底した解放をかちとれば、生活をよくすることができたばかりでなく、原子爆弾、ミサイルもつくることができ、科学技術の領域で世界の高峰に登り、西側の大国に追いつき、追越すことができることをはっきりと見てとっている。
一、ジョンソン大統領はまた、中国がミサイルと核兵器を持つことは「中国自体に危険を招く」、なぜなら米国は中国を「封じこめる」ことができるからである、とのべた。中国人民はアワと小銃しか持たなかった時代にも、米帝国主義を恐れはしなかったし、いまや中国人民みずからがミサイルと核兵器をにぎったのに、恐れることがあるだろうか。
一、ジョンソン大統例は、中国のミサイル核兵器の実験は、核拡散防止条約の調印に「大いに困難をふやした」と述べた。これは、まんざらあたっていなくもない。現在、米帝国主義とソ連修正主義指導部は、やっきとなって核拡散の取引を大いにすすめ、かれらの核独占の地位をかためようとしている。中国のミサイル核兵器発射実験の成功は、まさにこの両者の悪者に致命的な打撃を与えた。
一、ジョンソン大統領がアジアに来るさいに、米国務省は、かれのために暦を調べ、吉日を選んだ。思いもよらず、かれがアジアを「訪問」している途中で、中国のミサイル核兵器の発射にぶつかった。このことは、見たところ偶然の一致のようであるが、象徴的な意義を持っている。それは、われわれの時代には、帝国主義にとつていかなる黄道吉日もないということを明らかにしている。」
核ミサイル実験成功で意気上がる中共様の有難くも威勢のよいお言葉。『黄道吉日』なんて陰陽道の用語を使っているところが目を惹きます。占星術ならともかく、ジョンソン大統領が陰陽道に通じているとは思えませんが。
「毛主席退場で中止 北京の紅衛兵大集会」
(朝日新聞昭和41年11月4日朝刊3面)
「【北京=野上特派員三日発】三日北京で行われた地方紅衛兵二百万と毛主席との会見の大集会は、なんとも形容のつかぬ大変な大集会となり、午後五時すぎ中止された。この大会は例によって深夜から歌をうたい毛主席万歳を叫びながら紅衛兵の大群が天安門広場と広場の東につづく大通り、さらに大通りにつながる道という道に集結をはじめた。
午前十時すぎ林彪副主席の演説が終ると同時に二百万の紅衛兵の大群は天安門前の広場に流れ込んで行進を開始した。
テレビで見ていても林彪副主席、周恩来首相、陳伯達中央文化革命小組組長らの様子はいったいどうなることやらという半ばあきらめと半ば焦りの有様が見えた。
毛主席は午後五時五分すぎ、二人の若い女性に付添われて天安門から姿を消し、大会は突然中止されることになつた。」
記事では党幹部の困惑の表情は伝えていますが、肝心の困惑の原因がよく分かりません。200万人が歌って町を練り歩くという程度の混乱なら、今年の北京では日常茶飯事でしょうし。紅衛兵が、何か党中央の思惑に反した行動をとったのでしょうか。
「金魚を食べないで 名物料理に坊や抗議 子供の楽園 滋賀水産センター」
(毎日新聞昭和41年11月4日朝刊15面)
「【大阪】「金魚がかわいそう。料理して食べないで」--- 三日、両親に連れられて滋賀県大津市の南郷水産センターに遊びに来た吹田市の小学生がこう訴えた。「かわいい金魚は見て楽しむもの」という子供の考えを無残に破る"商魂"が問題になっている。
この小学生は吹田市田口徹二さんの三男、恒夫君(一○)で、センター入口の「当センター名物、金魚料理」の大きな看板にびっくり。「金魚を食べるの。どうしてなの」と聞かれた父の徹二さんは、返事に困った。恒天君は三年のとき級友と教室で金魚を飼い、かわいがってきた。その金魚の仲間がみんなの目の前で料理され、食べられるなど考えてもみなかった。
同センターは五月一日、滋賀県が敷地の一部を無償で提供して開園した。観覧車などのほか、琵琶湖の淡水魚を集めた教育観賞池が九面あるため家族連れに人気があり、センター側も子供の"夢の楽園"として宣伝している。
金魚料理は同センター内の食堂「大黒屋」でやっている。料理はおもに和金。メニューには「金魚料理一式(二十センチ前後、二、三百グラム)千二百円から」とある。正田さんの話だと、センターを経営管理している県漁連から勧められ、十月一日から始めたという。
児重憲章にも「すべての児童は自然を愛しまた道徳的心情がつちかわれる」=同五条=とあるが、伊賀同センター場長は「センターの宣伝上、アイデアとしておもしろいと思って始めた。前にも好ましくないという声も聞いているが、食用に飼育しており、やめるつもりはない」といっている。
親がきっぱり教えればよい
児童心理学者
早川元二法大講師の話
金魚は食べられるかもしれないが、ふつうはそう考えない。イヌでもネコでも食べる国がある。しかし子供たちは幼児期に"おいしいもの"と"かわいがるもの"を大脳で分けて考える。金魚は"かわいがるもの"で"食べることはしない"と子供は考えているのだから、できれは食べたりしないほうがいい。しかしあまり神経質になるのもどうかと思う。"食べる人もあるかもしれないが、わたしはそういうことはしない"と親がいえばいい。
「情操教育を忘れた商魂」
"かわいい魚"のイメージ破るな
(中略)"げてもの食い”として有名な前大阪市立自然科学博物館長、筒井嘉隆氏も「子供がたくさん集まる場所で金魚を料理するとは、ひどすぎる。(中略)若者たちが白鶴をバーベキューにした事件があったが、それより残酷な感じを受ける」といっている。」
先日お伝えした、ノラ犬スキ焼きに続く悪食事件。食用に飼育している金魚なんだから、そんなに騒ぐことでもないような。早川元二さんの『しかしあまり神経質になるのもどうかと思う。"食べる人もあるかもしれないが、わたしはそういうことはしない"と親がいえばいい。』に賛成。この記事のトップに写真が掲載されているのですが、このキャプションに、『「金魚の刺身」と書かれた看板の前でうなだれる恒夫君(右から二人目)右端は父の徹二さん』とあります。記事にするために記者が親子をわざわざ再び大津の水産センターまで連れて行って、『恒夫君、ちょっとうなだれてみて』などと言って撮影したんでしょうか。
「大学祭 影ひそめる政治色 "模擬店"は大いばり」
(日本経済新聞昭和41年11月4日朝刊15面)
「大学祭のシーズンである。十月二十九日からは明治大学の駿台祭、日本女子大の目白祭が開かれたし、十一月中には東大教養学部の駒場祭はじめ、早大の早稲田祭、慶大の三田祭などがつぎつぎに開かれる。その催しから大学生の意識の一端をのぞいてみると、ことしは各大学祭とも"問題意識"に冨んだ企画がぐっと少なくなり、学生の象徴のような政治色の濃い統一テーマやアピールもほとんど影をひそめている。そして目立って多いのは喫茶店などの模擬店。「戦後二十年にして、はじめてでて来た傾向だ」と驚いている大学関係者も少なくない。
学生の多数が主張したいことを要約して示すのが大学祭の統一テーマやスローガンだが、ことしは意味のよくわからないテーマがあちこちに現われてきた。
同志社大では「ああ交響曲第五番現代」、明治大学では「猶予の季節」といったのが選はれた。同志社大の場合、テーマの候補のなかには「ビビレチンチン、セセリノナミダ」といった何語か不明のものや「空間の血笑」「負け犬に沈黙の死を」といった象徴詩まがいのものも多かった。
大学教授たちの話では、三、四年前までのテーマといえは安保条約反対をはっきり打ち出すか同条約論議にからんだものだった。また一咋年あたりは「憲法」の字句が織り込まれたものがかなりあった。咋年は日韓条約と毎年、それなりに共通した問題をとりあげていた。
ところがことしは早稲田祭に「ベトナム戦争の加担者日本帝国主義を弾劾(だんがい)せよ」とあるほか、政治色の濃いものは見当たらない。なにかを訴えるとしても「個人に思想を、世代に使命を」(三田祭)とか「肩を組もう未来を築く若い力」(立教祭)というように政治や社会に対してでなく、自分たち自身に向けたものがほとんど。
テーマが"非政治的"になった理由について大学祭の実行委員たちは「政治的な主張をかかげてはもうとても一般学生がついて米ないから」という。十月末、六大学の大学祭実行委員たちが立教大学に集まり「大学祭をどう進めるか」について議論したが、「必要単位は熱心にそろえるが、それ以外は楽しくという学生がふえすぎた。このため全学生共通のテーマには、自分たちのあり方を考え直そうというものか、表面的には意味不明のものしか採用できない」(駿台祭西田順志実行委員長の発言)と意見は一致した。」
政治の季節の終わりということなのでしょうか。しかし、同志社のテーマ候補の「ビビレチンチン、セセリノナミダ」は意味不明すぎ。
今日の殺伐
「「くやしい!!」娘さん三人 会社員が晴れ着にタバコ 天王寺公園」
(毎日新聞昭和41年11月4日朝刊15面)
「【大阪】「文化の日」の行楽でにぎわう三日午後の大阪天王寺公園で、中年の会社員が、若い女性三人の晴れ着のタモトにタバコの吸いさしを投げ入れ、天王寺署員に逮捕された。
午後二時四十分ごろ、大阪市天王寺区茶臼山町、天王寺公園東口付近で、大道手品を見ていた訪問着姿の若い女性三人づれのタモトにタバコの吸いさしを投げ入れている中年の男を岸和田市会社員、中村陽人さん(三一)の妻、テイ子さん(三○)が見つけた。
夫の陽人さんが約五十メートル離れた天王寺署公園東口派出所に急報、同署員が逮捕した。伊丹市会社員、S(四七)で、朝から酒を飲んだあと、公園に寄り「晴れ着姿の若い娘の驚く姿を見て楽しもう」とやったといっている。
Sは三十一年十月にも公然ワイセツ罪で警察に検挙されたことがある。また三十七年と三十九年に、精神異常で入院したことがある。家庭は妻と三児がある。
晴れ着にいたずらされたのは堺市家事手伝い、大北敏代さん(二四)ら高校時代の同級生で、三人とも着物のタモトに焼け穴ができ「にくらしい」とマユをつり上げていた。」
通報した夫婦のかたはエライですね。それにしても、愉快犯というのはいろんなところに愉快さを発見するモンですな。
「殺されていた娘さん 岐阜の誘かい コモ包みで発見 塗装工が犯行自供 "婚約者が犬をはねた" 車で帰宅直後連れ出す」
(日本経済新聞昭和41年11月4日朝刊15面)
「【羽島=岐阜県】十月三十日岐阜県羽島郡、岩井実さん(66)の二女、縫製工岩井久江さん(22)が誘かいされた事件の有力容疑者として、岐阜県警羽島署の捜査本部に二日逮捕され、取り調べを受けていた一宮市浅井町、塗装工村上又吉(25)は、三日午後九時二十分ごろ「金ほしさから久江さんを殺し、死体を愛知県葉栗郡木曽川町国鉄鉄橋下に隠した」と自供、捜査員が現場に急行、死体を発見した。捜査本部は、村上をわいせつ、誘かい容疑から誘かい、強盗、殺人、死体遺棄容疑に切り替え、引き続き取り調べている。最近の誘かい殺人事件ではさる九月八日、札幌市月寒(つきさむ)、山一建設会社社長遠山一郎さん(54)が"警察のもの"と名乗る二人の男に誘かいされ殺された事件がある。
調べによると、村上は、十月三十日午後十一時四十分ごろ、久江さんを誘い出し、各務原市神置町の木曽川堤防付近で乱暴したうえ鈍器ようのもので前額部を強打して殺し、近くにあったコモで死体を包み、乗ってきた軽四輪トラックで木曽川町神明町一七、国鉄東海道線木曽川鉄橋上り線の第一ピヤーから約十メートル上流の沈床の下に隠していた。
村上は、愛媛県西条市で生まれた。小学四年生で神戸に移り、三十一年三月、兵庫県尼崎市の鋼材会社に勤めたがすぐやめた。その後同地方に勢力をもつ暴力団の組員となり、神戸港で沖仲仕などをやっていた。友人や、近所の人の話だと、気が変わりやすく、ハッタリの強いいわば町のチンピラだったようだ。咋年十二月、暴力団の足をあらい、一宮市へきたが、間もなく同市内のねん糸工場でボイラーマンをしていた。ここも四カ月ばかりでやめ、塗装工をしていた。これまで窃盗、傷害などで八回逮捕されている。
"女子工員誘かい事件"は、十月三十日午後十一時四十分ごろ、岐阜県羽島郡、岩井実さん(66)の二女で、縫製工の久江さん(22)が、婚約者の会社員Mさん(26)とドライブから帰宅、その直後に発生した。
岩井さん方へ若い男が現われ「いま娘さんを送ってきた人の車が私の主人の犬をはねた。運転していた人の家を教えてほしい」といって、久江さんを連れ出し、軽四輪に乗せて去ったまま帰らなかった。そのさい家族も同乗する、といったが「車が小さいから……」と断わられた。
三十一日朝、ゆくえ不明の届け出を受けた岐阜県警羽島署は、結婚前の娘さんに迷惑がかかっては……と、極秘の捜査を進めたが、自宅から一・二キロ離れた各務原市神置町、木曽川堤防付近の草むらで久江さんのリボンを発見、現場の草むらが荒らされているうえ、男の足跡しかなかった---などから"誘かい"の線を打ち出し、翌一日から公開捜査に踏み切った。
その結果、犬をタネにした同様手口のきょうかつ未遂事件が十月二十日、隣接の愛知県一宮市で起きていることがわかった。この事件も女性が男友だちとドライブしたあと、軽四輪の男に「犬をひき殺した」と喫茶店に連れ込まれたもので、このとき男は"村上"と名乗っていたため、すぐ村上又吉を割り出し、二日朝から任意同行し追及した。
その後、(1)久江さんの両親が村上をを首実検して「犯人に間違いない」と証言した(2)草むらで発見されたリボンについていた頭髪は、久江さんと同じ血液型(B型)で、村上の車の助手席から出た頭髪とほぼ同じ---などの点から村上の犯行と断定し、同夜逮捕した。
村上は三十日の夜は魚釣りに行ったとアリバイを主張していたが、ついに自供したもの。」
堂々と被害者の家に乗り込んで連れ出すなどという手口からみて、真剣に犯行を隠蔽しようとしてなかったように見えます。こんな行き当たりばったりな犯罪に巻き込まれるなんて、悲惨としかいいようがありません。婚約者のMさんもつらいでしょうね。
夕刊の続報では、犯人が自殺を図ったとか。
「村上飛降り自殺図る 警察の二階で調べ中 誘かい殺人男」
(毎日新聞昭和41年11月4日夕刊11面)
「【羽島】岐阜県羽島郡、岩井実さん(六六)の二女、縫製工、久江さん(二二)を誘かいして殺し羽島署に逮捕された愛知県一宮市、塗装手伝い、前科八犯、村上又吉(二五)は四日午後零時十分ごろ、羽島署北側二階の調べ室で県警捜査一課の矢野警部補と田口巡査部長の二人から経歴を問いただされていたところ「自分のからだは自分で始末する」と突然立ち上がり、手錠をはめたまま頭を窓ガラスにぶっけて破り、飛び降り自殺しようとしたが二人が後ろから抱きかかえるようにして引きとめた。
村上はそれを振りきり、手錠をはめたままの手でほかの窓ガラスをたたき破り窓から飛び出そうとした。矢野警部補らは村上の腕と左足をつかんだが、体は外に出て宙づりとなった。約七メートルの窓の下はコンクリートで、騒ぎでかけつけた署員は当直室のフトンを持ち出し万一に備える一方、窓のすぐ下に出ている裏出入口の屋根にのぼり村上の右足をつかみ、さらにロープにしばって約五分後に部屋に引き戻した。村上は昼食のあと平静を取り戻したので部屋をかえて調べを続けた。
村上はいままでの調べに対し、金ほしさからやったと自供している。」
報道によると、この殺人事件以外にも誘拐未遂や殺人の余罪があるかもしれないとのこと。自供では『金目当て』といってますが、最初から性犯罪を狙っていたように思えますね。
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物騒な38度線と文化の日
今日は文化の日。東京・池袋では、隣接するライバルデパートの間に避難橋がかかったそうです。
「避難橋できる 池袋の二つのデパートの間に」
(朝日新聞昭和41年11月3日夕刊10面)
「地上二十一メートルのデパートの屋上同士を結ぶ避難橋が、三日東京・池袋駅...
「避難橋できる 池袋の二つのデパートの間に」
(朝日新聞昭和41年11月3日夕刊10面)
「地上二十一メートルのデパートの屋上同士を結ぶ避難橋が、三日東京・池袋駅東口の「西武」「丸物」両百貨店の間に完成、開通式をかねた避難訓練が行われた。
この橋は、三年前西武デパートの火事で七人の焼死者を出して以来、両デパートの関係者が「競争よりもまず安全を」と話しあい、計画をすすめてきたという。
両デパートの間隔は、三・五メートル。橋は、幅三メートル、長さ七・五メートルの鉄筋コンクリート製で、ふだんは、サクをしめておくが火事が起きればすぐに開いて、客を避難させる。」
北側の丸物百貨店と南側の西武百貨店がつながったそうです。商売敵も、災害となれば話は別ということですね。
新聞斜め読み
「北朝鮮が米軍攻撃 七人死亡 非武装地帯の南 国連軍発表」
(毎日新聞昭和41年11月3日朝刊1面)
「【ソウル二日近藤(隆)特派員】韓国駐留の国連軍当局が二日発表したところによると、同日午前三時十五分、北朝鮮と韓国をわける非武装地帯の米第二歩兵師団警備地区の南方八百メートルの地点で、米兵七人、カチューシャ(在韓米軍に編入されている韓国兵のこと。総数一万といわれる)一人がパトロール中、突然手投げ弾攻撃を受け、米兵六人とカチューシャ一人が死亡、残りの米兵一人も負傷した。
負傷した米兵の話によると、攻撃を加えた相手側は北朝鮮軍の軍服を着ており、攻撃地点付近から共産国製の武器が発見された。国連軍側は事件を重視、最近発生しているといわれる一連の休戦ライン侵犯事件と合わせ、軍事停戦委員会の本会議開催を要求したが、ここで抗議を申し入れる。」
在韓米軍に編入されている韓国兵のことを『カチューシャ』と呼ぶとは知りませんでした。
「大事に発展の恐れも 衝突重なる朝鮮休戦ライン付近」
(毎日新聞昭和41年11月3日朝刊3面)
「韓国と北朝鮮をへだてる休戦ラインでの衝突はしばしばあるが、二日の事件も含めて、最近大きな衝突が重なっているのが注目される。十月十一日未明にはやはり休戦ライン付近の日本海上で、韓国駆逐艦が北朝鮮の武装船と砲火を交えた後に撃沈している。七月二十九日夜、一月二十六日にも同様事件が起きている。
一方、北朝鮮側は、九月末から十月末にかけて国連軍(韓国軍と米軍)が非武装地帯内に機関銃や迫撃砲を持ち込み、十月二十日には休戦ライン東部で戦車砲や小銃弾数百発を撃ち込んだと非難し、国連側は十月中旬に休戦ラインで北朝鮮が韓国兵一人を殺し、一人を連れ去ったと反論している。
休戦ライン付近に限らず、咋年からは韓国南部でも武装怪漢に農夫が射殺される事件が連続したことがあり、韓国や米軍当局の説明では、こうした衝突のほとんどは、韓国内に北朝鮮の武装スパイが潜入してくるために起こっている。
今回の事件で米軍パトロールを攻撃した"北朝鮮の軍服をまとった者"の正体は不明だが、休戦ラインをはさんで互いに核戦争に耐えるように陣地を強化し、緊張が高まっている折りのできごとである。こんどのような事件が連鎖反応的に拡大して大事に至る危険性を休戦ラインは常にはらんでいることを知っておかねばならない。」
ベトナム紛争や、中ソの険悪化の中、38度線付近もキナ臭くなってきたようです。ジョンソン大統領の東アジア歴訪に対するリアクションなのでしょうか。
「叙勲にかがやく ある人生 「わたしゃ幸せもん」桂文楽師匠 誕生日と二重の喜び」
(毎日新聞昭和41年11月3日朝刊14面)
「「私がどうして勲章てえものをいただけるのか不思議だ。ただもうありがたいというほかない」ーー古典落語の育成と発展につとめた功で、勲四等瑞宝章を贈られる落語の桂文楽師匠(七四)=東京台東区上野一の二の二・本名並河益義"は、受章の感想をこのように語った。
高座生活ざっと五十七年。古典落語の第一人者。二十九年には芸術祭賞、三十六年に紫綬褒章をもらい"喜び"はこれで三度目。
受章はいつも"文化の日"だが、この日はちょうど自分の誕生日とあって、会見中もたびたび「わたしゃしあわせものですよネ」ということばがとびだした。
「芸の道てえもんはきびしいもんで、生涯勉強ですよ。勲章をもらったからといって修業はおろそかにできません」と、右手に扇子を持つ手が、つい高座調になる。
落語協会長を去り、最高顧問におさまったいま若手の育成に余念がない。最近とくに健康に気を使うようになり、タバコも断ち、好物の日本酒もちょっと晩しゃくするだけ。しかし何よりの若返り法は三年前から始めた義太夫だ"奇声をはりあげる義太夫道楽をテーマにした"寝床"は師匠の名人芸といわれているが、師匠の義太夫のきき役はもっぱら夫人の寿江さん(六八)だけという。」
文化の日ということで、叙勲者の記事が出ています。文楽師匠も三度目の受賞。今度は勲四等瑞宝章。記事中では、『義太夫のきき役はもっぱら夫人の寿江さんだけ』とありますが、小さん師匠のお話では、落語家連中のおかみさんを鰻で招待して聞かせているらしいですが。
「法王が認めた避妊法 勲二等旭日重光章 荻野久作氏」
(日本経済新聞昭和41年11月3日朝刊15面)
「【新潟】婦人の受胎期に関する荻野学説で世界中に知られた荻野久作さんは八十四歳。いまでも週三日、新潟市内の医院で外来患者の診察に当たっている。
「学会雑誌に婦人の排卵期と受胎期の新説を発表したのは大正十三年ですからね。もうカビのはえたような学説ですが、叙勲を受けることになって身に余る光栄です。当時はずいぶん反対意見がありましたね。いまだに荻野学説はあてにならないという人もあるが私は四十二年間これが真実だという誇りを持ち続けてきました」と顔をほころばせた。この自信が、昭和三十三年ローマ法王に荻野式避妊法を認めさせることになったのだろう。
「以前は、おおぜいのご婦人の相談にのりましたが、いまは診察に追われてゆっくり相談に応じるヒマがないのが残念で……。病院に出ているとからだの調子がいい」ときれいな白髪をなでながら元気そのもの。」
オギノ式でおなじみの荻野先生も受章。大正13年の学説で昭和41年受章とは、随分間のあいた話ですな。記事中『昭和三十三年ローマ法王に荻野式避妊法を認めさせることになった』とありますが、たんに『器具を使わない自然避妊法は許す』程度の話だったと記憶しているのですが、本当に法王が『オギノ式はOK』ってお墨付きを出したんですかね。
「もめる自衛隊バンド 商店会の計画に反対運動 武蔵野まつり」
(朝日新聞昭和41年11月3日朝刊14面)
「東京・武蔵野市でこの六日商店連合会など主催の「武蔵野まつり」が開かれるが、これに陸上自衛隊のブラスバンドを頼んだことをめぐって杜会党などが反対運動を始めた。社会党員の市長はことの成行きにびっくり。あわてて大会名誉会長を辞退し、パレードにも不参加を表明したが、主催署側は「予定通りやる」と強腰。反対派は反対派で五日に総決起集会を開くなど、てんやわんやの騒ぎになった。
このお祭は同市の商工会議所、商店連合会が商工振興と、戦後市制をしいたばかりで年中行事のない同市に新しいお祭をつくるのとをねらって八年前から市、市教委後援で開いてきた。ことしは正午から行われる仮装パレードが呼びものだが、そのまん中に陸上自衛隊練馬駐とん部隊のブラスバンドを招いたのが騒ぎのタネ。自衛隊から参加するという返事があり、これを聞いた社会党武蔵野総支部、共産党武蔵野市委員会、武三地区労協の三者が「平和な全市民的行事である武蔵野祭に自衛隊ブラスバンドとは非常識。憲法違反の自衛隊を礼賛する風潮を助長する気か」といきり立ち、後援の市に抗議書を突きつけた。
同市の後藤喜八郎市長はれっきとした社会党員。バンドの件は前から知っていたようだが、支持団体にこうはっきり反対されては知らん顔もできず、その日の夕方には大会名誉会長を辞退した。
主催者側は「市長がやめるならやめてもいい。とにかく自衛隊のブラスバンドでパレードをやるんだ」と強硬。
一方、革新系団体は「当日まで市民にビラをまいたり、集会を開いたりして、自衛隊の参加を阻止する」と、両者とも対決ムードを強めている。
後藤市長の話 わたしも自衛隊の参加は好ましくないと思い、主催者側に再三申入れたが、商工振興の名目があるので市としての後援はそのまま続ける。」
ブラスバンドごときに目くじらを立てなくても、って感じですが、あらかじめ知っていたはずの市長の右往左往ぶりが可笑しいです。
「「百万円」小包で代える 秋田・豊川農協 七月に消えたのに 「手をひけ」と警察に投書も」
(毎日新聞昭和41年11月3日朝刊15面)
「【秋田】秋田県、豊川農協(大沢典男組合長、組合員約千人)に一日午後、現金百万円のはいった小包が送られてきた。同農協は、七月に行なわれた監査で百万円がなくなっていることが発覚、同県五城目署が捜査中だった。また二日朝には同署に「この事件から手をひいてほしい」と走り書きした投書が舞い込んだ。百万円事件にからんで、同農協職員の自殺事件も起きており、同署は事件の当事者か関係者のしわざとみて小包、手紙の筆跡鑑定を急いでいる。
一日正午ごろ、同組合に茶色のハトロン紙を使った小包一個が届いた。大沢組合長が包を開いたところ、一万円札百枚で現金百万円が出てきた。金は二枚のボール紙にはさんであり、一枚に青のソフトインク書きで「紛失の金をお返しします」と書いてあった。
大沢組合長の話によると、差出日は十月三十一日、秋田市手形郵便局の消印で、差出人は同市大町六丁目、秋田県経済連となっていた。このため同組合で経済連に問い合わせたが小包を出していないというので、同署に届け出た。
一方、二日朝、同事件を捜査している五城目署成田誠一署長あてに「死人も出たことだし、農協内部のもめごとを納めるためにも、警察は手をひいてもらいたい・・・」
と便せんにペン書きした封書が舞い込んだ。これは秋田郵便局の消印だけで住所はなく、差出人は"大沢光雄"と書かれてあった。
同農協は七月十一日から四日間、約二千万円にのぼる粉飾決算の疑いで同県金融団体課が監査したところ百万円なくなっていることが発見された。同署の調べによると、この百万円は昨年九月、同農協職員、丸田正平さん(五三)が県信連秋田支部から払い戻した同組合の公金の一部で、同課の監査の際、県信連の帳簿には百五十万円の支払いと記入されているのに、同農協には五十万円の受入れ伝票しか残っておらず、残り"百万円"の行方がわからず捜査していた。
同農協では九月七日に会計主任、渡辺清美さん(五四)が、百万円事件の参考人として事情を聞かれたことを苦に、自宅物置で首つり自殺をはかった(未遂)が手紙に「死人」とあるのは渡辺さんをさしているらしい。」
全国紙で記事になってしまった事件で、いくら金が返ってきたって警察が手を引くワケにはいかんでしょうねぇ。果たして金を送ってきたのは真犯人か、それとも事件が騒ぎになるのを納めようとした農協の幹部をしわざか?
今日の殺伐
「ピストルねらって 少年、警官襲う 池袋」
(日本経済新聞昭和41年11月3日朝刊15面)
「二日午後七時半ごろ東京都豊島区南池袋二ノ二一先の雑司ヶ谷公園内をパトロール中の目白署警ら第二係宮田聡巡査(23)ベンチにすわっていた少年にやにわにジャックナイフで切りつけられた。少年は同巡査の右手と左腕にけがをさせ、さらにピストルのつりひもを切ってピストルを奪おうとした。同巡査はひるまず少年と格闘し、通りかかった民間人二人の協力で少年をとり押え、強盗傷害、公務執行妨害現行犯で逮捕した。
調べによると少年は鹿児島県生まれ住所不定無職I(17)で、ピストルを奪おうとした動機などについては黙秘権を使っている。宮田巡査は近くの病院で手当てをうけたが十日間のけが。
宮田巡査は同夜七時すぎ戸塚署管内で発生した殺人事件で同僚の山口一好巡査(50)といっしょに緊急配備についていた。公園内を二人でパトロール中ベンチに腰をおろしていた少年をみつけ、いったん職務質問したあと、山口巡査と別れてもう一度現場にもどってきたところを、いきなり襲いかかられたという。」
またしても、凶悪少年犯罪。通りかかった民間人の勇気ある行動に拍手ですな。
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1966-11-03T16:55:12+09:00
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「三くれガール」とは?
中共の核開発に、米国で高等教育を受けた人物が関わっているとの情報が。
「米が追い出した銭教授 中国核開発の立て役者」
(読売新聞昭和41年11月2日朝刊3面)
「【ワシントン一日発UPI=共同】中国のミサイルによる核実験成功の最大の功労者は銭学森元米カリ...
「米が追い出した銭教授 中国核開発の立て役者」
(読売新聞昭和41年11月2日朝刊3面)
「【ワシントン一日発UPI=共同】中国のミサイルによる核実験成功の最大の功労者は銭学森元米カリフォルニア工科大学教授とみられている。彼は中国の科学技術の最高陣営でアメリカで教育を受けた九十五人の一人。
一九五〇年米政府は銭教授が香港に向け船積みした資料を押収した。米政府はほんとうのあて先は共産政権下の上海であると主張した。あとになって米政府はこの資料にアメリカの秘密は含まれていないと発表したが、この事件で教授の追放手続きが始まった。全米科学財団によると五五年帰国して教授はすぐ中国のミサイル計画に着手した。米国務省はこのことを予期して、教授の追放延期を命じたが、短期間の延期だけでそれ以上はできなかった。」
みすみす禍のタネを逃したような。国務省としては、半ば把握していた事態だけに、悔やんでも悔やみきれませんな。
新聞斜め読み
「平和共存を確信 「ベトナム」で中国非難 ブレジネフ書記長演説」
(読売新聞昭和41年11月2日朝刊1面)
「【トビリシ(ソ連)一日発=タス】ブレジネフ・ソ連共産党書記長は一日、トビリシにおけるグルジヤ共和国に対するレーニン勲章授与式で演説し、兄弟たるベトナムの支援をめざす行動の統一についての社会主義諸国のあらゆる提案を拒否した中国共産党および中国政府の首脳部を非雄し、さらに次のようにのべた。
一、帝国主義が反帝戦線の中にわずかな対立のさけ目を見つけると、そこでは必ずあからさまな力と侵略を行使する。ベトナムにおけるアメリカの侵略はその例である。ソ連は戦うベトナムにさらに全面的な支援をあたえるだろう。(中略)
一、われわれがかたく信ずるのは、平和と国際安全保障のための協力が、国際情勢をまじめに見守り、異なった社会制度をもつ国の平和共存の原則を実行にうつす用意のある西側の政府、政治家、公共活動家との間でも、可能だということである。」
ベトナムに関して、米帝を一応非難していますが、『西側とも平和共存が可能』と強く打ち出しているのが目をひきます。
「中ソ対決ますます激化 「北京非難」と「共存」ブレジネフ演説 はっきり押し出す」
(読売新聞昭和41年11月2日朝刊3面)
「ブレジネフ書記長はまた同じ演説のなかで、ソ連内の各民族の友好関係の重要性を強調するとともに「ロシア労働者、農民の革命闘争の過程でグルジヤの生んだ熱烈な革命家たちの力強いボルシェビキ的声がグルジヤに鳴りわたった」としてケツホベリ、オルジョニキーゼら六人と並んでスターリンの名をさりげなく加えた。これは最近論議されているといわれるスターリンの再評価について、スターリンを"復活”したというよりは、彼を「一連の熱烈な革命家の一人」として歴史に位置づけることで、当面一応落ちついたことをうかがわせるものと解されている。(中略)
そしてブレジネフ書記長は次のように訴えた。
「同志諸君、わたしは中国共産党と中国政府の指導部に断固たる非難を表明せざるをえない。中国指導部は、プロレタリア国際主義の原則をふみにじって、兄弟的なベトナム支援を目ざす行動の調整に関するソ連および他の社会主義諸国のすべての提案を拒否した。しかも中国はベトナムと長い国境をもつ唯一の社会主義国であり、この問題における中国の立場はベトナム人民の解放闘争を支援するためにきわめて重要なのである」
なおブレジネフ演説は、テレビでモスクワにも放送された。」
『喉元過ぎれば熱さ忘れる』と言いますが、スターリン神話も根強く残っているみたいです。過去の英雄は、非難するにしても持ち上げるにしても現政権にとっては脅威ですな。
「文化革命めぐる対立 集団リンチ明るみに」
(読売新聞昭和41年11月2日朝刊3面)
「【北京・関特派員一日発】北京では、文化革命をめぐる対立から発生した新しい"集団暴力事件”が明るみに出された。
三十一日市内に張り出された紅衛兵の壁新闇によると、北京第一工作機械工場では、八月末から九月中旬にかけて、当時の主流派が外部から学生紅衛兵の応援をたのんで、対立派の八十四人を逮捕し、そのほとんどを拷問にかけたうえ、私設のろう(牢)にぶちこんだり、農村へ強制帰郷させたりしていたという。
"事件"は人民日報が紅衛兵運動の初期に、暴走をいましめ、ついで学生紅衛兵の生産、建設、研究、サービス部門への介入を禁じたころに発生したもので、これに似た集団暴力事件は、北京毛織り物工場や北京郵便局、新聞販売部などでも起きたことが"反革命報復流血事件"といった見出しで壁新聞に明らかにされている。また、北京第一綿紡工場でも一か月余にわたる集団サボタージュが起きている。
壁新聞によると、北京第一工作機械工場では逮捕したものをきびしい拷問にかけた。被害者には、ろう内に一か月余り閉じ込められていたもの、拷問で四時間失神したもの、骨折したもの、八時間にわたる寝ずの尋問を受けたもの、反革命分子のらく印を押されたもの、不まじめだというので故郷の農村へ強制的に送り帰されたもの---など、いろいろある。
故郷へ強制送還された人たちのほとんどは、その後北京へ送り戻されたが、職場復帰はいまだに許されない。政治の自由も進退の自由も、あたまから間題にされなかったという。」
紅衛兵の暴力事件の情報ですが、それを暴いたのが紅衛兵の壁新聞というから意外。紅衛兵内部でも路線対立が激化しているのでしょうか。
「韓国 熱狂的な米大統領歓迎 日本への"けん制"? 野党も政治休戦で協力」
(毎日新聞昭和41年11月2日夕刊2面)
「【ソウルニ日近藤(隆)特派員】ジョンソン米大統領を迎えたこの三日間の韓国の歓迎ぶりは"異常"とも思えるほどのものすごさだった。この国では、他のどこの訪問先でもつきものだった"反米デモ"のかけらさえなかった。それどころかジョンソン大統領は、まさに"国をあげ国民こぞっての歓迎"を受けた。「私の生涯で最良の日々」---ジョンソン大統領がにこやかな笑顔で、こう語ったのもムリはない。
ところで、この韓国はじまって以来の最大のショー"米韓親善劇"を演じた韓国の"役者たち"が、この劇を最も見てもらいたかった観客は、日本という観客であったというのが、当地観測筋の評価である。
ジョンソン大続領を迎えるに当たって、それまで来年春の選挙をひかえて猛烈な朴(パク)政権攻撃を展開していた韓国で最強力な院外野党の新韓党は"ジョンソン滞在中の政治休戦"を発表するととも、尹潜善(ユン・ポソン)党首が「米国は一九〇五年、韓国が日本の植民地になることを認めたが、これと同じ誤りを繰り返してはならない」と言明した。また最大の院内野党民衆党大統領候補に決定した愈鎮午(ユ・ジノ)氏も同じような趣旨のことを語った。
韓国民は一九O五年に結ばれた桂・タフト秘密協定によって、米国が日本に対し韓国における優先権利を認めたことが「朝鮮民族の最大の悲劇」となった「日本帝国主義支配」の根源と信じている。
ところが米国は韓国に対する経済援助を徐々に削減する方向を打ち出すとともに、日韓基本条約の締結---日韓の和解を積極的に推進した。そして日韓基本条約は締結されたが、それに基づく日本の対韓経済協力は"きわめてしぶいもの"(と韓国人は思っている)であるばかりか、北朝鮮技術者入国問題や北朝鮮平新艇亡命事件が続いて起こり、さらにまた日本の佐藤首相はたび重なる韓国側の招待にもかかわらず、いまだに韓国を訪問しない。こういう日本の"不そんな態度"によって日韓関係は最近「基本条約締結後、最低の温度に冷却した」と駐韓日本大使館当局者が語るほどに冷たくなっていた。
こうして”日本植民地時代の悪夢"がまた、韓国民のなかに首をもたげてきたときにジョンソン訪韓が行なわれた。「米国は韓国を見捨てなかった」---これがジョンソン大歓迎をした韓国民のいつわりのない気持のようである。
ジョンソン訪韓が選挙をひかえての朴政権のテコ入れの意味もあることを十分に知りながら、二大野党がなおジョンソン訪韓による"政治休戦”を打ち出した理由はここにあった。
このため"韓国を見捨てない米国"を心の底からよろこび"非常識"とも"度はずれ"ともみられるような歓迎をみせたのである。
「日本からの援助はほしい」しかし「少しでも日本の風下に立つのはおことわり」---ジョンソン訪韓をけん制球として韓国は日本に対して新しい外交攻勢を展開しそうである。」
せっかく援助するんだから、少しぐらい風下に立ってくれたっていいじゃない、ってちょっと言いたくなりますな。
「国連移転論に油注ぐ ミニットメンの襲撃計画」
(朝日新聞昭和41年11月2日夕刊2面)
「ニューヨークの警察は十月三十一日、米人の秘密極右組織「ミニットメン」が国連本部襲撃を計画していたことを明らかにした。この組織は、左翼に対する実力行使に出ようとしていたというので、三十日に手入れを受けたのだが、国連を「世界制覇(は)をたくらむ共産主義陰謀の本拠」とみなして、襲撃目標としていたという。
こんどの国連総会では、アラブ諸国や共産圏諸国の間で、これまでになく国連移転論が盛んだといわれていたが"ミニットメン事件"をきっかけに、アラブ圏も共産圏も、国連のニューヨーク引払いを、正面きって主張しそうな構えである。
すでにサウジアラビアのバルーディ代表は「こんどの事件で、われわれの生命も危険にさらされていることが立証された」といい、少なくとも総会や安保理などの政治的機関は、ニューヨークから移転するよう要望した。同代表は九月十八日、第五(財政)委員会で「ゴロツキの横行するニューヨークは、まともな思考や行動に向いた町ではない」と演説していた移転論者である。
いろんな国の流れをくむ人たちが集り、思想的にも極右から極左まで、振幅の大きいニューヨークでは、国連での政治的な討議が市民の中の関係グループを刺激することも多い。安保理でイスラエルとシリアの紛争を審議中の九月十四日には、ユダヤ系の若者たちがシリアの国連代表部になだれ込んだ。六四年十二月には、キューバ代表の演説中、反共キューバ人グループが、国連めがけてバズーカ砲をぶっ放す箏件があったし、ときには外交官襲撃事件も起っている。」
フルシチョフ首相もかつて、国連のウィーンあるいは西ベルリンへの移転を持ち出したことがあったそうです。しかし、米国外に移転すると、国際連盟の時のようにモンロー主義を掲げて米国が関与を止めてしまう恐れもあるのではないかと。
「新坑開発の悲劇 奔別砿のガス爆発 不明の八人も絶望 八遺体を収容 増産で堀り急ぐ "保安施設"おいつけず?」
(日本経済新聞昭和41年11月2日朝刊15面)
「【三笠=北海道】一日未明、北海道三笠市字奔別(ほんべつ)二六〇、住友石炭鉱業奔別砿業所(野口健営所長)で起きたガス爆発事故の救出作業は同日夜まで続けられたが、死者八人、行方不明八人、重軽傷者四人となった(二日午前零時現在)。行方不明者も全員絶望とみられている。爆発現場付近にはガスが充満しているうえ、かなりの規模の崩落で坑道が埋まって救出作業はいちじるしく難航した。(中略)
こんどの住友奔別砿の事故を「採炭の急きすぎが遠因」とみる人も多い。ことし三月二十二日歌志内で起きた空知炭砿のガス爆発事故もこんどの奔別砿の事故と同じように新しい炭層を採炭するために掘り始めた坑道で起きた。普通、坑道の掘進は出炭より二、三年先行してガス抜きを徹底的にやるのが理想といわれている。
複雑な地質をしている日本のヤマでは必ず坑道を掘るとガスが炭層をぬう(横切る)からだ。しかし数年前からヤマを襲った閉山ムードなどで業界はこの"余裕ある坑道づくり"を資金繰りや労働力の確保を理由におざなりにする傾向があった。
住友奔別砿の場合は、事故の起きた坑道で今月末から採炭を開始する予定だった(野口同砿所長の話)とのことで、この辺にも「採炭を急ぐのが事故の遠因だ」とみる向きもあるわけだ。」
昨日の続報。報道では、保安施設は比較的整ったヤマだとのことですが、採掘開始前の『ガス抜き』が不十分だったことが原因の一つではないかと疑われています。石炭から石油へのエネルギー転換が急速に進んでいる昨今ですが、石炭業界全体の不振の中で起こってしまった事故のようです。
「素直でない 若い女性たち ふくれる・むくれる・隠れる 多い"三くれガール"」
(日本経済新聞昭和41年11月2日夕刊8面)
「女性が強くなり、一事が万事、男の言うなりにならなくなったのはごりっぱ。だが同時に、筋の通った忠言や意見に耳を傾ける素直さを失ったのはどうしたことか。客に聞かれて「わかりません。調べます」と言えない女子店員の話を中心に、近ごろ素直ならざる若い女性をめぐって。(中略)
お手伝いさんに少しきびしく注意したところ、台所で茶わんの割れる音、続いて「アラ、手がすベったわ。バタバタと勢いよくはたきをかけて、ベッタリすわり「掃除はすみましたよ。あとは私の自由時間です」---「これですからね」とある奥さん。
どこのオフィスでも、少し注意するとふくれる、むくれる。そうでなかったら、プイと横を向いて隠れる"三くれガール"が実に多い。注意を素直に受け入れる女性は珍しく、「係長はえこひいきする」「あの人は意地悪だ」とあらぬ方向に解釈を持っていく---と頭をかかえる係長氏。
いったい、どうして近ごろの若い女性はこうなのか。
まず、そもそも女は無知なんだという説。プラスチック売り場の女店員が「これはプラスチックです」と答えて平気だったり、「何からとったはちみつなの」と聞かれて「ブーンと飛ぶはちからですよ」と答えたりするのをみては、おつむの中身は"筋肉"?と疑われてもしかたがない。
あるいは無神経説。仲間に男性からかかってきた電話をとったあるオフィスガールは、「○○子さん、××男さんから電話がありました」とオフィスに麗々しくはり出したそうな。脳みそはおろか、デリケートな神経も、持ち合わせがない。他人の感情や気持ちをくむことができないのだから、周囲に強情、ひねくれと映るのは無理もない。
最後に女ははれもの説。そもそもは注意されると涙を浮かべるような純情な姿がその根拠だったが、人手不足に悩む近ごろは「やめる」と言われるのがこわくてはれもの扱い。それが権利ばかり主張したがる強情無比、素直ならざる女性を産んでいるというわけ。
では、このような素直ならざる女性につける薬はあるのだろうか。「わかりませんな。監督者が悪いのだと思っています」とはあるデパートの教育課長氏。「さあどうしたらいいんでしょ。本人が、気づかないことには」と、消費者協会の調査に参加したコンサルタントの松田智恵子さん。
だが松田さんは「こんなご時勢だから、ニコニコしながらハイハイと言ってくれる人は、すごく目立っていい感じですね。そういう人に限って器量は十人並みだけど」と言う。また課長氏は「やがて、どうせお嫁に行くんだもの。いくら腰掛けでも変な”習い性"を身につけて家庭にはいっては、亭主もつらい。自分も損」と言う。こんな声にも、闘く耳を持たないというのだろうか---。」
これは日経新聞らしい、中間管理職向けのグチ記事。会社帰りに一杯やりながらサカナにしてください、って感じですかね。しかし、『そもそも女は無知なんだという説』なんて言っていると、職場でますますソッポ向かれますよー。
今日の殺伐
「お嬢さん、それは危険だ! 紙袋からハサミ 乗客に刺さりけが 満員の東上線」
(日本経済新聞昭和41年11月2日夕刊7面)
「二日朝、東京・板橋の満員電車内で若い女性が持っていたはやりの紙バックから大バサミがつき出て隣の通勤客がケガをした。
同日午前八時半ころ、東上線成増発池袋行き上り電車が常盤台駅についたところ、電車に乗っていた板橋区、福田子之吉さん(42)は、左足に激しい痛みを感じ、下をみるとズボンが破れて足から血が吹き出していた。福田さんの隣を乗客をかきわけて下りようとしていた二十五、六歳の女性の紙バックが破れ、三、四十センチの洋裁用大バサミがつき出ていたという。
女性はそのまま同駅で降りてしまいドアもいったん閉まったが、驚いた福田さんや他の乗客がドアをたたいてあけさせ、駅長室に届け出た。福田さんは近くの病院で手当てを受けたが、足のふくらはぎが切れて一週間のけが。女性は姿を消してしまっていた。
思わぬ災難にあった福田さんは板橋署で、「満員電直のなかに刃物類を持ち込むとは!。腹などに刺さったら死んでしまう。せめて箱にでも入れたらどうだ」とふんまんをもらしていた。」
これは、とっても痛い事故ですな。この記事は日経新聞掲載なんですが、上で紹介した今日の日経朝刊記事『素直でない 若い女性たち ふくれる・むくれる・隠れる 多い"三くれガール"』の『女は無神経説』の格好のネタにされそう。
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漫才ことば流行中
ついていないときは、自殺もままならないようです。
「地雷原で"自殺" 死神も見放し救われる」
(朝日新聞昭和41年11月1日朝刊3面)
「西独ハノーバーの若い男(氏名不詳)が三十日、ヘルムシュタット付近の西独国境を早足に踏越え、東独側地雷原のまん中にすわり...
「地雷原で"自殺" 死神も見放し救われる」
(朝日新聞昭和41年11月1日朝刊3面)
「西独ハノーバーの若い男(氏名不詳)が三十日、ヘルムシュタット付近の西独国境を早足に踏越え、東独側地雷原のまん中にすわりこんだ。西独の税関職員がみつけて、帰るよう懸命に説得したが、男は「ここで死ぬんだ」とがんばる。そのうちにどしゃぶりの雨。男もこれには弱つたとみえて、ぐしょぬれになって引返し、ひどいカゼで病院入り。
この男、三度目の自殺未遂だそうだが、とかく銃弾をぶっ放したがる東独の国境首尾隊員が、この日ばかりは黙って見ていたとは、よくよく死神に見放された幸運(?)な男らしい。(AFP)」
『橋からの身投げは止そう。泳げないから。』という江戸小咄を思い出しました。爆死もしくは射殺はともかく、風邪による病死だけは避けたかったんでしょうな。
新聞斜め読み
「強い放射能粒子 東京、大阪などで検出」
(毎日新聞昭和41年11月1日夕刊11面)
「政府の放射能対策本部は一日午前十一時半と一時半「中共核実験の影響とみられる強放射能粒子が長崎、大阪、福井、新潟、東京目黒で検出された」と発表した。(中略)
これらの粒子は、前回実験時の強放射能粒子が数十万マイクロマイクロキュリーだったのに比較してひとケタ小さい。また日本への到達時間もふつう一日半から二日なのに、今回は四日以上かかっているが気象庁では、三千メートルから七千メートルの、比較的スピードのおそい対流圏の気流によって運ばれたものと推定している。」
中共の核実験の副作用の核物質が流れてきているようです。風向きからいえば、日本に向かって流れてくるのは当然ですが、それにしても迷惑な話です。
「十万人が"魯迅集会" 北京 姚文化革命小組員がソ連批判」
(読売新聞昭和41年11月1日朝刊3面)
「【RP=東京】三十一日の北京放送によると、北京と中国各地の紅衛兵、労働者、農民、兵士、分学芸術工作者の代表十万人はプロレタリア文化大革命の高まりのなかで、同日午後北京で魯迅を記念する盛大な集会を開いた。(中略)
同演説の要旨次のとおり。
プロレタリア文化戦線の偉大な旗手、魯迅を記念することは国際および国内的にも重大な意義がある。革命的な人だけが革命の戦士を記念できる。帝国主義とブルジョアジーの前でペコペコしているソ速共産党指導グループを中心とした現代修正主義者、社会主義の革命の時期にブルジョアの古い思想、古い文化、古い風俗、古い習慣を後生大事にいだいて、はなそうとしなかったブルジョア代表人物、見せかけは新しく思想が古い反革命二面派、搾取階級のくさりきったごみのかたまりのうえを飛びまわって去りたがらないハエやカのようなやからは魯迅の記念を語る資格をもっていない。」
相変わらず、スゴイ文句を使いますねぇ。『くさりきったごみのかたまりのうえを飛びまわって去りたがらないハエやカのようなやから』ですって。
「ICを使った卓上計算機 早川が試作品 来年に企業化」
(日本経済新聞昭和41年11月1日朝刊4面)
「早川電機は十月三十一日、IC(集積回路)を使用し電子式卓上計算機の試作に成功、来年後半から企業化に乗り出すと発表した。大型電子計算機のIC化はすでに米国のIBMなどが手がけているが、卓上計算機のIC化は世界で初めてで、これが量産体制にはいれば小型電子計算機の分野に大きな影響を与えそうである。(中略)
ただこの計算機は演算回路については百パーセントIC化されているものの、表示管(演算結果の表示盤)は従来通りの方法(数字の直径十九ミリ)を採用しているため、いまの段階では小型化に限界があるという。このため同社では表示管の小型化に研究の重点を移しており、完成品の発売時までにはさらにコンパクトな計算機にしたいと説明している。また同社では電源を電池に置きかえた文字通り「ソロバン代わり」の携帯用計算機の開発も進めている。(中略)
価格について同社は「いまの段階ではIC一個が約三千円と高いので、製品価格もトランジスタ計算機に比べてかなり高くなるが、近い将来には一台二十五万ー三十五万円と安くなる見通しだ」と言っている。」
25万円から35万円とは、まだまだ高価。やがてはもっと安くなるのでしょうか。小型になり、電池式のものができれば、本当にソロバンの代わりになるかも。
「新語で勝負するタレント CM時代にぴったり 強い印象で"人気の売り込み"」
(毎日新聞昭和41年11月1日夕刊9面)
「漫才を中心とする「色もの」番組は、テレビを通じて、つぎからつぎへとおもしろおかしい流行語をまきちらす。ナンセンスなことばが、強烈な影響力をもって「見通しの暗い世の中」(東京ぼん太)を笑いとばしてゆく。(中略)
では、いったい、こうした寄席番組から流れたタレントのキャッチフレーズはどのくらいあるか。おもなものを拾ってみると---
▽晴乃チック・タック=いいじゃなあーい、どーったの。んなこといって〜ん、しらないわ。
▽W・けんじ=やんな! オーッ。ぶっ飛ばされんなよ、この野郎。はなしあとでつけっかんな。
▽てんぷく・トリオ=びっくりしたなァもう。荒木流元祖、荒木又ずれ。おれはどうしてこう変わりやすい体質なんだ。頭をふってみろ、音がするか。しない。じゃカラッポだ。
▽トリオ・ザ・パンチ=ハードボイドゥドダドオ。
▽アチャラカ・グルッペ=ほんとのようでてほんとじゃない。ウソのようだが、ウソではない。それはなんじゃとたずねれば、アラ、ジョーダン、ジョーダン。(義太夫調でいろいろ応用する)
▽東京ぼん太=生活かかっちゃってっからね。ほんとに夢もチボーもなくなっちゃうから。見通し暗いからね。
といったぐあい。キャッチフレーズ化した漫才ことば、ナンセンスことばが、街にあふれている。(中略)
その送り手はテレビが第一。TBS調査部の調べによると、ことしの二月、寄席番組は東京のテレビ五局で一週間に十三本、六時間三十分だったのが、八月には三十八本、十七時間三十八分に急増しており、三倍近い増加ぶりである。
しかも、NETの「テレビ寄席」がテレビ・リサーチ調査(八月一日-八日)によると、視聴率三○・二パーセントで、ベスト・テンの第七位にはいっているのをはじめ、夜の寄席番組はほとんどが視聴率一五パーセントを越えるという好成績を上げている。(中略)
「漫才の公開録画に集まるのは、女性ファンが多い。金を払って大劇場へ行くエリートとは別な"第三の観客"が、寄席番組を通して組織されはじめています」(フジテレビ・チーフディレクター・真杉昇氏)」
これまでは、『てなもんや三度笠』や『スチャラカ社員』などお笑い番組は関西ものが多かったですが、最近は関東の芸人さんの番組が流行っているようですね。無料の公開番組の入りがイイってのは、寄席の席亭さんから見ると複雑な心境でしょうね。
今日の殺伐
「住友奔別鉱でガス爆発 五人死に十一人不明 四人重軽傷 救出作業難航」
(日本経済新聞昭和41年11月1日朝刊4面)
「【三笠=北海道】一日午前二時四十五分ごろ、北海道三笠市字奔別(ぽんべつ)二六○、住友石炭鉱業奔別砿業所(野口健営所長)の奔別坑マイナス六五〇レベル東九番層引き立て付近の掘進現場でガス爆発事故があり、五人が死亡、十一人が行万不明になったほか四人が重軽傷を負った。
現場は坑口から約二千八百三十メートル奥で、同砿では直ちに四十七人の救助隊を編成、救出に当たり、これまでに同砿鉱務課副主任浜川宏一さん(45)、掘進夫篠原勝さん(37)、同佐藤為治さん(46)、同東山喬さん(27)、同佐々木春夫さん(38)の五人の遺体を収容、掘進夫宮本信吉さん(37)ら四人が頭、手足などにやけどの重軽傷を負って救出され、三笠市内の同砿炭鉱病院に収容された。
しかし掘進夫吉川忠義さん(41)ら十一人が行方不明になっており、必死の救出作業を続けているが、現場付近の坑道にはガスが充満、崩落個所があり作業は難航している。同鉱の話では、爆発事故は坑道の掘進作業中、掘進の最先端で発生、死傷者や行方不明の二十人は坑道の最先端から四百五十メートル手前までの坑内にいた。
事故のあった住友奔別鉱は、国鉄幌内線の幾春別駅から東方約一キロ。二十九年に開発された。現在従業員三千六百九十二人のほか、約三百人の請負組夫が入坑している。年産百二十万トンで、現在の一人当たり生産量月間四十トンを近く六十トンにする増産計画が進められていた。
住友石炭鉱業には道内に赤平、歌志内、奔別の三鉱があるが、奔別鉱は赤平に次ぐ二番目の有望鉱で、保安、生産設備とも充実、札幌鉱山保安監督局は道内の近代的な炭鉱としてA級にランクしており、戦後は目立った事故は一度もなかった。」
保安設備は近代的だったということですが、それでも事故は起こり得ると。地下深い場所の作業だけに、完全に安全な職場環境を作るのは難しいんでしょうね。改めて自然の恐ろしさを感じます。
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1966-11-01T01:44:22+09:00
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今年はマル紀148年
久しぶりに紅衛兵ネタ投入。
「マルクス生誕を紀元に 紅衛兵が要求」
(毎日新聞昭和41年10月31日夕刊2面)
「【北京三十日AFP】北京の紅衛兵は秋冷の候とともに数も減り、活動も低下しているが、カベ新聞による"独創的"な提案は跡を断たない。最近は「西暦紀元...
