RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

07
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

At the Moment

昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
首なし死体事件、容疑者と首が見つかる
 今月の14日に報道のあった、大阪の首なし死体事件ですが本日容疑者逮捕。各紙ともこのニュースを大きく扱っています。



新聞斜め読み




「ハンガリーに抗議 中共、学生追放で」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)


「【ANS十八日東京】北京十八日発新華社電によると、余湛中共外交部ソ連東欧局長は十七日、バラス・ヨセフ中共駐在ハンガリー大使に覚書を送り、ハンガリー政府が中共、ハンガリー両国の文化協力を破壊し、五人のハンガリー留学中国人学生の追放を決定したことに抗議した。それによると、ハンガリー政府は十一月二日、中共大使館にあてた覚書で、十一月六日限りでハンガリー留学の中国人学生を追放することを通告したもの。中共外交部は覚書の中で「これは両国の文化協力を一方的に破壊し、両国の関係を悪化させるものである」と抗議している。」


ソ連が中共からの留学生を追放したのを睨んで、東ヨーロッパ各国も同様の措置をとりつつあるようです。



「孫文・魯迅たたえる中共 文化革命通じ再評価 魯迅は紅衛兵の大先輩?」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊3面)


「なにごとも毛沢東でなければおさまらない中共にあって、いま孫文と魯迅が異例な称賛を博している。十二日には北京で孫文生誕百年祭が盛大に行なわれたし、十月十九日の魯迅死去三十周年以降、北京や広州などで"文化革命の先駆者"魯迅をたたえる集会が開かれた。いずれも早くから知られた革命家ではあるが、最近の文化大革命を通じて、この二人に新しい評価が加えられつつあるともいえよう。
 紅衛兵旋風の吹き荒れた九月はじめ、広州の孫中山(孫文)記念堂前の広場で、孫文の銅像をこわすかどうかで紅衛兵が二派に分かれて大乱闘を演じたと伝えられたことがあった。
 北京から派遣された紅衛兵が、孫文は民主主義革命時代のブルジョア階級の革命家だから、この銅像をこわして毛沢東の銅像を建てるべきだと主張、これに対して広州の紅衛兵が、孫文はブルジョア階級の革命家ではあるが"国父"であり、こわすべきではないと対立したというのだ。
 また南京では、学生が孫文の胸像を撤去、孫文未亡人の宋慶齢国家副主席を批判のヤリ玉にあげたが、これを知った周恩来首相は「同女史を悪くいうのは間違いで、胸像は元どおりにせよ」と指示した(タス電)ともいわれる。(中略)
 一方の魯迅は、文化大革命初期での周揚党宣伝部副部長批判を通じて再認識された形だ。(中略)
 「魯迅の革命的な筋金入りの精神を学べ」と題する十月十九日付人民日報社説は「魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ、励まされ、プロレタリァ階級の革命の真理を追求し、すベての搾取階級のイデオロギーと古い伝統的観念と徹底的に決裂し、ついには偉大な共産主義の戦士となった」としている。
 年代的にみて、魯迅が"毛沢東思想に導かれ、励まされ"たとするのは奇妙な話だが、これは"毛沢東時代"の中共らしい解釈なのだろう。
 むしろ、社説の「魯迅は旧世界の批判者であり、むほん家であった。彼の半封建、半植民地の旧社会に対する怒りは骨髄に達し、旧制度を維持しようとした旧思想、旧文化を限りなく憎んだ」とのくだりに重点をおいて考えるならば、魯迅は紅衛兵の大先輩といえるのかもしれない。
(外信部中野謙二記者)」


魯迅は1881年生まれで1936年没。一方、毛沢東は1893年生まれで、共産党の実権を握ったのが1935年頃と言われています。なんで、どう考えても『魯迅は長期にわたる闘争のなかで、毛沢東思想に導かれ』などということはありえません。まあ、全体主義国家にありがちな文言ですが。



「"アタマにきた"大安売り 団地進出はばまれ 神田の薬屋さん 過熱商戦と法の盲点」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)


