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At the Moment

昭和40年代への誘い 〜〜〜 産業ロック製作所謹製
航空機事故二重遭難と猛々しい中高生ども
 まずはちょっと眉唾気味な海外配信ニュースから

「百五十才で結婚? イラン」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)


「イランで最近実施した国勢調査で、百五十才という老人が西イランにいることがわかった。このおじいさんには、百十才といわれる長女と百才のむすこが健在で、孫の数にいたってはなんと二百人。いままで二度結婚しているが、まだまだ元気たっぷり。回教徒のおきてでは一度に四人の妻がもてるとあって、目下新妻を物色中だという。「私の財産が許す範囲の贈り物でウンというなら、新妻には若い子がほしい」といっているとか。---でも本当ですかね。(ロイター=共同)」

ニュース本文からして半信半疑なので信憑性のほどが知れようという感じですが、『世界は広い』ということで一応掲載しておきます。



新聞斜め読み




「捜索ヘリが空中衝突 二機墜落、四人が死亡 悲劇の松山沖ダブル事故 大阪府警と全日空機」
(毎日新聞昭和41年11月16日朝刊1面)


「【松山】全日空機松山事故の遺体捜索活動が最高潮で行なわれた十五日午後、松山市北方の愛媛県北条市粟井沖で捜索に協力していた大阪府警のヘリコプター(JA7062)と全日空のヘリコプター(JA7012)が正面衝突、両機は飛び這うように墜落、乗務員各二人の計四人が死亡する悲惨なダブル事故が起こった。
 同日午後四時四十分ごろ、北条市粟井の沖合約五十メートルで大阪府警ヘリコプター"あおぞら一号”(ベル47G2型、操縦士、中村健造警部(三七)、松山西署垣生駐在所勤務、村上一雄巡査(四一)同乗)と全日空のヘリコプター(ベル47D1型、笹本静男操縦士(二八)、鈴木紀弥整備士(二二))が大音饗とともに空中衝突した。全日空のヘリは磯河内沖三十メートルに"あおぞら一号"はその南約百メートルの海面に墜落した。
 この事故を目撃した巡視艇"さざなみ"など付近海域で遺体捜索中の巡視艇五隻が急行した。全日空ヘリは機体を大破、浅瀬上に上部半分をのぞかせており、笹本操縦士らは仮死状態で救助されたが間もなく死亡した。”あおぞら一号"は燃料タンクを海面に浮かせていたが、繁官二人は即死しており四人の遺体は巡視船"くまの"などが六時前、収容した。(中略)
 YS−11型機の事故原因究明のため松山に来ていた運輸省航空局の楢林審査官らが現場に急行したが「この日は朝から晴天だったし、時間的にみて一機は山を背に飛行、一機は西日を背に飛んでいたため両機とも互いに視界にはいっていたはずだ。しかし捜索に夢中だったため前方をよく見ていなかったことが正面衝突というめったにない事故の原因ではないか」とみている。
 松山空港には十四日朝から捜索や報道陣の航空機が集結、同空港の保安事務所に届けているものだけでヘリコプター十五機、単発、双発機計十機、このほか岩国、広島から加わっている自衛隊、海上保安庁機を加えると早朝から三十機前後が捜索海域を中心に飛びかう空のラッシュぶり。
 このため楢林審議官らは十四日朝パイロットの代表を招き飛行統制を話し合い、ヘリコプターは高度百メートル以下、航空機は百五十メートルから千メートル、飛行間隔は百メートル以上おくなどを決めたばかりだった。(中略)

警察機墜落はじめて

警察のヘリコプターは三十四年、警視庁が一号機を採用して以来、現在全国に八機ある。災害救助、交通整理などに活躍しているが、事故を起こし墜落したのははじめてである。」


同日の読売新聞朝刊15面の記事によると、府警機側の遺体にローターで切られた傷があったとのこと。衝突時、府警機よりわずかに下側に全日空機が位置していたようです。全日空機は空港への帰還途中だったとのことで、もしかしたら全日空機が捜索に気をとられ、急に位置を変えたのが原因なのかもしれません。大事故にひきづられる形の災いですが、原因が救難活動だっただけにとても残念な事故です。



「世界党大会は必要 ブルガリアで ブレジネフ書記長演説」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊3面)


「【モスクワ 大月特派員 十五日発】ソフィアのブルガリア共産党大会に来賓として出席中のブレジネフ・ソ連共産党書記長は、大会二日目の十五日午前あいさつに立ち、現状における「国際主義」の重要性を強調するとともに、十四日のジフコフ・ブルガリア共産党第一書記の発言を支持して「最近一連の友党が新たな共産党・労働者党の国際会議を開く条件がますます熟しつつあるとの見解を表明しているのは理由のないことではない」と言明した。
 同書記長は「現在では国際主義の原則こそが各党の路線の正しさを判定するための最も信頼すべき基準の一つだ」との大義名分論にたち、その点からベトナム支援の重要性を強調するとともに「せめてこの重要問題についてだけでも行動の統一を達成しようとする友党のあらゆる努力が、中国指導部によってきっぱり拒否されたことはきわめて遺憾である」と中国批判をくりかえした。
 中国文化大革命開始いらいブレジネフ書記長以下のソ連首脳がこのような明確な形で世界党大会開催の必要にふれたのははじめてである。このブルガリア党大会で直ちに国際会議開催について合意がはかられる見通しは薄いが、この大会をきっかけにして中国弾がいとソ連路線による国際共産主義運動の整理、強化を主目的とする世界党大会構想がにわかに表面におどりでたことはたしかである。」


しかし、中共に対するソ連の動きは慎重ですね。やはりベトナムの紛争の扱いをどうするか、ということが両者の世界戦略上で大きなウェイトを占めているためでしょうか。北ベトナムは中共への制裁は反対しています。戦時下の北ベトナムにとっては、ソ連からも中共からも援助を受けたいでしょうから、当然ですね。世界の注目は現在北ベトナムに集まっていますから、ソ連としても彼らの意向を無視することもできません。で、ブルガリア共産党を使ったりして真綿を首をしめるように中共非難の輪を少しずつ広げているように思えます。



「中国留学生が見たソ連の"墮落ぶり"」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊3面)