「マルクス生誕を紀元に 紅衛兵が要求」
(毎日新聞昭和41年10月31日夕刊2面)
「【北京三十日AFP】北京の紅衛兵は秋冷の候とともに数も減り、活動も低下しているが、カベ新聞による"独創的"な提案は跡を断たない。最近は「西暦紀元をやめてマルクス紀元を採用せよ」というのまで現われた。キリスト生誕の年を紀元元年とするのは不当で、マルクスの生まれた一八一八年を元年とせよというもの。これに従えばことしは「マル紀一四八年」ということになる。」
まさに『マルクス教』...。
新聞斜め読み
「ジョンソン大統領 中共核ミサイルに警告 自ら危険招くだけ どんな核能力も必ず抑止」
(毎日新聞昭和41年10月31日朝刊1面)
「【クアラルンプール三十日近藤(健)特派員】ジョンソン米大統領夫妻は三十日午前十時十五分(日本時間同日午前十一時四十五分)すぎ、ラスク国務長官、ロストウ大統領補佐官、バンディ国務次官補らとともに、東南アジア旅行五番目の国マレーシアのクアラルンプールに到着した。イスマイル・ナシルジン・マレーシア国家元首夫妻、ラーマン首相らの出迎えを受けたジョンソン大統領は到着演説で「私はマレーシアに学びにきた」と共産ゲリラ討伐の成功を称賛した。同大統領はさらにマレーシア側主催の夕食会で演説、中共の核ミサイル実験に関連して「中共はこれにより自ら危険を招きつつある。.中共のいかなる軍事力も抑止できるし、またそうするであろう」と警告した。
ジョンソン大統領が中共核ミサイル実験を非難する演説を行なったのは、これが米国首脳のはじめての公式見解であり、とくに訪問先のマレーシアで行なわれた点で、注目される。それは中共の実験による周辺諸国の動揺を意識し、これを静める意味でかなり強硬な発言になっている。しかし、米国は中共の核兵器開発に対して、軍事的には織り込みずみで、この発言もそのうえにたっており内容的に目新しいものはない。」
ジョンソン大統領は、この日の演説で『本質的に開発の遅れている国が自ら核能力を持とうとしていることは悲しむべき事実である。なぜならその幾百万の人々は、日々飢餓にひんしており、パンを必要としているのだ』と述べたそうです。大統領の言葉にも関わらず、パンよりも核兵器開発を選ぶ国はかなりの数に上るのではないでしょうか。
「中共の核ミサイル開発(下)」
(毎日新聞昭和41年10月31日朝刊1面)
「中共の、核ミサイル実験の成功は、このところ盛り上がりをみせていた核拡散防止条約成立への機運にとってはまさに"冷水"をあびせるものであった。
実験成功を伝える北京放送は特に「米ソがグルになって結託を強め、いわゆる核拡散防止問題で取引きした」と非難し、今回の実験の目的の一つが同条約ぶちこわしにあったことを明らかにしている。(中略)
中共はこれまで「"核拡散"必ずしも危険ではない」とし、陳毅外相などは昨年九月「アジア・アフリカのいくつかの国や、もっと多くの国が原爆を持てばいっそうよい」と発言している。」
中共は、核拡散防止条約に大して根本的に敵意を持っているようで、他国に対しても核兵器開発を煽っています。
「中共封じ込め強化 米大統領のマレーシア訪問 英に代わり軍事面で援助」
(毎日新聞昭和41年10月31日夕刊2面)
「【クアラルンプール三十日近藤(健)特派員】米国にとっては、これまで英国の勢力圏内として積極的な手を打たず、ゼロにひとしかったマレーシア関係を緊密化し、米国の東南アジア外交の輪の一つとして、その影響力を植えつける一石としたことに成果が認められよう。マレーシアとしては最近英国との関係冷却化と、ベトナム戦争の緊張をまともに受けて、反共国家として米国の力の保護を求めざるをえない必然性から、米国の関心を呼び起こしたことに意義があったといえよう。(中略)
米アジア外交にしてみれば、インドネシアがマレーシアとの対決を終結、中共から遠ざかって自由陣営に接近してくることを目標にしている。米国はマレーシア、インドネシアを引きつけることによって中共封じ込めの輪を強化しようと試みているわけで、ジョンソン訪問はその大きな布石であることに間違いない。
マレーシアはみずからの外交政策を「反共非同盟」という。マレーシアは四八年から六年間の長い共産ゲリラとの戦いから堅い反共意識をもっている。ラーマン政府はハッキリと米国のベトナム政策全面支持を幾度も述べ、ジョンソン大統領との会談でも「共産主義者はかすかでも勝利の望みがあるときは、話し合いに応じない」との態度から、むしろベトナム戦争の強化を主張しているくらいだ。
しかし一方、反共ブロックの結成には反対している。ブロックをつくることはいたずらに共産国を刺激し、かえって闘争を激しくする。つまりソ連ブロックまで敵に回すことは不必要だという。そしてこの「非同盟」の線を有効に進めるためには外国の影響力をまともに受けない政策をとっている。(中略)
マレーシアは、ヒモつき援助は絶対にお断わりといっている。この国はゴム、スズのおかげで、国家財政は比較的豊かである。したがって無償提助をもらって、いや応なしに米国の無言の影響力を受けるより、長期延べ払いなどの金融措置によるコマーシャル・べースを望んでいる。」
ジョンソン大統領のマレーシア訪問に関する記事。インドネシアの反共クーデターを引き金に東南アジア外交の再構築を目論んでいるいるようです。しかし、『ヒモつき援助は絶対にお断り』といえるだけの安定した収入源がある国は、なにかと心強いでしょうね。
今日の殺伐
「二少女監禁、ドライブ 三島-沼津 少年四人組を逮捕」
(毎日新聞昭和41年10月31日朝刊1面)
「【沼津】三十日夜、静岡県三島市内で四人組の少年が少女二人を車に誘い込み、一人を箱根山中に置き去りにし、一人を三島ー沼津間を五時間半も不法監禁し乱暴するという事件があった。
同日午後六時四十分ごろ、三島市、工員、A子さん(一六)と友だちの同市、工員、B子さん(一五)は同市の三島大社付近で少年四人が乗ったライトバンに誘われるままに乗り込んだ。四人組は三島ー沼津周辺を乗り回し午後十時ごろ、箱根峠でB子さんを置き去りにして走り去った。
B子さんが三島署箱根派出所に急報、同署で隣接各署に手配、捜査中、三十一日午前零時十五分ごろ、B子さんが覚えていた車のナンバーから、A子さんを乗せて三島市内に舞い戻った四人組の車を同市中の国道下田街道で三島署のパトカーが発見、沼津市真砂町、工員、少年A(一六)同市千本松下町、工員B(一八)同市城内西条町、同C(一八)同市東間門、同D(一七)を不法監禁と婦女暴行の疑いで逮捕した。」
またも未成年者による兇行。警察の初動捜査がスムーズでA子さんの命は助かったことがせめてもの救いでしょうか。
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1966-10-31T00:44:30+09:00
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ビートルズ強盗?
昨日の夜は、15年ぶりに土星のリングが見えなくなる日だったそうです。
今日の日経新聞の 15面の「窓」欄によると、三鷹の東京天文台では昨日29日がたまたま一般公開日だったので、午後5時半ごろから65センチ屈折望遠鏡を公開し、約千人が輪のない土星を見物したとか...
今日の日経新聞の 15面の「窓」欄によると、三鷹の東京天文台では昨日29日がたまたま一般公開日だったので、午後5時半ごろから65センチ屈折望遠鏡を公開し、約千人が輪のない土星を見物したとか。天文台の話によると、輪のない土星は数日間続くとのこと。次のチャンスは1982年までやってこないそうですから、このチャンスに皆様も是非天体観測を。
新聞斜め読み
「日共大会にまた盗聴器 世田谷区民会館 国会で追及へ」
(読売新聞昭和41年10月30日朝刊15面)
「日本共産党は、二十九日午後、東京・世田谷区民会館の同党第十回大会場にまた姿聴器が仕掛けられていたと発表した。同大会場では二十六日に盗聴器が発見されたばかりで、これで二回目。
こんど発見されたのは、有線搬送式盗聴器とよばれるもので、盗聴器としては、前回のテープ・レコーダー・方式より巧妙なものだ。直径三センチ、厚さ一・七センチの小型マイクが、大会場の舞台のすぐ前にあるオーケストラピットの壁に隠されていた。このマイクにつながった電線が床下の通風口においてある発信機につながり、発信機はさらに、コードで近くの電話線に接続してある。この装置によると、会場の声は、結ばれた電話線を通じて、電波として流れる。従って、この電話線のどこにでも、テープを結び、これに受信機をつけ、発信機の出す波長にダイヤルを結べば、盗聴できる。
日共は、二十八日夜、この盗聴器を発見し、二十九日に撤去したが、二十四日から二十八日までの大会の内容は盗聴されていたことになる。日共は、この盗聴器は数か月前から仕掛けられたものだから、この間に、同会館で開催されたいろいろの大会の内容はすべて盗聴されていたことになるので、社会、公明両党などと連合して、国会で追及するという。」
昨日の毎日新聞の記事でも触れていた、盗聴事件の詳細。27日に日共が発表していた盗聴機よりも、より巧妙な機械のようです。
「日本人五人が負傷 "007"撮影中のスタジオで爆発事故」
(朝日新聞昭和41年10月30日朝刊15面)
「【ロンドン二十九日発=AP】ジェームズ・ボンドの新作映画「007は二度死ぬ」を制作中のロンドンのパインウッド・スタジオで二十七日、爆発事故があり、同映画に出演している五人の日本人カラ手専門家が負傷した。
同スタジオ職員が二十九日語ったところによると、事故はショーン・コネリーふんするところのジェームズ・ボンドがほら穴から脱出するシーンで、装置の火薬が予定した以上の勢いで爆発、このため五人の日本人出演者たちが手に軽い傷を負った。そのうちの一人、渡辺さん(三三)は「手を使うとまだ痛むので数日間は仕事ができないでしょう」と言っており、このシーンの撮影は傷がなおるまでおあずけとなった。」
またもや007の撮影事故。日共の盗聴スパイのほうがよっぽど手際がいいですね。1966年9月27日のヘリの事故の記事でも書きましたが、ほんとに呪われているみたい。神主さんに一度お祓いしてもらうというのはいかがでしょう。
「車から落ちた赤ちゃん 父親があわててひく 坂道でブレーキをふみはずし」
(読売新聞昭和41年10月30日朝刊15面)
「二十九日午後七時ごろ、東京都足立区、時田病院前にとまっていた、クツ卸し業鵜殿優さん(三七)のライトバンの助手席に寝かされていた鵜殿さんの二男徳博ちゃん(生後七か月)が、よくしまっていなかったドアから路上に落ちた。運転席にいた鵡殿さんが落ちる徳博ちゃんをつかまえようとした拍子に、踏んでいたブレーキをはずしたため、車が動き出して、徳博ちゃんは頭をひかれた。時田病院にすぐ運び込んだが、同病院では処置できず、応急手当てをしただけで時田院長が付き添い、鵜殿さんの車で板橋の日大病院に運んだが、午後十時二十八分死んだ。
西新井署の調べによると、鵜殿さんはこの日、長男の久仁男ちゃん(二つ)の小児ゼンソクの治療に同病院へきて、妻利久子さん(二七)が久仁男ちゃんをつれて病院へはいっている間のできごと。同病院前が坂道になっていたための事故だった。」
かわいそうというか、悲惨というか、何とも言いようのない事件。赤ちゃんが目の前で落ちたのでとっさに身を乗りだしたためにブレーキを緩めてしまったのでしょうが...。きっと、『あのときサイドブレーキさえ引いていれば』と煩悶されるんでしょうね。
今日の殺伐
「ビートルズに変装した強盗 小岩でご用」
(日本経済新聞昭和41年10月30日朝刊15面)
「二十九日午後七時四十分ごろ、東京都江戸川区、スマートボール店オランダ商会二階事務所で、同店事務員、玉崎睦子さん(25)が一人で仕事をしていたところ、サングラスをかけ髪をボサボサにした男が「社長はいるか」といってはいってきた。男は玉崎さんに近づくと、いきなり玉崎さんにピストルを突きつけ「金庫から金を出せ」とおどした。こわくなった玉崎さんが金庫から現金六万二千五百円を出すと、男は金をポケットにねじ込み逃走した。
玉崎さんが窓から「ドロボー」と大声をあげたところ、聞きつけた通行人二人が男をつかまえた。
小岩署の調べによると、男は大田区、代書屋、K・A(39)。持っていたピストルはおもちゃのピストルで、頭にはビートルズふうのかつらをかぶっていたことがわかった。お手柄の通行人二人はKをつかまえたあといなくなったが、同署では警視総監賞を上申したいと二人をさがしている。」
見出しで『ビートルズに変装』というから、ミリタリールックの四人組の強盗かと思ったら、単に、ボサボサ髪の男の単独犯行だったんですな。また、犯人の職業『代書屋』というのも、最近ではあまり聞かなくなった言葉ですな(代書屋というと、桂米団次師匠の作った落語『代書』を思い出しますね)。
読売新聞にも同じ事件の記事がありました。
「スマートボール場に強盗 小岩で、叫び声に通行人が捕まえる」
(読売新聞昭和41年10月30日朝刊15面)
「二十九日午後七時四十分ころ、東京都江戸川区、スマートボール場「オランダ商会」の二階事務所にサングラスをかけたヤクザ風の男が押し入り、一人で事務をとっていた同社員玉崎睦子さん(二五)にピストルをつきつけて「金庫の金を出せ」とおどした。玉崎さんが金庫から現金六万二千五百円をとり出し机の上に置くと、男はこの金をポケットにねじ込み、ヘア・スプレーを玉崎さんの顔にふきつけて逃げた。
玉崎さんが窓から顔を出して階段の方を指さし「ドロボウだからつかまえて」と叫んだので通りかかった人が逃げようとした男をつかまえて二階の事務所につれもどし、小岩署員に引き渡した。
男は大田区、自称労働基準監督署代行事務取り扱い業K・A(三九)で、ピストルはオモチャのものだった。
同署で強盗現行犯で留置し調べているが、お手柄の通行人が名前もつげずに立ち去ったので捜している。
【注】労働基準監督署代行事務取り扱い業とは、事業主が従業員に対してかける労災保険の手続きや、労基署に行なう死傷病報告などを事業主にかわって行なう職業。おもに十人未満の小企業会社の事務取り扱いを代行する。」
こっちには『ビートルズ』なんて記述は全く無し。それどころか『サングラスをかけたヤクザ風の男』。『ビートルズに変装したヤクザ風の男』って...?いくらビートルズが流行っているからって、無理に見出しにしなくても。
『代書屋』に関しても読売には詳しい説明がありました。司法書士/行政書士といった職業のようですね。
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1966-10-30T00:34:19+09:00
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日共 VS 治安機関
昨二十八日は、東京の西部で霧が出たようで、中央線や南武線、京王線や西武線が終電までダイヤが乱れていたようです。原因は、昨日の昼間の雨と、寒気の到来とか。いよいよ冬も近づいてきましたね。
新聞斜め読み
「社説 中国核武装の進展」
(朝日新聞昭...
新聞斜め読み
「社説 中国核武装の進展」
(朝日新聞昭和41年10月29日朝刊2面)
「中国は二十七日、誘導ミサイルを使って核爆発をおこなった。二年前の最初の核爆発以来、四回目の核実験である。われわれは、核兵器をこの地上からなくすことを願うがゆえに、その開発のための実験には、どこの国のものであつても、強く反対してきた。中国が国際世論の大勢にさからって、大気汚染の危険を伴う大気中の核実験を四たび強行したことについて、重ねて遺憾の意を表明する。(中略)
中国という大国が国際的に孤立したまま、国際社会からしめ出されている現実をどうするか。問題の本質はここにある。中国を除外して、どのような軍縮の取決めを結んでも、中国をそのワクでしばるわけにはいかない。中国は自衛の権利として核武装することを主張しているのである。
この点から考えると、こんどの中国核実験でさしあたり最も大きな影響を受けるのは、いま国連政治委員会で審議中の核拡散防止問題であり、また来月から本格審議のはじまる中国代表権問題である。(中略)
米ソ両国の核独占を認めるのは、それが一時的なものであり、ついには両国も核兵器を廃棄するという前提にたっている。しかし、そこへ中国という第三の核大国が現れるとすれは、事態はきわめて複雑になる。
核拡散防止条約を実効あるものにするには、どうしても中国をその話合いに参加させる必要がある。したがって、ここに国連の中国代表権問題とのからみ合いが生じてくる。中国を国際社会の土俵のなかに引入れようとする声は、むしろ、しだいに高まってくるであろう。」
要するに、国際社会が核軍縮のタガを嵌めるために、中共を国際社会が認知(つまり国連に加盟させること)すべきだ、と主張されているのですが、中国としては国際社会からの認知を得るために核武装を進めている面があるわけで、これを認めることは『核開発はワリにあう』ということをまだ核を持っていない国に知らしめてしまうんじゃないでしょうか。
「米のベトナム侵略に打撃 原水協が談話」
(毎日新聞昭和41年10月29日朝刊2面)
「日本原水協はベトナム参戦七ヵ国マニラ会議、中共の核ミサイル実験などについて、二十八日午後、要旨つぎのような畑中政春代表理事談話を発表した。
一、二十五日に米政府とその追随者たちによって開かれたマニラ会議は「平和」の仮面をかぶり、アジァ人をアジア人と戦わせ、侵略戦争を国際化するという作戦会議の本質を暴露した。
一、中国の核ミサイル実験は、世界諸国民のベトナム人民支援の盛り上がりの中で、米帝国主義のベトナム侵略、核兵器使用のあがきに大きな打撃を与えた。」
原水協は『原水爆禁止日本協議会』の略です。昨年(1965年)、「部分的核実験禁止条約」に賛成するグループが脱退して『原水爆禁止日本国民会議』(略称:原水禁)を作りましたが、原水協はそもそも共産党系と言われ、反米反帝色が濃いので、上記のようなコメントが出てくるのも頷けます。
「「007」防衛作戦 ベール閉じる日共大会 にらむ50人の警備員 盗聴にこりて 代議員にも監視」
(毎日新聞昭和41年10月29日夕刊10面)
「日共第十回党大会(会期は三十日までの予定)が開かれている東京・世田谷区民会館で二十七日と二十九日盗聴装置が二つも見つかり"中共一辺倒を清算しよう"という自主独立路線の討論が「007」ばりの"情報機関"に筒抜けになっていたことが明らかになった。日共は「治安機関のスパイ行為だ」と抗議、会場内外の"自主防衛"を強化した。ものものしく警戒された党大会の"素顔"をのぞいてみると---。
世田谷通りから区民会館にかけて、毎朝七時ごろになると黄色の腕章をつけた二十代の男たちが現われ、約十メートル置きに配置につく。「スパイの潜入」を防ぐ警備担当の党員である。トランシーバーを肩に、無線で連絡をしながらパトロールする"遊撃班"もいる。不審な者が近寄ると、二、三人一組でさっと取り巻いてしまう。
大会事務局の話によると、このような警備員は約五十人。「治安機関のスパイ行為は、おもに盗聴と代議員に対する写真撮影だ。三十九年十一月、大田区民会館での第九回党大会のときには、会場前の米屋の二階に望遠カメラを据えつけているのを警備員が見つけた」という。警備員は十分訓練されているとみえ、こんども会場周辺を双眼鏡でにらんでいる。
会場内の秘密保持もきびしい。会議は、大会初日の午前の開会あいさつ、大会役員団選出、来賓あいさつと、午後の宮本書記長の中央委報告か最初の十分間だけ記者団に公開された。そのときもカメラマンには代議員席を写してはいけないという制限つきで、アイモをふりまわしたがるテレビカメラマンには警備員がぴたりと付き添っていた。(中略)
治安当局の話によると、大会での発言は事前に原稿にして提出、審査されたうえでプログラムに組み込まれるといわれ、自主独立路線---宮本体制を支持する"シャンシャン大会"の感じが濃い。(中略)
こんどの大会には、全国から九百六十一人の代議員が参加しているが、ある中堅クラスの党員は「どんな顔ぶれであるか、身内の私たちにもわからない仕組みになっている」と苦笑する。
治安当局の話によると、代議員は番号で呼ばれるばかりか、地方の代議員七百数十人は都内の旅館十数ヵ所に「レクリエーション協会」の名前で宿泊、外部との電話や面会などはいっさいシャット・アウト。府県ごとに党本部との連絡責任者を置き、代議員の行動を報告しているという。そのうえ、代議員の中にはサングラスやマスクをかけた"忍者党員"もみられる。重要な経営細胞にいる非公然党員である。
日共は二十四年に、社共の合同闘争を呼びかけて国会に三十五の講席を獲得したが、その当時、勢いづいて党員の公然化に踏み切ったが、まもなく吉田内閣が制定した団体等規正令で党員の届け出、登録という逆手をとられ、一年後にレッドパージで組織をつぶされた苦い体験をもっている。このため「やがて弾圧されるかもしれませんからね」と慎重だ。資本主義下において革命組織は隠されるのが鉄則なのだ、という。
また盗聴機発見
日共は二十九日午後二時すぎ、党大会会場の世田谷区民会館で盗聴器を見つけたと発表した。盗聴装置は「有線搬送式」で、区民会館の舞台右そでの排気口に、演壇に向けて小型マイクが仕込んであり、マイクからは細い電線で舞台横の電話線に接続してあったという。同党は「治安機関のしわざ」として、関係当局に抗議する。」
『中共との共闘』から『自主独立路線』へと党の路線を変更する最中で、党内外から内部情勢に注目が集まっているために"スパイ事件"が起こるのでしょうか。しかし、『代議員は番号で呼ばれる』とは、革命組織も大変ですな。
「"魅力です"放出ダイヤ 前夜から長い行列 女性六割、札どめの店も」
(読売新聞昭和41年10月29日朝刊15面)
「接収ダイヤがいよいよきょう二十九日から、全国主要五十一都市のデパート、貴金属商、時計店など百六十九店舗で、いっせいに売り出されるが、その前夜の二十八日、東京、大阪の各デパート前には、徹夜の行列がつづいた。
都内では三十一店で三千六百個が"放出"されるが、もっとも売り出し個数の多い日本橋の三越本店(五百個)では午前九時すぎに一番乗りしたという目黒区の工場経営者(五四)をトップに、午後十一時四十五分に五百人に達し、あとは"お断わり"になるなど、どこもたいへんな人気。
行列はやはり女性が六割、中年婦人が目立つ。三越では駐車揚を"整理場"にあて番号のはいったイスを提供したが、お客さんはフトン、毛布、寝袋などを持ち込み、手なれた徹夜態勢。なかにはウイスキー、弁当持ち込み組から、ギター、将棋、トランジスター・ラジオなどの小道具持参まであり、夜なきソバの屋台二台も抜け目なく出張していた。」
この他記事中に『「戦時中ダイヤ四個を接収されたのですが家内がぜひほしいというので徹夜にやってきました」と都立高校教諭』という話も載っていました。今回放出されるのは、国内接収分のダイヤなんでしょうか?外地の接収分も別途保管されているのかな。
「税務署員」名乗る男 川口と大宮で現金抜取り」
(毎日新聞昭和41年10月29日夕刊10面)
「【川口】二十八日夜、埼玉県川口市、酒店、沼口正美さん(四二)は「ニセ税務署員に現金一方円をとられた」と川口署に届け出た。同日午後二時半ころ「税務署のものだが帳簿や預金通帳を調べさせてほしい」と若い男が訪れ、妻のとキ子さん(三九)に帳簿類を持ってこさせて間もなく帰った。この男と入れ違いに銀行員が集金にきて、入金帳にはさんでおいた九万円のうち一万円抜き取られていることかわかった。
また大宮市、酒店、北沢治佐雄さん(五九)方でも同日午前十一時ごろ、同じ手口で現金十万円と額面二十ハ万円の預金通帳がわずかのスキに抜き取られたことがわかったので、同一犯人のしわざとみて捜査している。
男は紺系統の背広上下を着て、黒縁の四角のメガネ、頭はボサボサ髪で二十四、五才、黒のカバンを持っていた。」
紺系統の背広を着ているからといって、ボサボサ髪の男をカンタンに信用してはいけません。
今日の殺伐
「作業員のもの 隅田川の足首」
(毎日新聞昭和41年10月29日夕刊10面)
「二十八日午後、東京荒川区南千住四の四、国鉄隅田川駅構内第一ドックのイカダの間から男の右足首が見つかった。南千住署で調べたところ、九月二十四日の台風二十六号のとき岸壁で作業中、足首を切断した中央区明石町、古川組の作業船乗組員、羽鳥昌治さん(二七)=神奈川県小田原市=のものとわかった。羽馬さんは入院中である。」
昨日の事件の続報。『足は女性のような、きゃしゃなもの』と報道していたのに、実際は27才の兄ちゃんのものでした。事故は災難で気の毒なんですが、報道のされ方がされ方なんで、真相が明らかになってちょっと恥ずかしかったかも。
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1966-10-29T01:24:48+09:00
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中共、核ミサイル実験に成功
本日は、各紙とも中共の核ミサイル実験のニュースで持ちきりです。まずは中共の発表したコミュニケから紹介しましょう。
新聞斜め読み
「中国、誘導ミサイルで核実験 正確に目標命中 ベトナム人民へ励まし 政府発表」
(朝日新聞昭和41年10月28日朝刊1...
新聞斜め読み
「中国、誘導ミサイルで核実験 正確に目標命中 ベトナム人民へ励まし 政府発表」
(朝日新聞昭和41年10月28日朝刊1面)
「【北京=野上特派員二十八日発】中国政府外交部新聞司は二十八日午前一時(日本時間同午前二時)誘導ミサイルによる核実験に成功したことを発表した。
【ANS=東京】二十七日夜の北京放送によれば、中国は同日、誘導ミサイルによる核実験に成功した。これについてのコミュニケは「一九六六年十月二十七日、中国は自国の国土上でミサイル核兵器の実験を成功裏に行なった。ミサイルの飛行は正常で核弾頭は予定した距離のうちで正確に目標に命中し、核爆発を実現した。今回の実験の成功は中国の科学技術と国防力が毛沢東思想の輝かしい光に照らされて、一そう大きな速度で発展したことを示すものである。これは中国人民が国防力を強化し、祖国の安全と世界平和を守る上でのいま一度のあらたな成果である」と述べている。
コミュニケはさらに次のように述べている。
中国人民解放軍、科学技術員、広範な職員、労働者は積極的に林彪同志の呼びかけにこたえ、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかざし、政治を先行させ、毛沢東著作を実際と結びつけて学び、活用し、プロレタリア文化大革命の推し進められているもとで、革命をしっかりやり、生産を促し、自力更生し、発奮して富強をはかり、衆知を結集し、協力する精神をもって今回の実験の円満な成功を保証した。
これは毛沢東思想の偉大な勝利である。これは毛沢東思想がひとたび大衆によって掌握されるならば、すなわち巨大な物力を生じ、たぐいなく強大な威力を生ずることを十分に立証している。
中国共産党中央委員会、国務院および中国共産党中央委軍事委員会は、今回の実験に参加した人民解放軍全指揮員、戦闘員、中国のミサイル核兵器の発展のため貢献した労働者、工程技術要員、科学工作者およびすべての関係要員に対して、熱烈に祝意を表する。
彼らが毛主席の著作を実際と結びつけて学び活用してかちとった新しい成果を深く称賛する。彼らは一層切瑳(さ)たくまして、断固としてたゆむことなく、毛主席著作の学習を新しい段階に高め、新しい局面を作りだし、一層人の思想の革命化を促進せられたい。
彼らが一層わが国の国防建設を強化し、国防近代化を実現させる闘争において、新しい、さらに大きな成果をかちとるよう希望する。現在、米国をはじめとする帝国主義者とソ連共産党指導部を中心とする修正主義者は、グルになって結託を強め、いわゆる核拡散防止問題で取引を行い、彼らの核独占の地位を維持しようとし、各国人民の革命闘争を破壊している。
中国が核兵器を開発するのはまさに米ソが結託して核を独占し、核恐かつを行うのに反対するためである。中国人民がミサイルと核兵器を掌握したのは現在、抗米救国戦争を進めつつあるベトナム人民と全世界の革命的人民に対する大きなはげましであり、世界平和擁護にとってのあらたな貢献である。
中国が必要かつ限度ある核実験を行い、核兵器を開発するのは完全に防御のためであり、その最終目標は核兵器を消滅するためである。
われわれは再度宣言する。中国はいかなるとき、いかなる状況においても、先に核兵器を使用することはない。中国政府と人民はこれまでと同様、世界のすベての平和愛好人民、国家とともに終始変ることなく、核兵器の全面禁止と完全廃棄という崇高な目標のため、ともに奮闘するであろう。」
文革礼賛、米帝国主義・ソ連修正主義批判、ベトナム戦争貫徹と、現在の中共をめぐる全ての問題が触れられています。
「運搬手段開発示す 米の予想を上回る早さ 一連の「反中国会談」に反発」
(朝日新聞昭和41年10月28日朝刊1面)
「今回のミサイルによる誘導核実験の大きなねらいは、このほど世界各地で開かれた一連の「反中国会談」---マニラのベトナム参戦国首脳会議、モスクワの共産党九力国会議、ニューデリーの非同盟三力国首脳会談---などに対する"しっぺ返し"とみることができる。
中国が昨秋いらいアジア・アフリカ(AA)地域で外交的後退をつづけてきたことは、西側諸国ではいまでは定説となった感がある。しかもベトナム戦争を中心とした国際共産主義運動の展開についても、ソ連圏ばかりでなく、北朝鮮、日本共産党の離反を招くという事態を生んできた。しかも、こうした情勢のなかで示威的に行われた米、ソ、非同盟諸国の首脳会議は、中国の国際的孤立化に拍車をかけるものとみる向きが多かった。
しかし、これらの会議のなかに中国の影響力を無視できぬ動きがみえたことも見逃がせぬ事実であり、中国がこの時期を選んでミサイル核実験を行なった政治的意味は、大きいといわねばなるまい。
一方、中国は現在、国内的には文化大革命を展開し、紅衛兵運動とも相まって、複雑な局面をむかえているが、中国首脳がこのような動きの最中で今回の実験を行なつたことは、国内の人民大衆の結束を固めるうえで大きなプラスになることも否定できまい。
いずれにせよ、今度のミサイル開発のニュースは、中国の科学技術、防衛能力が非常なスピードで進んでいることを証明するものであり、核弾頭の小型化、軽量化に成功した以上、本格的な長距離弾道弾ミサイルを完成する時期も、かなり短縮されるものとみなければなるまい。こうした動きは米ソ両大国にとつても、中国の実力を「現実的」なものとして評価しなければならない時期が一段と近づいてきたことを示すものということができよう。」
朝日新聞による解説。『中国がこの時期を選んでミサイル核実験を行なった政治的意味は、大きいといわねばなるまい。』など、なんだか核実験を称賛しているような感じが...。
「中共、米ソ各体制に挑戦 誘導核ミサイルの成功 国政政局に圧力 毛・林路線の威信示す 開発、急速なテンポ」
(日本経済新聞昭和41年10月28日夕刊1面)
「【北京二十八日=鮫島特派員】中共は二十七日、中共本土で核弾頭誘導ミサイルの実験に成功したと発表したが、実験そのものについては「ミサイルは正常に飛んで、核弾頭は予定された距離の目標に正確に命中して爆発した」と簡単にしかふれていない。しかしこれは核兵器の運搬手段としてのミサイル実用化に大きく一歩を進めたものであり、中共の核開発がその運搬手段の開発とともに急テンポで着実に進んでいることを物語るものである。
中共が二十七日行なった四度目の核実験は、ミサイルの利用に成功したという点で、過去三回の実験よりはるかに重大な意義を持つものである。政治的には目下開催中の国連総会が中国代表権問題を審議するのに歩調を合わせたとい.う点で、国際政局に"無言の圧力"を与えることは否定できないし、特にこのところ失われてきたAA(アジア・アフリカ)地域での中共外交の威信に新たな重味を加えよう。また最近一段と緊迫化を強めたベトナム戦争が米中突衝に発展した場合、核戦争の脅威を必然化するものであることを周辺諸国だけでなく、全世界にアピールしたという点からも国際的な波紋を引き起こさずにはおくまい。(中略)
一方国際的には国連総会に出席している各国代表に中共を除外しての軍縮問題の討議や核拡散防止の努力がいかにむなしいものであるかを痛感させるとともに、中共の非加盟が国連の普遍性を根本的に傷つけている事態に対しても、改めて国際的な問題意識を呼び起こすものとみられる。(中略)
またベトナム戦争がマニラ首脳会議後新たなエスカレーション(戦闘の段階的拡大)を展開する可能性が濃くなっている現在、米国の"核きょうかつ"戦術を封じる強力な力を誇示したといえる。今回の実験が国際共産主義運動の場での中共の立場を強めることになるかどうか。中共の文化革命をソ連や東欧諸国が軽視するのも結局はこの運動の成功した場合、国内に浸透するのを恐れるためであるが、それだけに核開発の進行を背景に中共が国際発言力を強めるのは、これらの国にとって決して好ましい現象ではあるまい。」
こちらは日経新聞による解説。核兵器開発によって中共の国際的な影響力が強まった、というおおまかな内容は朝日新聞と変わらないんですが、書き方の違いか印象がかなり異なりますね。
「中共の核ミサイル実験 各国の反響 拡散防止に障害 代表権問題には不利に 国連」
(毎日新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【ニューヨーク国連本部二十七日波多野特派員】中共の原爆ミサイル実験成功のニュースは二十七日午後、南西アフリカ問題で大もめにもめていた国連に複雑な波紋をまき起こした。中共と直接対立する国府代表部筋は「中共の原爆ミサイルがいま直ちに極東における力のバランスをくずすことにはなるまいが北京政権が核保有国になろうとしているのは近隣諸国を力で抑圧し、服従させようとしているからだ」と述べ、核拡散防止、地下核実験の停止などを目ざしている国連の軍縮努力へのあからさまな挑戦であると非難するとともに、これでかえって中国代表権問題については国府側の立場が有利になろうとの見解を明らかにした。(中略)
また二十六日、カナダ代表が述べたように、実際に効果のある軍縮の実現を望むならば、いやがおうでも中共を無視するわけにはいかないという国際世論がこれからはいっそう強まるだろうし、そうなれば国連における中国代表権問題にも少なからぬ影響を与えずにおかないと予想される。中共の核武装計画の進展にともない、その国際政治に占める比重が大きくなればなるほど、中共を抜きにした国連というものの権威は下がるわけで、今後国連はいかなる問題についても"国連外の巨人"中共の大きな影をますます意識せざるをえない状態になるであろう。」
「加盟支持派に好材 国連の反響軍縮討議に緊迫感」
(読売新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【国連本部・牧野特派員二十七日発】中国の核ミサイル実験成功は国連総会にもショックを与えた。ことに核拡散防止を中心とする軍縮問題の討議にこれまでにない緊迫感を高める一方「中国を含まぬ軍縮」の前途に対する悲観論は強まるだろう。十一月下旬に予定されている中国代表権問題では、こうした新事態が「中国加入支持派」の立場を強めることになるかもしれない。(中略)
中国代表権問題ではこんどの実験を材料に一、二票くらい中国派に有利に傾くとの見方もでているが、票の行方はともかくとして「だからこそ中国を加入させるべきだ」との中国支持派の論拠に好材料を与えた形で、同問題の審議に微妙に響くことも予想されている。」
国連での反応も分かれているようで、国連での代表権問題で中共の国連加盟は遠のいたと国府筋は述べていますが、一方で核兵器をもった大国を国連外に置くことに無理があるという意見も根強いようです。
「外務省、驚きの色 直ちに抗議へ」
(朝日新聞昭和41年10月28日朝刊1面)
「中国がミサイルによる核実験に成功したことについて外務省は、二十七日夜、詳細が判明するまでは、はっきりした見解は差控えたいとしながらも、とくに今回の実験がミサイルによって行われた点について「予想外のことである」と驚きの表情を示した。
同夜、外務省が示した非公式見解は次の通りである。
一、今回の実験成功の報道が事実であるとすれぽ、中国にとっては四回目の核実験である。中国の実験準備が相当進んでおり、十一月末ごろには水爆を中心とした実験が行われるのではないかという米国筋の非公式情報を外務省は入手していた。しかし今回の実験がミサイルという運搬手段の開発まで進んでいた点は、予想外のことだった。
一、日本政府はかねてから、いかなる国のいかなる核実験にも反対するという態度を明らかにしてきており、中国の過去三回の核実験についても、そのつど抗議の意思表示をおこなってきた。中国がこれを無視し、四度実験をおこなったことはまことに遺憾である。中国政府に対し、このような危険な実験をおこなったことに抗議したい。
一、核拡散防止条約が成立する可能性が強まっているときに、このような実験を行うことは、世界の世論の大勢にさからうものである。
一、中国国内における最近の動きと今回の核実験との関係、また国際政局およびわが国への影響などについては、今後、詳細な事実をつかんだ上で的確な判断を下したい。」
これまでの中共の核実験の日時が毎日新聞に載っていましたので、載せておきます。
「これまでの中共核実験」
(毎日新聞昭和41年10月28日朝刊1面)
「これまでの中共核実験
▽第1回64年10月16日
▽第2回65年5月14日
▽第3回66年5月9日
▽第4回66年10月27日」
実験のたびに抗議をしてきたとのことですが、残念ながらこれまでの口頭・文書による抗議などは、何の效力も発揮しなかったようですね」。
「米、慎重な反応 情報とのギャップ」
(読売新聞昭和41年10月28日夕刊1面)
「【ワシントン小川特派員二十七日発】第四回中国核爆発実験について米政府の反応は慎重である。米原子力委員会の二十七日夜の発表はロブノール地域で核爆発があったことを確認するだけの最小限度の事実を明らかにしたもので、北京発表のいう核弾頭をつけたミサイルの発射については情報がないとして、否定も肯定もしていない。しかも、原子力委の発表がまる半日おくという異例な慎重さで行なわれたことは、中国側発表を額面通りに受け取れないでいる米政府の疑惑、またその背景としてアメリカの情報機関がこれまでに探知した諸データとのギャップが存在することを暗に示したものと解されている。(中略)
米国務省は実験内容と離れて中国側の政治的意図に大きな関心を寄せている。これまでの中国実験が十月と五月に限られているにせよ、北京がマニラ会議の直後、ジョンソン大統領のアジア歴訪中という時期を選んだねらいは明らかであり、核拡散防止をはじめ米ソの外交的接近にゆさぶりをかけ、また、北ベトナムに"徹底抗戦"の拍車をかけようとしていることも発表に明らかだが、むしろ北京が何らか劇的な形の発表をしなければならなかった国内事情からの必要に注目している。」
米国が、本当のところでどこまで知っていたかは分かりませんが、ジョンソン大統領のアジア歴訪中というのは、イヤなタイミングだったでしょうね。
「ソ連に深刻な脅威 タス、わずか21語で報道」
(読売新聞昭和41年10月28日夕刊1面)
「【モスクワ森本特派員二十八日発】ソ連は中国のミサイル核実験成功について、これが文化革命のさなか、とくに反ソ機運が異常に高まっているなかで行なわれたことを重視している。この実験成功を、ソ連ではタス通信が新華社電を引用してわずか二十一語(英文)で事実を伝えただけである。これは過去三回の中国核実験成功のさいと同じ態度で、ソ連は一貫して中国核実験の反響を極力小さいものにしょうとしているようだ。しかし、この態度は逆にソ連が中国核開発の進展を深刻な問題として受け取っていることを実は示したものともされ、とくに今回の実験は次の点でソ速に大きな衝撃を与えたとみられている。
一、この実験が文化革命のさなかに行なわれたこと。ソ連は文化革命を中国の内外政策の行き詰まりから生まれたものとみているが、その最中に行なわれたこの実験は、毛路線の健在を跨示する目的をもっていることは明らかだ、とされている。また、これが中国の外交的巻き返しの一つの契機になるのではないか、とも警戒している。とくに、文化革命が反ソに貫かれていることから、この実験がアメリカに対する以上にソ連に対する"挑戦"だとも受け取られよう。
一、中国はこの実験によって、核兵器運搬手段の開発に着々と成功していることを証明した。アメリカ以上ともいえるほどに悪い関係にあり、しかも長い国境線を接する中国が、押しも押されぬ核保有国としての立場を確立し"人民軍プラス核兵器"の軍事体刷の完成を急いでいることは、ソ連の長期的な軍事外交政策に重大な影響を与えることは疑いないとされている。」
一方のソ連も、米国同様かなり衝撃を受けている様子。というか、米国よりも深刻かもしれません。文化大革命に乗じて東欧の体制固めを進めていただけに、この問題ではまた頭を痛めそうです。
「ドゴール外交を正当化 仏論評」
(読売新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【パリニ十七日発UPI=共同】フランス政府筋は二十七日、中国の誘導ミサイルによる核実験成功につき「われわれは別に驚いていない。予想以上に速い中国の技術的進歩は、すでに二年前、中国承認に踏み切ったドゴール外交の方針を正当化するものである」---との見解を表明した。」
「「北」への励まし 米大統領旅行に対抗 フランス」
(毎日新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【パリニ十七日林(勝)特派員】中共が二十七日、ミサイルによる核実験に成功し、米ソについで「核クラブ第三の巨人」(フィガロ紙)となったことについて、仏当局はなんらの公式反応を示していない。しかし二十八日付の朝刊各紙は(1)中共が第一回の核実験からわずか二年で核弾頭の小型
化に成功し、運搬手段を手中にした開発テンポの早さに驚くとともに(2)この実験が極東旅行を通じて米国の同地域における影響力の大きさを誇示しようとしているジョンソン米大統領に向けられたものと受け取っている。この開発のテンポの早さからみて、中共が核ミサイルを実戦化するのも間近であり、アジア諸国、なかでも核開発能力を持ちながらなお核戦力採用に踏み切っていない日本、インドに与える心理的ショックの大きさを指摘している。
とくに中共のコミュニケがこれまでの実験のさいに発表されたものにくらべて調子の激しい点、また中共が核ミサイルの所有は「英雄的ベトナム人民に対する励まし」とのべている点が注目を引いている。なぜなら中共核戦力が実験的段階にある限り、この「励まし」は単なる精神的な力に過ぎないが、中共核開発の速度からして明日にでも実質的な現実の「励まし」となる可能性が強いからだ。
フランスは中共の核開発には直接の脅威は感じていない。しかし独自の核戦力の理論を進めてきた。ドゴール大統領も核軍縮のためにはジュネーブの十八ヵ国軍縮会議のような非核保有国も含めた多数国会議の形式ではなく、中共を含めた核保有五大国だけで話し合うことを主張している。」
フランスの反応についての報道二つ。『すでに二年前、中国承認に踏み切ったドゴール外交の方針を正当化するものである』とは、いかにもフランスという反応ですなぁ。フランス自身、かなり無茶して核兵器を作ってましたよね。もう一つ気になるのが『この開発のテンポの早さからみて、中共が核ミサイルを実戦化するのも間近であり、アジア諸国、なかでも核開発能力を持ちながらなお核戦力採用に踏み切っていない日本、インドに与える心理的ショックの大きさを指摘している。』という報道。ヨーロッパから見ると、日本は『核兵器を持てるのに持たない国』なんですね。
「動揺の色かくせないインド」
(毎日新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【ニューデリー二十八日坪上特派員】中共の核ミサイル実験成功について、二十八日朝のニューデリー各紙は北京または東京からの報道を簡単に伝えただけで、トップに扱っているのは一紙もないが、各方面に動揺の色は争えない。これまで三回の爆発実験に成功した以上、運搬手段も開発されているのは当然であるとしても、ミサイルの開発がこのように急速に進んでいるとは考えていなかったからである。
非同盟三国会議でも、イスラエル、西独をそれぞれ意識したアラブ連合とユーゴはともあれ、まず核拡散防止をと主張したのに対して、ガンジー首相は中共を意識して核拡散は全面核禁止に結びつかねば意味がないとのべたといわれる。会議コミュニケにもうたわれた中共も含めた世界軍縮会議開催はますます急を要するものとなったわけである。
これとはうらはらに、インド国内に再び核兵器開発の声が高まることは必至である。」
インドの衝撃は大きいでしょうね。ソ連も似たような恐怖感を持っているでしょうけど、中共と最も険悪な国ですから。
「韓国に衝撃」
(毎日新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【ソウルニ十八日近藤(隆)特派員】中共のミサイル核爆発成功は韓国政府に衝撃を与えており、ジョンソン米大統領の訪韓によるジョンソンー朴(パク)会談にも重天な影響を及ぼそう。ジョンソン大統領と朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領との会談の中心議題は、経済援助と軍事問題といわれている。」
ここもインド同様、かなりの恐怖感があるでしょう。現在、北朝鮮は中共と仲違い気味ですが、いざとなればどう転ぶか分からない国ですし。
「来年中に実戦期に」
(毎日新聞昭和41年10月28日朝刊1面)
「岡本哲史東工大教授の話 予想された時期だ。一九五九年ごろ中共は"人工衛星を打ち上げる"と公表しており、このころすでにかなり大規模なロケット開発に着手していたと考えられる。(中略)
IRBMと並行して当然ICBM(長距離弾道弾)を開発しており、米ソの例からIRBMとICBMの差は一年ぐらいなので、これもニ-三年後には完成するのではないだろうか。アメリカとは推力、誘導性能、核弾頭の小型化といった点で比較にならず、当分は心理効果の方が大きい。」
「実戦用にほど遠い」
(毎日新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【ロンドンニ十七日関口特派員】二十七日中共政府が行なった核ミサイル発射の発表について、英国の軍事筋ではミサイルも核弾頭もきわめて初歩的なもので軍事的実用段階にははるかに遠いものであり、これに過度の重要性を与えるのは誤りだとの見解が圧倒的である。しかし中共のロケット開発が初歩的なものであっても、その射程が徐々にのびて日本、インドなどの重要都市を射程内に含むようになれば、アジアの軍事的バランスをくずす可能性が強いので英軍事筋では英戦略に再検討を加える必要があるかもしれないと考えている。
英国の軍事情報機関ではすでに中共が新彊省にロケット発射実験場を持ち、いずれきわめて初歩的なミサイルの実験が行なわれることについては予期していた。特に米国のロケット研究にかなり大きな役割を果たした中国系科学者が中共に帰り、その後三回にわたる核実験と並行してミサイル開発が最優先的に中共政府の手でとり上げられていたことも事実とされていた。」
中共の開発したミサイルの能力についての記事二つ。『米国のロケット研究にかなり大きな役割を果たした中国系科学者が中共に帰り、その後三回にわたる核実験と並行してミサイル開発が最優先的に中共政府の手でとり上げられていたことも事実とされていた』というのはちょっと驚きですね。どうやって、米国を抜け出したんでしょう。
「興奮にわく北京市民 核ミサイルの成功 "毛・林体制の勝利" 深夜、続々祝賀デモの波」
(読売新聞昭和41年10月28日夕刊2面)
「【北京・関特派員二十八日発】中国の核ミサイル発射実験の成功は人民日報号外や北京放送の二十八日午前一時過ぎの特別臨時ニュースで一般市民に伝えられた。これまで三回の核実験にくらべて発表の時間がはるかにおそく、寒風の吹きすさぶ深夜だったが、二時すぎには天安門にイルミネーションがつけられ、北京市民や北京に滞在する地方紅衛兵が隊列を組み毛主席の肖豫を掲げ、赤旗をなびかせてぞくぞく中南海の党中央委と国務院をめざして行進していった。
午前三時になると、.国務院前は早くも手に手に毛沢東語録を掲げて四方から押し寄せた紅衛兵の大軍でいっぱい。交通整理の巡査たちが、きびしい寒さの中で汗だくの奮闘ぶりだ。
外人記者がタイプを打ちに押し寄せた深夜の電報局には、紅衛兵が出張して親切に記者たちに号外を配ってくれる。実験成功の今度の新聞発表では「毛沢東思想の偉大な勝利」をうたった上に、とくに「林彪同志の呼びかけにこたえて」実験の成功が生まれたとうたっていることが目新しい。それはなぜかと紅衛兵に聞くと「こんどの実験成功は毛主席の著作を活学、活用した結果であり、それを教えたのは林彪同志だ」という答えが異口同音に聞かれた。
国務院へ実験成功の祝賀におしかけるデモ隊のドラとタイコの音は夜のしじまを破って、いつまでも鳴り響いた。午前六時過ぎには静かな横丁の奥に住む人たちも表通りの騒ぎやニュースを聞きつけて騒ぎだし、おとなも、子供も実験の意味のわかるものも、わからぬものも興奮に包まれていた。「イデオロギー領域での階級闘争」という複雑な文化革命に明け暮れている中国では、核ミサイル実験の成功は五月の初歩的水爆実験の成功いらいのすっきりした「毛沢東思想の勝利」であり、それだけ民衆の喜びと興奮も明るく手放しである。「毛主席万歳」の声は一日中続きそうだ。
朝日がのぼりはじめた午前七時現在、北京市内は今度の実験成功は「毛沢東思想の偉大な勝利、文化大革命の輝かしい成果」という号外の見出しの文句にはじまる実験成功をたたえた大きなビラが、各所にはり出され、天安門前の大通りは、党中央委と国務院へお祝いに行くもの、帰るもので長だの列をつくってデモ行進している。」
「未明、慶祝デモ 紅衛兵、はしゃぎまわる」
(日本経済新聞昭和41年10月28日夕刊1面)
「【北京二十八日=鮫島特派員】ミサイル核実験成功のニュースはこのところ文化革命の進展で興奮状態にある北京に新たな興奮を加え、"偉大な毛沢東思想の成果"を祝うデモ隊が寒風で零下五度にいてつく北京の夜をかね、太鼓のけん騒で埋めつしくた。
実験成功のニュースが流れたときにはほとんど人通りのなかった長安街は、午前二時すぎごろから号外を奪い合う人でにぎわい始め、同三時ごろには紅衛兵たちが慶祝デモを繰り広けて政府国務院正門に押しかけ始めた。特に各地から上京して滞在中の紅衛兵は合宿キャンプから歓声をあげて飛び出し、白い息をはきながらのかけ足デモで集まり、長安街はまたたくうちに車も通れなくなるほど。過去三回の実験の際はできるだけ興奮を押えようとする表情があったものだが、今回は底抜けのはしゃぎぶりで、国際的な反応など気にしないすなおな喜びかたというほかにあ風景である。異常な興奮は夜明けとおもにいっそう高まり二十八日中続くとみられる。」
中共国内の反応の記事二つ。手放しの喜びようですな。紅衛兵の暴れぶりで国内ではかなり鬱屈していたのが、一気に解放された感じ。敗戦後の日本で、"フジヤマのトビウオ"こと古橋廣之進さんが水泳で世界新記録を樹立したような雰囲気です。
「劉主席とトウ書記を痛撃 北京の壁新聞が名指しで」
(毎日新聞昭和41年10月28日朝刊1面)
「【北京二十七日高田特派員】二十七日北京市内にはり出された北京師範大学、人民大学紅衛兵の壁新聞は一部のふせ字こそ使っているが、明らかに劉少奇国家主席、トウ小平党総書記の二人の名前をあげて批判、二人を反革命の"黒募"であると暴露、追及した。とくに劉主席については二十七年来、党の基礎文献となっていた同主席の「共産党員の修養を論ず」を「反毛沢東思想の書」として批判した。この二種の壁新聞によって毛沢東党主席、林彪国防相の党主流派が、一年余りの時間と、七億人民を動員し、国際的孤立にもあまんじて推進してきた「文化大革命」が最終段階に突入したことが推測される。(中略)
北京師範大学の壁新聞は「大慶油田の英雄たちの顔に"黒い線"をぬりつけることを許さない」「なぜ大慶展覧会に劉××、トウ××(原文のまま)の姿をクローズアップさせるのか」と大書した赤、黄二色のビラとともにはられており、活字印刷のしっかりしたものである。名前の二字をふせ字にした劉とトウが劉少奇とトウ小平を指すことは一目りょう然である。」
今日は中共がらみのニュースづくしの感がありますが、もう一つ。かねてから失脚説が流れていた劉少奇国家主席への攻撃が本格化してきたようです。まだ、『××』と伏せ字を使っているところを見ると、まだまだ内部抗争が終わったわけではないようですが。
今日の殺伐
「隅田川に女の足首 イカダについて流れる」
(毎日新聞昭和41年10月28日夕刊11面)
「二十八日午後二時ごろ、東京荒川区南干住四丁目○番地、国鉄貨物専用線隅田川駅構内のハシケ用ドックに到着したイカダに、人間の右足首かひっかかっているのをイカダの荷揚げ作業をしていた足立区、イカダ業、新孝一さん(三三)が発見、南千住署に届け出た。
足は女性のような、きゃしゃなもので、くるぶしの上約三センチ付近から切り取られており、かなり白っぽくなっていることから、死後十日くらい経過している。イカダは午後一時四十分ごろ月島から上げ潮にのって到着したもので、同署は作業員などから事情をきくとともに、犯罪に関係あるかどうか調べている。足首はスクリューで切られたものらしい。」
隅田川に華奢な女性の足首が...。乱歩のような猟奇的な雰囲気がありますね。
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1966-10-28T23:48:42+09:00
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http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=193672
中共は憲法改正 日共は盗聴器発見
いよいよ国内の郵便もエアメール時代に。
「いずみ 日本初の郵便専用機」
(読売新聞昭和41年10月27日朝刊15面)
「日本初の郵便専用機が二十九日から国内各地を飛びまわる。郵政省がチャーターした日航のDC-6B、全日空のバイカウント、国内航空のYS-11の三機で...