「 十九日朝、団地進出を地元小売り店にはばまれた東京・神田のスーパー・マーケットが、半値以下という、いささかヤケ気味の薬の大安売りを決行した。「これも都の薬事行政が不明朗なため」といっているが、この過熱商戦のおかげで、お客さんは大喜び。万世橋署員がスリの警戒に出るほどのにぎわいだった。
 この店は千代田区神田鍛治町二の三、スーパー・マーケット「ピンク・ベアー」。安売りで抗議することになったいきさつは、豊原社長の話によると、こうだ。
 昨秋、日本住宅公団が、薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した際、同店もこれに応募、書類審査でパス。昨年十一月、公団敷き地内の店舗用土地を七百万円で買い、ことし二月から地上五階、地下一階のビルの建設に着工した。
 ところが、これを知った竹ノ塚駅前通を中心とする地元の薬店の中から「スーパーが進出して、安売りされては困る」という声が高まった。地元から相談を受けた足立薬業協同組合では、再々会合を重ねた結果区内百五十二店が共同出資して、ピンク・ベアーの建設地に近い同町四七○に「城北薬品」を開店することをきめた。城北薬品では、畑であった土地をさっそく買収、四月末には、木造平屋建ての建て物を急造し、ピンク・ベアーがまだ建設中であった六月中旬に、早くも足立保健所の許可を得、営業を始めた。
 一方、ピンク・ベアーでは、十月二十日にやっとビルが完成、いざ開店に踏み切ろうとしたところすでに城北薬品が、すぐ近くに開店している。「百二十メートル以内に既存の薬品店がある場合、新たに開店はできない」という都条例の規制を受ける結果となり、さる十四日、都薬事審議会から電話で「薬を売ることまかりならぬ」と通告されたという。
 このため"頭にきた"スーパー側では「薬を安く売るという消費者サービスを、法の悪用によってはばむような横暴な行為は許せない。また、いきさつを知りながら、こんな態度をとった都の態度も納得できない」として、抗議のディスカウント販売デモを強行したという。なお、第二弾として二十四日にも安売りを行なう。
 豊原社長の話「薬事審議会にも"黒い霧"がいっぱいです。こんどのような措置には、どうしても納得がいかない。断固として戦う。地元の店では、安売りだといって騒いでいるが、市価より安く売っても、ちゃんと三割五分から最低一割の利潤はあるのです」」


住宅公団が『薬品を七割扱うという条件で、足立区竹ノ塚町の竹ノ塚団地にスーパー・マーケットを募集した』というのが本当なら、スーパーの社長が怒るのも無理ないですな。公団側の地元商店に対する根回しが足りなかったのでしょうか。しかし、社長の思惑通りの大盛況で、少しは溜飲も下がったでしょうか。24日の第二弾の宣伝まで記事に書かれているし。



今日の殺伐




「姿消した運転手追う 大阪 女性の首なし死体」
(毎日新聞昭和41年11月19日朝刊15面)


「【大阪】大阪市此花区伝法町北五の新淀川で、ナイロン袋に入れられた死後約二日の女の首なし死体が十三日朝発見された。大阪府警捜査一課水上署捜査本部は十八日、被害者が着ていた紺色スーツの販売ルートをたぐって、香川県高松市、キャバレーホステス、実平みゆきさん(二五)であることをつきとめた。
 実平さんは九月から長距離トラックの運転手、徳島県生まれ、高橋文明(三七)と同アパートで生活していたが、実平さんは今月九日ごろ、高橋も十五日に姿を消した。本部は高橋を有力容疑者とみて行方を追及している。」


「カバンに妻の生首 十日間持ち歩く 首なし事件の「高橋」逮捕 北海道で 四国で殺し、胴体は大阪に スーツが手掛りに 逮捕の糸口」
(毎日新聞昭和41年11月19日夕刊11面)