「十五日の新華社電は、モスクワから北京に帰ってきた中国人留学生の報告として、次のようなソ連の悪口をズラリと並べている。
 クレムリンのおえら方どもは"小型アメリカ"として有名な、モスクワ郊外の別荘地帯に暮している。また黒海沿岸の避暑(寒)地に「淡水」「塩水」の二つのプールつき別邸を構えているものもいる。それにひきかえ、数多い一般の国民は"家なし"も同然の暮し。
 修正主義のソ連指導者たちは、堕落した映画や小説、果てはヌード写真などを国民、とくに若者たちに与えている。昼日中、売春婦が町をぶらついている場面も見られる。暴力事件、殺人は日常茶飯事。まじめな労働者が上司たちの"甘い生活"を批判したところ、クビにされたうえ、精神病院に放りこまれた。」


一方、中共側はソ連とちがって直球勝負で相手非難を繰り返していますな。



「EEC加盟で警告 ソ連、オーストリアに」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊3面)


「【ウィーン十五日=AFP】オーストリアを公式訪問中のポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長は、十五日オーストリア側首脳との三時間にわたる第一回会議で「オーストリアがEEC(欧州共同市場)に加盟すれば、これは同国の政治的中立政策を危うくするおそれがある」と警告した。」


ソ連も、相手が中共でなければ直球勝負。オーストリアを脅してます。



「米のジェミニ計画終わる 12号、無事に着水 次は三人乗りアポロ計画」
(毎日新聞昭和41年11月16日夕刊1面)


「【ワシントン十五日中尾特派員】ジェミニ12号は十五日、大西洋上の予定地点に無事着水、米国はこれによって二十ヵ月にわたった一連のジェミニ計画を終了、月世界一番乗りをめざすアポロ計画に乗り出すことになった。グリソム、ヤング両飛行士を乗せた最初のジェミニ人間衛星船が打ち上げられたのは昨年三月二十三日、このあと宇宙遊泳に成功した4号、ソ連から長期飛行の記録を奪った5号、アジェナ標的衛星とのランデブー(宇宙結合)に成功した9号---とジェミニ計画は着実な足どりで発展、こんどの12号でオルドリン飛行士が初めてやりとげた二時間九分の宇宙作業を置きみやげに幕を閉じた。
 つぎのアポロ計画は、早ければ来年一月グリソム、ホワイト、シャフィーの三飛行士を乗せた有人飛行で本格的なスタートを切り、専門家筋の観測では、明年末また明後年中ごろまでには三飛行士が月へ着陸するアポロ9号の実験が行われる予定で、月旅行という人間の夢の実現が間近に迫ってきた。」


米国にとって厄介な問題になりつつあるベトナムはちょっと忘れて、景気いい話。いよいよ月旅行に向けた最終計画へ移行するようです。計画の旗振りをしていたケネディ大統領は暗殺されてしまいましたが、彼を継いだジョンソン大統領の在籍中に実現は果たして可能でしょうか。



「大麻買ったジョーンズ逮捕 黒人ドラマー」
(毎日新聞昭和41年11月16日夕刊7面)


「来日中のモダンジャズ演奏家アート・ブレーキーの外人ドラマーをめぐる大麻不正取引き事件を捜査中の厚生省関東信越地区麻薬取締官事務所は十五日夜、黒人ドラマー、エルビン・ジョーンズ(三九)を北海道帯広市郊外十勝川温泉笹井ホテルで、また、プロモーター「ニューJBC」代表取締役、斎藤延之助(三七)を、ともに大麻取締法違反の疑いで逮捕した。二人は大麻不法所持現行犯でさきに逮捕された一行の米国人ドラマー、トニー・ウィリアムス(二〇)の共犯関係を追及した結果、ドラム合戦の公演先だった静岡から名古屋へ向かう途中、特急「こだま」号の車内で、ジョーンズはウィリアムスから大麻約一グラム(五千円相当)を譲り受けて吸煙、斎藤はウィリアムスから同約二グラムを譲り受けたことがわかった。
 アート・ブレーキーはドラマー三人を含む七人で、一日に来日、全国各地を公演していたが、これでドラマー二人が逮捕され、さらに共犯者がいるものと同事務所では追及している。ジョーンズは国際批評家投票で連続三年第一位に選ばれた一流プレーヤーである。」


エルヴィン・ジョーンズといえば、なんといってもコルトレーンのグループでの活動が印象的。My Favorite Thingsなんかは傑作でしたねー。しかし、ドラマー二人がいなくなったら、『ドラム合戦』というフレコミがこの興業では使えなくなってしまいました。アート・ブレーキー師匠で一人合戦をするんでしょうか。師匠なら可能な気もしますが。



「本泥棒"専攻"のニセ東大生」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊15面)


「東大生と称して盗んだ本を売りさばいていた男が十五日夜、東京・神田署につかまった。住所不定無職、F(二三)で、さる十日午後四時ごろ千代田区神田神保町明倫館書店から工学書三冊(七千百円相当)を万引したのをはじめさる九月はじめから神田周辺の書店で約五十冊の本を盗んだ疑い。
 Fは盗んだ本を別の本屋にもって行き、東大の学生証を見せて売っていたが、あまりひんぱんなので同町大屋書房で不審をもち神田署に通報。十五日午後六時ごろ同店に現れたところを神田署員につかまった。
 調ベに対して、Fは咋年秋まで千葉工大に在学していたが、発明にこって借金をつくりぶらぶらしているうち犯行を思いつき、これまでに盗んだ本で約三万円をかせいだといっている。学生証はさる九月にひろい、自分の写真をはりつけて使ったといっている。」


古本屋に本を売るとき、東大の学生証だったら少し割高になったりするんですかね?それにしても、こってた発明とはどんなものなんだろう。見てみたいですね。もしかしたら9月20日に紹介した中松氏の快挙に刺激されて発明をめざしたんでしょうか。それだったら、中松さんも罪な人ですな。



今日の殺伐




「修学旅行の50人乱闘 宮崎 東京と横浜の高校生」
(朝日新聞昭和41年11月16日朝刊15面)