「いずみ 日本初の郵便専用機」
(読売新聞昭和41年10月27日朝刊15面)
「日本初の郵便専用機が二十九日から国内各地を飛びまわる。郵政省がチャーターした日航のDC-6B、全日空のバイカウント、国内航空のYS-11の三機で、客席を取り払うなど、それぞれ機内を改造、一機当たり五ー八トンの郵便物をつむ。
専用機のルートは日航が東京ー大阪、全日空が東京ー名古屋ー大阪ー福岡、国内航空が東京ー札幌を毎日一往復ずつ。ほとんどが深夜便で、第一号機は二十九日午後九時札幌発同十一時三十分東京着のYS-11。東京からは三十日午前零時一分発大阪着同一時三十分のDC-6Bが最初。
これで各地とも午前中に投かんすれば事務書類も恋文も、翌日には相手のお手もとに届くようになる。」
米国商談飛行で好成績を収めたYS-11が活躍するようです。
新聞斜め読み
「米大統領、南ベトナムに飛ぶ カムラン湾の米基地視察」
(毎日新聞昭和41年10月27日朝刊1面)
「【マニラ二十六日UPI】ジョンソン米大統領は二十六日午後二時五十四分(日本時間同三時五十四分)マニラ近郊のサングレー海軍航空基地を出発、同午後四時三十四分カムランに着き、午後六時五十八分カムランを出発、同八時四十七分マニラに帰着した。
【サイゴン二十六日柳原特派員】ジョンソン米大統領は二十六日夕、グエン・バン・チュー国家主席、グエン・カオ・キ首相ら南べトナム首脳の招待をうけた形で、カムラン湾の米軍補給基地を視察したのち再びマニラに引き返した。米大統領がみずから煙しょうのにおいのする"戦線"を訪れたのは南北戦争時代のリンカーン以来といわれ、そのベトナム戦争に対する関心の深さを行動で示しただけでなく、目前に迫った米中間選挙の大きな宣伝的効果もねらったものである。
ジョンソン大統領の視察が最初うわさにのぼっていたダナンからカムランに変更されたのは、その身辺に対する治安維持の問題があったためである。
カムランはいままで貧しい一漁村だったが、それがベトナム戦争の中で一躍、大基地につくりあげられたところであり、南シナ海に突出した半島で、その付け根を米軍および韓国軍部隊が厳重に警備しており、百パーセントといってもよいほど安全な立地条件にあるためである。」
大統領が前線を訪れるのが南北戦争以来というのがちょっと意外でした。第二次大戦時のルーズベルト大統領は車いすに乗っていたので戦地に行くのは難しかったでしょうが、トルーマン大統領は朝鮮戦争の戦場視察はしていなかったんですね。
「社説 マニラ会議が示すもの」
(読売新聞昭和41年10月27日朝刊2面)
「なによりも遺憾なことは、ベトナム平和解決のための国際的環境かようやくでき上がりつつあるかにみえる時に、アメリカがマニラ会議で韓国などの強硬派に妥協を余儀なくされたものか、ゴールドバーグ提案の時よりも後退して、軍事解決の方針を貫こうとしているかにみえることである。
最近、べトナム平和解決のための国際的環境が作られつつあった。中国の人民戦争理論がアジア、アフリカで敗退することによって、また、ベトナム支援統一行動で中国が孤立化することによって、ベトナム戦争をめぐる中国の異常な影響力がうすれ、そこに平和解決の機運が出はじめていたのである。マニラ会議の終わる一週間の間に、モスクワでソ連・東欧諸国会議が、ニューデリーでインド、アラブ連合、ユーゴなどの非同盟諸国の指導的国々の会議が開かれたのも、ベトナム戦争が中国の聖戦意識から解放されつつある時点で開かれたとみるべきだろう。
最近米ソ間にみられた微妙な動きも、ベトナム戦争を中国のいうようにイデオロギー聖戦としてでなく、米ソの平和共存の上に立って処理する可能性を打診するためではなかったか。それともアメリカの真意はマニラ会議で示された軍事解決にあるのだろうか。」
確かに、やる気マンマンだった中共が、文革の混乱で国外問題に手を出せないタイミングで和平を進めてしまうのは一つの方法だと思いますね。ただ、問題なのは、北ベトナム側も米国側も戦況を自分に有利と考えているというところでしょうか。ゲリラ対正規軍の戦いだと、軍事活動に対する評価の仕方がお互いに全く異なるので、『手打ち』が難しくなるのでしょう。
「「六ヵ月内撤兵」米国内にも疑問 微妙な査察検証 ベトコンの扱いも問題」
(毎日新聞昭和41年10月27日夕刊2面)
「【ワシントン二十六日関特派員】マニラ会議の成果に対する米国世論の反響はマチマチである。「米国とその同盟国が、なんのためにベトナムで戦っているかがわからぬものはコミュニケを読むがよい」(ワシントン・ポスト紙)「ジョンソン大統領のマニラ行きをバカにしたものは記録を読むべきだ」(ワシントン・スター紙)という親政府論調から「会議がベトナムと東南アジアの平和に大いに貢献するかといえば答は"ノー"であろう。米国は北爆を停止すべきである」(ニューヨーク.タイムス)との批判まで。結局、マニラ会議への評価は、ベトナム戦争に対し米国内にすでにでき上がっているさまざまの意見のコダマに終わっている。
マニラ会議がこうした意見対立のバランスの手詰まりを突きくずさなかったのは、最初から予想されていたように、そこからなんらかの新味ないし"奇跡"が出てこなかったからであり、この点の認識については米国の論調は"タカ派"も"ハト派"も一致している。そして当面の関心は北側の撤兵に応じ、米国その他の同盟国軍も「六ヵ月以内に撤兵するであろう」という"見出し文句"の解釈に終始している。(中略)
この撤兵条項を最も素直に解釈するならば「北ベトナム正規兵と南下帰郷の中核ゲリラを引き揚げれば、米軍はじめ、いっさいの西側派遣軍は引き揚げ、残る地元ベトナムの始末は南ベトナム政府に一任する」と米政府幹部が従来公式に繰り返し言明してきたことをマニラ会議コミュニケにうたったということになろう。だが、そうであった場合、果たして南ベトナム政府が残るベトコンに勝てるかどうかには疑問が残されている。」
会議の結果が、劇的な変化を起こす内容ではなかったので、米国内の反応も記事のようになるのは、予想通りでしょう。
『果たして南ベトナム政府が残るベトコンに勝てるかどうかには疑問が残されている。』→勝てないでしょうね。
「毛思想の永久化図る 中共に広がる改憲運動 林彪体制あと押し 息の長い文化革命強調」
(日本経済新聞昭和41年10月27日朝刊2面)
「【北京二十六日=鮫島特派員】北京、上海をはじめ中共の各地で憲法を改正する動きが表面化しはじめた。一九五四年に制定された現行憲法は「すでにその歴史的任務を終えたいま、社会主義革命の新しい段階では通用しなくなっただけでなく、文化大革命を阻害している」というのが改正運動の理田で全国人民代表大会(国会)の常務委員会に対して次の大会で改正問題を討論、審議するよう要求している。
紅衛兵運動は当初言いたい放題の"政策提案コンクール"だったが、憲法の各条文にわたる具体的.な改正案が登場したのは初めてのことである。(中略)
改正要求の要点は次の通り。
一、毛沢東思想を優先させ、階級闘争を忘れさせないことによっ.てはじめて搾取階級を徹底的に消滅し、社会主義社会を建設して共産主義に進む過渡期に至ると明文化させるもので、きわめて長期にわたる過渡期の期間中、階級闘争を必然的なものとして文化革命の必要性を強調する。(中略)
一、政府に「毛沢東思想宣伝省」を新設し、毛思想の普及、浸透体制を恒常化する(これは党中央委員会の文化革命組を行政機関化することであり、プロレタリア独裁、つまり共産党独裁のために道を開き林彪体制の強化、定着化につながる)。
一、資本家階級に対して公民権を与えるかどうかの権限を末端の大衆集会に与えてプロレタリアによる監督---独裁を強める。(中略)
一、宗教をアヘンだとして信仰の自由を否定し、宗教の布教宣伝活動を禁止する。
一、暴力革命路線を明確化して「敵と味方」の区別を明確にする(階級闘争の長期化と必要性を裏付ける)。」
『宗教をアヘンだとして信仰の自由を否定』と来ました。しかし、「毛沢東思想宣伝省」設立なんて、十分『毛沢東教』の域に達していると思うんですがねぇ。この他にも、『資本家階級に対して公民権を与えるかどうかの権限を末端の大衆集会に与えて』って、紅衛兵が三角帽子を無理矢理かぶらせて町中を引きづり回していたような行為を年がら年中行うということなんでしょうか。恐ろしい社会です。
「また隠しマイク 日共大会会場」
(毎日新聞昭和41年10月27日夕刊11面)
「 東京・世田谷区民会館で開かれている日共第十回党大会の代議員席に盗聴装置があったと二十七日大会事務局から発表された。隠しマイクは小指よりも小さい精巧なもので、二十四日開会から二十六日までの三日間、宮本書記長の中央委報告に対する非公開の討論内容はすべて"007"まがいの情報機関につつ抜けになったとみられ、同党は「治安機関のスパイの工作だ」として政府、公安調査庁、警察庁、警視庁に抗議した。(中略)
日共大会に盗聴器はつきもので、見つからなかったのは三十九年の九回大会だけ。五十人の場内警備係を配置、イスを全部ひっくり返して調べるなど"スパイ攻防戦"のあげく見つけたという。
電気通信技術の進歩でマイクの小型化、テープの長時間録音性能は驚異的。八回大会までは電波送信機が使われたが、電波探知器で発見されやすいので最近はまた有線録音が使われるようになった。
問題は法規制が不十分なことでこれまでの事件は全部迷宮入り。
日共の動向については警察の警備、公安係、公安調査庁、内閣調査室、防衛庁など公式機関のほか、経済団体の下請けの民間情報機関も注目しており「日共大会は大変な金になる」と情報屋仲間ではささやかれているほどで、こんどもこうした金目当ての下請け情報屋がやった疑いもある。」
中共さんは着々とプロレタリア独裁社会に向けて動き出しているようですが、日共さんは『日暮れて道遠し』といった感じでしょうか。『日共大会に盗聴器はつきもので、見つからなかったのは三十九年の九回大会だけ。』とのこと。なんか、『祭りに露店はつきもの』みたいな文章で、ちょっと笑ってしまいました。しかし、経済団体の下請けの民間情報機関って、何を目的に共産党の盗聴をするんでしょうか。
「犯人は地下水だった 茨城 猿島の奇病、三百人越す」
(毎日新聞昭和41年10月27日朝刊15面)
「【古河】茨城県猿島郡猿島市を中心とした農村地帯で流行性肝炎患者が続発し、ここ三ヵ月間に日赤猿島病院、猿島共同病院など四ヵ所で七十人が治療を受け、五人が死亡した。病院の調査で、患者は他に三百人以上いると推定される。
三年前にも多発したが、当時は「粗食によるタンパク質の不足が原因」とされたので町では栄養をとるよう生活指導したところ、一時下火となっていた。
ところがことし四月ごろからまたふえだし、秋の農繁期にはいつて急激に増加する傾向にあり、町では日本医大乗木秀夫教授、柚木斎助教授らの応援を求め、伝染経路の調査を行なったところ、タンパク質不足でない人まで感染しており、さらに調査を進めると、同地域が低湿地帯のため、飲料水となっている地下水が汚物によって流行性肝炎ウイルスに汚染され、伝染源と突き止められた。
重症のなかには、なんの自覚症状もなく突然発病し四日ぐらいでポックリ死亡しているものもあり、とくに四十代の働き盛りの農家の大黒柱に患者か多く、地区民はこの"ポックリ病"の恐怖でノイローゼ気味。,地元の病院では一般の人になま水は飲まないように注意し、健康体のものも採血検査を行ない早期発見に努めるよう指導している。」
栄養不足で体力が落ちていれば病気にかかりやすくなるので、『粗食によるタンパク質の不足が原因』として栄養をとらすことで、三年前にも確かに改善はしたのでしょう。それにしても、地下水の汚染はコワイですねぇ。
今日の殺伐
「ホームを"暴走"即死 新橋 電車へ急いだ会社員」
(読売新聞昭和41年10月27日朝刊15面)
「二十六日午後十時二十分ごろ、東京都港区新橋二の一七、国電新橋駅一番ホームで、神奈川県藤沢布、会社員岡本誠さん(二七)は、下り沼津行き列車にはねられ頭を強打、即死した。
愛宕署の調べでは、岡本さんはこの日給料日で、友人二人と新橋付近で酒を飲み、自宅へ帰ろうと同駅まできた。しかし湘南電車が停車する一番ホームでなく、山手、京浜線ホームの三番線で湘南電車の到着を待っていた。
ところが一番線に沼津行き電車がはいってきたのをみて線路に降り、一番線ホームによじのぼった。電車はすでに動きはじめ、岡本さんは追いかけようとしたが、ホームと電車の間に足をとられ、約十メートル引きずられ、急停車したが岡本さんは頭をホームに強く打ちつけ即死した。
しまっているドアをたたく岡本さんをみて駅員が制止しようとしたが間に合わなかったという。」
まさに『急がば回れ』。線路に降りず、階段を使ってホームを移動しましょう。
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1966-10-27T03:48:57+09:00
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自衛隊、ソ連軍と交戦(実はロケ)
なにせ、本物は迫力が違いますよ。
「滋賀の自衛隊 「演習」実はロケ 無断で戦車も走らす」
(毎日新聞昭和41年10月26日朝刊14面)
「【今津、彦根】滋賀県高島郡今津町、陸上自衛隊今津駐屯部隊で演習に名をかりて戦車や隊員を映画ロケに出演させ「公私混同で...
「滋賀の自衛隊 「演習」実はロケ 無断で戦車も走らす」
(毎日新聞昭和41年10月26日朝刊14面)
「【今津、彦根】滋賀県高島郡今津町、陸上自衛隊今津駐屯部隊で演習に名をかりて戦車や隊員を映画ロケに出演させ「公私混同ではないか」と隊員の間に不満が高まっている。
同隊の隊員は約八百人。旧陸軍の演習地として使っていた饗庭(あいばの)演習場(国有地)があり、敷地も広大で、戦争ものなど映画のロケ地には最適。
ことし六月大映京都撮影所から同隊業務隊長、F三佐あてに同社が製作している"兵隊やくざ脱獄"の撮影に演習場を使いたいと申請が出され、同隊長は独断で無償使用を許可した。
ところが、この映画の一シーンにソ連軍戦車が進攻してくる場面が必要になり、一般に公開する演習を同期間に開くことを急いで決め、演習場内の通称"中央高地"西側で招待客約百人に見学させたあと、すぐ立入り禁止とし、十数台をソ連戦車に擬装させ「これも演習の一部だ」と隊員に空砲を撃たせ、撮影に協力させたという。
演習場を貸す場合は防衛庁長官、大蔵省の許可が必要だが、以前にも同隊独断でロケを許可、中部方面総監部から"厳重注意"を受けたことがあるという。」
まあ、悪いことなんでしょうが、映画ファンとしてはF三佐ってナカナカ話せるヤツと思ってしまいますな。映画業界の人は、こっそり表彰して何か贈っておくように。
というか、F三佐って、兵隊やくざの勝新みたいですね。しぶる隊員に向かって『これも演習の一部だ』って勝新が一喝するシーンなんてハマるだろうなぁ。
新聞斜め読み
「ベトナム参戦7ヵ国 マニラ会議終わる 声明、宣言など三文書に調印 「北」が浸透やめれば六ヵ月以内に撤兵」
(毎日新聞昭和41年10月26日朝刊1面)
「【マニラ二十五日石塚、近藤(健)両特派員】二日間にわたって開かれたベトナム参戦七ヵ国のマニラ首脳会議は二十五日午後六時すぎ(日本時間同七時すぎ)「自由の諸目標に関する声明」「共同声明」「アジア・太平洋地域の平和と進歩に関する宣言」の三文書に調印して会議を終わった。共同声明は英文で五千語を越える長文のものだが、その中の「平和の探求」の項目の中で、参加国は「相手側が軍隊を十七度線の北に撤退し、浸透をやめるならば、南ベトナムにいる友好国軍も、できるだけ早く、遅くとも六ヵ月以内に撤退するであろう」ことを宣言している。和平が成立してからとはいえ、米軍および友好国軍の撤退期間を六ヵ月と明示したことははじめてで注目される。
会議は"マニラ宣言"ともいえるアジア・太平洋の地域協力をうたいあげた宣言をとくに発表したが、これは主催国のマルコス・フィリピン大続領の強力な訴えによって実現したものである。」
マルコス大統領の奮闘で開かれた会議ですが、そもそもマルコス大統領が目指していた『アジア人相互協力によるベトナム紛争の解決』は、やはり難しかったようです。いまの国際社会では、どうしても米ソ中の大国の思惑とは無縁ではいられないですからねぇ。
「中共、月末に核実験か」
(毎日新聞昭和41年10月26日朝刊1面)
「政府筋は二十五日、中共の第四回核実験について「物理的にはいつでもありうるが、政治的な情勢判断が大きく作用するのではないか」また「十月末に行なうことも十分考えられる」との見方を明らかにした。
政府がこれまで行った情勢分析によると(1)昭和三十九年以来過去三回、核実験場に選ばれた新疆ウイグル自治区ロプノール付近の気象条件は十一月から三月にかけて悪く、期間的にみて十月末行なわれることが十分考えられる(2)実験場所はこれまで同様ロプノール実験場となろう(3)「実験の型」は中共の水爆開発手順からみて水爆の引き金に利用できる強化原爆(一-二トン)の軽量化、小型化実験の可能性が強い。しかし水爆の本格的実験、ミサイル用核弾頭(一トン以下)の実験も考えられないことはない---としている。
しかし、政府筋は中共が実験を行なうという兆候について、いまのところ世界各国とも確証はつかんでいないとみている。」
10月20日の毎日新聞に、米国の19日付ニューヨークタイムズが中共の核実験の可能性を報じていると伝えていましたが、我が国の政府筋からも同様な観測が。中共は米ソ両国からのプレッシャーを相当に感じているようですから、ここらで核兵器で一発景気よくやらかそう、ってのはありがちな反応ですね。
(→At the Moment 2006年10月20日に関連記事あり)
「韓国、創価学会を締め出す 布教を認めず」
(毎日新聞昭和41年10月26日朝刊14面)
「【ソウルニ十五日近藤(隆)特派員】韓国大法院(最高裁)は二十五日、創価学会が内務部長官を相手に提起した「布教活動禁止の行政処分取消し」申請につき、内務部側の主張を認める決定をくだした。このため創価学会の同国での布教は認められなくなった。
さきに韓国内務部長官名で「創価学会の大邸での布教活動は反国家的、反民族的であるから許せない」という通達が出され、創価学会側が裁判所に提訴していたもので、大邸高等法院では、創価学会側の主張を認めていた。
創価学会本部の話によると、韓国には学会の組織はなく「同じ日蓮正宗を信ずる人たちのグループがあるというだけで、本部もなんら掌握していない。このため韓国大法院の決定も直接には関係がない」といっている。」
『創価学会の大邸での布教活動は反国家的、反民族的であるから許せない』って、一体大邸でどんなことをしたんでしょうか。内容を知りたいですね。
「市選管が大口スポンサー 選挙トトカルチョ 瀬戸で問題に」
(毎日新聞昭和41年10月26日朝刊14面)
「【瀬戸】十一月五日に投票が行われる参院愛知地方区補欠選挙で、地元新聞の主催する投票率予想のトトカルチョに、瀬戸市選管が商品の大口寄贈者に名をつらねていることがわかった。当の選管は「慣例にしたがったまでだ」といっているが「公明選挙を逆行させる非常識な態度」という批判も出ている。
この新聞は、同市内で月三回発行している「大瀬戸」十月二十二日付で、トトカルチョ募集の記事を載せた。この記事は「一等一万円・だれでもできるハガキ投票」とうたい、さらに「某代議士(選挙関係者のため氏名は伏せる)から二等賞に金側時計寄贈」と書かれてある。
同紙は市内に約二千部を発行、地元代議士や業界の動向などを伝えているが、トトカルチョは某代議士を見出しに大きく扱っている点で、政治臭が強い。
ところが、某代議士のほかの商品寄贈者名のなかに市選管が一等金一万円の大口スポンサーとなり、加藤繁太郎市長と寺田孝一市議会議長が上等毛布一枚を出し、抽選は市役所で行い、選管が立ち会うことになっている。」
『誰が当選するか』でなくて、『投票率』を当てるというのだったら直接選挙結果を左右するものでもないし、新聞の企画としては結構面白いとは思いますが、代議士や選管が金や賞品を出すのはちょっとやりすぎだったですな。
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1966-10-26T00:04:12+09:00
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http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=187448
著作権にからむニュース2つ
中共では紅衛兵が「赤を進めに」と主張してましたが、日本でも信号の見直しがあるようです。
「信号機 「緑」でゴーゴー 「青」の呼称やめる 子どもの疑問に「ごもっとも」」」
(毎日新聞昭和41年10月25日朝刊15面)
「「青は進め、赤はとまれ」---子供でも...
「信号機 「緑」でゴーゴー 「青」の呼称やめる 子どもの疑問に「ごもっとも」」」
(毎日新聞昭和41年10月25日朝刊15面)
「「青は進め、赤はとまれ」---子供でも知っている交通信号機のうち、青信号について警察は明年「道路交通国際条約」が大幅に改正されるのを機に「青」ではなく「緑」に呼び名を変えることになり、近く政令を改正する。「青」と「緑」の色は、日本人の色彩感覚では、古くからはっきりした区別がなかったが、戦後の教育ではっきりと使いわけるようになり、小学生などから「青」は間違いといった投書もあり、警察庁で交通工学者や色彩研究家の意見などを聞いたうえ、これを認めた。
わが国に信号機が登場したのは昭和十四年、東京上野公園入口の山下交差点にお目見えしてからで、その後、続々ふえ「道路取締令」にも間もなく信号機の項がつけ加えられた。色分けは青、黄、赤の三色。「道路取締令」は戦後「道路交通法」となり、付則の「道路交通法施行令」もできたが「青」は「青」のまま。」
教育で「青」と「緑」をはっきり分けたのは戦後からだったとは知りませんでした。しかし、「青信号」は言葉として定着しているので、なかなか転換も難しそうですね。
新聞斜め読み
「侵略阻止へ戦い継続 マニラ会議確認 南ベトナム首脳説明 各国支援強化を 民生安定計画を重視 地域協力、米も応援 ジョンソン大統領」
(日本経済新聞昭和41年10月25日朝刊2面)
「【マニラ二十四日=一木特派員】ベトナム参戦国会議初日の二十四日は午前十時四十分(日本時間午前十一時四十分)から昼食をはさんで午後五時四十五分(日本時間午後六時四十五分)までマラカニアン宮殿で非公開討議を行なった。同日は南べトナムの現状の全面的検討と共産主義の侵略を阻止する戦いを続けることを再確認した程度で目新しいものは出なかった。
会議はまず南ベトナムのグエン・カオ・キ首相、グエン・ドク・タン再建開発相、アウ・チュン・タン経済相らが南ベトナムの軍事、経済、政治情勢全般にわたって報告またウェストモーランド駐南ベトナム米軍司令官も軍事情勢について説明、「戦争終結へさらに多くの軍隊を必要とする」旨強調した。(中略)
和平交渉のテーブルについては特にふれなかったが、キ首相が報告のなかで「北からの侵略者は北に引き揚げ、南のものでも共産主義を好むものは北に行かせる。こうして南に残ったベトコンに対しては政府転覆活動を中止するための名誉ある道を与える」と述べていることは、要するにベトコンを一つの政体として認めないというこれまでの態度の繰り返しであり、ベトコンと同席する会議にはいっさい応じないということを別の角度から述べたにすぎない。」
南ベトナムのキ首相は、『軍事情勢は大幅に好転しているが、戦争は長く続く見通しで各国の支援強化を必要としている』と、資金繰りに困った町工場の経営者の様な主張をされてます。昨日の見通し通り、和平に向けての劇的な提案はなさそうです。
「西条氏ら書類送検か 音楽著作権協の不正事件」
(朝日新聞昭和41年10月25日夕刊11面)
「日本音楽著作権協会(春日由三理事長)に対する恐かつ事件から発展した同協会元幹部の経理不正を追及している警視庁捜査四課は、これまで西条八十前会長、菊地豊三郎前専務理事、金川義之前常務理事、野村俊夫前常務理事らを取調べていたが、捜査はほぼ終局段階にはいった。同課としては西条氏らを業務上横領などの疑いで書類送検したい意向で、捜査資料を検討している。
同課の調べによると、西条氏らが協会の役員をつとめていた三十八年ごろ、協会の経理の表面にあらわれない金が数千万円あったが、このうち協会のために使われた分のほかに、役員たちの私費にされたものが一人につき数百万円から一千万円あったという。このような不正をタネに協会から金をおどし取ったのが元同協会理事宮城衛、詩人の宮本旅人らによる恐かつ事件。
同課では恐かつ事件の捜査を終ったあと、ただちに経理不正問題の捜査を始め、さる九月には西条前会長を自宅で取調べたほか、金川氏らに任意出頭を求めていた。調べに対し西条氏は「経理はすべて他の役員たちに任せていた。自分はなにも知らない」とのべているが、同課では西条氏も会長としての手当以外の金を受取っていたとみており、事務局職員をふくめて五人、または六人程度を送検する方針をかためている。
日本音楽著作権協会は昭和十四年「著作権仲介業務に関する法律」が制定されたのにもとづいて生れた社団法人で、音楽家の著作権を守り、個々の音楽家にかわって作品の著作権料を使用者から徴収してきた。
西条氏が会長に就任した昭和二十八年ごろは集る著作権料は年間七千万円程度だったが、十年後には十億円とふくらんだ。これはマスコミの発達の波に乗ったことにもよるが、金川常務理事の手腕も大きかったといわれている。」
権利料に関わる仲介業なのですから、経理回りは透明性を高めてもらわないと。著作権料を払うほうとしては、気持ちよく支払えないですよね。せっかく、作曲家に対価を払おうと思っていても、協会の役員のフトコロに入ると知っちゃ、納得いかないです。日本音楽著作権協会には真剣に反省してもらいたいものです。
「日本の商標を食いもの 各国で無断登録 買い取れと開き直る」
(日本経済新聞昭和41年10月25日夕刊7面)
「このところ外国で日本商品の商標、デザインをまねた"ニセモノ"が横行、通産省や関係業界は防止対策に懸命だが、こんどはわが国の有力企業の商標を無断で登録して逆に「商標権を買いとれ」と開き直る悪質な事件が目立ってきた。これも日本の企業が世界的になってきたためなのだろうが---。
大がかりな商標無断登録はこの春、明るみに出たモナコのマルク・I・プロテクシオン社のケース。「ミツビシ」「ミツイ」「テイジン」「キョウワ」「フジ」「トーシバ」「ヒタチ」「ヤハタ」「アサヒ」(いずれもローマ字)、日本電気の「NEC」など十社の商標を含め、各国の有力会社三百二十八社の商標をモナコ当局へ登録してしまった。モナコだけならたいした市場でもないので、あまり問題がない。
しかしモナコが商標などに関するマドリード協定(一八九一年にドイツ、フランスなど欧州二十力国が加盟して締結)に加盟していることが関係企業をあわてさせた。これは同協定によると、加盟国の一国に出願、受理されるとスイスにある工業所有権保護国際事務局に通報され、ここから各加盟国に連絡、日本企業が登録してない国では自動的に登録され、マ社の商標権が確立してしまう仕組みだからだ。そうなっては手遅れで取り消し裁判など面倒なことになるため、関係企業ともあわてたわけ。
「アサヒ」関係を除く帝人、協和醗酵など関係九社は直ちにマ社に対して登録取り消しを要請、外務省もモナコ政府に抗議した。しかしマ社は「新規に登録するには三百ドル(十万八千円)以上の経費がかかるうえ、手続きもめんどうだろう。わが社の持つ商標権を買いとれ」といっているという。ねらわれた会社の中にはイギリス、フランス、西ドイツなど有力な国にはすでに登録済みのものもあるが、今後、欧州各国に進出しようと意気ごんでいるだけにショックだ。現在のところ三菱商事、三井物産、冨士銀行、日立製作所の四社がマ社に商標権を放棄させることに成功しただけ。金を出して商標権を買い取った社もあるという。日本電気、帝人の二社もようやくマ社に権利放棄させる見通しがついたというが、協和醗酵、東芝電気、八幡製鉄はまだ折衝中。」
もう一つ権利がらみの話。記事では、フランスでも東洋レーヨンの商標が勝手に登録されていたケースがあるとのこと。さらに、南米の場合はもっと厄介で、その国の特許庁の役人がグルになっていて、日本企業が商標登録をすると知り合いに連絡し、先に登録してしまう。この商標権をタテに営業代理権を譲れ、いやなら買いとれと脅しをかけてくる例もあるとか。国外の商売は一筋縄ではいきませんね。
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1966-10-25T23:51:15+09:00
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マニラ会議開催 大物スパイ脱獄
新宿の地下の工事が完成したようです。
「副都心地下の玄関 新宿駅の西口広場ほぼ完成」
(読売新聞昭和41年10月24日朝刊13面)
「"副都心・新宿"の玄関口として、さる三十九年以来改造工事を続けていた新宿西口広場が、よやく九分通りでき上がり、十一月末"開業"...
「副都心地下の玄関 新宿駅の西口広場ほぼ完成」
(読売新聞昭和41年10月24日朝刊13面)
「"副都心・新宿"の玄関口として、さる三十九年以来改造工事を続けていた新宿西口広場が、よやく九分通りでき上がり、十一月末"開業"の運びとなった。」
総工費は四十七億円とか。地上はバスターミナル、地下一階は噴水のある国鉄・私鉄の連絡通路、地下二階は小田急経営の駐車場となる予定です。
新聞斜め読み
「マニラ会議ひらく 和平探求を続ける 比大統領が開会演説」
(毎日新聞昭和41年10月24日夕刊1面)
「【マニラニ十四日石塚、近藤(健)特派員】ベトナム戦争派兵七ヵ国(フィリピン、米、韓、タイ、南ベトナム、オーストラリア、ニュージーランド)首脳は、二十四日午前九時(日本時間同十時)すぎからマニラのフィリピン国会議事堂で二日間にわたる首脳会議の幕をあけた。九時すぎタノム・タイ首相が開会を宣言、ついでホリオーク・ニュージーランド首相がマルコス・フィリピン大統領を議長に推し、他の首脳も異議なく承認した。マルコス大統領は九時十六分議長ヅチをたたき「七ヵ国はただ一つの念願つまりアジアの諸問題の解決ということを胸に抱いて会議に集まった」と演説した。マルコス大統領はさらに「北べトナムに対し、和解と平和の手をマニラからさしのべる」と述べ、北ベトナムがこれに応じた善意のしるしをみせるよう要望「北ベトナムとの対話の探究は継続すべきだ」と述べた。またアジア開銀をアジア繁栄のマグナカルタ(大憲章)であるとしてとくに取り上げ、これに共産圏諸国も加わるよう呼びかけた。開会式に引き続き同十時五十五分(日本時間十一時五十五分)から大統領官邸のマラカニアン宮殿でベトナム戦争を中心とするアジア問題の実質討議にはいった。(中略)
この会議には主催国のマルコス・フィリピン大統領はじめジョンソン米大統領、朴正煕(バク・チョンヒ)韓国大統領、チュー南ベトナム国家主席、タノム・タイ首相、ホルト・オーストラリア首相、ホリオーク・ニュージーランド首相が各国を代表し、これにラスク米国務長官ら各国外相および閣僚が出席するアジアでは初めての大規模で高レベルの会議となった。」
先行きの見えないベトナム問題ですが、南ベトナム側の関係国がマニラで集まっての会議を行いました。アジアでは初めての大規模で高レベルの会議ということですが、ドラスチックな提案は難しいものと思われます。日本は、この会議には出席しないことにしていましたが、フィリピン側から出席の要請があったそうです。
「比のオブザーバー派遣要請 日本政府は断わる」
(毎日新聞昭和41年10月24日夕刊1面)
「【マニラ二十四日石塚特派員】フィリピン政府はマニラ会議に、フィリピン駐在の竹内大使をオブザーバーとして出席させるよう配慮してほしいと要請したが、日本政府はこれを断わった。フィリピン政府筋が二十四日明らかにしたところによると、この要請は東京マニラの双方で行なわれたもの。
フィリピン政府は、マルコス大統領がハワイで訪日前、マニラ会議の構想を明らかにした際、日本政府がいち早く出席を断わる意向を表明したため、希望はもっていなかったが、日本がたとえオブザーバーでも出席させることは、会議の意義と内外に与える印象を大幅に変え、会議の威信を高めることになるので重ねて要望したものである。」
『ベトナム戦争参戦国会議』の色合いが強いので、日本としては出席は難しかったんでしょう。
「紅衛兵北京にくるな 中共布告 消費生活と交通乱す」
(読売新聞昭和41年10月24日朝刊1面)
「【北京・関特派員二十三日発】中共中央はこのほど、全国から押し寄せる地方紅衛兵のため北京の消費生活と交通に困難をきたし、地方紅衛兵の間にも病人がふえている事実をはじめて認めた。このため、地方紅衛兵の北京入りを二十日から四日間停止すると布告、統制をいっそう強化することになった。
中共中央と国務院が二十日付けで全国の各省、市、自治区の党委員会と人民委員会(地方政府)の鉄道部に発した布告は次のようにのべている。
「北京にはすでに全国から革命師生(教師、学生)百五十万人が来ている。このため北京の接待能力、食事、宿泊所などに困難をきたし、生活物資の供給は苦しくなった。交通はマヒし、気温の低下にしたがって、北京に来た外地学生の閲に病人がふえている。このため二十日から四日間地方革命師生が北京に来ることは停止されることになった。鉄道部は現在北京にいる革命師生が北東を離れたあと、こんごは組織的、計画的に北京入りをさせるようにされたい」」
百五十万といえば、ちょっとした大都市の人口ですからね。これだけの人口が一気に増えれば食糧難にもなりますわな。それにしても、中共の人口の多さに改めて驚愕。
「英国で大物スパイが脱獄」
(毎日新聞昭和41年10月24日朝刊15面)
「【ロンドン二十二日ロイター=共同】英国で大物スパイ、ジョージ・ブレーク(四三)が二十二日夕ロンドン西部の刑務所から脱走、ロンドン警視庁は全国に手配して行方を追っている。英国の元外交官、ブレークは九年間にわたってソ連のスパイをつとめたかどで禁固四十二年の判決を受け、五年前から服役中だった。彼のスパイ活動の内容はだれもはっきり知らず国際スパイの世界でも大きなナゾに包まれた人物である。
ブレークは裁判で、英外務省勤務時代の九年半に、手にふれた公式文書は全部ソ連に手渡したことを自供したといわれる。判決のあったあと、彼は英国の軍情報部員だったのが、二重スパイになったのだという報道が流れていた。」
脱走したという事実だけでその手口もなにも記載されていないので、何が起こったのかよくわかりませんが、禁固刑の囚人を収容するような厳重な刑務所から脱走したというところはスゴイ。やっぱり、陰でKGBが糸を引いているんでしょうか。
今日の殺伐
「帝劇のセリで死ぬ 修理の作業員」
(毎日新聞昭和41年10月24日夕刊11面)
「二十四日午前四時五分ごろ、東京千代田区丸ノ内三の一二、帝国劇場一階の舞台下で、セリの機城講整をしていた世田谷区下馬町一の二五九、三精工事サービス会社技術員、田畑耕一さん(三○)は、動き出したセリと床の間にはさまれた。悲鳴で近くにいた作業員がセリを止め、日比谷病院へ運んだが内臓破裂ですでに死んでいた。
二十三日夜「中村吉右衛門襲名歌舞伎公演」のあと、セリの調子が悪いので、田畑さんら三人が機械の調整をした。二十四日午前四時ごろ、調整を終わり、田畑さんがセリのスキ間からはいでようとしていたのに気づかずスイッチを入れたらしい。」
これはかなりイタイ事故ですね。セリは、そんなに早く動かないと思うんですが、タイミングが悪かったんですかね。徹夜の作業中のようで、疲労で注意力が落ちていたのも原因でしょうけど。
「高校生が千円札を変造」
(毎日新聞昭和41年10月24日夕刊11面)
「二十三日午前十時二十五分ごろ、東京台東区上野公園内上野動物園入口の両替所で、若い男が四つ折にした干円札を出し両替した。事務員、堺谷晶子さん(四三)が受け取った札を広げたところ、二枚にはがした裏側だけで、ワラ半紙が張りつけてあった。堺谷さんは同事務員、玖島武さん(三一)に声をかけ、自転車で逃げようとしていた男を玖島さんがつかまえ、上野署員に引き渡した。
同区内に住む都立高校三年のO(一八)で、十五日夜、母親からもらった千円札一枚を二枚にはがし、表側は翌十六日午後五時ごろ、同区北上野三の三一の七、タバコ屋、高橋伸治さん方でハイライト一個を買いおつりを受け取った。」
お札を二枚に剥がすのは結構大変な作業だと思うんですが、千円札だとたとえ成功してもその努力は報われないような...。
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1966-10-24T02:19:51+09:00
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著作権法改正草案できる
昨日伝えられた、イギリスのボタ山災害の続報です。
「死者百三十人に 英のボタ山惨事」
(読売新聞昭和41年10月23日朝刊15面)
「【アバファン(イギリス)二十二日発UPI=共同】二十一日朝ウェールズのアバファンで起きたボタ山くずれの事故の犠牲者の数は二十...
「死者百三十人に 英のボタ山惨事」
(読売新聞昭和41年10月23日朝刊15面)
「【アバファン(イギリス)二十二日発UPI=共同】二十一日朝ウェールズのアバファンで起きたボタ山くずれの事故の犠牲者の数は二十四時間後の二十二日朝現在、死者百三十人(うち八人がおとなで残りは子ども)となった。救助当局はさらに九十人の学童が下敷きになっているとみている。」
何人かの子どもは『奇跡の生還』を果たすかと期待していたのですが、残念ながら難しいようです。
新聞斜め読み
「著作権法改正草案成る 保護は「死後50年」 音楽演奏に許諾権認む」
(毎日新聞昭和41年10月23日朝刊1面)
「著作権制度の抜本的改正作業を進めている文部省では、このほど「著作権および隣接権に関する法律草案」をまとめ、二十二日の著作権制度審議会に報告した。この改正草案は同審議会が四月二十日、文相に答申した改善案をもとに文部省文化局が作成したもので、内容の大筋はほぼ答申どおりとなっている。こんどの改正草案と現行法のおもな相違点は(1)著作権の保護期間を現行の「死後三十五年」から主要先進国なみに「死後五十年」に延長した(2)現行法制定のさいには予想されなかった映画、ラジオ、レコードなどのいちじるしい普及発達という時代の進展に見合うようこれらの分野における著作権を明確にし、強化した(3)あらたに著作隣接権を創設した などである。文部省ではこの改正案を審議会や関係各界に示してさらに意見や批判を聞き、できればつぎの通常国会に法案を提出、四十三年一月一日から施行する方針である。」
「持つ側・使う側の対立深まる 著作権法改正案の問題点 使用料の額が問題 コーヒー代が上がらぬ程度に」
(日本経済新聞昭和41年10月23日夕刊2面)
「新しい著作権法の文部省草案が二十二日発表された。著作権ということばからはややもすると「文芸や美術の作品に関することだけ」という印象を受けがち。しかし草案は小説から歌謡曲のレコードに至るまで盛りだくさん。テレビの普及、娯楽、遊興施設のはんらんで音楽を使う機会がふえたなどというさまざまな理由がある以上、著作権の範囲が広くなるのは当然だが、それだけに著作権を持つ側と使う側との利害の対立はますます強くなるわけ。こんどの改正草案をめぐり、こんご各方面から賛否両論がかわされそうだが、新しい著作権法の問題点のいくつかを紹介しよう。
『レコード』
改正草案では「レコードを営利目的に使ったら使用量を払わねばならない」とされた。この中には(1)レコード、録音テープの作詞、作曲者に対する著作権の使用料と(2)レコードを吹き込んだ実演家(歌手、演奏者など)の隣接権に対する報酬の二つが含まれている。隣接権に利用料を払うのは当分は放送局とミュージックサプライに限られるが、著作権の方はバー、キャバレー、喫茶店、パチンコ屋、ダンスホールなども含まれている。
このためこれらの業者はこの規定に大反対。「レコード代にはレコードそのものの値段のほかに使用料まで含んでいるものだ」という意見や「今でも作詞、作曲者や歌手は必要以上に高い収入を得ている。なぜこれ以上金を払わねばならないのか」という意見など。(中略)
喫茶店などの中には「レコード使用料を取られると経営が苦しくなり、その分だけ値上げせねばなるまい」という声もある。文部省の方針では一曲いくらというような支払い法ではなく、使用レコードとは関係なしに一ヵ月、あるいは一年間いくらというような方法になりそう。金額も「業界が混乱するようなことがないように」との著作権制度審議会の意見に沿い、コーヒー代値上げにつながる徴収はしない方針。ふつうの町の喫茶店なら当初は年間二、三千円といったごく安い値段からスタートしそう。」
方針としては『業界が混乱するようなことがないように』ってことらしいですが、徴収が軌道に乗ったら調子に乗って金額を上げてくることはないでしょうね。
「PTA婦人役員がサギ 会員から三千万円 亀有 主婦ばかり50人だます」
(読売新聞昭和41年10月23日朝刊15面)
「PTA役員として評判のよかった元小学校の女教員が、PTA会員の主婦五十人をだまして三千万円を借り倒し、二十二日、東京・亀有署につかまった。高利を承知で金を借り、アパートを新築したものの、その利子の支払いに追われてPTA役員の肩書きを利用、他人名義の借用書で主婦たちからかたっぱしに借り歩いていたものだった。
詐欺と私文書偽造行使の疑いでつかまったのは葛飾区亀有、同区立亀青小PTA前総務部長T子(三五)。調べによると、さる二月末、同区亀有の松田源一さん方を訪れ、妻の美代さんに「PTA仲間のMさんが家の新築資金が不足して困っている。貸してやってくれないか」とだまし、Mさんの実印を押したニセ借用書で現金五十万円を借りたのをはじめ、三十九年夏ごろからつかまるまでの二年余の間に同じ手口でPTA会員の主婦ばかり五十人から計三千万円を借り倒した。実印は「学校の用事で必要だ」などといっては借り出し、無断で使っていた。(中略)
なお、T子の夫も同区内の小学校の教諭をしていたが、この事件が明るみに出て二十日付けで退職した。同署では妻の反抗を全く知らなかったかどうか夫からも事情をきく。」
現PTA役員で、元小学校の先生となれば信頼してしまうでしょうね。とはいえ、実印を預けてはいけません。
今日の殺伐
「"かけ落ちに邪魔なので" 幼女殺し自供変える」
(朝日新聞昭和41年10月23日朝刊15面)
「【日立】日立市佐藤徳一郎(二九)=東京・巣鴨拘置所に服役中=の長女初枝ちゃん(三つ)を殺した疑いで二十二日、茨城県日立署につかまった無職羽石賢一郎(二五)は、「公判廷で自分に不利な証言をした兄貴分の徳一郎に仕返しするためやった」と自供していたが、その後の調べで「徳一郎の妻四津江さん(二六)とかけおちしようとしたが、初枝ちゃんが足手まといになるので殺した」と犯行動機の自供をひるがえした。」
昨日のニュースの続報。警察が初動捜査の段階で、母親の証言の矛盾点に注目していたようですが、今日の羽石の自供は、その線に沿ったものといえますね。
「四教官めった打ち 長野鑑別所で二少年逃走」
(読売新聞昭和41年10月23日朝刊15面)
「【長野】二十二日午後十時ごろ、長野市長野少年鑑別所に収容中の少年A(一八)(長野市)と同B(一八)(長野県岡谷市)が二号雑居房でけんかをはじめたため、宿直の滝沢完(五五)南雲正義(三四)清水潔(四五)中沢政勝(五五)の四教官がかけつけとめようとしたところ、A、Bは隠し持っていた長さ約六十センチの木製の窓ワクで四教官をめった打ちにして、庭伝いに同鑑別所北側の高さ約三メートルのへいをよじのぼって逃走した。届け出を受けた長野署は、隣接各署に手配し、二人を捜している。」
まだ捕まっていないようですが、恐ろしい未成年者ですね。そもそも、最初のケンカもヤラセのお芝居だったいうことなんでしょうか。
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1966-10-23T02:48:35+09:00
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イギリスでボタ山崩壊
国連が、昨年の世界人口を発表しました。
「三二億八千万 世界の人口」
(読売新聞昭和41年10月22日夕刊2面)
「【国連本部二十一日発=AFP】二十一日発表された六五年度国連人口統計によると、世界人口は六五年年央現在で三十二億八千五百万人に達した。六四年...
「三二億八千万 世界の人口」
(読売新聞昭和41年10月22日夕刊2面)
「【国連本部二十一日発=AFP】二十一日発表された六五年度国連人口統計によると、世界人口は六五年年央現在で三十二億八千五百万人に達した。六四年からの一年間の世界人口増加は六千五百万人で一日当たり十八万人となる。
東京は二十三区だけでみると八百九十万一千三百四十一人で世界一の人口だが、衛星都市(郊外)も含めた場合は一千六十五万四千人で、ニューヨークの一千百二十六万人についで第二位となる。」
32億と言われても、あまりに大きい数字で実感が湧かない感じ。しかし、衛星都市も含めた人口となると、ロンドンが世界一かと思っていたのですが、意外にもニューヨークだったんですね。
新聞斜め読み
「政府軍が掌握 ラオス空軍の反乱」
(毎日新聞昭和41年10月22日朝刊3面)
「【ワシントン二十一日UPI】米国務省スポークスマンは二十一日、ラオス王国空軍の戦闘機八機がラオスの首都ビエンチャンにある陸軍施設を攻撃したが、これは同国軍内の個人的な派閥争いによるものと思われると述べた。同スポークスマンによると、この空襲はラオス王国軍内の二派閥の激しい抗争の結果であり、政治的に引き起こされ政府にむけられたものではない。
【バンコク二十一日北畠特派員】ラオスで二十一日朝、空軍機がビエンチャン市などを爆撃した事件は、バンコクではクーデターととられていない。事件は政治的背景をもったものというよりは、個人的な対立が高じて爆撃事件をひき起こしたというのが、ほぼ一致した見方である。
タオ・マ将軍は陸軍の実力者クープラシト・アバイ第五軍管区司令官とは仲がよくなく、タオ・マ将軍は更迭され、後任にスリ・ドン・サスリト将軍が新司令官に任命された。従ってこの日の爆撃はこれを根に持った報復行為だとする見方が有力になるわけだ。」
なんと、クーデターじゃなくて、軍の中の派閥抗争を巡る小競り合いだったようです。しかし、人事の不満解消に、正真正銘の『爆撃』を行うってのが、さすがに空軍。ダイナミックですなー。
「低調に終わった反戦統一スト うすいベトナム危機感 批判を呼んだ政治闘争」
(毎日新聞昭和41年10月22日朝刊2面)
「"政治スト"として注目された総評の「一○・二一統一スト」は一般に大きな混乱を起こすこともなく終わった。"ベトナム反戦"という闘争の第一目標からみれば必ずしも成功したとはいえないが、それでも日教組、自治労を中心とする公務員共闘の盛り上がりを支えたものは、やはり"黒い霧"に覆われた佐藤内閣への"不信"という連帯感にあったといえよう。しかし同時にまた一○・二一統一ストは、労働組合と政治闘争のあり方とうい観点から、今の労働運動に大きな波紋を投げかけている。(中略)
労働組合の政治ストは妥当かどうかという問題は各方面から多くの論議を呼んだ。(中略)総評でも執行部の方針が必ずしも組織全体に浸透していたわけではない。ストをひかえて日教組が一般組合側に行なった"半日スト"に対する批准投票からは"ベトナム反戦"のスローガンは消え、人事院勧告の完全実施と地方公務員の給与改定のための財源措置という二点にしぼられていたし、私鉄総連も全国一律最低賃金制を全面に押し出して、"ベトナム反戦"はむしろつけ足し。ベトナムを中核として闘争にのぞんだのは組織内でも最左翼に位する国労ぐらいのものだった。」
やはり、労組の政治闘争にはムリがあるんじゃないでしょうか。労組全体で結束できる目標にしぼらないと、この後の活動にも悪影響が出ると思います。
「ば声の飛ぶ中で 日教組手入れ 入り口で押し問答 来る物が来たと職員」
(日本経済新聞昭和41年10月22日夕刊7面)
「一○・二一ベトナム反戦ストに参加した日教組に対して二十二日早朝から全国で家宅捜索がはじまった。日教組本部をはじめ、東京、岩手、佐賀の三都県で手入れをうけた二百数十カ所の日教組本部、支部などの前では小ぜり合いがあったが、それほどのトラブルはなく、労働歌の合唱の中で捜索が続けられた。
二十二日午前七時すぎ警視庁公安部の捜査員百二十人が東京・神田一ツ橋の教育会館内の日教組と都教組本部の二手に分かれて、一斉に捜査を始めた。まず日教組書記局の前で、捜査員と書記局員の間に「捜査令状を見せろ。指揮者はだれだ」などと十分ほど押し問答が続き、ひともんちゃくがあった。指揮者の警視庁公安部の野口課長代理と森田日教組総務部長の話し合いがつき書記局員の立ち会いで捜査員の捜索が始まった。「警察の暴力行為だ。横暴だ」などのば声が飛ぶ。」
ベトナム反戦ストがらみのニュースもう一つ。今回のストで、日教組にガサ入れです。スト権が無いはずの公務員のストということで、捜索を受けた日教組側の対応も手慣れた感があります。
「学童ら二百人生埋め 英国 学校にボタ山崩れる」
(毎日新聞昭和41年10月22日朝刊15面)
「【ロンドン二十一日佐藤特派員】英南ウェールズ地方の山あいの炭坑町で、二十一日朝、ボタ山がくずれ、そばの小学校や住宅家屋の上に襲いかかり、学童、教師、住民が生き埋めになって死亡するという大事故が起きた。現在までに判明したところでは、学童二十人と教師四人、一般住民五人が死体で発見された。また学校側の発表では百七十二人(学童百六十九人と大人三人)が行方不明で、これらは生き埋めになっているものとみられる。(警察は行方不明は百人以上としか発表していない)これだけの事故はウェールズの炭鉱地帯でも史上初めてである。
事故が起きたのは南ウェールズのアバーファンという小さな村。朝九時三十分、野積みのボタ山の山家連日の雨でたっぷり水を含み、泥状になって地震のような音をたててくずれた。ちょうど朝のクラスが始まったばかりで小学校の子供たちと教師はくずれ落ちたボタや校舎の下敷きになった。
村当局は直ちに"緊急事態"を宣言、英女王エリザベス二世も小さな子供たちの犠牲をいたんでメッセージを送った。」
「一六三人まだ下敷き 英国のボタ山惨事 国あげての救援むなし」
(毎日新聞昭和41年10月22日夕刊11面)
「【ロンドン二十二日佐藤特派員】南ウェールズの片田舎、アバーファンで二十一日朝、二百万トンのボタ山がくずれて小学校などを押しつぶした事故は、約二千人の救出隊が出動し、徹夜で作業を続けているが、ボタ山はなお動いており、困難をきわめている。二十二日朝までに六十二人が遺体で発見され、残る百六十三人も絶望とみられている。生き埋めになった二百二十五人のうち、約二百人は七才から十一才の学童で、ウィルソン首相とキャラハン蔵相もかけつけ、国をあげての救援活動を行っている。
事故が起きたのは南ウェールズのアバーファンという小さな村。くずれ落ちたボタ山は、山あいの傾斜に沿って百五十メートルの高さに積み上げられていたもので、二日続いた豪雨で水をふくみ、土台がゆるんで、あっという間にくずれはじめた。ナダレはまず近くの農家を百五十メートルも押し流し、さらに八百メートル下にある小学校の校舎を押しつぶした。先生や生徒たちは逃げ出すひまもなく、一瞬にドロ沼に埋まった。(中略)
現場の光景は悲惨をきわめており、四、五人固まってしっかり手をつなぎ合った遺体が、母親たちのひきちぎれるような叫びの中を引き揚げられている。」
古くからの炭坑町の災害のようですが、山の斜面に作ったボタ山の危険性は指摘はされていたようです。ただ、斜陽のイギリス石炭産業の力では、一旦できてしまったボタ山の後始末は難しかったんでしょう。日経新聞の22日夕刊7面のよると、事故当日は午前中までの授業だったそうで、ボタ山の崩落が2時間半遅ければ子供の被害は大幅に減っていただろうとのこと。ご冥福をお祈りいたします。
「100人は楽です ソ連から 世界最大のヘリ」
(朝日新聞昭和41年10月22日朝刊15面)
「【新潟】世界最大といわれるソ連製ヘリコプターが二十一日午後新潟空港から飛立ち、同午後三時半大阪空港についた。同市で開催中の第二回ソ連産業見本市に出品されるため、十八日夕ソ連船で新潟港に運ばれた。
図体が大きすぎて、陸揚げや組立てに手こずり、二日間もかかったため出発が遅れた。約三十四メートルの機体に長さ十六・五メートルの回転翼が五枚もついていて、重さは二十八トンある。自衛隊で使っているヘリの十倍、百人は軽く運べるという。」
記事中では機種名が書かれていませんが、ミル設計局開発のMi-6ですね。ともかくデカイです。日本までは船で運んだようですが、直接ソ連から飛んで来なかったのは何故なんでしょう?