「【札幌・大阪】去る十三日、大阪市此花区の新淀川で女の首なし死体が浮いた事件を捜査中の大阪府警本部は、被害者の着ていた紺色のスーツをただ一つの手がかりに、香川県高松市、キャバレーホステス、実平ミユキさん(二三)を被害者と断定、ミユキさんの内縁の夫、徳島県生まれ、トラック運転手、高橋文明(三七)を容疑者として捜査していたが、十九日正午すぎ、北海道岩見沢市の同僚の兄の家に立ち回ったところを岩見沢署員が逮捕、事件は死体発見から一週間ぶりに解決した。高橋はミユキさんを九日に高松で殺し、首なし死体を大阪まで持ちこんで捨て、首はつかまったときスーツケースのなかに入れたままだった。
 大阪府警から手配を受けた岩見沢署員が十九日、岩見沢市の友人の実家にいた高橋の任意同行を求めたところ、高橋は観念したのか悪びれた様子もなく素直に応じ、同署調べ室で前田捜査係長が実平さん殺しを追及したところ簡単に「私がやりました」と自供した。
 自供によると、十一月九日朝、高松市のアパート二階六畳間でかねてミユキさんが死にたいともらしていたため「殺してやろうか」と話を持ちかけたところ「あんたになんか殺せない」と答えたのでふとんの中で絞め殺した。
 高橋は死体の処置に困り、十二日夜、同アパートで出刃包丁で首を切断、死体をもって大阪に行き、新淀川に胴体を捨てた。このあと首だけスーツケースに入れ、十六日大阪を出発、十八日午後十時半ごろ岩見沢に着き、友人の兄のTさん宅をたずねた。
 また同署員がTさん宅にあった黒色のスーツケースの中を調べたところ、布切れに包んだミユキさんの首を発見した。
 【大阪】四国で殺し、首なし死体は大阪に、自分は北海道に---"遠くに行けばわからないという"高橋の単純な"完全犯罪"の夢も一着のスーツからくずれた。
 十三日新淀川にミユキさんの首なし死体が見つかった時には、捜査員のだれ一人としてこの死体が百五十キロも離れた高松から運ばれたとは思わなかった。
 「死体を投げ捨てた場所は伝法大橋に近い橋の上。すけたビニールに包んであるため遠くから運んだものとは考えられない」というのが捜査本部の一致した見解だった。だが首を切って身元をかくしたつもりの高橋に大きな誤算があった。
 有力な遺留品を捜査員は"名刺"という。こんどの事件にはミユキさんの着ていた紺色ツーピースという大きな"名刺"が残っていた。そのうえ、製造場所を現わすマークまでついていた。このマークから大阪市西区、松尾産業でつくったたった九着の内の一着とつきとめた。高松市の松屋ストアで寸法なおしをしたこともわかり五日目に被害者はミユキさんとわかり、高橋の名がすぐ割り出された。
 高橋は「四国で売られたありふれた既製服で、胴体は大阪だから…」とたかをくくっていたかもしれないが、紺色スーツという大きな手がかりが"完全犯罪"をくつがえした。」


「首を持って逃げていた 大阪の女殺し 愛人、北海道で逮捕 犯罪史上まれな猟奇事件」
(読売新聞昭和41年11月19日夕刊11面)


「【岩見沢】さる十三日大阪市内の新淀川で発見された女の首なし死体事件の重要参考人として大阪府警水上署特捜本部から手配されていた被害者の愛人で自動車運転手の高橋文明(三七)(徳島県出身)は十九日午後一時三十分、北海道岩見沢市内の立ち回り先でつかまった。高橋は犯行を自供し、身柄を同夕千歳空港発日航機で大阪へ押送するが、切り取った首をボストンバッグに入れて北海道まで持ち歩いており、この"首入りバッグ"も押収された。
 十三日午後八時ごろ、大阪市此花区伝法町の第二阪神国道に通じる新淀川の伝法橋上流約四百メートルの同川中央部でビニール包みにされた女の首なし死体が発見された。大阪府警水上署の特捜本部が十四日になって被害者は高松市、ホステス実平ミユキさん(二五)と断定、愛人の高橋文明がその後、行方をくらましていたため、重要参考人として手配した。
 さらに高橋が、さる十五日、高松市内の友人を訪れ「北海道に働きにいく」といっていたことを突きとめたので、道警本部に連絡した。このため岩見沢署は十九日正午すぎ、刑事を高橋の立ち回り先である岩見沢市、中央空知運送会社に派遣、高橋が高松市から紹介状を持ってたずねてきたとみられる同社員のTさんに事情を聞いたところ、高橋は十九日午前九時ごろ、同市のTさんのアパートをたずねて行き滞在していることが判明、ただちに同アパートから高橋を同署に連行、追求したところ、同日午後一時すぎ「ミユキを殺した。首を持っている」と自供、持っていたボストンバッグを調べた結果、なかから腐敗した首が出てきたので同署は殺人容疑で逮捕した。