「【宮崎】十五日午後八時ごろ、宮崎市、児童公園で、修学旅行で宮崎にきていた横浜市金沢区、私立横浜商工高二年生と東京都大田区、私立東京実業高校二年生合わせて約五十人が棒きれなどでなぐり合い六人が重軽傷を負った。近くの人の急報で宮崎署員がかけつけ、乱闘は約十分間でやんだが、横浜商工のI君(一七)が頭を五針樋う大けがで、市内の病院に入院し、宮崎署は血のついた長さ一、二メートルの棒きれなど三十二本を押収した。
 宮崎署の調べによると、両校は中学時代の同窓生が在校したり、同じ実業系の私立高校のためライバル意識も強かった。
 けんかの原因は、同日朝七時半ごろ、鹿児島・桜島見物のフェリーボートで両校生がいっしょに乗合わせた。ところが狭い通路で両校の生徒二人が肩がふれ合ったことから、横浜商工の生徒A(一六)が東京実業の生徒の腹をなぐりつけた。その場はおさまったが、宮崎にきて、なぐったAが和解を申入れたことを誤解した東京実業の生徒が集団で棒きれなどをもって公園に集りけんかになった。」


典型的な修学旅行エピソードを紹介しました。記事によると、両校とも九州一周の途中だったそうです。最近の修学旅行は贅沢ですなー。宮崎署は両校の引率の先生5人と、生徒三十人を取調中とのことですが、旅行中によく三十二本も棒きれを調達できましたな。やはり蛇の道はヘビで、修学旅行生に武器を売る『死の商人』が旅館街には存在しているんでしょうか?



「"暴力教室"番長グループ 先生にナイフで反抗 足立 八つの中学に広がる」
(読売新聞昭和41年11月16日朝刊15面)


「東京・足立区内の各中学校で"番長グループ"による暴行傷害事件が続発していることが、西新井大師焼失事件を捜査していた西新井署の調べでわかった。喫煙、盗みをはじめ、同級生へのリンチ、ナイフによる教師へのおどしなど暴力団のような凶暴さ。足立区内十二中学のうち八校にこの番長グループ非行事件が広がっており、この事実を知らされた足立区教委はことの重大さに驚き、来週中にも緊急中学校長を開き対策を検討するが、西新井署では学校の非協力、親たちの無関心がこの原因ではないかと強い不満をもらしている。
 西新井署の調べによると▽十月二十四日午後二時ごろ、A中学の英語の教師が便所でたばこをすっていた三年の生徒二人(いずれも十五歳)をみつけ注意した。二人は「表へ出ろ、ぶっとばしてやる」とナイフを出して反抗。教師は、二人を教室に連れていったが、あばれつづけて授業を妨害した。二人はその後、別の三年生二人と近所の果実店に深夜侵入、果実四千円相当を盗んで補導され、脅迫の事実がわかった。二人は、このほかにもさる九月、別の教師三人に「卒業までにやっつけてやる」とおどし、さらに別の教師には、欠席を注意されたとたん腹部をなぐって逃げたこともある。(中略)
 ▽先月二十九日にも十四歳の三年生が、登校途中ショウチュウ○・三六リットルを酒屋でかって寺の境内で飲み、教室で酔いがまわって、あばれ、西新井署に保護された。(中略)

 西新井署山崎岩雄少年係長の話
「グループの少年に呼び出しをかけると、五、六人がぞろぞろ現われ"なんの用だよう"とふてくされるなど、すなおさがまったくない。何とか少年グループの解体に持っていきたいが、ある学校では放課後でも校内に警官ははいってはいかんというなど、非協力的態度に泣かされる。親たちも無関心で子供が家を何日もあけても警察に捜してくれといって来たことがない」」


一つ上の高校生の修学旅行の決闘より、タチが悪そうな事例ですね。『ある学校では放課後でも校内に警官ははいってはいかんというなど、非協力的態度に泣かされる』とありますが、これだけ暴れられては先生だけでは対処できないんだから、警官でもなんでも中に入れなきゃしょうがないでしょうに。
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墜落事故続報と米国異常犯罪について



 今年は日本で幼稚園ができて90周年だそうです。

「幼稚園生まれて90年 皇太子ご夫妻迎え式典」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)


「ことしは、わが国最初の幼稚園が東京女子師範学校内に開設されてからちょうど九十年目。これを記念して幼稚園教育九十年記念式典が十五日午前十一時から東京・虎の門の国立教育会館に、皇太子ご夫妻をお迎えして行われた。
 有田文相の挨拶、佐藤首相、山口、重宗衆参両院議長の祝辞があり、幼稚園教育に三十年以上も尽くした全国幼稚園の園長、教員、用務員や関係団体役員など四百六十二人の幼稚園教育功労者の表彰が行われた。」

東京女子師範学校は現在のお茶の水女子大の前身。明治九年十一月十六日に開園式が行われたとのこと。明日が開園記念日なんですな。



新聞斜め読み




「事故繰り返した全日空 "羽田"からまだ九ヵ月 「わからん」頭抱える幹部 誇り高き民間会社 競争意識がわざわい? きびしい再建の道 重み増す業界大合同論」
(毎日新聞昭和41年11月15朝刊4面)


「カウント8でヨタヨタと立ち上がったところへ、また強烈なアッパー・カットをくわされてダウン---十三日夜松山沖で起きた全日空大阪発松山行きYS−11型の墜落事故は、全日空にとってこんなたとえもまだ生ぬるいほどの深刻なショックだった。二月四日、同社のボーイング727型機が羽田沖に姿を消したときは「立ち直りに何年かかるか」が話題になった。だが、九ヵ月余のうちに二度の惨事。こんどは、再起のあり方そのものが議論の中心として取り上げられようとしている。「どこかタルンでやせんか」という批判はきびしく、藤枝運輸相も「今回は会社の運営面にまでタッチして発言せざるをえまい」と異例の決意を述べた。在野の心意気と反骨の気風を誇る全日空は、果たして、どこをどの方向に飛ぼうとするのだろうか。(中略)