「天皇のお車にいかがです 日産が貴賓用八人乗りを披露」
(毎日新聞昭和41年10月22日夕刊10面)
「国産初の貴賓用八人乗り大型リムジン「日産・プリンス・ロイヤル」の特別試作車が二十二日、東京芝のプリンス・ホテルで日産自動車によって披露された。
この八月、同社に吸収合併されたプリンス自動車が昨年九月、宮内庁から「天皇のご料車として試作してほしい」と注文を受けていたもので、日産自動車は「性能もよいのできっとお買い上げいただけるだろう」と自信満々。発表も大安吉日のこの日を選ぶという気のつかいようである。(中略)
日本はこれで米英独に次ぎ、国産リムジンを持つ四番目の国となったわけ。日産自動車では「宮内庁の了解が得られれば一般の方のご注文にも応じます」といっているが、値段の方は公表できないとか。」
日産側は『宮内庁の了解が得られれば一般の方のご注文にも応じます』と言ってますが、宮内庁は許さないような...。もしヤクザの親分さんが発注しちゃったりすると、どうするんだろう。
「その"微笑の女"を追え ダンヒル・ライター専門に デパート軒並み被害 都内 魔術のよう、ケースから」
(毎日新聞昭和41年10月22日朝刊15面)
「東京の銀座、有楽町、日本橋などのデパートに現われ、一個二十万もする英国製ダンヒル・ライターとともに姿を消す"ナゾの女"を丸の内、築地、中央署で追っている。三十七、八才、品のいい洋服の着こなし、男女二、三人の共犯がいるらしい。二十日白昼、銀座で起きた二百七十万円のダイヤ指輪盗難事件のときも、同一人と思われる女がいた。八月以来、東京都内のデパートのほとんどが軒並みやられ、被害はダンヒル・ライターばかり百万円以上、もしダイヤ事件も同じ女だとすれば三百万円以上にのぼる。
事件はいつも女の"やわらかい微笑"ではじまる。今月四日午後零時半ごろ、千代田区有楽町"そごう東京店"の一階高級雑貨売り場。店員、山崎昌江さん(二三)の前にニッコリした中年の女が立った。ダンヒルのパイプをしばらく手にしたのち、金と銀製のカフスボタンを出させた。「四十才くらいの人に贈るんだけど、どちらがいいかしら」「電話で本人の好みを確かめる」といって、なにも買わず五分後に去った。あとで調べてみると、近くのショー・ケースの中にあったダンヒルのライター二個(計三万七千円)がなくなっていた。」
『その"微笑の女"を追え』とは、週刊誌の見出しみたいですな。女怪盗ということで、社会部の記者もちょっとシャレた見出しを作りたくなったかな?店員にカフスボタンを出させている間に、ライターを隠し持つんでしょうか。『ショーケースからライターが無くなっていた』ということは、客が直接ライターに触れるように陳列してあったんでしょう。
今日の殺伐
「満員電車で押合い 上級生二人を殺傷 堺の高校生」
(朝日新聞昭和41年10月22日朝刊15面)
「【堺=大阪府】二十一日午後三時四十分ごろ、南海電鉄高野線北野田発難波行普通電車が、堺市中百舌鳥町の白鷺駅にさしかかったとき、電車の三、四両目の連結器付近にいた堺市私立初芝高校三年生の大阪市阿倍野区佐藤清司君(一八)と同市西成区木村実君(一七)の二人が、同校二年生の大阪市住吉区A(一六)と口論、けんかとなりAは持っていたナイフで二人を刺した。
佐藤君は腹部二カ所を刺されており、出血多量のため、大阪労災病院で、同六時四十分死んだ。また、木村君も左腹部を刺され、重体。Aは姿を消し、堺北署は殺人、同未遂の疑いで捜していたが、Aは同日午後十一時五十分ごろ、住吉署安立北派出所へ自首した。(中略)
Aは成績もよく、進学クラスにはいっており、柔道二段だった。」
ケンカの原因はよく分かりませんが、ナイフを持ち歩いていたのには理由があったんでしょうか。記事には、『Aは先月姫路市内の私立高校から転校してきたばかり』とのこと。もしかしたら、転校生ということで周囲の学生と軋轢があったのかもしれません。
「高校生の殺し屋 50万円で幼女殺しの片棒」
(毎日新聞昭和41年10月22日朝刊15面)
「【日立】十六日、茨城県日立市の常磐線沿いの市道わきの鮎川橋下で、同市佐藤四津江さん(二六)の長女、初枝ちゃん(三つ)が死んでいた事件を、殺人とみて捜査中の日立署は、二十一日午後十一時四十分、羽石賢一郎(二五)と同市高校三年生(一八)の二人を殺人容疑で緊急逮捕した。
自供によると、高校生は羽石から五十万円で殺人を頼まれ、十六日午後一時ごろ、日立市常磐線大甕(おおみか)駅前で落ち合い、初枝ちゃんを自宅から「遊びに行こう」と連れだし、午後八時ごろ、鮎川橋上から二人で初枝ちゃんを突き落として殺した。
羽石は初枝ちゃんの父、徳一郎(二九)=窃盗で服役中=と刑務所で一緒だったが、徳一郎に不利な証言をされたのをうらみ、一ヵ月前に知り合った少年を金でつって仲間にした。
高校生の自供によると、十六日夜、羽石と四津江さん方を訪れ、初枝ちゃんを連れ出し海岸近くで殺そうとしたが、かわいそうになり初枝ちゃん宅に引き返す途中に鮎川橋の上で羽石に「早くやれ」とそそのかされ、二人で突き落としたという。その後、高校生が水戸市内で犯行を知人にしゃべったことを刑事が聞き込みわかった。」
10月18日の記事の続報。やはり殺人事件だったようです。復讐するにしても、その不利な証言をした男を相手にせず、高校生を金で雇って三才の女の子を殺すとは、相当な卑劣漢。ただ、気になるのは、18日の記事では、母親自身も捜査対象であるかのように書かれていた点と、殺された初枝ちゃんが事件の前にも顔を縫うほどのケガをしていた点。続報を期待します。
(→At the Moment 2006年10月18日に関連記事あり)
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1966-10-22T03:35:18+09:00
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怪奇!?同じ穴で連続転落死
乗組員たちの処遇は決まったのですが、乗ってきた船はまだ残されたままだったようです。
「引き取りのソ連船現われず 平新艇、下田へ」
(日本経済新聞昭和41年10月21日夕刊7面)
「海上保安庁は"血の密入国事件"の北朝鮮漁船平新艇(一四六トン)を二十一日正...
「引き取りのソ連船現われず 平新艇、下田へ」
(日本経済新聞昭和41年10月21日夕刊7面)
「海上保安庁は"血の密入国事件"の北朝鮮漁船平新艇(一四六トン)を二十一日正午、静岡県焼津沖でソ連船に引き渡す予定だったが、ソ連船が現われないため、午後零時十分、下田港へ引き揚げさせた。」
このスッポカしは、新手のイヤガラセか何かなんでしょうか。
新聞斜め読み
「ラオスでクーデター 空軍機が首都を爆撃」
(毎日新聞昭和41年10月21日夕刊1面)
「【東京二十一日AP=共同】東京に届いた情報によると、ラオスでクーデターが発生したといわれる。これは一航空会社が入手した情報によるものである。
【バンコク二十一日AP=共同】当地にとどいた信頼できる情報によると、ラオス空軍機が二十一日ラオスの首都ビエンチャンにある陸軍キャンプ、参謀部を爆撃したほか、市内の一部の建て物を機銃掃射したといわれる。
【注】この夏以来、ラオスではうち続く内戦と国内経済問題などに対する不満が急速に増大し、今月七日ラオス議会は一九四九年の独立以来はじめて解散を決議、来年一月一日総選挙が行なわれることになっている。また、国内情勢の不安によって、再び軍部勢力の政治関与が取りざたされていた。」
詳報はまだのようですが、記事中にあるように軍部による体制内のクーデターであって、完全に新しい政権の誕生といったものではなさそうです。ほんとうにインドシナは現代の『バルカン半島』という感じで、キナ臭いことが次々に生じますね。
「総評、ベトナム反戦スト」
(毎日新聞昭和41年10月21日朝刊1面)
「総評の秋の闘争はきょう"一○・二一統一スト"で頂点を迎える。闘争目標は(1)ベトナム反戦(2)全国一律最低賃金制の実施(3)人事院勧告の完全実施(4)石炭首切り、合理化反対、の四点だが、労働組合が"戦争反対"をかかげて実力行使に訴えるのは初めてである。ストの影響は一部組合が内部の組織事情も手伝って戦術を後退させたため大した混乱は起きない見通しだが、政府は"政治スト"という性格を重視して、二十日関係次官会議を開いて対策を協議、スト回避への説得を続ける一方、スト決行のさいには厳重な処分でのぞむとの方針を確認した。」
10月5日のエントリーでも書きましたが、労働組合による政治ストとはいかがなものでしょうか。『餅は餅屋』と言いますが、守備範囲を広げすぎるのは考え物と思います。
「前夜、学生デモ暴走 通行人逃げまどう」
(毎日新聞昭和41年10月21日朝刊15面)
「ベトナム反戦一○・二一ストを控えた二十日夜、東京日比谷公園で、スト支援集会を開いた反代々木系の全学連学生約二千人が、デモコースをはずれ、すわり込みを強行、阻止する警察隊や交番に歩道の敷石を割って投げつけるなど都心の内幸町から西新橋、銀座裏にかけて大あばれをし、十七人が検挙され双方にケガ人が出た。このデモで交通がストップ、都電の乗客二人がケガをし通行人が逃げまわるなどの騒ぎとなった。同夜開かれた「支援国民集会」の主催者、阿部知二氏は「平和への意思表示である反戦ストにはプラスにならぬ」と語り、また支援声明を出した学者グループの一人も「一○・二一ストが誤って解釈されるのが恐ろしい」と訴えている。」
『反戦スト』ということで、久しぶりに学生が暴れております。お約束ですね。学者グループさんの発言も、これまたお約束。
「総評、初の「反戦スト」 一般への影響少ない」
(毎日新聞昭和41年10月21日夕刊1面)
「総評(堀井利勝議長、組合員四百二十一万人)の一○・二一ベトナム反戦統一ストは五十四単産参加、人事院勧告完全実施、石炭産業合理化政策反対、全国一律最賃制確立の秋闘諸要求をからめて二十一日未明から国鉄労組、私鉄、都市交通、炭労、自治労、日教組など約三十単産がぞくぞく時限ストに突入した。わが国の労働運動史上初の"反戦統一スト"だけに突入前の動揺も激しく、自治労の一部と私鉄、全逓で大幅な戦術後退がみられた。また、交通機関のストがいずれも早朝の時限ストだったため、心配された一般への"足の影響"は、ほとんどなかった。」
夕刊にはストの結果が出ていました。一般への影響が少ないというのは、朗報ではありますが、無理なストを打って『戦術後退』などということになれば、労働組合の組織全体の志気が下がると思うんですが...。
「同じ穴で連続転落死 晴海 工場現場の警備員ら」
(朝日新聞昭和41年10月21日夕刊11面)
「二十一日早朝、東京・晴海の工事現場で、見回り中の警備員が地下貯水ソウに転落、一時間にわたる救出作業も空しく死んだ。同じ場所で前日、工事のクズを集めにきた廃品回収業者が転落死したばかりだった。(中略)。
村元さんの落ちた水ソウは、深さ約三メートル、面積約百三十平方メートルで、中には深さ二メートルの水がはいっていた。村元さんが落ちた穴は壁と機械類との間の幅八十センチのせまい通路に口をあけていた。月島署は、穴から中をのぞき込んでいた村元さんが足をすべらして転落、ショックで心臓マヒを起したのではないかとみている。
二十日午後、工事のクズを集めにきた江戸川区廃品回収業佐久間兵江さん(三二)が同じ穴に転落、同日夕、死体となって見つかったばかり。このため同社は現場を立入禁止にしていた。ところが、二十一日の警備勤務だった村元さんが同朝、出勤してこの事故を知り、現場を確認するため鈴木さんの案内で見回っていたときの事故だった。」
なんだか、コワイ事故ですね。村元さんが穴を覗き込んだ時、ひょっとして何か見てはいけないものを見てしまったのでは...。怪談が一つできそうな雰囲気。
今日の殺伐
「手配の「遠藤」が自殺図る 横浜の若妻殺し」
(読売新聞昭和41年10月21日夕刊11面)
「二十一日午前六時半ごろ、東京都大田区の六郷橋下の廃品回収業長島ヒコイさん(三九)方の家の前に置いてあった長イスに男が倒れているのを長島さんがみつけ、蒲田署へ届け出た。同署で調べた結果、二十日早朝横浜市鶴見区の主婦出口徳子さん(二五)を刺し殺した疑いで指名手配中の工員遠藤藤雄(三一)とわかった。
遠藤は救急車で近くの六郷病院に収容されたが、睡眠薬を飲んでいるらしく意識不明。同署では遠藤が手配されていることを知って自殺をはかったものとみている。」
昨日の事件の続報。自殺するなら、巻き添え出さずに一人で死ねよ、と言いたくなりますな。
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1966-10-21T07:18:43+09:00
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親友を元気づけようとして殺人
鳴り物いりで発表されたトヨタカローラですが、いよいよ発売日が決定です。
「トヨタの新型カローラ 来月五日発売」
(毎日新聞昭和41年10月20日夕刊10面)
「トヨタ自動車は二十日、新型大衆車"トヨタ・カローラ"を来月五日に発売すると発表した。」
1077cc...
「トヨタの新型カローラ 来月五日発売」
(毎日新聞昭和41年10月20日夕刊10面)
「トヨタ自動車は二十日、新型大衆車"トヨタ・カローラ"を来月五日に発売すると発表した。」
1077cc 60馬力のエンジンで、価格はスタンダード43万2000円、スペシャル47万2000円、デラックス49万5000円。横綱がいよいよ大衆車市場に来るとあって、ライバルも戦々恐々たる様子。
新聞斜め読み
「中共、板門店会談に欠席 北朝鮮の拒絶で?」
(毎日新聞昭和41年10月20日夕刊2面)
「【板門店(韓国)二十日近藤(隆)特派員】第二百三十回の朝鮮戦争軍事停戦委員会本会談は二十日午前十一時から板門店の停戦会議場で開かれたが、共産側の中共代表は同日の会談に欠席した。中共代表の本会議欠席は十一日の第二百二十九回本会議に続くものであるが、中共代表が連続二回、休戦本会議に欠席したことは異例のことである。
会議の取材に参加した北朝鮮側記者団は、中共代表の欠席を「病気によるもの」と説明したが、南側観測筋は北朝鮮の要請によるものではないかとみている。北朝鮮労働党は六月に中共・ソ連路線を排する"自主独立路線"を打ち出したが、連続二回の中共代表団の欠席は、この自主路線の現われであり、北京・平壌側の意見対立が一層増大していることを示すものとして、今後の動向を注目している。」
韓国側の推測なので確証はありませんが、中ソがここまでこじれると北朝鮮もちょっとソ連の顔を立てないといかん、と判断したのでしょうか。国際的な孤立化を深める中共の打つ手は、次のニュースに。
「中共、近く四回目核実験か」
(毎日新聞昭和41年10月20日朝刊3面)
「【ニューヨーク十九日共同】十九日付のニューヨーク・タイムズ紙が米政府原子力委員会筋の情報として伝えるところによると、中共は近く四回目の核実験を行う模様である。新疆のロプノールにある核実験場では準備が着々と進んでおり、ジョンソン米大統領の極東訪問の時期をねらって爆発させるおそれもある。」
とりあえず、核兵器所有をアピールすることで、孤立化しても平気だぞ、という意思表示を示すというところでしょうね。恐ろしいことですが。
「社説 北京からの報道について」
(毎日新聞昭和41年10月20日朝刊5面)
「いわゆる文化大革命に関する報道について、北京駐在の日本人特派員の活動が、内外から高く評価されている。「文化整風」から紅衛兵の出現にいたる、中共治下の中国の大変動の真相を、最も客観的に報道してくれたのは、北京に特派員を送っている日本各社の通信であった。それによって、われわれは、この隣国に起こった異変の実態をほぼつかむことができたし、東京にいる外国特派員にとっては、それが貴重な取材源になったといわれる。北京には、共産圏諸国と、英仏など中共を承認している国の少数の特派員が駐在するが、外国で、日本人記者の果たした役割が、これほど高く評価されたことは少ないであろう。(中略)
共産中国では「新聞は商品でなく、共産主義の宣伝のために奉仕すべきもの」(人民日報)であって、反党はもとより、党にとって好ましからぬ報道や評論はけっして掲載しない。だから、共産中国で新聞を読むということは、興味や楽しみのためではなくて、党の指導方針を知るための「学習」目的からなのである。
このように、新聞の任務と性格が、わが国のような自由な新聞とは全く違うのであるから、取材源としてのこれらの新聞の読み方が、どんなにむずかしいかも、およそわかるであろう。文化革命についての報道が、比較的自由であるかにみえる理由の一つは、文化革命のおもな対象が「ひと握りの党内の実権派」にあるからかもしれない。文化革命のあらしが一過した後に、ふたたび取材・報道上の困難が強まる可能性もないとはいえない。」
中共が、文化大革命の取材には比較的寛容なのは、この革命の標的が党内の実務派に向けられているからではないか、という推測は面白いですね。この社説によると、文革以前はどこに取材にいくにも当局の許可が必要で、一般民衆を直接インタビューすることなど不可能だったそうです。となると、現在の日本の特派員の報道は、現在のところ中共首脳部の思惑から大きく外れてはいないということなんでしょう。
「バノコン輸入から小売まで---疑惑の筋道」
(朝日新聞昭和41年10月20日朝刊14面)
「とめどもなく広がってきた政界の疑惑のなかでひときわ目立っているのが「バノコン」---バナナ、ノリ、コンニャクの輸入と国内販売をめぐる"黒い霧"で連日、野党の追及はきびしい。十八日の衆院商工委員会で、三木通産相はバナナの取引の実態を「複雑怪奇」と表現したが、この三つは(1)輸入が自由化されていないので、輸入ワクをつかんだ業者の利益が大きい(2)国内需要が強く、高い値段で売れるため、輸入価格との差益が大きい(3)保存がきかない品物なので流通機構の改善がむずかしい、など共通の特徴があり、これらが疑惑を生む背景になっているようだ。「バノコン」が輸入されてから消費者の手に渡るまでの筋道を追い、疑惑の根源をさぐってみよう。」
バナナに関しては、1966年10月18日の日経の記事があったので割愛。ノリとコンニャクは、国内産では足りない部分について政府の許可のもとで輸入しているとのことですが、国内産より安い外国産の物の差額が流通過程や国内産業保護名目での保証ですいとられ、ほとんど国内産と同価格になる。その甘い汁が、周囲にフリまかれているという構造らしいです。
「池袋の中学生とわかる 密航の外国船から電報」
(朝日新聞昭和41年10月20日夕刊11面)
「【横浜】十五日横浜港からハワイ、アメリカ向けのリベリア貨客船オリエンタル・ジェード号で密航、船内で保護された三人の少年は東京・豊島区立池袋中三年(いずれも十五歳)たちに間違いないことが二十日朝、同船から船会社の代理店あての電報でわかった。」
昨日の毎日夕刊の記事が確認されたようです。受験勉強に疲れて海外逃亡を図ったんでしょうか。ところで見つかるまでは、何を食べてたんでしょうか。食料を持ち込んでたのかな。
「運転士失神、国電あわや 横浜線 駅を70メートル行き過ぎる」
(毎日新聞昭和41年10月20日朝刊15面)
「【横浜・相模原】進行中の国電の運転士が激しい頭痛のため失神状態となったため、ブレーキが正常にかからず、停車駅を七十メートルも走り過ぎる事故が十九日夕、国鉄横浜線であった。三十九年にも京浜東北線で同じような所があり、いずれも大事にはならなかったが、多数の乗客の声明を預かるだけに、十分な健康管理が望まれている。
午後四時十五分ごろ、神奈川県相模原市矢部の国鉄矢部駅に八王子発東神奈川行き下り電車が停車せずに約七十メートル行き過ぎてやっと止まった。駅員がかけつけると運転席で関口運転士が頭をかかえて苦しんでおり、すぐ降ろしたがすでに失神状態だった。ブレーキをかけたが、失神状態のためよくかからなかったらしい。(中略)
東鉄管理局・轟富男運転部長の話 失神などで運転士がコントロールから手を離せば、自然にブレーキがかかって電車がとまる"デットマン装置"をつけたものは国鉄にまだない。地下鉄などではとりつけているので、国鉄でも採用しようとしたところ、労組の反対で実現しなかった。」
大きな事故にならなくて何よりですが、『労組の反対で実現しなかった』とは。対立は根深いですね。
「兵器会社へ乱入 無政府主義者?の一団 田無」
(朝日新聞昭和41年10月20日朝刊15面)
「十九日午後一時四十分ごろ、東京都北多摩郡田無町、日特金属工業会社から「黄色のヘルメットをかぶり、白マスクに黒の作業服を着、こん棒を持った十数人があばれている」と一一○番が田無署にあった。パトカーが急行したが、騒ぎは十数分続いて終わったあとで、工場のガラス約五十枚が割られ、電話線、動力線も切断されている。同署は警視庁公安一課の協力で調べているが、日特金属工業はブルドーザーを作るかわわら機関銃などの兵器を生産している会社で、あばれた十数人のグループは西側のヘイを乗越えて乱入、「兵器生産を中止せよ。二一反戦ストを徹底しよう」との反戦ビラをばらまいた。
会社側が制止したため、あばれ出し、本館にある社長室を角材でこわし、電話交換室の電話線を切断、かけつけた総務課長ら社員に目つぶしのはいった袋を投げつけ、窓ガラスを割って逃げたが、けが人はなかった。
警視庁公安一課では、ビラの内容や前後の事情から、さる九月ごろから都内で活動を始めた無政府主義グループの「ベトナム反戦直接行動委員会」のメンバーと見て追求しており、自称町田市森野の大学生(一九)ら三人を威力業務妨害と暴力行為の疑いで逮捕したが、いずれも黙秘している。」
アナキストの登場。電話線、動力線も切断ということで、当局は、経験のある者たちが周到に準備した犯行との見方を強めているそうです。
今日の殺伐
「隣室の人妻を殺す」
(毎日新聞昭和41年10月20日夕刊11面)
「【横浜】二十日午前七時十分ごろ、横浜市鶴見区の会社員、出口恵三さん(二八)方で、妻の徳子さん(二四)の悲鳴が聞こえるので管理人、井梅キヨさん(五二)がかけつけたところ、隣室の運転手、遠藤藤雄(三一)が徳子さんの上に馬乗りになっていた。井梅さんが鶴見署に一一○番して部屋に引き返すと、徳子さんは胸を七ヵ所、鋭い刃物で刺されて死んでいた。遠藤は逃げた後だった。同署は日ごろから徳子さんにいいより、ことわられ刺し殺したものとみて、遠藤を殺人の疑いで指名手配した。」
とんだ隣人。アパートでは、薄い壁の隣の住人がどんな人間なのか分からないですから、怖いです。
「駒沢公園に若い男の他殺体"殺した"と男が自首 」
(朝日新聞昭和41年10月20日朝刊15面)
「二十日午前一時半ごろ東京都世田谷区深沢町一ノ一八○の駒沢オリンピック公園近くの世田谷署駒沢派出所に、二十四、五歳、労務者風の男が「人を殺した」と自首してきたので、身柄を同公園担当の多摩川署に移すとともに、公園内を調べたところ、同二時ごろ、公園内の児童遊園地付近に二十一、二歳の男が首をしめられて死んでいるのを見つけた。
同署で自供した男を殺人容疑で逮捕、調べているが、男はかなり酔っている。」
「"親友を元気づけようとした" 駒沢公園殺人の店員」
(朝日新聞昭和41年10月20日夕刊11面)
「二十日未明「駒沢オリンピック公園で友人を殺した」と、自首してきた男は、多摩川署で調べたところ東京都世田谷区、勝浦洋児(二○)で、殺されたのは高橋孝さん(二○)とわかった。
自供によると高橋さんとは中学時代の同級生で、最近、高橋さんがノイローゼ気味なので元気づけてやろうと散歩に連出し、公園近くのレストランで食事をしウイスキーを飲んだあと公園の砂場でうさ晴らしに取っ組合いをし、首をしめたところ高橋さんがぐったりなったという。」
中学時代の友人が落ち込んでいるので景気づけに酒を飲んで、公園で取っ組み合い、とここまでは青春ドラマのような展開でしたが、まさか力みすぎて絶命させてしまうとは...。もうちょっと加減しろよと言いたい。
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1966-10-20T13:02:50+09:00
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密航中学生、太平洋上で発見
ニュージーランドを訪問予定のジョンソン米大統領ですが、なんと歓迎用の星条旗が払底しているとか。
「"星条旗ヤーイ"」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊3面)
「十九日ジョンソン米大統領を迎えるニュージーランドでは米国旗がほとんどなく、国旗なしの歓迎と...
「"星条旗ヤーイ"」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊3面)
「十九日ジョンソン米大統領を迎えるニュージーランドでは米国旗がほとんどなく、国旗なしの歓迎となりそうだ。大あわての米大使館は八方手を尽くしてはいるが、ニュージーランドは繊維製品の輸入を制限しているうえ、衣料向上はフル操業とあって布製の旗を急いで調達するのは完全に不可能。また紙製の旗も目下印刷業界がスト中とあってお手上げだ。大使館は「捜し出せたとしてもせいぜい一ダースだ」とニュージーランドでの調達をあきらめ、米国からの空輸も考えたが、これも時間的に間に合わないとあってすっかりあきらめの表情」
日の丸だったら、白い布と、丸くくり貫いた台紙と、赤スプレーがあれば、一発でできるけど、星条旗はちと無理でしょうね。
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「共産圏首脳会議開く ベトナム解決に圧力 米へ逆平和攻勢かける」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊3面)
「【モスクワ十八日ロイター=共同】ソ連など九ヵ国の共産圏首脳は十八日、中共およびベトナム問題に関する会議を開始した。この会議はきびしい報道管制の下で行なわれており、九ヵ国の首脳が個別的に会談しているのか、一堂に会しているのかは確認できないが、ソ連筋は会議が終わるまで、おそらくは十九日まで報道管制が続けられようと述べている。この会議にはソ連、東欧六ヵ国の党首脳、首相、国防省のほかキューバのドルチコス大統領、モンゴルのツェデンパル首相が参加している。会議は十八、九の両日続けられるとみられ、全参加者は二十日にソ連南部で予定されている宇宙ロケットまたは軍事用ロケットの発射を見学するものとみられる。
【モスクワ十八日平野特派員】クレムリンが十七日緊急招集した共産圏首脳会議は、昨年十一月、中共の参加拒否でつぶれたポーランド提案のベトナム支援国共産党会議の強行開催であるという見方が当地では強まっている。しかしこんどの首脳海外は中共を除いたベトナム統一行動を検討するにとどまらないだろう。ソ連を中心とする東側諸国は、最近ジョンソン米政権が欧州、アジアで積極的に展開している外交、軍事攻勢に対抗して、同じく世界的な規模での外交、軍事両面の大攻勢を打ち出そうとしていることは確実である。恐らくブレジネフ=コスイギン政権下ではかつてない重要な東側陣営の首脳会議になるだろうと観測されている。」
着々と共産側の体制固めを続けるブレジネフ氏。毛主席の次の一手は如何?
「首脳演説もなく解散 あっけなかった北京の紅衛兵集会」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊3面)
「【北京十八日高田特派員】北京の第四回紅衛兵集会はあっけないほど簡単に終わった。十八日午後零時十五分(日本時間午後一時十五分)天安門広場一帯に"東方紅"の音楽が流れ、毛沢東党主席以下の中共指導者がオープンカー三台に分乗して広場に現われた。サイドカー、ジープなど二十数台の先駆車をたてて、前夜から広場に集結していた紅衛兵の隊列をぬって行進し、そのまま長安街を東に向かい、飛行場近くまで十数キロの道の両側にこれまた午前三時ごろから待機していた紅衛兵の歓呼にこたえながら行進を続けた。
何人かの紅衛兵の話を総合すると、先頭のオープンカーには毛沢東党主席、林彪国防相、周恩来首相、朱徳人民代表大会常務委員長(国会議長)三番目の車に劉少奇国家主席、トウ小平党総書記がいずれも軍服姿で乗っていたようだが、予想以上に早いスピードであったため正確なことはわからない。」
毎日の報道だと、車であっさりと通り過ぎただけだったと否定的な報道ですが、なぜか日経ではオープンカー方式が気に入られたようです。
「毛主席、車でパレード 紅衛兵大会 劉氏も三台目に」
(日本経済新聞昭和41年10月19日朝刊2面)
「【北京十八日=鮫島特派員】毛沢東主席、林彪副主席、周恩来首相らの中共首脳は十八日昼過ぎ、北京天安門広場やこれにつながる長安街を三台のオープンカーに分乗してパレードし、百数十万人にのぼる紅衛兵の歓呼にこたえた。
過去四回の集会が天安門前広場だけで行なわれたのにひきかえ、今回は天安門広場だけでなく長安街から北京空港に通じる道路に延延十キロ以上にわたって紅衛兵をすわり込ませ、この中をパレードするという形をとったのははじめてで、国家指導者と大衆との接触方法に新機軸を開いたともいえる。
この日も天安門広場の周辺や長安街は多数の人民解放軍で警備を固め、外人記者は近寄れなかったため、オープンカーでパレードした指導者の顔ぶれは正式の発表を待つまで明らかではない。」
『新機軸』ったって、ケネディ米大統領が暗殺されたのは同様にオープンカーでパレードしてたからじゃ?
「外国船内に密航三少年 太平洋上で発見」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊15面)
「【横浜】十八日朝、横浜会場保安部と横浜市中区海岸通り三の九、横浜ビル内"オリエンタル・シッピング社"(海運会社)にはいった無線連絡によると、十七日夜、太平洋上を航行中の同社取扱いのリベリア貨客船"オリエンタル・ジェード号"の船内で、日本人少年三人をみつけた。三人は「横浜市西神奈川区(同市に該当区はない)雪見橋のナカムラミノル、ヤマザキアキラ、タカギハヤシ」と名乗っているという。同保安部は神奈川県警に連絡、家出少年などについて三人の身元を捜しているが、該当者がなく、偽名を使っているとみて、オ社に依頼して十八日夜、同船に問い合わせの電報を打った。」
同じ事件が朝日にも載っていました。
「また密航中学生三人 横浜から リベリア船で保護」
(朝日新聞昭和41年10月19日朝刊15面)
「【横浜】十五日夕横浜港を出て、十八日朝日本から二千三百キロの太平洋上をハワイのホノルルに向け航行中のアトランチック・ファーイースト・ライン社のリベリア貨客船オリエンタル・ジェード号から東京・千代田区有楽町一ノ一日活会館内の代理店にはいった連絡によると、同船内に十四歳の日本人少年三人が隠れているのを見つけ、保護した。
昨年十一月にも同港からメキシコ向けのノルウェー貨物船で横浜市内の中学生五人が密航して大騒ぎになったことがある。
横浜海上保安部が調べているが、三人は横浜市内の中学二年生らしく、同市西区の高木、山崎、中村と名乗っており、神奈川県警で手配したところ該当者がなく、偽名とわかった。
同船には船客二十七人も乗っていることから、出港間際にこれらの船客にまぎれて乗込み船内に隠れていたらしい。出港直前、船の警備員が船内をあらためたとき、少年たちの姿はみつからなかったという。
同船は香港―日本―ハワイ―米太平洋岸を結ぶ定期貨客船で、船客の中には日本人三人もおり、船の中国人事務長も日本語を話せるので心配はないといっている。」
偽名の住所が朝日と毎日で微妙に異なっていますが、偽名使っているところをみると、きっと住所も毎日報道のように、適当なウソでしょうね。毎日の夕刊では次のような続報が。
「豊島区の中学生か 密航少年」
(毎日新聞昭和41年10月19日夕刊7面)
「太平洋上を航行中のリベリア貨客船「オリエンタル・ジェード号で発見された密航日本人少年三人について、海上保安庁は身元の確認を急いでいたが十九日朝、東京豊島区立の中学から「本校三年生の三人ではないか」との連絡があった。」
それにしても、日本から2,300km離れたところで見つかるってのがロマンですな。ハワイで下ろされて、強制送還という手はずでしょうか。
「巨人、二年連続の日本一 日本シリーズ 南海と4勝2敗」
(読売新聞昭和41年10月19日夕刊1面)
「読売巨人軍は、昨年に続きプロ野球日本一となった。ことしのプロ野球日本シリーズは、舞台をふたたび巨人の本拠地後楽園球場に移して第六戦が行なわれ、巨人が南海を破って4勝2敗で優勝を決めた。これで八度対戦した巨人−南海のシリーズ通産成績は巨人の7勝、南海の1勝。巨人の連勝は二十六、七、八年と三連勝していらい十三年ぶりのことで、優勝は八度目。これはプロ野球最高記録である。川上監督は、三十六年監督就任いらいシリーズに四度出場し、全勝した。なお、最優秀選手は柴田選手が獲得した。」
おめでとうございます。これで日本シリーズ二連覇ですか。この強さはどこまで続くんでしょう。
「三輪車もろともひかれたのに 電車の下でカスリ傷」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊15面)
「十八日午後、東京葛飾区の京成電鉄の踏切で、二歳の幼女が三輪車もろとも電車の下に巻き込まれた。三輪車はグシャグシャになったが、幼女は頭に軽いけがをしただけで奇跡的に軽いけがをしただけで奇跡的に助かった。(中略)
みゆきちゃん(二つ)は同線上野発成田行き準急(四両編成)に巻き込まれた。電車はそのまま約二十メートル走って止まった。
息をのんだ目撃者の耳に「痛いよー」という泣き声が二両目の電車の下から聞こえた。みゆきちゃんは頭から血を流し、電車の下に倒れていた。急いで近所の病院に運ばれたが、みゆきちゃんは後頭部の皮を四針縫うだけの軽いケガだった。
本田署の調べによると、みゆきちゃんは三輪車の車輪を踏切の板のスキ間にはさんだため動けずにいたが、衝突寸前に三輪車から線路と線路の間にころげ落ち、うつぶせに倒れたため、電車はその上を通過してしまったものらしい。」
みゆきちゃん本人より、事故を目撃していた人のショックが大きそう。心臓の弱い人だったら、
(1)電車が上を通過した瞬間
(2)「痛いよー」という声が聞こえた瞬間
のどっちでも不整脈が出ますよ。まあ、ともかく軽いケガで済んでなにより。
「東南アへ少女輸出 モグリ芸能社を摘発」
(毎日新聞昭和41年10月19日朝刊15面)
「警視庁少年二課は香港、タイの芸能社と結び、踊り子を送り込んでいたモグリ芸能社を内偵していたが、十八日までに東京新宿区内のO芸能社など三十ヵ所を職安法、児童福祉法違反の疑いで捜索、O芸能社員、S(二一)を同容疑で逮捕した。同課が東南アジアへの踊り子あっせんルートを摘発したのは初めて。
調べによると、千田はこの春ごろ、都内のキャバレーで働く踊り子のA子さん(一八)とB子さん(二七)の二人に「海外旅行させてやる」と誘い、沖縄の芸能社に一ヵ月三百ドル(十万八千円)の契約であっせんしたのをはじめ、香港、タイの芸能社にも十数人をあっせん、契約料の三分の一を手数料として取っていた。
O芸能社は、日本女性が海外で評判がよいことに目をつけ、国内のモグリ芸能社約四十社とシンジケートをつくり、東南アの芸能社と契約して過去一年間に、未成年者四十人を含め約百五十人の踊り子を東南ア各地に送り込んでいた。背後にはヤミドル決済、売春がひそんでいると同課はみている。
最初『東南 アヘ少女輸出』と読んで、『アヘ少女』ってなんじゃいな?と思ってしまいました。そうじゃありません。『東南ア(ジア) へ少女輸出』です。石井輝男監督の『女体桟橋』の世界ですねぇ。
今日の殺伐
「突然、母と姉刺す 無免許運転つかまり ノイローゼの少年」
(読売新聞昭和41年10月19日朝刊15面)
「十八日午後十時ごろ、東京都府中市の会社員Aさん(四八)方で長男のH(一八)が、いきなりAさんの妻(四二)と長女(二○)の二人に刃渡り七センチのくだものナイフを振り回し、二人の腹や背中、手などを刺し、重傷を負わせた。
Hはそのまま窓ガラスを破って外にとび出し、近くの商工中金グラウンドの事務所にかけ込み、テレビを見物「こんなテレビがあるからいけないんだ」とこわそうとした。同署の宿直員があっけにとられているうちにHは同事務所のフロ場に逃げ込んだが、捜しにきた父親にみつけられた。
府中署でHを精神障害の発作からきた犯行とみて保護し、調べているが、Hは今春高校を卒業後、二、三の大学受験に失敗、一週間ほど前、友人のバイクを無免許で乗り回し、警視庁第八交通機動隊の白バイにつかまり、二十四日出頭を求められていた。」
商工中金の守衛さんもビックリしたでしょうね。ともかく、こりゃ入院させるしかないですな。
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1966-10-19T12:29:59+09:00
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バナナの秘密
自動ドアと言えば電動ですが、電気を使わない装置が発売されるそうです。
「新製品コーナー 電気使わない自動ドア装置」
(日本経済新聞昭和41年10月18日朝刊12面)
「ジエルコは無動力自動ドア装置"アリバー"を開発、近く市販する。
この当地はドアの前にあ...
「新製品コーナー 電気使わない自動ドア装置」
(日本経済新聞昭和41年10月18日朝刊12面)
「ジエルコは無動力自動ドア装置"アリバー"を開発、近く市販する。
この当地はドアの前にあるマットの下に流体(鉱物湯)を入れた嚢(のう)を装置し、人がマットを踏むと流体を圧縮、その圧力をパイプを通してドア開閉用ピストン機構に伝達、ドアを開く仕かけ。閉じる時はマットのスプリングの力で静かにドアが戻るようになっており、電気装置などはいっさい使わない。」
小売価格も電動式の約半分の7万円前後とか。維持費もかからず、小規模店舗向けにうってつけとか。電気代がいらないってだけで維持費は安くなりそうですね。
新聞斜め読み
「"民主化"へ向かうソ連 "豊かな社会"実現へ」
(毎日新聞昭和41年10月18日朝刊4面)
「この十九日は故鳩山首相がモスクワに飛び、ブルガーニン首相との間に日ソ共同宣言を調印、国交を回復させて十年になる。十年の歩みは日ソ両国関係にとっても、互いに接近し合う歴史的な十年であったが、ソ連自体にとっても大きく変化を遂げた転換期であった。一九五三年のスターリンの死に始まる非スターリン化の時代、この時代を推し進めたフルシチョフの劇的な失脚、そして現在のBK(ブレジネフ・コスイギン)時代の新たな集団指導性の展開、と、いくつかの結節点を送り迎えしながら、ソ連は変容しつつある。中ソ対立の激化、ベトナム戦争をめぐる米ソ共存関係の冷却化など、この間にきわだった国際情勢の変化も、平和維持の観点からソ連の立場をいよいよ微妙かつ重大なものにしている。だが、こうした内外情勢の変化の中で、変わらざるものは西欧流にいえば"自由化"---ソ連指導者が好んで使う表現にしたがえばソ連社会の"民主化"の潮流である。」
共産制県下で「豊かな社会」が実現できれば、いわゆる「自由陣営」への最大のプレッシャーでしょうから、ブレジネフ氏もここが正念場でしょう。BK政権は、フルシチョフの流れをついで、国防・重工業建設だけでなく、消費財・農業振興をはかっているようですが、果たしてうまくいくでしょうか。
「各党、世論調査にショック」
(毎日新聞昭和41年10月18日朝刊2面)
「社会党の成田書記長は、支持率の低下が自民党より社会党の方が激しいというデータにガックリ。「派閥争いがひびいたかな」と首をかしげながらも「あまり佐藤内閣が不人気なので、作為的に野党の方もサジ加減したのではないか」ととんでもないやつ当たり。これにひきかえ西村民社党書記長は「自民党の腐敗政治を阻止できず、いままで政権をとらせていた野党にも責任はある。政党に対するこの不信感が、議会政治そのものに向けられることが恐ろしい。昭和初年、日本は三大強国といいながらも、国民生活は苦しく、政党は腐敗し、このため暗殺事件が相ついで、五・一五事件が起きた」と、昭和史を思い起こしながら、全政党の深い反省を強調した。」
昨日の毎日新聞の世論調査を受けての発言。各党軒並み下げ基調なんですから、民社党の西村さんの認識が正しいといわざるをえませんね。
「食いものにされるバナナ 奇怪な輸入組合の内幕 電話一本で甘い汁」
(日本経済新聞昭和41年10月18日朝刊12面)
「十七日の衆院決算委員会でいろいろな疑惑に包まれているバナナ輸入問題が取り上げられたが、この問題については警視庁もすでに内偵を始めている。そこで輸入業者の実態や、自由化後のバナナ騒動を中心に「うわさの温床」にスポットを当ててみた。
バナナ輸入は、「電話一本でできる」「一生食いはぐれがない」といわれるが、それはバナナ輸入業者のなかに「ペーパー業者」と「ダミー(かえ玉業者)」があるからだ。ペーパー業者は割り当てワクを横流しして、ワクの権利だけでおうける業者。ダミーは少しでもワクを多くとろうとする業者がつくったワクとりだけの"子会社"。電話一本で商売するこれらの"輸入業者"は全体の九割にも達するという(警視庁の話)
昨年九月、正式に通産省の認可を得た日本バナナ輸入組合には千六百数十社のうち六百九十七社が、輸入実績にもとづいて加入を認められた。ところがこの六百九十七社のうちまともに輸入業務をしている会社は七十社ぐらいと、同組合の幹部はいっている。
国府の貿易業務監督機関である外資会と日本バナナ輸入組合との間に毎年秋ごろ、年間の輸入実績が決められる。これにもとづいて組合では業務委員会で加入六百九十七社への割り当てを決定する。総量の一○−二○%は平等割り、残りは前年度の実績(割り当て率)による。組合の事務局は小さいところで五、六百カゴ、大きいところは数十万カゴの割り当てを各業者に電話で知らせる。ペーパー業者は割り当てを横流しするだけだから、この事務局からの電話をいったん受け、この数字をさらに実際の輸入業者に知らせればすべては終わり。これだけのことさえしていれば毎年毎年、永久に一カゴ千円といわれるリベートがころげこんでくる(東京・神田市場のある仲買い業者の話)仕組みになっている。
またこんな例もある。組合の事務局で、割り当てを知らせる電話を業者にかけたところ「チン、ジャラ、チン、ジャラ」というパチンコの音がひっきりなしに聞こえてくるものがあるという(同組合事務局員の話)。つまりほんとうの商売はパチンコ屋というわけ。パチンコ屋だけではない。トルコぶろ、キャバレー経営者、おでん屋さん、菓子屋さんといったものもあるようだ。
ある政治家が関係しているといわれるペーパー業者の事務所は、国会近くの近代的ビルの一室にある。この会社は自由化後、組合一本化の直前に、一回の輸入実績を作って加入した。このようなかたちのペーパー業者がバナナをめぐるとかくのウワサを呼ぶ原因だ。(中略)
これまでのいきさつ
三十八年四月バナナの輸入が自由化された後、日本の輸入業者は競って台湾に出かけ台湾側の輸出団体に多額のプレミアムを払っては輸入契約をとりつけていた。プレミアムはしだいにつり上げられ一カゴ千円以上にものぼった。このためみかねた通産省は、業界の輸入秩序の正常化をはかるため、輸出入取引法にもとづく輸入組合結成の方針をかためた。同法によると一品目について一つの組合しか設立が認められておらず、組合ができれば輸入はすべてこの組合を通さねばならなくなる。
この通産省の意向にそって四十年六月、輸入業者の大手七団体が中心となって「日本バナナ輸入組合」を設立、それに前後して、大手業者中心の組合結成に反対する地方業者、加工業者が「全国バナナ輸入組合」「全日本バナナ輸入組合」という第二、第三の組合を結成した。
この三つどもえの認可合戦当時多くの代議士を通じて政治工作したといわれ、しかもその後、同組合に通産省から役人二人が組合参事としてはいったこともあって、あとあと政治家や官僚をめぐるうわさもいろいろ取りざたされている。
結局、三組合の認可合戦も三カ月後の九月には、通産省の意向通り、日本バナナ輸入組合に認可がおりた。」
昨今話題の、いわゆる「バノコン」の一つのバナナについて、日経に詳しく載っていたので引用しました。根本的には、異国情緒ある果物としてバナナの人気がとても高いので、プレミアムをつけても購入したくなるんでしょうね。バナナ人気が一段落つけば、ヤミ業者の跋扈も納まるんでしょうが。
「ポケットベル 携帯無線呼び出し機 いよいよ実用化 電電公社に業務を委託」
(日本経済新聞昭和41年10月18日夕刊7面)
「新谷郵政相は十八日の閣議後の記者会見で「ポケットベル」業務を電電公社に担当させることを明らかにした。
「ポケットベル」は携帯無線呼び出し機で、いつでも親局から呼び出せるもの。すでにアメリカでは大々的に実用化されている。呼び出し方法は電話のダイヤルを回すだけで回された番号のポケットベルが鳴るという片道連絡方式。(中略)
郵政省、電電公社の考えでは「ポケットベル」はジャーナリスト、医者、セールスマンなど外の仕事が多い業種に向いているが、周波数に制限があるので具体的にどの業種に優先的に認可していくかなどについては今後こまかく検討をしたいという。」
便利は便利ですが、外回りのセールスマンなんかは、今よりも会社の時間管理が厳しくなりますなぁ。世知辛いもんです。
今日の殺伐
「幼女突き落とし殺す? 橋下に死体、母親も追及 日立」
(読売新聞昭和41年10月18日朝刊15面)
「【日立】十七日午前八時三十分ごろ、茨城県日立市鮎川町の市道にかかる鮎川橋から八・六メートル下のコンクリート橋脚台に、幼児の死体があるのを通りかかった人がみつけ、日立署に届け出た。死体の左目と鼻の間には切り傷があり、手術で縫ったときの糸がまだ抜いてないため、日立市内の病院をしらみつぶしにあたったところ、同日夕になって、同市無職佐藤四津江さん(二六)の長女初枝ちゃん(三つ)とわかった。(中略)
十七日夜の調べでは、四津江さんは「十六日夕、友人の男二人と日立駅前で話をしていたところ、男たちが初枝をつれていってしまった。二人に問いただしても答えないので、はぐれたのだろうと思い、朝になったら警察に届けようと思っていた」と供述。なぜ、男たちが初枝ちゃんとつれてゆくのにまかせたのかなど、肝心の点はこたえなかった。
警察では(1)四津江さんの供述があいまいなこと(2)現場は、四津江さん方から約八キロ離れ、三つの幼児が一人で現場まで行ったとは常識では考えられない、などの点から、初枝ちゃんは顔見知りのものに突き落とされたとの疑いも持っており事件当夜の目撃者、物証の発見に全力をあげている。
なお、四津江さんは、初枝ちゃんと二人で暮らしていた。」
死体にあった傷跡が気になりますね。この殺人事件以前にも、誰かに傷つけられたりしていたんでしょうか。
「また警官二人にカラ手 春にも乱暴、退学の国士舘大生」
(読売新聞昭和41年10月18日朝刊15面)
「十八日午前零字四十五分ごろ、世田谷区北沢二の三一の二さき路上で、酒によって大声で歌をうたって歩いている男をパトロール中の北沢署外勤課警ら一係、八津田巡査部長(五五)と佐藤巡査(四一)がみつけ「深夜だから、近所の迷惑になる」と注意した。
ところが、男は「大きなお世話だ」ということをきかないので、軽犯罪法違反の疑いで任意連行しようとしたところいきなり佐藤巡査の顔を数回なぐった。八津田巡査部長が公務執行妨害、傷害現行犯で男の右手に手錠をかけると、男はこんどは左手で、同巡査部長の右手首などをなぐったが、同巡査部長が両手錠をかけて、男を同署に連行した。八津田巡査部長は右手に二週間、佐藤巡査は顔に一週間のケガ。
男は元国士舘大学生、傷害など前科一犯、T(二三)。
Tは大学時代、仲間でから手愛好会をつくり、少林寺けん法を得意としていたが、さる五月二十八日未明、自宅近くの理髪店のガラスをから手でたたき割り、逮捕しようとした同署水浜巡査(四五)の顔をから手でなぐり、一か月の重傷を負わせた。その後、東京地裁で一万三千円の罰金刑を受け、六月はじめ、学校に退学届けを出してやめている。」
ホットテンパーさんは始末に負えませんな。そもそも、散髪屋さんのウィンドーを割ろうとする意味がよく分かりません。思ったような髪形にならなかったのを恨んでの反抗でしょうか(まあ、酔っ払って夜中に暴れてただけでしょうが)。
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1966-10-18T11:54:49+09:00
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佐藤内閣支持率26.2%
来日中のサルトル氏、ボーボアール女史でしたが16日に帰国されたようです。
「"日本の両面(伝統的と現代的)に愛着" サルトル氏、ボーボアール女史帰国」
(読売新聞昭和41年10月17日朝刊14面)
「フラシスの哲学者、J・P・サルトル氏と、女流文学者シモーヌ・...