バッグに入れて持ち歩く

 自供によると高橋は九日早朝高松市のアパートで雑談中、かっとなってミユキさんをしめ殺した。その後死体を放置したままでいたが、十二日夜出刃包丁で首を切り取り、首なしの死体を大きな布に包み麻なわで二重にしばり、大阪に運び、同市内の新淀川にかかっている第二阪神国道の橋の上から投げすてた。
 その後荷物をまとめさらにミユキさんの首を布にくるんでボストンバッグに入れ、それを持って十六日夜汽車に乗り、十八日午後十時ごろ岩見沢市に着いたという。
 岩見沢市のアパートを岩見沢署の刑事が訪れ「君が高橋か」と聞くと「はいそうです」といって、すなおに任意同行に応じた。グレーの背広を着た高橋は頭を角刈りにして顔は青ざめ、捜査課長室で直ちに取り調べにはいったが、終始ふてくされた態度。それでも同署前田捜査係長の取り調べに対し、すでに覚悟していたのか、犯行の一切をすらすらと自供。取り調べの刑事も「犯罪史上まれにみる猟奇的な事件をおかした男には見えないほどだ」と驚いていた。
 黒のビニール・ボストンバッグにはいっていた問題の首は、かなり腐敗しており、取り調べにあたった鑑識の係り員も思わず顔をそむけるような状態だった。」


14日の記事では、単に「淀川で首なし死体見つかる」という小さな記事でしたが、容疑者が生首を持って逃走していたということで、俄然大きな扱いとなったようです。まだ、第一報なので容疑者の供述の中身が詳しく述べられていませんが、続報では取りあげられることでしょう。毎日、読売の記事を見てもよく分からないのが死体を高松から大阪に運んだ方法。大阪から岩見沢へは汽車で行ったようですが、大阪まではどう行ったんでしょうか。トラックだとすると、大阪で乗り捨てなければならないし、まさか死体を抱えて汽車、あるいは船に乗ったんでしょうか?
| - | 20:08 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
投げられたハンカチとタンクローリー爆発
 今日は、白いハンカチがトレードマークの藤山愛一郎氏が、自民党の総裁公選に立候補宣言をしたニュースで、各紙持ちきりです。



新聞斜め読み




「総裁公選 藤山氏が立候補宣言 首相は辞任せよ 粛党 まず責任を明確に 清潔な公選を期待」
(毎日新聞昭和41年11月18日朝刊1面)


「自民党の藤山愛一郎氏は十七日午後四時、東京・赤坂のホテル・ニュージャパンで記者会見し、十二月一日の自民党臨時党大会で行なわれる総裁選挙に立候補することを正式に宣言した。藤山氏はその宣言の冒頭「わが党は立党以来最大の危機に立っている」と述べ、いま強く叫ばれている粛党については「総裁自らが政治不信を招いた原因についてすなおに反省し、その責任をとることが先決である」と強調し、佐藤首相自らが国民に対してその責任を明らかにするため辞任すべきであると迫った。
 ついで「自民党は新総裁のもとに挙党一致で新しい党づくりを進め、党の体質改善に全力をあげて取り組まねばならない」と述べ、立候補するに至った理由を「単なる政権欲からではなく、他に立候補者がいないとすれば党の信用は失墜すると痛感して、やむにやまれぬ心境で立候補した」と説明している。
 さらに政局担当の抱負については「国民のための政治、国民のだれもが納得する政治」を前提として(1)派閥を無視した真に信望のある人材の登用(2)政界若返りのための思い切った若手の抜てき(3)選挙公営の徹底をはじめとする金のかからない選挙の実現と政冶資金規正法の改正−−−に取り組む方針を明らかにしている。」