 独立独歩

 全日空---戦後の航空の空白期、じっと腕をなでさすってきた"ヒコーキ好き"が、寄り集まってつくった会社。日航が外人パイロットに頼って飛んでいた昭和二十八年に、早くも"日本人の手で"と一番機を飛ばした日本ヘリコプターと極東航空がその前身だった。いらい、ビタ一文も国の援助を受けず、誇り高き"民間会社"を表カンバンにして伸びてきた国内線航空会社の一方の雄だ。
 職員は若く、官僚の介入をきらい、日航に対する"追いつき追い越せ"のファイトを猛然と燃やして成長してきた。社内のムードは"親方日の丸"に対する反骨であり、在野のブライドである。
 理論や合理性より、多分にムード的な"暖かさ"が支配している会社。日航を東大にたとえるならまさしくワセダのおもむきがあるといえる。
 ボーイングの事故がきっかけで、運輸省を中心に、航空業界再編成の動きが高まったとき、岡崎社長が「事故と再編成は関係ない。わが社の経営基盤は堅いのだ」といい切ったのは、こうした全日空気質を端的に現わしたものだった。
 しかし前の事故のとき、実はこの気質そのものが批判されたのだった。当時、羽田の飛行機ラッシュの中で、かなり強引に割り込み着陸をする全日空パイロットが目だっていたことは事実だし、日航の機械のような安全第一主義にくらべると、運航に若くせっかちな"奔放さ"がみえることもたしかだった。
 そして、その後にとられた数々の安全対策も、"いままでに間違いがあった"と"心の底から"認めた上でのことではなく「外部からの批判があるから……」という考え方がみられたことは否定できない。
 つまりは"安全第一"がトコトンまで徹底したものではなかった、というきびしい見方も出てくるわけだ。
 事故の上に新幹線、不況の三重の影響で、営業面での競争は決して楽観できなかったし、若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。
 第一の事故のショックからわずか九ヵ月で全日空を立ち直らせたのはこのファイトと自信だった。それが、こんどの事故で、どこかへ飛んで行ってしまった。---あとに何が残っているのか---。いまになって「どこが悪いのかわからん」といい「やっぱり安全運航の長い歴史と伝統が必要だ。一夜づけじゃダメだ」という悲痛な反省が聞こえてくるのである。

 高価な償い

 全日空は、こんどの事故でどのくらいの償いをしなければならないか。ボーイング事故の例をみると、直接の費用だけでも遺体操索、遺族のホテル代、車代などで約三億円、一人五百万円の遺族補償が約六億五千万円。もちろん営業成績はガタ落ちになった。
 ことし四月から九月までの旅客数は百十一万人で昨年同期より二十一万人もの減、旅客営業収入は六億円以上のダウン。とくに事故を起こした札幌-東京線は日航に客をとられっ放し、利用率わずか三五・四パーセント(座席数百に対し乗客三十五・四人)というみじめさである。当然ことし五月から無配に転落している。
 それが、夏の終わりごろからぐんぐん盛り返し、観光客、新婚旅行客などの獲得で十月十三日には創立以来最高の一万二千五百七十六人の乗客を記録、来年は復配もできようという気配だった。
 そこへ、YS-11が落ちた。こんどはどうか。大体、事故のショックの性格が前回とはまったく違う。同じところを二度切れば血はなかなか止まるまい。不信の度合いがおそろしく深くなると思われるのである。遺体捜索、遺族補償などの費用は、さほど前回と変わらぬにしても、今後の営業成績のちょう落はどこまでゆくか、そしていつまで続くか、見当もつかないと全日空自身が認めている。(中略)

 全日空は、松尾日航社長らのとなえる"航空企業大合同論"や、運輸省の"路線再配分"の介入(全日空から一部の路線を日本国内航空にやれという勧奨)をほとんど全面的にけとばして。自主独立"の城を保つことができた。
 こんどの場合も再び業界のあり方が問題になることは必至である。航空審議会は将来国内、国際各一社にすることが望ましいと答申しているからである。東亜、長崎両航空が金日空に合併を希望していながら、まだ宙ブラリンのかたちになっている事実がその突破口として使われるだろう。
 こんどは"大合同論"の日航が、日本国内航空を引き連れてローカル線への発言権も持って、全日空の前に立ちはだかるかっこうだし、業界、当局、一般利用者の全日空を見る目も前回よりは、はるかにきびしい。今後の推移によっては、国が同社に「安全運航を守る」というニシキの御旗をふりかざして何らかの権利の留保を持ち出してくることも十分考えられる。
 全日空はサービスと経営努力の低下を理由に再び反論するだろうが、こんどはその声も弱い。当分黒字の見込みが立たない以上「赤宇の会社で安全運航ができるか」と詰め寄られれば、それまでだがらである。」


昨日の墜落事故の続報。戦後の全日空の歩みを睨みながら事故の会社に与える影響を予測した記事を紹介。事故調査が進んでいない段階で、『若さの裏返しになった競争意識が、相変わらず全日空の原動力として残っていたとすれば、松山空港での"せっかちな旋回"も、何となくわかるようにさえ思えるのではないか。』とは、ちょっと憶測が入り過ぎな観がありますが、この事故の影響によって航空産業の大変動があり得るという指摘は気になります。



「ブルガリア 世界党大会を提唱 中共追放に音頭 ソ連派70か国代表前に ジフコフ首相演説」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)