「"日本の両面(伝統的と現代的)に愛着" サルトル氏、ボーボアール女史帰国」
(読売新聞昭和41年10月17日朝刊14面)
「フラシスの哲学者、J・P・サルトル氏と、女流文学者シモーヌ・ド・ボーボアール女史は、約一か月の"日本休息旅行"を終えて、十六日午後十時半発の北極回り日航機で帰国した。
両氏は帰国を前に同日夕、東京・港区のホテル・オークラで記者会見、日本の印象についてサルトル氏はつぎのように語った。「短い滞在期間なので決定的なことはいえないが、京都と東京のように、伝統的なものと現代的なきわだった両面のどちらにも、強い愛着を覚えた。この二元的な面が将来どんなふうに変わるか、興味深い。広島を訪れたとき、わたしの感覚には耐えられないものに出会うのではないか、という恐れがあったが、出会ったものは活気に満ちた、エネルギーにあふれた人たちだったことが印象深かった。それにしても原爆犠牲者たちが、見捨てられているという感情を持っていることは驚くべきことだど思う。彼らには当然占めるべき場所が与えられなければならない・・・」
また、ボーボアール女史は「自然と人工的なものの混合にひかれた。自然が人工的にろ過され、芸術が生み出されている。その意味で飛行機からながめた福岡付近の、山頂近くまで耕された水田は、人聞の努力に裏打ちされた自然の美しさを感じさせた。日本の女性は結婚など、ある種の風俗習慣のうえでは保守的な面もあるが政治に関心を持ち、自己の解放を望んでいることを知った。婦人解放運動は、もっと視野の広い、人類解放をめざして進めるべきでしょう」といっていた。」
海外の人の日本訪問の感想の紋切り型「伝統的なものと現代的なきわだった両面」ですが、これって日本の専売特許ですかね?建国200年程度の米国はともかく、サルトル氏の本国も含むヨーロッパなんかも両方併存している感じだと思うのですが。
新聞斜め読み
「本社世論調査 深まる"政治不信"の傾向 佐藤内閣支持26.2パーセント 無関心組、大幅にふえる」
(毎日新聞昭和41年10月17日朝刊1面)
「佐藤内閣は八月はじめ第二次改造を行ない、物価安定など六項目の政治の重点目標を明らかにした。しかし、佐藤首相の政治刷新の意気込みにもかかわらず、改造直後の八月五日、自民党の田中彰治代議士が恐かつ、詐欺容疑で逮捕され、九月四日には荒船運輸相の"急行列車政治停車問題"が表面化、政界の腐敗、乱脈を思わせる事件が相ついだ。こうした情勢を国民はどうみているか--- 毎日新聞社は、九月十三日から一週間にわたり全国世論調査を行ない、佐藤内閣に対する支持率、おもな国内政策についての期待度、各政党の支持率などを調ベた。この調査結果で重視される点は、政治に対する無関心組が大幅にふえたことである。国民の半数近い人が政治に失望し、政治不信の傾向が強く出てきたことは注目しなければならない。(中略)
【問】あなたは、どの政党を支持しますか
政党名 | 今回 | 昭和41年5月 |
---|
自民党 | 36.9% | 41.0% |
社会党 | 21.6% | 26.4% |
民社党 | 3.4% | 4.0% |
共産党 | 0.9% | 1.0% |
公明党 | 2.9% | 3.2% |
その他 | 0.7% | 0.6% |
支持政党なし | 32.5% | 22.8% |
無回答 | 1.1% | 1.0% |
(政党の配列順は衆院の議席数による)
「支持政党がない」が本社調査では最高の三二・五パーセントとなり、この結果、各政党の支持率がいずれも下がったが、その内訳は複雑である。内閣支持率では前回調査で不支持を表明した人が大幅に「関心がない」に変わった傾向がみられたが「支持政党がない」は特定の層がこうした意見に変わったとはいえない。「支持政党がない」の比率上昇は全般的なもので、性別、地域別、年齢別などからみて特別な傾向はみられなかった。
この理由は、国民の間にある根強い政治不信は、単に佐藤内閣と与党の自民党だけに向けられたものでなく、既成政治家全体を対象とする広がりをもっているためのようだ。佐藤内閣に対し強い不満を表明した層で、必ずしも自民党支持率が大きく下降せず、一方、社会党の人気が大幅に下がった層がある。自民党の支持率は結党以来最低、社会党は民社の分裂で支持率が急降下した時期があるので最低ではないが、低下率が自民党以上だったのは、社会党も清新さを失った既成政治家の集まりという見方があるためではなかろうか。
自民党の支持率は全体が下がったので、内訳もほとんど下がったが、逆に上がったところもある。また女性に不人気の形が強くでている。男性の支持率は四一・五パーセント(前回より一・ニパーセント減)だが、女性は三二・三パーセント(七・一パーセント減)だ。支持率が上がったのもほとんど男性で、郡部では五〇・七パーセント(三・二パーセント増)三十、四十代の男性、事務・技術系、中小企業主も一〜二パーセント上がった。男女ともに支持率が上がったのは、大学卒などの高学歴者で、男性四〇・八パーセント(一・六パーセント増)女性三三・三パーセント(三パーセント増)となっている。支持率の下降幅が大きいのは、郡部女性三四・一パーセント(一〇・七パーセント減)女性の家族従業者四〇・七パーセント(一〇・三パーセント減)などだ。
注目されるのは、前回社会党より低率だった七大都市、二十代の若年層の支持率がそれほど下がらず、逆に社会党を上回ったことである。七大都市は二七・九パーセント(二・五パーセント減)二十代は二七・一パーセント(二・四パーセント減)である。
社会党の地盤は大幅に沈下
社会党は支持率の低下の幅が自民党よりやや大きいだけに、内訳でも軒並みに下がり、逆に上がったのは管理職・自由業三四・四パーセント(七・四パーセント増)と高学歴者男性の二四・九パーセント(一・四パーセント増)である。また従来、強い地盤とみられていた七大都市、若年層でかなり支持率が低下した。七大都市は二五・二パーセント(五・八パーセント減)二十代二五・九パーセント(四・八パーセント減)と自民党より大幅に低下した。また三十代をみても自民党三〇・七パーセント(三・三パーセント減)社会党二九・○パーセント(三・七パーセント減)でかんばしくない。」
新聞の支持率調査って、政権発足時を除けば、何か大きな問題が生じたときに行われるんで、低めの数字が出て当然のような気もしますが、社会党の支持率が自民党以上に落ちているのが気になりますね。自民の不祥事でチャンス到来のはずが、共倒れ状態になっています。
「紅衛兵運動 内部対立目立つ 壁新聞で功争う 大学生騒ぎ、中高生沈黙」
(読売新聞昭和41年10月17日夕刊2面)
「【北京・関特派員十六日発】中国の紅衛兵運動は、国慶節前後の”一時休戦”から新たな盛り上がりを見せている。壁新聞がふたたび壁という壁を埋め、地方の学生紅衛兵が、ふたたび町にあふれはじめた。だが反面では、紅衛兵運動の方向と路線をめぐって運動内部の対立がようやく複雑、先鋭化し、壁新聞を見ていると何一つ是非の判断のつかない混乱状態を深めているかにみえる。このため党中央が、この"混乱"の中から紅衛兵運動の”建設的成果"をどうとらえて行くか注目されている。(中略)
これに関連して注目されるのは、李雪峰第一書記を批判しているのが主要大学、高専数校の紅衛兵だけで、中学(高校課程を含む)紅衛兵の壁新聞が見当たらないことだ。これは、紅衛兵運動が大学、高専の学生を中心とする少数精鋭の運動にしぼられてきたことを示すものとみられている。また、北京市委員会前に張り出された李雪峰批判の壁新聞は、いまのところ北京大学、北京師範大など五つの大学、高専の紅衛兵のものだけで、清華大学、人民大学をはじめとする他の大学、高専の紅衛兵は、鳴りをしずめているかにみえる。
このため、李雪峰批判は、北京の全大学、高専の総意を代表しているかどうかはまだわからない。総意を代表しているとすれば(したがって、党中央の意向を反映しているとすれば)李雪峰第一書記の失脚ないし後退と北京市委員会の再改組は、免れない。だが、もし李雪峰批判が無実で、シロと断定されれば、紅衛兵運動は、大きな転機を迎えることになろう。李雪峰批判問題の行方は、紅衛兵運動の今後を占う一つの勝負どころとみられている。
というのも、紅衛兵運動には、メッカの北京においてさえ、対立、混乱が目立ってきているからだ。紅衛兵運動には、全国の統一本部はもちろん、北京の統一本部も結成されていない。北京にさえ、いくつかの本部があり、これらの本部間に連絡総本部が設けられて、これが、統一指令を流しているともいうが、統一本部には指導権はないともいう。「首都大専院紅衛兵本部」の結成準備委員会が結成されたかと思うと、同本部は「修正主義のがん強なとりで」という壁新聞が張り出される。
一つの学園、一つの工場内部の紅衛兵同士の対立へ乱闘も数多く「われこそは、毛沢東思想の紅衛兵」とたがいに相手を批判、攻撃した壁新聞を張り出して、対立している。これまで紅衛兵隊長をつとめた学生が"反党分子”としてつるし上げられるといったケースもでてきた。このため、十六日には、北京機械学院の紅衛兵が「紅衛兵の各級指導機構を、即時解散して文化革命委員会の各級指導機構をすみやかにつくり、紅衛兵運動の統一化をはかれ」と呼びかけた壁新聞も張りだされ、関心を集めている。八月十八日の天安門前広場での大集会に始まった紅衛兵運動は、北京の混乱を全国の地方都市にぶちまけた感がある。」
最近は断片的な記事しかなくて、現状がよく分からなくなっていた紅衛兵ですが、読売にまとまった記事がきました。かなり深刻な内部対立が起きているようです。あまり混乱が続くようだと、党中央から一気に粛正されるんじゃないかと。
「劉主席ヤリ玉に 壁新聞 李雪峰の黒幕を示唆」
(毎日新聞昭和41年10月17日朝刊1面)
「【北京十六日高田特派員】十六日、中共の劉少奇国家主席が李雪峰北京市党委員会第一書記の"黒幕"的存在であることを示唆する壁新聞が北京市委員会前に張りだされ、注目されている。この壁新聞は北京建築工業学院鋼鉄戦闘組の名義で「李雪峰同志の回答を要求する」と題された公開質問状の形をとっている。(中略)
紅衛兵の李雪峰北京市委第一書記に対する攻撃が、明らかに毛沢東=林彪路線の意図を反映しているとみられており、この壁新聞にもそうした「党主流派」の意向が反映しているとも思われるからである。十五日に党中央前にはり出された「王光美(劉少奇夫人)式の人物、賀蘭階を引きずり出せ」との壁新闘は十六日タ刻なおそのままである。「文化大革命」は重大な段階に差しかかっているようだ。」
内部対立の深刻化が伝えられる紅衛兵ですが、劉少奇国家主席に対する攻撃は、これまで通り行われているようです。おそらく、この件については毛主席か林彪国防省からしっかりしたおスミつきが出ているんでしょう。しかし、紅衛兵がらみの記事では、しょっちゅう『「文化大革命」は重大な段階に差しかかっている』という記述をみかけるんですが、いったい何回重大な段階に差しかかっているんでしょうか。
「毛・林批判も 北京の壁新聞 チェコ紙報道」
(読売新聞昭和41年10月17日夕刊2面)
「【プラハ十六日発チェテカ=共同】十六日のチェコ共産党機関紙ルデ・プラボによると、最近北京に現われた壁新聞は紅衛兵が武漢で毛沢東中国共産党主席と林彪副主席を公然と攻撃したと述べている。
この壁新聞によると、文化大革命を推進するため最近武漢を訪れた北京大学の一学生は「林彪副主席は革命的でない」と宣言、他の学生は「毛主席の社会的出身階級をさぐってみれば、彼が富農の出であることがわかる」といったといわれる。
これらの壁新聞は紅衛兵をごろつきだとし、若い女に乱暴を働いていると非難、さらに「紅衛兵運動は破壊的であり、反革命的だ」と述べている。」
これは、反紅衛兵のグループが作った壁新聞なんでしょうか、それとも紅衛兵内部で対立するグループを非難するための壁新聞なんでしょうか。
「ブレーキきかずバス暴走 お客さん飛び降りて! 下り坂猛スピード 追突、1人死に11人ケガ」
(読売新聞昭和41年10月17日朝刊15面)
「【中之条】秋の交通安全運動が後半にはいった十六日朝、群馬県吾妻郡草津町の草津有料道路下り坂でブレーキのきかなくなった乗客三十人乗りの定期バスが暴走「飛び隆りてください」という運転手の声に、乗客七、八人が次々に飛び隆りるなかを、時速九十キロに加速したバスは、前を走る家族六人乗りのライトバンに猛烈な勢いで追突、ライトバンを二メートル下の沢に転落させ、一人死亡、五人に重軽傷を負わせた。さらにバスは八百メートル暴走、山林に衝突して横転、乗客六人が重軽傷を負ったが、出発前から運転手はブレーキの異状に気づいていたという。(中略)
バスの乗客などの話によると、河合運転手は始発のターミナル駅に停車中から「おかしい」といいながらブレーキを二、三回踏んでいたという。同ターミナルから七、八百メートル付近のところにある有料道路の料金徴収所から下り坂が続き、約一キロ走ったところでブレーキはほとんどきかなくなった。乗客から「サイドブレーキ、サイドブレーキ」と声がかかり、一時はサイドブレーキで減速、その間に河合運転手が「ブレーキがきかない。飛び降りて下さい」と叫んだため、乗客七、八人が次々に飛び降りた。この間車掌の井草文代さん(一五)も木製車止めを持って飛び降り、乗客の協力で走りながらこれを前車輪の前においたが、勢いのついたバスはこれを乗り越えて走り続け、ついにはサイドブレーキも焼け切れて使えなくなった。このためバスは、一時は九十キロの猛スピードとなって約ニキロ暴走、前を走る斎藤さんのライトバンに迫った。」
亡くなったのは、追突されたライトバンに乗っていた小学六年生の男の子。運が悪いというのか、なんというのか。ともかくも、ご冥福をお祈りします。
「歩行者初めて逮捕 信号無視の酔っぱらい」
(読売新聞昭和41年10月17日朝刊15面)
「十六日朝、東京・目黒区で、酒に酔って赤信号を無視、横断歩道を渡ろうとした労務者が道交法違反現行犯で碑文谷署に逮捕された。歩行者が書類送検されたケースはあるが、逮捕されたのは警視庁管内で初めて。
同日午前十一時二十五分ごろ、目黒区中根一の二の一四さき目黒通り都立大学駅前交差点で、赤信号なのに横断歩道を酒に酔って片手をあげながら渡っている男を交通整理中の同署村上英機巡査(ニ三)が見つけた。
同巡査が笛を吹いて注意したが無視して渡り続け、同通りに車の列ができた。たまりかねた同巡査は男を歩道に連れ出し注意すると逆にくってかかったので、道交法違反現行犯で逮捕した。」
歩行者用の免許証も必要ですな。
今日の殺伐
「老女殺し続けて2件 いずれも一人暮らし 三日に一件の"殺人ペース"」
(読売新聞昭和41年10月17日夕刊11面)
「十七日朝、東京都内で老女が死体で見つかるという事件が二件もあった。杉並区内では会社役員のおばあさんがコン棒で頭部を一撃され、一方の板橋区内では小料理店のおかみがフトンむしにされて殺されており、いずれもひとり暮らしをねらった無残な事件。警視庁は志村、荻窪両署にそれぞれ強盗殺人事件特別捜査本部を置き、犯人追及を始めた。(中略)
また殺人事件が二件。これで一日に連続二件の殺人事件捜査本部が置かれたのは、ことし三回目。一回目は、さる一月二十五日王子の麻雀屋手伝いと巣鴨のバー・ホステスが殺されたとき。二回目は十月二日に大塚での長うた師匠殺しと四谷の売春婦殺し。一日二件の殺人事件捜査本部が三回も設置されたのは警視庁始まっていらいの"おそろしい記録"。
年間の殺人本部数も二十三件となり、昨年の十四件を大きく上回った。五月末以来三日に一件の割りで殺人が起きている勘定だ。」
何度か既に書きましたが、本当に今年は殺人が多いですね。治安の悪化が身にしみるこの頃です。
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1966-10-17T04:20:38+09:00
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怪獣映画花盛り?
本日、日曜日のためもあって、紹介できる記事は少なめ。ご了承ください。
そう言えば、現在公開中の大映映画「白い巨塔」を見てきました。予想外に面白かった。なんといっても田宮二郎さんがハマリ役。田宮さんは、関西弁で芝居をさせるとよりスゴみがでますね。「悪...
そう言えば、現在公開中の大映映画「白い巨塔」を見てきました。予想外に面白かった。なんといっても田宮二郎さんがハマリ役。田宮さんは、関西弁で芝居をさせるとよりスゴみがでますね。「悪名」の時のモートルの貞もよかったなぁ。彼と対決する田村高広のしょぼくれ加減も秀逸。機会があれば是非ご覧下さい。
新聞斜め読み
「口をきわめ中共攻撃 ソ連書記長が演説 米ソ改善、侵略が障害」
(毎日新聞昭和41年10月16日朝刊1面)
「【モスクワ十五日平野特派員】ブレジネフ・ソ連共産党書記長は十五日、クレムリン大会宮殿でゴムルカ・ポーランド統一労働者党第一書記を迎えて開かれたソ連・ポーランド友好集会で演説、中共指導者のベトナム共同行動拒否、ソ連攻撃、国際共産主義運動に対する分裂活動、文化大革命などの罪状を列挙して、これまでにない激しい語調で非難した。また対米関係について、ブレジネフ書記長は核拡散防止交渉の進展を歓迎し、その締結に努力すると述べながらも、ジョンソン大統領の欧州平和のための米ソ協力呼びかけについて「米国がベトナム侵略とは無関係にソ連、欧州社会主義国との関係を改善できると考えるのはとんでもない盲想である」と反論を加えた。(中略)
ブレジネフ書記長の中共指導者に対する非難の激しさは中共が欠席した二十三回党大会でさえ、中ソ会談を提唱したいきさつからみても、ソ連首脳部に決定的な態度を変化があったことを感じさせた。ブ書記長は「全世界の共産党員は中共指導者ではなく、中国人民とともにある。われわれは中国人民には幸福な将来があると信じ、中国が必ずわれわれとともに歩む日がくると信じている」と毛ー林政権に対する敵意をむき出しにした。」
昨日も、ソ連の対中共強硬姿勢の記事がありましたが、さらに一歩踏み込んだ様子。中共政府は相手にせず、直接中国人民に話しかけるポーズをとってきました。
「労働者が反紅衛兵スト 北京 紡績工場で一カ月余」
(毎日新聞昭和41年10月16日朝刊3面)
「【北京十五日共同】十五日、中国共産党北京市委員会前にはり出された北京第一綿紡工場(従業員二千七百人)「全革命労働者」などの連名壁新聞によると、同工場では紅衛兵運動に抵抗する百五十一人が職場を放棄してすでに三十七日にわたりストライキを行っていることがわかった。紅衛兵運動に抵抗するストライキが行なわれている事実が明らかにされたのはこれが初めて。」
これは、紅衛兵側の発表のようで、『文革に反抗するとんでもない労働者がいる』という非難のための壁新聞らしいですね。なんで、どこまで本当のことなのかは確かではありません。
「サンデー・スコープ 映画 怪獣ブームにもの申す 筋も技術もマンネリ」
(読売新聞昭和41年10月16日朝刊20面)
「映画館のスクリーンを、茶の間のブラウン管を、あれやこれやの怪獣があばれまわっている。いままで怪獣映画を手がけたことがなかった映画会社も、昨年暮れの大映を皮切りに、いま日活が「大怪獣ガッパ」で続き、松竹も「宇宙大怪獣」(仮題)を準備中---。しかし、このブームの裏にも、いくつかの大きな問題がある。"世界的"といい気になっていられるほどの技術でもないし、なによりも企画が完全にマンネリ化してしまっている。これでよいのか怪獣映画と、ブームにもの申してみよう。(中略)
"いつも負けてる自衛隊"は、東宝からはクビになったが、その代わり、いま日活に出勤中(?)だし、松竹にも出勤の予定らしい。登場する人物や、訴えるテーマにしても、ある第一線カメラマンは「どうしてこうもバカな人間ばかりだったり、こうも単純なテーマをわざとらしく強調するのだろうか」と批判する。(中略)
円谷一氏はいう。
「金で解決されるものに不満を並べるだけではダメなのだ。劇場用映画にしろ、テレビ映画にしろ、もっと外貨が獲得できるようになれば、金の問題はすぐ解決がつく。もっとも大切なのは、より高度の技術と、内容をささえるユニークな創作力だと思う」
いま各社に散らばっている技術者を一社に集めてようやくマアマアというのが現在の水準だと、ある技術者はいう。某社の第一線監督は「特撮をあの人にまかせなくてはならない限り、ぼくは特撮ものをとりたいとは思わない」という」
本当に、各社横並びで怪獣ものを作ってますね。その中で、大映の大魔神は、怪獣と時代物の融合ということで、ヒネリが効いていて面白かったですが。"いつも負けてる自衛隊"という文句には、ちょっと笑ってしまいました。でも、上映開始して45分ごろに、自衛隊が完膚無きまでに怪獣を退治してしまう映画は誰もみないような気が。(そういえば、東宝の「空の大怪獣 ラドン」では、陸自がかなり善戦してましたな。)
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1966-10-16T11:02:47+09:00
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文革包囲網
朝日新聞らしからぬ大問題な見出しの記事がありました。
「白と黒半々のシャム双生児 フィリピン紙報道」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊14面)
「【マ二ラ十四日発=AFP】当地の新聞によると、中部フィリピンでこのほどシャム双生児が生れたが、一方は白く一...
「白と黒半々のシャム双生児 フィリピン紙報道」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊14面)
「【マ二ラ十四日発=AFP】当地の新聞によると、中部フィリピンでこのほどシャム双生児が生れたが、一方は白く一方は黒かったという。この子どもたちは、出産後間もなく死亡したが、母親はマクタン空軍基地の行商人で、二十五歳である」
東京医科歯科大学の大倉興司博士(人類遺伝学)のコメントによると、一番あり得るのは、双生児の内の一人が先に死亡していて血行障害で暗く見えたのではないかとのこと。もし、両者が生きているうちにあきらかに色が違っていたとしても、理論的には混血(白人と黒人の混血ということでしょうね)はありえず、双生児のうち片方がアルビノ(白子)状態だったのでは?ということでした。
新聞斜め読み
「来週にも東欧第一書記会議か 「世界党会議よびかけ」」
(読売新聞昭和41年10月15日夕刊2面)
「【モスクワ十四日発=AFP】きわめて消息に通じたソ連筋が十四日夜語ったところによると、ルーマニアを除くソ連圏社会主義諸国共産党の第一書記会議が、中国問題を討議するため、来週あるいはおそくともソ連十月革命記念式典がモスクワで行なわれる十一月はじめ開催されるかもしれない。同筋によると、同会議は中国の文化大革命を共同で非難し、世界共産党会議開催を呼びかけることになろう。またこのほか、東西欧州諸国共産党の指導者による会議が、同様の問題を討議するため、十一月か十二月にモスクワ、あるいは他の都市で開かれる可能性もある、と同筋はみている。」
ソ連の対中包囲網の総仕上げというべきか、まず東欧の共産党会議を開き、それから反文革世界共産党会議を開く予定とか。
「ユマニテ(仏共産党機関紙)の中共批判 マルクス主義逸脱 革命とは文化遺産の破壊でない 紅衛兵への抵抗こそ"健全"」
(毎日新聞昭和41年10月15日朝刊3面)
「【パリ十三日三好特派員】"紅衛兵"のキャンペーンが中共の国際的孤立化をいよいよ決定的なものとしてきたが、モスクワが運動の組織者、林彪国防相、さらに中国人民の団結の象徴である毛沢東主席の名をあげて、それまで押えていた露骨な北京批判を打ち出したのに応じて西欧資本主義諸国の共産党も一せいに中共非難の火ぶたを切った。フランス共産党機関紙"ユマニテ"は九月二十六日から七回にわたって"中国はどこへ行く"と題する一連の大研究報告を発表して"文化大革命"と"紅衛兵活動"の現実を分析、党指導層の"反マルクス・レーニン主義的"な逸脱にきびしい批判を加えた。」
上の記事に関わりますが、クレムリンからのGOサインが出たのでしょうか、西側の共産党からも中共批判が出てきました。
「北京派が全国大会 伊共産党、分裂の危機」
(毎日新聞昭和41年10月15日朝刊3面)
「【パリ十四日三好特派員】イタリア共産党の親中共分派の主力たる"イタリア・マルクス・レーニン主義運動"は十四日からリボルノ市で初の全国大会を開き”新イタリア共産党(マルクス・レーニン主義党)"を結成する予定だが、西欧最大の共産党といわれる同党は分裂の危機に直面した。十一日ローマで開かれた党中央委における演説で、ロンゴ書記長はこの分派活動の問題を事実上無視したが、ロンゴ書記長は、この演説でイタリア共産党として初めて中共非難を公然と打ち出した。イクリア共産党はトリアッチ前書記長の"ヤルタ遺書"に基づいて、これまで少なくも公式には中ソ分裂のなかで中立を守ってきていた。"イタリア・マルクス・レーニン主義蓮動"は三年前発足、イタリアの約二十都市に地方通信員と支持クループを持ち、また北京に特派員を派遣している。」
一方、イタリアでは中共批判が内部分裂の引き金になりそうな勢い。ついに文化大革命が西欧に飛び火したようです。
「延安でも林彪熱高まる 案内者、野坂氏に触れず」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊3面)
「延安には当時日本共産党の野坂参三氏が滞在して、日本人を集めて労農学校を開いていたので、その学校の跡や野坂氏の住居の跡も残っていて、日本人観光者には必ずその説明をしていたが、中山氏の話によると、日共と中共との関係悪化を反映したのか、中国旅行社の案内者は野坂氏のことには全然ふれなかったという。」
観光地にも日共と中共の仲違いの暗い影が...。ここら辺の縦の統制がキッチリとれているところが、さすが共産国。
「北爆、最高の一七三波 米軍は朝鮮戦争上回る」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊3面)
「【ワシントン十四日発=AP】米国防総省が十人日明らかにしたところによると、南ベトナム駐留の米軍は現在三十二万八千人に達し、朝鮮戦争における米軍兵力の最高時である五三年六月の三十二万七千人を千人だけ上回った。これは両国駐留兵力の比較だが、それ以外の支援部隊を含めると、朝鮮戦争の最高兵力四十七万二千八百人に比べ、約六万人少ない約四十一万人である。」
ソ連と中共にとっても泥沼の様相のあるベトナムですが、やはり米国に大しての影響はそれ以上のものがあるようですね。いわゆる"兵力の逐次投入"というカタチになっているのではないかと。
「住宅や職をあっせん ソウルで平新艇の"帰郷勇士"を歓迎」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊3面)
「【ソウル=岡井特派員十四日発】先月二十八日、日本から韓国に送還された北朝鮮漁船「平新艇」乗組員ら帰順勇士ソウル市民歓迎大会が十四日午前十時からソウル市民会館で開かれ、市民、学生ら約三干人が会場を埋め、金(キム)ソウル市長が「ソウル市民証」を贈った。またソウル市から乗組員らには住宅も与えられ、自動車組立ての韓国総業や生命保険会社、交通機関などへの就職もあっせんされた。市民らからの救援物資も驚くばかりで、背広二十四着、定期預金通帳二万ウオン(二万八干円相当)ステレオ四台など山のように贈られた。」
「北朝鮮へ九人帰国」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊3面)
「【KNS=東京】新義州十三日発の朝鮮中央通信によれば、平新艇の乗組員たちは十二日午後、新義州に着いた。また平壌十四日発の同通信によると、平新艇の乗組員九人とその家族は日共、社会党、総評、日朝協会はじめ日本の漁業団体などに感謝電報を送った。」
歓迎ぶりも、南北朝鮮のライバル争いの場ですな。それにしても、北朝鮮側の人は忘れずに日共と社会党と総評に礼状を出すところがエライ。義理堅い。
「来年中に記念塔建設 万国博会場の千里丘陵」
(朝日新聞昭和41年10月15日朝刊14面)
「【大阪】日本万国博協会は十四日、四十五年三月十五日に万国博が開会されるまでの長期スケジュールを発表した。(1)敷地造成は来年はじめから(2)出展申込みの受付けは来年四月から(3)展示館の建設は四十三年秋から---が骨子となっている。とくに記念塔は来年中に建設を終り、高さ百余メートルのたくましい姿を千里丘陵にそびえさせ「万国博へどうぞ」と、開会の二年前からムードをかきたてることにしている。この記念塔は、会場内で一番高い標高七十メートルの丘の上に建設され、総工費は十億円。塔を中心に会場内をスカイウエーが走り、また、会場全体を見おろせる開店展望台もできるので「楽しい設計にしたい」と同協会はいっている。」
二年も先行でシンボルタワー建設ですか。かなりインパクトのある建物じゃないと持たないですね。どんな設計になるんでしょうか。
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1966-10-15T23:57:52+09:00
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ノラ犬スキ焼きと暴力反対
姙娠が報じられたインドネシアのデビ夫人ですが、こんなインタービュー記事がでていました。
「おめでた近いデビ夫人と会見 スカルノ大統領は男の双生児を希望」
(毎日新聞昭和41年10月14日夕刊6面)
「【ジャカルタ藤原特派員】インドネシアのジャカルタは、...
「おめでた近いデビ夫人と会見 スカルノ大統領は男の双生児を希望」
(毎日新聞昭和41年10月14日夕刊6面)
「【ジャカルタ藤原特派員】インドネシアのジャカルタは、いま雨期である。町の南郊スナヤン競技場にほど近いスカルノ大統領第三夫人、デビ夫人=日本名・根本七保子さん=の広壮な邸宅は、雨にぬれて静まりかえっていた。スバンドリオ裁判、KAMI(大学生行動戦線)のデモと、いまなおきびしい情勢下に、デビ夫人の"おめでた"が伝えられている。記者は九日午後、夫人宅の門をたたいた。夫人はとても元気で、気持よく記者たちを迎え、おめでたの事実を認めるとともに、近況をあれこれ話してくれた。(中略)
夫人は、濃紺の地に、花模様の”変わりバティック(ジャワサラサ)々の妊婦服を着ていた。しばらく身体の調子が悪くて、引っ込んでいたためか、色が白く、一段と美しくみえ、血色もよく健康そうだった。(中略)
大統領はおめでたを非常によろこび、男の双生児の出産を希整している。最近は夫人に会うたびに「母親は子供に一生をささげる覚悟をもて」と"母親訓"をひとくさりきかせる。生まれてくる子の名前も決まったようなもの。男児ならばファジャル・マルタ(暁の嵐)は確実。女児ならばカルカット・サリ(星の精)になりそうだという。大統領があげたいくつかの候補から、二人が相綴して選んだらしい。大統領は、男の子には、第一夫人の長男グントウル君(雷鳴)をはじめ、各夫人に生まれた男の子四人に、いずれも天候、気象にゆかりのある名前をつけている。」
ともかく元気そうでなにより。日本での出産を希望しているデビ夫人ですが、マスコミの取材攻勢を不安に思っているとのこと。
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「中国が重大な障害に ベトナム戦 ソ連首相が非難」
(読売新聞昭和41年10月14日朝刊1面)
「【モスクワ支局十三日発】ソ連訪問中のポーランド党、政府代表団とともに国内を旅行中のコスイギン・ソ連首相は十三日、スベルトロフスク集会で演説「中国の分裂路線はベトナム人民と社会主義の利益に大きな損害を与え、米帝国主義と、社会主義ならびに平和と進歩の敵に大きな奉仕をしている」と、文化革命下の中国路線を激しく非難し「分製路線と破壊行動をやめようとしない者には断固たる反撃が必要だ」と述べた。
ソ連の最高首脳が中国の文化革命後、公開の席上で中国を名ざしで非難攻撃したことはこれが初めてである。しかもこれがゴムルカ・ポーランド統一労働党第一書記を迎えた席上で行なわれたことは、これまで中国にやや控えめな態度をとってきたポーランドが、はっきり中国非難の態度をとり始めたことや、この一か月のブレジネフ党書記長の三国歴訪などによる首脳会談でソ連が自信を強め、公然たる中国孤立化の路線に踏み切ったことを示すのではないかともみられる。」
ソ連が、だんだん外堀を埋めてきた感じです。はたして中共の出方は如何。
「日共、西沢中央委員を除名 親中共派の有力幹部」
(毎日新聞昭和41年10月14日朝刊1面)
「日本共産党は、十三日午後二時から第七回中央委員会総会を開き、さきに二ヵ月間の党員権停止処分にした同党中央委員、西沢隆二氏(詩人ぬやま・ひろし)の除名を決定した。この決定は八月から始まった日共内部の中共派粛正の動きの中では、最有力の幹部党員の処分である。
七中総は十七日開催の予定だったが、中共派の宮本指導部に対する反発が強くなったため、先制攻撃をかける意味から西沢氏の除名を急いだものとみられる。
西沢氏は故徳田球一書記長の娘婿で、徳田書記長時代に主流派として活躍、宮本指導部になってからも引き続き中央委員の要職にあった。宮本指導部が中共路線から離脱後、中共派幹部のほとんどが宮本書記長に"忠誠"を誓った中でほか数人の有力幹部とともに親中共路線をとっていた。」
日本でも、上の記事に呼応するように、日共が動き出しました。記事によると、夫人とお子さんは最近までずっと中国に滞在されていたそうです。義父の徳田球一さんも亡命中の1953年に北京で客死してますから、娘さんも中国とは縁があるのでしょうね。
「パリ・デザインナーの既製服進出 大ゆれの男性服飾界 量産、注文服に挑戦」
(読売新聞昭和41年10月14日朝刊8面)
「男子服の流行といえば、ここ数年、二十歳前後の若い人の服装中心で、サラリーマンのビジネス・スーツといわれる紳士既製服は、強烈な個性や、極端な流行の追随はしないのが常識だった。それがこの秋冬の既製服は、積極的にトップ・ファッションを打ち出して販売合戦をくりひろげている。これは、かつてない現象で、服飾界では"メンズ・ファッションの革命期"といいきっているほど。すべての製品が量産販売に移ってきているこのごろ、この男性服の動きは、注文服に押えられていた男性服飾界に大さなクサビを打ち込んだものとして注目されている。そこで、"革命"とすらいわれる男性おしゃれ時代の背景を追ってみた。
紳士既製服の新しい流れのトップは、なんといってもピエール・カルダン、テッド・ラビトスといったフランスの一流デザイナーの作品を既製服に取り入れたことである。しかも、デザインも若い層だけでなく、広く中年層までそろえてある。値段も従来の既製服とほぼ同じとあっては、おしゃれ時代に突入した男性にとって、たしかに見のがせない現象といえよう。」
いよいよ、仕事場の服装にもおしゃれが要求される時代になってきたようですな。まだまだ注文服のシェアが大きい紳士服業界も様変わりの時期でしょうか。
今日の殺伐
「暴力学生まかり通る 学徒援護会の東京学生会館 やっと追放へ決起 ノラ犬スキ焼きに怒る」
(毎日新聞昭和41年10月14日朝刊15面)
「「犬も歩けば棒にあたる」---いろはがるたを地でいくような大学生たちの"暴力反対闘争"が財団法人・学徒援護会経営の東京学生会館(東京新宿区上落合一のニ七六、馬場勇道館長)で持ちあがっている。犬を殺してスキ焼きパーティーを開いたり、同僚学生に殴るけるの乱暴をしたり、国の金で建てた鉄筋五階建のデラックスな会館内で暴力学生がまかり通っていた---一年余り、チンとして小さくなっていた一般学生五百人も、ノラ大の痛ましい死をきっかけについに"暴力追放"に立ち上がった。
「ノラ犬のスキ焼き」事件は七日午前十時ごろのこと。西武電鉄下落合駅構内で拓大四年生K(二四)=会館内三二〇号室=が、同大一年生の後輩を引きつれて茶色のノラ犬(体長六〇センチ)をつかまえ、縄をかけてつれていった。会館内の掃除婦が「かわいそうだからはなして」と何度も助命を懇願してみたがKらはきき入れず、自室わきのベランダで殺してしまった。午後三時ころ、Kらは館内の学生食堂のコック長(ニニ)=学校福祉協会から派遣=の手を借りて犬を料理、その夜、スキ焼きにして拓大の学生(同会館内には二十八人居住)や他大学の学生数人にふるまった。Kの就職内定の祝いのための"壮挙"だったという。
同会館は昨年六月開館、都内四十三大学の五百二十五人が住んでいる。地方出身で経済的に恵まれない大学生のために、国が金額を補助し、学徒援護会に委託している施設だ。
ところが、この一年余り、会館は犬を食べた"豪傑"Kたち拓大グループの暴力に完全におさえられた格好だった。三階の中央部の一角にKらの部屋が並んでいるが、ときどき酒もりして奇声をはり上げ、ドタバタと騒ぎ回り、深夜に及ぶ。ほかの大学の学生が定期試験で目下猛勉強中でもおかまいなし。暴力、傷害も絶えない。ことしの二月十日ごろ、慶応大学の四年生A君(二四)=現在卒業=ら約十人は、拓大生の三人から暴行を受けた。酔って廊下をバタバタと乱暴に走り回っているので、東大の学生が注意したのが原因。(中略)たまりかねた被害学生"一一○番"でパトカーを呼んだが、会館側は館内で処理するからと追い返してしまった。(中略)
しかし「スキ焼き」事件以来、一般学生の間に暴力を排除しようという動きがおこった。「犬のために立ち上がったみたいでおかしいが、とにかく暴力を一掃しよう」---十三日夜九時から館内食堂で有志学生四、五十人が集まって「ノラ犬スキ焼きと暴力反対」の決起大会を開き、結束して「会館を明るくする運動」を起こすことになった。
【騒いだことは反省】
Kの話 犬の肉を食うなんてバカげたこととは思うが、拓大の寮生の伝統的な行事なのでついやってしまった。会館には寮生の規則があるが、拓大生だけでさらに激しい独特の寮訓をつくっている。酔って騒いだこともあるが、暴力で会館を支配したことなんて絶対にない。酒を飲んで騒いだことは申しわけない、と反省している。」
『ノラ犬スキ焼きと暴力反対』ってプラカードを持って学生たちがデモしている姿を想像して笑ってしまいました。しかし、犬スキが、拓大の伝統的行事とはねぇ...。とにかく、自室のベランダで犬を殺すのはヤメロ。血生臭くてかなわん。
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1966-10-14T04:13:35+09:00
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タイのラジオ放送 ロシア語本焚書
昨日の荒船運輸相の更迭で、一気に政局不安が広まりましたが、それに天気が反応したのか、12日夜、東海地方の豊橋市では記録破りの集中豪雨。新幹線がストップして各駅で夜明かしをする乗客が出た模様。名古屋駅では、業を煮やした新幹線の乗客が、駅長室に詰めかけたと...
今日はもう一つ小ネタ紹介。ケネディ米大統領暗殺犯人のオズワルドを射殺したジャック・ルビーの主任弁護人メルビン・ベライさん(五九)さんが、12日札幌市の北海道神宮で結婚式をあげたそうです。朝日新聞の朝刊15面の記事によると、お相手はテレビライターのパトリシア・モンタンドさん(三四)。何回か日本に来て、すっかり日本びいきなったベライさんが、故郷のモンタナ州によく似た北海道で結婚しようとはるばるいらしたそうです。元記事には写真があるのですが、新郎新婦は羽織袴にツノかくしと、完全な和装。しかし、日本語が全くわからないのに神式の結婚式とは。ちなみに誓詞は付添人が日本語で代読したとのこと。
新聞斜め読み
「"中国の文化消滅" プラウダ 文化革命を攻撃」
(読売新聞昭和41年10月13日夕刊2面)
「【モスクワ十三日発=タス】十三日付けのソ連共産党機関紙プラウダは「文化にたいする攻撃」という見出しで北京特派員電を連載、要旨次のように報じている。
一、中国共産党の第八回党大会で採択された文化にかんする決議はすげて忘れ去られ、いまや"毛沢東主義の著作を学び、その教えに従え、彼の良き兵士になれ"---という唯一のスローガンに置き換えられている。"文化革命"という名のもとで進行している政治的粛正運動、その過程で"知識は力"というテーゼが激しい攻撃にさらされているわけだ。
一、その他外国文学の翻訳書を含む数百万冊の書物が、本屋、図書館、個人の蔵書から姿を消しつつある。これらの書物は三輪車や自動車でクズ集めの特定場所に運搬されており、その場所の数はいまや本屋の数よりはるかに多い。その本屋も整理のため数多くが閉店中だが、再開店したさい毛主席の著作とその写真、毛思想を学習した英雄たちの本---以外になにも売るものがない状態だ。」
スターリン時代のことを考えると、『お前が言うな』という感もありますが、逆にあの逆境を生き延びてきた人たちの意見なので、重みがあるとも言える。
「広州でロシア語の書物焼く」
(毎日新聞昭和41年10月13日朝刊3面)
「【香港十一日AP=共同】中共から当地に戻った旅行者が十一日明らかにしたところによると広州市で過去三日間にわたり反ソ・デモが行なわれ"ソ連は中国人民の最大の的"といったポスターが張り出されたほか、紅衛兵により学校および図書館のロシア語書物がすべて焼き払われたといわれる。」
一方、中共は現在こんなご様子。聞く耳持ちません。
「ブラント市長 東ベルリン訪問」
(読売新聞昭和41年10月13日夕刊2面)
「【ベルリン十二日発=AP】ベルリン市スポークスマンは十二日、ブラント西ベルリン市長兼社会民主主党党首は十二日夜、アブラシモフ駐東独ソ連大使の招きを受け東ベルリンで夕食をともにしたと発表した。
消息筋によると、ブラント市長が東ベルリンを訪問したのは一九六一年八月、東ドイツがベルリンの壁を築く数か月前の復活祭以来のことであり、同市長は米軍のチャーリー検問所を通り、車で東ベルリンにはいったが、ベルリンの壁構築以来ドイツ人がこの検問所を使用したのははじめてである。」
有名な、チェックポイント・チャーリーですが、ブラントさんが初めてのドイツ人通過者だったんですな。アジアで東西がもめると、欧州で逆方向の力が働いて融和に向かうみたい。両陣営とも二正面作成は避けたいでしょうからね。
「CMに共産主義者への暗号 タイでラジオ番組に禁令騒ぎ」
(朝日新聞昭和41年10月13日朝刊14面)
「【バンコク=石川特派員十一日発】「アナウンサーの悪フザケの度がすぎる」「暗号を使って共産主義者に通信を送っている可能性がある」といった理由で、タイ政府は十一日からラジオのコマーシャル、電話リクエスト、ディスクジョッキー番組を全面的に禁止してしまった。タイには百近い放送局があるが、資金源のコマーシャルを禁止されてアゴをだす局が続出、タレントの失業問題もおきている。タイに進出している日本の広告会社も、このとばっちりで大あわてだ。
タイのラジオ放送局はほとんど陸海空の三軍と警察、情報局などの政府機関でやっている。といっても、兵隊さんやお巡りさんの小づかいかせぎといった色あいが強く、せいぜい十人ぐらいのスタッフをおいて、コマーシャルのスポンサーから金をもらって番組を流している局が多い。
こういった局では、アナウンサーもほとんどが兵隊さんやお巡りさん、職場の声自慢の連中だ。
だからというわけでもあるまいが、百近くなった局がたがいに競争するせいもあって、最近"素人アナウンサー"の悪ふざけぶりがいささか度を越すようになっていた。(中略)
コマーシャルも、面白半分にスポンサーの名を早口で数十回くりけしたり、たとえばクスリの宣伝なら、アナウンサーの即興でどんな病気にもきくような無責任な放言をする。
こうした実情を知って、タノム首相兼国防相が「こんご三つの番組はまかりならぬ」と禁令をだしたのは九月下旬、同時に首相は「一部のコマーシャル番組の中に暗号が組み込まれていて、東北タイの共産ゲリラや北ベトナム、北京に通信を送っていた疑いがある」と指摘して国民を驚かせた。」
面白い記事ですね。禁止命令自体よりも、軍人や警官の小遣い稼ぎ放送局というのがタイのラジオの実態だという点が興味深かった。ちなみに、この禁令のせいで、広告料が取れなくなり、百近い放送局のうち、八十局が電波を出せなくなってしまったそうです。
「日本人同士が暴力 日共・中共離反で波紋」
(日本経済新聞昭和41年10月13日朝刊2面)
「【北京十二日=鮫島特派員】日共の"反中共路線"明確化以来、日共と中共の離反は北京でもさまざまな事件を引き起こし、北京在住の日本人留学生や中共の政府機関で働く日共党員の除名さわぎや暴行事件がひん発しているが、この波紋はついに日本人の間で壁新聞が張り出されたり、日共を批判攻撃する文書の配布にまで発展している。特に、「赤旗」の北京特派員、細野順一氏が「反中言論」を在北京の日本人に広め、日中友好青年交流を意味のないものとして批判したため、日本人留学生に暴行を受けた事件が、中共側公安当局の乗り出しによって各国外交筋の間でも話題になっている。
さらに最近、「赤旗」が反中的正確の傾向を強くしているとの壁新聞が現われるにいたり、「赤旗」特派員の北京での行動は在北京日本人に反中姿勢をとらせようとするものだとして、中共側も非公式ながら"スパイ行為"だと指摘している。」
異国でいざこざ起こす前に、国内であらかじめ精算しておいていただきたい。
「ジャカルタで漢字追放 軍司令官が指令」
(日本経済新聞昭和41年10月13日朝刊2面)
「【ジャカルタ十一日AP】ジャカルタ地区軍司令官は同市内のあらゆる漢字を引きはがし、ローマ字と置き換えるよう指示している。これは同市内で反中共キャンペーンが盛り上がってきた最初の兆候だが、メダンや中央ジャワのスマランではすでに激しく盛り上がっている。メダンでは約七千人の華商が、中共へ帰るため船を待っている間、学校へ押し込められた。」
昨年の、九・三○事件に続く反共クーデター騒ぎの中でかなりの数の中国系の共産党員が殺されたという情報が出ていましたが、また危険な状況になってきたんでしょうか。
「巨人カードに圧倒的人気 テレビ・ナイターの視聴率」
(読売新聞昭和41年10月13日朝刊10面)
「今年の各地でのテレビ・ナイター中継の全視聴率調査(九月四日現在)が、このほどニールセン社でまとめられた。
それによると、関東の五局で放送した試合数は、セ、パ両リーグとオールスター戦で百四十六試合、平均視聴率は十七・一%だったが、セ・リーグは、平均をずっと上回った二二・四%で、パリーグの三・四%、オールスターの二二%をしのいでいる。
セ・リーグのうちでも、巨人のかんでいるカードは、圧倒的な人気をおさめ、二二・九%を占めているが、中でも、巨人対中日、巨人対大洋は、それぞれ二六・四%、巨人対サンケイが二四・七%、巨人対阪神が二○・一%、巨人対広島が一九・四%となっている。」
読売新聞の記事なので、巨人を持ち上げようという意図は分かるんですが、セパの格差がここまであると、プロ野球界全体を考えれば将来的に危ないような気がするのですが...。
「わかりにくい中野駅ホーム 行先が時間で違う 当分続く乗客の戸惑い」
(朝日新聞昭和41年10月13日朝刊16面)
「「わかりにくい」「どれに乗ればいいのか」---国鉄中野駅を乗降する客から、このところ、こんな苦情や訴えが多い。一日十七万人と中央沿線では、上位の客数を誇る駅だが、これをさばく電車が四つのホームに入りまじって六種類出入りするのが原因。駅員は「日本一の複雑さ」と頭をかかえ、東鉄でも目下解消策はないという。
同駅は、この三月からはじまった営団地下鉄東西線の乗入れで、ホームがこれまでの二つから四つにふえたのはいいが、これにつれて同じホームに入ってくる電車でも、時間によって行先が違ったり、地下鉄と中央線が一本おきに出入りしたり。駅員さえ「わたしたちだって、時刻表を見なければまちがえる。ラッシュのしり押しからは解放されたが、こんどは乗客の問合わせに悩まされている」とこぼしている。(中略)
昼の場合、下りの荻窪方面に行く電車は各駅停車の一番ホームの中央線と、三番ホームの地下鉄から乗入れる電車とがあり、どちらが先に発車するのか乗客にはよくわからない。荻窪より先へ行くには六番ホームにまわらなければならない。」
こりゃ不便。中野駅を使った人なら分かるでしょうが、一番ホームで荻窪行きを待っていたら、三番ホームに先に東西線の荻窪行きが来て、いそいで三番ホームに回ったらドアが閉まってしまって「チクショー」とか言ってたら、次は一番線に荻窪行きがきて、また走っていって間に合わなかった、なんてことがあるんですよね。東西線と中央線各駅でホームを統一すればいいのに。
「種子島でも変なふるまい 大森議員 過労でノイローゼ?」
(毎日新聞昭和41年10月13日朝刊15面)
「【鹿児島・種子島・指宿】国会で追及されている共和精糖グループに対する過剰融資問題の火付け役となった社会党の大森創造参院議員(四八)は十二日、鹿児島県庁で記者会見したさい、奇行を繰り返したが、その後、種子島い渡ってからも奇行が続き、強度の神経衰弱ではないかと心配されている。(中略)
種子島の中種子町にある国民宿舎"つまべに荘"での昼食では源田、鹿島両委員の食卓の上に足を乗せ「二人はオレの部下だ。陳情があるなら科学技術庁より先にオレに連絡せよ」と暴言をはいた。さらに記者団が食事中、クツ下のまま土間におり、歌を歌いながら踊り出した。またロビーで記者団に「会見しよう」と申し入れ二階に上がりかけたが、階段の途中にある踊り場ですわり込み「疲れた」と泣き出した。
このため源田委員らが記者会見をしたが、この席にまたフラフラと現われ「オレは織田信長が大好きだ」といって会見を妨害した。竹崎でも「鉄砲伝来の地、門倉岬を背景に、織田信長を写してくれ」と記者団に注文し、タテ(殺陣)のポーズをとり、出迎えの人を驚かせた。」
昨日の続報。ともかく、悪いことはいいませんから、なるべく早く医者に行って、しっかり休養した方がよろしいかと思います。
(→At the Moment 2006年10月12日に関連記事あり)
今日の殺伐
「片思いの男の放火 杉並の焼身自殺」
(朝日新聞昭和41年10月13日朝刊15面)
「調べでは、関根は四日ほど前、瀬口さんに電話で「おまえたちの家庭をこわしてやる」とおどしたあと、瀬口さんの妻喜江子さん(二七)に会わせろと迫っていたが、放火自殺した十二日にも瀬口さんに電話し「会わせないと家に火をつけるぞ」といきまいたという。喜江子さんが三カ月、坂戸市にある実家へ里帰りした時から関根は喜江子さんに思いを寄せていたらしい。」
昨日の事件『遊びにきた男が放火自殺 杉並の美容院で』の続報。全然『遊びに来ていた』んじゃないじゃないですか。いい加減だなぁ。
(→At the Moment 2006年10月12日に関連記事あり)
「家出少年が集団生活 盗み、おどし、非行の限り」
(読売新聞昭和41年10月13日夕刊2面)
「海水浴場で知り合った少年から四回にわたり百十数万円をおどしとっていた家出少年グループが、恐かつ、盗み、傷害などの疑いで十三日までに東京・三鷹署に逮捕、補導された。グループはアパートの一室でごろ寝、奪った金で買ったくるまで、交通事故を起こして逃げるなど"犯罪意識ゼロ"の無軌道ぶり。逮捕されたのは、主犯の三鷹市、無職S(一九)ら少年六人。このほか少女六人をふくむ九人が同じ容疑で逮捕され、少年四人が指名手配された。(中略)
グループは、ことし八月、愛知県の特別少年院から出院したSを中心に武蔵野市吉祥寺や新宿のキャバレー、ダンスホールなどで知り合ったもので、全員が東京、神奈川、静岡、九州などからの家出少年少女。」
典型的な"愚連隊"の集団。Sが出院したのが八月だから、2カ月もたたずにグループができあがっていた様子。Sの元に集まったのは、かねてからの友人だったのか。もし、出院後に知り合った人間のグループだとしたら、恐ろしく早いネットワーク形成ですね。
「坊や水死、涙の披露宴 東京プリンスホテル 父母と離れプールに転落」
(読売新聞昭和41年10月13日朝刊15面)
「十二日午後、大安吉日でにぎわう東京・芝の東京プリンスホテルで、結婚式にきていた二つの坊やがホテルのプール
に落ちて死んだ。父親が友人の披露宴の受け付け、母親が久しぶりに会った人たちとあいさつをかわしていた間の事故で、夫妻は盛装のまま愛児の遺体を抱きしめていた。(中略)
同ホテル・ナイトマネージャー、高橋谷広さんは「まさかこどもが一人で行くとは考えていなかった。これからはプールの入り口を水ぎわにサクを設け、危険防止をはかりたい」といっている。
結婚式に幼児の事故死とは、なんとも悲惨な事件ですが、読売新聞の社会面の文章には、戦前の雑報記者のニオイが濃くのこっていますね。『盛装のまま愛児の遺体を抱きしめていた。』なんて、明治・大正の懐かしい雰囲気がちょっと感じられます。
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1966-10-13T12:03:30+09:00
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荒船運輸相更迭 紅衛兵インタビュー
喜劇役者の清水金一さんが亡くなったそうです。亡くなったのは十日午前三時。脳内出血だったとのこと。まだ五十四才だったんですね。毎日新聞の朝刊15面にプロフィールが載っていたので引用します。
「甲府市生まれ。十六才のとき東京浅草の軽演劇、清水金太郎一座に...