「投げられたハンカチ 「世論はわたしに」 藤山さん 粛党へ胸張る」
(毎日新聞昭和41年11月18日朝刊15面)


「「佐藤さん(首相)におやめになったらといっているわけです」−−藤山さん(前経済企画庁長官、愛一郎氏)はズバリいってのけた。十七日午後四時、東京赤坂のホテル・ニュージャパンで自民党総裁選立候補を正式に宣言、佐藤首相と一騎打ちの名乗りを上げたのだ。詰めかけた記者団は約百三十人。その前で「必ず世論は私を支持してくださると思います」−ことばは柔らかいが、やる気十分の構え。紺背広の胸ポケットからのぞいたハンカチは、黒っぽい色ものだったが、ご当人は気にもしていないようすだった。
 "黒い霧一掃"を唱える"話題の人"登場である。立候補の意思決定から、佐藤首相側近と感情的に対立、札幌の一日内閣は欠席、経済企画庁長官を辞任してカゼで寝込むなどの経過があって、ようやく公式の意思発表……「お待たせしました」である。
 記者会見場にあてられたホテル・ニュージャパン二階「竹の間」は、政治家の個人的記者会見としては異例の混雑ぶり。綾部健太郎(元運輸相)江崎真澄(元防衛庁長官)南条徳男(元建設相)といった藤山派の閣僚級議員、それに参院議員・中上川アキ(藤原あき)さんらも、この日は完全なわき役で、ウロウロ。
 主役の藤山さんは、カゼもすっかりよくなって、つやつやした血色。さり気ないそぶりで、終始ニコニコと、こんなときでも紳士のスタイルをくずさない。事務的な運びでサラサラと立候補宣言文を読み上げ「三度書き直し、同志諸君にさらに直してもらいました。私が考えた原文より、よほどよくなっています」とニッコリ。気持は「国民の意思のかよった正しい総裁選挙を要望する」と結んだ、この一文に尽くしたという。(中略)
 「自民党総裁を選ぶことは首相を選ぶことだ。国民はよく理解している」というのが、外柔内剛といわれるこの人の信念のようで、何度もこの点を強調していた。にぎやかな総裁公選劇へのスタート風景だったが、三十二年、財界から政界入りした藤山さんの"白いハンカチ”は、いまも白いままか、それとも洗い直しのきくものか。どちらが勝つにせよ国民の目はそこに注がれている。」


 いわゆる"黒い霧"疑惑などで、迷走中ともいえる自民党ですが、12月の総裁選に満を持して藤山愛一郎氏が立候補。事務所を構えるホテル・ニュージャパンで記者会見を開いたそうです。ちなみに、このホテルは藤山氏のグループ企業の持ち物だそうです。
 岸内閣で民間から外務大臣に抜擢され政界入り。今回で4回目の総裁戦出馬ですが、果たして結果は?



「世界党大会開けず ブルガリア共産党大会 「反中国」結集に失敗」
(読売新聞昭和41年11月18日夕刊2面)


「【ソフィア十七日発=AFP】ブルガリア共産党大会に出席中の各国党代表は十七日、ソ連が推進している世界共産党大会の計画に一致して賛意を表することにふたたび失敗した。
 北京の政策を公然と非難したのは、フィンランド、レバノン、ドイツ、キプロスのわずか四か国だけだった。また他の四か国は、ある党による分裂活動を遺憾だと述べたが、中国の名前をあげなかった。南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)代表のグエン・チ・ビン女史は、世界党大会計画にも、中国指導部にも言及しなかった。
 世界党大会召集は、もともとソ連が示唆したもので、今週はじめジフコフ・ブルガリア共産党第一書記があらためて提唱したが、十七日にはポルトガル、レバノン、チリ、ベルギー、南アフリカ各国共産党が会議招集に全面支持を表明した。南アフリカのエンゾロ代表は、ベトナムとアフリカ新植民地主義の企てに限られるとしても、正当化されようと述べた。」