「【モスクワ大月特派員十四日発】タス通信によると、十四日ソフィアで開かれたブルガリア共産党大会の冒頭、基調演説に立ったジブコフ・ブルガリア共産党第一書記兼首相は、中国指導部の分裂行動を強く批判するとともに「共産党、労働者党の国際会議開催の条件が熟したと考える」と言明した。中国の文化大革命を契機に急速に激化したソ連路線を支持する各国共産党の中国批判が高まるなかで、スーダン、エクアドルなど共産圏以外の共産党から世界党会議の開催を主張する発言が強まっているが、共産圏内部からこのように明確な形で同会議開催が提唱されたのははじめてであり、注目されている。
 ブルガリア党大会には約千五百人の代議員と国外から七十か国の代表が参加しており、中国の文化大革命いらいソ連派の参集した最大の会議となった。それだけに、ソ連の温度でモスクワ派諸国が共産圏内でももっとも進歩的といわれるブルガリアを舞台に、世界党会議方式を公然と提唱し、各方面の打診をねらったのではないかとみる向きが多い。
 もともとこんどのブルガリア党大会は、ソ連派諸国の中国対策のこんごを占う機会とみられていたが、果たしてソ連側からブレジネフ党書記長自身が来賓として乗り込み、その重要性はいっそう高まった形になった。
 ソ連が中国対策で、世界党会議方式による中国弾がいをひそかに工作していることは、広く指摘されており、今月はじめにもスースロフ書記がフィンランドを訪問したさい、両国共産党の間で、同会議の開催こそが「効果的な形式」であることを確認し合ったばかりである。しかし、この方式に対して、北朝鮮、北ベトナム、日共からルーマニアにいたるまで、かなり根強い反対論ないし慎重論があることは周知の通りであり、さる十月の共産圏九か国首脳会議でも対中国対策については明確な路線を打ち出せなかったのが実情。
 そういう事情に直面してソ連もこれを無理押しする気配はみえない。しかし、さる六日の革命記念日前夜祭における演説でペリシェ・ソ連共産党中央委政治局員が「集団的解決の方法と形式を利用しつつ、より効果的な道を発見することは疑いない」と述べたように、ソ連が中国対策で何らかの「集団的解決」を模索していることは明らかである。」


共産圏のボスのソ連とはいえ、中共を槍玉にあげるのは、一筋縄ではいかないようで、周到に根回しを進めている段階のようです。しかし、ソ連の目指す『集団的解決』とはどのような解決なのでしょうか?経済的制裁なのか、軍事的な意味も含むものなのか。



「これがアメリカだ 31 異常な犯罪に悩む あり余る時間・金 "繁栄する社会"のひずみ」
(読売新聞昭和41年11月15日朝刊3面)


「この種の凶悪犯罪は、アメリカ全土に一種の"無法時代"が現出したという印象さえあるくらいだ。(中略)アトランタで二十歳の青年が、父親をコン棒でなぐったうえ、ナイフで五十回も刺して殺しているし、シカゴの看護婦七人殺し(七月)テキサス大学構内でのライフル大量殺人(八月)アリゾナで起こった十八歳の高校生による五人射殺事件(十一月)などなどが起こっている。こうした血なまぐさい「異常犯罪」の増加は、いまアメリカで大きな社会的関心の的になっている。記者の会った多くの人々は、それを"精神病者"の行動として片づけようとした。しかし問題は、それほど簡単でなかろう。(中略)
 ではこのような犯罪の激増、モラルの低下の原因は、一体どこに求められるのか。答えは、さまざまであった。大多数の意見としては、家庭でのしつけの不足、離婚その他による家庭の崩壊、急速な都市集中化と"繁栄する社会"の出現があげられた。しかも、これらの要因は、互いに関連し合っているという意見が多い。
 ワシントンで会った中西部の農村出身の官吏S氏は、次のように表現した。
「私の青少年時代、農村では子供たちはかならず、何か家でやるべき仕事をもっていたものです。また家庭ではかならず誠実とか能力とか、個人の尊厳が人間として大事だと教えこまれた。ところが、いまでは、だれもかれも都会に働きに出かける。過去に教えこまれた価値観は、もう都市生活では生活の指針とはならない。この新しい環境に適応できないイライラから横道にはいる。それにいまは品物と時間と金が多すぎるのですよ。犯罪、とくに青少年犯罪激増の原因はこれです」
 もちろん貧困と失業、教育の不足にもとづく、社会からの疎外感、絶望感をあげる人も多い。さらに宗教の影響力の低下、テレビ、映画の暴力シーンによる一種の「暴力不感症」を指摘する人もいた。(中略)

 アメリカの犯罪の激増、モラルの低下に、ひとつの違った角度から光をあてたのが、ローゼンソール氏だった。彼は記者に「三十八人の目撃者」という著書をくれた。この本は六四年三月十四日、ニューヨークのクィーンズ地区で起こった有名な"ジュノペーズ"事件を中心に、現代アメリカの病根に鋭いメスをあてたもので、いまでも各学校その他で、広く読まれている。
 事件そのものは、その日の午前三時、二十八歳になるキャサリン・ジュノペーズという女が、オースチン通りのアパートに帰ろうとした時、一人の暴漢に三回にわたってナイフでおそわれ、三十五分後に死んだというありふれたもの。この事件の異常さは、犯行の場所に近い中流家庭の住民たちが、彼女の悲鳴や助けを求める声をきいたのにもかかわらず、だれ一人警察に電話しなかった---という点にある。
 "三十八人の目撃者"は、あとで"こわかったから"とか"事件にまきこまれたくなかったから"とか弁解した。同氏は、この「無関心」は、ニューヨーク、東京など、大都会に共通する現象だと説明する。この無関心の原因について、いろいろな見方、たとえば精神病理学者カール・メニンジャー教授の「無関心は潜在的攻撃性のあらわれだ」との見方---を紹介して「大都市における個性の喪失、人間の疎外現象だ」と説明する。そしてこの事件を反省材料として"まきこまれたくないというササヤキを人々は常に意識していなければならない"と結論する。しかし、これは一つの問題の提起であって、解答ではない。」


未成年者の凶悪犯罪に悩むアメリカからのレポート。豊かさと貧しさが共ににゆがみの原因と考えられているところが興味深いです。アメリカは世界の最先端といいますが、やがては日本もこのような犯罪に悩まされることになるのでしょうか。



今日の殺伐




「また"異常な少年" 14歳 両親と妹を射殺」
(朝日新聞昭和41年11月15日朝刊15面)


「【ウィンザー(米ノースカロライナ州)十四日発=AP】米国ノースカロライナ州の小さな町ウッドビルで、十四歳の少年が父親、母親、妹の三人を射殺したかどで十三日、逮捕された。
 この少年はロジャー・バーナード・リーで、さる五月二十八日、父親のウィリーさん(五一)、母親の
エッシーさん(四一)、妹のキャロラインちゃん(四つ)をライフルで射殺、弟のマービンちゃん(一つ)にも傷を負わせた。
 警察当局は当時、少年の証言をもとに、金銭のことで口論していた母親が父親を殺した無理心中事件としてかたづけられたが、十三日改めて取調べた結果、少年は三人の殺害を認めた。
 取調べにあたった保安官の話によると、少年は近くの食料品店でツケで買った品目について母親と寝室で口論し、なぐられた。そのため少年なライフルを取出して母親めがけて数発乱射して即死させたあと、隣の台所にいた父親も射殺した。彼は妹や弟を撃った覚えはないと語っているという。」