「甲府市生まれ。十六才のとき東京浅草の軽演劇、清水金太郎一座にはいり、師匠の死後、柳田貞一門下となり、シミキンの名でオペラ館、笑の王国などで活躍。一座を組織して「ミッタラッシャネェ(みっともなくてしょうがない)」「ハッタァスゾ(張り倒すぞ)」の流行語を生み、エノケン、ロッパと並んで"浅草喜劇の三天皇"といわれた。
その後映画にも出演、代表作「シミキンの競輪王」などがある。二十六年の東宝争議以来不運が続き、一時はドサ回りの旅役者をやったこともあり、再三、再起の旗上げ公演を行ったが失敗、三十六年二月には睡眠薬自殺をはかるなど晩年は恵まれなかった。」
「シミキンの競輪王」は正確には「シミキンの無敵競輪王」。この映画は名画座で見たことがありますが、大学生役にしてはちょっと老けすぎじゃないかと思った記憶があります。なかなか、楽しい映画ではありましたが(筋立ては、マルクス兄弟の「マルクス一番乗り」って感じ)、浅草で名をあげた彼としてはあの映画が代表作というのは、ちょっと不本意だったのではないかと。戦争がなければ、彼の旬の時期にもっといい映画を作れていたかもしれません。
新聞斜め読み
「毛思想の学習を怠れば 幹部も地位を失う 人民日報強調」
(読売新聞昭和41年10月12日夕刊2面)
「「毛主席の本を読み」「毛主席のいうことを聞き」「毛主席の指示通りに仕事をやり」「毛主席のよい戦士になれ」という四つのことばは、戦士に対して説いているばかりでなく、まず幹部、ことに高級幹部に対して説いているのである。」
これを"個人崇拝"といわずして、何と言いましょうか。毛主席は、反スターリンの左翼の希望の星だったんですがねぇ。
「劉主席夫人に自己批判要求 紅衛兵」
(読売新聞昭和41年10月12日夕刊2面)
「【ベオグラード十一日発=AP】ユーゴのタンユグ通信は北京電として十一日、紅衛兵が人民に対し劉少奇国家主席夫人の王光美女史を批判するおう要求したと報じた。同通信によれば、劉主席の住居の近くに紅衛兵がかかげた壁新聞は王女史の気持ちが反革命、修正主義者の側に傾いていると非難、女史みずから北京大学に出かけて、自己批判をするよう要求した。」
上の記事にありますが、国家主席の夫人でも毛皇帝の言葉に逆らえば、紅衛兵のつるし上げが待っているようです。
「紅衛兵の幹部と会見 北京の日本人記者団」
(毎日新聞昭和41年10月12日朝刊14面)
「【北京十一日高田特派員】「毛主席の後継者はだれだと思うか」との質問にすかさず「林彪同志」という声が上がった。「どういうわけで?」と反問すると「毛主席は統帥、林彪同志は副統帥である」という答えが返ってくる。すべてを「毛主席語録」と人民日報によって明確に割り切り、直線的に行動する中共の「赤い十代」紅衛兵は、いま、新しい作戦に備えて組織の拡大と強化を急いでいる。北京に常駐する日本人記者団は十日、初めて精華大学付属中学(現在、紅衛兵戦校と改名)を訪れ、同校の紅衛兵幹部と四時間近く紅衛兵運動の成果と将来について討論した。(中略)
ー何百万という紅衛兵が「経験交流」のために、タダで大量の交通機関を使っていることは、国家の経済建設を阻害しないか。
答 われわれは、何よりも政治的なソロバンを優先させる。思想が革命化されれば、必ず経済建設を促進する。精神の力は物質に変えられるからだ。(中略)
ー毛主席の後継者はだれと思うか。
答 (数人が異口同音に)林彪同志。毛主席と林彪同志の健康は中国人民の大きな幸福である。
ー諸君はなぜ毛主席の健康と同時に劉少奇国家主席の健康を取り上げないのか。
答 彼はいぜんとして国家主席であり、最近の人民日報に周首相とともにソマリアに車両を送ったとの報道があった(袁君が質問をそらしたが、一同は無関心な表情をかなりはっきりさせた)。
ー劉主席はこんどの文化大革命で、どのような役割を果たしていると思うか。
答 それは党内の問題で、われわれにはわからない。
最後に「毛沢東思想の神髄は、どういうものだと思うか」と質問したら、数人が一緒に「造反有理」(謀反には道理がある)と叫んだ。」
『精神の力は物質に変えられるからだ』とのことです。だから、それは一回『大躍進』政策で破綻してますって。失敗にも道理があるんですよ。
「荒船運輸相を更迭 後任は藤枝泉介氏 相つぐ不祥事件で」
(毎日新聞昭和41年10月12日朝刊1面)
「佐藤首相は十一日、たび重なる行政上の"失態"を演じた荒船運輸相を更迭し、その後任に自民党総務局長・藤枝泉介氏(元防衛庁長官・川島派)を任命することを決めた。藤枝氏は川島特使(自民党副総裁)とともに東欧三国を訪問、パリに滞在中のため、同日午後、愛知官房長官からパリに連絡、藤枝氏に急ぎ帰国するよう公電を発した。藤枝氏は十三日中に帰国の見込みで、認証式は帰国後に行なわれる。
荒船運輸相は、選挙区(埼玉三区)の国鉄深谷駅に急行列車を停車させるという"職権濫用事件"が明るみに出たさい、佐藤首相に辞意を表明していたが、"預かり"の形となっていた。しかしその後も、運輸関係業者を後援会に入会勧誘した事実などが表面化、さらに十一日には衆院運輸委員会で、同相がさきの日韓閣僚懇談会に民間業者二人を随行の形で同行させた新事実が追求されるにおよんで、首相もついに更迭に踏み切ったもの。」
一点、上記の記事に補足。深谷駅に急行列車を職権濫用で停止させた、というのは荒船氏が乗っていた急行を無理矢理停止させて深谷駅で降りた、というような事件ではありません。彼の地元が深谷市なんですが、それまで急行が深谷駅に停車していなかったのを、急行停車駅にしたという事件です。まあ、職権濫用といえばそうなんでしょうが、特急でもなく急行を停車させるなら、深谷市程度の人口ならそんなに大騒ぎするほどの問題でもないような気が。ま、それ以外の事件はちょっと言い訳できなさそうなんで、辞任はしょうがないとは思いますが。
「大森議員、ノイローゼ 鹿児島視察 記者会見でおかしな言動」
(読売新聞昭和41年10月12日夕刊11面)
「【鹿児島】参議院科学技術振興特別委員会の大森創造委員長(社会)と源田実(自民)鹿島俊雄(自民)委員は十一日に鹿児島県肝属郡内之浦町の東大宇宙空間観測所を視察したあと十二日、鹿児島県知事室で記者会見した。
この席上、大森委員長はイスの手すりに足をかけて寝そべったり机にうつぶせになったり、また、ときどき「なんといった」と、大声で記者の質問を聞き返すなどおかしな言動が多かった。あまり態度が悪いため記者団に注意されたが、会見後記者室を訪れ「わび状を書いてもよい。お許しにならないなら国会議員の辞表も書こう」とあやまった。
秘書の話では、さいきんの激務のほか、共和精糖グループへの過剰融資の追求に対する脅迫で極端なノイローゼにかかり、ここ二週間ほとんど眠っていないという。」
ともかく、ちょっと休憩されたほうがよいのでは。『お許しにならないなら国会議員の辞表も書こう』という謝りの文句が、なんだか尋常じゃないと感じさせます。
「知識人の機能<上> サルトル氏の発言によせて 清水幾太郎」
(朝日新聞昭和41年10月12日朝刊16面)
「サルトルの来日は時期が悪かったように思う。彼が労働者階級への奉仕というマルクス主義的方向でインテリの位置や役割を論じているのを読むと、私たちは、戸惑いというよりは、むしろ苦しいいら立たしさを感じる。(中略)
考えてみると、私たちがかつてサルトルに夢中になっていたのは、まだスターリン主義が生きている時代に彼が反スターリン主義の旗手であったからである。(中略)
サルトルは知らないであろうが、日本には、無能怠惰、専門の領域では何一つ仕事をせず、政治的事件が起こった時だけ、また、だれかがマルクス主義を批判した時だけ、にわかに目を覚まして発言するインテリが多過ぎる。サルトルの来日は、この人々を少しおだてる効果があったように思う。」
清水さんは60年代の安保闘争で活躍された一人だと記憶していますが、その清水さんにして、このお言葉。確かに、サルトル氏の言葉には、現代からのズレを感じさせられました。
「相変わらずガラ空き 都心乗入れの地下鉄東西線」
(朝日新聞昭和41年10月12日朝刊16面)
「地下鉄東西線が竹橋ー大手町間を延長開通して十日余り。都心まで乗入れたが、乗客は相変わらずまばら。ラッシュ時でもつり皮がふさがる程度だから、中央線などでもみくちゃになって通うサラリーマンにとってはうらやましい路線だ。」
営団の思惑通りには行かないようですね。記事によると、一日の乗客数が十万二千人。丸の内線が一日百一万人ということですから、十分の一です。来年には、東陽町まで延伸して、他の地下鉄の路線との乗換も生じるので、その際の乗客増に期待しているとか。
今日の殺伐
「内気な女高生自殺 "共同募金に立たぬ"と責められて」
(毎日新聞昭和41年10月12日朝刊15面)
「【越谷】十一日午後零時ごろ、埼玉県北葛飾郡の江戸川で女学生の水死体があがった。吉川署で調べたところ、千葉県東葛飾郡、加藤三代さん(一五)とわかった。
三代さんは、共同募金のクラス責任者になっていたが、内気な性格のため街頭募金が行なわれた一、二日は欠席した。五日登校したところ、級友から責任を問われ六日から家出していた。」
赤い羽根を殴って売りつけるヤツがいると思ったら、赤い羽根を売るのが恥ずかしくて自殺してしまう人もいるんですね。
(→1966年10月4日に関連記事があります)
「遊びにきた男が放火自殺 杉並の美容院で」
(読売新聞昭和41年10月12日夕刊11面)
「十二日午後二時ごろ、東京都杉並区、美容院佐渡さん方二階の瀬口正義さん(三一)の六畳間から出荷、木造二階建ての店舗併用住宅百三十平方メートルのうち、二階の五十平方メートルを焼いた。焼け跡から瀬口さん方に遊びにきていた関根正史さん(二七)が焼死体でみつかった。
荻窪署で調べているが、関根さんは部屋にガソリンをまいて火をつけ、焼身自殺をはかったらしい。この火事で二階の五世帯、十五人が焼け出された。」
出先で自殺するだけで十分迷惑なのに、『ガソリンをまいて火をつけ』ですよ。自殺するにしても、周囲への影響をもっと考えて欲しいもんです。しかし、見出しに『遊びにきた』という言葉を選んだのが妙ですね。『遊びにきた』と『自殺』がどうもしっくりこないです。暢気に『遊びにきた』男が、唐突に『放火自殺』ですよ、おかしいと思いませんか。『悩みがあって相談しに来ていた』とかだったらすんなり読めるのですが...。『遊びにきた』といのは、瀬口さんの言葉なんですかね。
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1966-10-12T00:50:37+09:00
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赤ちゃん取り違え事件解決
この7月から新発売された7円ハガキの中に、「郵便はがき」という時と夢殿のマークが上下二カ所に印刷されたハガキが見つかったそうです。毎日新聞朝刊の15面によると、見つけたのは横浜市保土ヶ谷区の高杉良夫さん(三○)。保土ヶ谷郵便局から買った二百枚の中の一枚...
新聞斜め読み
「非武装地帯緊張深まる ベトナム 米軍、戦闘態勢を強化」
(毎日新聞昭和41年10月11日朝刊3面)
「【サイゴン十日近藤(健)特派員】十七度線の非武装地帯をめぐる北ベトナム正規兵と米海兵隊、南ベトナム正規軍との戦いは日増しに緊張を深めているが、米軍当局は十日米海兵隊の配置替えと百七十三空てい旅団一大隊のダナン派遣を発表、さらに南ベトナムの海兵隊が非武装地帯南側に一時的にはいった、など非武装地帯の攻防戦は激化しつつある。」
和平どころか、ますます深みにはまっていく感がありますな。
「ソ連に近づく北朝鮮 経済計画の行く手かけ 自主路線も援助しだい?」
(日本経済新聞昭和41年10月11日朝刊2面)
「北朝鮮の金日成首相は五日から開かれた労働党代表者会議で修正主義と並べて教条主義激しく非難し、これまでの対中共一辺倒を改めてソ連との関係を深めていこうとする姿勢を公式に明らかにした。その背景としては、ソ連や北朝鮮が主張しているベトナム援助に関する共同行動を中共があくまで突っぱねているため我慢し切れなくなったという事情もあろう。だが、北朝鮮の対ソ傾斜の決め手になったのはソ連の援助がなくては経済的にやっていけないというフトコロぐあいだったようである。(中略)
北朝鮮の経済がそれほどの不振に陥った原因としては、ひとつには国防支出の増加による負担が大きいことがあげられる。しかしソ連の援助が急減したことはそれ以上に打撃だったといわれている。韓国筋によると朝鮮動乱が終わった一九五三年いらい六二年までにソ連は北朝鮮に六億五千七百五十万ドルの援助を供与し、水豊発電所、興南肥料工場などの復旧、建設に貢献したといわれるが、一九六○年代にはいって北朝鮮が中共に接近するにつれ援助を削減し、一九六一年には無償援助をいっさい停止した。その後有償援助も打ち切ったのではないかと思われるフシが多い。
北朝鮮はこうした窮境を脱するため対ソ関係の改善に乗り出したわけで、ことし六月二十日ソ連が北朝鮮と経済技術協力協定を結んで火力発電所、精油工場、アンモニア工場などの建設を援助することになったことはそうした努力が実を結んでいることを示すものといえよう。
ただ北朝鮮にとっては中共との関係をどう調整していくかということが依然頭痛のタネである。北朝鮮は中共に絶縁状を突き付けるには中共との関係があまりに深い。」
1960年以前は、韓国に比べて工業化にいち早く成功し、経済面ではリードしているように見えてはいましたが、それはソ連の無償援助によるもの大だったんですね。ソ連と中共に挟まれ、右往左往して苦労しているように見えますが、見方をかえれば二股膏薬で二つの国の間にたって、ウマイ具合にお金をせびり取っているとも言えます。
「「赤ちゃん"生みの親"の胸に 静岡の産院取違え事件解決 おばあちゃんも納得 一年八カ月ぶり」
(毎日新聞昭和41年10月11日朝刊3面)
「【静岡】「産院で赤ちゃんを間違えられた」と静岡県吉原市内のタクシー運転手夫妻が静岡地裁吉原支部に訴えた"赤ちゃん取違え事件"は十日、同支部で五回目の調停が行なわれ、二組の親の話し合いがやっとつき、一年八カ月ぶりに赤ちゃんを交換した。もうヨチヨチ歩きのできるほど大きくなった二人の赤ちゃんは複雑な涙にくれる"生みの親"に引き取られた。二人の赤ちゃんが"人違い"であることはこの三月、東大法医学教室の鑑定で裏付けられたが、一方のおばあちゃんが「わたしの孫に間違いない」とがんばったため、同県三島市の国立遺伝学研究所で六月に再鑑定した結果、東大の鑑定とほぼ同じ結果が出た。調停では"おばあちゃんの了解とりつけ"に全力をあげ、結局「二つの鑑定を尊重する」ことで話し合いがつき、産院のミスが確定したわけで、微妙な両親の感情を"科学"が裁いた名調停だった。」
おばあちゃんの反対ですが、記事中にこんな内容が。一回目の東大法医学教室の鑑定にこんな反応を示したとか。
「ところが、Aさん夫妻は、取り替えることを拒んだ。とくに強く反対したのはAさんの両親、T郎さん(五九)とM子さん(五三)。M子さんは「孫かわいさ」も手伝って「鑑定結果がどうだろうと私がこの目で見ていたのだ」と主張し続けた。」
『百聞は一見に如かず』と言いますが、『私の目』を主張されると、手に負えません。見出しには『おばあちゃんも納得』とありますが、実のところはこんな感じ。
「最近では、鑑定を信じようとするAさん夫妻と、孫かわいさのおばあちゃんとの間がしっくりせず、遠藤さん夫妻は、この日の調停にも「おばあちゃんとけんかして出席した」という。」
全然納得してないじゃないですか。なんか、連れて帰ったあかちゃんにM子さんが冷たくあたりそうで心配です。
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1966-10-11T01:49:26+09:00
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初めての「体育の日」
今日は、初めての「体育の日」。天気も良く、行楽地も賑やかだったようです。そんななか、パリーグでは逆転優勝を狙っていた西鉄が敗れ、鶴岡監督率いる南海が優勝を決めました。今日は南海は試合がなかったので、観客がいなかったのが残念ですが、鶴岡監督のからだが、...
新聞斜め読み
「暗いベトナム打開の見通し 米国防長官がサイゴン入り」
(読売新聞昭和41年10月10日夕刊1面)
「【サイゴン支局十日発】マクナマラ米国防長官はカッツェンバック新国務次官、ホイーラー統合参謀本部議長をともない、四日間にわたり、ベトナムの実情視察のため十日午前八時五十分(日本時間同九時五十分)サイゴンに到着した。空港にはロッジ米大使、ウェストモアランド米軍司令官らが出迎えた。マクナマラ長官は空港で「ウェストモアランド司令官、ロッジ大使、チュー国家指導委議長およびキ首相と軍事情勢その他について協議する」と簡単な声明を発表したのち、米軍司令部でただちに会議を始めた。(中略)
同長官は、アメリカが非武装地帯を地上軍で占領するつもりかとたずねられたのに答え「ノー、われわれの目的はいつもと同じであり、それは南ベトナム政府が北からの圧力を恐れることなく活動できるようにすることである。北ベトナムの共産主義瀬政権を倒すつもりはない」と語った。」
現在の戦況では、北ベトナムが南への浸透工作をやめるとは思えないので、アメリカとしても対応は難しいでしょうね。根本的な問題は、南ベトナム側がどれだけ本気で自国の領土を守る意思があるかによるんじゃないでしょうか。朝鮮戦争でも韓国側がかなり不利な戦況に陥ったことがありましたが、韓国人自身に防衛の意志があったために、最終的には38度線で踏みとどまることができたんだと思います。いくら米国が軍事力をつぎこもうと、肝心の南ベトナム人がやる気がないなら踏みとどまれないでしょう。
「ニセの一万円札二枚 同じ犯人か 上野で連続発見」
(朝日新聞昭和41年10月10日朝刊1面)
「八日夜八時半ごろ、東京都台東区上野くだもの店「ツルヤフルーツ」に若い男が買いものに来て、レジ係小沼芳子さん(一八)に一万円札を出して定価千円のウイスキー一本を買った。ところが手ざわりがおかしいので小沼さんが透かしを見たり、社長の塙さんに見せたりしているわずかの間に、男はつり銭をとらずに帰っていった。塙さんの届けで上野署員が調べたところ、ニセの一万円札とわかった。」
結構精巧な造りらしいですが、さらなる大事件につながるんでしょうか。九月に池袋で見つかった偽札に製法が似ているということです。
「「このバチ当りめが!」"被災者の悲しみ"を見物に 足和田 不見識マイカー族 口にガム 女性ひやかす」
(朝日新聞昭和41年10月10日朝刊15面)
「【富士吉田】山梨県南都留郡足和田村の台風被災地に、このところ都会から見物にくるマイカー族がふえ、事件のショックと深い悲しみから抜け出せないでいる地区民をひやかす若者もいて「あまりにひどすぎる」と怒りの声が地元からあがっている。」
野次馬なら野次馬らしく、野次馬の矜持を持っていただきたい。
「「とんでもない」と三人 オソマツ 落語家の盗難」
(読売新聞昭和41年10月10日朝刊15面)
「三遊亭さん生さんからドロボウ呼ばわりされたが、冗談じゃあない。寝ているあいだにポケットから金なんか盗んだおぼえはない。心外だ。」九日付け読売新聞朝刊社会面に掲載された「おそまつでした---ファンに盗まれる」の記事を読んだ学生三人が、同日昼すぎ読売新聞社に"真相"を聞いてくれ、と訴えるとおもに、東京・目白署に出頭した。(中略)
「"さん生さん"の記事に出てくる三人組というのは、ボクたちのことなんですが、ずいぶん、話が違うんですよ。あの夜(七日)十二時ごろ、スナック・バーであったさん生さんはベロベロ。"オレはさん生だ"なんていってましたが、小さなお嬢ちゃん(早苗ちゃん(三つ))が"おウチに帰ろうよ"ってベソかいているのに"ツキアイが悪いぞ"だなんてね。
"さしつさされつ"といってますが、ボクら酒なんか飲まなかった。ココアとスパゲティだけ。勘定も自分で払った。そして、お嬢ちゃんがかわいそうなんでつきそって帰ることにしたんです。下宿が近いのでね。さん生さんの家の前までいったら、彼、カギもあけられないほどなんであけてあげた。ギターはたしかに聞かせてもらったが、ごちそうにはならなかった。(中略)
さて、当のさん生さんだが「彼らだとばかり思っていたんですがね・・・そういわれれば、ちがうようだな。でも、落とすはずはないし・・・。とにかく間違ったらしいから、あやまります」。」
昨日のニュースの続報。昨日の記事では、『オチにもならぬ災難にガックリ。』とありましたが、さすがに落語家、見事にオチがつきました。"おウチに帰ろうよ"ってベソかいている娘に『ツキアイが悪いぞ』ってのは、いかにも落語家というセリフ。冷静に考えれば、三つの子供をノミ屋に連れ回すなんてヒドイ話なんですけど、いい感じの落語的わびしさを感じさせますです。最後の『とにかく間違ったらしいから、あやまります』てのも、『くやみ』の下手な挨拶のネタを聞いているみたいでいい。
(→At the Moment 2006年10月9日に関連の記事があります)
(三遊亭さん生さんは現在の川柳川柳さんです)
「これは迷惑な・・・ あす牛乳配達スト 相手はメーカー "卸値引上げ反対"と 都内の小売店」
(毎日新聞昭和41年10月10日朝刊15面)
「この十一日、東京の牛乳小売店二千四百店が一斉に"実力行使"し、一部の家庭で牛乳の配達がストップしそうだ。原乳価格の引上げをめぐり、いまたけなわの生産者と乳業メーカーとの"ミルク合戦"の雲行きをみて「卸売価格が上がったら、われわれは消費者とメーカーの板ばさみになってしまう」と結束しての値上げ防止第二戦線というが、乳業界はじまって以来というこの騒動を、物価高に悩む消費者側はどう受けとったらよいか---。(中略)
乳がしぼられてから消費者の口に入るまでには、酪農家ー集乳団体ー乳業メーカーー小売店ー消費者というルートをたどる。駅のスタンドや店頭売りはごくわずかで、東京では牛乳を飲んでいる家庭の八五パーセントまでが月ぎめで小売店から配達を受けている(ことし二月、都の経済モニター調査)。小売店はいずれも四大メーカー(明治、森永、雪印、協同)の系列にはいっているからメーカーの市場占有競争のあおりで、小売店の間では激しい"お得意獲得戦"が演じられている。」
ストといっても、月ぎめでお金を払っている分はどうするんでしょう。配達してくれないから取りにいかないといけないんでしょうか?
「中原早苗の車暴走 酔いどれ運転」
(朝日新聞昭和41年10月10日朝刊15面)
「九日午前一時五十分ごろ、東京都北多摩郡狛江町の調布街道で女優中原早苗=本名深作早苗(三一)の運転する乗用車が暴走、電柱に接触したうえ、停車中の軽四輪乗用車にぶつけて大破させ、さらにシャッターを突破って店内に飛び込み、売物のガラスを割るなど約四十万円の損害を与えた。
この事故で、中原の車も前部を大破、中原も右手などに五日間のけがをしたが、かなり酔っており、取調べの調布署員にくってかかる始末だったという。
同署の調べだと、中原は前夜九時ごろから調布市の日活女優浅丘ルリ子さん方でウイスキーを飲み、帰宅途中の事故。」
取り調べの警官に喰ってかかったというんですが、どんなタンカときったんだろう。旦那の深作欣二監督の映画みたいな情景だったんだろうか。
今日の殺伐
「元プロレスラーが殺人 市川の知人宅 返す刀で自殺」
(朝日新聞昭和41年10月10日朝刊15面)
「【市川】九日夕四時十分ごろ、千葉県市川市橋本憲弘さん(五三)方ガレージで長男の優博(まさひろ)さん(三二)が、住所不定、元日本プロレス協会所属プロレスラー竹村年雄(四○)に刺されて即死、優博さんの長男、聖貴(ひろたか)ちゃん(三つ)も腕、肩などに二週間のけがをし、竹村も同家前で自殺した。
市川署の調べによると、竹村は橋本さん方に乗用車を乗りつけて待ちぶせ、甲府市の昇仙峡から帰ってきた優博さんとガレージで二言、三言いい合ったとたん、長さ約五十センチの刀で優博さんの心臓など六カ所を刺し、聖貴ちゃんにも十カ所に切りつけ、同家の門の前にとめてあった自分の車のかげで胸を刺して死んだ。
竹村は憲弘さんと同郷で、一時相撲界にはいったが、憲弘さんの世話で力道山のプロレス道場にはいった。素行が悪く数年前に退職金をもらって、事実上破門になり、憲弘さんの口ききで一時復帰したが、バクチにこったため三年ほど前、力道山が死ぬ直前に再び破門になっていた。」
自分の行為を棚にあげての逆恨みというヤツでしょうか。なにも三つの子供まで刺すことはなかろうに。
「大事故起こした一カ月後 坊やをひき殺す 免許切れ当日の札つき運転手」
(毎日新聞昭和41年10月10日朝刊15面)
「九日朝、東京杉並で電車事故の重傷から回復したばかりの用事が、無謀ダンプにひかれて死んだ。運転手は八月にも重軽傷9人の大事故を起こしたばかりの"札つき"。「どうせ免許取消しになるのなら」と免許証書き換えの申請もサボり、ちょうど期限切れの日の"殺人"だった。事故後一カ月以上、悪質運転手にハンドルをにぎらせることになった"スローモー行政処分"が問題となっている。
同日午前七時四十分ごろ、杉並区上高井戸のせまい通りで三輪車で遊んでいた丹羽直樹ちゃん(二つ)はバックしてきた運転手、工藤勇治郎(二二)の小型ダンプに頭をひかれて一時間半後に死んだ。(中略)
死んだ直樹ちゃんはことし五月二十日、友だちの田口千春ちゃん(一つ)を連れて花をつみに行き、現場から五○メートル離れた井の頭線浜田山第六踏切で二人とも電車にひかれ、千春ちゃんは死亡、直樹ちゃんも両足骨折で一カ月入院して最近やっと回復したばかりだった。」
加害者が二度目の大事故というのも驚きですが、亡くなった直樹ちゃんが、五月にも踏切事故にあっているというのが痛ましい。せっかく助かった命だったのに・・・。
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1966-10-10T22:20:15+09:00
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http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=119441
日本海波高し
現在訪中中の中国式柔道団体の長、山口久太氏(習志野高校校長)が七日午後、北京の第八十五中学の紅衛兵本部で紅衛兵代表と座談会を行ったそうです。それに同行した朝日新聞記者中山司朗氏の記事から。
「紅衛兵と座談会」
(朝日新聞昭和41年10月9日朝刊1面)
...
「紅衛兵と座談会」
(朝日新聞昭和41年10月9日朝刊1面)
「---毛沢東思想ばかりでなく、外国のことも勉強しなければならないのではないか。
答 われわれは毛沢東思想を学習すれば、世界のことを客観的に見ることができる。毛沢東思想は偉大なもので、これを学んだだけでも十分と思う。」
まあ、子供のことなんで公式的な回答しかできないんでしょうが、それだけに大宅壮一氏が述べた「ジャリ革命」という言葉が頭に浮かんでしまいます。
新聞斜め読み
「日本漁船捕獲される 韓国専管ライン対馬北西付近で」
(読売新聞昭和41年10月9日朝刊1面)
「【北九州】九日朝、長崎県対馬の鴨居瀬漁業無線局から、第七管区海上保安本部(北九州)にはいった緊急連絡によると、同日午前五時ごろ、対馬北西の韓国専管ライン付近の農林二二一の三漁区で、同県下県郡豊玉村横浦のイカ釣り漁船「宝栄丸」(四・六トン、友末留市さん(四九)長男正臣さん(二五)乗り組み)が操業中、韓国海上警察隊警備艇の臨検を受け、捕獲され釜山方面に連行された。」
ようやく、平新艇問題も決着したかと思ったら、また連行事件です。日本海の波は相変わらず高いようで。
「中国の孤立化はかるソ連 毛政権に見切り 「ベトナム」で立場強める 中国非難の大合唱」
(読売新聞昭和41年10月9日朝刊7面)
「ソ連が、十一中全会以後ひときわ反ソ強硬態度を強めている中国の現指導部との和解をあきらめ、毛ー林路線の孤立化に拍車をかける決意を固めたことはほぼ疑いない。八月末以来の一連の会談のほとんどが、実質的には"対中国共同戦線"結束を大きな目的としていたことは、中国非難の"大合唱"に、北ベトナムをのぞくこれら諸党のすべてが加わっていることからも推測される。中国の紅衛兵騒ぎは多くの党の指導者にショックを与え、中国のがん強な「ベトナム共同行動」拒否は、かつては中国寄りだった北朝鮮や日共までも離反させた。ソ連は労せず有利な立場に立ったわけで、ソ連指導者の目にこれが"好機"と映ったとしても不思議ではない情勢だ。」
記事によると、『中国がベトナム共同行動を拒否しているのは、対ソ攻撃の陰で米中間のヤミ取引をもくろんでいるからだ』、という宣伝攻勢をソ連が準備しているそうな。現在、中国は弱腰のソ連の態度を攻撃して『ソ連修正主義は、ベトナムの人民を見捨て、米帝と手を組もうとしている』と言ってましたから、それと全く同じ攻撃を中国に仕掛けるということです。不思議な口げんかですね。
「おそまつでした "ファン"に盗まれる 招待して飲めや歌え」
(読売新聞昭和41年10月9日朝刊15面)
「アイ・ジョージばりのラテン音楽と、ギターのモダン落語で売り出している三遊亭さん生さんが、スナックバーで意気投合した学生風の三人を、自宅に招待したはよいが、現金八千円をとられ、ドロンされてしまった。とんでもない"お礼"に、さん生さんは「いまの若い人たちの気持ちってえものは・・・」と、オチにもならぬ災難にガックリ。
さん生さんの話だと、その災難はこう。
七日夕、さん生さんは妻容子さんが病気で入院しているので長女早苗ちゃん(三つ)といっしょに見舞ったあと早苗ちゃんを連れてそのまま池袋付近で酒を飲み、八日午前零時ごろ自宅近くのスナックバーに寄った。ここで飲んでいるうち、同じとまり木にいた学生風の三人が「さん生さんじゃないですか、ボクらファンです」と近より、さしつさされつゴキゲンになった。
新作のためには、若い人とおおいにつきあうというさん生さんは午前二時ごろ「家へくるかい」と三人をさそった。いつの間にかスヤスヤ眠った早苗ちゃんを背負ったさん生さんのあとに三人は気軽についてきて、こんどは自宅でギターをひきながら、ビートルズのうたなど合唱、一時間ほど"こんな楽しいことはなかった"ほどだった。
ところが、三人が帰ってからそばにぬいでおいた背広の内ポケットからいれておいた出演料などを出そうとすると、その八千円がなくなっていた。」
なんだかワビシイお話ですねぇ。また、八千円という大金とも小額とも言いにくい微妙な金額の被害というのが、よりワシビシサ感を盛り上げてくれます。
今日の殺伐
「大トラ柔道学生 通行人次々なぐる 十人で一人に重傷」
(読売新聞昭和41年10月9日朝刊15面)
「八日夜、東京・板橋で東洋大学の学生十人が通行人を手当たりしだいにつぎつぎとなぐりつけ、一人に重傷を負わせるという狂った事件が起きた。酒に酔った上でのしわざというが、いずれもから手部と柔道部員。乱暴を働くための運動部ではないはず。これでもはたして大学生なのだろうか---。
同日午後八時十分ごろ、同区上赤塚氷川神社わきの暗がりで、会社員伊東勇二さん(三六)が帰宅途中、横道から出てきた学生ふうの数人が、いきなり伊東さんの胸ぐらをつかみ、無言のまま顔をなぐりつけた。男たちは、そのあとそばでバイクをとめてこれをみていた、予備校生一丸信彦さん(一九)に「バイクをなどに乗って生意気だ」となぐり、さらに集団で大声をあげながら近くを通りかかったフロ帰りの人たち数人を手当たりしだいになぐりつけて大あばれ。」
こりゃまた、しょうもない事件ですなー。『これでもはたして大学生なのだろうか---。』とありますが、ある意味でいかにも大学生の起こす事件という感じもしますな。記事の内容とは離れますが、なぜ『空手部』でなく『から手部』なんでしょうか。『空』ぐらい漢字をつかってもいいのに。
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1966-10-09T18:38:03+09:00
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http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=115587
ソ連中国へ報復 疑惑のガードマン
浅草で、妙なものが捕まったようです。
「雷門でセンザンコウ"逮捕"」
(朝日新聞昭和41年10月8日夕刊10面)
「八日午前零時半ごろ東京都台東区浅草雷門四先の歩道を全身が厚いウロコで覆われた体長一メートルほどもあるトカゲのバケ物のようなけだものがうろうろ...
「雷門でセンザンコウ"逮捕"」
(朝日新聞昭和41年10月8日夕刊10面)
「八日午前零時半ごろ東京都台東区浅草雷門四先の歩道を全身が厚いウロコで覆われた体長一メートルほどもあるトカゲのバケ物のようなけだものがうろうろしているのを通りかかった葛飾区堀切一ノ二九日吉タクシー高島博運転手(三八)がみつけ、車を止めて乗客と捕えようとしたが、逃げ回った末に歩道上でマリのように身を丸くしてしまった。気味悪くなった高島さんらは近くの浅草署雷門派出所に届け、かけつけた同所員が捕まえた。」
このセンザンコウは、アフリカから南アジア原産とのこと。どうも、ペットとして飼われていたものが逃げ出したらしいです。しかし、タクシーに乗っていた乗客も気のいい人ですね。運転手といっしょに珍獣を夜中の零時すぎに追い回すなんて。でも、トカゲのバケモノが歩道にいたら、私が乗客でも一緒になっておいかけるかも。
新聞斜め読み
「米、爆撃を再開か 非武装地帯の東部に」
(読売新聞昭和41年10月8日朝刊3面)
「【サイゴン七日発UPI=共同】七日明らかにされたところによると、アメリカは南北ベトナムの境界である非武装地帯の東部への爆撃再開を準備しているといわれる。サイゴンの米軍筋は「米軍の非武装地帯東部の爆撃停止に北ベトナムが応ずることを拒否しているので、アメリカと南ベトナムは残された唯一の方法として、非武装地帯を通過して兵員や武器が運ばれるのを阻止するため、断固とした措置を取らざるをえない。」」
和平への期待を持たせた爆撃の一時停止ですが、やはり元の木阿弥のようです。爆撃停止に対して北ベトナムが何の反応も見せていなかったので、予想された事態ではありますが。
「米ソ融和へ新機運 欧州問題 米大統領の提案 ワシントン筋 ソ連の態度を楽観」
(朝日新聞昭和41年10月8日夕刊1面)
「【ワシントン=河村特派員七日発】ジョンソン大統領が七日ニューヨークで行なった欧州政策に関する演説は、ベトナム問題のため冷却気味の共産圏との関係を改善し、東西関係の大幅な融和を呼びかけたもので、ジョンソン大統領がこれまでアジア、中南米について行った外交演説と並ぶ意欲をこめた重要なものである。(中略)
ワシントンでは、ソ連側にも関係改善の気持が強い、と一般的に見られており、東西関係は動く機運が感じられる。(中略)
ソ連、東欧との関係改善の必要を米政府に強く感じさせている要素は三つに分けて考えられる。その第一は、ベトナム戦争へのソ連の介入度を出来るだけ低く保ち、あるいはソ連を和平に動かせたい希望であり、第二は、中国が姿勢を強化して手のつけようがない現在、中国を他の共産圏から引離そうというねらいである。
第三は、西欧では「東」の脅威感が激減して西欧諸国には東との接触強化、貿易増大をのぞむ声が高まっているため、米国が昔のような対共産圏理論をふりかざしても効果がない、という現実である。」
アジアでは、相変わらずのキナ臭さですが、欧州では東西融和が実現しそうな勢い。ここでもキーワードは「中共」のようですね。ソ連側も米国側も、厄介ものの中共を干すために、とりあえず欧州では手打ちをしておこうか、というところでしょうか。
「共産党内部に意見の不一致 ベトナム戦の継続 タイ外相談」
(毎日新聞昭和41年10月8日夕刊2面)
「【ワシントン七日AFP】タナット・コーマン・タイ外相は七日、ジョンソン大統領を訪問し、同大統領のアジア訪問について話し合ったあと「ベトナム戦争の継続に対して、ハノイや中共の共産側には大きな意見の相違がある兆候を手にしている」とつぎのように語った。共産側と直接に接触している人人は共産側の意見が分かれていることを指摘している。共産側のある人々は話し合いを望んでいるが、他の人は依然、非妥協的で、われわれの方が彼らより早く弱くなり疲れてしまうことを頼みに、戦争の継続を望んでいる。この分裂兆候はハノイからも北京からも伝えられているが、とくにハノイで目立っており、また両国の指導者とも自由陣営側からのあらゆる声明を注意深く検討している。」
ベトナム戦争では、北ベトナム側の戦略や意思決定が極めて不透明なところが混乱に輪をかけている局面があるように見えますが、ソ連-中国-北ベトナムでそれぞれ思惑があり、さらにそれらの国の中でも意見が分かれているようなんで、不透明なのも当然ですね。それに対して米国側も、あまり国内では支持率の高くないジョンソン大統領。和平工作が迷走するのも仕方がないのかも。
「ソ連の中国人留学生 月内に退去求む」
(読売新聞昭和41年10月8日朝刊3面)
「【モスクワ七日発=タス】ソ連関係機関は七日、相互主義の原則によって、ソ連の教育施設および研究施設にいる中国留学生の要請、訓練を中止する決定を採択した。これら中国人の退去は十月中に行われる。この声明は同日、ソ連高等・中等専門教育省から中国大使館代表に伝えられた。
中国側はこの九月、相互主義の原則を一方的に侵害し、中国にいるソ連留学生と訓練生の要請、訓練課程を阻止し、十月十日までに帰国するよう命じた。七日発表されたソ連の声明によると、ソ連側は中国側が学生交換再開の道を開けば、相互主義の立場で学生、大学院生、訓練生の交換の再開問題を考慮する用意があるしている。」
「攻撃に報復姿勢 ソ連の中共学生追放 共産圏での優位に自信」
(毎日新聞昭和41年10月8日夕刊2面)
「【モスクワ七日谷畑特派員】中国人留学生の本国引揚げを通告したソ連政府の決定は、文化大革命でいちじるしく先鋭化してきた中共の反ソ政策に対するソ連側の断固たる姿勢を示すものである。
ソ連としてはこの通告を通じて中共側の出方次第ではこれと相応する報復措置に打って出るとの決意を印象づけ、今後の予想される反ソ・エスカレーション行動にきびしい反撃を加えたもののようである。中ソ関係の破局的段階はこれまでの国際共産主義運動の分裂課程を最終的に決定づけるばかりでなく、ベトナム支援行動に対する重大な制約という面で大きな関心を呼び起こすこととなろう。」
またまた中ソ対立のお話。泥仕合の様相を呈してきましたが、一体どこまでエスカレートするのでしょうか。ベトナム戦争を共産側に有利に進める為には、完全に中共との関係を切ることもできず、ソ連側にも手詰まり感が漂います。
「乗車客 池袋が日本一に 沿線団地の急増で 東京駅は二位に転落」
(日本経済新聞昭和41年10月8日朝刊15面)
「国鉄の駅のうちで日本一乗車人数の多いのは「東京駅」と決まっていたが、このほど国鉄本社が集計したところによると、昨年度は「池袋駅」にわずかながら抜かれ二位に転落してしまった。これは国鉄史上初めてとのこと。三位の「新宿駅」もここ三、四年急激に乗車人数がふえており、一、二年中にはここも東京駅を抜きそうな勢い。地下鉄の発達や郊外への人口拡散が生んだ現象である。
乗車人数の多い駅はここ数年、東京、池袋、新宿、大阪という順で不動だった。三十九年度の場合東京が一日平均三十九万三千二百十九人、池袋三十八万四千三百二十六人、新宿三十六万五千二百人となっていた。ところがこのほどまとまった統計によると、四十年度は池袋が三十九万七千二百五十人、東京三十九万六千三百三十人新宿三十八万九千七百四人となりとうとう池袋が第一位となった。」
東上線沿線で団地が増えたこと、私鉄や地下鉄が池袋駅を終点にしていることが原因らしいです。
「またガードマン泥棒 ズサンな人集め その脚光の陰に・・・ 私生活上のみだれも問題」
(朝日新聞昭和41年10月8日夕刊11面)
「八日朝、東京・銀座のビルに勤めていたガードマンが、また盗みの疑いで築地署につかまった。先月二十九日にも東京・新宿の伊勢丹デパート、七日には川崎市岡田屋デパートで、同じ警備会社にやとわれたガードマンの窃盗事件があり、このところガードマン泥が続出だ。警視庁防犯部では「飼犬に手をかまれないよう、身元のはっきりした人を雇うよう」---と関係者に呼びかけている。」
急成長中の警備業界ですが、雇用する人の質の問題が生じているようですね。まあ、そうそう宇津井健さんのような人はいませんから。
今日の殺伐
「光本おはなはんを脅迫」
(朝日新聞昭和41年10月8日夕刊11面)
「新派女優で明治座十月公演で「おはなはん」の主役をつとめている光本幸子さん(二三)を「結婚してくれなければムリ心中する」とおどしていた男が八日朝、脅迫の疑いで東京・蔵前署につかまった。世田谷区下馬一ノ二五九都営アパート内工員A(三○)で、同署の調べによると、Aは光本さんの熱烈なファンで八月から約三十回にわたり、母親の泰代さんに「光本さんと会わせてくれ、結婚したい」と電話、九月十三日「いうことをきかなければ舞台でムリ心中する」というハガキをよこした。
Aは光本さんの家のほか、明治座にもしつっこく電話をかけてきたので、応対に出た明治座の総務課長が「光本さんに会わせてやるから、電話番号を教えてくれ」とAの電話番号をきいていたことからつかまった。」
極端なファンは恐ろしいですね。しかし、「会わせてやるから電話番号を教えろ」ってんでひっかかるなんざ、さしずめ恋は盲目というところでしょうか。
「「助けて」とささやく 恐怖のドライブ、熱海でSOS 七人組に囲まれ七時間」
(朝日新聞昭和41年10月8日夕刊11面)
「【伊東】八日午前七時ごろ、静岡県熱海市下多賀海岸の向井ガソリンスタンドに数人の男をのせた乗用車が止り、運転していた男が、従業員に運転免許証を渡して「自動車強盗に襲われている。このままスタンドに逃げ込むと追ってきて刺されるから車に戻るが、警察に連絡してくれ」とささやいてそのまま車を運転して立ち去った。
連絡により熱海、伊東両署で警戒中、同七時五十分ごろ伊東市湯川横磯海岸近くで、伊東署員がこの乗用車を発見、運転していた横浜市北原清治郎さん(二四)を救助、乗っていた少年七人を強盗と不法監禁の現行犯で逮捕した。
調べによると、北原さんが同日午前零時ごろ、横浜市野島海岸で黒ダイ釣りの帰りに乗用車で走り出したとたんに少年らが立ちふさがって車を止め、なぐったりけったりして約千六百円を奪い「箱根までつきあえ」とおどした。
危険を感じおとなしく箱根へ行き、午前七時ごろ熱海市へおり同スタンド前で「便所に行かせてくれ」といって車から降り、従業員に助けを求めた。
七人組は横浜市内の無職少年のグループで、十五歳一人、十七歳二人、十八歳二人、十九歳二人で二、三日ドライブをしたくておどした、といっている。」
また、未成年者の無軌道ぶりを晒した事件でした。被害者の話によると、途中二回ほどパトカーに会い、スピードを出せば気がつくだろうと100キロぐらいで走ったが追ってこなかったとのこと。しかし、普通の乗用車に被害者もいれて8人も乗っていたら、それだけでパトカーに止められそうなものなのに。
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1966-10-08T01:14:55+09:00
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http://at-the-moment.sangyo-rock.com/?eid=114772
ジョンソン大統領のアジア歴訪計画
相変わらず、近場の客へのタクシーの乗車拒否はヒドいようで、銀座ではこんなサービスが計画中だとか。
「銀座のお帰り ホステスつきバスで 乗車拒否に自衛策 バー・キャバレーの協会が計画」
(毎日新聞昭和41年10月7日夕刊7面)
「東京銀座のバーやキャバ...
「銀座のお帰り ホステスつきバスで 乗車拒否に自衛策 バー・キャバレーの協会が計画」
(毎日新聞昭和41年10月7日夕刊7面)
「東京銀座のバーやキャバレーが結束、近く"ホステスつきで帰還バス"を運行する。最近ますますひどくなったタクシーの乗車拒否にたまりかね「夜の銀座からのお帰りに、イヤな思いはさせません」という"自衛策"だが、東京都交通局が同じ趣旨で実施した"深夜バス"が気位の高い銀座族にソッポを向かれ、あえなく営業中止となっただけに、果たしてこの趣向、うまく実を結ぶかどうか---。」
この案をたてたのは銀座にある900軒のバーやキャバレーのうち約七百軒が加盟している銀座観光社交事業協会だそうで、
「協会は「ご帰館バスには客とホステスが相乗りするわけで、お色気もあって繁盛すること間違いない」と自信満々。」
と鼻息も荒いご様子。
新聞斜め読み
「ベトナム参戦国会議 米大統領が記者会見 和戦の見通し探る 「北」も戦争縮小措置を」
(毎日新聞昭和41年10月7日夕刊1面)
「【ワシントン六日青木特派員】ジョンソン米大統領は六日午後三時(日本時間七日午前四時)ホワイトハウスで記者会見を行ない、二十四、五両日、マニラで開かれるベトナム戦争参加七カ国首脳会議と、これを機会に同大統領が行うアジア、太平洋諸国歴訪についての詳細な日程、さらに米国がこれに寄せる期待を明らかにした。大統領は夫人、随員らとともに十七日、専用機でワシントンを出発、マニラ会議に先立ち、ハワイ経由でニュージーランド(十九、二十日)オーストラリア(二十一日、二十二日)を訪問、マニラ会議終了後はタイ(二十七日から三十日)マレーシア(三十日、三十一日)韓国(三十一日から一日)の順で三国を歴訪、十一月二日アラスカ経由で中間選挙の投票日の一週間前に帰国する予定である。(中略)
一、ベトナム非武装地帯で、一週間前から実施している部分的な爆撃停止に対する北ベトナム側の反応には何ら期待したようなものがない。また最近、北ベトナムが提示した諸条件からみて、大きな期待は持てないし、ハノイの態度にはこれといった意味深い変化の兆候はみられない。しかし米国側のとっている爆撃停止といった行動に対応して、北側が戦争の漸次縮小について行動することを希望したい。」
ジョンソン大統領就任以来、初めての海外大旅行とか。今回は、日本には立ち寄らないそうですが、これについては大統領直々に書簡を送ってきたようです。
「日米往復書簡を発表 ベトナム参戦国会議 日本と態度理解 米大統領 立ち寄れず残念」
(日本経済新聞昭和41年10月7日夕刊1面)
「政府は七日午前十時半、ベトナム参戦国会議に出席するジョンソン米大統領の訪日問題について、ジョンソン大統領と佐藤首相の前で書簡を取り交わし、今回は訪日しないことになったことを明らかにするとともに、往復書簡の内容を発表した。
これによるとジョンソン大統領は、近くフィリピンのマニラで開くベトナム参戦国会議に出席する旅行の際、日本に立ち寄るじゅうぶんな時間的余裕がないこと、またベトナム問題に対する日本の態度がベトナム参戦国会議に出席する他の諸国とは相違しているため、今回ジョンソン大統領が日本を訪問することは不適当だと判断したことを明らかにしている。
これに対して佐藤首相も、日本としては非軍事的手段でベトナムの平和と安定回復に努力する考えであることを表明するとともに、なるべく早い適当な時期にジョンソン大統領の訪日が実現することを強く希望していることを強調している。」
ベトナム問題に直接関係しているワケではないということで、日本には立ち寄らないということ。で、これを知って喜んでいる国があるようです。
「ジョンソン大統領訪問 韓国、手放しの喜び 増兵と援助取り引きか」
(読売新聞昭和41年10月7日朝刊3面)
「【ソウル】ジョンソン米大統領に対し、韓国は政府、与野党を問わず全国民的な歓迎の意を表している。
韓国はかねてからジョンソン大統領の年内訪韓を強く希望し、実現に努力していた。それは、来年春に予定されている大統領、国会議員選挙を有利に導くのが第一のねらいであり、南ベトナム派兵で朴(パク)政権に対するアメリカの信用がいかに不快かを示すPRとなるのが第二、さらにジョンソン大統領が、日本に寄らずに韓国に来るということで、国民に自身をもたせ、対日感情を柔らげようとのねらいがあったようだ。」
米大統領が、日本よりも先に韓国を訪問するということで、溜飲を下げているとか。韓国は、かなりの兵力をベトナムに送ってますから、米国からのこれぐらいの優遇は受けて当然だと考えているのでしょう。
「ベトナムの国際的解決 英が六項目の提案 急ぎジュネーブ会議再会 監視委に平和維持軍を」
(読売新聞昭和41年10月7日朝刊3面)
「【ブライトン(イングランド)六日発ロイター=共同】イギリスは六日、ベトナム戦争の平和解決をねらいとした六項目の提案を行ない、一九五四年ジュネーブ会議の共同議長国であるソ連にたいし、イギリスとともにジュネーブ会議を再開し、この提案を直ちに討議するよう呼びかけた。この提案はブラウン英外相がブライトンで開かれている英労働党年次大会の席上発表したものである。」
マニラの国際会議開催にあわせたのか、英国が新しい提案を出してきました。提案の内容にはあまり新味がないとのことですが、うまくソ連を巻き込めれば新展開が期待できるかも。
「ユーゴ、きびしく中国批判 ベトナム解決を妨害 米を利す非現実的態度」
(読売新聞昭和41年10月7日夕刊2面)
「【ベオグラード大月特派員七日発】ユーゴのカルデリ連邦議長は五日とくに日本人記者団と会見し、ベトナム問題、非同盟政策の現状と見通し、ユーゴの経済、政治改革、とくに、さる四日の中央委総会の決定などについて見解を明らかにした。カルデリ議長は、このなかでベトナム問題解決には外国軍隊、兵器の撤収とベトナム人民の自決権確保が核心をなすが、なによりもまずアメリカの北爆停止が先決条件であることを強調するとともに、その政治解決交渉にはベトコンを参加させるべきだと言明した。カルデリ議長は、中ソ関係については慎重に言明を避けながらも、ベトナム問題と関連して中国の政策をはっきり批判し、中国の態度がベトナム問題の解決をさまたげていることを指摘して注目をひいた。」
東欧のユーゴもベトナム問題に言及。やはり、東側としては米国の北爆停止を最初のステップと置いているようです。中国に対しては同記事の中で、以下の発言をしています。
「中国はベトナム問題に対して中国独自の解決方式を提案しているわけだが、中国がそれによって(ベトナム問題の解決よりは)中国自身がかかえている諸問題の解決と中国国内でのある種の政治目的の実現を意図していることは明らかである。この中国の態度は明らかにベトナム問題解決に現実的な態度で取り組むことをより困難にしている。」
『中国自身がかかえている諸問題の解決と中国国内でのある種の政治目的の実現を意図している』というのは、確かにそうでしょうね。
「甘くないチョコレート戦争 中小メーカー苦り切る 明菓の旅行招待作戦に」
(日本経済新聞昭和41年10月7日朝刊6面)
「明治製菓が創立五十周年記念として販売店に対して打ち出した世界一周旅行を含む販売拡張作戦に中小チョコレート業界が反対のノロシを上げた。明治製菓は「業界の公正競争規約に従って実施した」というが、中小メーカー側は「明らかに法律に違反している。ルールにも違反している」と反論。公正取引委員会に明治製菓の計画を中止させるよう要望している。いまのところ両者は全く対立しており、甘い海外旅行のユメをはらんだほろにがい"チョコレート戦争"の行方が注目されている。」
映画『巨人と玩具』(昭和33)をちょっと思い出してしまいました。しかし、『チョコレート』の話なので、『甘くない』『苦り切る』『ほろにがい』で押すってのが、いかにもオッサン記者が書いた記事って感じが。
今日の殺伐
「母親狂気の赤ちゃん殺し 世田谷 首を絞めて湯ブネに "あき巣の犯行"と届け出」
(読売新聞昭和41年10月7日朝刊15面)
「六日午後、東京・世田谷で、母親が生後六か月の長女を絞め殺して、湯ブネに投げ込んだ。生後六か月といえば、母親の顔を覚え、歯もはえはじめて、かわいさも出てくるころ。肝臓の持病を苦にしてのノイローゼかららしいが、室内には物色の跡をつけたり、アリバイ工作もするなどの擬装をこらすという、常識を越えた犯行。しかし、あさはかな擬装の小細工が、かえって捜査当局に疑問をもたせ、約六時間も追求されたすえ、犯行を自供した。」
持病のせいで育児ノイローゼになったんですかねぇ。しかし、罪もない子供がかわいそうです。
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1966-10-07T22:22:10+09:00
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米国の爆撃一時停止か (ベトナム)
総評の秋闘方針が決定したようです。
「秋闘方針を採択 10・21スト体制固める 総評大会閉幕」
(毎日新聞昭和41年10月6日夕刊1面)
「東京・九段の九段会館で行なわれている総評第三十二回臨時大会二日目の六日は、午前十時半開会。前日に続き秋闘方針をめぐ...