ソ連の根回しにもかかわらず、当面は中共非難のための世界共産党大会はお流れになったようです。ソ連としても、それほど無理して実行しようとはしていないようで、自国でなくブルガリア共産党に提案させたところにもそれが現れているのだと思います。ベトナムで米帝と争っている最中に陣営内の亀裂をあまり大きく見せたくないという心理も働いているのでしょう。



「開かずの勝鬨橋 落ちぶれた東京名物 車の交通がふえて 開いても月に10回 大型船も航行せず」
(朝日新聞昭和41年11月18日朝刊16面)


「隅田川にかかる勝鬨(かちどき)橋が最近、さっぱり開閉しない。上り下りする船がめっきり滅ったのと橋の上を走る車の量がふえたためだというが、かつては日に五度も開閉し、三千トン級の軍艦までも通したというのに、いまは多いときでも月に十回ていど。ことしはついに一度も開かない月があったという。
 勝闘橋は旧東京市が七年の工期と、当時の金で四百二十万円を投入して昭和十五年に完成した。アメリカのシカゴ市にある同型の橋をマネしたものだが、当時は日華事変の最中で、市では国威発揚のため"東洋一の可動橋"と大いにPR。東京の新名物として小中学生をはじめ全国から見物客が絶えなかった。また当時は上流の永代橋との間の隅田川沿いに大手の倉庫会社がずらり軒を並ベ、船の交通も多かったため、一日に五回ずつ開閉して水上のラッシュをさばいていた。
 ところが戦後、進駐軍の命令で開閉回数を一日三回に減らされ、さらに三十六年からは午前七時の一回だけ、それも船が通るときだけ開閉することに改められた。沿岸の倉庫会社や造船会社が次々と下流に引越し、勝鬨橋付近を上り下りする大型船が減ったことや、月島、晴海地区の発展で橋の上の車の交通量が急増、日中に開閉することがむずかしくなったのが原因という。
 とくに昨年八月、約五百メートル上流に新佃大橋が完成し、同橋より上流への大型船の航行ができなくなつてからは、建前は一日一回でも、実際に開かれる回数はぐっと減った。
 開閉が必要なときは、船の所有者から前日の午後三時までに管理事務所に連絡することになっているが、いま実際に開閉を頼んでくるのは、橋の上流に本社や事業所をもつ鉱業会社と土建会社の二社だけ。
 それにつれて、東京名物としての役割も東京タワーやオリンピック競技場などにとって変られ、いまは訪れる人もほとんどいない。
 開通以来、二十六年間も勝鬨橋の世話をつづけてきたという管理責任者の都建設局技師佐藤三郎さん(五七)も「こんなに車の交通量がふえては、開く橋なんてやっかいものでしょうね」と、花形だった昔をしのびながら、時代の移りかわりに感慨深そうだ。」


戦前の建造物なので「勝鬨橋」と聞くとやけに古い感じもしますが、まだできてから26年しかたっていないんですね。約五百メートル上流の新佃大橋のせいでそれ以上船があがれないというなら、もう開ける必要もないんでしょうけれど、年に一回ぐらい特別に上げるイベントをすれば人も集まると思いますがどうでしょうか。



「一割がノイローゼの恐れ 山手地区の中学生 杉並・松渓中の研究」
(朝日新聞昭和41年11月18日朝刊16面)