早速、米国から少年犯罪が報道が届きました。そもそも、十四歳の少年の手の届くところになぜライフルを置いておくのか、という根本的なところも気になりますが、何故四つの妹まで殺してしまったのか。家族共々自分も自殺しようと考えていたのでしょうか。



「ホットドッグ屋が乱闘 住宅街で猟銃撃つ」
(読売新聞昭和41年11月15日夕刊11面)


「【厚木】十五日未明、箱根バイパスで、ドライバー相手に移動ホットドッグ屋を開いている露天商十余人が、神奈川県厚木市の市営住宅街でナワばり争いから猟銃、木刀などを使って乱闘、三人がケガをした。神奈川県警厚木署で全員を任意同行、傷害と銃砲不法所持の疑いで調べている。
 十五日午前一時三十分ごろ、神奈川県厚木市の市営住宅、ホットドッグや経営N宅へ、乗用車に二台に分乗したOら七人が猟銃一丁、木刀などを持って押しかけた。N側もこのなぐり込みを予想し、Nはじめ六人が猟銃一丁と木刀などを用意して待ちうけ、双方が入り乱れて乱闘、お互いに猟銃を一発ずつ撃ちあった。乱闘は約二十分つづき、付近の人の知らせて同署員がかけつけとりしずめたが、Oが木刀でなぐられ前頭部などに約二か月のケガをしたほかNのほうも二人が足などをケガした。
 同署の調べだと、Nはホットドッグ車五台を持ち、一方Oも三台を持って夏は湘南海岸、冬は箱根バイパスを中心にドライバー相手のホットドッグ屋を開いているが双方いがみあっていた。」


日本の殺伐事件ですが、こちらは伝統的なテキ屋さんの出入りという感じで、アメリカの陰惨な異常犯罪の後だと、ちょっとホッとしますね(いいのか?)。
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YS-11の墜落と日米の殺人事件
 本日は、事件・事故と血生臭いニュースが多いのですが、冒頭は宇宙開発に関して。

「宇宙遊泳・二時間九分 長時間記録を更新 ジェミニ12号のオルドリン飛行士」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)


「【ケープケネディ十三日AP=共同】ジェミニ12号のオルドリン飛行士は十三日、二時間を越す宇宙遊泳を終え、船室に戻った。オルドリン飛行士の船外活動は米東部標準時十三日午前十時三十四分(日本時間十四日午前零時三十四分)から二時間九分続けられた。これは予定より十数分長く、これまでの最長記録。予定の船外活動を完全に達成したのは最近の四回の試みではオルドリン飛行士が初めてである。
 オルドリン飛行士の船外滞在が予定より長引いたのはこの日早く作動しなかった宇宙船誘導装置を見守るためだった。
 オルドリン飛行士が船内に戻り、ハッチが手で締められると、管制センターは「おめでとう。すばらしかった。船外活動の新記録だ」と伝えた。オルドリン飛行士は遊泳中まったく疲れたようすをみせず、最後まで上きげんだった。
【注】これまでの宇宙遊泳記録は、六月三日に打ち上げられたジェミニ9号による二時間五分。」

二時間以上も宇宙空間にいて終始上機嫌。宇宙飛行士はタフだ。



新聞斜め読み




「全日空機、松山沖で墜落 50人全員が死亡 大阪発のYS-11 着陸誤り失速 新婚旅行の十余組も」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)


「【松山】十三日午後八時三十二分ごろ松山空港へ着陸しようとした大阪空港午後七時十三分発の全日空下り便YS−11"オリンピア"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=が着陸地点を誤り滑走路中央部付近に接地したため、再び高度を上げ左旋回しようとして失速、空港沖二・二キロの吉田浜海上に墜落、全員が死亡した。地元消防団、海上保安庁などが協力して海上を捜索、機体の破片の一部とタイヤを発見、遺体をつぎつぎに収容した。国産機YS−11の事故は三十七年八月三十日初飛行以来、はじめてである。
 同機には新婚旅行の十余組も乗っていたが、空港には乗客の家族、知人ら約三百人がつめかけ、全日空の係員に安否を問いただすなど、深夜まで空港はごった返し「やはりだめか」の声が不安に震えていた。
 YS−11"オリンピア"は十三日午後七時十三分大阪空港を離陸、松山へ向かった。大阪航空保安事務所の話では、午後八時三十二分松山空港上空に到着、森機長から松山コントロールタワーに「これから着陸する」と連絡があり、同機は着陸態勢にはいり、いったん着地した。しかし正規の場合、滑走路のはしから三百メートルの地点に接地するのに同機は、それより三百メートルも行きすぎたため滑走距離が不足し、同機長から「ミス・アプローチ、海へ向かう」と連絡があったのち、消息を断った。」


今年は、航空機事故が多発していますが、この事故は今年5回目。数多くの犠牲者を出し、しかも戦後初の国産旅客機YS-11の事故だったために与えた衝撃も大きかったようです。


「有視界飛行できたはず」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)


「【松山】松山地万気象台松山空港分室の話では、同日朝から愛媛県下には風雨波浪注意報が出ていたが、全日空機が着陸しようとした午後八時半ごろは雲高三千フィート、視界六マイル、北北東の風三メートルで夜間有視界飛行の限度(雲高千フィート以下、視界二マイル)にはなっておらず管制塔の指示に誤りはなかったものとみられている。」


「事故当時は小雨」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)

「気象庁にはいった連絡によると、事故発生前の午後八時現在の四国付近の気象状況は、南東の風二・五メートル、小雨だったという。」


「機長の判断ミス?」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊1面)

「【松山】松山航空保安事務所相原所長の話では「管制官は着陸の許可を与えただけで、飛行機は着地し、再び高度をあげたあと管制塔との接触が途絶えた。管制官の指示に間違いはなく、機長の判断に誤りがあったのではないか」といっている。」


まだ、機体が発見されていないので事故原因は推測にすぎませんが、操縦ミスの疑いが持たれているようです。


「"身代わり"で飛んだ機長」
(朝日新聞昭和41年11月14日朝刊15面)

「【大阪】全日空伊丹営業所の話では事故を起した松山行の第六便ははじめフレンドシップ型を使用、西野巴悦機長が飛びたつ予定だったが、この日は西日本一帯の荒天から、欠航や遅れがおよそ二十便出たうえ、乗客が多かったため、同型が使えなくなり、松山便に回せるのはYS11型だけになった。
 しかし、西野機長はYS型の経験がないため、森機長が鹿児島から帰ると、折返し同機に乗るよう指示され"身代り"事故だった。」


予定外のフライトだったようですが、これも事故の原因の一つなのでしょうか?