「秋闘方針を採択 10・21スト体制固める 総評大会閉幕」
(毎日新聞昭和41年10月6日夕刊1面)
「東京・九段の九段会館で行なわれている総評第三十二回臨時大会二日目の六日は、午前十時半開会。前日に続き秋闘方針をめぐる質疑を続行したのち、同方針案をベトナム反戦闘争犠牲者救援カンパを正式決定、大会宣言を採択して午後二時十分閉幕した。総評はわが国労働運動史上初の反戦闘争といわれる一○・二一ストに臨む体制を固めたが、組織の盛り上がりは必ずしも十分ではなく、今後一○・一四第二次統一行動を通じて、どのように秋闘ムードを浸透させるかが当面の課題として残された。
労働運動は労働運動として貫徹し、反戦闘争は別に行うべきなんじゃないでしょうか。現に上記の記事中、「反戦ストもよいが、その前になぜ国民的要求である物価闘争をやらないのかとの疑問が住民の中にある(北海道)」と、大会出席者の声が紹介されていますが、もっともな意見じゃないかと思えます。
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新聞斜め読み
「米、爆撃を停止 非武装地帯の東部 ホワイト・ハウスが発表 戦闘縮小瀬ぶみか 北の反応注目」
(読売新聞昭和41年10月6日朝刊1面)
「【ワシントン平野特派員五日発】モイヤーズ米大統領報道官は五日、南北ベトナム間の非武装地帯の東部地区の爆撃は、現在行われていないと発表、米機による爆撃停止を公式に確認した。
「北との交渉に布石 米の非武装地帯爆撃停止」
(毎日新聞昭和41年10月6日夕刊1面)
「【ワシントン五日関特派員】ホワイトハウスは五日、南北ベトナム間の非武装地帯(DMZ)東部地区に対する米軍機の銃爆弾が一時停止中(報道によれば、すでに約一週間)であることを確認した。またラスク国務長官は同日ニューヨークで、非武装地帯の一部に対する爆撃の停止は、同地帯を本来の中立的な状態に戻す目的で行なわれたと語った。(中略)
この発表により米国が、ごく控え目で象徴的なデスカレーション(段階的戦闘縮小)のゼスチュアによって、おそらくは国際監視委員会(IOC)の活動強化をもとりまぜて、マニラ会議を前にいま一度、ハノイに話し合いの誘いをかけようとしていることがはっきりした。」
フランスの外交筋によると、北ベトナムには停戦の意思は全くないようですし、米国の思惑の実現は難しそうですね。
「金日成北朝鮮首相が演説 北ベトナムへ義勇軍を 団結、社会主義国の義務 対日接触 反帝のワク内で 中ソの板ばさみで苦しい"自主独立"」
(読売新聞昭和41年10月6日朝刊3面)
「【朝鮮通信=東京】平壌五日発の朝鮮中央通信によると、金日成(キム・イルソン)北朝鮮首相(労働党委員長)は同日平壌で開かれた朝鮮労働党代表者会議で演説し「全社会主義諸国は、北ベトナム防衛のための義勇軍を派遣すべきだ」とのべるとともに、アメリカの政策に追随する日本の佐藤内閣を激しく非難した。(中略)
解説 佐藤内閣を非難している点は、ソ連の対日接近を抑制するとともに、さきの北朝鮮向けプラント輸出取り消しや「平新艇」事件などとの関連からとくに敵意を誇示した感がある。反面「日本共産党に対する干渉」を非難したのは中共向けであり、朝鮮労働党と前後して北京の支配下から離脱の動きを示している日共に、同志愛を示したものと解される。(中略)
この演説の中ソ批判も、中国に対する批判の方が強い感じであり、"北京からの"自主独立がこの国の中心的問題であることを思わせる。」
昨日のニュースでも、中国とソ連のギクシャクした関係がとりあげられていましたが、親玉同士がケンカすると手下は苦労しますな。
「スカルノ大統領元気に演説 国軍創設記念式典 建国精神で団結を 軍礼賛に終始 共産党にはふれず」
(読売新聞昭和41年10月6日朝刊3面)
「【ジャカルタ安倍特派員五日発】インドネシア国軍の創設二十一周年記念式典が五日朝、ジャカルタのスナヤン競技場広場で盛大に行われた。この式典の商店は、二週間以上も記者団の前にすら姿を現していなかったスカルノ大統領が、国軍最高司令官として式典に出席するかどうかという点であったが、スカルノ大統領は元気な姿をみせ、しかも一般の予想を裏切って約五十分にわたって演説した。(中略)
スカルノ大統領が(九・三○事件に関して・・・引用者注)インドネシア共産党(PKI)に触れることを避けたことは、スカルノ大統領が、(スハルト議長に対して・・・引用者注)最小限の譲歩しかしていないことを示すものといってよいようだ。」
失脚寸前でギリギリの低空飛行を続けるスカルノ大統領ですが、今回の演説ではスハルト議長の要請を呑んだのかこれまでと違ったマイルドな演説ですね。国軍の式典らしく、国軍のことしか話さなかったようです。
「"老税理士殺しはオレだ" 犯人、本社へ電話で自首 三十八歳の出所男逮捕 "奪った金額訂正したかった"」
(読売新聞昭和41年10月6日朝刊15面)
「東京・葛飾で税理士奥井市太郎さん(六八)が殺された事件を捜査中の本田署捜査本部は、五日夜、墨田区生まれ、住所不定、無職、前科六犯、中村信雄(三八)を同事件の容疑者として同本部に連行調べたところ、中村は犯行を自供したので、強盗殺人容疑で緊急逮捕した。逮捕のきっかけは、中村が五日夕、読売新聞社会部に「オレが犯人だ」と電話してきたためで、本社記者が長時間にわたり自首をすすめた結果だった。(中略)
読売新聞社会部に電話がかかってきたのは五日午後五時半。ナマリのない東京弁で、落ち着いた声だった。
「実は、葛飾で税理士を殺した男だが・・・」と前置きして「警察のいう被害金額は二万五千五百円になっているが、二千三百円しか奪っていない。これが、しゃくで事実を伝えようと思い電話した」という。訂正を求めるような様子なので不審に思った本社記者が「君がほんとうの犯人かどうか電話では信用できない」というと「奪ったカバンは亀戸駅近くの物置きに捨てたし、刺して折れたナイフの残りの柄も近所のドブに捨てたから調べればわかる」と、ゆっくりした口調で事件のあらましを話しはじめた。」
10月2日の事件の犯人が捕まったようです。『奪った金額が報道より少ないから癪だった』というのが読売新聞への電話のきっかけらしいのですが、なんだかよく分からない動機ですね。もしかしたら、最初から自首しようか迷っていて、なんとなく新聞社に電話をかけたという感じもしますが。
(→At the Moment 1966年10月2日に関連記事あり)
今日の殺伐
「フロ帰りの婦人二人なぐる 板橋に通り魔」
(読売新聞昭和41年10月6日朝刊15面)
「五日夜十一時二十分ごろ、東京都板橋区蓮沼町三三さきの暗がりでフロ帰りの女子工員岩田福寿さん(四四)は、後ろからいきなり石のようなもので頭をなぐられ、十日間のけがをした。このあと十分後、約五百メートル離れたところで、同じフロ帰りの保険外交員原田富雄さん(五三)の妻チヨさん(五○)も、同様後頭部をなぐられ、近くの大橋病院に収容されたが意識不明」
同日の朝日の夕刊によれば、犯人は捕まった模様。
「だれかなぐりたい 通行の二人襲う ムシャクシャ学生逮捕」
(朝日新聞昭和41年10月6日夕刊6面)
「志村署で調べていたところ、やはりフロ帰りに手を握られたという若い女性からの聞込みにより、同じ町内に住む学生(一九)を六日午前三時すぎ傷害の疑いで逮捕した。
気がムシャクシャしたので、友だちと酒を飲み、別れてから「だれでもいいからなぐってやれ」と道ばたの石を拾い、二人を襲ったという。」
被害者三人とも、フロ帰りの女性なんですが、犯人はフロ帰りの女性フェチなんでしょうか。
「妻に火をつける」
(朝日新聞昭和41年10月6日夕刊6面)
「【川崎】川崎署は五日夜、川崎市A(三九)を放火と殺人未遂の現行犯でつかまえた。
調べでは、Aは同夜十一時五十分ごろ、自室で妻のBさん(二九)と、旅行に行ったとき写した記念写真のうつり具合のことでけんか、Bさんが先に寝てしまったのに腹を立て、Bさんに薬用アルコール五百ccをびんからふりかけてマッチで火をつけた。Bさんはふとんでもみ消し、両足に二週間のやけどをした。」
やさぐれた事件ですなぁ。写真の写り具合程度のことで火をつけますか。
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1966-10-06T22:04:03+09:00
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眼鏡が飛び 地獄も大混乱
忘れたころにおきるタバコ爆発事件ですが、こんどはハイライトでなく、ひびきが爆発したとか。
「今度は「ひびき」が爆発 青森県 バス運転手けが」
(朝日新聞昭和41年10月5日朝刊15面)
「【十和田=青森県】四日夜七時十五分ごろ、十和田観光電鉄七戸営業...
「今度は「ひびき」が爆発 青森県 バス運転手けが」
(朝日新聞昭和41年10月5日朝刊15面)
「【十和田=青森県】四日夜七時十五分ごろ、十和田観光電鉄七戸営業所の事務室で、運転手がひびきを半分以上吸ったところ爆発、両目の角膜に一週間程度のやけどをした。かなり大きな音で爆発し、十分ほど耳が聞こえなかったという。専売公社青森支局の話では、爆発したタバコのフィルターの部分が、同じ袋の別のタバコのものとは異質らしいという。」
フィルタに細工の跡があるらしく、やはりイタズラくさいですね。
新聞斜め読み
「中国の妨害で停滞か ソ連の「北」への物資輸送 共産圏筋」
(朝日新聞昭和41年10月5日朝刊3面)
「【ロンドン四日発UPI=共同】共産圏筋が四日明らかにしたところによると、中国領経由で北ベトナムに送り込まれているソ連の援助物資は、ここ二、三カ月らし中国の妨害で停滞、実質的に輸送不可能の状態に陥っているという。同筋から得た情報内容は次のとおり。
一、中国は同国寮経由の陸上輸送を全面的に停止しているわけではないが、援助物資の到着を遅らせるという妨害策をとっている。このため中国領経由の輸送はますます非実用的なものになっている。中国領空経由で空輸する可能性も、中国側がソ連のスパイ行為を懸念しているため、完全に問題外となっている。
一、中国側の意図は、ソ連が海路で援助物資を輸送、米軍機もしくは米艦と交戦する機会がふえることにある。また中国としては、北ベトナムがソ連の援助で勝利するという形になるのを望んでいない。
一、北ベトナムに派遣されている中国の技術者たちは、ソ連人の技術者や顧問たちと接触しないよう指令されている。さらに中国は北ベトナムに対し、ソ連人とともに戦わないよう勧告している。」
なんと、弱腰ソ連を米国との対決に追いやるために、ソ連の援助物資輸送をサボタージュしているということですか。しかし、本当にソ連と米国が直接対峙して北ベトナムが結果として勝利したら手柄は全部ソ連に行ってしまうような気もしますが。
「中共非難の世界党会議 スーダン提唱 プラウダに掲載」
(毎日新聞昭和41年10月5日朝刊3面)
「【モスクワ四日UPI】ソ連共産党機関紙プラウダは四日、中共の"分裂行動"を告発するための世界共産党会議の開催を呼びかけたスーダン共産党の声明を掲載した。同声明は「中共指導部が現在行っている行動は、米国のベトナム侵略拡大という侵略的な帝国主義の政策に都合のよい状態を作り出している」として、中共の態度を断固として拒絶し、公然たる非難を加えるよう呼びかけている。」
大してソ連は、アフリカのスーダンを使ってこんな会議を画策しているようです。中ソ両国の援助が欲しい北ベトナムや、北朝鮮としては頭の痛い情勢になってきましたね。
「しっかりしろ政治 利権あさり 「バノコン」で甘い汁 中堅代議士ねらう業者」
(朝日新聞昭和41年10月5日朝刊1面)
「誕生する利益集団
バナナとともに利権物資の筆頭株は韓国ノリと輸入コンニャク。この三つを略して「バノコン」で通っている。これらの食品にからむ政界と業界との黒いウワサはあとを断たない。自民党内には時としてバナナ議員、ノリ議員、コンニャク議員などの利益集団が生れ、超派閥的に結束する風景がみられるのだ。
当選三回のある自民党代議士は「後輩には"バノコン"に手を出すな、と注意しているんだが・・・。」と苦笑していたが、バノコンはさしずめ政治家にとって"よだれの出る利権"といえる。」
当方の不勉強で『バノコン』という言葉はいままで知らなかったんですが、『バナナ・ノリ・コンニャク』の略だったんですね。これらの産品は輸入の際に国の許可がいるために、政商・政治家の口利きがないとうまく商売ができないんだとか。そのために利権集団ができてしまったんですね。
「YS-11、量産体制へ 通産省方針 来年度の月産3機 大量引合いに備える」
(毎日新聞昭和41年10月5日朝刊6面)
「通産省は「YS-11」の米国デモ飛行が予想外の成果を収め、四十三機の引合いが殺到したので、四日、その対策を検討した結果(1)生産能力を来年度後半には月産三機、四十三年度には月産五機に引き上げる(2)そのため早急に部品手当や製造工程のスピードアップについて再検討し、それに基づいて来年度予算要求を手直し、日本航空機製造に対する資金助成を強化する---との方針を決めた。」
近い将来には、YS-11が守備範囲にしているローカル路線にもジェット機が導入されることが予想されるので、なるべく早く現在の注文を捌かないとチャンスを逸してしまうのではないかと。ここがガンバリどころだと思います。
「サルトル氏ショック 神戸で乗ったタクシー衝突 眼鏡吹っ飛ぶ ボ女史も一緒」
(毎日新聞昭和41年10月5日朝刊15面)
「【神戸】日本訪問中のフランスの作家、サルトル氏とボーボワール女史の乗ったタクシーが四日夜、神戸市内で交通事故にあった。同氏は後部の座席に乗っていて、サルトル氏の眼鏡が吹っ飛ぶほどの衝撃だったが幸いけがはなく、同乗の日本人一人が軽傷を負った。」
不謹慎ながら、『眼鏡が吹っ飛ぶ』という文句をみて笑ってしまいました。偉い大学の先生の眼鏡が吹っ飛んで手探りで眼鏡を探し回るって、スラップスティックコメディー映画のギャグの定番ですよね。
今日の殺伐
「殺人狂時代 いわれなき兇行 動物的な残忍さ 金のためには幼いイノチまで 新興住宅地の事件が激増」
(毎日新聞昭和41年10月5日夕刊10面)
「「またか・・・」といいたくなるほど東京やその近郊で殺人事件が続いている。都内では一日から二日にかけて二十四時間に新宿四谷の旅館で女性(二八)が殺されるなど四件も相つぎ、警視庁が特別捜査本部をおいたのはことしになってすでに二十件(つち解決十二件)も数えた。過去五年間の平均十八件をはるかに上回り、このままでは戦後間もない二十三年の二十二件を越え、最高の二十一年の四十三件に迫りそうで"治安指数"はかなり低い。警視庁捜査一課の殺人担当係は全部出払い、強盗係まで出動してなお検挙率もはかばかしくない。(中略)
都会にあこがれる勤労少年の流入と不良出版物の影響で少年犯罪が凶悪化している事情もある。
一月、豊島区巣鴨のアパートで起きたホステス(二八)殺しの容疑者が十七才の少年を奪いあった十八才のトルコ娘だったのをはじめ、上半期で少年による衝動的な殺人事件が十四件もあり、昨年同期の三倍近い増加をみせている。」
終戦後に迫るほど、殺人事件の件数が増えているようです。敗戦後の混乱の貧しい時代ならば、物盗り・金目当ての犯罪が急増するのも理解はできるのですが、かなり豊かになった現在、殺人事件が増えているというのが不気味。また、この傾向に少年犯罪の凶悪化が拍車をかけているとのことです。特に衝動的な殺人が増えているというのが不安ですね。
「"血の池地獄"で乱闘 別府 東京都大阪の高校生」
(毎日新聞昭和41年10月5日朝刊15面)
「【別府】四日午後二時半ごろ、別府市の観光地獄めぐりコース内にある"血の池地獄"広場で見物に来ていた大阪の私立高校の二年生A君(一七)がバスに酔い休んでいたところ、見学に来ていた東京の私立高校の二年生H君(一七)が冷やかしたことから、なぐりあいになった。
これを見た両校の生徒たち約三十人も乱闘。同地獄の従業員五人と両校の引率先生五人が止めたが、同地獄内には一般観光客や中学生など三百人近い入場客があり地獄内は大混乱した。」
この記事、書いた人笑わせようとしてるでしょ?最後の一文で、『地獄』っていう単語を三回も繰り返す必要がありますか?『地獄の従業員』も可笑しいけど、最後の『地獄内は大混乱した』で不覚にも狙い通り笑わされてしまいました。
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1966-10-05T22:01:31+09:00
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力づくで赤い羽を売る少年
現在、新大阪から岡山までの区間で建設が進んでいる新幹線ですが、岡山以西の博多駅までのルートが決まったようです。日本経済新聞朝刊1面によると、「福山・広島・徳山・小郡・下関・小倉の6駅」。このほか待避線のため、こだま停車駅を一つか二つ増やす予定があると...
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「日共路線を非難 郭沫若氏 陳毅外相 中共孤立化を否定 日中友好レセプション」
(日本経済新聞昭和41年10月4日朝刊1面)
「【北京三日=鮫島特派員】中共の中日友好協会は三日午後四時から北京の人民大会堂三階広間で同協会成立三周年を記念するレセプションを開いた。(中略)席上、郭沫若氏が"反中路線"をとる日共に激しい非難のことばを浴びせたほか、陳毅外相も「中国は決して国際的に孤立していない」と述べるなど、日本人だけを招いたレセプションでの発言としてはめずらしく"具体的演説"を行い注目された。(中略)
郭沫若名誉会長 中国の人民は毛沢東の教えに従って日本人と平等互恵の友情を築き上げたし、また米帝国主義と現代修正主義に反対する国際的な統一戦線を拡大してきた。しかし一部の人間は口実を設けて日中友好に反対しようとし、口に日中友好を叫びながら実際には日中友好を破壊している。
(この郭沫若発言は日共を名ざしで批判したものではないが、明らかにそれとわかるきめつけ方であり、対日関係者が公式の席上でこれほどはっきり、対日関係者が公式の席上でこれほどはっきりと日共の"反中路線"を非難、攻撃したのはこれが初めてである)」
見出しで『日共路線を非難』とあるから、どれだけ荒い口調かと思ったら『一部の人間』ってだけで直接言及しているわけじゃないんですね。共産主義的言い回しって難解だなぁ。
「接収ダイヤ 29日売り出し」
(読売新聞昭和41年10月4日朝刊15面)
「接収ダイヤがいよいよ二十九日から全国都道府県庁所在地の貴金属店、デパートで売り出される。
大蔵省三日の発表によると、こんど放出されるダイヤは、戦時中接収されたまま日銀本店の地下金庫に眠っていた十六万一千カラット、百五十万個のうちの一万四千カラット、二万五千個。このうち一般国民向けは七千カラット、一万二千個で、残り半分は十八グループに分けて、国内専門業者の競争入札になる。」
接収ダイヤとはどういうものなのかが、もう一つ分からないのですが、戦時中に国庫に入っていたダイヤ(軍が接収したもの?)を返却できないので、払い下げてしまおうというものらしいです。値段が市況にくらべて安いのかどうかは知りませんが、結構人気が出るのでは?
「バスの床に、ぽっかり穴 幼女が落ち即死 点検窓のフタがはずれる」
(毎日新聞昭和41年10月4日朝刊15面)
「【七尾】三日午前十一時五十分ごろ北陸鉄道七尾発羽咋(はくい)市小金森行き定期バスに乗っていた石川県鹿島郡石田拓郎さんの妻、喜代子さん(二五)と長女、先恵ちゃん(三つ)が同町、越路小学校前停留所で下車しようと停車口に近づいたところ、床の真ん中にある鉄のワクにはまった木製のエンジンシャフト点検ふた(縱五十センチ、横六十センチ)に先恵ちゃんが足をかけたとたん、ふたがはずれ、先恵ちゃんは点検口から床下に落ち込み、シャフトに巻き込まれて即死した。」
こりゃヒドい事故ですね。お母さんの目の前ですっと消えたと思ったら、床の下に落ちてバスのドライブシャフトに巻き込まれたんですか...。ちょっと残酷すぎませんか、これ。
今日の殺伐
「"赤い羽根を買え" 渋谷で高校生がおどし」
(読売新聞昭和41年10月4日朝刊15面)
「三日午後、東京・渋谷で、通行人に「赤い羽根」を強制しようとした高校生が、断られてその通行人をなぐり、暴行現行犯で渋谷署につかまった。
同日午後一時半ごろ、渋谷区渋谷一丁目の宮益坂を、友人二人と歩いていた大沢隆君(一九)は、すれ違った若い男に「ガンをつけたな」といいがかかりをつけられ、近くの路地に連れ込まれた。大沢君が「もしガンをつけたのなら、あやまります」というと、男はこんどは「赤い羽根を買え」とおどした。大沢君が「赤い羽根は強制されるものではない」といって逃げ出すと、男は約五十メートル追いかけて、大沢君の腰をけった。
たまたま付近を通りかかった同署のパトカーがみつけて、男を暴行現行犯で逮捕した。男は世田谷区私立高校生少年(一七)で「赤い羽根」十八本を持っていた。少年は「赤い羽根募金をしていた学友から"羽根があまったので、売ってくれ"といわれ売りつけようとした」といっている。
同署では「赤い羽根」の趣旨がゆがめられ、高校生などの間でパーティー券のように不明朗に"取り引き"されている疑いもあるとみて四日学校側の責任者を呼び事情を聞くという。」
慈善事業のためには暴力も辞さない高校生の登場です。売りつけようとした値段はいくらぐらいだったんでしょうか。まさか、大沢君の言い値じゃないよね。10 円出したら、『オレの赤い羽根がたった10円だってのか、エエこら。んなワケねえだろ。』とかいわれるんですよね、きっと。
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1966-10-04T21:55:54+09:00
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モンゴルと内モンゴルの合併提案
新しい電池に注目が集まっているようです。
「脚光浴びる燃料電池 蓄電池に比べて軽く小型 やがては電気自動車も」
(朝日新聞昭和41年10月3日朝刊11面)
「重くて、寿命の限られている在来の電池にかわって、燃料電池が最近脚光をあび出した。アメリカのジ...
「脚光浴びる燃料電池 蓄電池に比べて軽く小型 やがては電気自動車も」
(朝日新聞昭和41年10月3日朝刊11面)
「重くて、寿命の限られている在来の電池にかわって、燃料電池が最近脚光をあび出した。アメリカのジェミニ衛星船に積込まれて話題となったのだが、この燃料電池、単に宇宙に限らず将来うまく開発できれば、公害のない電気自動車の電源となる可能性も大きい。」
まさに宇宙時代の新エネルギー。公害のない自動車が早く実現することを期待したいですね。
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「九人、北朝鮮へ送還 平新艇事件」
(毎日新聞昭和41年10月3日夕刊1面)
「【横浜】"平新艇事件"で不起訴になり、北朝鮮に強制送還させられる非亡命派の副船長金基逢(三八)ら九人は、三日午前十一時横浜出向のソ連定期客船"バイカル号"でソ連ナホトカ経由、北朝鮮に送還された。
九人は同日午前六時十五分海上保安庁の巡視船"だいおう"で下関から海路横浜港外に到着、直ちに横浜海上保安部の巡視船"はたぐも"に移されたうえ同七時二十分横浜港大桟橋D岸壁に接岸中のバイカル号に乗船した。
同岸壁前の送迎ターミナルには早朝から東京、横浜などの朝鮮総連系の朝鮮人約千二百人がかけつけ、また海上にはチャーターのランチに二百人が乗り、タラップを上がる九人を海陸から一斉に"マンセー、マンセー"(万歳、万歳)と叫びながら見送った。」
「平新艇の9人 関係者はホッと 船から船へバトン・タッチ」
(読売新聞昭和41年10月3日夕刊11面)
「【横浜】横浜港の大桟橋は、三日、早朝というのに約千人の見送り人がつめかけた。「平新艇」の九人は手を振ってこたえ、意気揚々たるもの。記者会見の席でも" 帰国後は祖国の建設につくす"と語りバイカル号で日本の海を去っていった。あとに残った海上保安部の関係者は、さすがにホッとした表情で船影を見送っていた。
桟橋には、朝もやをついて早朝から朝鮮総連の人たちが、北朝鮮の国旗や帰国歓送ののぼりを手に手に集まっていたが、到着した九人にたいし「南へ行った四人のおどしに負けずよくがんばった」などと一斉に歓声をあげた。」
千人の『マンセー』だけでも、かなりの音量だとおもいますが、朝日夕刊の記事によると、見送り陣はブラスバンドも用意していたとか。さぞ賑やかだったでしょうね。ここ連日、総連さんや民団さんのシュプレヒコール合戦の矢面にたっていた海上保安庁の担当者には、ホントにお疲れ様と言ってあげたい気分です。
「内モンゴルと合併し 新たな統一国家を 中共、モンゴルに提案か」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊3面)
「【ロンドン一日UPI】ロンドンに一日達した外交報告によると、中共はモンゴルに対し、ソ連圏から離脱して中共支配下の内モンゴルと合併し、モンゴル民族だけの新たな独立国家を樹立してはどうかと働きかけたが、モンゴルはこれを拒否した。
モンゴルは反中共路線をとっており、中ソ論争で最近ソ連側についたが、この中共提案を拒否したのは、統一モンゴルといっても中国人は数のうえでははるかに優勢であり、中共の影響力からのがれられないため、独立はみせかけだと判断したためかもしれない。しかし今回の動きは、北京がソ連の勢力範囲およびソ連自体に対してしだいに圧力をかけつつあることをはっきりと示している。」
中共様が外交攻勢に出てきました。現在ソ連陣営のモンゴルに秋波を送っています。モンゴルは拒否したようですが、まあチベットの現況を見れば、断るのも当然でしょうな。
「劉少奇主席を黙殺 国慶節報じた人民日報」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊3面)
「【北京二日高田特派員】一日の第十七回国慶節を報じた二日付の人民日報は同日午後四時ごろ発表されたが、毛沢東主席の健在を強調する半面、依然として劉少奇国家主席および朱徳常務委員長らを黙殺するような編集を続けている。」
天安門のひな壇に現れた劉少奇ですが、相変わらず党内での立場は不安定なようで、こんな報道が流れています。いきなり完全失脚では国内で動揺があるので、少しずつ閑職に押し込んでいく腹づもりなんでしょうか?
「中ソ、国境で衝突? 英紙」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊3面)
「【ロンドン二日共同】二日付の英独立系週刊誌オブザーバーによれば、ソ連、中共の軍隊はことしの夏いらい両国国境の最南にあたらう新疆ウイグル自治区、アフガニスタン国境近くで衝突を続けており、その規模もこぜりあいの範囲を越えたようだといわれる。」
ついに、中ソ武力衝突か?まだ詳報がないので未確認ですが、両国の雰囲気を見ていると本当にいつ衝突が起こっておかしくないといった感じですね。
「"原爆は防御できる" 中国の核実験記録映画 実験動物の様子映し強調」
(朝日新聞昭和41年10月3日夕刊1面)
「【北京=野上特派員二日発】中国では建国十七周年の国慶節を機会に、三回にわたる中国の核実験成功の記録映画を、北京、天津、上海などの大都市で公開することになった。記者は二日夜、国際クラブ(紅衛兵のために一度閉鎖されたが、最近再会された)の招待で、その試写会を見ることができた。(中略)
三回目の実験では、いろいろな実験動物が使われ、一部は飛行機に乗せられた。爆発直後のキノコ雲が映ったあと、れんが造りの建物が煙をあげてくずれ落ちるところが映しだされたが、そのあとからは実験に供された動物や植物の様子が映し出された。
まず、実験のあとでもニワトリはタマゴを生んだという説明で、白色レグホンが入れられたカゴのなかに、タマゴが二つ生み落とされている光景、つづいて地下ごうのなかのオリで、サルが元気に動きまわっている写真、最後にはトウモロコシの種が回収され、これをまいたところ、正常に成育した様子が映し出されて「本当に防備さえすれば、原子爆弾は完全に防御できる」という説明がはいった。
この映画は「米帝国主義、フルシチョフ修正主義者は、原子爆弾は人類はじめ、いっさいのものを滅亡させるという作り話をふりまいているが、これは完全に偽りであることが証明された」という説明で終わった。」
なるほど、米ソのMAD(相互確実破壊)体制を崩すには、『原爆では死なない』という信念を持つことが必要というわけですか。それって、かなり『風説の流布』じゃ...。
「日比共同声明を発表 比大統領きょう離日 ベトナム和平に努力」
(毎日新聞昭和41年10月3日朝刊1面)
「フィリピンのマルコス大統領は国賓として九月二十八日に来日して以来、二十九日に佐藤首相と会談、ベトナム和平の早期実現などについて話し合ったのをはじめ、岸元首相ら政財界の要人とも懇談、日比両国の親善、友好関係の増進に大きな役割を果たしたが、三日午前十時半羽田空港のフィリピン航空特別機で離日する。」
来日していたマルコス大統領が帰国しました。近々ベトナム問題に関して米国主催のマニラ会議が開かれる予定ですが、一躍国際政治の表舞台に躍り出てきた印象があります。
「船堀橋(荒川)ポッキリ ハシケが橋脚に衝突し」
(読売新聞昭和41年10月3日朝刊15面)
「二日午前十一時半ごろ、東京都江戸川区小松川一の一さき、荒川の船堀橋中央部で、中央区新川二の七、千代田区曳船会社の「第二熊丸」にひかれて下流に向け航行中の横浜市中区本町三四、中央運輸会社のハシケ「第二十中央丸」が、木造の橋脚に衝突、このショックで長さ五百六十メートル、幅四ー六メートルの橋の一部が、長さ十四にわたってずり落ち、通行ができなくなった。
小松川署の調べによると、ひき船の「第二熊丸」が橋の手前で減速したが、おりから台風二十八号の前ぶれの風と干潮時の流れの速さから「第二十中央丸」のかじ操作ができなくなり、衝突したらしい。」
この橋は大正十一年開通の古い橋で、基礎だけコンクリートで残りは木製というもの。昭和三十九年は火事で中央部が100メートルも焼け落ちて古材で修理し、またその後橋脚が腐ったため補修したとか。さすがにそこまで傷んでいるなら、いっそ新しい橋をかけたほうがいいんじゃないかと。都建設局の話では、年末まで通行止めだそうです。
「若い男三、四人浮かぶ 長うた師匠殺し」
(読売新聞昭和41年10月3日朝刊15面)
「東京・大塚のアパートで長うた師匠室井誠一さん(三二)が殺された事件の大塚署捜査本部は、室井さんの交友関係を中心に操作を進めていたが、二日までに比較的若い男三、四人がしばしばアパートを訪問していたことがわかった。(中略)
この男たちは、室井さんが、新宿方面のゲイバーで知りあったらしいことがわかり、この方面を中心に聞き込み捜査をしている。」
男女の痴情のもつれの線かと思ったら、事項の構図がまた変わってきました。ゲイボーイがからんでいるそうな。
今日の殺伐
「東京こわい 24時間に殺人4件も 捜査本部ついに20 凶悪化しほとんど衝動的」
(読売新聞昭和41年10月3日朝刊15面)
「このところ、殺人事件が続発している。二日早朝、東京・四谷の旅館でアベックの女が殺され、七時間後には、葛飾のドブで税理士の老人が首にナイフをつき刺されていた。一日には、大塚のアパートで長うた師匠、荒川では父親が十六歳のむすこに刺し殺された。わずか二十四時間でなんと四件の殺人事件が発生している。このうち犯人が逮捕されたのは父親殺しだけ。都内の殺人事件は六月はじめから急にふえ出し、未遂や傷害致死まで含めると、三日に一件の割り合いだ。警視庁捜査一課は七班ある殺人班だけでは足りず、強盗捜査班(四班)まで投入してやっと犯人を追っている始末で"足"も乱れがち。こんなに多発した理由や背景は、いちがいにはいえないが、なんとなく"こわくて不安な東京"になってきた---。(中略)
都立大岩井弘融教授(犯罪社会学)に聞いてみると、つぎのように分析する。
「(中略)解決策としては、とくに少年たちが、人生に希望が持てるようにする。血の通った経済成長が、常識的だが根本ではないだろうか。」
岩井先生によれば、若い人の間で希望が持てないようになっていることが殺人の遠因だそうです。世知辛い世の中ですね。きっと、40年も経てば、若い人たちも今よりずっと希望が持てるようになるでしょう。
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1966-10-03T21:50:21+09:00
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ソ連も自民も途中退席
元衆議院議長の招きで東京裁判のパール元判事が来日されたとのことです。
「東京裁判のパール氏来日」
(朝日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)
「極東軍事裁判の判事で、東条被告らの有罪判決に反対意見書を出したインドのラダ・ビノット・パール氏(八○)が一日...
「東京裁判のパール氏来日」
(朝日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)
「極東軍事裁判の判事で、東条被告らの有罪判決に反対意見書を出したインドのラダ・ビノット・パール氏(八○)が一日夜九時すぎ日航機で羽田空港についた。(中略)
歓迎の花束を受取ると合掌して「愛する日本へ来てうれしい。あの時の私の意見はいまでも正しいと確信している。」
現在80歳ということは、東京裁判の歳は60歳前後だったんですね。戦後は遠くなりにけりですな。
新聞斜め読み
「林彪演説に抗議して退場 ソ連・東欧代表」
(毎日新聞昭和41年10月2日朝刊1面)
「【北京一日ロイター=共同】中国の第十七回国慶節に列席していたソ連および東欧諸国の各代表は一日、パレードに先立って行われた林彪国防省の演説で、ベトナムに関する部分の演説内容に抗議して一世に退席した。
ソ連代表らが抗議したのは、同国国防相が演説のなかで「米国を先頭とする帝国主義とソ連共産党を中心とする現代修正主義は共謀して、インチキな和平会談をたくらみ、米国の侵略に反対するベトナム人民による民族革命戦争の怒りの火をもみ消そうとしている」と述べた部分で、ルーマニア、北朝鮮、北ベトナムなど、中ソ論争で中立の立場の各国代表と、ユーゴ、キューバ、アルバニアの各代表は引き続き参加していた。」
一触即発な雰囲気ですね。しかし、「インチキな和平会談」とソ連を名指しで糾弾されたら、退席するしかないですわな。
「中共の国慶節 ソ連、冷ややかな祝電 毛ー林政権を無視 頭越しに人民友好訴える」
(毎日新聞昭和41年10月2日朝刊3面)
「【モスクワ一日平野特派員】中共の国慶節当日の一日、モスクワの表情は紅衛兵以後の中ソ関係の急激な冷却化をはっきり浮きぼりにした。ソ連指導部が同日、北京に送った恒例の祝電が毛ー林政権を全く無視し、その頭越しに中国共産党員と中国人民に直接、友好強化を訴えたことほどソ連国民感情を物語ったものはないだろう。(中略)
ことしの祝電は一切の名前がけずられ、ソ連党中央委最高会議幹部会、閣僚会議から中共党中央委、国家主席、人民大会常務委、国務院に贈られたもので内容もソ連は今後も「中共党員と人民との友好を強化する路線を進める」と述べ、中共の労働者、農民、インテリ、一般大衆が「現代の困難を克服することを望む」としている。「現在の困難を克服」とは毛ー林路線の克服、つまり打倒をよびかけたものと解される。」
で、対抗してソ連の祝電。毛様は無視して、中国人民への訴え。しかし、中共内に住んでいて毛様に逆らう根性のある人間はそうはいないでしょうな。果たしてソ連の思惑通り、毛ー林ラインに弓を引くものは出てくるのか?
「参院決算委 異例の幕切れ スーッと廊下へ 自民理事 野党各派はカンカン」
(朝日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)
「「共和精糖グループ」に対する過剰融資問題を追求していた一日の参院決算委(鶴園哲夫委員長=社会)は、審議中、自民党の理事が次々と退場、最後の質問者、岩間正男委員(共産)の質問が終わったときには、自民党でただ一人残っていた仲原善一理事も姿を消したため、審議はストップしてしまった。委員会終了後、理事会を開いてこれから日程をきめようにも、自民党の理事が一人もいなくてはどうにもならない。異例のできごとに、鶴園委員長は審議を中断、事務当局を八方に走らせて、必死の"捜索"をしたが、仲原理事は行方不明、その間一時間近く、ついに今後の日程も決めぬまま委員会は散会した。」
「そのうちに野党委員の中から、自民党の調停役、仲原理事に"同情"する声も出はじめた。「ひとりだけで野党の攻撃をだまって聞いているのもつらいだろうなあ。疑惑だ、ニセ領収書だ、印鑑だ、と毎日毎日やられて、ジッとしてなければならないんだからなあ。」」
ここ1カ月ほど、自民党の疑惑、いわゆる"黒い霧"で国会も大揺れです。先日逮捕された田中彰治やら、この記事の共和精糖グループの疑惑やら、いろんな疑惑が渦巻いております。その中での決算委員会中途失踪事件でした。しかし、野党の議員に同情されるとは、よっぽどの総攻撃だったんでしょう。
今日の殺伐
「"悪友とつき合うな"と注意され 路上で父を刺殺」
(毎日新聞昭和41年10月2日朝刊15面)
「一日午後七時半ごろ東京荒川区西日暮里六の三の三の路上で、同区町屋、製本業、Aさん(四六)は二男の無職、M(一六)に刃渡り八センチの折りたたみナイフで左胸を刺され、近くの病院に運ばれたが、出血多量で死んだ。Mは一緒にいた友人のK(一六)=同区西日暮里、元コック見習い=とすぐに自首しようと、近くの西日暮里一丁目交番へ向かう途中、一一○番でかけつけた荒川署に、Mは尊属殺人、Kは殺人予備で逮捕された。
同署の調べによると、Mは父が母親と離婚、七回も妻をかえたり、酒を飲んでなぐったりするので、三月に家を飛び出しKの家に泊まっていたが、同夜、父が迎えにきてKをさして「おまえはこいつにひっぱられて家を飛び出したのだろう。友だちが悪い」とKを非難し、さらに「だいたいここは家がきたない」と、Kの母にも悪口をいったうえ、連れて帰ろうとした。
口論しながら約十五メートル離れたところにきたとき、再び父に「あんな家に泊まるな。友だちも悪いが、おまえも悪い」としかられた。カッとなったMがナイフを出すと、父が「殺すなら殺せ」といったので刺した、といっている。」
殺された人を指弾するするのもいかがとは思いますが、父親の暴言もかなりのものですね。『だいたいここは家がきたない』はないのではないかと。それだけ、Mの暮らしていた環境が荒んでいたことの証しなんでしょうが。
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1966-10-02T21:43:07+09:00
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デビ夫人ご懐妊 いよいよカローラ発表へ
スカルノ大統領の威信が低下しつつあるので、気になっていたデビ婦人についてのニュースがありました。
「デビ夫人が姙娠四カ月 お産は東京で」
(毎日新聞昭和41年10月1日夕刊10面)
「【ジャカルタ三十日AP=共同】インドネシアのスカルノ大統領夫人、デビさ...
「デビ夫人が姙娠四カ月 お産は東京で」
(毎日新聞昭和41年10月1日夕刊10面)
「【ジャカルタ三十日AP=共同】インドネシアのスカルノ大統領夫人、デビさん(二六)が姙娠四カ月であることがわかった。権威筋によると、デビさんは、出産の前に東京に里帰りするという。予定日は来年二月ないし三月上旬とみられる。スカルノ大統領は、すでにデビさん以外の二人の夫人との間に四男三女がある。」
今のところはインドネシアにいらっしゃるようですね。しかし、昨年の9.30事件以降、スカルノ氏は軟禁状態にあったと思うのですが、姙娠四カ月ですか、そうですか...。
新聞斜め読み
「劉主席、三位で登壇 中共の国慶節式典 北京 三○○万人が参加」
(毎日新聞昭和41年10月1日夕刊1面)
「【北京一日高田特派員】中華人民共和国の成立十七周年を祝う国慶節式典は一日午前十時(日本時間同十一時)から首都北京の天安門広場で始められた。文化大革命の高まりの中で迎えた国慶節とあって、参加者は全国からはせ参じた百五十万の紅衛兵を含めて約三百万人というかつてない大規模な者である。式典は毛沢東中国共産党主席を筆頭とする党と国家の指導者が天安門楼上に姿を見せたあと、林彪国防省の開会演説、労働者、農民、兵士および紅衛兵の代表が演説、このあと約五時間にわたる大祝賀パレードが秋空のもと、天安門広場に盛大に展開された。天安門楼上には、その地位を注目されている劉少奇国家主席も姿を見せ、実況放送では毛沢東、林彪についで三番目に名前をあげられた。また今次文化大革命と紅衛兵運動を通じてのし上がった陶鋳以下の新指導陣が上位に名を連ねた。一方、林彪国防相の率いる解放軍が七年ぶりに式典に参加したのも目をひいた。」
気になったのは、参加人数に関する報道。毎日では300万人ですが、朝日は150万人、読売は200万人、日経は150万人の見出し。ま、100万人を越えるとそれ以上は見当がつかないので、どうでもいいと言えばどうでもいい数字ではありますが、それにしても最高の数字と最低の数字の差が150万。政令指定都市が3つ作れますな。
「ナチ戦犯二人釈放」
(読売新聞昭和41年10月1日夕刊2面)
「【ベルリン三十日発=AP】西ベルリンのシュパンダウ戦犯刑務所から三十日深夜、ナチ戦犯のバルドウル・フォン・シーラッハ元ヒトラー・ユーゲント指導者(五九)アルベルト・シュペーア元軍需相(六一)の二人が釈放された。二人は二十年間の刑期を終わったもので同刑務所に残っている戦犯はルドルフ・ヘス元副総統(七三)一人だけである。」
二十年の刑期終了ということですが、第二次大戦終結からもう二十年たったということなんですね。ヘスは終身刑だから、出獄できる可能性のある人は全て出獄した勘定になります。
「混戦か 乗用車業界"秋の陣" 火花散らす大衆車」
(毎日新聞昭和41年10月1日朝刊6面)
「トヨタの「カローラ」は二十六日から始まるモーターショーの直前に発表される予定だが、トヨタでは「MG、プジョーなど欧州車に比べても性能はすぐれている」(神谷正太郎トヨタ自販社長)というほどの自身を示しており、大衆車の"決定版"として同社の中心車種とする構えである。(中略)
しかし、この分野では、すでに日産サニー、三菱コルト、東洋工業ファミリア、富士重工スバル、ダイハツ・ベルリーナ、鈴木フロンテと、各車のファミリーカーが目白押しの状態だ。そこへ業界トップのトヨタが強大な販売力で切り込めば、シュア(市場占拠率)争いが一段と激しくなることは明らか。しかも大衆車合戦での勝負が業界再編成への道につながるとあって、各社とも防戦に必死となっている。」
いよいよ本命トヨタが小型車に本格進出のようです。対抗馬の日産サニーは既に今年の4月に発売されていますが、果たしてカローラはサニーを追い抜くことができるんでしょうか。
「救出の娘さん死ぬ 足和田」
(読売新聞昭和41年10月1日朝刊15面)
「【足和田】山津波のため大災害を受けた山梨県南都留郡足和田村西湖地区で、さる二十七日午前十一時ごろ、五十八時間ぶりに救出され、同郡河口湖町の岳麓赤十字病院に収容されていた三浦ふじ江さん(一九)は、医師の手当てのかいもなく、三十日午後三時二十分ごろ息を引き取った。」
救出された際に傷が重いようだったので心配されていたのですが、残念な結果になってしまいました。
「"金返す"と二万五千円 押し倒してねじ込む 有楽町で若い男 運転手さんキョトン」
(読売新聞昭和41年10月1日朝刊15面)
「三十日午後八時五十分ごろ、東京都千代田区有楽町二の三、丸の内松竹劇場前の道路で、第一勧銀築地支店運転手福島昭夫さん(三七)が乗用車をとめていたところ、歩道を歩いてきた若い男がいきなり車のドアをあけて「君に金を借りていたから返す」と折った札を福島さんにさし出した。おどろいた福島さんが顔をみるとまったく見おぼえがない男。「ぼくは知らない」と答えると、男は「なにをいうんだ。バカヤロウ」とどなりつけ、福島さんのえり首をつかんで車のシートに押し倒し、えり首に札を押し込んで立ち去った。
福島さんが調べてみると、一万円札二枚、五千円札一枚の計二万五千円。男を追いかけて返そうとしたが姿がみえず、丸の内署に届け出た。」
福島さんは集金途中だったので、はじめは強盗かと思って身構えたとのことですが、逆に金を押しつけられてしまいました。しかし、流石銀行員だけあって、ちゃんと警察に届けるところがエライ。
今日の殺伐
「幼女をねらう"通り魔" 白昼、品川で二人切る 先月から三件目 犯人は同じ中年男?」
(読売新聞昭和41年10月1日朝刊15面)
「三十日午後三時二十五分ごろ、品川区西品川、生け花教授の長女H子ちゃん(五つ)が妹(二つ)を連れておやつを買いに家から出たところ、ぶらぶら歩いてきた中年の男に「ちょっと」と呼び止められていきなり後ろから抱きかかえられた。H子ちゃんがこわくなって「いやだッ」ともがいているうちに、男は刃物でH子ちゃんの下腹部二か所を切りつけ、歩いて田園都市線大井町駅の方へ逃げた。
約四十五分後、こんどはH子ちゃんの家から約七百メートル離れた同区二葉町の路地裏で同町ネジ製造業の長女Y子ちゃん(五つ)が、近所の男の子四人と遊んでいると、ふらっと路地にはいってきた中年の男にいきなり刃物で下腹部二か所を切りつけられた。いっしょに遊んでいた友だちがびっくりしているスキに、男は路地から表通りに出て姿を消した。二人ともそれぞれ近くの病院で手当てを受けたが十日間のケガ。」
子供を対象とした性犯罪者のようですね。無防備な幼女を狙うような卑劣な犯行は本当に無くなって欲しいものです。
「酔って先生に暴行 愛知で高校生 職員室に監禁して」
(毎日新聞昭和41年10月1日夕刊11面)
「【新城】県立新城高校幸手分校で、生徒らが先生を監禁、暴行した事件があり、新城署で捜査を始めた。
調べによると、九月二十九日、同分校で体育祭が開かれ三十日午後六時からその反省で職員会議を開いていたところ、同十時ごろ、三年生ら九人の男子生徒が酒に酔い、自転車のチェーンやスパナを持って職員室に押しかけ、十三人(うち女四人)の先生を監禁して「ばかやろう」とののしったり暴行を加えた。
同校の話では、生徒たちは二十九日の体育祭でプログラムにない騎馬戦をやろうとしたところ、先生が許可しなかったこと、また六月二十一日、一人がバイクを無免許運転し事故を起こしてけん責処分になった処置がひどすぎると腹をたててやったらしい。」
バイク無免許で事故を起こしてけん責なら、十分甘い措置だと思うんですが、それが不満だったんでしょうか。
「長唄師匠殺される 大塚 面識者? 縛って刺す」
(毎日新聞昭和41年10月1日夕刊11面)
「一日午前八時四十分ごろ、文京区大塚、斎藤アパート一階四号室、長唄師匠、室井誠一さん(二二) =芸名・杵屋六誠一=が部屋で殺されているのを、主婦、山口英子さん(四七)が発見、大塚署に届け出た。(中略)
室井さんは全裸で、両手を細ヒモで後ろに縛られ、ふとんの上にうつ伏せに倒れていた。背中や大たい部などを刃物で約四十カ所刺した跡があり、頭に夏がけタオルがすっぽりかけてあった。室内に物色の跡はない。(中略)
同アパートは三十六年四月から借りていたが、家族は部屋を借りていたのを知らなかった。アパートの近くの人の話だと室井さんの部屋の軒下に女物の下着が干してあったこともあるという。」
『家族は部屋を借りていたのを知らなかった。』ということは、浮気のための部屋だったのでしょうか。とすると、痴情の末の犯行か?
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1966-10-01T21:21:39+09:00
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そして長寿は続く...
先ずはお詫びから。
昨日お伝えした世界一長寿の老人の死ですが、なんと誤報でした。
「どっこい生きていた 世界一長寿のミスリモフ老」
(毎日新聞昭和41年9月30日朝刊15面)
「【バクー(ソ連)二十九日タス】死亡を伝えられた"世界一の長寿者"ソ連のシラ...
昨日お伝えした世界一長寿の老人の死ですが、なんと誤報でした。
「どっこい生きていた 世界一長寿のミスリモフ老」
(毎日新聞昭和41年9月30日朝刊15面)
「【バクー(ソ連)二十九日タス】死亡を伝えられた"世界一の長寿者"ソ連のシラリ・ミスリモフさんは元気で生きており、二十九日、この死亡ニュースを打ち消した。
ミスリモフさんはアゼルバイジャン南方のバルザブ村で暮らしており、ことし百六十一才(推定)。VOA放送が死亡のニュースを流したとき、果樹園でリンゴをつんでいたという。」
そもそも、どういう経緯で昨日死亡報道が流れたかが不思議です。CIAの陰謀なんだろうか。
新聞斜め読み
「"二つの中国論"に脚光 国連総会の一般演説 代表権 やる気失った共産圏」
(毎日新聞昭和41年9月30日夕刊2面)
「【ニューヨーク国連本部二十八日林(卓)特派員】第二十一回国連総会三日目の二十二日から始まった各国代表の一般討論演説では、予想どおり懸案の中国代表権問題がベトナム問題、アフリカ問題とともに大きな論争点として浮きぼりされている。(中略)
こんどの論議で特徴的なのは、第一に中共支持圏の諸国、アルバニアを除く他の共産諸国がすっっかり"やる気"を失っていること、第二にゴールドバーグ演説を口火として「二つの中国論」(正確には「一つの中国、一つの台湾」)が脚光を浴びてきたことである。ソ連圏共産国が中共の国連参加へのかつての情熱を失っていることは二十三日のグロムイコ・ソ連外相の演説に示された。」
中ソ対立が、中共の国連加盟の障害になっているようです。自民党の訪中団を厚遇したのも、国連加盟に力を貸して欲しいという希望があるという観測が出ていましたが、それでもソ連の後押しがないと難しいのではないでしょうか。まさか不倶戴天の敵である米帝が協力してくれるワケもないし。
「大衆の「なまの声」吸上げ 紅衛兵旋風 功罪は今後の動きに」
(朝日新聞昭和41年9月30日夕刊7面)
「だが、紅衛兵の動きを否定的側面からだけ捕えることには問題が残ろう。この運動が毛沢東ー林彪ラインの党中央主流派の意向の反映だとしても、北京大学をはじめ、武漢、南京など各地の大学、中学校などでは学生たちからの「現体制批判」がすでに六月ごろから起っていた。これが紅衛兵運動につながる要素を多分に持っていたわけで、そこには若い世代の"自主性"を持った要求があった点も認めねばなるまい。
また党中央が"紅衛兵旋風"の基本的な方向は認めながら、その動きにしたがって、操作、調整していく能力を持っていた点も見落とせまい。(中略)
さらに、党中央が北京と全国各地の"紅衛兵経験交流"を奨励し、それによって、全国の反響を冷静に分析していたとみることもできよう。首都・北京には各地からの情報が「ポスター」や「壁新聞」によって洗いざらい報告されたが、これは党中央が紅衛兵という一つの大衆運動を活用し、人民大衆の「なまの声」を吸上げたものとして注目される。(中略)
つまり紅衛兵運動は、一般大衆にも文化大革命の本質を理解させると同時に、旋風の主体となった紅衛兵自身にも"正しいやり方"を学ばせたもの、ということができる。この運動の功罪がはっきりするのは、むしろこれからの動きにかかっているといえよう。」
久しぶりに出た、朝日新聞の紅衛兵ヨイショ記事。なんだか、若い世代の"自主性"にこだわっていらっしゃるようですが、自主性があろうがなかろうが、ダメなものはダメなんでは?
「混迷続くインドネシア きょう九・三○事件一周年 力関係なお不安定」
(毎日新聞昭和41年9月30日朝刊1面)
「ところで軍部筋の間では、軍部内の力関係についてつぎのような数字がささやかれている。親ナスチオン四五パーセント、親スハルト三五パーセント、大統領派二 ○パーセント、ただしスハルト将軍が力に訴えた政治を行うような場合は、親スハルト派はスハルト支援を取り下げるという条件がついているという。そこでスハルト将軍は現在の穏健で、ときに煮え切らないとみられる政策を変えることはできないのである。」
国軍創設以来の親玉であるナスチオン将軍の人望はやはり高いようですね。スハルトとしても、自分の任期だけでは権力を維持できないので、スハルト派を完全に切ってしまうことができないらしいです。
「三日、ソ連船で送還 平新艇事件 不起訴の九人」
(毎日新聞昭和41年9月30日夕刊1面)
「政府は三十日、北朝鮮漁船平新艇事件で不起訴となった乗組員九人の送還について「十月三日午前十一時、横浜港を出港してナホトカへ向かうソ連客船バイカル号で、九人を北朝鮮に自費出国させる」ことを決めた。」
亡命組は韓国に渡ったので、残る九人の方を解決しないといけません。「自費出国」とは、バイカル号の船賃を北朝鮮に負担してもらうということなんでしょうか。
「サンフランシスコの暴動静まる」
(毎日新聞昭和41年9月30日朝刊3面)
「【サンフランシスコ二十九日AFP】サンフランシスコのスラム街ハンターズ・ポイント地区で荒れ狂った黒人暴動は、二十八日深夜から二十九日早朝にかけてようやく平静となった。しかし、暴動のさい屋上から警官や消防士に発砲した黒人を探索するために、重装備の州兵が同地区を巡回しており、同市北部のフィルモア黒人地区でも散発的に暴動の発生が伝えられるなど、いぜん緊張した空気がみなぎっている。」
昨日の続報。なんとか一日で鎮圧できたようですが、火種はまだまだ残っているようです。
「あすから営業 地下鉄、竹橋ー大手町」
(朝日新聞昭和41年9月30日夕刊11面)
「営団地下鉄東西線の竹橋ー大手町間(一キロ)の延長工事が完成、三十日午後零時四十分から開通式が行われた。一日から営業運転を開始する。(中略)これまで国電中央線に頼っていた都心への通勤者のうち相当数が東西線に移りそう。」
客が少なくて、夜間は女性一人では乗りにくい、とまで言われた東西線ですが、果たして乗客は思惑通り増えるでしょうか。
今日の殺伐
「包丁で刺す 国士舘大で傷害」
(朝日新聞昭和41年9月30日夕刊11面)
「調べによると、二十八日夜九時ごろ同寮の体育学部二年生Mら二人が同寮内の一年生を寮の隣に集め「上級生に対するあいさつが悪い」と平手でなぐった。吉田はなぐられた一年生のなかに吉田と同郷の学生がいたのに憤慨、二十九日午前一時ごろ同室の体育学部二年生冨士井君に「Mを呼んでこい」といいつけた。
冨士井君はMをみつけ「吉田が捜しているから逃げろ」と教えたところ、これをきいた吉田が刺身包丁で冨士井君の左腕、胸を刺し三週間のけがをさせたうえ、自宅の前で「後輩をなぐったやつはみな殺しにする」とわめき、同寮の体育学部二年日高君の左ももを刺し二週間のけがをさせた。」
記事を読んだだけでは、吉田君がどこに住んでいるのかよく分かりませんでした。自宅の前でわめいているところを見ると、寮には住んでいないようですが、同郷の後輩をかばっているというところを見ると、東京出身の学生ではないようですし。「自宅」というのが、寮の近くにあるアパートということなんでしょうか。しかし、稀にみるほどの郷土愛ですなぁ。『皆殺し』って。
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1966-09-30T18:15:49+09:00
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国産ガンバル YS-11 と IC ラジオ
ソ連の世界一長寿老人が亡くなったそうです。
「世界一?の長寿者ミスリモフ老 百六十余才で死ぬ」
(毎日新聞昭和41年9月29日夕刊11面)
「ミスリフさんは集団農場の守衛として死ぬ前までロバにまたがり毎日農場見回りに精を出していたという。百三十才のとき...
「世界一?の長寿者ミスリモフ老 百六十余才で死ぬ」
(毎日新聞昭和41年9月29日夕刊11面)
「ミスリフさんは集団農場の守衛として死ぬ前までロバにまたがり毎日農場見回りに精を出していたという。百三十才のときに一番末の子供が生まれ、話題になったそうだ。」
しかし、ロシア革命前の記録なんてかなりイイ加減なものなんでは?
新聞斜め読み
「国慶節の準備進む 一日 二百五十万人参加か」
(読売新聞昭和41年9月29日朝刊3面)
「【北京・関特派員二十八日発】紅衛兵旋風のさなかに建国十七周年の国慶節(十月一日)を間近に控えて、北京の町は祝典準備に大わらわである。消息筋によると、天安門広場で繰り広げられる祝典には百七十万を越える地方紅衛兵を含めて、例年の五倍に上る二百五十万以上の参加者が見込まれているという。主役はいうまでもなく毛沢東=林彪路線推進の先ぽう隊として登場してきた紅衛兵で、今年の国慶節式典は「毛主席と毛沢東思想」一色に塗りつぶされることになろう。」
本当に、人数だけは簡単に集まりますね。250万って。
「ソ連外交"二つの顔" のしかかる中共の冒険主義」
(毎日新聞昭和41年9月29日朝刊1面)
「【モスクワ二十八日谷畑特派員】(中略)
二年前(フルシチョフ失脚前)と決定的に違う要素としてソ連外交を規定するものは、ベトナム戦争の拡大と、その背後に大きくのしかかる中共の排外的な冒険主義の存在である。米ソ両国だけで処理できたキューバ危機時代とは、まったく異質の問題がソ連の前に横たわっている。
米国は「ソ連たたず」としてハノイ近郊に爆弾の雨を降らせ、中共はソ連の弱腰をたたきながらも米ソ対決の断がいに立たせようとの圧力をかけ、ソ連外交をジレンマに追いこんできた。ソ連がベトナム問題解決になんらかの役割を果たすとするならば、なによりも先に、このジレンマを克服しておかなければならない。
問題は中共である。」
キューバ危機の時代と比べると隔世の感がありますね。中共の存在はソ連をジレンマに追いこんでいるとのことですが、米国としてもキューバ危機のようにソ連の動きだけをみていればよかった時代と異なって、相手の出方を読むのが難しくなってきていると思います。ベトナム戦争の解決が難しくなっているのも、この点が絡んでいるのではないでしょうか。
「インドネシア 国連に正式復帰」
(日本経済新聞昭和41年9月29日朝刊1面)
「【ニューヨーク二十八日AP】パズワク国連総会議長は二十八日の総会で、インドネシアの国連復帰にかんするマリク外相のウ・タント国連事務総長あての通告を発表、同国の国連復帰を正式に認めた。」
強権を誇ったスハルト大統領の一存で決定した国連脱退ですが、ようやく復帰することが決定。おめでとうございます。
「YS-11 背水の陣 月産1.3機に注文73機 デモ飛行、うれしい誤算」
(毎日新聞昭和41年9月29日朝刊15面)
「デモ飛行の手はじめに二十三日から三日間サンフランシスコ空港で米国のローカル航空会社の社長らを乗せたところ「すごい離着陸性能だ」「すぐこれがほしい」と人気上々。すぐ地元のパシフィック・エアラインをはじめ米国、カナダ、パナマ三国の六社から計四十三機の注文、六月に米国のサウザーン・エアウェイズから来ている注文三十機を加えると早くも七十三機。これからセントルイスやアトランタを回れば、いくら注文が出るか見当もつかないという。
ところが、同社の生産能力は月わずかに一・三機。「売るつもりで出かけたもののまさかこんなにブームがわくとは・・・。こわくなってきたよ」と同専務は苦笑する。」
完成して後のエンジン不調など不具合が見つかり、発展途上国の国内便への売り込みもうまくいかず先行きが不安視されていたYS-11ですが、米国への売り込みがうまくいったようです。しかし、月産1.3機じゃせっかく注文が入ってもさばききれずにキャンセルされるのでは?
「集積回路 いよいよ茶の間へ まずラジオから ソニー試作品を契機に」
(日本経済新聞昭和41年9月29日朝刊4面)
「ソニーは二十八日、IC(集積回路)を使ったわが国初のICラジオの試作品を発表したが、これを契機にICを市民の生活に直結した一般用電子機器に応用することがわが国でも急速に進む見通しである。(中略)
ソニーが発表したICラジオは大きさが縱三十一ミリ、横五十八ミリ、奥行き十八ミリで、ピースの箱より小さい。九個のトランジスタ、四個のダイオード、十四個の抵抗器を一・五ミリx二・二五ミリのシリコンの単結晶板に組み込んだICを使ってこの超小型化を実現したもの。電子回路の小型化に伴い、スピーカー、バリコンなどの関連部品をも全部、同社で小型化した点で画期的な製品である。」
小さいですねー。さすが技術のソニー。トランジスターの発明で小さくなった電子機器ですが、集積回路で一層小さくなる模様。『トランジスターグラマー』なんて言葉が流行りましたが、次は『ICグラマー』でしょうか。
「潜ってスクリュー曲げる 大穴ねらった四人逮捕 浜名湖競艇」
(毎日新聞昭和41年9月29日朝刊15面)
「【浜松】競艇場でアクアラングを使い発走前のスクリューをペンチで折り曲げて減速させ、自分たちの買った艇を勝たせ七十余万円の配当金をせしめていた四人組が二十八日静岡県浜松中央署にモーターボート競争法違反、詐欺の疑いでつかまった。」
こりゃ大胆な犯行。ギャング映画の一シーンみたいですね。結局は捕まったものの、一旦は金をせしめているところがスゴイ。しかし、詐欺がバレたとなるとレースの払戻金の扱いはどうするんでしょうか。レース無効として金を払い戻すにしても、既に配当金を受け取った人は簡単には返してくれないでしょうし。
「米兵、犯行を自供 巣鴨の殺人 なぐって首絞める」
(毎日新聞昭和41年9月29日朝刊15面)
「東京豊島区巣鴨のアパートで二十六日未明、元銀行員、今井浩祐さん(三一)を絞殺した容疑で巣鴨署捜査本部が、埼玉県北足立郡朝霞町、在日米軍基地「ノース・キャンプ・ドレイク」陸軍総合病院勤務、スチーブン・K・コリンズ一等兵(三○)とエドウィン・E・スチュワート二等兵(二二)を取り調べていたが、二十八日午後、スチュワート二等兵が犯行を自供した。コリンズ一等兵は否認しているが同日午後四時すぎ二人を逮捕した。」
26日に起きた殺人ですが、取り調べていた米兵の容疑が固まったので逮捕へ。結局酒の上のケンカだったようです。
今日の殺伐
「英大使公邸を掃射 エジンバラ公は無事 南米で超国家主義者」
(朝日新聞昭和41年9月29日夕刊11面)
「【ブエノスアイレス二十九日発=ロイター】アルゼンチン訪問中の英国のエジンバラ公が、英連邦の外交官をブエノスアイレス駐在英大使公邸の夕食会に招いた二十八日夜、二台の車に分乗した男たちが同公邸に乗りつけ、自動小銃で掃射した。この襲撃で建物の一部は損害をうけたが、負傷者はなかった。エジンバラ公はアルゼンチン独立百五十周年記念のためブエノスアイレスを訪れ、同公邸に滞在していた。
地方紙の報道によると、英領フォークランド諸島の帰属問題にからんで、超国家主義者たちがエジンバラ公を誘かいして、"人質"にしようという計画だったといわれる。」
「シスコで黒人暴動 少年射殺から」
(読売新聞昭和41年9月29日朝刊15面)
「【サンフランシスコ・パターソン通信人二十七日発】車を盗んだ十六歳の黒人少年が二十七日夜、白人警官に射殺されたのをきっかけにサンフランシスコ市内で数百人の黒人、大部分は十代の少年が商店に放火したり、破壊したほか、警官に投石し、サンフランシスコは空前の暴動の町となった。」
今回は、海外の殺伐事情を紹介。アルゼンチンの事件は被害者も出ず、なによりでした。フォークランド諸島は19世紀から領土問題でもめていますから、これからも紛糾の火種になるでしょうね。もう一つはサンフランシスコの暴動。こちらも問題の原因が根深いものなんで一朝一夕には解決は難しく、これからも暴動が突発する不安はぬぐえません。
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1966-09-29T17:40:45+09:00
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「平新艇」事件ようやく終結へ
フィリピンのマルコス大統領が来日しました。読売の夕刊1面によると、夫人のイメルダさんやラモス外相ら総勢49人の大所帯で、国賓として10月3日まで滞在予定。ベトナムなど東南アジア問題が協議の中心となるようですね。マルコス氏は、昨年大統領に就任、現在 49歳。若い...
新聞斜め読み
「「平新艇」事件決着 四人、韓国へ退去 九人は近く北朝鮮送還」
(読売新聞昭和41年9月28日夕刊1面)
「【福岡、下関】平新艇事件を調べていた山口地検と同下関支部は乗り組み員の拘置期限が切れる二十八日朝、亡命を企てた閔庚泰副機関長(三一)ら四人を起訴猶予、監禁されていた白成徳甲板員(一九)ら九人を不起訴にすることを決めた。十三人の身柄は下関入国管理事務所が引き継いで、強制退去させることになり、閔ら四人は同日未明、マイクロバスで福岡に護送、同日午後二時四十五分大韓航空機で韓国に護送された。白ら九人は近く便船で北朝鮮に送られる。」
「歓迎と怒号のウズ 福岡空港 退去の4人やっと出発 「平新艇」で"南北"が騒ぐ」
(読売新聞昭和41年9月28日夕刊11面)
「【福岡】二十八日早朝、抜き打ち的に韓国送還がきまった平新艇の閔副機関長ら四人は、収容されていた山口刑務所下関支所を釈放、下関入管事務所係り員が引きとり福岡入国管理事務所にいったん収容、午前十時四十分さらに福岡空港に護送されたが、この間、送還反対派と歓迎派とが、すさまじい南北対立ぶりを現出、福岡空港ではものものしい警戒陣がしかれた。
福岡合同庁舎前では下関から車であとを追ってきた朝鮮総連の三十数人が、護送バスを降りた四人に「売国ド・・・」とののしりの言葉を投げつけ、四人は係り官に押し包まれるようにしてノートで顔をかくし、すばやく庁内に消えた。ピッタリと閉じた門の前に国旗を押し立てた朝鮮総連の人たちは「日本政府は平新艇と全船員を祖国に返せ」と書いたタスキをかけ、大声で共和国の歌をうたって北朝鮮送還の気勢をあげ、午前八時すぎには福岡市内からも応援につめかけて約八十人にふくれ上がった。
一方、韓国居留民団の代表も午前八時三十分すぎにかけつけ、同庁舎前に総連の国旗とならべて韓国旗を立てようとしたことからもみ合い、双方が旗を引きちぎるなど乱闘、割ってはいった警官をはさんでにらみ合った。
このため入管側も庁舎の正面玄関と裏口、通用口に厳重なカギをかけ、係り員を数人ずつ配属して抗議団の乱入に備えた。鉄筋六階建ての同庁舎は、ヤジと怒号のウズ。少数の民団員はすばやく庁舎裏のあき地に移動、応援を待って、四人が収容されている入管収容場に向かって大声で「安心してください。同胞は、みんなあなたを待っています」と激励した。
朝鮮総連のはげしいヤジを避け、逃げるようにして福岡入国管理事務所にはいった四人は、同事務所六階の収容場でもおびえきっていた。」
ようやく平新艇事件も終わりに近づいたようです。亡命を希望していた4人は韓国へ、残りの9人は北朝鮮へ。南北両陣営の応援団で大騒動の福岡ですが、分断後の半島の主導権争いの激しさを垣間見る感があります。読売の記事では、朝鮮総連のヤジの内容が分かりませんが、朝日では少し書いています。
「四首謀者 韓国へ退去 平新艇事件 強制令書を執行 護送に厳重な警戒 朝鮮総連系が抗議」
(朝日新聞昭和41年9月28日夕刊1面)
「福岡に着いた四人は、在日韓国人から差入れの背広に着替え、密入国当時の紺の工人服、工人帽姿とはうって変った装い。午前五時前、福岡市石城町の福岡港湾合同庁舎六階にある福岡入国管理事務所にいったん収容されたが、同事務所前では、下関、北九州市からあとを追ってきた北朝鮮系の朝鮮人約二十人が車から降りた四人に、つかみかからんばかりの勢いでかけより、朝鮮語で「人殺し」とののしり、護衛の警官ともみ合う場面もあった。
夜明けとともに入管前につめかける北朝鮮系の人たちがふえ、四人の韓国送りを実力ではばもうという動きもあったので、福岡入管事務所は、福岡県警の応援を求め、予定を繰上げ、午前十時四十分、四人を福岡空港事務所横の日本航空仮説待合室に移した。」
警備担当の方は本当にご苦労様でした。
「圧力に屈するな 社党申し入れ」
(朝日新聞昭和41年9月28日夕刊1面)
「社会党の山本国際局長、楢崎青少年局長(同党平新艇事件調査団長)は二十八日午後首相官邸で愛知官房長官と会い、政府が平新艇事件の首謀者四人を韓国へ送ることを決めたと伝えられることについて「韓国の圧力に屈し、犯罪人を擁護するような措置を取るべきではない」と申入れた。
同氏はこの申入れの際「社会党の調査によれば、今回の事件はその背後に韓国の下関領事館が介入している疑いがきわめて強い」と強調した。」
で、盟友日本社会党がさっそく抗議の声をあげています。『犯罪人を擁護するような措置を取るべきではない』と言われても、現下の国際情勢で、亡命希望者を北朝鮮に返すこともできるわけはないので、今回の政府の措置は妥当なものじゃないでしょうか。
「"国際紅衛兵"つくろう 訪中アフリカ人に訴える 北京の紅衛兵」
(毎日新聞昭和41年9月28日朝刊3面)
「【北京二十七日AFP】北京の紅衛兵たちは過去数日間、同市を訪れる外国人のうち、主としてアフリカ人に"国際紅衛兵運動"の創設を訴える小冊子を配っていることが二十七日明らかになった。この小冊子は毛沢東思想を語ったものである。もし、これが中共当局の決定によるとすれば、毛沢東主義国際運動の誕生を告げる信号だとみられよう。(中略)
同パンフレットは国際紅衛兵(紅衛兵インター)のメンバーになる資格として、つぎの五条件を掲げている。
(1)毛沢東主席を世界革命運動の最高指導者として認めること(2)毛沢東思想をマルクス・レーニズムの頂点として認識すること(3)それぞれの国において、毛沢東思想の熱心な指導者となること(4)この思想の支持者を積極的に育成すること(5)革命の勝利へ向かって死をも恐れず闘争すること」
『立て万国の紅衛兵』というワケでしょうか。対象を主にアフリカ人に絞っているところが渋い。まずは、世界中の信号の『赤』を発進の合図に変更することから始めよう。
「盛り場の本命は 警視庁が人手調査 「銀座」か「渋谷」か 生活かけトップ争い」
(読売新聞昭和41年9月28日朝刊13面)
「警視庁交通部は、二十七日午前七時から午後七時まで、都内の交差点百五十一か所で、人と車の通行量調査を行なった。この調査は毎年一回九月下旬から十月初旬にかけての一日をえらんで、都内いっせいに行なう恒例のものだが、歩行者の通行量は、盛り場の人出を数字にはっきりあらわすものだけに関心のまと。ことに銀座四丁目と渋谷駅前はここ三年、一、二位をせりあってきた間柄だけに、ことしはどちらが、"人出ナンバー・ワン"の栄冠をうるか、話題になっている。」
銀座も渋谷も、あれだけ人出があれば商売する側もホクホクだと思うのですが、『全国一位』という看板がほしいというところでしょうか。渋谷は、ついこの間まで単なる電車乗換駅だったのに、あっという間に繁華街になってしまいました。
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1966-09-28T17:28:24+09:00
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事件の陰に日本財閥
大阪万国博の入場料が二十六日内定したようです。27日の読売夕刊14面によると、大人600円 学生480円 小・中学生300円 小・中学生団体は 150円とのこと。通産省は400円と主張していたようですが、協会関係者の意見が通ったとのこと。正直、ちょっと高いかな、という感...
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「中共 紅衛兵運動が壁に 地方で巻き返し "突撃戦法"が反感あおる」
(毎日新聞昭和41年9月27日夕刊1面)
「【北京二十七日高田特派員】紅衛兵は最近ついに"組織"の壁に突き当たったようで、北京で見る壁新聞には、紅衛兵の攻撃を受けた地方の党指導者を擁護するものが目立ち、地元民衆の支持を受けた地方機関が巻返しに成功しつつあることを示している。すでに一年近い時間をかけた中共の「文化大革命」が毛沢東ー林彪路線による「劉少奇体制」への挑戦であったとすれば攻撃側の意図はざ折し、妥協のやむなきにいたるであろう---という見方が北京の外交筋の間で強まっている。」
恒例の文革ネタ。ちょっと地方の反撃にヘコまされている感じ。もっとガンバレ紅衛兵。
「"社会主義とは無縁" プラウダ 紅衛兵を痛烈に非難」
(毎日新聞昭和41年9月27日夕刊1面)
「【モスクワ二十七日平野特派員】ソ連共産党機関紙プラウダは二十六日、論文を掲げ、中共の紅衛兵を激烈なことばで"ならずもの"と呼び、中共文化大革命は「社会主義とは無縁のもの」ときめつけた。同論文は「中共文化大革命」に対し、もはや論ずるに足らずといった全面否定の調子で書かれており、ソ連指導部が紅衛兵を支持する党ー林彪路線との徹底的対決の決意を固めつつあることを示唆している。(中略)
ソ連の中共批判は、毛ー林路線による紅衛兵運動の全国的な波及を境に、毛ー林指導部敵視の色彩を濃くしている。連日ソ連各紙をにぎわしている紅衛兵の共産党員と労働者迫害ぶりのどぎつい描写の報道や相次ぐ毛批判論文は、フルシチョフ退陣直前のあのかさにかかった中共のフルシチョフ攻撃を、こんどは全く攻守ところを変えて再現してみせている感がある。新たな中ソの対決は毛ー林路線が敗退しない限り続く形勢になってきたといえる。」
反対に、ますますガンバっているのがソ連共産党。ははあ、紅衛兵問題で意趣返しですか。フルシチョフさんも、いいように中共から言われてましたもんね。
「「大宅考察組」中共から帰る」
(毎日新聞昭和41年9月27日朝刊15面)
「これまで中共を訪れる日本人が連日、百万人、二百万人の人民が動き回る力を見て単純に偉大だと感ずるのは危険だ。この偉大思想にとらわれれば日本はもう一度、明治コースに戻るだろう。日本と中国は国家が違う。向こうがダンプカーなら日本はトランジスターだ。」
昨日に続き大宅先生の記者会見から。『この偉大思想にとらわれれば日本はもう一度、明治コースに戻るだろう。』これは、ちょっと深い言葉ですね。近代日本にとって、明治は偉大な時代でしたが、もう一度繰り返すことはできないし、やってはいけないことでしょうから。ちなみに、タイトルの『大宅考察組』は、大宅氏率いる「中国ノン・フィクション視察団」の中共側の呼び名だそうです。
「対中共で自民党内の対立深まる 交流を積極的に」
(日本経済新聞昭和41年9月27日朝刊1面)
「自民党の有志議員で構成しているAA(アジア・アフリカ)問題研究会は二十六日午後二時から東京・永田町の衆院第一議員会館で総会を開き二十五日中共から帰国した古井喜実、江崎真澄、倉成正、鯨岡兵輔、坂村吉正の五氏から訪中報告を聞くとともに、今後の日中問題のあり方、日中交流の進め方などについて協議した。
この結果「日中関係は前向きに取り組むべきであり、日中間の人事交流などを進める」ことで意見が一致、具体的には(1)日中航空協定締結のため国民運動を起こし、場合によっては社会党など野党にも働きかける(2)日中文化交流のためわが国に中共の国民を招く政治色のない国民的な組織を結成する---ことなどが提案され、またこの総会に出席した二十七人が、中国代表権の重要事項指定方式の共同提案国反対の署名を行った。(中略)
これに大してAA研と対立関係にあるアジア問題研究会はこのようなAA研の動きに強く反発しており、自民党の中国問題をめぐる左右の対立はますます深まる様相である。」
自民党内の野党(by 周恩来)の方々が活発に動き出したようです。なにも紅衛兵騒動で大揺れの国と急いで交流せずとも、もう少し様子をみてからのほうがいいのでは?今の指導部と太いパイプを作っても、いつ失脚するか分かりませんよ?今をときめく林彪さんだって、案外あっさり消えてなくなるかも。
「自主独立路線の行方 日共第10回党大会を前に "宮本体制"を確立」
(朝日新聞昭和41年9月27日朝刊5面)
「さて、日共が中国路線からの離反を明白にしたきっかけはなにか。それはさる二月から四月初めまで約五十日に及んだ宮本書記長一行の北ベトナム、中国、北朝鮮訪問だった、というのが消息通や治安当局の間では定説だ。
この"定説"によると、代表団は北ベトナム、北朝鮮ではそれぞれ共同声明を出した。しかし、肝心の中国では劉少奇国家主席、トウ小平総書記、彭真政治局員(当時)らと三回会談を行ったのに、ついに共同声明を出せなかった。というのも、帰国直前、広州付近で宮本氏が、毛沢東中共党主席と会談したところ、この会談がいわがケンカ別れになったからだ---。そして、これらの会談で明らかになった日中両共産党の主な論争点は次のようなものだ。
一、(中略)日共が「中ソの意見のちがいはちがいとしても、中ソは団結してベトナム支援に立つべきだ」というのに対し、中国は「ソ連指導部こそ裏でアメリカと手をにぎっている」とソ連との統一戦線参加を拒否した。
一、毛沢東思想は現代におけるマルクス・レーニン主義の最高峰であり、国際共産主義の普遍的原則だと主張する中国側に対し、日共は反対した。
一、中国側は「日共の現綱領を再検討し、火炎ビン時代の五十一年綱領にもどるべきではないか」と示唆したが、日共は「中国と発達した資本主義国である日本の革命方式はちがう」と反論した。
一、中国はベトナム支援と米中戦争に備えて日共も武装闘争の準備をすすめるようにおわしたが、インドネシア共産党の九・三○事件の失敗を繰返すまいとする日共は、こうした武装準備への要請を拒否した。」
しかし、中共さんも、変な扇動は止めていただきたいですな。日共さんが空気を読んだんで事なきを得たようですが。インドネシア共産党は9.30事件でクーデターに関与したということで、国軍側に壊滅させられました。それまでは東南アジア最大の共産党だったんですが。日共も下手に冒険主義的に動いて党をつぶしちゃ、元も子もないですよね。
「韓国の三つの顔(1) 対日感情 こびりつく不信感 教科書も"暗い歴史"説く "事件の陰に日本財閥"」
(読売新聞昭和41年9月27日朝刊5面)
「「三星密輸の全面捜査、朴大統領が最高検に支持」(朝鮮日報)といった調子で、この事件がいよいよ大きな政治問題に発展してきたことを報じていた。
密輸事件の内容は、二十三日になって日本の新聞にはじめてのったが、韓国では、十六日から連日とりあげている。そして二日目の十七日には、日本から密輸入したサッカリン原料の送り主が、在日韓国人であるのが、はっきりわかっているのに、事件のカゲに日本の財閥が暗躍しているような報道が出はじめた。(中略)
この(日本に対するわだかまりの・・・引用者注)心情が、カサブタのように韓国人の心の底にこびりついている以上、日本人は事件に関係がないといってみても、密輸会社に日本の財閥が融資している、密輸に使った船は日本船(日本船舶の新州丸)という、なんでもないことが、あたかも事件と関係があるように、韓国民衆の目にうつってくるのだ。
ソウルで九月八、九、十の三日間開かれた日韓経済閣僚懇談会に対する韓国の新聞の論調は、予想外にきびしかった。その理由をソウル経済新聞の文炯宣(ムン・ヒョンソン)第一取材部長は「韓国では、国民感情にある程度迎合しない新聞は、売れないからだ」と、びっくりするほどはっきりいう。こんどの閣僚懇談会は、べつに結論を出すための会議でないことは、韓国の新聞記者もみな知っている。
しかし、韓国の大衆からみれば、日本の閣僚が五人もそろって笑顔をふりまきながら韓国にやってくるなど、有史以来のことであり、そこになにか、まとまったものを期待するのは人情だという。ところが会議からは、予想どおり形のあるものは、なんにも出ない。新聞は大衆に迎合して会議を成果を攻撃する。たとえウルサム(痛くもないのに騒ぐ)といわれても、新聞を売るために・・・。文部長は「とくに相手が日本だと取材が荒っぽくなる。そうした韓国の新聞の姿勢には、たしかに狂ったところがある」と自覚的なことをいっていたが、この言葉は、民衆の心の底にある対日感情を、そっくり裏返してみせた、ともいえよう。」
『韓国では、国民感情にある程度迎合しない新聞は、売れないからだ』って、これだけあっけらかんと言われると、逆に『そりゃしょうがねーなー』って思っちゃいますね。しかし、分かってて売るために無茶な報道するってのと、そもそも無茶と思わずに報道するってのと、どっちがより悪質なんでしょうかね。ま、どっちも悪質なんですが。
「濁流、いまも洗う 上九一色村 ヘリで強行着陸」
(毎日新聞昭和41年9月27日朝刊15面)
「台風二十六号で大きな打撃を受けた山梨、静岡県下の被災地では二十六日も必死の復旧作業が続けられたが、山のように積もった土砂や岩石にはばまれ、遺体収容作業も困難を極めている。十八戸のうち十三戸が鉄砲水に流され、二十一人の犠牲者を出した山梨県西八代郡上九一色(かみくいしき)村小関郷に二十六日、本社記者団がはじめてヘリコプターで強行着陸したが、ここでもぼう然と救助を待つ被災者たちの無惨な姿に息をのんだ。ただ一つ、孤立していた静岡県の梅ヶ島温泉が同夜二日ぶりに電灯がともり、悲しみのなかにも、ほのかに明るさをとり戻した。」
台風の爪痕はまだまだ消えなさそうですが、その中で救われる話も。
「生命強し 廃墟の下 57時間ぶりに娘さん 西湖に再び救出の歓声」
(毎日新聞昭和41年9月27日夕刊11面)
「【足和田村で本社記者団】「あっ、生きている」ーその瞬間、山梨県南都留郡足和田村西湖地区の山津波現場で遺体発掘作業中の自衛隊など救援隊のシャベル、ツルハシがとまった。若い娘さんがドロまみれになっているが、たしかに生きているのだ。救援隊の間から「みんな来いー」とうわずった歓声があがった。災害がおきてからすでに五十七時間。劇的な救出だった。」
昨日に続く救出劇。しかし、昨日救助された男の子と違って、ケガが重いようなので、心配です。
「007ロケのヘリ一機墜落 空中乱舞中に」
(毎日新聞昭和41年9月27日夕刊11面)
「【宮崎】二十七日午後零時十五分ごろ、宮崎県西諸県郡霧島連峰の新燃岳付近で映画007のロケで空中乱舞を演技中の全日空ヘリコプター二機が接触し、うち一機が新燃岳新火口付近に墜落、同乗のカメラマン一人が足に負傷した。別に一機は辛うじてロケ基地に着陸した。」
姫路城ロケに続く騒動。「007は二度死ぬ」の撮影って、呪われてるんじゃ。
今日の殺伐
「米兵二人を追求 巣鴨の殺人」
(毎日新聞昭和41年9月27日朝刊15面)
「調べによると、今井さんは二十五日午後九時半ごろ、アパート近くの行きつけのバーで酒を飲んでいた。Yさんと若い米兵二人が連れだってあらわれ、今井さんの隣にすわり、米兵二人が歌った賛美歌を今井さんが「うまい」と感心したことがきっかけで、四人で二十六日午前零時ごろまで酒を飲んだ。同一時ごろには今井さんの部屋の前で今井さんと片ことの日本語の男がいい争い、ドタバタもつれ合うような物音がし、出ていく米兵をアパートの人が見ている。」
「米兵二人に逮捕状 巣鴨の殺人」
(毎日新聞昭和41年9月27日夕刊11面)
「東京豊島区巣鴨のアパートで二十六日明け方、無職、今井浩祐さん(三一)が絞め殺された事件の巣鴨署捜査本部は、有力容疑者として同夜、今井さん宅を訪れた米兵二人を追っていたが、二十七日、米兵の所属が埼玉県朝霞の米軍基地とわかった。このため同本部は二人の外人に対し殺人容疑の逮捕状をとり、同基地キャンプ・ドレイクに逮捕に向かった。」
昨日の事件の続報。麻薬とか密輸がらみかと思ったら、酒の上のいさかいが原因らしい。賛美歌をほめてなかよくなって、ケンカになって殺されるとは...。
「カマでつぎつぎ殺傷 高知で 祝い酒に酔った男」
(読売新聞昭和41年9月27日朝刊15面)
「【須崎】二十六日午後七時十分ごろ高知県幡多郡、農業宮脇新太郎さん(六六)方で、近所の人たちが集まり、同家のシイタケ乾燥場の落成祝い中、酒に酔った隣の農業谷崎範郎(三○)が造林用ガマ(刃渡り五十センチ)を持ってあばれ込み、宮脇さんと近所の農業川上隆雄さん(三七)同中村宗寿さん(三三)ら三人の頭などにきりつけた。宮脇さんは即死、川上さんと中村さんは頭、胸などを切られ重体。
谷崎はさらに約一キロ離れた知り合いの農業友寛之さん(四五)方に押しかけ、妻節子さん(四四)と勉強中の二男、金三君(一五)の二人に切りつけ、金三君を即死させたうえ節子さんに約六か月の重傷を負わせ、かけつけた窪川署駐在所員に殺人、同未遂でつかまった。
調べによると谷崎は落成祝いに出ていたが、途中で帰り、カマを持って現われたとき「みんなおれをバカにする」と口走っており同署は発作的犯行とみている。」
『みんなおれをバカにする』とは典型的な被害妄想患者のセリフ。しかし、『造林用ガマ』ってのがマガマガしいですね。津山三十人殺しっぽい感じ。
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1966-09-27T17:22:54+09:00
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大宅壮一先生中共漫遊記
大相撲秋場所ですが、またまた大鵬の優勝でした。強いです。通算で22回目の優勝だとのこと。本割りでは柏戸が大鵬を寄り倒して、優勝決定戦に持ち込んだのですが、決定戦では物いいがついたものの、結局大鵬の勝利というドラマチックなものでした。
その大鵬ですが...
その大鵬ですが、来月二日には婚約発表だそうで、両手に花ですな。おめでとうございます。
新聞斜め読み
「中国孤立を工作? ブ・ソ連書記長の東欧訪問 ベトナム支援からめて」
(読売新聞昭和41年9月26日夕刊2面)
「これまでソ連はベトナム支援の統一行動をかかげて共産圏の多数派工作を推進し、そこでは中国孤立が"陰の目的"とされていたのだが、こんどはベトナム支援を旗印としながらも、中国孤立を正面の目的として積極化しはじめたのではないかと考えているわけだ。これはいいかえると、中国排除がベトナム支援にとって必要だという論理になってくる。」
ベトナムも、頼りの親玉がソ連と中国に分裂して大変ですね。しかし、朝鮮戦争のように、すっぱりと「西側」対「東側」の図式ならなかったがために、むしろ米国が苦しんでいるようにみえるところも、皮肉な感じ。
「紅衛兵が"焚書"運動」
(毎日新聞昭和41年9月26日朝刊2面)
「【モスクワ二十五日AFP】ソ連青年共産同盟機関紙、コムソモリスカヤ・プラウダの北京特派員が二十五日伝えるところによると、紅衛兵は中国全土で目下"焚書 "を進めている。これは九月十日以降、毛沢東精神にそぐわない書物の所持を禁じたもので、これが決められてから人々は古い書物や翻訳、外国書籍、現代作家の作品などをくず屋に渡して身の安全をはかろうとしているといわれる。」
きっとやってるだろうと思ったら、やっぱり焚書をやってたみたい。革命時の定番メニューですね。
「大宅壮一氏らが見た中国 革命まだ成功せず 対日認識には時代錯誤」
(読売新聞昭和41年9月26日夕刊2面)
「【香港・星野特派員二十五日】大宅壮一氏を団長に、大森実、三鬼陽之助、藤原弘達、梶山季之氏らからなる「中国ノン・フィクション視察団」一行が、二十五日香港に帰ってきた。二十六日間の大陸旅行で一行が下した中国診断は、前日の自民党議員団とはうって変わったきびしいものである。一行は文化大革命を中国製空想マルクス主義と断じ、新毛体制にしても、いわば毛沢東主席を奪い合うタックル競争の最中で、いまは林彪副主席が主導権を握っているが、先はわからないとして、中国の現状を「革命いまだ成功せず」「歴史的曲がりかど」にあるとみている。(中略)
大宅 紅衛兵運動は一種のジャリ革命ないしはレジャー革命といえる。外国では大学生がリードするが、こちらは中学、高校生が主体だから、知的レベルが低い。一般民衆はソッポを向いている。それだけに、おとながどう考えているか疑問である。第一に、文化大革命そのものが常識はずれだ。戦争中の国家総動員みたいだものだ(中略)
マルクス・レーニン主義と毛沢東主席の関係をいうなら、日蓮と創価学会の池田大作氏の関係といえよう。しかも、第一の敵はソ連で、反米は当て馬とみた。将来、超軍事大国になる可能性がある。」
『ジャリ革命』とは、いかにも大宅先生らしいネーミング。池田先生の例えも、大変分かりやすくてイイですね。
「趙安博氏の招宴を断る 大宅考察組 中共に「からい採点」」
(毎日新聞昭和41年9月26日朝刊2面)
「【香港二十五日上野特派員】(中略)
一行の団長格の大宅壮一氏は、北京で中日友好協会秘書長の趙安博氏の招宴を断ったことを明らかにし、つぎのように語った。
『趙安博氏の招宴を拒否したの彼が日本の独立を認めないような言い方をするのに反発を感じたためである。そのような人々が日本との窓口をつかさどっており、それに日本がペコペコしている乞食根性を今後ただすべきだと思う』」
お次も大宅先生、怪気炎の巻。しかし、向こうに乗り込んで宴会を断るとは、さすがに肝が据わってます。
「周総理・訪中議員団の会談全容 自民野党に期待 日中復交短期間にはムリ 周総理発言」
(読売新聞昭和41年9月26日朝刊5面)
「さる八月二十八日から中国を訪問した自民党の小坂善太郎、古井喜実氏ら有志議員団は二十五日夜帰国したが、一行から明らかにされた周恩来総理と同議員団との会談内容はつぎのとおりである。(中略)
周恩来総理 皆さん方は自民党内の野党的各派からの人という色彩が強いのではありませんか。皆さんは自民党内の野党大連合ですね。自民党各派の野党連合のみなさんの来られたことを歓迎します。
私たち中国がみなさん方を歓迎するのは、いくつか理由があります。じつは中国と佐藤政権は対立しています。しかし、私たちの見解とみなさん方の見解は接近しているから招待したのです。そして最重要な点は、みなさん方が中日友好を促進しようという意向をもって来られたことです。(中略)
(自民党議員団側から質問)周先生はさきほど「自民党内の野党」といわれましたが、わたくしたちは党内野党ではありません。それは表現の間違いです。
周総理 それは通訳が悪かったのです。」
この記事は、笑ったなー。思いっきり野党扱いにしておいて、『それは通訳が悪かったのです』。どう誤訳したら、「野党」じゃない言葉が「野党」になるんだろう。こっちの代表も、「ジャリ革命、ご苦労様です」とか言って、シレッと『それは通訳が悪かったのです』とか言ってみればいいのに。
「著作権料廃止を要求 紅衛兵」
(日本経済新聞昭和41年9月26日夕刊2面)
「【北京二十五日AFP】(中略)
紅衛兵はさらに作家、作曲家、画家、彫刻家などあらゆる芸術家の著作料の廃止を要求しており、その代わりの芸術家に一月十五元とその家族一人につき同額を支給することを提案している。」
ついに著作権にまで紅衛兵の手が伸びてきました。しかし、『芸術家に一月十五元』って、芸術家かそうでないかは、誰がどのように決めるんだろう。
「台風26号 山梨、静岡に大被害 死者・不明三一五人」
(毎日新聞昭和41年9月26日朝刊1面)
「関東、東海、東北地方をまともに襲った台風二十六号は一夜あけて二十五日、被害は予想外にふくれ上がった。本社の調べによる東日本関係の災害は二十六日午前三時現在、死者百八十三人、負傷七百六十六人を出した。とくに台風の直撃をうけた山梨、静岡県下は高潮、山津波などの惨状が刻々判明、山梨県富士五湖地方の南都留郡足和田村の西湖、根場両区に山津波が襲い死亡、行方不明あわせて百人を出し全滅の惨状。また山梨県境に近い静岡県安倍郡梅ヶ島村の梅ヶ島温泉街が濁流に流され連休を楽しんだ観光客ら三十三人が死亡、行方不明になるなど悲報があいつぎ、九月台風の恐ろしさをまざまざと見せつけた。いずれも山沿い地区で救助車の活動も思うにまかせず、難航をつづけている。また埼玉、群馬、福島、神奈川県など各所で犠牲者が続出した。このような大きな災害を出したのは、あっという間にかけ抜けた"スピード台風"の襲来で避難する間もなかったことがあげられる。台風一過後も余波がぐずつき、深いきず跡を残した被災地は跡を追うように迫っている台風二十七号の接近に不安の色を濃くしている。」
昨日の一方から一夜あけて被害の詳細が明らかに。かなりの被害がでていました。悲惨な被災地ですが、その中に明るい話題も。
「"死の村"に中学生が生きていた 泥のすき間に36時間 母親たちが救い出す 西湖」
(読売新聞昭和41年9月26日夕刊11面)
「サヨさんは二十六日朝から、自衛隊員の手をかりて家のつぶれた跡を一生懸命に掘り返しはじめた。せめて、むすこの死体を一日も早く楽にしてやりたいという、ただそれだけの願いで---。
午後零時過ぎ、つぶれた家の下のニワトリ小屋のそばに積んであった養蚕箱の中に、はだか同然の富士雄君が毛布をかぶってうずくまっているのを、おじの忠男さんがみつけた。富士雄君はかすかに動いていた。「オーイ生きているぞ」と忠男さんは思わず叫んだ。直ちに土の掘り起こしがはじまった。
懐中電灯を手に持ったまま富士雄君が出てきた。あまりのショックに口もきけず、うつろな表情でみんなの顔を見回すばかり。ただちに同部落公民館に運ばれ、待機中の医師の診断を受けたが、全身にかすり傷を負っているだけで異常はなかった。
サヨさんは泣きながら「おまえ、生きてたんだね」とうわごとのように繰り返していた。」
不幸中の幸い、という感じですが、大きなケガもなくて本当によかったですね。
「日の丸衛星は失敗 第四段、姿勢制御できず 内之浦」
(読売新聞昭和41年9月26日夕刊1面)
「【内之浦】わが国初の"日の丸衛星"が期待された東大宇宙航空研究所の四段式ロケット「ラムダ4S型」一号機は、快晴の二十六日午前十一時五十八分、鹿児島県肝属郡内之浦町の東大鹿児島宇宙空間観測所から発射角六十六度、機首を真東に向け打ち上げられた。
一段目、二段目は順調だった。白煙は真っすぐに尾を引いて南の空に消えていった。約二分後三段目が点火された。二十五秒後三段目は切り離され、姿勢制御するためにロケットにスピン(毎秒三回転)がかけられた。打ち上げ六分五十秒、四段目が打ち出された。
しかし、第三弾の切りはなし後、第四段の球形ロケットエンジンつき衛星本体の上下角、左右角に大きなくるいを生じた。このため衛星本体の姿勢制御がうまくゆかず衛星軌道にはのらなかった。」
残念でした。ただ、今回のロケットはミュー計画のための準備という意味合いもあり、ある程度は折り込みずみだったとのことです。
今日の殺伐
「交通事故の死者 一万人を越す」
(毎日新聞昭和41年9月26日朝刊1面)
「ことしの交通事故の死者が二十五日午後九時現在、ついに一万人を突破、一万四人となった。この調子でいくと、これまで史上最高だった三九年の年間死者一万三千三百十八人をはるかに越す"暗い新記録"が出そうである。」
日露戦争での最激戦だった旅順攻略戦は7カ月間で戦死者一万五千人を数えましたが、ここ数年、毎年その戦闘と同程度の数の人が交通事故で亡くなっているということなんですな。
「アパートで男殺される 巣鴨 ケンカの外人客捜す」
(読売新聞昭和41年9月26日夕刊11面)
「二十六日昼、東京・巣鴨のアパートで独身の元銀行員(今井浩祐さん)が殺された。警視庁捜査一課は殺人事件として巣鴨署に捜査本部を置き捜査をはじめたが、二人連れの外人の訪問客と事件直前いい争いをしているのを近所の人が聞いており、この外人を重要参考人として追求している。(中略)
アパートの人の話では殺される直前の午前一時半ごろ、二人連れの外人がたずねてきて、一人がアパート入り口に、一人が今井さんの部屋にはいって、今井さんと日本語で言い争いをしていた。このため本部ではこの二人連れの外人を重要参考人として追求しているが、部屋にいた男は二十四、五歳、一メートル八○、中肉、おも長の白人だったという。入り口の白人も同じような感じだった。アパートの入り口にオートバイのタイヤらしい跡が残っていたことから、二人はオートバイで乗りつけてきたらしい。」
白人の犯行ということは、麻薬とか武器密輸がらみなんでしょうか。
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1966-09-26T17:07:33+09:00
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電話ボックスの御難と銀行カード
昨日の台風ですが、予想以上に被害が出ているようです。
「台風26号、各地に強風被害 死者6、不明43人 沈没、16人が不明」
(読売新聞昭和41年9月25日朝刊1面)
「二つの台風が、二十四日夜、東と西から日本列島に襲いかかった。西の二十四号は、同夜半、九...
「台風26号、各地に強風被害 死者6、不明43人 沈没、16人が不明」
(読売新聞昭和41年9月25日朝刊1面)
「二つの台風が、二十四日夜、東と西から日本列島に襲いかかった。西の二十四号は、同夜半、九州南岸をかすめ、東からは二十六号が二十四日夜半から東海道、関東を暴風雨に巻き込み、二十五日午前零時すぎ静岡県に上陸、午前二時ごろ東京西方を通過した。このため二十五日午前三時現在、横浜港で貨物船が転覆、十六人の行方不明を出したのをはじめ。静岡、山梨、東京などで死者六人、行方不明四十三人を出した。」
まだ、第一報なので被害の詳細は分かりませんが、土砂崩れなどが起きているようで、まだ被害は増える可能性がありますね。
新聞斜め読み
「四人は韓国へ 九人は北朝鮮 「平新艇」事件来月に決着」
(読売新聞昭和41年9月25日朝刊1面)
「石井法相は、(最高検察庁の)決定が出しだい、外務省と協議のうえすみやかに、行政処分を決める予定だが、内容は(1)四人の亡命は認めず、意思確認のうえ韓国へ強制退去させる(2)九人は北朝鮮へ送還する(3)平新艇は、北朝鮮へ返還する、となる公算が強い。」
まあ、予想された結末というところでしょうか。今回、問題となったのは、亡命希望者がかなりの数の人を殺めていた点でしたが、亡命は認めず国外退去という形でなんとか納めたという形のようです。
「大統領が却下決定? 丁韓国内閣の辞表提出」
(毎日新聞昭和41年9月25日朝刊3面)
「【ソウル二十四日近藤(隆)特派員】韓国政府が二十四日明らかにしたところによると、朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領は二十二日、丁一権(チョン・イルコン)首相ら全閣僚が提出した辞表を却下することを決めたもようである。」
「金氏を拘束 ソウル市警」
(毎日新聞昭和41年9月25日朝刊3面)
「【新亜二十四日東京】二十四日夜のソウル放送によると、ソウル市警察は同日午後四時、国会に汚物をまいた事件で議員を辞任した金斗漢(キム・ドハン)氏とその秘書、李賛雨(イ・チャンウ=音訳)氏を公務執行妨害と国会侮辱の疑いで南大門警察署に連行、拘束礼状を申請した。」
韓国国会の汚物騒ぎの結末。騒ぎの本人は逮捕されるようです。それにしても、汚物の内容が知りたい...。s
「仏が強化核実験 国防省発表 "熱核、反応物質含む"」
(読売新聞昭和41年9月25日朝刊1面)
「【パリ二十四日発=AP】仏国防省は二十四日、南太平洋での核実験シリーズでの五回目の実験が現地時間二十四日午前七時(日本時間二十五日午前二時)にファンガタウア環礁の珊瑚の上空で行なわれたと発表した。(中略)
国防省の発表は、今回の爆発を「実験エンジン」と呼び、これにはプルトニウムおよび「限られた量の熱核反応物質」が含まれているとのべている。これは水爆開発への一歩をなすもので、今回の一連の実験の目的も、この点にあった。」
さらなる核実験。水爆開発目的のようです。
「おカネの出し入れ カード1枚でOK 平和相銀が新システム」
(日本経済新聞昭和41年9月25日朝刊6面)
「名刺大のカード一枚で銀行預金の出し入れ、借り入れから百貨店での買い物などお金の出し入れならすべてOKという万能カードが十一月からお目見えする。名づけて、オールマイティカード、発行するのは平和相互銀行。
お客はこのカードにサインして持ち歩くだけでよい。銀行の窓口にカードを出すと、特殊鑑別器がサインを照合し、本人かどうかをチェックする。現金を引き出すときも預金通帳や印鑑はいらない。
この方式は同社が十一月から初めて実施する「全業務オンライン・リアルタイム・システム」(電話回線による伝票の即時集中処理方式)の副産物である。」
ほほー。これで少しは銀行の待ち時間は減るんですかね。他の銀行も是非採用していただきたい。
「赤い羽根 こんなに不正 交付金で温泉旅行 山分けも 都の八地区協力会」
(毎日新聞昭和41年9月25日朝刊15面)
「二十周年を迎えた赤い羽根共同募金 ことしも十月からはじまる「おねがいしまーす」の呼びかけを前に、二十四日は東京で天皇、皇后両陛下をお迎えして記念大会が催されたが、この夏、東京大田区で募金経費の不正流用事件が明るみに出てから、この"助け合い運動"のあり方にも、批判が集まっている。毎日新聞社の調査によると、その後、大田区のほか都内でさらに七つの地区協力会が「慰問激励調査費」を物見遊山に使ったり、山分けしていた事実がわかった。事態を重視した東京都共同募金会は、来年度からとかく問題の多い調査費の交付を中止するのをはじめ「事務費の天引き廃止」「配分先の監査強化」「配分委員会の充実」などを内容とする改革案をまとめ"姿勢を正す"ことになった。」
募金ぐらい、気分良くさせて欲しいもの。不明朗な出費は御法度です。
「いたずらに泣く公衆電話 料金ごっそり、トイレ代用 ボックスに被害集中 不名誉のトップ台東地区」
(毎日新聞昭和41年9月25日朝刊16面)
「始末に悪いのはボックスで、"用をたす"者やゴミため代わりに使うものがふえていることだ。昨年度一カ年で約二千九百カ所が"きたない被害"を受けており、今年度は五ヶ月で千五百カ所が汚されている。毎年、秋から冬にかけ、この種の"不心得者"がふえるので、これも新記録を作りそう。野菜クズや残飯、古グツなど家庭のゴミを投げ込むものも相当いる。
電電公社東京電気通信局は都内二十三区を八地区に分け管理部を設けて各電話局と連絡をとりながら運営しているが"きたない被害"のナンバー・ワンは台東地区で、一昨年は七百件、昨年は八百五十件、今年度五ヶ月間で五百件とうなぎのぼり。同管理部地区で被害の多いのは西新井橋付近、北千住駅、日之出町の住宅協会アパートなど、いずれも足立局区内。公衆便所が少ないのが原因の一つとも見られるが「団地族がこんなに行儀が悪いとは・・・。」と管理部職員はあきれ顔。」
本当に人目なんか気にしないんだったら、ゴミなんか電話ボックスなんかに入れないで、夜陰に乗じて路上に投げ捨てておけばいいんじゃないかと思うんですが。何故ボックスの中に捨てるんですかね。微妙に気をつかっているような小心さがよけいに腹立たしさを増しているような。便所代わりにするようなヤカラは論外。
今日の殺伐
「悲しい記録「一万人」に 交通事故死 急カーブ」
(毎日新聞昭和41年9月25日朝刊14面)
「全国の交通事故死者は、ついに二十五日で一万人を突破する見通しとなった。昨年は国をあげての真剣な交通対策で、これまで史上最悪の状態といわれた一昨年に比べ事故が目にみえて減り、ことしもこの調子なら横ばいか、漸増程度になるのではないかと期待されたが、六月後半から死者数のカーブはぐんぐん上がり、十月十一日から始まる秋の交通安全運動を前に、早くも一万人台のラインに達してしまった。これは三十九年より十五日、四十年より三十四日も早い"悲しい記録 "で、この勢いでいくと年末までに一万四千人以上の死者となり史上最高の交通禍になるものとみられる。」
地方での増加が目立つとのこと。都心では、車が増えすぎたためにそれほどスピードが出せないためなんでしょうね
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1966-09-25T16:59:32+09:00
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祝日明けでニュース枯れの巻
昨日が祝日だったため、今日は朝刊がなく夕刊だけでした。ニュースもそれほどなかったようなので、短めにお伝えします。
東京では今朝、都交通労組がストを行ったため、混雑していたようですね。特に、江戸川・江東区は都営しか交通手段がないので通勤ラッシュ時は大...
東京では今朝、都交通労組がストを行ったため、混雑していたようですね。特に、江戸川・江東区は都営しか交通手段がないので通勤ラッシュ時は大変だったようです。
新聞斜め読み
「紅衛兵 劉主席を批判」
(読売新聞昭和41年9月24日夕刊1面)
「【RP=東京】二十三日のモスクワ放送は、北京電として、紅衛兵のパンフレットや中国の新聞からは、中国の上級指導者らが批判されている様子が見受けられれ、劉少奇国家主席の名があげられていると報じた。(中略)
一、ある人民大学の学生たちのパンフレットの一つには「毛沢東主席以外はだれも信じてはならない」「いまは毛沢東主席以外はだれも信じてはならない」「いまは毛沢東党中央委主席だけを守らなくてはならない。その他のものは守らなくともよい」「党中央委さえも守らなくともよい」と述べられている。若干のパンフレットには「わが偉大なる党、わが親愛なる指導者毛沢東、不滅の毛沢東思想を攻撃しようと機会をねらっている者たちすべてに決定的な反撃が加えられ、最後まで撲滅するだろう」と声明している。」
劉少奇失脚は、8月以前からささやかれていましたので驚きはないですが、紅衛兵のパンフレットを見ると、個人崇拝丸出しですね。中共が大陸を統一した当時は、「スターリンの党とは異なった、ちょっとソフトで大人な共産党」で売り出していたものですが。
「巨人、19回目の優勝 セ・リーグ」
(読売新聞昭和41年9月24日夕刊1面)
「プロ野球セントラル・リーグ、一九六六年度の優勝チームは、二十三日、読売巨人軍と決まった。同日午後四時三十分から東京・後楽園球場で行なわれた巨人-阪神戦ダブルヘッダーの第一試合で、巨人が4-0と快勝した瞬間に決定、つづく第二試合も連勝した。」
さすが読売。一面に巨人優勝ニュースを持ってきました。ちなみに、昭和二十五年の2リーグ分裂以降で数えると十二回目の優勝だとのこと。
今日の殺伐
「短銃が暴発し重傷 千葉 ふざけてつきつけ」
(毎日新聞昭和41年9月24日夕刊11面)
「【千葉】二十三日午前十時五十分ごろ、千葉市星久喜の千葉南署星久喜派出所前路上で、同署外勤課、五木田栄巡査(二四)がバイクパトロールから帰ったところ、知人の同市松ヶ丘町二の一、牛乳販売業、石田純一さん(四二)がいきなり軽自動車で近づいた。
同巡査は石田さんが自分を驚かせようと思っていると思い、自分もふざけて四五口径SWけん銃を軽自動車に向けたところ暴発、弾は車の前ガラスを破り、石田さんの左耳下からあごに貫通した。石田さんは市内京葉病院に収容されたが、左あごの骨を折って三カ月の重傷。」
マンガみたいな事件。拳銃でふざけるな、というのがそもそもなんですが、ふざけ合っていた警官も被害者も暴発には驚いたでしょうね。
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1966-09-24T16:51:21+09:00
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