「"教育ママ"や"父親不在"の家庭の多い山手地区の中学生のうち、約一割はノイローゼになりやすい兆候がある---十七日、杉並区立松渓中で開かれた同区教育相談活動研究発表会で、同中の先生がショッキングな研究結果を発表した。(中略)
 悩みの解決方法は、自分で考えぬくと答えたのが一年三六%、二年四三%、三年五六%で、全体の半数近くが親や先生に相談せす、一人でくよくよ考えていることがわかった。
 さらに親子関係では、母親から高校受験のため勉強を強制されている生徒や父親が転動したが住宅などの事情で別居したり、帰宅時間の遅い父親とは、めったに口をきくことのないサラリーマン家庭の生徒は成績こそよいが、学校では親しい友達ができない、という傾向がはっきり出た。
 こうした調査をもとに生徒一人一人を分析した結果、男子で一〇%、女子で七・三%の生徒たちは、ちょっとしたきっかけでノイローゼになる危険が多いという。」


記事では調査の詳細が分からないので、どれぐらい信憑性があるのかは判断できませんが、このような結果がでたそうです。『父と口をきかない生徒は親しい友だちができない』といった結果ならば、アンケートで調べられそうですが、『ちょっとしたきっかけでノイローゼになる危険』のパーセンテイジはどうやって計測したんでしょうか?



「タンクローリーが給油中 スタンド火の海に 目黒 民家五戸も巻きぞえ」
(毎日新聞昭和41年11月18日夕刊11面)


「十八日午後零時十八分ごろ、東京目黒区原町一四〇五、モービルガス石油スタンド、広進商事会社=H社長(二八)=で、横浜油脂運輸のタンクローリー=I運転手(二八)=がガソリンを給油中、突然ガソリンスタンドの給油口から火を吹いた。
 火はたちまちひろがり、同タンクローリー車が全焼、タンクローリー車に積んできた約六千リットルも全部燃やして同番地の寿司店経営、Kさん(三六)方の木造平屋建住宅一むね約五十二平方メートルを全焼、ガソリンスタンド裏の公衆浴場"永生湯"とガソリンスタンド向かいのタバコ店、Aさん、隣のSさん、クリーニング業、Nさん方の計四軒のカベを焼いて、午後一時過ぎ鎮火した。(中略)同スタンド従業員らは無事。
 タンクローリーから流れる約六千リットルのガソリンで付近の道路など約百平方メートルが火の海となり、スタンドに置いてあった五ガロン入りのドラムかん三個がつぎつきににぶい音を立てて破裂、炎は一時高さ十八メートルにも上がった。
 ガソリンスタンドのまわりは商店や住宅が密集した地区で、東京消防庁は化学車など約三十台を出動させるとともに、付近の住民十世帯を避難させ、ホースでスタンドのまわりに水のカベをつくって延焼を防ぎ、泡沫消火剤五十かん(一かん二十リットル入り)をそそぐなどの消火活動をしたため大事に至らなかった。
 目黒消防署などで調べているが、出火当時I運転手は給油のためホースを地下の貯蔵タンクに入れたままHさんにまかせて食事にいっていた。
 タンクローリーが給油を始めてから数分後に出火しており、このころ、そばのガソリンスタンド事務所で石油ストーブを使っていたので給油中に発生したガスに引火したのではないかとみられ、従業員らから事情を聞いている。」


大事にいたらなくてなによりでしたが、住宅地の真っ直中でタンクローリーが爆発とは恐ろしい。事務所の石油ストーブの位置と給油口の距離がよく分かりませんが、ガソリンスタンドでは冬場の暖房の扱いには十分注意してほしいものです。
| - | 23:26 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
カラーVTR発売と恐怖のドライブ
 本日は海外で特に目立ったニュースがなかったので、国内ニュース3本をお伝えします。



新聞斜め読み




「家庭用カラーVTRを発売 ビクター、来年六月から」
(日本経済新聞昭和41年11月17日朝刊4面)