「荒天で捜索難航 全日空機松山事故 機体の一部発見か 遺体収容、やっと二一」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊1面)


「【松山】十三日夜、松山空港沖に墜落した金日空YS−11型機"オリンピア号"=森保男機長ら乗員五人、乗客四十五人=の遺体捜索は、同夜から松山海上保安部の巡視艇をはじめ多数の船が墜落現場の海面一帯を中心に、おりからの強い風と雨の中で徹夜で続けられた。十四日夜明けからは、さらにヘリコプターなどを動員、海、空からの大がかりな捜索を続け、遺体の収容に全力をあげているが、十四日午後二時までに遺体二十一体(男七、女十四=既報二十六体は誤り)を収容、うち十六人の氏名が確認された。また巡視船"あきよし"は測深器によって、釣鳥の南約五キロの水深三十二メートルの海底で機体の一部らしいものを発見した。午前十一時、松山空港着の全日空機で運輸省航空局の松本登技術部長、楢林寿一飛行審査官、山下専門官、岡田航空機検査官が着き、直ちに滑走路などの現場検査を始めた。(中略)
 現場付近の海面は、夜明けとともに雨はあがり、曇り空ながら視界はよくなったが、西一三メートルという強風が吹きつけ、うねりも二メートルを越えるという大荒れが続き、遭難直後から捜索に協力していた地元の漁船約五十隻は十四日午前二時ごろ危険を感じて引き揚げた。また水深に二三−三○メートルという深さもあって、捜索は難航している。
 遭難機の破片は十四日朝までに約○・三平方メートルのジュラルミンの破片、座席三個、車輪などが発見されているが、本体はまだ確認されていない。」


夕刊の情報によると、荒天と海流の流れの速さのため、遺体の収容は難航しているようです。松山空港は新婚旅行で人気の道後温泉をひかえているためか、乗客には若いカップルが多いとのこと。犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。



「『茶の間』先生とドクター 市川篤二」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊2面)


「われわれが昭和の初期、大学病院での修業時代に、先生と呼んだのは教授をはじめとする指導者のことで、仲間同士が先生と呼び合うことはなかった。先生と呼ばれる職業として医師は代表的なもので、歴史も長いが、いまや看護婦や病人からばかりでなく、同僚からも二人称としても三人称としても、先生と呼ばれる傾向になってきたのは、ほかに都合のよい日本語がないからであろうか。アメリカの場合、ドクターの称号を持っている人をドクターと呼ぶことにだれも抵抗を感じないようだし、またドクターの称号を持つ人の多くが医師であるから、二人称でも三人称でもドクターを用いることは医師の場合まことに都合がよい。
 戦後のわが国は何ごとによらずアメリカの影響を受け、あれほどドイツ流であった医学畑も例外ではない。アメリカで研究して来た医師、アメリカを見て来た医師の数も相当なものである。そこでアメリカ式の呼び方がわが国に伝わり、ドクターの代わりに先生と呼び合うようになったと考えれば、まんざらわからない現象ではないけれども自分の指導した医師を三人称ではとにかく、二人称で先生と呼ぶことにいささか抵抗を感ずるのは私ばかりではなさそうである。(後略)(国立東京第一病院長・東大名誉教授)」


ちょっと興味をひくエッセイがあったので紹介します。大学病院などで、医者同士がお互いを『先生』と呼んでいるようですが、これは戦後の風習だったんですね。筆者も書かれていますが、自分が教えた弟子まで『先生』と呼ぶのは違和感があるでしょうね。



今日の殺伐




「七人を寝せて撃ち込む 米国の五人射殺」
(毎日新聞昭和41年11月14日朝刊14面)


「【ニューヨーク十三日波多野特派員】十八才の高校生が「有名になりたい」という単純な動機から、子供を含む女性五人をピストルで射殺し、ほか二人に重傷を負わせるという事件が十二日、米国南部アリゾナ州の田舎都市メーサで起こった。犯人はロバート・スミスという高校三年生の少年で、事件直後、警官に逮捕されたが、罪の意識を持たず、声をたてて笑いながら警察に連行されていったという。
 警察の調べによると、スミスは十二日午前六時半に起き、自宅から二・五キロのところにある同市ローズ・マー美容学校を襲った。
 校内にはいったスミスはまず大きな鏡めがけて二二口径のピストルを一発発射、そこにいた子供を含む女性七人を全部後ろの部屋に押しこめた。
 このあとスミスは女性たちを床の上にうつぶせに頭を中心に向けて放射状に寝かせ、頭にピストルを二発ずつ撃ちこんだ。殺されたのは二十七才の母親とその三才になる女の子、三人のティーンエージャーの女性である。ほかに十八才の女性と六ヵ月の赤ん坊も撃たれ病院にかつぎこまれたが重体。
 殺されたのは、ジョイス・セラーズさん(二七)とその娘のデブラちゃん(三つ)メアリー・オルソンさん(一八)グレーンダ・カータ!さん(一八)キャロル・ファーマーさん(一九)重傷はタマラちゃん(生後六ヵ月。セラーズさんの娘)とスージー・ハリスさん(一八)。」


「18歳のまじめ高校生 米国の大量殺人 三ヵ月前から計画」
(日本経済新聞昭和41年11月14日朝刊15面)

「【メーサ(米アリゾナ州)十二日AP】十二日米アリゾナ州メーサ市の美容学校で十八歳の少年が二人の幼児を含む七人の婦女子を床のうえにうつぶせに円型に寝かせ、次々と頭部にピストルを撃ち込み、三歳の女の子とその母親ら五人は死亡、残る二人は重傷を負った。犯人は現場でかけつけた警官に抵抗せず逮捕された。
 犯人は、ロバート・E・スミスというまじめな高校生。調べによるとスミスはテキサス大学の乱射事件などに刺激され、三カ月前、射撃練習用にご両親からピストルリを買ってもらっていらい、大量殺人を計画していたという。犯行は床に無抵抗に横たわる女性にピストルを撃ち込むという残忍さで、いうことを聞かず走り回っていた三歳の女の子はナイフで刺し殺す非情ぶりだったという。」


「犯人は18歳の高校生 アリゾナの五人射殺 "シカゴ事件まねた"」
(読売新聞昭和41年11月14日朝刊14面)

「【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】十二日朝、当地の美容学校にはいり、婦女子七人を頭を中心に放射状に、うつぶせに寝かせてピストルで撃ち、五人を殺した犯人は、ロバート・ベンジャミン・スミスという十八歳の高校生だった。現場で逮捕されたスミスは警察に「シカゴやテキサス大学の大量殺人事件から思いついてやったのだ」と語った。
 スミスは、三年半前ミズーリ州のヒューストンからメーサに引っ越してきたが、これまでメーサ高校で問題を起こしたこともなかった。しかし、三か月前、射撃練習をするからと両親から○・二二口径のピストルを買ってもらい、大量殺人を計画していたという。
【メーサ(米アリゾナ州)十二日発=AP】美容学校殺人事件の犯人スミス少年について、ことし同じ高校を卒業した近所のサンドラ・ハズラップさんは「彼はよい生徒で、学業成績も平均点のようだった。いつも通りすぎるとき、微笑するが、非常におとなしく"ハロー"とあいさつするくらいで、それ以上のことは口にしなかった」と語った。また他の生徒も「孤独癖の方で、他の友だちとかけっこしているのを見たことがない」といっている。」


昨日一報があった、米国の高校生による大量殺人の続報。三紙ともAP配信のニュースですが、内容が異なるので全て紹介しておきます。読売の記事で『よい生徒で、学業成績も平均点』『孤独癖』と犯人のプロフィールを紹介しているのが気になります。



「強盗、帰宅の主人殺す 逗子 妻や警官も切り逮捕」
(毎日新聞昭和41年11月14日夕刊7面)


「【鎌倉】十四日午前二時ごろ、神奈川県逗子市沼間、バー"りすぼん”経営、桜木陽一さん(三一)が約百メートル離れたバーから帰宅、裏口からはいろうとしたところ、室内に侵入していた覆面の若い男に柳刃包丁で胸、背中など五ヵ所を刺され即死した。
 男はさらに六畳間に寝ていた陽一さんの妻、富子さん(三六)に切りつけ、右腰に二週間のけがを負わせ、持って来た麻ナワで長男の博文ちゃん(一つ)を抱いた富子さんの両手、足をしばり「五万円出せ」とおどした。富子さんが手さげ金庫を差し出すと、中から三千余円を奪い「ママを殺さないで」とふるえる長女の千鶴子ちゃん(七つ)に「あとでママのなわをほどいてやれ」といい残して逃げた。
 陽一さんの悲鳴で気づいた妹の睦美さん(ニニ)が勝手ロから逃げ出し、約五十メートル離れた国鉄横須賀線東逗子駅前の公衆電話から逗子署へ一一○番し、一宝一成(いっぽう・かずなり)警部補(三六)ら三警官が同家前で逃げる男と出会った。
 男は柳刃包丁を振りかざして三警官に切りかかり、同署外勤係、三浦昂巡査(一九)の左足を突き刺し、六ヵ月の重傷を負わせた。また、そばにいた睦美さんの右腕にも三ヵ月の重傷を負わせて逃げたが、一宝警部補と中田保夫巡査(四二)が追跡、約七十メートル先で追いついた。格闘となったが、男は「もうやめた」と包丁を投げ出し同二時二十五分に逮捕された。
 横浜市戸塚区、宮沢熊一(二九)で「前日に北海道から上京したペンフレンドの女性とつき合う金がほしかった。駅前の東逗子駅前郵便局にはいろうとしたが、桜木さん方の木戸があいていたので、郵便局のおもやと思って侵入した」と自供した。
 ゴム手袋と麻ナワ、地下タビの"強盗スタイル"で、これまでも傷害、詐欺、放火など前科八犯の前歴がある。
 現場は国電横須賀線東逗子駅前広場の一画で、住宅、商店が立ち並ぶ静かなところ。四つ角に東逗子駅前郵便局があり、桜木さん方はむねつづきになっている。
 桜木富子さんの話 主人のうめき声で目をさますと勝手口に倒れた主人のそばに男が立っていた。主人が殺されたうえ、子供までおどされ、生きた心地はなかった。」


日本でも残忍な事件があったようですが、こちらは典型的な押し込み強盗。気丈な妹さんのおかげで、犯人がすぐに捕まったところが一抹の救いですね。



「大阪の川に首なし死体」
(朝日新聞昭和41年11月14日夕刊11面)


「【大阪】十三日朝、大阪・新淀川で、ビニールに包まれた首のない女の死体が見つかった。大阪府警捜査一課は殺人事件と断定、大阪水上署に捜査本部を置いた。
 同日午前八時ごろ、大阪市此花区伝法町の新淀川にかかる第二阪神国道新伝法大橋架橋工事現場で、作業員が川の中央付近にビニールの包みが流れているのを、見つけた。包みから首を鋭利な刃物で切取られた若い女の死体が出て来た。
 同捜査本部の調べでは死体は首のつけ根から約二センチ上のあたりから切取られ、体をエビのように折りまげられて包んであった。」


もう一つ猟奇的な事件。淀川に首無し死体が浮かんでいたとのこと。朝日新聞のこの記事では、架橋工事の作業員が発見したとなっていますが、同日の日経の記事では貸し船業の方が発見したと書かれていました。
 不審な包みを見つけて開けてみたらバラバラ殺人の遺体だった、と警察に届け出る発見者が時折いらっしゃいますが、包みを開けたときは心臓が止まる思いでしょうね。
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