「日本ビクターは十六日、家庭用の小型カラーVTR(ビデオテープレコーダー)を開発、来年六月から売り出すと発表した。家庭用小型カラーVTRはこれまでにソニー、松下電器産業、東京芝浦電気が発表しているが、価格、発売時期は未定で、商品化計画を打ち出したのは日本ビクターが最初。
 ビクターの家庭用小型カラーVTR「KVC-800型」は、来年二月に発売する白黒VTR「KV-800型」にカラーアダプター「CD‐1型」を付け加えるだけのもので、本体が白黒、カラー兼用なので、本体にカラーアダプターだけ付けれは、簡単にカラー化することができる。
 カラー放送の記録、再生に使うモニターは、カラーテレビを少し改造するだけでよく、世界で初めてカラー停止画像(一コマ再生)も可能となった。
 「KV-800型」は二十三万円、「CD-1型」は十七万円。両方合わせた「KVC-800型」は四十万円。「CD-1型」は来年六月発売する。」


カラーテレビですら、価格がネックで普及が遅れている状態ですから、「四十万円」ではなかなか一般までは渡らないと思われますが、将来安価になればカラーVTRも一家に一台となるのでしょうか。一点気になったのは『カラー放送の記録、再生に使うモニターは、カラーテレビを少し改造するだけでよく』という記載。普通のカラーテレビはそのままでは接続できないということなのでしょうか?



今日の殺伐




「監禁ドライブ 郡山→宇都宮 「助けて」のメモ、三人逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月17日夕刊6面)


「【宇都宮】十七日午前六時ごろ、栃木県那須郡那須町夕狩の豊山ドライブインの机の上に「郡山から三人づれにおどされ、東京に連れていかれる。助けてくれ」と書かれた福島県須賀川市、Kさん(二一)の名刺があるのを従業員が見つけ黒磯署に届けた。栃木県警本部は県内各署に手配し、検問した結果、同七時二十五分ごろ、宇都宮市雀宮町でKさんと友人の福島県安達郡、自動車セールスマン、Sさん(二二)の乗った車を見つけて二人を救い出し、一緒にいた郡山市、鉄骨作業員、I(二一)同市、同、Y(二三)同市、雑貨商手伝い、少年(一九)の三人をおどし、不法監禁の疑いで捕えた。
 調べによると、同日午前二時半ごろ、KさんとSさんが郡山市内の繁華街に車を止めて歩いていたところ、Iら三人にいんねんをつけられ、なぐる、けるの乱暴をされた。Kさんが「なぐられて腹が痛い」というと、病院に連れていかれ、監視されながら治療を受けた。KさんがSさんに「車をもってきてくれ」といったことから、Iがその車を運転、二人を監禁したまま国道四号線を南下した。
 Sさんが車の中で名刺に助けを求める伝言を書き、豊山ドライブインで食事をとったとき、机の上に置いた。五時間の恐怖のドライブの間、Kさんらはおどされたり金を出せといわれた。Sさんは「持っていた現金二千円をクツ下の中に隠すなど、木当にこわかった」と語っていた。
 なお三人は同署の調べに「金をたかる気だった」といっている。」


走り書きのメモを残した事から事件解決と、まるで19世紀の探偵小説のような展開。ドライブインの従業員さんお手柄でした。しかし、このメモを見て警察に連絡しなきゃ、と思わせるほどに店内でもKさんとSさんに対する態度が不審だったんでしょうな。



「放火少年が脅迫状」
(毎日新聞昭和41年11月17日夕刊6面)


「【春日部】埼玉県春日部署は、スーパーストアの社長宅に脅迫状を送っていた中学生を十六日夜補導した。同市の中学二年生、A(一四)で、少年は九、十一日の両日、中学に放火して補導されたばかりだった。
 調べによると、少年は同市、マルヤストアー社長、Sさん(三一)方に三日夕、便せんに「ダイナマイトでお前の店をこわす。警察に知らせると子供を殺す。いやなら二百万円よこせ…」と脅迫状を投げ込み、さらに五日夕にも場所を指定した脅迫状を送っていた。」


上の監禁事件でも少年が一人関わっていましたが、こちらは中学生による脅迫事件。「ダイナマイトでお前の店をこわす」というのがマンガチックですが、もし手元に本当にダイナマイトがあったら実行に移しかねないのが子供の怖いところ。まさにキチガイに刃物。死者・負傷者が出ないまえに補導されてよかったですな(A少年にとっても)。
| - | 18:21 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |